*注意*
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モラトリアム・ピリオド




茜色に染まる空の下、遠くから子供たちの声が微かに聞こえてくる。
春は近いといっても、まだまだ冬。
外を駆け回る元気のある子供たちに呆れて、暁は嘆息した。
吐き出した息は、澄んだ空に白く昇っていって。
首に巻きつけたマフラーの隙間を埋めて、ぶるりと身震いする。
仕事場からの帰り道は、いつも今日の夕飯のことを考える。
そしてその後の風呂のこと。
明日の仕事のこと。
それと。
(そろそろ、練習終わったころか――)
浮かんだ考えを、頭を振ることで何とか追い出す。
(…どうかしちまってるな、オレ)
心の中で自分に悪態をついて、そこで考えを無理矢理に終わらせた。
ぼうっと色々考えているうちに、既に道を覚えている体は勝手に彼を家に運んでくれる。
見慣れた曲がり角を曲がり、目の前に見慣れたドアが映り。
懐をまさぐって硬い感触を掴み取り。
ドアノブに鍵を差し込もうとしたときに、違和感に気づいた。
「…あれ?開いて…」
どばきっ。
いきなり開いたドアと正面からキス。
「――――――っっ!!!」
余りの痛さに、暁は鼻を押さえて身悶え、のた打ち回る。
と、その頭上から、よく知った声が降りかかり。
「よーぅ。帰ったか弟よ」
「あ、兄貴…!!」
痛みの引かぬまま顔を上げると、ドアの向こう側で白スーツのずんぐりとした男が暁を見下ろしていた。
すなわち、暁の兄である。
「てめ、何勝手に他人の家に上がってんだよ!!」
猛然と抗議するべく、彼の襟首につかみかかろうとすると、
がいん。
頭上を思いっきり殴られて、暁は再び痛みに身悶えることになった。
「弟は他人じゃねーだろ。勝手に入って何が悪い」
あごを撫でさすりながら飄々と言う兄。
彼にこれ以上逆らうと更に痛い思いをすることを本能的に悟った暁は、無言で(しかし恨みがましい顔で)痛みから立ち直った。
「…で?何でこんな時間に此処にいるんだよ。仕事は?」
鼻と頭を押さえて、涙目で軽く睨みながら尋ねる。
その様子を見ながらにやにやと楽しげに笑う兄がまた憎たらしい。
「その仕事の話で来たんだよ。ま、上がれや」
言った傍から勝手に部屋の中に入り込む兄に、誰の家だと思ってんだ、と暁は心の中で呟いた。
(それにしても、つくづくドア運がねぇな、オレ…)
「おーい、寒いんだから早くドア閉めろー」
「うっせーな!わかってるよ!」




「で、まぁ今日オメーのところに来た訳はよ」
勝手に茶を淹れて、勝手にコタツに入り込み、勝手にくつろいで、勝手に話を進める兄に、暁は既に文句を言う気力もなかった。
同じくコタツに潜り込んで、彼がついでに淹れてくれた茶をすすり、静かに話を聞く姿勢を見せる。
すると、暁の兄はにやりと意味深な笑みを浮かべて、暁の顔をじっと眺めた。
「オメーがいつもいつもオイラに話して聞かせる水先案内人の嬢ちゃんを紹介して欲しいってぇことなんだがな」
いつも、のところをやけに強調して言われたセリフに、暁は思わず赤面した。
瞬間にある顔が浮かぶことが、この上なく悔しい。
「い、いつもなんて話してねぇだろ!大体あいつのことは…」
「ほぉ、名前も出してねぇのにすぐ誰のことだかわかっちまうのか。そーかそーか」
するどい切り返しに、暁はぐぬぬ、とばかりに閉口する。
「ほら、何てったっけかな。あけみ…じゃなくて、あか…」
「……灯里」
ぼそっと呟いた名前に、自分でもどきりとする。
普段言いなれていないその単語は、思ったよりも特別な意味を孕んでいるようで。
「そうそう、灯里ちゃんっつったっけな。…ん?どうかしたか?」
「何でもねぇよっ」
こちらの顔をわざとらしく覗き込んでくる兄を避けて、あさっての方向を向く。
「んで、もみ子がどうかしたのかよ」
相変わらずにやにやとこちらを眺めている視線を視界に入れずとも感じて、不機嫌な調子で話の先を促す。
「いやな、今度ゴンドラでガラス製品を運搬する仕事が入ってよ。オメーの話を聞いてたら、その嬢ちゃんが気に入っちまってな。
他に思い当たる水先案内人もいねぇし、是非とも仕事を頼みたいと思ったわけだ」
その言葉に、暁は逸らしていた顔をぱっと兄の方へ向けた。
「ホントか?!へぇ、きっともみ子の奴、喜ぶぜ!」
予想以上の反応に、暁の兄は面食らった顔で弟を見て。
その様子に暁ははっと我に返り、気まずそうに目を逸らした。
「な、なんだよ…その目は」
「いや、嬉しそうな顔してんなー、と思って」
「な……っ」
自分で気づいていないのかと、弟に対して呆れたため息を吐いて。
彼の機嫌が悪くなる前にもっと遊んでおこうと、兄は話題の転換を目論んだ。
「で、その嬢ちゃんの操船技術とか、どうなんだ?半人前だって聞いてるが、ちゃんとしてんだろうな?」
「当たり前だろ!あいつだって毎日毎日練習してんだ!最初に乗ったときよりずっと巧くなってるし、逆漕ぎした時なんてなぁ……」

弟の口から彼女の話を聞くことは、暁の兄にとっては何ら苦痛ではなく。
むしろ。
(こいつのこんな楽しそうな顔、今までに見たことなかったよなぁ…)
彼の明らかな心境の変化を感じ取れることが、妙に嬉しくて。
(こりゃ、灯里ちゃんとやらに感謝しなきゃいけねぇな)

「暁」
「あ?」
「オメー、その嬢ちゃんのことが好きなんだな」
ぶっ。
唐突に投げられた言葉に、暁は思わず噴き出した。
「ん、んなことあるわけねーだろ!何言ってんだこのクソ兄貴!!」
「おーおー、照れちゃって、まぁ」
耳まで真っ赤にして喚きたてる弟を、相変わらずのにやにや笑いで受け流し。
「顔に書いてあるぜ。わっかりやすくなー」
「アホなこと言うな!大体、オレにはアリシアさんという素敵な方が…っ」
「じゃあ、灯里ちゃんのことはどうでもいいのか?」
ぴたりと。
暁は、一切の動きを止めて。
頬は赤く染めたままで、逡巡したような、困惑したような、不思議な顔をして、兄を見た。
「灯里ちゃんの話をしてるとき、めちゃくちゃ楽しそうな顔してるぜ。オメーは」
口調はからかっているが、見返す兄の目はどこか優しい雰囲気を持っていて。
「バラ、渡したんだろ?」
あの時の彼女の笑顔が、やけに鮮明に頭をよぎって。
どうしようもないほど心がざわついてしまうのが、何故か愉快で。
これは、もしかしたら。
――もしかしたら。

「――好き……なんかな……」

ぽつりと口を滑り出た言葉に、驚いたのは自分だけではなかった。
兄が妙に呆けた顔でこちらを見ているのが視界に入り。
「あ゛−っ!!今のナシ!オレは何も言ってねぇ!!!言ってねぇからな!!!!!」
途端に恥ずかしさのメーターが振り切れ、暁は頭を抱え、ものすごい勢いで首を振ってさきほどのセリフを全面的に否定する。
それから急いでコタツから這い出て、赤くなった顔を隠しながら横目で兄を見下ろして。
「風呂、入ってくる!泊まるなら、適当にその辺から布団引っ張り出しとけ!」
羽織を脱ぎながらずかずかと風呂場へ逃げる暁の頭の中には、自らが言った言葉がぐるぐると回っていて。
(頭、冷やしてこなきゃな……)
未だ下がらない頬の熱を手のひらで感じ、暁は重たいため息を吐いた。

その弟の後姿を見送って、軽く肩をすくめて。
彼の兄は、にやりと笑った。

「青春だねぇ」



今度灯里に会ったときには、さりげなく暁のことをどう思ってるのか聞いてみようか。
などと、野次馬根性をちらつかせつつ。
暫くは可愛い弟をからかう格好のネタが手に入ったことで、彼は上機嫌で温くなった茶をすすった。






2004.7.31up


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