そもそも、誕生日なんてものは元から好きにはなれなかった。
正月明けてすぐの誕生日。
年明けのお祭り騒ぎの収まった時期に、オレの誕生日を覚えている奴なんてのは稀だ。
『あぁ、そういえば誕生日だったんだっけ』なんてセリフ、何回聞いたかわからない。
兄貴はともかく、お袋にまで忘れられてた時には本気で家出してやろうかと思った程だ。
それでも、子供の頃は誕生日が来るたびそれなりに嬉しかったもんだった。
でも19歳を迎える今となっては、そんな嬉しさも遠く薄らいで。
むしろオレ自身が、自分の誕生日の存在をすっかり忘れてたぐらいだった。
たくさんのおめでとうを君に。
その日暁は、年始の気候制御で忙しい釜場で、すっかり慣れてきつつあった火炎之番人の仕事をこなしていた。
『年の始まりの内にビシッと冷気の奴を押さえ込んでやらねぇとな!』といきごむ先輩たちに調子を合わせ、ピッチを上げて作業を進める。
と、作業場から離れたところから、彼を呼ぶ声がかかる。
「暁、電話がかかってきてるぞ」
こんな時に、一体誰が。
そんなことを思いながら慌てて電話口に出て、声を発しようとしたそのとき。
「Buon compleanno!暁!」
耳元から、特大の大声が鳴り響いた。
しばらく頭の芯まで残った反響に耐えつつ、受話器を握りなおす。
「てん…めぇ!!兄貴だな!?いきなり大声出すんじゃねーよ!!」
「ほーぅ。お兄様がせっかくお祝いの言葉を言ってやってるっつーのにご挨拶なこって」
「ご挨拶もクソもあるか!見計らったように鼓膜破きそうな声張り上げやがって…
って、祝い?」
いつもの勢いで口げんかを始める準備をしようとしたところで、はたと思い立つ。
「何だオメー、まさか自分の誕生日を自分で忘れたんじゃねーだろうな。
今日は1月8日だぞ」
…忘れてた。
ぽろりと口からそう零しそうになり、慌てて口をつぐむ。
そんなこと言ったら、この兄に向こう半年は馬鹿にされるに決まってる。
「わ、忘れてるわけねーだろ!」
「…そうだろうな。ま・さ・か、忘れるなんてこと、あり得ねーよなぁ、自分の誕生日をよぉ」
こいつ、わかってて言ってやがる…。
ギリギリと怒りを噛み締めつつ、暁は僅かな理性でキレる寸前で思いとどまった。
「ま、そんなこたぁどうでもいいや。オイラは今仕事が忙しくてそっち行けないからよ。一応家にプレゼント送っておいたから、帰ったら見てくれや」
「あ、あぁ…。悪ぃな」
「あぁん?『ありがとうございます』だろ?」
「…………
ありがとうございます」
「どう致しまして」
それから取り留めのない話を少ししてから、電話はかなり一方的に切れた。
電話口に取り残された暁は、どこかぼぅっとした様子でどこともない所を見つめていた。
あぁそうか、今日オレ、誕生日だったっけ。
お袋はきっと、家帰ってから祝ってくれるんだろう。昨日もそんなこと言ってたような気がするし。
ウッディー辺りからは、メッセージカードとか届いてそうだな。毎年のことだし。
仕事場の奴らには…今日が誕生日だって、もう言い出せない雰囲気だな。
あとは…。
軽く嘆息してから、ゆっくりとした足取りで作業場へと帰る。
誕生日を祝って欲しい人は、居るには居る。
例えば、下に住んでる水先案内人とか。
(…アリシアさんな!アリシアさん!!)
誰につっこんでいるのかわからないツッコミを入れつつ。
でも、祝って欲しくてもそこには浮島と下界の距離がある。
カードだけでもあれば嬉しいが、やはり自分の誕生日なんて忘れられているような気がする。
期待するだけ、いつも苦い思いをするだけだ。
誰か誕生日を祝って欲しい人が居る時は。
期待してただけ、忘れられてたときのへこみ具合が大きくて。
だったら、誕生日なんていっそ自分から忘れちまえばいい。
忘れてれば、良かった。
「…さーて、仕事仕事」
半ば自分に言い聞かせる為にそう呟いて。
暁は、火炎之番人の証である羽織の袖を肘までたくし上げた。
「っあー…疲れた。とっとと家に帰らねーと、お袋が怒るだろうなぁ」
せっかく誕生日だっていうのに、ってな調子で。
そう付け加えて、仕事場から一歩外へと踏み出す。
いつも仕事を終える筈の時間はとっくに過ぎて、外はすっかりと暗くなっていた。
澄んだ藍色の空に一番星が煌々と光っている。
今日は一段と冷えるような気がする。
熱の篭った場所からいきなり冬の空気に飛び込んだ所為か、温まっていた頬や指先がじんじんと痺れた。
辺りの家々からは、夕飯の匂いが微かに漂っている。
吐く息が空に昇る様子に、少しまたぼんやりとして。
「暁さん!」
聞こえた声に、固まった。
ゆっくりと視線を夜空から声が聞こえた方に移す。
そこには、声から想像したのと同じ人物が立っていた。
「――もみ子?」
「はひっ。…もみ子じゃありませんけど」
にっこりと笑うその顔は、やはりどう考えても灯里だった。
実は今日一日、どう拭い去っても考えてしまっていた、あの顔。
「え、あ、な、なん、で…」
あんまり動揺して、暁は上手く回らない口で言葉になっていない言葉を吐いた。
「えへへ、びっくりしましたか?」
当たり前だ、と彼女のもみあげを引っ張る余裕もなく、暁はただこくこくと何度も頷いた。
「あの……今日は、暁さんの誕生日ですから」
自分で言っていて恥ずかしくなったのか、最後の方は消え入りそうな声で呟く。
「…お、覚えてたのか…?」
「勿論です!一度聞いたお客様のお話を忘れないようにするのも、水先案内人に必要な能力なんですよ!」
あ、でも。と付け足して。
「この場合は、お客様とか、そういうのじゃなくてっ。えっと、その…」
その先の言葉を恥ずかしさから飲み込んで、灯里は話を無理矢理変えた。
「き、今日はお休みの日だったんで、思い切って浮島まで来ちゃったんです。
一人でロープウェイに乗るの初めてだったんで、ドキドキしちゃいましたっ。
あ、あれ?おかしいな、こんなこと言いたいんじゃないのに…」
目の前でくるくる表情を変えながら話す少女を、暁はじっと見つめていた。
覚えてて、くれた。
それだけで何だか、体中が沸き立ちそうだった。
「あ…やっぱり、私一人だけって、可笑しいですよね…。
アリシアさんたちも誘ったんですけど…」
「そ、そんなことは!!」
暁は思わず上ずった声でそう返して、それから小さな声で「…ないぞ…」と付け加えた。
その様子に、灯里は照れながら「ありがとうございます」と笑った。
「でも、何でココにもみ子がいるんだ?」
「あの…暁さんのお兄さんに、今日暁さんに会いに行くって言ったら、ココを教えてもらったんです。多分家にはいないから、仕事場のほうが会えるんじゃないかって。仕事が終わる時間とかも、色々と」
また兄貴の仕業か…!
暁はギリリと奥歯を噛み締めて、しかし今回ばかりはこっそり兄に感謝をした。
そこではたと、あることに気付く。
「おい。ということは、定刻からずっと待ってたのか?」
「え?」
今は、仕事が終わるはずの時間から大分時が経っている。
「ち、違うんです!その、さっき着いたばっかりで…」
慌てた様子で否定する灯里の顔を、まじまじと見つめる。
鼻の頭と頬と耳が、真っ赤だ。
きっとこれは、照れのものだけではない。
この寒い空の下、きっとずっと、待ってたんだ。
胸の奥底から震えるような不思議な感情が沸き起こってきて、指先がちりちりした。
何だよ、これ。
「とにかく、今日だけは、直接伝えたかったんです…」
目の前の彼女は、一旦自分を落ち着かせるように深く息をついた。
白い息が、暗い空へと溶けていく。
そして、すっと息を吸い。
「暁さん」
聞きなれた名前。いつもとは、全然違う響き。
そして。
「お誕生日、おめでとうございます」
はにかみながら、それでもしっかりと伝えられた言葉は。
静かだった水面に落とされた雫のように、じわりと胸の中で広がって。
次の瞬間。
暁は灯里の細い身体をその両腕の中に抱き込んでいた。
「あ、暁さんっ!!?」
自分の肩の辺りに埋もれている所為でくぐもった声を、どこか遠くの方で聞く。
熱を帯びた頬に、赤桃色の髪が触った。
「…髪、冷てぇ」
髪だけじゃない。肩だって。触れるところ全部が、ひやりと冷たかった。
「何だよ。やっぱりずっと、待ってたんじゃねーか。この寒い中」
バレバレの嘘、吐きやがって。
丁度耳元で囁く形になり、腕の中の身体が僅かに身じろぎした。
身体越しに聞こえる灯里の心臓の音が、とても速く脈打ってるのがわかる。
そういう自分の心臓だって、これでもかというくらい鼓動してるのもわかっている。
あぁ、もう。
「…すっげー……嬉しい…」
心の底からの本心を吐き出して、それからより一層きつく灯里を抱きしめる。
その言葉を聴いた灯里は、火が噴き出しそうなほど真っ赤な顔を暁の肩に押し付けて。
飛び切りの照れ笑いを浮かべながら、彼の背中に手を回した。
欲しかったのは、
一番祝ってほしかった人からの、おめでとうの言葉。
君が居るなら
きっと子供の頃みたいに
誕生日が、待ち遠しくなるに違いない。
Buon compleanno Akatsuki !
2005.1.8up
閉じる