上着の左のポケットには1枚のコイン。
右手にはARIAカンパニーとその電話番号が書かれたメモ。
その2つのアイテムが、
ちゃきちゃきの浮島っ子・出雲暁がネオ・ヴェネチアに来るにあたって必要なものであった。




Original Navigation ”穴あきコイン”
( 承前「はじめてのお客さま」AQUA-2 / Navigation-06 )




季節は初夏。正確には14月のちょうど末日である。
夏を前にしてもまだ風は乾いており心地よく、
空気の粒子がひとつひとつ陽光を反射して、
夏の勢力を増そうと頑張っているところであった。
後輩社員であり、片手袋の水先案内人である少女と社長が自主トレに出かけ、
アリシアは若干、ヒマをもてあましていた。
先刻受け取った電話が来客を告げ、来客を快諾してしまったからだ。
緊張のあまりつっかえつっかえ話す青年にARIAカンパニーの詳細な場所を伝えた。
彼が電話してきた場所からだとおよそ30分かかるかどうかというところ。
2時を5分過ぎたことを示す時計を見ながら、
アリシアは読みかけていた小説に目を落とした。


しばらくして。
コンコン。
玄関のノックの音が静かな建物の中に響く。
コンコン。
さらに遠慮がちに2度。
「はーい」
返事を返しながら、花びらで出来た栞を小説に挟んでテーブルの上に置く。
ARIAカンパニーは来客のために、日中は扉に鍵をかけていない。
ノブを回してドアを引くと、室内に初夏の日差しが差し込んでくる。
視線を上にあげると、頭一つ高い場所にある目と視線があった。
「ど、どうも。先ほどお電話した出雲暁ッス」
そう言って、長髪の青年――暁はぺこりと頭を上げた。
「あらあら、代金なんて、振込みや郵送でもかまわなかったのに」
「いいえっ、こういったことは、
 ちゃんと直に会ってお礼を言うべきだと思いますので。
 そもそも、振込みとかあんまり信用できない性格なんスよ」
「うふふ、礼儀正しいのね。
 でも残念ね、灯里ちゃん、今、練習中ですぐには戻ってこないの。
 練習から帰ってくるまで待てるかしら? 灯里ちゃん、きっと喜ぶわ」
「いえ、そこまでの時間は。自分もまだ半人前なものスから、早く戻らないと」
「あらあらそれは残念ね」


茜色で建物の壁がほぼ一色になる。
ところどころに光がちらついているのは、
ARIAカンパニーの前の海面に夕陽が反射しているからだ。
アリシアは開け放たれた扉を振り返る。
「おかえりなさい、灯里ちゃん。今日も遅くまでお疲れさま」
「ただいまですー、アリシアさん」
「ぷいにゅ」
見慣れた光景、いつもどおり会話。
でもこの後輩はいつも違う発見を、それは楽しそうに報告してくれる。
かれこれ半年ほど彼女を出迎えたり、出迎えてもらっているが、
同じ話を聞いたことがないように思う。
「今日は藍華ちゃんと新しいカフェを見つけたんですよー。
 サンマルコ広場の前にあるんですけど、
 なぜかとっても勉強がはかどる摩訶不思議なカフェで――?」
彼女は、日課の1つである観光案内の勉強
――当然、ゴンドラを漕ぐだけでは水先暗に人は務まらない――を
練習の合間に、いろんなお店に立ち寄ったり、
名所そのものを見学しながら勉強している。
いつもどおりの”報告”をしようとした灯里の目が、室内の一点で止まる。
「お客さんがいらっしゃったんですか?」
カウンターに置かれた汗のかいたグラスが、来客があったことを告げていた。
その脇には、しわくちゃになった飾り気のない茶色い封筒。
「うふふ、灯里ちゃんも知ってる人よ。
 そうだ、灯里ちゃん、お財布持ってきてくれるかしら?」
カバンを開け、財布を取り出す灯里。
「両替ですか?」
「うふふ、お楽しみ」
灯里の出したコインをレジへ、灯里には封筒から取り出したコインを持たせる。
「ちょっとそれを財布に戻さないで待っていてね?」


茜色に染まった部屋の中。
私はじっとコインを観察してみる。
なんの変哲もない、どこにでもあるちょっとすすけたコイン。
誰かが握っていたのか、ほんのりと暖かい以外は、
ほかのコインと混じると分からなくなってしまいそう。
「えーっと、アリシアさーん。
 同じ額のコインを取り替えても、両替の意味ないですよー」
「いいからいいから」
アリシアさんが奥の部屋から戻ってくる。
手にはパンチと首飾り用のチェーン。
「ああ、あとこれ、灯里ちゃんにって」
ありふれたメモ用紙――というか
どこかの職場の便箋――に”Thank you”の文字がかかれている。
右肩上がりで、勢いに任せたような感じだけど読みやすい字だ。
まあ、達筆に見えなくもないように思う。
「どなたからですか?」
ごくごく普通の疑問が口をついて出てくる。
けれど、アリシアさんはやろうとしている作業に夢中だ。
カウンターの上に下敷きを引いて、コインにパンチをあてがう。
カツン、と小気味のよい音を立ててコインに穴が開く。
「あわわ、何をするんですかアリシアさ〜ん」
「地球の私のご先祖さまが住んでいた地域にはね、
 思い出のあるコインに穴を開けてネックレスにしたり、
 コルクボードに釘で打ち付けて記念に残したりしたの。
 最近は電子マネーになっちゃったから、
 そういう風習もなくなったでしょうけど」
穴を開け、手際よくチェーンにコインを通すアリシアさん。
「はい、灯里ちゃん」
アリシアさんが私の首にペンダント状になったコインをかけてくれる。
コインのあたる胸のあたりが、ちょっと暖かくなったような気がした。
「初めてのお客さまからいただいた、ゴンドラの代金とお礼状。
 失くさないようにね?」


頭の中で長い髪を束ねた、おんなじ半人前の火炎之番人に顔がフィードバックする。
私の「初めてのお客さま」だった彼。
なんとなく胸のあたりがこそばゆくなった気がした。




Memo

<世界の穴あきコイン>
25ペセタ・コイン(スペイン)
実際のヨーロッパでは、コインは貴金属をたたいて作ったので、
また真ん中に意匠を凝らすために穴あきのコインはほとんどないのだそうです。
また日本では5、50円硬貨がありますが、
製造過程で「穴を開ける」のが一番費用が高いそうです。
メリットは偽造されにくいこと、ほかのコインと区別しやすいことなんだそうで。
日本の古銭で穴あきが多いのは、製造過程および仕上げに関係するものらしいです。
確か、高校の日本史の授業で先生が話してくれたなぁ。
コインに穴を開けて記念にする、
というのはヨーロッパではよくある風習なのだそうです。














+感謝状+
和泉涼様から、素晴らしい暁灯里小説を頂いてしまいました…!
暁さん初登場後のお話ですな。
も、暁さんがカッコよくて可愛くて可愛くて仕方ありません…ハァハァ(落ち着いて
礼儀正しいんですって!達筆なんですって!
なんていうか、如何なく彼のカッコよさが滲み出ていて、転がりたい勢いです。
更に、暁さんからもらったコインを胸に下げる灯里たん、という構図が
どうしようもなく萌えて大変です。
アリシアさんに心からグッジョブと申したい所存です。
きっとこの後、灯里たんが付けてるコインに気付いて暁さんもこそばゆい気分に
なるんでしょうね!二人して照れればいいと思います!

興奮気味でスイマセン。
和泉さん、本当に素敵な小説をありがとうございました!
そして、頂いてから掲載するまで非常にお時間経ってしまって誠に申し訳ございませんでした…。


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