ふくちゃん通信

ふーチャンのこと


学生時代の思い出
村本ゆかり

私が、ふーチャンに初めて会ったのは、今からX年まえの4月、池袋から私鉄でちょっと行ったところにあるM音楽大学の入学式の時のことでした。私達は、ピアノ科の新入生として出会ったのです。新入生の中の大きなリボンをつけた、堀ちえみに似たまだあどけなさが残った女の子、それが、ふーチャンこと片山富久巳さんでした。
それから卒業までの4年間、私達は同級生として学生生活を共にしたのです。ふーチャン達と一緒に音楽を学び、共に旅行に行ったり、演奏会に行った4年間、その時は気が付きませんでしたが、今思うと今までの人生で最も輝かしい季節であったと思います。その中でも何事にも一生懸命努力するふーチャン、正義感が強く自分を主張するふーチャンから、色々なことを学んだように思います。甘えんぼのくせに、優しく友達思いのふーチャン、曲がったことが嫌いで正しいと思ったら誰にでも自分の意見を言うふーチャン、難しい曲でも、いつの間にか練習して弾きこなしてしまうふーチャン、見たい演奏会があると、長い間並んでも入場券を手に入れてしまうふーチャン、でも私がふーチャンから学んだ一番大きなことは、音楽に対する真摯さでした。音大の学生なのですから音楽に打ち込むのはあたりまえのことです。でも、なかなか、それが、できないのでした。日常性に埋没し一番大切なことを、忘れそうになったこともあります。そのような時、いつも音楽に対して真剣なふーチャンに大切なことを教えてもらったような気がします。そんなふーチャンに今も心から感謝しています。
何年の時か忘れましたが、ジャズの好きなふーチャンはいつの間にか、早稲田大学のジャズ研に入部していました。そして、赤坂のお店でプロのジャズ歌手として、スタートしたのです。おっとりしているようなふーチャンの恐るべき行動力を示すものです。それからのジャズボーカル片山ふくみの活躍は、皆様の方がよくご存じかもしれません。でも、そのルーツは私達と過ごした4年間にあったと私は思います。
4年間のこと、まだまだ沢山書きたいことがありますが、限りがありませんので、また次の機会にしたいと思います。
入学の日から4年がたち、無事卒業し、皆、また離ればなれになりました。でも皆なんらかの形で音楽と関わりを持っています。私が人生の大切な時期に音楽を選んだこと、ピアノという楽器と関わりを持てたことを、誇りに思い感謝しています。
かけがえのない我友ふーチャンの活躍を心より願っています。

(フクちゃん通信 第7・8月号(95/7/20)より)


片山先生のこと

中田 まさみ

2月のある寒〜い日、ポストを見ると”フクちゃん通信”が届いていました。いつものようにワクワクしながら封を開けると...”フクチャン通信”2月号と原稿の依頼書が入っていました。それから何を書こうかと考えていました。ここは皆さんのご期待(?!)に答えて片山フクミの男性遍歴を...と思いましたが、これは全く秘密のベールにつつまれていまして...
やはり、同じ音楽教室で仕事をする仲間として書くことにいたします。
私の記憶が正しければ、私が片山先生(私はいつもこう呼びます)と、初めて会ったのは4年前の音楽教室の生徒さんの発表会の時だったと思います。ピアノ教師になって初めての発表会でした。その頃の私は音大生の時に植え付けられた”コツコツ真面目なピアノ科”、”陽気で豪快な声楽科”という先入観を持ったまま仕事をしていました。私は音大で声楽を専攻していましたので、ピアノ科卒の先生方には若干の苦手意識がありました。その時の片山先生も当然、私の頭の中で勝手に作り上げていたピアノ科卒の先生像にピッタリとくる人だと思っていました。しかし片山先生はみごとに私の固定観念を打ち砕いてくれました。音楽教室での片山先生は、風邪をひけば顔一杯の白いマスク。レッスンを待つ間生徒さんが座っている長椅子に足を伸ばして寛いだり...レッスン中、生徒さんに自分のイヤリングをつけさせてキャッキャッと楽しんでいるという話を聞いたこともあります。それに、結構豪快に笑うのですよね。片山先生って...おまけに大食ですし。(少し書きすぎカナ)
「この先生面白い!!」と何とも言えない片山先生のその魅力に引き込まれもっと話をしてみると、ピアノ科卒の片山先生が歌をうたっているというではありませんか!!それもクラッシクではなくてジャズを... ショックでした、世間の狭い私をかわいそうに思いました。
それから暫くして、片山先生のステージを聴きに行きました。”J”だったと思います。黒の少し胸の広めに開いているそこに真っ赤なパラがとても印象的なドレスを着ていました。ボソボソと曲を紹介していたことも印象に残っています(笑)。ジャズを知らない私に、これならと「イパネマの娘」と「いとしのエリー」を聴かせてくれたこと...こんなに素敵な歌を、そして自分を表現することができる人なのだなと思いそれまで以上に片山フクミさんのファンになりました。
音楽教室での片山先生はボーッとした人なのに歌のことになると妥協をしない人のようですね。そしてうがいをしている片山先生の姿をよくみかけます。歌をうたうものにとって基本的なことなのですけれどもなかなかできないことなので感心しています。
近頃片山先生はますますきれいになった様に思います。自信になる様な何かがあったのでしょうか?!後援会が発足したりアメリカへ勉強に行ったりと色々な事がありましたね。自分の事を理解してくれる人、応援してくれる人...そんな仲間がいるて幸せなことですよね。大切にしたいです。
最近、片山先生に刺激されて(?!)私も足が遠のきがちだった歌のレッスンに通い始め、秋にはコンサートをする予定です。よろしかったら聴きにきてください。
自分が表現すること、一生懸命つくりあげたものに共感して拍手を送ってもらえたらうれしいだろうと思います。幾つになっても、うたい続けることができたらと思います。お互いに頑張りましょうね。私は音楽が好きです。そしてよく笑い、よく食べる片山先生が好きです。沢山のエキスを吸ってどんどん華やかになっていく片山フクミさんを応援しています。
フレ〜フレ〜フクちゃん
最後に、お嫁には私が先に行かせて頂きます。 あしからず...

(フクちゃん通信 第5月号(95/4/22)より)


キャンパスの思い出

美奈子

フクちゃんの後援会、待っていたものができたという感じです。大学のサークルで知り合って以来、私はフクちゃんの大ファンです。”ダンモ”(サークル)ではジャズを愛するたくさんの仲間と出会うことができました。みんなのひたむきさ、真剣さに感動させられていろいろな意味で教えられることが多く、そこでの経験は学生時代の大切な思い出になっています。
そして、中でもフクちゃんとの出会いは、私にとって最も大切なできごとの一つだし、サークルのみんなにとっても彼女の存在は常に特別であったと思います。ボーカリストとしてトップであったことはもちろん、その人間的な魅力のために、多くの人が魅了されました。私の場合はバンドも違うし、毎月のメーティングやサークルでのイベント・・・・・学園祭とか合宿(!!)で時々会う程度でしたが、一見クールに見えるフクちゃんの意外な側面・・・・純粋さ、素直さ、ものすごく一本気で正義感が強かったりするところなどをかいま見るにつけ、ますます、キュートでチャーミングなだけじゃないとにかく素敵なフクちゃんに惹かれて行くのでした。ただ誉めちぎるばかりのようですが、フクちゃんの天性の魅力には逆らえません。
大学の帰りに高田馬場のジャズ喫茶(イントロ)で、私がその日も”あったかいコーヒー牛乳”を飲んでいたとき、隣りに座ったおじさまに好きなボーカルは?と尋ねられて、モニカ・セッテルンドだのベヴァリー・ケニーだのと答えたら「何だかどこかのスケベおやじみたいだなと言われてしまった、そういう好みのせいで、私がフクちゃんにぞっこんになったわけでもないでしょうけれど、自然でかつハートウォーミングな、フクちゃんのボーカルが本当に大好きです。これからもずうっと応援して行きます。頑張って下さいね。

(フクちゃん通信 第5月号(95/4/22)より)


我々が初めてフクちゃんと会った日

KURUMI RUGBY CLUB 桜井 義修

学生時代の友人から、いつもと雰囲気の違う電話がかかってきた。
「ジャージーな夜をすごさないかい」
「なんだいそれ?ジャクシーならスポーツクラブで入ったことあるけど」
「バカ!ジャズだよジャズ。築地で知り合いの人がピアノを弾くんだ。」
もともと酒好きの私は、飲み食いしながら聴けるならイイヤという感じで、ラグビー関係者7・8人で小屋へ乗り込んで行くと、どうも予定と違う状況が展開されていた。椅子はステージに向かいキチッと横隊に並んでいて、テーブルも酒もない、しかも客層は杉良太郎のファンかと見紛うようなオバサマばかりである。言い出しっぺの奴を殴ってやりたい気持ちを抑え、ちからさんのグループの演奏を聴いていると、途中Vo.がはいるとのこと何にしても男ばかりより女がいた方が空腹でイライラした気持ちもおさまるだろうと思っていると、痩身にちょっと短めのドットのワンピースをまとった人が出てきた。親しみのある歌声、愛嬌のあるしぐさにわれわれはアレッという感じで新たな登場人物を見つめた。隣りの友人と『あの子は音大卒のOLの夜のバイトに違いない。』と小声で語り合った。プライドの高い本職の歌い手にはあんなに能天気に杉良ファンの前で明るく歌える訳がないと思ったのである。これが我々とフクちゃんとのファーストコンタクトであった。
これで終わってしまったら、きっとここにこんな雑文を書くことにはならなかっただろうが、酒と歌とラグピーの神はそうしなかった。
寒い中、出入口で出ていく観客にお礼を言うプレーヤー達に好感を抱きつつ、酒と肴を求め築地の居酒屋に駆け込んで行った。しばらくすると、なんとさっきステージにいたプレーヤー達が、偶然にも同じ店に入ってくるのが見え、すでに少々酔いのまわっている我々は拍手と歓声で彼らをむかえたのであった。
小林さんの流し目と育ちの良さがにじみ出た口調に感心しつつも、みんなは唯一の女性、片山さんを真ん中に座らせ『君の歌はチャラチャラしている、チャラチャラしているが悪くない。』などという酔っ払い特有のくどい話で盛り上がって行ったのであった。
その後、吉祥寺の赤いからすのフクちゃんの日は、我々の集会の場として定着し、また逆になんと流行歌手フクちゃんが我々の試合を見に来てくれるという恐れ多いことも実現し、おかげで楽しい時間を過ごさせていただいている。試合のあとの酒とつまみにジャズという大きなおまけをつけてくれたフクちゃんに『ありがとう』とこの場をかりて御礼申し上げます。

(フクちゃん通信 第3/4月号(95/3/20)より)


もうひとつの別の顔

畠山 光

片山フクミさんは、多重人格ではなくて、沢山の顔を持っています。私達の良く知っているマイクを持って片足を上げて歌うジャズボーカリストとしての顔、どこにでもいるような普通の女の子としての顔、我が侭でちょっと意地悪な物凄く魅力的な女性としての顔、そしてもう一つお弟子さん達から慕われるピアノ教師としての顔が有ります。この3月5日に等々力の玉川区民会館でピアノ教師としての片山富久巳先生をひとめ見たくてカメラを持って出掛けてきました。沢山のお弟子さん達の可愛かったり堂々とした演奏の後、講師演奏ということでシルバーのパンタロンスーツに銀色のハイヒールという実にかっこのいいいでたちでピアノをひく片山先生の演奏を聴くことが出来ました。
初めて見るフクちゃんのピアニストとしての姿は真面目で堂々としていて実に魅力の溢れるものでした。
演奏終了後沢山の花束を抱えながら生徒さんと楽しそうに記念写真をするフクちゃんそこには私の知らなかったフクちゃんのもう一つの大切な顔がありました。
同じ音楽の世界であっても二つの仕事を持つということは大変なことだと思います。
フクちゃん本当に本当に頑張ってください。

(フクちゃん通信 第3/4月号(95/3/20)より)


名古屋の空から

片山フクミ

あけましておめでとうございます。
はじめまして、私が”フクちゃん”こと片山フクミでございます。やはり、新年のご挨拶はフクちゃん自らせねばと思いたち、日頃殆ど書くことない文章を披露している次第であります。
さて、私、年末の仕事疲れが、というか連日の夜遊びが、というかなんというか...がたたって、元旦早々風邪をひいてしまい、熱はでるは、のどははれるは鼻水は滝の如し、でメチャクチャ幸先のよろしい、年のスタートだったのでございます。おかげで、いつもなら楽しいお正月が、今年のお正月は、枕元に力強い味方ユンケル黄帝液(800円のやつ)とイソジンのうがい薬、のどにピュッピュッのフィニッシュコーワ、そして家にあった名のしらぬ風邪薬、なくてはならないティッシュペーパーと鼻をかんだ後にぬるメンソレータムといった私の風邪時における定番アイテムを置き、さらにマスクをしてウーウーうなって寝ておったのでございます。
(おっとおっと、こんなフクちゃんのお正月なんて、皆様にはどーでもよいこって。本年のホーフを述べなければ...)
ということで、昨年10月新宿”J”で後援会が発足してから早2ヶ月がたち3ヶ月にとちゅにゅういたしました。実はこの後援会発足案、”J”でのステージ休憩中、シャレで話していたことで、『単なる酔っ払いのゆーとる事や』と私はまるっきり冗談にしかとっていませんでした。しかしながら今では私、皆様にとても感謝いたしております。千葉支部長で私の親友(あくゆう)のピアニスト深谷由美子、ならびに千葉在住の方々、はるばる横浜から聴きに来て下さるとても個性豊かな方々、ラグビーをする強い男たち、独りでふらりと寄って下さる紳士方、私の学生時代のゴ学友たち、O会長好みのピアノの先生仲間。
歌いながら、皆様のお顔が見えると、なぜか『ほっ』として嬉しくなるのです。そして事実とても励みとなっているのです。『いい歌うたおー』って改めて思うのです。
本当に、有難うございます!
それから、O会長に無理矢理入会させられたまだ見ぬ皆様もどこかで近々お会いできることでございましょう。
それでは、だらだらりんと長くなりましたが、これからもフクちゃんはいいい歌い手になるために一生懸命頑張ります。
どーぞー末永ーくよっよっよろしくお願いいたしまするうー!!

(フクちゃん通信 創刊号(95/1/1)より)


弟子から見た「片山富久巳さん」

K.K.

私と片山さんとの出会いは、たたみ2畳分のスペースしかない個室であった。そこは、外界から完全に孤立された小さな部屋で、多少大きな声を出しても外には音が聞こえないような部屋である。はじめてお会したのは約1年くらい前で、先生の都合にもよるのだが、だいたい週に1回お会いしている。先生というのは片山さんのことである。ここでは片山さんのことを先生と呼ばせていただくことにする。なぜならばこれまでに「片山さん」と呼んだことがないからである。
さて前置きが長くなったが、弟子からみた先生について話を進めることにする。先生は優秀な成績で某有名音大を卒業され、その後、鍵盤楽器の先生をしておられる。実はこれは仮の姿で、みなさんがよくご存じな本当の姿は、ステージで片足を上げてマイクを持つボーカリストである。
はじめて先生のボーカルを聞いたのは、2ヶ月くらい前であった。その時は、会社の仲間3人で”赤いからす”へでかでた。”赤いからす”はほんとうに久しぶりであった。その時、いつもばか笑いしている先生が本当に見違えて見えた。最初の曲を歌い始めたとき、おもわす「うまい!!!」と叫んでしまった。いつも話をしている先生とはまったく違う姿がそこにはあったからである。

(フクちゃん通信 第0号(94/12/15)より)


Last Update: 2001/06/10

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