とてもとても、風の強い日だった。
空には散らされた花びらが、高く、高く舞い上がっていた。







Flowing







「風、強いな…」
ファルスは、ぼんやりと辺りを見た。
木々は横殴りの風にしなり、花を吹き散らしている。
薄桃色の混じる空は、高く、遠かった。
―遥か高く、遠く、感じた。

「あはは…痛いや、さすがに…」
仰向けになって寝転がっている彼女の右足は、血だらけだった。
返り血で同じく赤く染まった手を空に掲げる。
鮮やかな赤が、童話のような風景に現実味を呼び戻す。

そう、あれは油断だった。
ザコ敵にウンザリしてて。
全部息の根を止めたと思ったのに。
『窮鼠猫を噛む』って奴か。
ただし、噛んだのはネズミじゃなくて、お腹の空いたオオカミ君だったが。
そのバウンドウルフに止めを刺したときには、ファルスの足は既に赤く染まっていた。
そのまま、地面に倒れこんで、こうして空を見上げている。
ただ、それだけだった。

相変わらず、空は桃色の絵の具で滲んだようで、ふと小さい頃に描いた絵を思い出した。
そして同時に思う。
「…どうやって帰ろうかな…」
だって、動かないんだもの。
彼女の右足は、今更になってどくんどくんと、強く脈打っていた。
その鼓動は耳に酷く近いところで鳴り響いているようで。
風の音は相変わらずで、しかし暖かな空気を運んでいる。
何だかまどろんできた頭を押さえ、ぼんやりと空を見上げた。
薄桃色の混じる空は、やっぱり遠かった。


「…ファルス…?」
驚くほどはっきりと聞き取れた声に、ファルスはいつの間にか閉じていた瞳を開けた。
同時に、鈍くなっていた痛みまでぶり返してくる。
それでも、目の前の存在に、そんなモノは忘れた。
数回のまばたきの間、彼の顔を見る。
――正直、驚いた。
「お前…」
「…はは、やっほ、瑠璃」
血のこびり付いた手を、ちょこんと上げる。
風に踊る草緑のマントは、確かに彼のものだった。
こちらこそ酷く驚いたのか、彼も呆然と彼女を見下ろしていた。
「…やっちゃった」
その言葉に、彼の顔は見る見る青ざめていった。
「この…っ、バカ野郎!!!」
怒声に、辺りの空気がびぃん、と振動する。
ぎゅっと目を閉じてそれに耐えたファルスは、少しだけ瑠璃の顔を盗み見た。
マントから僅かに覗く彼の蒼い目には、小さい子が怯えたような色が見えた。
気がした。

瑠璃は急いで屈みこみ、ファルスの右足を診た。
傷口に水筒の水をかけ、懐から綺麗な布を取り出して、傷口に巻きつけ。
その間、二人はずっと無言だった。
手持ち無沙汰の彼女の視線は、漠然と空に向けられ。
花びらの雲が、少しだけ晴れてきていて。
覗いた青が眩しくて、思わず目を細めた。

「…できたぞ」
不機嫌に言い放って、瑠璃は立ち上がった。
「…ありがと」
半身を起こして、ファルスは巻かれた布をさする。
「応急処置だけだから、街へ行って早く手当てしたほうがいい」
言って、手を差し出す。
ファルスがきょとんとしてそれを見つめる。
じれたのか、彼はがしがしと頭をかきむしって、ファルスに背を向けて屈みこんだ。
「乗れ」
凄みのある声に、彼女は口を挟む暇もなく、瑠璃の背中に負ぶさった。


空が少しだけ近づいた。
花びらが一枚、また一枚、目の前を掠めていく。
それをゆっくりと目で追いながら、緩やかな振動に身を任せていると、不思議と痛みが引いた。
「ねぇ、瑠璃」
ぽつりと言った言葉に反応して、瑠璃の首が少しだけ動いた。
「…何だ」
相変わらずの不機嫌な声。
ふぅ、とため息をついてから、ファルスは言葉を紡いだ。
「何でこんなトコロにいたの?」
「それはお互い様だと思うが?」
すぐさま返された言葉に、ぐっと詰まる。
「そんなつっけんどんに…私は武器の材料集め。
 …で、君は何で?」
……。
しばらく、木々の擦れあう音と花びらが踊る音だけが、辺りを満たした。
その沈黙に、ファルスはじっと緑のマントの後ろ頭を見詰めた。
「…わからない」
小さな響きが、花びらと一緒に流れた。
「わからない。けど。
 何だか、その…――な気がしたんだ」
ざぁっと、ひと際強い風が吹いて。
ぼそりと呟やかれた言葉は、その音に紛れてよく聞こえなかった。
「え?」
聞き返した彼女の言葉への返事は、少々の間のあと、割にはっきりと吐き出された。

「お前がいるような気がしたんだ」

軽く目を見開いて、ファルスは目の前にある彼の背中をじっと見て。
何ソレ、超能力者?
そうやって笑い飛ばそうかと思ったけれど、止めた。
ただ一言、
「そっか」
とだけ言った。


相変わらず足は疼く。
相変わらず風は強い。
桃色の空の下、こてん、と彼の背中に頭を預ける。
伝わる振動は心地よく。
伝わる体温は暖かく。


薄ぼんやりとした空ばかり見ていたら、何だかとても眠くなった。




あの時
君の名前を呼んだんだ
空を見ながら
一回だけ
強く、強く

聴こえた?




花びらがまた一枚、背中の遥か向こうへ
流れていった。







2005.3.4up




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