2007年12月1日(土)
観光ボランティア記、連載

◇第6回 星の里めぐりウォーク(JR星田駅⇒星田まちめぐり⇒妙見宮⇒星のブランコ⇒展望所⇒いわふね神社(オプション)⇒星の里いわふね(解散) 9:00受け付〜15:00最終解散 150名参加 ここ一週間の冷え込みで全山紅葉し、最高の見ごろであった。人数が減ってきたので、コース選定の新鮮さ、PRの仕方などの工夫が必要のようだ。

◇「女性は、なぜ、長生きか」
その理由は、家の雑事を黙って引き受ける忍耐とこまめさにあると考えている。小生も長生きし、いろいろなことをしたいので、家事をいやがらず引き受けている。過労はいけないが、家事でこまめに体を動かすことは、健康の秘訣と思う。

◇今月から、このWeb日記は最小限にとどめ、できるだけ書き始めている「観光ボランティア記」を仮アップで連載していこうと思う。

2007年12月2日(日)
半歩、踏み出す心がけ

◇坂井さんご夫妻送別会 16:00〜19:00 妙見坂に40余年住んだ坂井さんご夫妻が、筑紫野市に転宅されるので自治会館で送別式。こうした会の最高の72名が参加。

◇半歩、踏み出す心がけ
定年になると、報酬をもらってする仕事のプレッシャーから解放される代わり、奥さんなど家族からの頼まれごとがないかぎり、誰からも何のあてにもされないし、これをしなければならないという義務もない。毎日、仕事仕事と追われていたときには、まるで夢のような話だ。しかし、これが毎日続くと、退屈地獄に堕ちるだけでなく、頭も手足もさびついて、まるで何年も風雨にさらした自転車のようになってしまう。そうならないためには、一歩とはいわない。半歩、自らすすんで踏み出す心がけが必要だ。家事でも自治会の仕事でも、パソコンの勉強でもよい。とどまっていては、億劫病の餌食になるだけだ。

2007年12月3日(月)
実るほど、頭を垂れる稲穂かな

◇病院付き添いAM8:00〜14:00   交野の農と農業を考える会 定例会議 18:30〜21:00
◇12/1の星の里めぐりウォークのアンケート結果がでた。 アンケート結果
◇実るほど、頭を垂れる稲穂かな
幼いころから、私は、「それ、ぼく、知ってる」とひとの話に割って入る嫌味な子であったそうだ。両親から折りにふれ「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」と注意された。育った京都の上鳥羽はまわりが田んぼだったので、母には、稲穂をみせながら諭された。小学校3、4年生になると、やはり両親から「驕る平家、久しからず」という注意が加わった。さらに父からは、「源氏の大将頼朝は疑い深い人だったから、弟義経を討った。ひとを疑ってはならぬ」とも常にいわれた。いま、どれだけ実ったか、どれだけ頭を垂れているか、怪しい。驕っていないか、疑っていないかは、さらに怪しい。

2007年12月4日(火)
松愛会 北大阪支部  社会福祉法人豊中愛和会 障害者施設あすなろへ車椅子贈呈

◇首記車椅子贈呈式出席 11:00〜
松愛会北大阪支部が、約3年かけてプルタブ200万個、800キログラムを集め、環公害防止協議会から引き換えにもらった車椅子をあすなろ施設に贈呈。その贈呈式に参加した。この施設からも60キロくらいのプルタブをいただいたそうだ。車椅子をお金に換算した価格なら、たいしたことはないが、1個0.4グラムのプルタブを1トン近くも集めるのは、神技に近い。この忍耐と数え切れないほどの人たちの好意が尊い。後から施設を見せてもらったが、授産施設で一生懸命働くひと、それもできず、一日横になったままのひとたちを見るにつけ、この車椅子一台が施設関係の皆さんに、どんなに励ましになるか、と思った。同時に、こうした人たちを社会の輪に入れる努力をしない政治があったとしたら、心の貧しい国だと思った。







2007年12月5日(水)
身体髪膚これを父母に受く

◇松愛会事務局長小林文夫さんが午前1時すぎ心不全にて急死。享年59歳。固辞していたのに、昔、私の部下だった彼の要請で松愛会の副会長を受けた。かつての有井貞登さんのときと同様心が痛む。

◇小学5、6年生のころ、いたずらばかりしてよく怪我をする私に、父は、「身体髪膚これを父母に受く。あえて毀傷せざるは孝の始めなり」(出典:孔子のことばを収めた「孝経」)と教えられた。父は「親孝行などしてくれなくていい。おまえの身体を大切にし、生命をまっとうしてくれたらよい。それが唯一の親孝行だ」といった。子を持つ身になって父のこの言葉はこころの芯まで染みるようになった。小林さんには、もっと親孝行してもらいたかった。

2007年12月6日(木)
親から学ぶ

◇小林文夫さん葬儀 AM11:00〜12:00 気分の晴れない一日だった。

◇先日、OECDの世界調査の結果、日本の学童の「考える学力」が降下し続け、10位くらいに下がったということが話題になった。文部科学大臣の答弁もあまり「考える力」を感じさせないものだった。哺乳類のほとんどは、子は、生きる術を親から学ぶ。くじらは泳ぎさえ親から学ぶ。わが国の学童の考える学力が低下しているというが、哺乳類全般から類推すると、こうした力に対して、学校より家庭の影響が圧倒的に強く、その責任は、学校よりも親にあるのでないかと思う。

◇私の体験では、家庭の影響が大きかった。私の小学1、2年生は戦時中で、天気予報というものがなかった。昔は、そんな便利なものがあったと父に教えられ、明日、明後日の天気を予測したくってならなかった。どうしたらわかるかを聞く私に、父は、「医者へ行って注射液の空いたカプセルをもらってきて、水を入れ口を下にしてつるすとよい。雨は低気圧のとき降るが、低気圧になれば、カプセルから水滴が滴下するはずだ」と教えてくれた。この天気予報装置が、原理的に正しいかどうか、いまだに知らないが、ともかく、すぐ近所の医者にいって訳をいい、何本もカプセルをつるしたが、予測に成功しなかった。

すると、父は、また、「隣の家の玄関には、馬のしっぽの毛をよじって作ったお天気予報の置物がおいてある。雨が降るときは、傘をさしたお人形がでてくる。お隣へ行ってしくみを見せてもらい、妹に頼んで髪の毛を少しもらい、同じものを作ってはどうか。馬の毛も女の子の毛も大してかわらない」と教えてくれた。これは、妹の了解を得られずに失敗。

つぎの私の要求に対し父は、「どこの地方にも天気を知る方法が昔から伝わっている。あの山に雲がかかれば雨、こちらの山に雲がかかれば雪などと言い伝えられている。お前も、周りの様子を観察して、そういうものを発見したらどうか」お陰で、天気についていろいろ観察するようになったばかりでなく、風向きや雲行き、体感の温度や湿度で、動物的に天気を予知できるセンスが身についたし、特に、昭和25年ジェーン台風で恐ろしい目に遭って以来は、台風予報を頭に入れ、雲行きや風向き、体感温度・湿度などでかなり的確に、いま、台風が、どこを通過しているかを予知できるようになった。

小学4、5年生のころは、ベルやモーターの原理を聞くと、教えてくれ、こうしたら大事なポイントをクリヤーできるから作ってみろといわれ、教えられた通り、自分でブリキ缶を切って、いくつも試作品をつくったものだ。いまも、自分で考え、自分で作るのが大好きだが、こうした態度は、学校よりはほとんど家庭で身につけたと思う。

2007年12月7日(金)
教育は、チンパンジーに学べ

◇一日ぼんやりとしていて、ふと気づくと、小林さんの死を考えていた。

◇OECDの世界「考える学力」テストで、日本が、上位から転落したことに関し、性急な原因探しと対策として「フィンランド方式」がよいと騒がれている。日本は、何と「考える学力」の貧しい国だろうと思う。それに、小手先の技術論ばかりで国家教育100年の計をもたない国だと情けない。

まず第一は、人材観をこれから100年、国民に徹底すべきと思う。その徹底すべき人材観とは、「明匠に廃材なく、明君に棄士なし」(出典「帝範」)、つまり、「国民すべて人材で、その特徴に応じて所を得させるのが教育であり、国家の責務」という思想だ。第二は、人間は哺乳類という考え方だ。この原点を忘れては何もできないと思う。哺乳類は、すべて生きていく技を親、特に母親から学ぶ。それを、父親やコミュニティーがバックアップする。われわれの兄弟ともいうべきチンパンジーの社会では、それが、実に、よくやられている。「国民悉皆人材」の観点に立ち、家庭や地域の教育力をアップすべきだ。学校を開放系にして、親・地域も教育の場として取り込むことだ。第三は、本来的な「学ぶ行為」と、特に高校・大学の入試テストをできるだけ一致させることだ。本来「学ぶ」とは、自然や社会の具体的な現象・事象に興味をもち、その成り立ちや原理をときあかすことだ。知識は、そのための一道具にすぎない。ところが、入学試験では、その知識をどれだけ暗記しているかを問う。そうではなく、知識を用いて「現象・事象をどう解明し、どう扱おうとしているか」を問うべきなのだ。その「学びの基本」と「入試」の乖離が教育を混乱させている。

多感な小学生の時代、朝から晩まで、自然や社会から隔離して、学校と塾の狭い空間に閉じ込め、ただひたすら「知識の棒暗記」を強いているのでは、自然や社会の現象・事象を知らず、したかって考える力もなく、根無し草の知識しかもたない子が育つのは当然といえるだろう。