三男 伊兵衛の記

後記 Index

(1)
私が子供の昭和八・九年頃
(2)
今思うと本当に申し訳ない
(3)
他人の飯を喰はないものは
(4)
世の中住みにくくなった
(5)
父が両国の菊人形に連れてってくれた
(6)
昔の小僧さんは骨身おしまず働いて
(7)
父を知っておられる方に
(8)
世の中一人では生活できない
(9)
人との絆を大切にして
(10)
有難うございました

(1)私が子供の昭和八・九年頃
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私が子供の昭和八・九年頃東京の新川丸玉商店、十網町広屋商店に仕入れに行った時父に連れられて行ったことがある。ある時帰りが遅くなり京王線東八王子駅に着いたら父と二人きりの時があった。十時過ぎて家に着いたら尚どんと善どんが火鉢にあたってねむそうにしていたのに元気な声でお帰りなさいと云ってくれるその時私は自分の幸福をひしひしと感じたものである。

(2)今思うと本当に申し訳ない
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こんなことを書くと尚どんにおこられるかも知れないが、今思うと本当に申し訳ない御苦労さんなことだ。これを書いてついつい泪がにじんで来てしまった。その尚どんこと吉沢尚正氏は立派に家族と御商売繁昌しておられる。善どんこと本田金造さんは家族と奥多摩で元気でおられる。一昨年お寄りしたした時御歓待に預かった。

(3)他人の飯を喰はないものは
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昔はこのような店員さんの汗と労働によって店が保たれた。このことは親父も昔小僧さんより仕立て店を持つようになったのであるけれど、私などはこのような苦労をしないのでよく父に、他人の飯を喰はないものはだめだとしかられることが度々あった。

(4)世の中住みにくくなった
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当時は小売商人の暮しは楽なものだった。今では何の商売でも小売商人は一様に大変な岐路に立っているように想われる。これ程世の中住みにくくなったのであらう。なんだか父のことを書くうちに自分のことに及んでしまったがこれもやむを得ないことである。

(5)父が両国の菊人形に連れてってくれた
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先に父に連れられて仕入先についていったのには訳がある。帰りには問屋さんよりお菓子や幼年クラブなど必ずお土産にくれたりまた父が両国の菊人形に連れてってくれたり、夜の銀座の夜店を見せてくれたり大変楽しいことがあったのである。一人の男の子だったからよ程父は可愛かったのであらう。であるからこの東京行きは毎月の行事であるが待ち遠しいくらいであった。

(6)昔の小僧さんは骨身おしまず働いて
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小僧さんにはその様なことはない。月に一度だけの休暇で善どんなどは青梅まで帰るのに自転車で行ったものである。ほんとうに昔の小僧さんは骨身おしまず働いてくださり我が家の宝であったと今私はしみじみ感じるのである。ほんとうに吉沢さん本田さん改めて御礼を申し上げます。この私の想いがxx下の父に達せれば良いがと思うのであります。

(7)父を知っておられる方に
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今日はその代表として地元の吉沢尚正さんに元店員代表としてお越しを願ったし、御近所の代表として永井さんにお出を願ったわけでありますが、父を知っておられる方に是非お出頂きたかったが為であります。

(8)世の中一人では生活できない
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自分は気もきかないし、なにも出来ませんが、先祖だけは大事にしたいと思っております。又昔の知人も大事にしたいと思います。その様な方があったればこそ今の自分があるのでありまして、世の中一人では生活できないのであります。

(9)人との絆を大切にして
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このような気持は私が父より受けついだ良い面の現れであるとおこがましくも人に云える自信とでもゆうのでしょうか。あまり道学者めいたことを書きましてお恥かしいのですが、お赦し下さい。私はこれからも人との絆を大切にして行こうと思っております。

(10)有難うございました
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どうも本日は永々と自分の意見ばかり申し上げまして大変皆様方に失礼なことと反省しておる次第です。どうも今后共よろしくご厚宜の程お願い申しまして本日の御礼を申し上げます。乱筆乱文xにご容赦下さい。有難うございました。

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高橋 万吉三男 高橋伊兵衛
「亡父、万吉十七回忌に当り其の足跡を記す」
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