2007年11月1日(木)
ホームページ同好会など

◇10:00〜12:00 天の川を美しくする会事務局打ち合わせ
来年度のあり方、参加団体の広域化、役員の若手加入などを話す。

◇13:30〜16:30 ホームページ同好会
花岡会長兼講師が、今日は欠席なので、大崎さんが司会役で、生徒ばかりで勉強。それでも、相互に学ぶことが多い。

2007年11月2日(金)
松愛会デジカメ同好会撮影会に参加

◇13:10〜16:30 ならまち撮影
JR学園都市線で、木津乗り換えJR奈良駅へ。田中隆夫会長の友人、ならまちガイドの山本英機さんの案内でならまちをめぐり、ところどころで撮影。今年二回目の訪問。古く美しい町並みとしては、交野の方がすばらしいと思うので、交野もぜひ、ならまち風に町並みを見てあるく観光客を呼びたいと思う。時間のあるときに、まち並みを撮影し、このHPにでも、魅力を訴えてPRせねばならないと思う。人さえ来れば、お店もできていくだろうと思う。観光案内が主になってあまり撮影の機会もすくなかったが、よい写真は撮れなかった。皆さんは、16:30以降、夕日の興福寺の塔を撮影したあと、恒例の懇親会だが、小生は午後7時から予定が入っているので、16:30に別れを告げ、増尾商店の「米飴」とこのお店のおばあさん増尾正子さんが書いた「奈良の昔話」を買い、三条通りで、いつも餅の早つきをしているお店で「蓬あん餅」を買い、帰途についた。

2007年11月3日(土)
昨日の写真整理と松愛会アンケート集計、姪の子英語家庭教師

◇6:00〜10:00 昨日撮った約100枚の写真整理、気にいるものは一枚もなかった。最近、カメラの調子がいまひとつよくない。よく自動フォーカスが利かなくなる。あわせ、HP「写真の小道」に「交野の秋まつり」アップ。

◇10:00〜15:30 松愛会「地球温暖化防止活動」の取り組みに関する36支部へのアンケートのまとめ。最近の60歳台前半の人の松愛会ばなれとともに、このテーマもなかなか厄介なテーマではある。

◇16:00〜17:00 姪の子の受験英語家庭教師。8月から週3回みているが、少し向上がみられ、ほっと。

◇17:00〜今日は、夕食当番などで買い物に行き、夕餉の準備。鯵を買ったが、あまりに安いので半信半疑だったが、料理すると「解凍もの」(そうは表示していなかった)で、まったくうまくなかった。高くてもうまいものは幸せな気分がするが、不味いと安くても、不幸せな気がする。

◇昨夜半、磐船神社が、ローソクの火から全焼という知らせが入った。

2007年11月4日(日)
友人にHPを教えた

◇病気で少し落ち込んでいる友人がいるので、気をまぎらす何かが必要と説き、HPでもやってみたらと勧めたところ、やってみたいとのことだった。早速、IBMのホームページビルダーの購入を勧め、今日、自宅へ伺って教授。小生特技の2時間でアップというやり方で、ソフトのインストールを終えると、HPの成り立ちを説明のあと、表題だけの表紙とサブページを作り、転送設定して、すぐにページ転送。表紙からサブページ、サブページから表紙へのリンクの張り方を教え、転送したら「簡単HP」のできあがり。あとは、ご本人が、表紙を充実し、サブページ、サブサブページを充実または新規作成していけばよい。

2007年11月5日(月)
今日も多忙

◇松愛会本部へ(9:30)
「環境フェスタin交野」が、松下電器からボランティア支援資金をもらう申請のため、中川国夫事務局長と松愛会本部へ赴く。偶然、申請の日が重なり、「ホタルの里南星台」まちづくり会長の弓倉隆夫さんといっしょに、石井茂雄さんの車に乗せてもらった。松下電器が、ボランティア支援資金制度を設け、ボランティア活動を支援してくれることは、大変ありがたいし、企業の社会貢献活動として大変貴重なことだ。交野では、竹炭ボランティアをはじめ、妙見坂や南星台などのまちづくり活動がこの制度の恩恵で活発な活動をしている。
◇かわの情報誌『さらさ』(近畿地方河川広報会議監修)受け取り(13:00)
同誌に、天野川の私市地区にできた「私市水辺プラザ」で活動する団体として「天の川を美しくする会」が掲載されたので、同水辺プラザの建設担当責任者の枚方土木事務所上成純さんのところへ、同誌をもらいに行く。天の川を美しくする会参加団体に配りたいが、残念ながら部数が不足。
◇「産経リビング」の取材(14:00)
同紙に「郷土の伝説・民話を伝える活動」の特集をするということで、この7月に発刊した「交野の絵本」の取材を受けた。交野に伝わる伝説や交野を題材とした古典文学などを次世代につたえようと、小学4,5年生向きに編纂した趣旨を話す。むかしの人たちが、伝説や文学として残した香りや輝き、美しさをどうバトンタッチするかに、一番、神経を使ったと話した。
◇「環境フェスタin交野」冊子部会(19:00)
昨年、西田生さんが、苦心して作られた出展団体企業を紹介する冊子を、今年も、昨年を踏襲して作成、販売するため、知恵を絞っている。
今日も夕食当番、昼、枚方で食材を買い、調理して一人で夕食をとり、夜の会議へ。健康と意欲が衰えず、ありがたい。感謝、感謝。

2007年11月6日(火)
忙中の「出刃」

◇アンケートを読んで結果をまとめ、それを反映した企画書を作る仕事を、朝10時ころから午前0時ころまでかかってしあげた。
◇そんな多忙のなか、知人から釣ったばかりの「平アジ」(中ぐらいの大きさ)が5尾届いた。今日も、妻とは小生が夕食当番を約束していたので、買い物に行かない時間を利用してと、渋々、その料理にかかった。午後5時だった。ほんとうは塩焼きくらいで済ましたかった。実は前日もアジの焼き物だった。仕方なく三枚におろして刺身にすることに決心。30分でできると高をくくったが、意外に細かい作業で、超多忙の中、約1時間を費やすハメになった。だが、新鮮なアジの刺身は実に美味だった。幸せだった。1時間の値打ちがあった。

2007年11月7日(水)
忙中「勘」

◇松愛会三役会11:00〜17:00
◇科学が結構すきで、1980年代、二つのことに興味があった。一つは「癌発生のしくみ」、もう一つは「生物進化のしくみ」。「癌発生のしくみ」はいまでは「遺伝子の変異」と見極められ、そうした治療法まで生まれつつある。1980代はじめは、まだ、しくみがわからず、いろいろの仮説が唱えられていた。小生も、いろいろ本を読んで推理小説のナゾを解くように、仮説を考えたものだった。年をとるにしたがって発症が高くなるので、生命現象そのものにかかわりがあり、癌発症と生命機能とは不可分の関係にあると考え、細胞のどこかにレセプター(受容体)があって、たとえば発ガン物質とか加齢とともに蓄積された発ガン物質Xが、そこに付着して細胞に分裂異変を起こすのだと推理したが、そのレセプターが遺伝子とは思いつかなかった。医学の飛躍的な進歩で、こちらは小生のマケ。
◇もう一つの「生物進化のしくみ」だが、これは、まだまだ結論がでていないので、好きな推理が許される。小生が考える第一のしくみは、「獲得形質は遺伝する」ということが前提だ。ある短絡的な生物学者が、何世代にもわたってねずみの尻尾を切りつづけたが、ついにねずみの尻尾は消えなかったので、「獲得形質は遺伝しない」と結論づけたそうだが、小生は、「いや、獲得形質は遺伝する」と思っている。しかし、問題は、その「獲得形質遺伝」の遺伝の仕方である。「その種において潜在的に獲得された形質は、ある飽和点に達すると、異なる種となって顕在化されて遺伝する」と考えるのだ。「潜在獲得形質の種間顕在化遺伝」とでもいおうか。獲得形質ということで、小生が、もっとも注目するのは、「擬態のしくみ」である。生き物は、どうしてか、環境をそのまま自分の姿にして取り入れる能力を持っている。つまり、形質は閉鎖系ではなく、開放系という一面をもっているのだ。特定の虫を取るために、その虫の形態にあわせて精巧な花を形作る食虫花などは、「開放系の形質形成」なしには考えられないと思う。(この続きは、また、いつか)

2007年11月8日(木)
忙中「勘」U

◇私市平田さん取材(9:00〜11:00)
◇私市のまち並み撮影(11:00〜12:30)
◇機関紙編集会議(13:30〜17:00)
◇環境フェスタin交野2008出展説明会・実行委員会(19:00〜21:00)

◇「進化のしくみ」U
1.獲得形質による新種の誕生
1−1鳥はどうしてうまれたか。
いまの進化論では、恐竜の仲間から、偶然、突然変異によって翼をもった個体が生まれた。この個体は、偶然、そのときの環境に適していたので、個体数が増え一つの鳥という種をつくることになった。つまり偶然による個体発生と、偶然による環境淘汰など、偶然の積み重ねで種が生まれたとする。
小生は、もっと必然性を重んじたい。
先に、淘汰を迫る環境があらわれる。食料危機、生殖危機、器官危機(これまでの器官が使えない。移動器官、呼吸器官、摂餌器官など)
たとえば、かなり大きな島に、二種の恐竜が住んでいた。一種は、カバのように四足歩行の巨体で草食だった。一種は、二足歩行で身が軽く小動物を食べていた。あるとき、大震災が起きて隆起しこの島の周囲が絶壁で囲まれることになった。そのうえ、火災が起きて一切の植物が燃え、草も小動物もいなくなった。カバに似た種は絶滅せざるをえなかった。敏捷な二足歩行の種は、勇敢にも崖を駆け下りで魚をとり始め、従来から大きな岩の下をねぐらとする習性があったので、夕方には、一斉に崖を駆け上ってねぐらに帰った。崖を往復するとき、かれらは、上手に前足でバランスをとり、あるときは、海面めがけてダイビングしながら前足で空気をかくのだった。
こうして何万年かがすぎると、あるとき、生まれてきた子どもは、どれもすべて翼をもった恐竜だった。鳥という種の誕生だ。
1−2翼はどうして生まれたか
生物のからだをつくる細胞は、もともと、膜をへだてて外界に開かれた生体で、外界の変化に応じて自己を変える働きをもっている。そのもっとも原始的なしくみが「擬態」で、カレハカマキリなどは、捕食者の目を欺くため、細胞が、外界の枯葉の映像を写しとってDNAに指示して形態模写させたのだ。つまり「擬態」がしめしているのは、DNAは外界にひらかれており、外界の刺激による可変性をもつという証なのだ。細胞は、進化の過程で、視覚、神経、筋肉、血液、脳細胞など多様に特殊化するが、ことばをかえれば、一個の細胞は、それらに特化する機能のまえの原点ということができる。だから、海で泳ぐときは抵抗の少ない流線型だった魚の頭部は、類人猿など二足歩行で落下物の危険を避ける必要のうまれたときは、円形となって衝突強度を強化することになる。もう少しくわしくいうと、魚の頭の細胞は、水の抵抗を感じると、そこに電気刺激が発生しその抵抗電気値を最小にする「形態模写」をDNAに送ることになり、結果、魚の頭部は流線型になる。類人猿では、頭部に落下物を受けるたび、頭部の細胞に落下抵抗の電気が生じ、やはりこれを最小にする「形態模写」がDNAに伝達され、頭蓋骨が球形になる。激震の孤島に残された敏捷な恐竜の前足は、崖の昇降や海へのダイビングのときの空気抵抗を最小にする「形態模写」が行われ、前足は自ずと翼の形となり、個体が空気中に浮かぶときの抵抗の電気値も最小にするよう、骨を空洞化したり飛翔に必要な呼吸器系を整えたりが自動的に「機能模写」される。
しかし、これらのモデルチェンジ信号は、DNAに送られても、すぐには遺伝子情報とはならない。何万年にもわたり「形態模写」「機能模写」信号がDNAのなかに蓄積され、DNAが本来もつ「外界開放系閾値」を越えたとき、それらの信号はDNAの信号変換され、遺伝情報として定着させられる。こうして、絶海の孤島の恐竜から、あるとき、一斉に完成度高い心肺機能、循環機能、筋肉機能を伴った翼が生まれることになる。
(この続きは、また、いつか)



2007年11月9日(金)
忙中「勘」V

◇かぼちゃクラブ(交野の農と農地を考える会)ミーティング18:30〜21:30
◇「進化のしくみ」V
1.DNA進化のしくみ(DNA情報の可逆性)
絶海の孤島の恐竜の前足が、一気に、翼に変わってしまった。しかし、これを説明するのは、容易ではない。まず、いまでは、DNA情報は、生体形成のとき、コピーされてその種固有の器官などが形作られるとされる。絶対不可侵のDNAがあって、そのコピーとしてあらゆる生き物がつくられるというのだ。その逆はないとされる。現在、ある生き物がAという形をもっていて、何らかの原因でA’という形になったとしても、その生き物のもつDNAはあくまでAを固守し、A’に相当する形には変化しないとされる。それは当然で、DNA情報が、形質側からいつでも書き換えられるようなことになれば、種の自己同一性などメチャメチャになる。しかし、前足が翼になるには、その壁を越えて理屈を捏ねることが必要になる。そのために準備した道具が、(イ)器官・DNA間情報交流、(ロ)暫定情報のDNA保存、(ハ)暫定情報のDNA定着、という理屈だ。
1−1.器官・DNA間情報交流
発生の過程でDNAがその器官を作ったら、それでおしまいというのでなく、その器官が生存する間、器官ともとになったDNAとの間には情報の交流があると考えるのだ。ちょうど、脳と器官が神経でつながれ、情報のネットワークがあるのと同じだ。このことによって、生物体の形質や機能は、一定に保たれていると考えるのだ。そこで、その器官が設計どおり使われておれば、その器官と外界との間に摩擦は生じない。ところが、ある事情によってその器官が別の用途に用いられると、外界との間に摩擦が生まれる。それは、一言でいえば、すべて重力抵抗に帰すことができる。ひとつの器官が本来と異なる機能をすれば、その器官の不合理なところに摩擦が生じ、その摩擦部分は電気を帯びることになる。そこに電気信号が生じたという情報は、DNAに常時伝達されている。それどころか、その情報は、帯電を知らせるだけではない。帯電した電気は、雷雲がそうであるように、かならず放電する。放電された電気の流れる先であるが、それは、DNAの設計図情報へ向かう。放電された電気は、帯電部位の電気をゼロにするべく機能して、設計図を帯電ゼロの形へと設計変更させるのである。こうして、器官とDNAの間で、何万年、いや何百万年もの間、無数の情報交換がされると、無数の設計図のなかから、もっとも確かで、もっとも合理的な設計図が、自ずと決まってくることになる。
1−2.暫定情報のDNA保存
DNAをつなぎあわせりと、人間の身長ほどになるそうだが、遺伝情報として使われているわかっている部分は、5パーセント程度で、あとは、無用の長物のように思われ、パソコンでいえば「ゴミ箱」に相当するのでないかといわれている。しかし、合理的に設計された生物体が、情報の排泄物をいつまでも持ち続けるとは考えにくい。この膨大な余裕DNAこそ、上記のような、外界と器官とのいま生きている生体のせめぎあいのナマ情報をたくわえ、そのなかの共通部分と雑情報を取捨選択し、選択部分の暫定情報を保存し、世代間に伝えているのでないか。つまり、いま起こりつつある環境側からする淘汰の危機を回避するため、生体側で、器官や機能を設計変更するべく暫定設計図が常時蓄えられ、世代間に引き継がれているのである。
1−3.暫定情報のDNA定着
生体が刺激に反応するとき、二つの方法がある。ひとつは、小さな刺激に、一対一対応する形で、リニアーに反応するやりかた。もうひとつは、刺激がある閾値まで達すると、一気の反応するやりかただ。この典型が、オスの射精だが、DNA情報も、外界に開かれた生体の自己保存限界がピークに達する時点、つまり「外界開放系閾値」を超えると、設計変更の暫定設計図は、一気にDNA情報に定着され、そこに新種が誕生することになる。つまり「潜在獲得形質の種間顕在化遺伝」である。この命名、もう少し気のきいたものにしたいのだが…。また、この閾値は、部位によって異なっており、骨格などは、もっとも閾値が高いにちがいない。それでも、必要なときは、書き換えが起こる。動物の指は、すべて5本だが、これは、魚のまえ鰭の骨が5個あることに起因し、必要の都度、書き換えられてきたのである。さらに、これまで進化の生物過程で、あるきわだった進化をとげた生物で、その中間生物の化石がみつかったことはない。すべて完成体の化石ばかりである。いまの見解は、進化の過程での中間的生物は存在しただろうが、環境の淘汰に抗しきれず生存数が少なく、発見されないのだろうとされる。小生は、中間的生物はないと考える。種としてそれなりに完成した形でないと、生き物は、生まれてこないと考えるのだ。また、この暫定情報の定着現象は、特定の個体に起こるのでなく、その種が置かれた共通の環境下の出来事であるから、種に一斉に起こる内容のものである。
1−4.DNA書き換えの箇所
ネオトニーと呼ばれる現象がある。「幼体成熟」といわれ、幼い形のまま、何らかの原因で、生殖機能が備わったとされる。例として、ヒトは骨格がチンパンジーに似ておりチンパンジーのネオトニーでないかといわれる。また、あるサンショウウオは、幼生のオタマジャクシ様のエラをつけたまま成体になり、生殖機能をもったとされる。もうひとつ、「個体発生は系統発生を繰り返す」という仮説がる。つまり、その生き物は、個体として生まれるまでに母体や卵のなかで、その生物の進化の過程を、すべて再現するのが個体発生であるという仮説でる。小生はこう考える。閾値を越えて設計変更の暫定情報が定着させられるとき、どの設計図を開くかというと、その種の幼児期の、成長可能性の大きい設計図を選ぶと思うのだ。現在、整体医学で多種の分化能力をもつということで胚細胞が注目されているが、これと同様に、遺伝情報を書き換えるなら、系統発生をたどり、その種のもっとも原点的な設計図を選び、それに改良を加えると考える。おそらく、250万年から300万年まえ、ヒトとチンパンジーに別れる以前の種は、直立二足歩行を覚えたため、骨盤の形態、立つことで大きくなった口腔の上部の形態(これで言葉の発音が可能になった)、立つことで自由になった前足の手への形態変化などの数限りない設計変更情報を、その種の幼体の設計図に書き込んだにちがいない。こうして、ヒトとチンパンジーのもととなったヒト科の生き物HTから、ヒトはそのHT人の幼体形を引き継いで誕生したにちがいない。たとえば、チンパンジーの早産児がたまたま突然変異種で、それが、ヒトだったという単純な話ではないはずだ。

2007年11月10日(土)
有機・エコによる援農リーダー養成

◇かぼちゃクラブ(交野の農と農地を考える会)の取り組み第一弾
同クラブでは、交野の農を活発化して農地を守り、安心・安全な農作物の地産地消を推進し、田園風景を残すことを目的に活動を行ってきた。
まだ、案の段階だが、とりくみ第1弾として、20坪ばかりの農地20区画ばかりを「援農ボランティア」希望者に5年契約で有料で貸し、栽培作物を限定して有機・エコ農法を伝授し、5年で一人前の「援農ボランティア」に育ってもらおうという計画を立案中。この農園は、単なる「貸し農園」ではなく、いわば「有機農業塾」の農園で、整然とした田園風景を整えることも目的のひとつにしている。あと半月ほどで募集を開始、1月半ばに募集説明会をひらくべく、目下作業中。

2007年11月11日(日)
福祉フェスティバル

◇福祉フェスティバル参加 9:30〜12:00(フェスティバルは15:00まで)
交野市星のまち観光協会でテントを出し、観光キャラクター星のあまん50個、「交野の絵本」30冊が売れた。

2007年11月12日(月)
観光ボランティア養成

◇観光ボランティア養成 9:00〜14:00
12/1 行う「星のまちめぐりウォーク」の観光ガイドボランティア養成のため、10/29下見したと同じコースを、高尾さん作成の詳しいテキストを使い説明した。総勢12名参加。

2007年11月13日(火)
忙中「勘」W

◇松下電器 HA社へ環境フェスタin交野の出展依頼訪問(草津 10:00〜11:30)
◇進化のしくみW
1.地球の激変と進化
地球はこれまで、大きくいって7回の絶滅を経験したことが知られている。あるときは、95パーセントの生き物が死滅したともいわれる。地球が激変して生き物の生息環境が変わり、食料危機、生殖危機、器官危機(移動器官、呼吸器官、摂餌器官など、従来の器官が使えなくなる)など淘汰の波が押し寄せただろう。一方、進化には、「大進化」と「小進化」があることが知られている。「大進化」とは、ある種の「カバ」の類が「クジラ」になったりある種の「恐竜」が「トリ」になったりすることだ。「小進化」とは、有名な「ダーウインフィンチ」のくちばしが、エサによって形状が進化した類である。この「大進化」を引き起こすのが、地球の激変であると思われる。地球の激変とは、6000万年まえに起こったとされる直径10キロメートルの大隕石の衝突のほか、大噴火、地球の寒冷化、温暖化、プレート移動による大陸などの分裂・融合などが考えられる。これらの危機を乗り越えるため、生き物は、自らの内に向かってDNAを変化させてきたにちがいない。
2.地球の激変と学習と適応
なぜ、そうなのかはわからないが、生体は、薄い膜で包まれただけの外界に開かれた化学物質体で、ある閾値を越えるまでは、限りなく外界の変化に自らを合わせるころができるようにできている。ここの「生体膜」の不思議があると思う。いままで環境と適応状態にあった生き物が、環境の変化にともなって自己変革して、新しい環境に再適応するのは、生体が環境に開かれたものである以上、当然のことと思われる。ある種が、適応しなければならない状況におかれたとき、それを早期効率的に、かつ漏れなく種全体にいきわたらせるのが、学習機能だと思われる。学習機能などといえば、知能を必要とする高度な働きと聞こえそうだが、そうではなく、防衛本能と同じウエイトをもつ防衛本能の一種とみてようのでないだろうか。

それはともかく、生き物は、地球の激変や小変に対して自ら学習を通じて適応し、また、学習を通じて自らの種に広め、何万年、何10万年もかけて適応状況を作り出し、その結果をDNAに結実させるのだと思われる。


2007年11月14日(水)
健康談

◇電化・住設懇話会出席(10:30〜14:00)
◇その前後、松愛会事務局と打ち合わせ
◇健康談
枚方市駅から門真に行く普通電車の座席に座ると、真よこの女性が、向こうに座る友人としきりに話される声が途切れ途切れに耳にとどく。私の乗るまえから、話は続いていたらしく、胃腸の具合がよくなかった話らしかった。いろいろ検査の結果、大丈夫との診断だったが、まだ、みぞおちに違和感が残っているし、手放そうと思うが投薬もやめられない、病気でないのに薬はいけないと思うのだが、といった話が伝わってくる。現役のころ、よく胃腸を壊すので消化剤を常用していたが、退職してやめたら、かえって胃腸が丈夫になった私の経験が、ふと、よみがえり、彼女の話に耳を傾ける結果となる。その友人とは、久しぶりらしく、彼女、今度は、心臓がおかしい話をはじめた。24時間計測の心電図計をとりつけ診断してもらった話がこまごまと語られ、結局、診断結果が、規則性のある不整脈で心配いらいないという診断だったが、なんとなくすっきりしない、といった話が聞こえてくる。こんなに体のことばかり気にしていたら、大変だろう、どんな女性だろうと思うが、振り向く勇気はない。ただ、さきほどから目を閉じたまま、こんな女性が妻なら、家は暗いし、こんな話ばかり聞かされたら、こちらも胃が痛くなるだろうと、他事ながら心配していたら、今度、話は、ストレス検査の話に移っていく。どうやら、職場でその検査があり、「あなたにはストレスがあります」という結果が、各人に返却されたらしい。しかし、彼女は、それが不満で、自分がストレスをかかえているくらいは自覚している、それよりも、そういう人間が、職場に何人いるかを上司に知らせるべきだと、また、ひとしきり持論が展開されるのが、耳にとどく。こんな女性と机ならべて仕事したら、毎日、大変だろうな、こんなに強烈に関心が自己に向いていたら、「和顔愛語」でまわりをなごませたり、悩むひとを慰めたりする心のゆとりがもてないだろうなと思っていたら、電車は、古川橋に着く。そこで、友人が降りられ、話はやっと中断される。次、私は、門真で降りるのだが、彼女がもし同じ駅で降りられたら、お顔を拝見したいと思ったが、また、そうされたらきっと松下電器関係のひとだろうと思ったが、降りられなかった。お顔も拝見できなかった。不健康な健康談だと思った。

2007年11月15日(木)
「ミートホープ」「比内地鶏」の功績

◇大阪コミュニケーションアート専門学校訪問(11:00〜12:00)
◇「ミートホープ」「比内地鶏」の功績
豚の心臓をミンチにして牛の鮮血をかけて牛肉ミンチと偽って販売するのは許されない。もう卵を産まなくなった「廃鶏」の肉の燻製を「比内地鶏」のそれと偽って販売するのも許されない。しかし、少し観点を変えて考えると、ミートホープは、豚の心臓をミンチにして食べても牛肉のそれと、あまり区別がつかないくらいだと教えてくれた。「比内地鶏」は、「廃鶏」を燻製にすれば、比内地鶏と区別がつかないほどに美味だと教えてくれた。商品をつくる原料として省みられなかった豚の心臓や「廃鶏」に、この両社は、商品価値のあることを教えてくれた。偽って販売したことは裏切り行為だが、正々堂々と「豚の心臓二度挽きミンチ」「廃鶏燻製」と書いて販売すれば、むしろ、食材の新開発ということでほめられるべきではないか。廃物同様(廃鶏はかならずしもそうではないが)だった食材をつかって、そこそこの料理まで価値を高めた技術力は、むしろ立派だと賞賛すべきではないか。船場吉兆の経営者が、みずからの非を認めず、他に責任をなすりつけているのは、救いがたいし、ここには技術上の工夫もないが、「ミートホープ」「比内地鶏」は、船場吉兆とは、問題の質がことなるのでないかと思う。

2007年11月16日(金)
8年まえのブッシュさんといまのクリントンさん

◇久しぶりに仕事の予定も夕食の当番もない。ほっと、ホット。

◇8年まえのブッシュさん
昨日、福田さんがブッシュさんとの日米首脳会議へと米国へ発った。8年前、世界が、新しいミレニアムを迎えようとしているとき、ブッシュさんがゴアさんとTV討論会などをやっていたのを思いだす。二十世紀を総括して新しい世紀に新しい時代の流れを期待する報道が多いときだった。私自身は、二十世紀を、「戦争の世紀」「経済発展最優先の世紀」「地球破壊の世紀」と総括し、二十一世紀は、「エネルギー革命の世紀」「新しい繁栄の価値創造の世紀」「力によらず徳による国際協調の世紀」であってほしいとねがっていた。そんなとき、ブッシュさんが大統領候補としてゴアさんと論戦を戦っていた。ブッシュさんは、「米国の石油の大増産」「世界の指導者としての、経済的・軍事的に強いアメリカ」をかかげていた。世界のリーダーとなるアメリカ合衆国大統領候補が、二十一世紀に向けた新しいビジョンもなく経済と軍事による力の自国高揚主義を唱えたのでは、この人が大統領になれば、世界は、経済的にも政治的にも二十世紀に逆戻りさせられると、大いに憂えたのだった。

◇いまのヒラリークリントンさん                           それから8年、いま、初の女性大統領をめざすクリントンさんが、がんばっている。しかし、この人にもブッシュさんと同じ体質が匂う。視野の多くが、アメリカ内政、とくに中間層の復権にあり、目線が、国際社会や地球に向けられていない。いや、それらを包む大きなビジョン、理念といったものが伝わってこないと思う。これからの政治家は、いやおうなく地球や地球環境、そこにすむすべての生き物に責任をもたなければならないという意味で、限りなく「神」に近い聖職といえよう。ことばをかえれば、心に厳然とした「サンクチュアリ」、つまり冒さざる聖域をもつ理想主義者でなければならない。キリスト教でいえば、モーゼの「十戒」と「山上の垂訓」、仏教では釈迦の「五戒」とたとえば「般若心経」といったものが、その心に宿っていることだ。これからの指導者は、そうした人類の叡智、理想といったものが備わっていないと地球やそこに住む全生物を救うことはできないと思う。
そのような観点から見れば、クリントンさんには、そのサンクチュアリが見えないし、その具体化としての「エネルギー革命」や「キリスト教国代表としてのイスラム諸国対応の軸」「経済発展と繁栄を統括する新しい価値創造」といった、二十一世紀的なビジョンが見えてこない。情報が乏しく私がしらないだけならよいが、もし、私の目が的中しておれば、彼女が大統領になっても、これからの8年は、地球環境改善の取り組みや国際政治の安定、繁栄の新しい哲学樹立などについては、米国にあまり期待できないだろうと思うのである。

そういう国と同盟関係の深い国は、そんな相手さえを越えることがいっそう困難なのかもしれないと嘆いたりする。

2007年11月17日(土)
「サンクチュアリ」

◇デジカメ同好会の例会、手帳に記入を忘れていて、結果、無断欠席になってしまった。

◇忘れた原因は、玄関まわりの剪定。昨年は、さぼったと思うので、二年ぶりのはず。長時間は疲れるので午前のみで終わる。あと、延べ七日は必要だ。剪定ばかりが頭にあり、予定を思い出す余裕がなかった。


◇「サンクチュアリ」                                 昨日、ブッシュさんとクリントンさんのところで、「サンクチュアリ」ということを書いた。キリスト教なら「十戒」「山上の垂訓」、仏教なら釈迦の「五戒」とたとえば「般若心経」と書いた。これは、もちろん、ひとつの例示で、キリスト教と仏教だけを偏重しているわけではない。早い話、「人間の有限性」に謙虚であればよいということだ。「信じるものをもて」というより「畏れるものをもて」ということかも知れない。人間、どんなにがんばっても100年は生きられない。どんなによくできるひとでも、全知全能ではありえない。欲もある。だが、まつりごとは、エンドレスの駅伝である。どんな偉人政治家といえども、その一区間を全力疾走するにすぎない。そういう限界ある人間でありながらも、まつりごとを任され、人々、生き物、地域、地球の命運を握る立場にあることを、深く心にきざまねばならないと思う。絶えず原点に戻り、だれのためのまつりごとかを絶えず考え、三人よれば文殊の知恵、周りとよく相談し、後継者を育てていることが大切だ。こういう思いをもつことが、「サンクチュアリ」を心にもつことだと思う。

小さな商店の経営でも同じだと思う。「畏れ」を知らない経営者が、繁栄を築くことは、ありえないと思う。

2007年11月18日(日)
「十戒」と「五戒」

◇今日は、ガレージまわりの剪定。10:00〜14:00 高枝鋏を使い疲れた。
◇「十戒」と「五戒」
「十戒」
エジプトに囚われていた古代イスラエル民族を、モーゼが救い出したとき、シナイ山で、雷鳴と地震と角笛の音のうちに、神ヤハウエからモーゼに告げられた律法とされる(旧約聖書 出エジプト記)
1.あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
2.あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
3.あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
4.安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
5.あなたの父と母を敬え。
6.殺してはならない。
7.姦淫してはならない。
8.盗んではならない。
9.あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
10.あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

「五戒」
在俗信者の保つべき五つの戒(習慣)で、原始仏教時代すでに成立しており、他の宗教とも共通した普遍性をもつ。仏教と同時代に成立したジャイナ教(仏教よりは「苦行戒律色が強いとされる)では、5番目が「無所有」。
1.不殺生
2.不偸盗
3.不邪淫
4.不妄語
5.不飲酒

「結論」
これらを一言であらわすのは、無謀すぎると思うが、あえていえば、「むさぼるな」「足るを知れ」ということだろうか。


2007年11月19日(月)
「擬態仮説」

◇久しぶりに予定なし。遠藤秀紀「人体 失敗の進化史」(光文社新書)を、たまたま書店で見つけ、面白く読んでいる。著者は、京都大学 霊長類研究所教授。「遺体学」の提唱者だそうで、現生の動物のなかに、あたかも化石を掘るように、進化の足跡を掘り当てようという研究者。その面白い解説書で、大航海時代、新しい大陸や未知の国々が次々と発見されていったような興奮を覚えながら読んでいる。私の進化観と似ており、共感するとことが多く、実に面白い。

◇進化のしくみX 「擬態仮説」
1.擬態は、基礎に防衛本能があり、たとえば魚が、明るい光や動く影に反応して岩陰などに隠れる行動が原点となっている。
2.行動の原理は、視覚または皮膚感覚が、光または動く影をキャッチすると、電気信号が脳に送られ、移動せよと移動機能に命令をくだし、岩陰や自分の体色と同じものに到着すると、視覚または皮膚感覚が電気信号を送らなくなり、危機感を脱出することになる。
3.一方、生体は、視覚または体細胞が、外界にひらかれており、それを模写する機能を備えている。普通、体細胞は、DNAをコピーしたRNAという現場展開図によって作られるが、仮に、RNAには、DNAからはなれ、一時的に外界から得た情報をそのまま体細胞へフィードバックする機能が備わっているとする。
4.個体が、防衛本能を働かせねばならない緊急事態に遭遇したとき、つまり、光を受けたり動く影をキャッチしたとき、もぐる岩陰も同色の物体もなかったとする。そのとき、恐怖の電気信号がRNAに働くと、RNAは、いま直面する環境の色(保護色)や形態(擬態)と同じ色や形態に自らを変えるよう生体に指示をする。これは、岩陰や自分と同色の物体に到着したと同じ効果を生み、体細胞から防衛必要ありの電気信号が発しられなくなり、やがて保護色や擬態が解かれる。
このRNAの働きが、DNAに定着した場合が、いわゆる突然変異による進化であると、私は、考えるのである。

2007年11月20日(火)
魂の足跡

◇最近、現役時代に近しかったお二人の方の訃報に接した。最近は年賀状だけのお付き合いということもあり、事後だったので、お二人の声と笑顔を心に描いて合掌した。年末が近づき、喪中案内がたくさん届くので、いきおい、このお二人を思い起こす機会が多く、そのたび、やはりお声と笑顔に合掌している。歳を重ねると、不本意ながら、親しかった友人知人と「最後のお別れ」をしなければならない回数も多くなってきた。そんな折には、魂が身体から立ち去るとき残した最後の足跡だと、そのお顔に、冒しがたい厳粛な気持ちになって合掌をささげる。生前、笑顔の優しかった友人とのお別れのとき、毅然として静かな魂の足跡に接し、彼の本来の姿はこちらだったのだと、感慨深かった記憶がある。以来、彼を思いだすときは、笑顔ではない方のお顔が脳裏をかすめる。いままで接した多くの魂の足跡に、冒しがたい厳粛な気持ちで合掌をささげながら、願わくは、自分の魂が笑みを残してくれるよう祈り、日々、慈愛の心を燃やし続けたいと思う。

2007年11月21日(水)
後工程支配?

◇7:00〜病院付き添い 18:30〜22:00 交野の農と農地を考える会
◇商業資本が超大型化して、家電、カメラ、パソコン関連、野菜、魚、肉、その他食品と材料などの市場支配がすすみ、価格競争に太刀打ちできない小型商店、小型メーカー・農家・漁師・牧畜生産者が衰退の一途をたどっている。一世代前は、造る側が流通を支配して価格の安定を図った。消費者が高いものを買わざるを得ない時代だったかもしれない。後工程を造る側が支配?した時代だった。いまは、薄利多売の全国規模商売のため、消費者は安価なものがいつでも手に入るかわり、造る側、小規模経営にしわ寄せがいくしくみの時代となった。商業による前工程支配?の時代といえるかもしれない。こうした時代のしくみに負けまいとして、価格の通る地域ブランド商品の開発、自前商品の通信販売、ネット販売などが盛んである。独自の後工程支配?といえるかもしれない。「交野の農と農業を考える会」では、このような時代の波をかぶって青息吐息の交野の「農」に何か役だてないかと、ささやかなトライをしようとしているが、先日、大阪コミュニケーションアート専門学校を訪問したときの話は、示唆に富んでいた。この学校は、来春、「食料資源学科」を初開講するが、そのコンセプトが、生産者自身が、自らの生産物のブランド化をめざして加工し、自ら流通させるというものだ。話を聞いていて、ふと、米沢藩の上杉鷹山の藩政改革を思いだしたが、近郊農業のあり方はこれだと思った。つまり、生産物の高付加価値化による後工程の独自支配?というのだろうか。交野の農と農業を救うコンセプトは、意外にも、「鷹山の米沢織物」かもしれない。

2007年11月22日(木)
忙中「勘」X
◇19:00〜21:30 環境フェスタin交野役員会

◇「人体 失敗の進化史」を、ほぼ読み終えたところだが、いろいろのアイデアが浮かんだ。ここに書きとどめたい。
進化のしくみY
1.大進化には「前適応」があった
適応の目的対象は別でも、先に、「前適応」があり、大進化への準備が整っていたとする方が納得性が高い。進化のしくみUの1−1鳥はどうしてうまれたか の項で、「二本足歩行で身が軽く小動物を食べていた」恐竜は、鳥へ進化する恐竜の「前適応」種だったと考えるのだ。この種には、体毛にかわって原始的な羽毛があった、とすれば、もっと「前適応」度がたかまることになる。いずれにしても、マイナーチェンジのあとに、偶然、それで活路が開ける淘汰環境が現れ、大幅モデルチェンジが行われたと仮説するのが、スムーズである。
2.著者のいう「行き当たり場当たり設計変更」のもつ意味
魚の浮き袋が肺に進化したなど、原種では本来の使用目的でなかった器官が新種では、進化した器官につくりかえられということは知っていた。だが、この著者は、これを当然のできごととして次々と例を記す。これは、行動の変革⇒器官や骨の変革⇒獲得形質の遺伝 ということをいっているにほかならない。ということで興味深い。
3.この本を読みながらひらめいた設計変更原理のアイデア
3−1重力と抵抗の原理
ある器官が、新たな目的のために設計変更されるとき、どんな形質になるかは、その使われ方の部位の受ける重力と抵抗とによって決まる。重力や抵抗がかかると、その器官が運動するときにうけるそれらを、軽減し、かつ、支える形質へと自動的に設計変更していく。退化は、その逆現象だ。
この本でいうと鳥の肋骨から下骨盤までの形質がそれにあたる。
3−2トリガー原理
ある器官をつくる発生上の細胞分裂は、個々の作業でなく一連のプロセスをもったプログラムに基づいている。で、その第一歩となるトリガーの働きが異なると、プログラムの進行は、そのトリガーに適合する形で変更されながら細胞分裂を行うこととなる。哺乳類の内耳の進化がその例であろうか。
3−3未分化原理
特殊化するまえの、その個体の幼児期の設計図に変更が加えられることで進化が行われれる。この本では、人類の進化がそれでらろうか。
2007年11月23日(金)
NHKスペッシャル 「日本禅─生きる支え求める外国人たち」をみた

◇岡山県 曹源寺は、岡山城主池田綱政がひらいた禅宗寺院で、いまの住職が外国人を禅道場に受け入れてから20年になり、約30名の世界各国から集まった外国人が、本物の禅僧そのままに修行している光景が放映されていた。住職の教えは、「自分と向き合いなさい。自分はどこからきてどこへいくのか。自分とはなにかを、見つめなさい」という点にあるようだった。20年まえ、そうした「自分とはなにか」という疑問を抱いたアメリカ女性は、キリスト教会では得られなかった答えを、ここで得て修行をはじめ、住職を助けてきたという。彼女いわく「別に宗教がほしかったわけではない。自分とはなにかという、あふれるばかりの質問にキリスト教会では答えてくれる人に出会えなかったが、ここでそれに出会えた」と。彼らは、托鉢にも出、一軒一軒、経を唱えてまわる。「自尊心を捨てて托鉢に立ち、人々の善意をいただくことで、自分というものの姿がみえてくるのだ」が、住職の教え。アメリカで住宅関係の仕事で支店長を務めた40歳代の男性、努力しても思った結果がえられず、欝状態になり、心理カウンセラーなどを訪ねたが心癒されず、当寺を訪れたという。月一度の住職とのミーティングで、彼、「坐禅のときは心が平静だが、離れるとだめになる。どうすれば平静になれるか」 住職「貴方の修行は、『道場だけに修行』 日常の修行にはげみなさい」と、勧めたのは、「作務」に一心にはげむこと。やがて、彼は、日常で平静になれる自分を見出し、これなら、アメリカへ帰って仕事をしても、以前のように苦痛を感じなくてすむだろうという。22歳のイタリア学生、在学中、「テロや戦争の多いこの世の中で、自分は、どう役立てばよいのか」に悩み、当寺の門を叩いたという。例のミーティングでそれを住職に問うと、住職「就職と修行は別。社会にどう貢献するかのまえに、自分とは何かを見つめなさい。急ぐ必要はない」やがて彼は、「社会は、自分の思い通りに行かないところが多い。そういう社会を見つめながら、じっくり自分の進む道を見つけたい」と、大学に帰る決心をする。

◇道元は、若くして禅の修行に、交易船に乗って中国へ訪れ、まだ船中にあったとき、精進料理用に、干しいたけを購入にきた老いた僧(典座てんぞ)をつかまえ、「御坊は、もう、相当のお歳と見えるが、もう先も短い、そんな食事係などする時間を、なぜ、もっと経などの勉強にさしむけられないのか」ときいたという。老僧いわく「おぬしは、まだ、若い。禅の何たるかがわかっていない」とか、いったという。のち、道元は、「修証一如」(修行即成仏)であるから、「只管打坐」(ひたすら坐禅せよ)ととくが、この寺には、釈迦から道元にいたった仏道が、脈々と伝えられていると感激した。

◇わが国では、最近、精神の荒廃が憂えられているが、全国のお寺さんが、この曹源寺にならい、その宗派なりの教えで、大人・子どもいっしょの日曜学校や成人学級をひらいたら、どんなにすばらしいことだろうと思った。いまこそ、仏教は、巷で冷やかし半分の「葬式仏教」(失礼!)から脱皮する好機と思った。いまも、釈迦も道元も、たしかに生きていると、息遣いを感じた。

2007年11月24日(土)
竹村政春著「脱DNA宣言」(新潮新書)

◇例の知人からはまちがとどけられたので、刺身を作って夕食とした。夜遅く、別の知人から里芋、おおにたねぎ、大根、かぶなどがとどき、すぐにレシピが浮かび、明日はねぎですき焼き、大根はたこと炊き、かぶは千枚漬けにしてみようと思った。

◇風呂上りで二階に向かう階段の大きい明り窓から、晩秋の満月が、冷たくかがやき、左下に見えた大きい星は木星だろうか?

◇竹村政春著「脱DNA宣言」。今週日曜日の読売新聞本欄に書評が載ったので、早速、Yahooで取り寄せて読んだ。ほとんどは、もう数年まえに読んだ類書と同じだった。特に、著者が焦点を当てるDNAとRNAについては、大昔は、RNAが遺伝を伝える働きをしていたが、その後、RNAよりも安定した物質であるDNAに進化し、DNAから遺伝情報を転写したRNAが、現場で、たんぱく質を作るようになったというDNAワールトの前にRNAワールドがあったという話も、ずいぶん以前に読んだ。ただ異なるのは、最近のRNA研究の多くの成果をふまえ、DNAが決定論的に個体を支配・形成しているのでなく、RNAこそが、多様な働きでもって個体を形づくるのであり、DNAは、そのバックアップコピーに過ぎないといいきる点が新しい。それに、最近、ネイチュアー誌にのったという、「精子は父のDNAだけでなく、RNAを伝えている」「RNAキャッシュ」といった新情報は面白い。


◇私も、著者の考えに大賛成である。というのは、「個体を決定づけるのはDNAである」といって「DNA⇒RNA⇒タンパク質」という一方通行しか認めない、一神教的な「セントラルドグマ」の考え方では、生命が、何億年もかけて環境との間でつくりあげてきた生命体のドラマッティクな変遷を説明することは、できないと思うからだ。存亡の危機に瀕した生体の悲鳴を、RNAがDNAに、逆転写してDNAを書き換え、生命体が新しい環境に適応していくという、日本の国づくり神話ではないが、もっと多神教的な力のフィードバックがなければ、説明がつかないと常々考えているからだ。この著者の視点に立てば、獲得形質遺伝におけるDNAとRNAの役割分担を、もっとスムーズに説明できそうだ。

◇一昨日書いた「3設計変更の原理」の3−4.に「分子レベルの自動設計」という一項が必要と思った。とくに「形質」の「質」の変化を考えるとき、重力やその器官の果たす化学的機能との関係で、分子レベルでの自動的な働きは無視できないと思うのだ。

2007年11月25日(日)
ギックリ腰になった

◇11/27は、男の料理の日。「タラのホイル焼き」を予定。教科書を少しアレンジしたレシピを姪(大江)につくってもらい、彼女から、参加者人数によって計算した食材の購入量を購入当番にメールしてあるのだが、電話が入り、「北海道の海がシケて、当分、タラは入荷しないらしいが、どうしよう」とのこと。仕方なく、キングーサーモンを予約してもらうことにした。

◇夕食は、予定通り、すき焼き。翌日の夕食の一品に、大根とたこを薄味で炊いた。かぶの千枚漬けは、まだ、作っていない。自分では一度も漬けた経験はない。亡き母が、晩秋から冬にかけ、いつも作っていた様子を思いだし、材料と手順と味を頭に描き、レシピは組み立てた。もう食感までできあがった。うまく漬かったも同然だ。

◇3日まえギックリ腰に襲われた。不自然な姿勢のまま片手で、ひょいと重いものをもったらやられた。夜だったので、すぐ風呂で温めようと、どうにか裸になったが、片足しか浴槽をまたげない。もとにもどせず、やっとシャワーに手を伸ばし、腰に熱湯をかけると、どうやら腰が曲り、足が動き始めた。浴槽では、首の回転運動と上半身のストレッチを行ったら、ずいぶん楽になった。這うようにして二階の寝室に体を運び、「棒ダラ」を畳むように横になった。翌朝起きると、すっきりしているので、これは腰を休憩させるに限ると、一日、本を読みながら横になっていた。しかし、知人からハマチが届いたので、仕方なく、起きだして刺身を作った。中腰で料理すると、また怪しくなってきた。今度は、テーブルで椅子に座り料理した。中腰でいると、上体が腰に乗らず、上体が前傾のままになる。上体を立てようとすると、腰が引きつって痛い。そこで、少し膝を折り、シコを踏むようにして腰に上体を乗せ、あとから膝を伸ばすと、すっきりと腰が立つことがわかった。

◇原因は、運動不足。それに、2回、不自然な姿勢の剪定をやった。直接の原因は、姪に頼まれ、30キロの玄米を2袋、精米所に持っていって精米し、持ち運びしたことに違いない。そのときは、ぜんぜん異常がなかったが、翌日、不自然な姿勢で、ばらの写真を撮ったとき、上体が起きず、精米のことなど念頭にもなかったので「変だぞ…」と自分を怪しんでいた。原因はわからないままだった。そこへ不用意に重いものを持ってしまった。

◇年齢を考え、適度にせねばならないと、痛感。

2007年11月26日(月)
ひとつのことが気になって仕方ないときの対処
◇天の川を美しくする会常任幹事会 PM6:30〜8:30

◇とくに人間関係、自分とのかかわり深い出来事などで、気になって仕方ないときは、どうするか?
1.とにかく、まず、吐き出す。
そのことで気になる内容を、紙に書くなり、人に話すなり、とにかく出し続ける。胸にしまっておかないで出し続ける。
2.そのうちに、少しこころが落ち着いたら、その事柄と自分との距離のとり方、スタンスのとり方を決める。
やり方は、大きくいって二つある。一つは、自分の関心外に追いやってしまう。もう一つは、自分の関心内に置いておくが、距離を置く、近いところに置くが自分のありようをこれまでと変える。
できることなら、自分の関心内にとどめておいて、そのことを乗り越える形で、自分とのかかわりをもてたら最高だ。
3.乗り越える形でかかわるには、補助線、高見梯子が必要だ。
気になるそのことばかりを考えていると、視野が谷底に落ちてしまう。何でもよいから、何かに熱中する。何でもよいから、役に立ちそうな考えを探しあさる。つまり、その問題から、少し心理的な距離をとると、そのことが客観的に見えてくる。あるいは、心が落ち着いたなかで、そのことを、悲しいけれども、受け入れなければ仕方ない、といったことが納得できるようになる。とくに、この3をやるには、体を動かすこと、行動することが大切だ。

◇専門家でないから外れているかも知れないが、これを禅の修業にたとえれば、1は読経に相当するだろう。とにかく、心にたまるエネルギーを放出するのである。思いでも声でも出しつづければ、無念夢想になりやすい。2は、坐禅に相当するだろう。心静かに自分と向き合うのである。3は、作務や托鉢に相当するだろう。体を使ってある事柄に熱中するのである。補助線によって正しい解答が見えたり、高見の梯子に登ると解決の道が意外なところに走っていたりするのである。

◇気になることは、忘れること、逃げ出すことで解決するのでなく、消化すること、乗り越えることで解決したいものだ。

2007年11月27日(火)
『帝範』の教え

◇9:30〜12:00 男の料理(講師) ◇14:00〜15:00 第6回JRウォーク全体会議

◇読売新聞夕刊に「教職大学院19校新設」という記事があった。即戦力となる教員養成のため、大学卒業の学生に指導法や学校経営を学ばせたり、現場教職員の研修の場とし、昨今、国民に高まっている教育への不信を拭いたいという。これには、3つくらいの疑問を感じる。1つは、教職大学院の新設などでは有能な人材は集まらないと思うのだ。民間企業に劣らない賃金制度が必要と思う。第2は、大学4年間の教育のあり方である。この多感な時期に、特に貧困にあえぐ国々に短期間教師として派遣したり、民間企業で実習させたり、疲弊しつつある農、漁、林業などを体験させるなど、世界と日本の民を憂える人材を育てる仕掛けが必要である。教育は、小手先の「指導法」や「学校運営術」で太刀打ちできるような、安易なものではないはずだ。第3は、国民、すべて人材であるという信念が大切である。いわゆる「学力」が教育の根幹ではなく、「人材」が重要視されなければならないと思う。

◇その「人材」について、唐の太宗が晩年に、あまり政治に関心をしめさない後継の実子にのこした「帝範」から引用してみよう(筆者の私訳)


◇「人の才能には、大小長短がある。どの職位にはどのような人材が適切かをよくわきまえ、もっともふさわしい人材を充てよ」の章
「国のすべての職位がよく機能するには、リーダーの人間性が大切であって、草木が風になびくように、その人間性によって感化することが理想だ。人間性の高いリーダーが人を職位につけるのは、名匠が木を裁断するのと同じだ。まっすぐな木は、牛馬に車をひかせる二本の長柄とし、曲ったものは車輪とする。長いものは棟木やうつばりとして屋根を支えさせ、短いものは、ますがた・たるきとしてひさしを支えさせる。だから、曲っていようがまっすぐであろうが、長かろうが短かかろうが問題でない。すべて役立つところがある。人間性の高いリーダーが職位に人をつけるのも、まったく同じである。智あるものは企画にあたらせ、無知なものにはその力を発揮させる。勇敢なものにはその威力を、臆病なものにはその慎重さを用いる。だから、智も無知も勇敢も臆病も関係ない。配置の妙を得ればよいのである。だから、良い大工は廃材をつくらないし、人間性の高いリーダーには見捨てられるような人材は出ない。一つの悪事でもってその善行を忘れてはならないし、小さな欠点があるからといってその功績を見失ってはならないのである」

2007年11月28日(水)
鮎返しの滝

◇鮎返しの滝視察 PM14:00〜16:00枚方土木事務所長以下関係者、交野市副市長以下関係者、観光協会佐藤以下関係者

第一回目の鮎返しの滝調査をして「提言」をまとめたのが、2005年12月28日。それから2年目にして、ようやく、第二回目の視察が実現した。交野市の熱意で枚方土木事務所長も参加され、意義深い視察である。確か昭和30年代、新しい磐船街道ができて旧道が廃道になって以来、放置されたままなので、旧道跡は、どこの所有の土地かも定かでない。当時、問題提起しなかった交野市の担当を恨むが、それはさておき、そういう中での復旧だから、そう簡単に運ばない。今回、関係者が集まっての視察が実現したので、ぜひ、意義あるこの第一歩を先へ押し進めたいと願う。

<鮎返しの滝復旧提言>

http://www.hi-ho.ne.jp/ayakouji/iwahune1.htm

2007年11月29日(木)
千枚漬け

◇K氏お見舞い AM11:00
◇前夜、千枚漬けつけた。いただいたかぶの皮をむき、包丁で縦半分に割ってから薄切りにした。スライサーがあればいいのだが…。中くらいのボールにかぶの薄切り5枚、出し昆布の2センチ×5センチ角1枚、塩、砂糖、酢少々をくりかえしす。すべて漬け終わったら、ルーズにラップした上から皿をうつむけにふたをし、少し小さめのボールを載せる。ボールの上に、「○○辞典」といった厚い本を積み上げ、暗所に置く。一晩で、朝、少し「ひがらい」が7割方、漬かっていた。夜は、「ひがらさ」が消え、100%漬かった印象。市販ものと違って、歯ざわりが新鮮でうまい。お袋の味の所為かもしれないが、市販のそれの「ぐみぐみ」の歯ざわり感は、しゃきっとしないので好きでない。イメージ通りのできであった。昔の見よう見真似で、これが本式かどうかは、まったく知らないのだが…。

2007年11月30日(金)
所詮、自己満足なのだが…

◇星の里めぐりウォークの道案内ラミネート取り付けAM9:30〜12:30 ほしだ園地やまびこ広場からいわふね神社への坂道の落ち葉清掃13:30〜15:00

◇第1回星のまちめぐりウォークは星田のまちをめぐってから星のブランコを訪れた。そのとき、平田政信さんの提案で、一回のウォークのためだけでなく後々の道案内になるからと案内のラミネートを、星田区長の許可をいただいて取り付けた。それから2年半、明日、同じコースのウォークを実施するので、今回は少し進化させたものを取り付けた。先の道案内板は、平田さんの思惑どおりかなり役立ち、星田を訪れるひとには便利だったようなので、今回は、さらにわかりやすい工夫をした。しかし、よくよく考えると、誰から要請されたわけでもなく、また、これで星田を訪れる人が増えたとしてもだれが喜ぶというのでもないのに、和久田さんなど町の歴史家が残された資料を引き継いで、ウォーク客には「星田では、ぜひ、こことここを知ってもらおう」と入念にコース選定や案内パンフレット、案内板を作るが、「所詮、自己満足ではないか」と思う。このボランティアをやって、誰からほめられるわけでも、お金が儲かるわけでもない。あえていえば、「ただ、すきだからやっている」にすぎない。ただ、「自己満足」ではあるのだが、できれば、このまちに伝えられてきた文化伝統といったものが次代に引き継がれるのに、少しでも役立てばと願うばかりである。