【注意】
  暁さん視点なNavigation52の後日話です。
  更に、本編の雰囲気を一気にぶち壊しています。
  あの心地良い余韻を大切にしたい方は、読まないほうが良いかと。
  



















不合理のカタルシス






「それにしても、これって意外と残酷なお祭りですよねぇ」
間の抜けた声に似つかわしくない単語がざらついて、妙に耳に残る。
式典がひと段落ついた今。広場に居たギャラリーの波が次第に引けた中で未だ海岸に残り、式の主役たちが静かに沖合いへと引き返すのを見つめていたのは僅かな人間で。
その少数派に属していた俺たちの内、哲学に耽るような、感慨深げな調子でそう切り出したのはアルだった。
「水先案内人に指輪を贈るのは男性。更には恋人が望ましいとされる。そして彼女たちは、一斉にその指輪を海へと投げ入れる訳です」
自分の中で完成した論理を披露する時のこいつは酷く流暢で、今この時点でも、流れるようにすらすらと言葉の羅列を紡ぎだしていた。
自慢じゃないがそういう堅っ苦しい論説がどうしようもなく苦手な俺は、半ば上の空で曖昧な相槌を打つ。
それに構うことなく、一方的な語りは続いた。
「水先案内人は女性専用の職で、尚且つアイドル業というカテゴリーに属していますしね。
その顕示としてはこれ以上ないイベントだと思うわけなんですよ。
しかし伝統行事に交えてこのようにその存在感をアピールする風習があるとは、興味深い話です。ネオヴェネツィア開拓当時から組織的にそういう意図を織り込んでいるんでしょうか」
「………」
「………」
俺もウッディーも、呪文のような言葉の大洪水に目を閉じて沈黙する。
それに気付いたアルが、少し興奮してしまいました、と付け足して一息を吐いた。
「つまるところ、この祭典は水先案内人の処女性を頑なに守護する意味合いを持っていると、僕はそう考えるんですよ。」
…全然つまっていない。
更に増した呪詛のような響きに眉根を顰めると、同じような感想を持っただろうウッディーが、喉から搾るような唸り声を上げて首を傾げた。
「それはつまり…砕けて言うとどういうことなのだ?」
実に的を射た合いの手に、大きく頷いて見せる。
両脇から説明を求められたアルは、暫く言葉を選ぶように宙を見つめ、それからゆっくりと視線を海に戻した。
「水先案内人はこの海のもので、他の誰のものでもない。だから指輪の贈り手の想いは、永遠に叶うことがない。…そういうことです」



「おっと、この後仕事が入ってるんだったのだ。じゃあ私はこの辺で」
すちゃっと手で挨拶をして、ウッディーは颯爽と去っていった。
それに気のない返事をして、ひらひらと手を振る。
「じゃあ、僕らもそろそろ戻りますか」
次にアルに声をかけられ、それにまた気のない返事をする。
けれど反して足は動かなかった。何となく、動かすのがかったるい。
目線の先には蒼い海。さっきまでの出来事がなかったかのように、どこまでも蒼い。そして静かだ。
「…もしかして、落ち込んでます?」
眼鏡の奥の黒い瞳に顔を覗き込まれ、どきりとする。
居心地が悪いので、さりげなく顔を逸らした。きっと物凄くわざとらしい。
「どこが」
そんなことがある筈がないという声音を出して鼻で笑う。でも言われた言葉が今の心理状況にあまりにかっちりとハマってしまって、気持ちが悪い。
でも仮にこの気分がそうだと言うのなら、原因を作ったのは明らかにアルだ。
「あんなに壮麗なお祭りの後に、似合わない顔をしていますよ」
「…誰の所為だ」
言外に不機嫌を認めてしまい、内心でしまったと毒づく。
でもその通りだ。祭りの興奮はすっかり冷めている。冷め切っていっそ冷ややかだ。
肺がひゅーひゅーする。
「僕の言ったことを真に受けているんですか?珍しい」
軽く驚いたような表情がまた小憎たらしい。
「落ち込むに決まってんだろ!あれはすなわち、この祭りの所為で俺様のアリシアさんへの想いが届かないって言われてるのと同義だ!」
取り繕ってるのも疲れたので、わっと捲くし立てる。
そうだ、だから今俺は落ち込んでいる。それならわかる。気持ち悪くない。
納得する。
(そうだよ、だから俺様はこんなに気分が悪いんだ。そうに決まってる)
じゃあ何で、すっきりしないんだろう。
「…同義にはなりえないですよね」
すっと、空気が冷えた。
いつもの呆けた雰囲気を引っ込めたアルが、至極真剣な目でこちらを見ている。
俺たち3人の中でこう見えて一番年長のこいつは、俺たちが度を越した悪戯なんかをした時には本気で怒る。そういう時、決まってこういう雰囲気を作った。
「だって君はアリシアさんに指輪を贈らなかった」
だからそれは、君の想いがアリシアさんに捨てられることにはならなかったことを指しているし、それならば喜ぶべきでしょう。
淡々と言われた言葉が、じわりと胸を侵食する。
その通りだ。
「贈らなかったんじゃない、贈れなかったんだ。何度も言っただろ。指輪は偶然に偶然が重なって、もみ子にやる羽目になったんだ」
その通りだというのを認めるわけにはいかない気がして、言い訳をする。
「はい、それが事実ですよね。君の贈った指輪は灯里さんの指に行くことになって、灯里さんの指から海へと投げられた」
そうだ、事実。ざわざわする。何で。
気持ち悪い。
「君は灯里さんに指輪を贈った」
そうだ。そういう構図になった。でも不可抗力だ。
それなのに、抗議する気が起きない。否定できない。
(だってあの指輪は、あいつに似合うんじゃないかと不覚にも手に取ったものだったから)
「じゃあさっきの僕の論理で届かないと言われてるのは、君の灯里さんへの想いということになりませんか?」
ありえない。
想いなんて何もない。
ある筈がない。
(じゃあ何で俺は、こんなにも納得しているんだろう)
「そして君は落ち込んでいる」
「…落ち込んでねーよ」
「おや、最初に言ってたことと矛盾していますよ。色々と」
本当に憎たらしい。
何が憎たらしいって、真剣だった目が、いつの間にか気持ち悪いくらい優しくなっていたことだ。えらく歳の離れた弟を見るような。
反発を誘う。
「俺がもみ子のことを好きだって言いたいのか?アホ言うのもいい加減にしろよ」
いざ自分の唇に乗せてみて、その響きにざわりとする。
ありえない。ある筈がない。
「…否定する意味がわからないんですけどね、僕としては」
さっきから正論ばっかりをぶつけられている。面白くない。
(そしてそれはつまり、それが正論だと俺自身が認めているということで)
「殴る」
とりあえず物凄くむしゃくしゃしたので、拳を握って息をかけてみた。
「わ、わ!暴力は駄目だっていつも言っているじゃないですか!」
慌てて、アルは黒いマントを翻して俺から距離を取った。
「知るか!今じゃなくてもいつか絶対殴るっ」
ぎっと睨みつけると、お茶を濁したような笑い顔。
さてそろそろ帰りましょうかねと、白々しいことを言いながらそろりそろりと更に離れる。
「まあ、何というか。とりあえずこれだけは言わせてください」
俺が危害を加えられない十分な位置まで移動した上で、からかうような調子で切り出して。
「早いところ気付かないと、攫われてしまいますよ」
その実、目はふざけてなんかいなくて、真剣だというのがありありとわかった。
「海とかに、ね」


するりと。小さな円い輪が、鳥肌の立つくらい真っ青な空の中に吸い込まれていった瞬間のことを思い出す。
ぽつりとついていた赤い飾りが、あんなに小さかった筈なのに案外目立つものなんだな、なんて思って、ごく自然に声が漏れた。
その指輪を次に飲み込んだのはこの蒼い海だった。
そして永遠に戻らない。儀式の糧。
「お前のもんだって?馬鹿馬鹿しい」
無生物に話しかけている自分の方が阿呆だと思いつつ、呟く。
気持ちが悪い。
想いが届かないそうだ。
だから落ち込んでいる。
アリシアさんが好きだから。
でもそれなら落ち込んでいるのはおかしい。
あいつが好きなら正当。
でもそれはありえない。
そして俺は今現在落ち込んでいる。
(矛盾はどこにあるんだろう)
永遠に決着しない堂々巡りを続ける。
続けながら、蒼い海を見つめる。
相変わらず静かだ。静かで何もない。得体も知れない。
未だかつて何の感慨も感じたことがないくせに、滑稽だと思う。
気持ちが悪い。
詭弁を言うアルも、真に受けている俺も、そして目の前のこの海も。
桃色の髪が頭をかすめた。
笑っていた。手を振っていた。いつも通りだった。
苛々する。


(別になんとも思ってはいないけれど)

(海なんかにやるのは)





(嫌だな)









2007.3.14up


閉じる