◆まち並みは、そこに住まいする人の顔です。親から子へ、子から孫へと伝え られた顔です。京都祇園には祇園の顔があり、倉敷には倉敷の顔があります。 きさいちのまち並みを歩くと、どのような顔が見えるでしょうか。 国道168号線からの散策 |
◆交野三山(交野山、旗振山、竜王山)の眺望の美しい「旧山の根の道」。この道は二万年まえ、旧石器時代からあったとされ、二上山(奈良県)から石器の材料となるサヌカイトという硬い石をはるばる交野まではこんだといわれます。 いまは舗装され、白壁の土蔵とも新しい調和を見せています。 ◆168号線の私市4丁目信号を東に向かうこの道は、私市の古いまち並みへ と通じます。 ◆白壁の土蔵の手前は、いま駐車場になっていますが、昔、私市農長二左衛門の屋敷がありました。 江戸時代、当地を訪れた貝原益軒は、「此辺は旅人の通路にあらざれば、村民 いつれも行客をいぶかしみて宿を借さずといえども二左衛門情ありて宿をかし あつくあるじもうけす」と『南遊紀行』に書きました。翌日、益軒は、この家から、獅子窟寺に向かいます。(次の写真へ) |
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◆すこし行くと、交差の位置が少しずれた「鍵曲がり」風の十字路があります。左右に走るのが旧磐船街道です。 ◆対角に建つ白壁と焼き板の土蔵は、このまちこだわりの建物です。家の豊かさをしめすシンボルでしょうか。大きな屋敷では、かならず、敷地の一角に土蔵があり、重厚で清潔な姿をみせています。 ◆この辺りの溝には、澄んだ水が流れ、まちなかなのにカワニナやシジミがたくさんいます。水利組合の人たちが、農業用に、天の川の上流から水を引き、まちに清流をめぐらしているのです。 ◆益軒は、郡津方面から(つまり写真左から)この道を通って(この辺りでは、山の根の道と旧磐船街道が重なります)二左衛門の家に宿をとり、翌日、この道を右にたどって獅子窟寺に向かったのでししょう。 (次の写真へ) |
◆旧磐船街道を越えると、すぐ右に、私市の代表的な美しいまち並みの一つが あります。斜め向かい同士に建つ焼き板張りの家と白壁の家のコントラストは見事です。とくに、奥の屋敷の白壁の見事さは、倉敷のそれにも負けないでしょう。 通りの奥にクロガネモチの大樹があります。仮に、「クロガネモチ通り」と名づけてみました。 ◆先へは「クロガネモチ通り」を戻らず、直進して「天宮神社」裏の細い坂道をたどります。 (次の写真へ) |
◆雨宮神社の裏道を登りきると、正面に白壁に瓦を葺いた見事な塀がありま す。これもこのまちこだわりの塀です。右手には、古いわらぶき家があります。 すこし以前には、このような家屋はたくさんありましたが、いまでは、このまま 残っていてほしい貴重なものになりました。 ◆先へは白壁の屋敷を右へ曲ります。(次の写真へ) |
◆迷路のような角を右に曲ると、山が見え、展望がひらけます。右手の屋敷の 塀は、やはり、このまちこだわりの立派な塀です。玄関の松も見事です。 ◆この松の玄関を右に見て左折すると、「しらさぎ通り」です。 (次の写真へ) |
◆白鷺城を思わせるような美しい白壁の塀がある通りなので、こんな名で呼んでみました。私市でも屈指の美しい通りです。まわりに門を閉ざした懐かげな古い家々の並ぶようすが、また、郷愁をそそります。 ◆写真の向こうから手前へ進んできて、右へまがると、山へと向かう道があります。(写真は、一たん、ここで中断し、京阪私市駅からの道を紹介しましょう) |