パールの叫ぶ声だか、怒鳴る声だかがしたのは、なんとなく覚えてる。
夢 を 見 た 後 で
身体ががくがくと揺すられて、次に視界に入ったのは、天蓋の下でも艶のある生成り色の髪と、小さく浮かぶ黒い宝石。
「……パール……」
「平気か?」
「……うん」
「なかなか起きてこないから」
「……平気。夢見、悪かっただけだから」
そうか、とパールが軽く引き取って、「瑠璃が心配するぞ」と笑って部屋の外に出て行ったのを見届けて、ブランケットを蹴飛ばして、寝癖のついた髪を掻きあげた。
煌めきの都市に久しぶりに出向いたら、出発が遅かった所為もあったのか、到着が夜になり、エメロードに客間に案内された途端眠ってしまったんだと、今更のように思い出す。
初めてこの都市に来た時のことを思い出すたびに、私も弱いな、とつくづく思う。
身支度をしていると、エメロードが「ファルス、今なら大丈夫だって」と呼びに来てくれた。
「あぁ、ありがとう」
手荷物の中身を確認して客間を出ると、ルーベンスも脇にいて、さりげなく荷物を持ってくれた。
「……久しいな」
「そうね、久しぶり」
くすくす笑うエメロードも一緒に、玉石の間へ。
「久しいですね、ファルス」
最初に口を開いたのは、蛍ではなくてその脇に控えているディアナだった。相変わらず綺麗な珠魅だと思う。
「ファルス!」
少し遅れて、すばらしい笑顔で蛍は私を迎えてくれた。すっかり元気になった主を、そのすぐ脇で、パールが微笑ましく見守っている。
こんな二人の、こんな様子が、珠魅の本来あるべき姿だと思うたび、この先ずっと、パールがパールのままでいてくれたらという思いが、頭を擡げてくる。
「今日はどうしたのです」
ディアナにそう問われて、はっとなった。パールに気づかれなかっただろうか。
「あ、んーとね、蛍に言付かりを持ってきたのよ……郵便屋さんの代わりといっては何だけど」
ルーベンスから荷物を受け取って、その中から透かし彫りが施された小さなオルゴールを取り出すと、蛍とパールが息を呑んだのが嫌でも判った。
「……言付かりっていうか、何ていうか……まぁ、とにかく、蛍に。アレクサンドルから」
「アレクサンドルに会ったのですか!?」
ディアナは叫んだけど、すぐに蛍に止められた。蛍は私の手からオルゴールを受け取って、実に懐かしそうな表情になった。
アレクサンドルがアレックスの姿で、私の家を訪れたのは一昨日のこと。果樹園で収穫をしていたときに、バドが宝石商の客が来たというから、誰のことかと思った。ジオで店を営んでいたときの、実に穏やかな顔で、言葉少なに、「姫様にこれを」と、例のオルゴールを置いていったのだ。
私はそれを引き受けるとも断るともいえなくて、一晩考えて、ここに来た。
「アレクは……元気でしたか」
「私が見た限りではね」
「そうですか」
蓋を開けると、切なげな音が零れた。中にあるものを見て、パールが何とも言えない表情になる。
「…………核の、欠片……」
「ルーベンス、この欠片、全て『種』にしてあげて」
「はっ」
蛍の声に、ルーベンスは恭しく頭を下げて、オルゴールを受け取ると玉石の間を出て行った。
「ありがとう、ファルス」
「別に礼を言われるようなことはしてないよ」
「いいえ」
蛍は笑った。
「あなたがどう思おうと、我々珠魅の一族は、ファルス、あなたに感謝しています。そして、これからもずっと」
私が肩をすくめると、ディアナは眉を顰めたけれど、蛍とパールは分かっていたように互いに笑った。
外に出ると、まだ少しばかり肩を上下させている瑠璃がいた。
「やっほ」
「……おう」
「なに息切らしてんのよぉ」
「う、うるさいっ」
瑠璃はそう怒鳴りながら、外へと続く道を選んだ。
「今日は……どうした?」
「ん?アレクサンドルからの言付かりをね、蛍に」
その名前が出た途端、瑠璃はその端正な顔を歪めた。
「……あいつの名前は出すな」
「……うん」
向かったのは、ポルポタだった。別に何か考えていたわけでもない。特に目的がないと、足が向かう。海の広さがいいんだろうな、とも思う。それか、大好きな色が目の前に広がるからかもしれない。
「ねぇ、訊いていい?」
「何だ」
「……珠魅って、植物なの?」
「……は!?」
「だって蛍がー」
何の話だと腕組みをする瑠璃に、浜辺に下りるためにブーツを脱ぎながら、事の顛末を話して聞かせると、瑠璃は「あぁ」とにべも無く答えた。
「珠魅の生まれ方は知ってるな?」
大体ね、と答えながら、砂山を作る。作るそばから、満ちてくる波に端々が崩れていく。波打ち際に無駄に足を蹴りいれたら、海水が口に入った。塩辛い。
「一度核だけになったりして身体が滅んだ珠魅の蘇り方に二種類あって、一つが涙石による治療、もう一つが再び地に還って目覚めなおす……その時に地に還る核を『種』と言うんだ」
「土に埋めるから、『種』?」
「そうだ」
「ふうん」
座り込んだら、服の燕尾の裾が濡れた。
あのときほど、誰かが憎いと、思ったことは無い。
アレクサンドルの手の中にあった、蒼い核。
奪り返さなきゃ。
それだけ。
宝石王が死んで、呑み込まれた瑠璃が、もう戻ってこないと理解った瞬間、涙が出た。
どうして泣いたらいけないの。
どうして、泣けないの。
あたしはすごく悲しいの。
大好きな人が傷ついて、苦しんで、なのに、どうして泣かないでいられるの。
石になる?関係ない。
戻ってきて。
「――ルス!?ファルス!!」
「…………え、なに……」
「何じゃない!!何で泣いてんだ!!」
がくんがくんと肩を揺さぶられ、視界に入った瑠璃の真剣すぎる顔で目が覚めた。
「……はれ?……あぁ、夢が……」
「夢!?」
瑠璃の顔は、まだ険しい。それを押しのけるように起き上がる。
「……夢。夢見、悪かっただけだって……顔、洗ってくるから……」
ホテルの客室の時計は、9時を大幅に過ぎていた。瑠璃もパールと一緒で、なかなか起きてこない私を起こしに来たんだろうと、そう考えた。背中に刺さる視線が痛い。
「……ファルス」
「ん?何?」
必死に笑顔を作りながら振り向くと、瑠璃はつかつかと歩み寄ってきた。
「何よぉ……?」
笑い飛ばそうとした目論見は、瑠璃の目に掻き消されてしまった。
「何、ホント、どうしたのよ」
「ファルス、泣くな」
どくん、と胸が波打ったのが、瑠璃に聞こえなかったかどうかだけが心配だった。
「…………瑠璃、何言って……」
「もう泣くな」
何を言っても瑠璃には聞こえないらしい。
「俺は」
今や本当の宝石になった、美しい海の色を閉じ込めた核を、傷つきやしまいか、原石の右手で押さえるようにして呻いた。
「石に、なったとこなんか…………もう、見たくない」
目がやっと元に戻って、昔よく見た玉石の間だと認識できるようになってから、そうだと後ろを振り向いたとき、ファルスの頬を、幾筋もの涙が流れていた。
「……ファ、ファルス……!?」
ファルスはすぐに肩を震わせ、しゃくりあげ、泣き叫んだ。
頬を伝い、顎元で耐えていた涙の雫が、落ちた―――石になって。
人の涙石が床に散らばる音と、ファルスの身体が石になる音がして、
「ファルス!!」
同胞は、蘇った。
誰かの名前を呼ぶように口を開けたまま、石に封じ込められた、美しき珠魅の救世主を前に、若い騎士は人目も憚らずにその名を呼んだ。
その騎士の目に、涙が浮かんでいたのを、ほかに誰が知りえただろうか。
風が、パールの頬を撫でた。閉じていた目を薄く開くと、西の空が茜色に染まっている。
どうもうたた寝をしてしまったらしいと、木に寄りかかった身体を起こして少し捻った。遠目に、もう一人の自分が大好きな二人が帰ってくるのが見えて、パールは自分でも分かるか分からないかぐらいに微笑むと、もう一人と交代した。
ふっと、目が覚めた真珠は、どうして自分が都市の入り口にいるのか良く分からなかったが、見える範囲に二人を見つけて、大きく手を振った。
「……瑠璃」
「何だ」
「今朝はごめんね」
「あぁ」
「……今でも、夢に見ちゃうんだ……私、その度に泣いてる」
「ファルス」
「大丈夫、石にはなってない」
「…………」
「……平和は涙を奪わないよ」
「何?」
「平和は涙を奪わない。……私は、そう思う」
「そうか」
都市の入り口で、真珠が待っていた。
「ファルスお姉さまー!瑠璃くーん!」
「やった、私の勝ちね」
「何の話だ」
入り口で出迎えてくれた真珠をぎゅーっと抱きしめてやると、真珠はくすぐったそうに笑った。
「あー可愛いなぁー真珠は」
「きゃーっ」
「何をしている何を……」
「いいもーんだ、瑠璃にはこんなこと絶っ対してやんないからっ」
「な、なななっ」
瑠璃が真っ赤になったのをしっかりと見届けてから、私は煌めきの都市を後にした。
「じゃーねー!!」
「今度遊びに行きますねー!お姉さまー!!」
ありがとう。
あの言葉が、私の考えていたことに対するものじゃなかったとしても。
君がそう言うのなら、私、泣かないよ。
でも、嬉し涙くらいは、許してくれると、助かるんだけど。
+感謝状+
なんと、2万打記念に有吉司さんに頂いてしまいました。
ティアストーン後の瑠璃主小説。
嬉しすぎて泣けてきます…っ。
しかも、わざわざ女主の名前をウチのファルスにして下さったり。
うわぁぁ、ホントありがとうございます…!
ティアストーン後、きっとこんな感じなのだろうな、と。
宝石泥棒編に関わった皆の姿が、穏やかなのがとても嬉しい。
(あれ、ボイド警部は…/笑)
最後の瑠璃・女主・真珠のやり取りに感動。
有吉さん、ホント、素敵な小説をありがとうございました…!!
幸せ噛み締めております!
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