息もすれば汗も流すし血も流す。
俺と彼女の違いなんて殆どないようなものだ。
だから決定的な差異を見せ付けられたとき、

俺はただ愕然とするばかりだ。





Endless Sickness






「…調子、どうだ?」
しゃりしゃりと、掌の中で赤い林檎の皮が剥けていく。
刃物の扱いにかけては自信があるので、今日の仕上がりも上々だ。
「うーん…」
曖昧に唸った後。
げほ、ごほげほっ。
激しく咳き込んで、彼女は皮肉気に笑った。
「あんまりよくないかもね」
いつもの凛とした声を、ざらざらと嗄れさせて。


ファルスが風邪をひいた。
そう双子から聞かされたとき、正直酷く困惑した。
『風邪』なんていう概念から、珠魅は無縁だ。
だから、それを自ら体感したこともないし、患った奴をじっくり見たこともない。
双子から掻い摘んだ説明を聞いても、実感は沸かなかった。
そして実際にベッドに臥せってぜぇぜぇと荒い息をしている彼女を見たときに、「あぁ」、と思った。
これが風邪か。
これが人間か。
これが。

「瑠璃?」
熱が下がらない所為か、どこか浮いた瞳のまま、彼女はこちらを見つめた。
その視線にはっとして、思考が落ちていたことを悟る。
「あぁ…何でもない。ほら、林檎剥けたぞ」
我ながら綺麗に6等分にした内のひとつを、彼女の口元に差し出す。
それをひとくち、またひとくちと、彼女がかじる。
その緩慢な動作に、奇妙な心地になった。
(いつもなら、俺の分なんて残らないほどさくさく食うくせに)
風邪ひとつひいただけで、こんなにも弱るものなのか。
他人の制止も聞かないでそこかしこに走り回る彼女が。
身の丈を遥かに超える魔物を一瞬で倒し伏せる彼女が。
その身ひとつで世界をも救う彼女が。
こんなにも脆い。
(これが…人間)
「…瑠璃が剥いてくれる林檎は、やっぱ美味しいね」
ようやく一切れを食べ終えた彼女は、いつものように笑った。
でもやはりどこか生気を欠いている気がして、何となく目を逸らした。

「こんな酷い風邪ひくことになるとはなぁ…」
静かな空間の中、彼女が口を開く。
腫れた喉からは、掠れた小さな声しか出ない。
「元気が取り柄だったのに」
「…この時期に毎晩の如く毛布もかけずに薄着で寝てりゃな」
双子から聞いた彼女の所業を言ってのけると、彼女は唇を突き出して不満を訴えた。
「そりゃまぁ、最近寒くなってきたけどさ。
 でも、前は全然平気だったのに」
けほ、とひとつ堰をして、それから毛布を深々と被る。
彼女は気付いていないのだろうか。
激しい戦闘を続けていく内に、体力から何からがごっそりと削られていたことを。
そして知らずの間に弱った身体が、結果こうなったことを。
言ってやろうかとも思ったが、気が進まなくて口をつぐんだ。
「コロナがね、怖いこと言うのよ」
唐突に飛んだ話に、一瞬きょとんとして。
「…何て」とだけ、返す。
それに彼女は、さもおかしな笑い話をするかのように、おどけながら言った。
「あのさ、風邪ってこじらすと大変なんだって。
 堰もひどくなって熱も下がらなくなっちゃうんだって。
 それでね、もっとひどくなっちゃうとね」
かすれた声で
「死んじゃうんだって」
当然のように。


「…あ、れ?瑠璃?」
暫く続いた静寂に、あてが外れた彼女の声だけが響く。
「…林檎、剥いてやるよ」
「え?」
きっと更に予想外だった台詞に、さっきよりも間の抜けた声。
「な、何…」
「粥も作ってやる」
「布団だって掛け直すし氷嚢だってまめに換えるし花瓶の花だって毎日換えてやる」

「だから」

「え…」
戸惑った気配。
「や、やだ…瑠璃。冗談で言っただけだし、こんな風邪すぐ治るって」
慌てた調子でそう言う彼女の手が、肩に触れた。
そこが、いつもより高い彼女の体温でじわりと暖まる。
「だから、
そんな顔するの、止めてよ」
至っていつも通りの表情をしている筈の俺は、どんな表情だよ、と告げようとして。
でも、止めた。
拳をきつく握り締めていた自らの指が白くなっていたのが見えたのと、
噛み締めた奥の歯がぎりりと軋む音がしたから、だった。



この身体にはない概念をさらりと口に上らせる彼女を
遠い
と、思った。



「早く、元気になれよ」




そしてそのまま 永遠に。


無理だって 知っているけど。





2005.9.30up


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