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<TITLE>よもやま話 computer-1</TITLE>

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</FONT><B><FONT  SIZE=5 COLOR="#000080"><P ALIGN="CENTER">私史コンピュータ（１）汎用機等</P>
</B></FONT>

<center>
<table border="0" width="90%"><tr><td>


<FONT ><P>　いつのまにか、コンピュータ関係で仕事をするようになって十数年、この業界の進歩の速さは今更ながら驚かされます。コンピュータとのかかわりを振りかえってみます。</P>
<P><HR></P>
<P><BR>
</FONT><B><FONT  SIZE=4>○ＦＯＲＴＲＡＮ入門</P><IMG SRC="comp1/fortx.jpg" ALIGN="RIGHT" WIDTH=93 HEIGHT=127>
</B></FONT><P> 
 　学生時代、あまり授業にも出ないで暇そうにしていたらある人が、「コンピュータは面白いよ」と言って、浦昭二「FORTRAN入門」を勧めてくれた。夏休みの暇つぶしにその本を開いて見ると、何かパズルのようで意外と面白く、夏休みの間にその本を一冊、演習問題なども含めて完了してしまった。といってもその時には実際のコンピュータは見たこともなかったのだ。<BR>
　やがて講義で「算法通論」というのがあり、コンピュータに実際にふれることとなった。その頃、工学部では電子工学科以外では「電子計算機」なる科目はどこにもなく、この「算法通論」が工学部共通での唯一の科目だった。算法とは数値計算法のことで、講義の半分はニュートン法などの話だったようだ。そのころはまだ電卓も高価で普及しておらず、物理実験室にはタイガーの電動計算機があった。<BR>
　その時のコンピュータはパンチカード式、多分三菱のMELCOMだったと思う。</P>
<P><BR>
<B><FONT  SIZE=4>○電卓の普及</P>
</B></FONT><P> 
 　専門過程へ進むころ、ようやく関数電卓が3万円以下となり、学生の手の届く範囲となり、皆が一斉に買ったものである。実験科目のデータ整理などで、多くの測定値の差の対数をとってグラフを書くなどといったのがあり、電卓なしの時代には全て手計算と対数表でやったのかと思い、電卓の有り難さを感じたものだった。</P>
<P><BR>
<B><FONT  SIZE=4>○大型計算機，ＨＩＴＡＣ８８００</B></FONT><BR>
</P>
</FONT><P>  <FONT >　専門過程では、化学反応をコンピュータシミュレーションするという課題を選び、大型コンピュータを使うこととなった。計算機センターの計算機はHITAC 8800/8700, OSはOS7というものだった。<BR>
　このマシンは当時<FONT color=#ff3333>日本最大級</FONT>の計算機であったが主メモリはコアメモリで <FONT color=#ff3333> 3MB、</FONT>システム全体のディスク容量が <FONT color=#ff3333> 1700MB、</FONT> (今では私の個人のパソコンにも負ける)。最初はFORTRANをパンチカード式のバッチ処理で利用し、ユーザファイルも一般的でなかったから、毎回多量のソースプログラムをカードリーダから読ませる必要があった。カードリーダの所で数千枚のカードを読み込ませている人がいるとヘビーユーザ視されたものである。</P>
<P><BR>
</FONT><B><FONT  SIZE=4>○ＴＳＳシステム，ＨＩＴＡＣ−Ｍ２００</B></FONT><BR>
</P>
<P>  　このシステムでやがてTSSシステムが導入され、タイプライタ端末であったが、カードから解放され、センターに行かなくとも電話回線で遠隔利用可能となった。それまでの利用環境に比べ格段の改善であり、感動ものであった。センターマシンでの個人ファイルの利用が一般化した。大量のカードを読ませる姿は少なくなり、ヘビーユーザはパンチカードを使わなくなった。とはいえ、ユーザ一人あたりの個人ファイルのディスク容量は<FONT color=#ff3333> 数百KB</FONT>であった。タイプライタ端末だからテキストエディタはラインエディタである。<BR>
　やがて計算機センターのマシンは<FONT >HITAC M200H にリプレースされた。メインメモリは半導体となり、ユーザメモリ空間は<FONT color=#ff3333> 数MB</FONT>だった。確か超大型計算機と呼ばれていた。ＯＳはＩＢＭ互換のＶＯＳ３であった。</P>
<P><BR>
<B><FONT  SIZE=4>○会社の計算機、ＦＡＣＯＭ−Ｍ</P>
</B></FONT><P>
  会社に入って職場に配属されてみるとマシンは FACOM M160 程度で、まだパンチカードが主体で驚いたが、まもなくTSS端末でフルスクリーンエディタを使うようになった。マシンは FACOM M180,M200,M380 と徐々に強化されていったが、個人ユーザメモリ空間は数MB, 個人ファイル容量も数MBという状況で、これはその後もたいして変わっていないようだ。<BR>
</P>
<P><BR>
<B><FONT  SIZE=4>○社外の計算機、ＨＩＴＡＣ，ＶＡＸ</P>
</B></FONT><P> 
　仕事では社外の計算機を使うことも多く、最初が FACOM230,ついで HITAC M280, VAX 7000 などをいじった。最初の FACOM230 は FORTRAN のプログラム領域、データ領域が各64KB以下でなければいけないというマシンで、データ領域の節約に大変苦労した覚えがある。VAX/VMS は操作がまるでパソコンだった(というよりパソコンがVAXをまねていた?)し、適当にケーブルでVT端末をつないだりして動かすという、自由度の高いマシンだった。そしてこの頃、VAX でイーサネットによるLAN接続を経験し、その速度に驚嘆した覚えがある。</P>
(1997.11)
</td></tr></table>
</center>

<P><BR>
</P>
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