ええステキッチ!も
よくないステキッチーも
思いついたままに書いてみました。
街で出遭ったステキッチな・・・・・・・・・・・・・・



                                      下へゆく程新しくなります


1999/9

朝の満員の京阪電車で
立ったまま、コンビニおにぎりをむいて食べていたオネーさん。
海苔こぼれるやろ!座ってるオッチャンの膝に!!

淀屋橋の中之島の橋から見た四方の風景。
宵のネオンが川に映って、高速の灯が連なって、
都会を作り上げる人たちの夢を感じさせるような、
オモチャチックな美しい風景。


1999/10

昨日は電車の中で向かい合った椅子の列に座って、
それぞれに蛸焼食べてるカップルを見た。
これはJR東西線。

オミソまであと一ヵ月。
ジタバタしてやるー。

通勤の友、FM大阪でヨサゲなNEW ALBAMを発見。
タイトルは「ワレウタウユエニワレアリ」だって。
ALBAM買おうかな。
私はワレ○○ズルタメニワレアリ。
あなたは?

会社の近所の公園で
飼い犬の排泄の後、
丁寧にお尻を拭いてあげているご婦人を目撃。
とうとうここまで...。


1999/11

とうとう30歳になりました。
ひたすら感謝。


1999/12

おっといつのまにやら年の瀬。

「心の中の葛藤、きれいなもの、きたないもの、
ありのままが混ざり合ったグネグネとしたもの。
そんなものは、見せたくなければ、人に見せなくていい。
口からきれいごとで飾り、その光りの中で自分を照らし直し、
まっすぐ生きる勇気を取り戻す。」
そうしたいと思った12月9日。


2000/1

新年が明けました。
私も重ねた年によって、すこしづつでも磨かれてますように。
力を抜いていきたいな。

50代前後の男性会社員が来客に社員食堂の自慢を・・
「このビルの社員食堂はいいよー、
安いし、メニューは豊富だし、広いから。
それにねー食べた後、食器は返さなくても
テーブルに置きっぱなしで帰ってもOKなんだよ!」
とても胸はって自慢げでした。
近頃のおじ様のささやかな・・・。

今日、久しぶりに中之島の橋の上から河の向こうを眺める。
空に水色、白、黒、オレンジ色、灰色。
水面にもいろんな色。
人間が作らなくてもこの世には沢山のキレイな色があるよ。
そう思った。
でも、人間も頑張ってキレイな色を作り続ける。
だってキレイなものが大好きなんだもんね。。


2000/2

猫が獲物を狙って構えているところに出くわした。
お尻を振って、まさに飛び掛からんとする姿に「ネコ科」を思い出す。
チーター、ジャガーなどなどの弱肉強食の雄志たち。
それを思い出してもう一度猫を見る。う〜ん、ちょっと。
本猫は真剣なのに、不謹慎にも「イケテナイ」と思ってしまう。
でも、・・・・・愛敬も大事よね。

自分の体の中には色んな機能があって、私が命令しなくてもちゃんと
私の事を考えて細胞は動いてたりして。
病気とかした時でも、怪我した時でも。
ずっと前に負ってしまった深い傷だって、
意識のずっと下のほうでちゃんと手当てされているのです。
ふと、ある日目が醒めると、自分の心が軽くなっていることに気がついた。
心の傷もしかり。


2000/3

ちくちくと棘みたいに柔らかい葉にしがみつく霜。
子供たちに割られた氷。赤い山茶花。ビュウと吹いた強い風。
凍えて輝く星空。幾重にも重なり重なり何処からか舞い下り続ける雪。
チンと冷たい床。明るい白い朝。ボンヤリ明るい雪の夜の道。
なごり惜しいけど、もうオサラバですか。
今年の終わりにはちゃんと帰って来てください。
 もう虫が動いたと聞きました。。。

 そこのオヤジに告ぐ!
いくら京阪電車京橋駅名物フランクフルトが旨いからと言って、
それを鷲づかみで食いながら、私の愛する緑の新型車両に乗り込むのは止めてくれ。
フランクフルトを掴んだその手で、座席横の手すりを掴むのは止めてくれ。
その手で公然と鼻をホジるのはやめてくれ、銀色のきれいな手すりと己の鼻に
交互に手をやるのは止めてくれ!!
 世界のオヤジと呼ばれるオヤジに告ぐ!
屁も、鼻くそも、歯シーシーも、ゲップも、痰も、タバコも、なんでも、
頼むから、それを嫌がる声を聞きいれてくれ。
嫌がる声に「どうせオヤジは嫌がられるんだよ」とイジケルのは止めてくれよ。
イジケながら、また鼻に手をやるのはやめてくれよ。
私達だってオヤジさんが嫌いなんじゃない、
その行為やヤなんだよ。
共存しようぜ、オヤジさんよ。

夜、疲れてる満員電車の中で、
ひっそり耳にはMisia。
みんなと同じようにうつむいて暗い顔してるけど、
わたしだけ音楽の国にいる。
ごめんね、独り楽しくて。

なんだか心が沈んだ日には空もどんよりして重い。
こんな時は空の蓋がカパって開いて、
私を外へつまみ出して欲しいなあ。

マクドナルドのチーズバーガーセットが30円安くなってヤッパリ嬉しい。
コーヒーも改良を重ねているようで、蓋を開けると泡立っていた。
これでコーヒーカップが紙でなければ最高に嬉しいんだけ・・・やっぱ無理かな。

大阪市立医療センターのロビーにて。
若いお母さん 「(息子に)ほら、ジャンパー脱ぎなさい。」
幼い息子   「だって脱いだら注射されへんかなあ。」
若いお母さん 「されへん、されへん。」
どうなるんだろ。

鏡を見ると、
そこに在るのは30歳の私の顔。
最近30歳らしい顔になってきたと思う。この感覚はとても心地いい。
今は素敵。100点じゃなくても何かをちゃんと心得てる私がいる。
気懸かりなのは、過去をどれだけ消化できるかという事と、
これからの先の己の成り方。

はしゃいでつっぱしって来た感のある2月〜3月。
もう夢は醒めるのかな。
醒めたらどうなるのかな。


2000/4

棘のない薔薇のみっともないこと。

日差しが明るくなって、花が咲いて、色んな人と会い、
いろんな笑顔を見、いろんな言葉を交わし。
悲しいことは過去の事ばかりで今はもう無いような、
これから明るい行き先が見えているような、
それに立ち向かえる力がついてきたような、
と思うのは只の勘違いで、
本当は何も決まっていない不安定な所に立ち、ただ都合の良い夢を見ているだけのような不安。
色んな想いや感覚がごっちゃになって、何一つ確実な考えを建てられない、
今はそんな感覚。

4月7日 朝の通勤電車に入学式親子数組乱入。
真面目な制服姿の女学生の隣には
頭にデッカイ黒リボンと胸に大きなコサージのお母様。
うふふ、楽しんだ方が勝ちだもんね。レッツゴー!

会社の流し場に入社式に飾られていた山ほどの花が捨てられていた。
花が散った桜の木から、勢いよく瑞々しい若葉が芽を吹き出している。
シンピジュウムの花は捨てられてもなお気高く咲いている。
沢山の花。
食べ終わったお弁当のゴミ。
どうしたらいいのかわからない風景。

桜散り始める。
桜の熱烈な恋心に浮かされていた世間ももうすぐ夢から醒めるのね。
夢の後は何事も無かった様に初夏へ進むのです。

ちょうど広場の入口に差し掛かった時、
ウォークマンから音楽が始まった。
風がおこり、広場の先の桜の木々からぱっと花びらが散った。
私はその中をずんずん進んでいく。
沢山の桜の木から零れ落ちてくる花びら
美しい音楽 そして私。
一緒になれたような気がした
嬉しくなった。
花は私を許してくれたのだろうか?
そんな気がした。人間は楽天的過ぎるのかもしれない。

あなたを覆うような人付き合いの渦の中で
その瞳には何が映っているのだろう。

やりたいこと沢山あって、でもやらないといけないことも沢山あって。
体にまとわりつく様々な予定、計画に、自分の時間が追いつかない。
イッソの事、エビの天ぷらのようなこの状態から、
中身のエビ本体だけスルッと抜け出してセイセイしたい。
な〜んて想像してみたりして。


2000/5

「緑の革命」
毎年、この時期になるとそんな言葉が浮かびます。
この新緑の勢い。

エンジン暖めてばかりいないで、ぶっ飛ばすべきなのかな。
自分のお尻を叩くのは、自分しかいないね。

一人っきりでいるのは寂しい。と考えるのは、ツマンナイ事。
もっと一人の時間を楽しもうよ、ね。

緑の茂る奥の方に、紫陽花がパッと花開いてた。
紫、薄紫、白、色とりどりの変種のガクアジサイ。
もうすぐ6月、ちょっと不思議で楽しい季節。

「人類皆兄弟!」といっていた人が、
「戸締まり用心!」と言うのはおかしい!
と言った人がいると、ある文章で読んだ。

小学校一年生、やっと学校に慣れた頃かな。
朝の登校班の中では、まだまだ空ろな眼で
お兄さんお姉さんに学校に連れて行かれているという感じ。
ランドセルが重そうでフニャフニャとした子供も、半世紀で
横を通りすがる年輪深いオヤッサンのようになるんですね。

ゴスペルは人が神に捧げて一心に歌う歌だから
心に響くのかもしれない。

私は特定の宗教を持たないけれど、人間が信仰を持つことの素晴らしさは、
この世界で人間が一番でない事、唯一でない事を実感するということ、
ではないかと思ったりして。

電車の中で座っててね、目線を降ろすとね、
床からにょきにょきと沢山の足が2本づつ立ってるのがなんとなく面白い。
沢山のいろんな靴も結構面白い。

ムム、5月の言葉はな〜んかキレなしね。
6月はどうなるのかな。
(6/7に少々削除、修正)


2000/6

「うおお!一面鏡張りやでー」
それは、田んぼに水を張ったからです。
「うおー!鏡から毛が生えてるでー!」
田植えが終わりましたな。

蛙も大喜び。

私はイカるよ、
幾つになっても。
どうしても納得できない許せない事柄に出会ったら精一杯イカる。
それでいいじゃん。

「何か楽器をやるの?」と聞かれた時、
「ハラ太鼓なら・・・(←慌ててて腹ヅツミがでなかった)」
と、答えてしまう。
どうしてそうなる。

梅雨入りしました。
毎年体調がめっぽう崩れるのでこの時期は恐怖なのです。
でも、高層階から足元に豊かな河や潤う樹木を眺められる
今年の梅雨はちょっと違うかもしれない。
体が湿らずに、心が潤えば・・・。

今日はお隣の国の大切な日。2000.6.13
韓国と北朝鮮の首脳が手を取合った。
形だけでなく、ほんとに手を繋ぎ続けて欲しい。
地球上の沢山の偏見が消滅していって欲しい。
過去を正しく見つめられる目が欲しい。
明るい将来をみんなで望みたい。
だれでも、どんな人だって、生き物だって、
幸せに生きたいと考えているのです。

背広姿のサラリーマンを緑いっぱいの林の径に見かけるはカナリの違和感。
 (京橋OBP内に林を再現?ホタルの里公園より)
背広姿でバイクに乗る時ヘルメットがマウンテンバイク用なのもカナリの違和感。
 (とあるバイク駐輪場前で)
思わずほくそえんじゃうアンマッチエラー。

古いラジカセだったので、
STOPボタンを押すと、勢いよく早送りボタンがぶっ飛んだ。
京阪電車急行車両内に転がる。
見ていたのは男子学生一人だけ。
「あなたはラッキー!」

100円お菓子「チョコせん」を食べたすぐ後に
「白い恋人」を貰って食べた。
同じホワイトチョコなのに、ち、違う、味わいが違う。
ホワイトチョコの奥の深さに、目から鱗。

それまでは、な〜んにも無かった地面と上空の雲との間が、
一瞬にして雨粒に埋め尽くされる。
天気の力は凄いね。
こんな事は、当り前で知ってて何の役にも立たないへリクツだけど。


2000/7

良くないステキッチーですが・・・ネタにでもしないと割りが合わないので。
私の風邪には元気が無いです。
もうホゲホゲのデロデロです。
まだ三十路入りたてなのに、ひいた風邪に若さが足りません。
若い風邪なら、ドリャ〜っと高熱なんかが飛び出て、
風邪然の諸症状が必要以上の自己表現をカマシ、
ウギャ〜と言わんばかりの状態がまあ2,3日も続けば、
次のフレッシュな躰目指して、潔く我が身からは退いてしまうでしょう。
しかし、アタクシの風邪氏は、
「おい、それで熱出してるつもりかよ」てな微力な熱をいつまでも続け、
「う〜ん、何だかあ、やあな感じ」っちゅう、諸症状が交代ゞに躰を舐め、
ロバのパン屋ぐらいの速度でアタクシの躰を横断してゆきます。
え、まだいる気!そんなに私は魅力的?

●この風邪によって引き起こされた己の事態。
金銭的浪費。
体力的浪費。
気持のモヤ、大量入荷。
左右合わせて40度程度の視野。
●外界との接触状態。
多数の方より心配のお言葉を頂く。
しかし、本人やや?短気。
ウガ!なってないわ。

  今年の梅雨はビビリすぎて失敗したかもね。
  来年は強気、呑気、陽気でいくべし!

7月からの京阪電車ダイヤ改正で、
朝の急行に特急車両が使われる事になったらしい。(ほんの一部)
だから今日は綺麗な2階建て車両でゆったりとご出勤。
むふふふふん。
しかし、これは始業ギリギリ着の電車。
やばいのです。

今年も朝顔が植えられている事を
ひょろりと窓を覗くツルの発見で初めて気づいた。
母にカンシャ、感謝・・・。

窓から空を見上げると、
晴々とした威厳が伝わってくる。
夏になってきましたな。

長居のすし屋が店をたたむ。
いつも店の前に猫が居る、なんだかイカしたすし屋だった。
シャッターは降ろされ白い紙が貼られ、
親爺臭い筆文字で挨拶がこう書かれていた。
「50年間のご愛顧誠に有難うございました。
7月31日をもって閉店いたしました。」
なんだか胸にジンとくる今日は7月28日。

気の合う友達と
時間を気にせず、何もあんまり気にせず、
ただダラダラとお喋りを続ける。
そんな時が好き。
そんな時を降り返ると、肩肘を張らない自分がそこに居るのに気がつく。
毎日は、目標を見極め、自分の背中を押し、前進していきたい。
そして時には、心和むそんな空間にこの身を委ねたい。
な〜んて思いましたりして。

あんまり立派な入道雲をみると、
ほんまにその上を登山している人が居るんじゃないかとか
想像してみる。
居ないけど、居たらオモロイ。

健康診断を数年ぶりに受けた。
なんと背が伸びていた・・・・・。


2000/8

太陽ギンギンの真っ昼間、外気に家中への進入を許す。
無防備にさらした体の温度は上昇し、堪らず汗が噴き出す。
ああ、これこれ。この感覚。

四月、あれだけ優美に桜の花弁を散らしていた
公園の木々より、割れんばかりの蝉声。
何匹居るのだ!時間があったら数えてみたい。

自分の事を冷静な目で見つめられる姿勢も大切。
でも、それよりももっと、
ほかの人の事を冷静に解釈しようとする姿勢で居る事が大切かなあ
と、思ったりして。
判断するのではなく、理解すること。

蝉の声だけでなく、鈴虫らの声も聞こえてくる。
いや〜ん、なぜか焦るわ。

このマニアももう一周年だわ。
こうやって何かカタチで残すと一年が短く感じられるねえ。

矢野顕子の名曲「ラーメン食べたい」を奥田民夫が唸る。
 「女も辛いけど 男も辛いのよ 友達になれたら いいのに 」
 歌う人が違うと歌の意味も変わってくる。
 でも、其々の抱える思いは近いのかな。

今年の夏は、何度も空の綺麗さ、広大さに感動した。
感動した。でも、自分から動いて得た喜びではないね。
地上にいる全ての人に感動を与えてくれる空に感謝。
もっと動きなさいよ、シオヤン。

どんなにちっちゃいお家でも、
どんなに古くなったお家でも、
夜にその窓から灯かりがもれていたら
それだけで、とっても幸福そうに感じるのです。



2000/9

道端で鈴虫がチンチロリンと良い声で鳴いていた。
もし、世界の進化代表者が人でなくて鈴虫だったら
彼らはあの声にさらに磨きがかかる手法と訓練を開発するのかな。
そんな声を聞いてみたい。

三原色の青。
モノによって、この色を人工的に作り出すのが難しいことが有る、と聞いた。
人間には難しいのが、大気には簡単なのです。
あたりまえじゃ、と空は鼻高々。

真夏には恐ろしい程の勢いで鳴いていた蝉の遺骸が
カラカラと転がっている。ここにもあそこにも。
冬を越せる蝉はいないのです。どんなに沢山いても皆死んでしまうのです。
春夏秋冬、それぞれに死ぬもの枯れるものあり。
死はスペシャルではないの?
では一つ一つの生きるは?
ウリャッ!
・・・、空を見上げて自分の生命を感じてみよう。

今日はいずみホールで二つの形態のクラシックを聴いた。
アカペラコーラス
コーラス独特の愉快さ美しさ。
女声だけでなく、男声の優しい歌声に驚く。
天上へ上がる白い螺旋階段を感じた。
ヴィオラン独奏
無伴奏バイオリンパルティータ第2番二短調「シャコンヌ」14分。
演奏も中盤に差し掛かった頃からか、妙に意識が緊張してくる。
演奏者の右の傍らをずんぐりした三角頭巾の小人達が列になって通り過ぎる。
しばらくして彼らが消えると、次は左の肩の辺りに羽衣をまとう白蛇が宙に浮きつつ寄り添う。
(次に何が出てきたのか忘れてしまった)そうした幻想が、
しまいには演奏者自身の中に呑み込まれて
彼女の体で凝縮され、強力なエネルギーとなって空中に染み出してゆく。
何だろうこれは。
また知らない世界を知った。

夏への未練を叩き落とすように大雨が降る。



2000/10

どこからともなく不意によい香り。
金木犀の花は姿よりまずは匂いで存在を知らせる。
私もそれで行こうかしらん。
うっふ〜ん。

もうすぐ綺麗な夕焼けが見られる季節だな。
と、この時期になるといつも思う。
私の福井のおばあちゃんが、ウチへ泊りに来るとよく西日の入る出窓に向い
「夕焼けを見るとなんだか物悲しくなるねえ。」と真オレンジの空を見詰めていた。
まだハタチ前後の年齢の私は、「なんだか大袈裟」とこころの中で思っていた。
高校野球は負けた方が可哀相で見ていられないと言っていたオバアチャン。
母の料理をオイシイオイシイと沢山平らげていた
チョコレートをお土産に買って来てくれた
色々な仕事を経て沢山の芸を磨き先生と呼ばれていた
子供を過保護なほどに可愛がった
たくさん
たくさん
ちっちゃい頃だあい好きだったおばあちゃん。
若者の心でイライラとしてしまった事もあれど、ほんとはずっと好きだったはず。
もっともっと優しくしてあげたらよかった。もっと喜ばせてあげたらよかった。
目の覚めるような夕焼けを見る度に思い出す。
夕陽を見る度、そんな夕焼けを思い出す。

会社で胡蝶蘭をもらったので、家へ持って帰った。
大きな紙袋からなが〜い首を不安定にひょろひょろとだしている。
(花は薄い紙でカバーはしていました)
落としたらどうしよう。
折れたらどうしよう。
ハラハラしながら歩き、
電車に乗り、自転車に乗る。
大きな月がぽっかりと出ていた。
なんか無性に愉快な気分。

今日は飯盒炊爨
薪で火をたいて大騒ぎ。
しかし昔は皆こうしてご飯作って食べてたのねー。
当り前だが改めて想像してビックリ。

秋の草花群の透明感は
春のそれとはまた違うね。
地面から空の間へ広がる自由感 そしてはかなさ。



2000/11

毎朝通勤時にすれ違う男子中学生、
なかなかりりしくて賢そうな少年である。
7月にいきなり3枚刈にしていたので何を考えているのかと思ったら
夏休み明け9月にはその髪は天然に爆発しボンバーとなっていた
そしてそのまま延び続け、ある朝ポッカリ真ん中分けでデコをだしたかと思えば、
その数日後眼鏡が紺色のフチブトに変わり彼はPOP君に変身した。
麦の成長を見るより面白い。

いつもアレガイヤ、コレガダメ、といい続ける人がいる。
聞いているほうはうんざりして「アーア。」なんて思ったりするのだけれど。
毎日一つでも多くの楽しみを見つけて喜びを積み重ねるよりも、
たっくさんのイヤ〜なことを踏み分け踏み分けして貴重な喜びを掴み取る!
これのほうが宝捜しのようで刺激的かなぁ、なんて思ってみたりもするのです、
しまいには。

コンコン、ひそかにノックしたのかな?
足音もなく31歳がやってきました。

靴屋の隣の宝くじの売店で
「神様!靴が欲しい」と願って
スピード籤を買ったら100円当たった。
神様は靴の値段を知らないのかしら。

・・・と思っていたら次はナンニモ当たらなかった。
神様ごめんなさい。

家の近くにず〜っとある木材店の一角、
古いトタン作りの作業場が、シャベルカーで解体されていた。
ちょっと不気味な感もあった薄暗い工場、昔放火騒ぎもまじかで見た。
きのうバリバリと壊されてて今日は平地になった、跡地は月明かりでぼんやりと明るい。
こうして私の身近に当り前のように有るものが、順番に去って行くよ、
物も者も。
「待って」と言って待つモノはない。
全部は去ってしまわないよね。

私にとって大切な日がもう一日増えた
11月23日祝日
これからは勤労に感謝せず
私の大切な父の冥福を祈る日



2000/12

JR阪和線
隣に座る女性があまりにも真剣に「山崎流交際術」というのを
読んでいるので、ひさびさにウヒョ!っと体が笑う

もう年の瀬である。

都会に近い我が町の夜空
数は少ないながらも今宵はいつもよりクッキリと星が瞬いてるみたい。
色白の頬にあるホクロを思い出しちゃった。

灯油の匂いで冬を感じる。
またカサカサとして、でも美しい冬が来た。



2001/1

どんなに大人しくしていても、やっぱり新年はおとづれましたよ。
ほら、ちゃ〜んと新鮮な空気。

小火事を引き起こしてしまった。
ほんの1,2分目を話した隙に、古いガスコンロのグリルの中は
真オレンジの炎でゴウゴウとなっている。
水は全く役に立たない。
小型消火器で何度も復活する炎をやっと消し止めたら
台所と居間は嫌な色の煙が充満していた。
立っていては息ができない。
しゃがんでキレイな空気を確保し、ハンカチを口にあて立ち上がってそこらの窓をすべて開ける。
部屋の空気が清浄になるまで、そのまま座り込んでしばし呆然。
家族が帰ってくるまでに飛び散った油をキレイにしておかなければ・・・。
なにより不甲斐ないと感じるのは、危機ではあれどこうした体験をした自分を面白がれないワタシ。
肝っ魂の太さが足りない!

わたしはどちらかというと冬が好きだけど、寒くて辛いと思う人も多い。
冬の朝電車から見える空はどんなに目を凝らしてみても「たよんな〜いブルーグレー」
そのせいもあるのかしらん。
でもあのはかなげな様子もすごくステキなんだけど。

ボウズな桜の木
このガサガサ親父の枯れ枯れな木が、
春には一世を風靡し
初夏には若葉を燃やし
夏には蝉を鈴なりにし
秋には赤く変えた葉を撒き散らす。
すごいよなあ、コイツ見かけによらず。
近寄ると、ほらちゃ〜んと沢山の木の芽、抜かりナシ。



2001/2

(浮かばなかったのでオヤスミ)



2001/3

寒いけど、でももう外に出ても空気に苛められない気がした。
なんか仲直りした気分、外と私。

今頃の夕焼け空もキレイ。
淡い夕焼け色と澄んだ柔らかい水色がじんわりと混ざってゆく。
今日は色んな雲が浮いていた
嵐を起しそうな重い雲、薄らとはかなげな雲、もくもくと軟らかそうな雲、くっろ〜い雲。
こんなに色んな種類の雲が一緒にいてイガミ合わないのかな?
そうでなければそれで良し。

この冬に私の側から消えてしまったヒトは他にもいる。
京橋のガード下で毎週金曜日に唄っていた西井健次さん
樟葉駅近くの静かな道路に5個100円で商売をしていたたこ焼き屋のおっちゃん。
その時間にそこを通る度に目で探しているのにどうしても見つからない。
あなたとワタシに相互の関係はなくても訳が知りたくなるのです。
なんで?
どこいったん?
姿を現さないのなら、どうか教えてちょーだいませ。

なんとしおやんの書いた戯曲がある雑誌の新人賞の最終選考の5本に残った!!
結果発表の掲載されている4月号は今月10日前後に発売とのことなので、
どきどきしながら本屋に立ち寄る。
今日もまだ発売されていない。
あらまた今日も発売されてないみたい・・・。
すでに15日をすぎた、
アノウ・・・もうドキドキするのに疲れてきたんですけど・・・。
本屋の帰り道、ふと夜空を見上げると最終選考にのこった他の4人の心配顔が浮かんできたりして。
ほーんと、誰なんだろうねえ。

・・・・と、思って待っていたら、5人とも賞には不合格だった。
打ちのめされた挙げ句に足元をみると、
今やっと戯曲道のスタートラインに立たった気がした。
「これからがガンバリどき!」と声が聞こえてくるものの
私はこれで何個目のスタートラインを獲得したのだろうか。。。
スタートラインマニアではいけないんだよ。




2001/4

我が家から駅までの
何年前からこの道を通い続けているだろうか
ピアノを買ってもらったらしい、
可哀相なほどぎこちなく練習曲を弾き続けていたとある家のあの窓から
いつのまにやら名曲が流れてくる。

大阪城周辺で昼休みにお弁当を広げていると
目の前の遊歩道をたくさんのランナーが通り過ぎて行く
必死のランナー
すずしげなランナー
ダイエットの為のランナー
引き締まったランナー
苦しそうなランナー
やる気マンマンのランナー
パンツ一丁のランナー
汗でブリブリのランナー
男のランナー
女の友達同士のランナー
アメリカン・ランナー
ワイシャツのランナー
腕をふるウオーキングマン
・・・・まるで博物館の様。
こんなに走り好きがいるとは思わなかった。

4月たくさんの思いを抱えていたのに、いつのまにやら消えてしまった。
まるで美しくも儚い桜の花弁のようだ
と、書き留めなかった不精も棚にあげ、小奇麗に纏めて自己満足。




2001/5

ある夜、ひょっこりと京橋のガード下で唄っている西井健次さんを発見した。
冬の間は休んでいました。と前よりふっくらした笑顔で教えてくれた。
帰ってこない人、二度と会えない人もいるけれども
皆が遠くに行ってしまうという運命ではなく、時には帰ってくるという幸運も現実。




2001/6

(時間ができたら一気に書き出そうと思っていた言葉は、賞味期限切れですべて何処かへ消えちゃった。
 そんなもの。大切にしたいものはちゃ〜んと大切にしないといけません。)
去年よりかはちょっとはシャッキッと過ごせたような気がする今年の6月。




2001/7

ムラムラと暑い部屋の窓を開けるとスラリと涼しい風が入ってくる。
それを捕まえた喜び。
苦しい夏にも慰める心あり
なければ仕方なし。
しかしその恵みにあやかれるのであれば、シャットアウトしてワザワザ電力のお世話になるばかりでは
躰の中の野生が泣くよ。

と、言っては見たものの
纏わりつく熱気に負ける。

他の季節では信じられないけど、外を歩くだけでじりじりと肌が焼けていくのを感じる。
凄い季節、夏。
この時期は地球がすっごく太陽に近づいているのね。

花はきれい
空もいい
食べ物もうまい。
でもそれに勝るなにかを探して手に入れたいと思っているのかな、最近。




2001/8

クーラーの中で描いていたイメージとは現実は違う。
茹だる大鍋を目前に、汗をかきながら食らうきつねうどん。
口の中が熱いのか、コメカミ辺りが湯気で暑いのか
とにかく熱気から逃れたくて美味さもわからず急いで飲み込む。
立食い蕎麦屋を飛び出してぬるい風に一息、フウ。

小さな林の中、
地響きのような蝉達の唸りに今年も脱帽。
どれだけ鳴いているのやらと探してみても結構見つからない。
私が考えているよりか少数なのか?この音の正体は?
その一匹のチカラに改めてシャッポを脱ぎたい。

不運と不幸はきっと違うものでしょう。
不運は有無を言わさず襲いかかるもの。
不幸は気持の持ちよう。
不運が重なり重なり重なり、一生懸命耐えてきた心が折れてしまったら
不幸になるのかもしれない。
できれば不運になりたくないけど、
仕方なくなってしまったら、
う〜ん仕方なくなってしまっても、
ちょっとやそっとでボキッ!っといかない柔軟な心が欲しいね、

祖母も逝く。
言葉として残しておきたい。

朝から慌ただしく初盆の準備。
掃除と大人数の飲み食いの支度
夕方近くまで元気に咲いていた朝顔を一輪、玄関に生けた。
やさしい夏。
夜になってしぼんでいるのが切ない。

夏ってすごいよなあ。
暑いっていう事がこれほどまでも人をレジャーに掻き立てるのか。
娯楽快楽に奔走させるのか。
8月 夢のある月だな。

とうとう秋の気配。
今頃全国の子供たちは始業式にむかってドキドキハラハラ。
残っている宿題のページをめくってボーゼンとしているお子もいるはず。
ヌハハ。
たまには大人も優越感。

ちょっと夜の更けた電車にはお疲れの乗客サマがいっぱい。
お疲れのお姉さん、
つい眠ってしまって、口があいちゃったのは目をつぶりましょう。
つかれてて足が開いてしまったのもガマンしましょう。
しかし、
眠る前に靴だけはちゃんと履いておきましょう。
スゴすぎです。。。




2001/9

昨日の夕焼けは凄かったです。
シゴト中ふと外をみると世界がオレンジ色に染まっていました。
「今、現実ではありえないようなものが空を飛んできても信じられそう・・」
と思えるような妖しい色でした。
台風の所為だと思うけど。。。。
今日11時前に帰宅すると、TVでとんでもない事件を報じていました。
NYをあんなにしたのは誰なんでしょう。
ものを壊す事、命を壊す事がどんなに酷い事かわかっていないのでしょうか。
一人でも被害者が少なく、幸せが奪われることが少ない様に。。。


秋の始まり
今頃の青空は運動会を思い出す。
とっても広かった広かった運動場。
体操服姿で見上げると、それと同じぐらい広くて高い空。
大きいものばかり。

どうも、電車のなかでものを食らうのは、女性のほうが多い気がする。
目の前に立っていた女性はカロリーメイトを食べていた。
せめて座っている時とか、人がすくなげな場所なら、まあいいんだけど。。。

西井健次さんのコンサートへ行った。
「歌のある世界に生れて本当に良かった。」と彼は言った。
自分が今いるこの現実の社会、例えば押しても引いても法則によってしか物事が動かぬそんな世界に、
人の中だけにある美しい夢や自由な発想が飛び出した。歌ってそんなもののような気がした。
私も歌のある世界に生きていて本当によかったと思う。




2001/10

何がウレシイって私もあと一ヶ月で本厄脱出!!
ああ、新しい日々が待っている、希望に胸踊りまくり腕まくりまくり。

だんだん空気が澄んできて月の微妙なニュアンスも、この地上まで届く季節みたいです。
黒青い空にきゅっと引き締まった白い月。
あれが星とは思えない、なぜか心があるように感じる。
月の霊力か、人間の想像力か?
世の中には結論のでない疑問がいっぱい。

大阪の環状線の周りには、気になる賃貸が2つ。
天満と大阪駅の間にあるリラックスマンション。
西九条駅近辺の市街にあるファミリー住宅。
一見ただの古そうなアパートにしか見えないのだが、
このナイスなネーミングの裏には一体どんなシアワセが隠されているのだろうか?!

この7月に関西MLの時の友達がライブで
私が一年前に作った歌詞に曲をつけて歌ってくれた。
ステキな歌にしてくれたので、歌詞が只の文字以上に魅力的になっていて感動した。
言い方を変えると、
歌を聞いて、一年前のワタシはなんてイイ歌詞を書いたのだ!と感動したが、
家へ帰って自分のつくった歌詞を読んでみても、それほどではなかった。
やはりメロディーの魔法である。
でも、せっかく(?)なので、ここに載せて他の人にも読んでもらいたいと思いました。
今の私に無い感覚が、そこに有ります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
Sound of us


You are my precious precious friend.
I love you.

空を見上げるよ 輝く夜 ひとつぶの流れ星
瞳に映るこのときめきを 一緒に感じてる この瞬間 誰かが違う場所で

  自分のことしかわかんなかった
  一人で頑張ることしか知らなかった
  でも みんなみんな 強く生きていること知って
  私の世界広がったよ

出会いたくないよ 悲しみには 刻まれる深い傷
でもね何も知らないままじゃ 心に張った弦 つま弾いても 音色響きはしない

  あなたの想い知って青ざめる
  その心の傷癒すことはできない
  でも せめてせめて 明るい未来を感じて
  たくさんの微笑みあげたい

この夜の下 たくさんの思いが生れては消える
みんなみんな熱い心持っている
互いの優しさ 信じあおうよ
甘えられる仲間がいるよ だから私も強くなりたい
私もだれかに優しくしてあげられるように

You are my precious precious friend.
I love you.

空を見上げるよ 輝く夜 たくさんの星たちと
おんなじくらい輝いてる 一緒に感じてる この瞬間 誰かが違う場所で

耳を澄ますと 聞こえるかい たくさんの心の音色

                                   2000.5.12
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
いつもおんなじ自分でも、自分の中で心は常に形を変えてゆきます。
その時なりに、いつも希望のほうへ向いていたい。

ある夜、暗くてシケた道路を歩いていると
花壇からはみ出して咲いているキバナコスモスに足をぶつけた。
近くに来るまでわからなかった、
環境にもまれたのか生まれつきなのか、
コスモスの由来のとおり縦横無尽な枝振りはどうも不器用な風情。
しかし彼女は花である。暗闇の中でもオレンジにぽっと燃えている。
己の意固地さやイヤラシさに胸焼けなどしながら歩く私も花。




2001/11

こんなフツーに誕生日を過ごしたのは覚えている内ではハジメテ。
地味BD。
今、私は蕾だと思う、たぶん。
おとなしく花開くエネルギーを貯えているような。。。
花は何回だって咲きますよ、
だって私は多年草なんだも〜ん。

「あんな、」でまずきっかけを作ったら、
後は自分の伝えたい事をゆっくり考えながら話せば、
ちゃんと言いたい事が伝わるよ。
・・・彼女うまく想いを伝えられるといいけどね。
と、人の心配ばかりしていてはいけない。。。。。

一つ歳取って本厄を脱出して、
父の一周忌を無事に終えると、
心が鎖錠を解かれたように軽くなった。
振り返ってみると自分で思っている以上に不自由な状態で生きていたと思う。
きっともう充分なのだから、パワースーツを脱ぎ捨て、改めて自分のすべき事と相対してゆかねば。
いざ、愉しい戦いへ赴かん。




2001/12

マユゲ。
これがけっこうムズかしい。
いまどき美人でいるためには
瞼の上で日々伸びてゆく毛をあるがままにさせていてはいけない、
切ったり抜いたり剃ったり足したり、理想の美を探究する。
乱暴に言えば、目の上に盆栽か。

物凄く幸福な事がない代わりに、それほど不幸な事もない。
そんな人が大多数だと、思わないほうがイイと思ったりする。
自分がこの先どんなことがあるか分からない様に、
隣の人がどんな目にあっていても不思議でない。
人を特別視せず、自分を特別視せず、
その人の語りたい言葉に壁を作らず、キャッチボールする。
自分の事を話すこと
人の話したい事を聞くこと
この2つが素直にできれば、もっと生きるのが楽になるような気がするね。




200/1

1/4気持も新たに初出勤。
去年の平日よりいいものを食べてやろうとビアホールでランチを頂く。
ハンバーグの傍らに副えられていた数の子に喜ぶが、口に入れると、
家のヤツとは味付けが違う、色は白く、ひたすらしょっぱい。
もしかして・・・、売られているそのままの塩数の子?
洋食の料理人なら、許していいものか、笑っていいものか。。。

かわいい雀。
しかしどこぞのTV番組で彼らのことを「鳥類のゴキブリ」と呼んでいた。
なるほどね、そういえばそうなのかもしれない。
では、逆の発想として、
「ゴキブリは、昆虫類のスズメなのだ!」
こう思えば、少しはカワユク思えるのか?
思えるのか!
難しい、なぜかとても。。。。




200/2

レントゲンに撮らなくても、葉が散ってしまう冬には
樹木の美しい骨格を見ることができて嬉しい。
前の冬の間、枝の上に均等に用意されたおびただしい数の木の芽は、
次の冬には新しい線となってその木の輪郭を一層大きく繊細に見せる。
この角度と線の塊は、人から見ると奇蹟に近いウツクシさだと思うんだけど。。。
歳を重ねてもましてゆくのみの美しさ。

得と損を賭けて闘うことをギャンブルとするならば、
電車で早く降車しそうな人の前に立って
空席を狙うのもギャンブル。
昨日は負け。
3つ先の駅にある工業大学に狙いをつけて
大学生風の男性の前に陣取ってみたが、
私の方が先に降りた。

雲が乾燥してパラパラになってしまって地上に落ちてきたのが雪だ
と思うくらい、雪が降るなか空は晴天

高層ビルからは空の様子がよく判る。
ぶあつい雪雲が、現在私がいる場所まで
あと1kmくらいに迫って来ているのを見つけた。
あの雲に覆われると雪になる。
今からそうなる過程をじっくりと見届けたいところだが、
そうもいかないのが勤め人のツライところ。




200/3

秋に咲いたススキは、今頃になると殻だけのカラカラになって野道に揺れている。
ひょいと伸びた茎、穂先はマゴノテみたいにくるりと丸くなっている。
こんなんで背中を掻いたら余計にこちょばいね。カサカサ。フワフワ。

キリン草は枯れてもなお背が高い。

春になる前に、
野原には植物の遺骸があふれている。
その足元から小さな春の命が伸びてくる。
これがあたりまえの風景。



200/4

(いつのまにやら終わった4月、友達と桜見たり、食事に行ったり、楽しい一ヶ月だったかな)





200/5

(初めて2週間、1人きりで生活しました。
 おもったより心やすらかな2週間でした。
 ちょっと寂しかったけどね、 ごはんがおいしくても
 「おいしい!」と言える相手がいないし・・・)




200/6

そろそろ梅雨が近いと噂されるころ?
田んぼにも水が入って 上にも下にも眩しい青空アリです。





200/7

今年も蝉がワンワン鳴く林を通り抜けて会社に通ってます。
脳みそまで揺らすような勢いの彼らの声が
「そろそろ目を醒ませ・・・」
と聞こえるのはなぜでしょう。

去年より蝉の言葉がわかるようになったから? ちがうよなぁ。。



200/11

塩谷 松夫 遺作展
Shioya Matsuo posthumous works
2002年11月9日(土)〜15日(金) ★日曜休廊
大阪・北浜 ギャラリー もず 
06-6231-2035
中央区伏見町2-2-3 伏見ビル1・3階(三越近く)

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一昨年の11月23日、「俺は死ぬ」とも言う間もなく亡くなってしまった我が父親様。
死因は脳内出血でしたが、わたしはチラっと思う事があるのです。
彼は21世紀に生きる人ではなかったのではないかと。
20世紀に華々しく生きる人ではなかったのかと。
突如のできごとに、怒涛の日々を送ることになった私たち家族ですが、
2年たってやっと、私たちのためではなく父のために
何かをできるようになったのは、父の死んだあの地点より
私たちが成長あるいは前進した印かもしれません。
もしよろしければ、ちらっと覗きに来てください。


父の遺作展の初日
準備のために北浜の街を歩き回る私の目に、たくさん父の姿が目に映りました。
たくさんの人を、わが父と見間違いました。
それまで一度もそんなことはなかったのに。
死後でもこうしてまた出会うことが可能だとわかりました。

それにしてもとうとう厄年完全脱出です。
地獄のサウナから出た時の爽快感のような開放感。

私の誕生日を力いっぱいお祝いしてくれる人がいた。
ひとつ年を重ねられる喜びと、そうしてもらえる喜びと!




2002/12

(文章も写真と同じで、ちょうどその時に書き留めないと
何かを感じるその瞬間を切り取ることができない。
そう思いつつも来年の4月に12月のステキッチ?!を書いています。
これは自分の記憶のため)

引越しをした。
もうこの部屋で、日光がこんなふうにあたる、こんな床、こんな壁のある空間で
朝を迎えることがなくなる。
もうこの道を、こんな風に自転車でカーブを曲がり、いつもの庭木に何かを感じることはないのだ。
そう思うとすごく悲しくなった。
引越しってこんなに寂しいとは思いませんでした。
人はいいね、歩けるから会いたくなったらお互いに会いにゆける。
動かぬモノからは無言で去らなければいけない。。。




2003/4

今頃は、前の家の庭では人知れず花盛りかもしれない。
手のひらほどもあるドハデな椿は今頃地面にボタボタと落ちているのかな。
色んな花が咲いているから、早く誰か住んで見てやってほしいな。
まるで秘密の花園です。ちっちゃいけれど。




2003/7

毎年梅雨のころには「今年は雨がちゃんと降るのか」と
心配していたけれど、今年の梅雨はご立派。
しっかり降っております。
・・しかしもうそろそろいいのでは?
今年の阪神タイガースに去年までのような最下位の心配はなし。
本日マジックが点灯するとかしないとかそんなイキオイ。
・・・お、おい、ちょっと勝ちすぎ?
似ていそうで似ていない7月初めの心配事がふたつ。

最近の女性用下着はちらっと見えてもOKらしい。
ブラジャーのストラップもお洒落に作られているようです。
京阪電車で見かけた女の子の肩にセロテープが貼り付けてある?!
と思ったら透明なビニール素材のストラップでした。
お嬢さん、それじゃ清水アキラだよ。

7月21日、エアコンのフィルターを掃除し、
クーラーを作動させました。
しおやんの部屋が楽園に変身。
これでやっと夏到来。
いままでは「暑苦しい春」ということで。




2004/2

自転車のカゴに入れた買い物袋の、
買ったばかりの苺の匂いがプンと鼻をかすめた。

『ガンバレ。ガンバレ〜。』
甘い香りが私の肩をたたく。
なんと苺に励まされるとは思わなかった。
気合を入れて、・・・世紀の夕食作りにGo!




2004/3

帰りの電車で、
眠っている女性の足はキチッとそろっていた。
しかしガックリと後ろムキににうなだれた首
の上の口はパックリと開いていた。
そこまではいい。
その口がパクパクと動いたのには驚いた。
どんな夢を見ているのだろう。
彼女がすっと姿勢を正すと、”なーんだ結構綺麗な人やん”と思った。
が、すぐに首は後ろに傾き始め、同じく下唇が前にスライドする。
・・・こんな面白い人がもっと電車の中にたくさんいたら面白いのに。

髪の毛を短く切ったが、どうも気にいらない。
会社に言ったら、「オリンピックでも目指してるんか?」と言われた。
(女スポーツ刈りとでもいいたいのか)
私はオリンピックに出るつもりはサラサラない。
やっぱりこの髪型はマチガイだ!

果たして今年の冬は、
雪を、スキー場ではなく私の家の前に
15cmほどちゃ〜んと積もらせてから、
春と入れ替わってくれるのでしょうか?

・・・無理のようです。
セーターさえも、私からもうすぐオサラバ。

やはりいつもどおり
名残惜しい3月の冬。





2004/4

三階くらいの高さからだと、樹木の頭あたりのようすがよくわかる。
頼りない茶色の新芽が生まれたての赤ん坊のような皺くちゃな表情で
枯れ枯れの枝からたくさん顔を出したかと思うと
次の日には黄緑色に変わり、次の日にはピンと広がり、
いつのまにやら若々しく美しい葉と成長している。
きっと一週間ぐらいで大人ぶるのだ。
これから初夏、真夏、秋・・・どんな一年を過ごすのだろう。

とくに不自由な思いをすることがない毎日を過ごしていると思う。
今の生活にたどりつけたことを感謝。
さびしいのは、モノを感じて遊ぶココロのゆとりがないこと。




2004/9

退屈な灰色した人間風景も、
音楽というフィルターを通してみると、それだけでいとおしげな情景に見えてくる。
優しい音楽をウォークマンで聴きながら、向かい席のおじさんの不機嫌な顔をみてみると、
そこにはなんだかドラマが生まれてる。
音楽に助けられて真実が見えているのか、
それとも音楽はまやかしを見せているのか。





2004/10

自己診断をしてみるとすると、今の私はカラカラのスポンジなのだ。
誰かに見せてあげられる思いもネタもなにもない。
私の中身は、今までの私に搾り取られて空っぽな感じ・・・。
だから、色んな話を聞かせてください。色んなものを見せてください。
会ったら私にたくさん話をしてください。

水と油のように 季節に私がしっくり馴染まない。
大気の流れに自分の感覚がそっぽむいてしまっています。
そんな年もあるんでしょう、きっと。
けれども、ひんやり心地よい風の感覚は、今年もちゃんと感じられますよ。
せめてこの気持ちよさに感謝。


(と、思っていたらその次の週ぐらいから思いっきり秋だった。
 サンマは旨いし、紅葉は綺麗。秋にはちょっと気が早かっただけなのねん)




2005/2

大阪は雪に弱い。
何年ぶりかにやってきた大雪に、それぞれ懸命な対応。
列車ダイヤは混乱し、
凍った車道にはそろそろと自動車が歩いている。
自転車で挑んだ私は、カーブで勢いよくころんでしまった。
午後に雪は消えた。
こんなちょっとの雪にも対応できないのは雪好きとしてはオハズカシイ限り。

やわらかい白梅がぽろぽろと、
厳しい黒枝の上に花をつける。
緊張で張りつめた冬が明けるのをいち早くお知らせ。




2005/3

よく見ると、
桜の枝に焦げ茶色した蕾が
今年もたわわについている。
「ねぇねぇ兄さん、ちゃんと春は来るのかな?
俺たちもうしばらくしたら、ちゃんと一人前に咲けるのかな?」
「あたりまえだ。心配するな、去年まで一度も春が来なかったことなかっただろ?
安心しろ、ちゃ〜んと立派な桜の花になれるサ!」
そんな蕾たちの会話をちょっと想像してみたりなんかして。

今年からウォーキングと称して近所をウロウロ歩いています。
町は面白い、
特に区画整理に気をつけていなかった、
ちょっと昔からある町並みは面白い。
野も面白い。
ホトケノザは同じ場所に二つの異なる種類が群生していた。
微妙な日あたり加減で、同じ土手でも育つ植物群が微妙に違う。
思いっきり日当たりのよい場所は土筆。
ウォーキングなんぞほったらかしでツクシ狩りにせいを出してしまった。




2005/4

4月に入る頃、
旅立とうとするのは白く群れる木蓮の蕾。

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たしか私が前に舞台に上がったのは29歳。
今年6年ぶりに舞台に上がった。
ドラマリーディングという特殊な形式だから今の私でも稽古に参加できた。
稽古スタートから本番終了までたったの3週間。
仕事との両立や、初めての人々とのやりとり、
なによりも自分自身がこの舞台に出るにふさわしい人間であるか、なれるかということ。
ところどころで自身から漏れ出る舞台作りに対する緊張感の足りなさいが恥しかった。
自分が浦島太郎だというのは、他の人から見るとただの言い訳にすぎないのだろう。
最後の最後の本番までずっと闘っていた様な気がする。
打ち上げでは緊張の糸が切れたようにはしゃいだ。
次の一週間は、体がエライのもなんのその、舞台から離れた寂しさが辛かった。

去年の12月の休日に参加した3日間ドラマリーディングのオーディションを兼ねたワークショップは、
自分では数日だけ芝居気分を味わいたいと思って参加した。
オーディション?とんでもない。
こんな忙しい仕事をしてて芝居なんかできるわけがない、しちゃいけないと思っていた。
しかしそのご縁で今回の公演に出演するにいたった。
それも今、懸命に芝居をし続けているすばらしい人々の輪に入れてもらえた。
私にとってきっとこれは素晴らしく素晴らしく幸運なことだと思う。

ワークショップ(オーディション)の時、私に下された評価は「面白くない」補欠合格だった。
役者だったら誰だって「上手い」より「面白い」のほうがいいに決まっている。
その悔しさが、仕事や舞台への礼儀をど返しして「無理してでも参加しよう」思わせた原動力だろう。
「午後8:30からしか参加できないですけど、でも毎日きますから、練習見に来てもいいですか?」
と恐る恐る演出の内藤裕敬に伺うと「おお、来い」と言ってもらえた。
そして舞台にも出してもらえた。

すべて終わって打ち上げの最後に、思い切って内藤さんに聞いてみた。
「オーディションのとき私を”面白くない”と言われました、
そして実際やってみないと面白くなるか、本当に面白くないか判らないと言われましたが、
私はやっぱり面白くないですか?」
内藤さんは言った。「お前は硬いんだよ。体も硬いだろ」
実際私は体は軟らかいほうだ。
次回、どこかできっとフニャフニャな私を内藤さんに見せてあげたい。
でも次回の舞台はいったいどれくらい先なんだろうか。

大阪現代演劇祭<仮設劇場>WA オープニング公演 
    ドラマリーディング「−劇場へ!!」
    2005 4/7〜10 
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2005/12

ステージの上で発光するその光の粉は、
その場にいるすべての人に降りかかる。
光っているその人の技術に物思う前に、
その場にあるいろいろな現実を考察する前に、
たくさんの金の粉が降りかかっている。その事を喜びたい。
11月矢野顕子、12月SASのコンサートにて。

ハゲた大木に鈴なりの柿の実は、
カラカラの空に眩く光る。
美味しく美しい冬の花。

今年はたくさんの雪が降る。
なんでも多すぎると恐ろしい。
あんなにやさしいモノも、塊となってどっしりと窓に迫るとぞっとする。
新潟県の映像。

クリスマスイブは楠葉も雪、それも吹雪。
自転車でコケると悔しいので、歩いて駅まで向かう。
砂のように舞い上がる雪の中にポツリポツリと人がいた。
いつもはスイスイ向かえる駅への道も、皆、歯を食いしばり背中をまるめ進んでいる。
なんだか人生の厳しさを訴える映画にでも迷い込んだような・・・異次元な世界。




2006/2

けっこうなスピードで年が重なってゆく。
そんなことに恐れを感じ、まだ36歳になったばかりなのに
「私って37歳?」と思ったりする。あらら。
近い将来にあれこれと考えるよりも、
もうすこし先についてビジョンを持つべきかな?
な〜んて考えたり。

山の斜面の日当りのよいところに群生する水仙もキレイだけれど、
庭先の隅にひっそりと下を向いて咲く1・2本の水仙も美しい。
「アラアラそ〜んなところに咲いていたのね、
今年も元気でガンバンナサイヨッ!」
なぜか励ましたくなる冬の花。

山田池公園の桜の木をよく見ると、
もうすでに蕾をつけていた。
気分はもうお花見か。

毎年毎年同じ季節が来るたびに同じように嬉しがる。
今年もオオイヌノフグリが咲いているのを見て喜んだ。
咲く種類は同じでも違う花。
ずっと同じ季節だったら
キレイに咲いてもこれほどに新鮮じゃあないだろう、
これほどに可愛がられないだろう、多分・・・。
間に3つも季節があることは、有難いことなんでしょうきっと!




2006/5ぐらい

「私は権利を主張するばかりで、負うべき義務のことを考えていませんでした」
正確には覚えていないけれど、
舞台「マリーアントワネット」を観て心に響いた言葉。
”私は、私たちは、こういう利益を受けて当然”
しかし行うべき事は、どれだけ誠実にこなしてきただろうか?

新しくできたソープショップなるものの店頭で、
売り子さんが声を張り上げている。
「さあ、どうぞ香っていってくださ〜い!」
・・・香るべきは石鹸か人間か。
・・・嗅ぐのはどなた?

電車の中でも、ホームでも、
おおよそいつも穀類にかぶりついているのは女性。
男はせいぜいお菓子止まり。
立ったままでも今、オニギリを喰らわなければならないのには
理由があるのだろうか?
化粧という上乗せ勤務か、それとも生存本能にまつわる何かか。




2006/7

いまどこかで、
過去の仲間たちが、私の知らない世界を楽しんでいるのかもしれない。
そんな取り残されたように気持ち・・・。
ちょっと疲れていると、ふいに私の心に入り込んできた。
ほんとにそうかもしれない。ほんとはそうじゃないかもしれない。
わからないけど人は人。
私は私。
実体なんてない想像が頭の中をめぐるときは早く寝てしまいましょう。
明日は無理でもあさって、しあさっての朝、
いつか気持ちよい目覚めを迎えられる。
たぶんこれは絶対。




2006/9


久方ぶりに母校に入った。
牧野高校の文化祭、華道部のOBとして潜り込んだ。
創立30周年の高校は、創立10年そこそこの頃とほとんど変わらない。
強いて言えば木々が育って中庭が鬱蒼としているくらい。
驚くことに、
高校生達が学級ごとにお揃いでつくったハッピやベストを着ているのも、
当時とおんなじ。そのデザインセンスもなぜか同じ。
(20年間田舎の学校には流行も廃りもないのか)
20年前私はこの世界の中にいた。
私が此処に居た時と変わりない空気が存在することに感動した。
と共に、此処にいる高校生達が私よりはるかに「子供」な事に驚いた。
高校時代は遥かに遠い。自分が大人だと新鮮に感じた土曜日。




2006/10

午前8時半に富山県立山駅に着くと、
もうすでにケーブルカー乗り場は超満員だった。
ここからは自家用車では山に登れない。
そんな不便な場所なのに、
早い時間からこんなにたくさんの人が
山の景色を見たくて集まってきている。
来ている人は一握りで、山の景色を見たいと
思っている人はもっともっと沢山いるはず。
大勢の人が自然の景色を美しいと思っている。

そろそろ半袖ではイケナイ頃かなと思っていると、もう枯れ葉。
秋とはいつ頃?晩夏と初冬だな。




2007/2

グアムで踊りを見せてもらった。
若い健康的な女性の磨かれた芸。
その人の姿と動きに、グアム独自の美意識を感じる。
土地で育まれた尊い芸術
世界にはいろいろな場所があって、
それぞれの風土で生まれた美しいものがある。

たくさんのそれを目にしてみたい、そう思った。


風邪を引いたが休養せず動いていたところ、
日に日に具合が悪くなってきた。
横になっても苦しい。座っているとゼーゼー言う。
いまさら休んでいても回復の兆しなし。
何じゃコリャ・・・もしやこじらせたか?!と、
重い体を引きずり引きずり医者へ行った。
「セッ先生、苦しいんです・・・」とすがると、
「カゼですね」と優しく言われた。
・・・。
風邪に対する私の認識の甘さったら。
これからは風邪引きの人にもやさしくしてあげよう。




2007/3

いい人達に囲まれているから、この環境は私にとって100点満点!
・ ・・とは言えないんだと思う。
やさしい人や気が合う人に囲まれるのは休息の場所。
曲者達と神経を削り合い、出っ張ったり引っ込んだり、くっついてみたり離れてみたり。
そうしている間に、デコボコだった私の体は柔らかになめされてゆくのです。
温和そうにみえていたって、玉子のように美しい形で生まれてくる人なんていないんです。
みんなデコボコにササクレにトゲトゲにブツブツ。
お互いにぶつかって、そのでっぱりを削り穴を埋める。
トゲはとれたほうが坂道は転がりやすいからさ、がんばってぶつかろうね。

超暖冬のままで春を迎えるのかと思いきや、
それなりの寒さが戻ってきた3月。ギリギリセーフ。
嫌がる人、喜ぶ人、その向こうに冬の呻きがみえる気がする。
温暖化に必死に逆らう姿。




2007/4

3月にうちの母が父の遺作展を行った。
画廊を借りて、父の作品を並べた。
久々に観る父の絵。
こんなに優しい絵だったか。
もっとしょっちゅう父の絵を観られるように、
たくさんの知人に気軽に絵を観て貰えるように、
絵を飾れる家が欲しいと思った。
借家では駄目なのです。ばんばん釘が打てる
自由にできる家が欲しい。




2007/5

このステキッチがなかなか進まない理由は、
私の視野が狭くなっているからと思っている。
最近、自分の事ばかり考えている。
今のままでいいのか、どうすればいいのか。
考えながら歩いていると、
その脇で草は芽をふいて花を咲かせて散り、
風は吹き、月は満ち欠けし・・・。
いつか、「まあ今はこんなもんかな?」と
肩の力を抜ける日が来るのかしらん。
そのとき、私の目にはどんな景色が飛び込んでくるのかしらん。




2007/6

京阪電車で向かいに座ったオヤジさんの手には
「カスタードケーキ」
スーパーで売ってる、私も好物である。。。ウマイ!
この強面で、家に帰ったらコイツを食べるのか?
そして心の中でニッコリ微笑むのか?
誰でもお菓子は大好き♪
オヤジさんでも変わりナシ!

数日前に梅雨突入、しかし今日は青い空。
ムムム・・・と思って空を見上げる。なんかオカシイ。
青空って、いつもだったら、どこまでも続いて見えそうなのに、
今日は違う、なんかおかしい。くすんだ青空、な〜んとなく湿気。
実は、雨が降ってないと思っているのはこちら側だけで、
実は大きな水槽の中にスッポリと収まってしまっているのではないかしらん・・・この世界は。
なんて想像してみたりして。
・・・次の日は雨。これが湿った青空の答え?

エコの推奨する世の中で、いろんな試みが行われている。
事務所の偉いさんが、記念品として植物の鉢植えをもらってきた。
かわいらしい植木鉢に、たぶん大きくなるであろうぐみの木の子供が植わっている。
メモには「グミの木」
お〜い、どうやって育てたらいいんだよ〜。
とりあえず水をやるしかナシか。。。




2007/9

九月なのにまだ暑い夏。
しばらく傍にも寄らなかったのに、まだ熱い芝居心。な〜んて。
ほんまによくよく考えると9年ぶりにセリフを覚えて舞台に立つ。
立つというのは、なんと楽しいことか!
もしよろしければ、興味本位でしおやんの舞台姿観に来てください。(内心、「是非!」)
★ 魚クラブ 2007 ラフレシア公演 第七回大阪野外演劇フェスティバル参加作品
『月夜のどろんdeロンド』作・演出 昇竜之介
(大阪市北区中之島4丁目 大阪市立科学館北側の空地・・・テント公演です)




2007/10

暗い夜道を、暗い気持ちで歩いた会社帰り。
何も見えない暗がりでフッと、
やさしい香りが鼻をくすぐる。
見えていなかったけれど、もう金木犀の季節。

ご縁があって屋久島いった。
威風堂々とした巨大杉。
そして素晴らしい植物の森があった。
屋久杉までとはいかずとも、
正直、人が手を触れなければ、素晴らしい木々が地上には存在するのだ。
それを貴重という言葉で扱わなければならないのは残念だ。
私たちがごく当たり前に暮らし、それでも自然の美しさを享受できる。
そうなるには、人の思考の変革をどれだけ行わなければならないのか。




2007/11

正直、さすがに、
そろそろ焦りがにじむ「祝!38歳」
花の20代を羨んでみたりなんかして。
だって〜20代だったら・・・
体力があるし、
お金なくてもなんとかなりそうだし、
大人入門者だから、年上の人に助けてもらえるし・・・
ということで無茶やっても許されそうだし〜。
しかし38歳、そんな事考えている時間がもったいない。
今の地べたをしっかり踏んで、一歩一歩進むべし!

半年前にくらべると、今は自分の置かれた状況に関する不満は少ない。
ずっと忙しい、なにも減ってはいないけれど。
自分やりたいと思いつづけてきたお芝居ができた、
これからもできる可能性が生まれたことによって、
視界がコロリと変わった。不満ではなく感謝が生まれた。
自分の理想どおりにはいかなくとも、
「ほんまのほんまにやりたいと思ったことは、無理してでも実現させたほうがいい。」
これは紙の上の綺麗な言葉じゃないのだと思った。

夕焼けに照らされる散り際の紅葉は、澄んで浮かび上がったように見える。
これは秋の景色の醍醐味の一つ。
散りぎわ・・・何かの散り際・・・命の終わりとはどうも違う。
余力を残して終いにし、次の季節に備えるゆとりある終わり。




2007/12

今年も無事、年末がやってきました。
楽しいことも、しんどいことも、いい皺になって、
私の脳みその中へ刻み込まれまたのでしょうか?
自分のバームクーヘンを見てみたい?!





2008/1

おとついは久しぶり!にわが町くずはにも雪が積もりました。
びしょびしょ雪なので、雪だるまはつくれませんでしたが、
久しぶりの景色でした。
くずはより京阪電車で200円大阪よりの、香里園というところへ行って見ると
道路もかなり見えていて、雪の迫力はかなり減っていました。
もっと雪を見ようと京都の鞍馬へ電車で行ってみると
町の景色とは違う雪山の景色がありました。
くずはより深くて強面で繊細な景色でした。
京阪電車と叡山電車で一時間ちょっと、片道800円。
くずはでは一時バスがストップする雪。
電車はありがたいね〜。





2008/3

ひさしぶりに引っ越しした。
同じく楠葉の、前の家から5分ぐらいのところ。
前の家より5分くらい駅から遠い場所です。
その気になれば、徒歩0.5秒で京都に入れる大阪府だったり、
家の前が竹と椿の小藪だったり、
そんなこともあるけど、今度の引越しが寂しくないのは、
前向きな自分の意思で宿替えを企画できたこと。
この5年間私達を住ませてくれた家、どうもありがとう。
あなたの中で力を蓄えて、新たな生活へ飛び出すことができました。

家の前にある藪の椿は、藪椿(・・・。)
自然に咲いて自然に落ちる。
毎朝、散策路に白い円と赤い円ができている。
ほんとにそれぞれの木の下に、ぽっかりと落椿達の丸い絨毯。
どれだけ咲くのか、椿の生命力を侮るなかれ。
これから毎年、早春の楽しみ。

春の母の日課ができた。
「今朝はレレレやったん?」
「やったよ」
笹ボウキで椿をかき集める。

ウグイスもいる。
ほ〜ほけ、ほけ、・・・ほけきょ!
何度でも何度でも練習し、だんだん上手くなる。
上手くなっても、もっと上手くなりたいのか練習し続ける。
間近でひっきりなしに聞いていると
おしゃべりな女性の高音な声と変わらない・・・。




2009/3

ああ。
気がついたら一年空いていた。

新しい家に入り、自分の住処とするべくコチョコチョと動いていたこの一年。

愛する藪椿は、去年「チャドクガ」という怪獣のような勢いの毛虫軍にやられ
殺虫剤まみれになって、夏前に禿椿。
それからカワイイ新芽をだしたものの、今年は去年ほどの花の円は見られませんでした。
残念。
しかしわずか3本ほどの椿は力を振り絞って今年も花を咲かせてくれ、安心させてくれました。
どうか来年は以前のようにたくさん花がついて欲しいものです。

その余波を受けたのか、我らの手入れが悪いのか、
家にある蝋梅もすっかり花をつけず。
これから、これからなのです。
徐々に良くしてゆこう。

おそまきな話題だが、
去年の4月、機会があったので凝りもせず晴れ着着用。
その際、30代の記念として写真館で撮影もしてもらった。
10年の間に一回、記念撮影をしようと29歳の時に決めていた。
本当は39歳で撮りたかったが、せっかく振袖をきたので38歳で撮影。
20代は20歳と29歳で2回とった。・・・たいしたルールでもないなあ。

それから1年、・・でいま39歳。
29歳から状況は変わったが、自分はあまり年月を経た実感がない。
でも確実に10年がすぎているのだ。
これからの10年。次に写真をとるのは48か49かわからないけど50歳手前ぐらい。
同じような気持ちで通過するのだろうか、それはちょっと物足りないね。

変わらないといってものほほんと過ごしていたわけではなく、
たくさんの感動や修行があった。
粘土を成型するがごとく、デコボコしてるところをバシバシと他人の手でたたいてもらった。
そんな感じ。
たくさんの人と出会って分かれて、いままでしていないこともやった。
10年もあれば皆そうなのでしょうね。
でも人間本体は同じ感覚で存在中。死ぬまでそうなのかな。
何を変えるべきで、何を大切にしようか。
一瞬思ってみても、そんなコントロールなんて・・・ねえ。

しかし、50台手前では振袖の写真はやめておこう。

突然話は変わるが、
京橋に「新福菜館」という京都では有名なラーメン屋が開店した。
うわさでは聞いていたが、初めて新福菜館に入りその美味さを知る。
隣の若い女性客が食べ終えて。
「これはラーメンではなくて、中華そばって感じやね」
ではラーメンはどんな味なのか。
次はラーメンの美味い店に行ってみたい。

このページは月日が新しいほど下にくるのが
見づらいと友人に言われたことがある。
そうですよね。そろそろ考えないと。

寝台列車はやぶさが本日廃止になる。
乗ったことはないが、雑誌でみて一度乗ってみたいと思っていたのに残念だ。
テレビで乗客や車掌のインタビューがあった。
今までの数十年間、たくさんの人に欠かせない存在であった。
しかし飛行機や新幹線のスピード、高速バスの価格に対して
消えざるを得なくなってしまったのだろう。
ほとんどのものに永続はない。そうでないと物事はうごきはしない。
それは分かっているのだけれど、自分が大事にしているものが、
忘れる前に目の前から奪われてしまうのは切ない。
やりきれない程切ない。
こうした思いに、生きている間は何度も襲われるのだ。
そんなことを考えると、生きてる道のりが途方もなく遠く感じる。

幾つかの資格試験の勉強をしたが、
英語(TOEIC)が一番やりずらい。
自分がこんなに英語とソリが合わないとは思わなかった。。。
とブツブツ文句は幾らでも並べられる。
そんなものを並べている間に少しでも勉強しろっ!
明日はTOEICの試験。
きゃ〜。




2009/10

生まれて初めてハゲた。
何かの副作用とかではなく、ただの体調不良で毛が抜けた!
はじめの衝撃は、洗髪中に手が髪の毛で真っ黒になった。
それがず〜っと続くと、頭の地肌が見えてくる。
実は女性でも何十万人という単位で、薄毛になっているということだ。
だから私がなってもおかしくはないのです。
ほんの数ヶ月の闘いで復活した毛、お帰りなさいませ♪

女の薄毛は、男性とはたぶんちょっとは気持ちの持ちようが違う。
抜けてゆく地肌に、これからどうなるのかと焦りが漂う。
この思いを感じている人が、今も何十万人もいるのだ。
なんとか・・・気持ちを明るく持ちたいものです。
女性の抜け毛に対する認知が広まったほうが、みんな気が楽かもしれないね。

しかし自分でも面白かったのが、
豊かな黒髪の女子学生とかがチャラチャラ歩いていると、つい、
「無尽蔵に髪の毛生やがって・・・」と心の中でつぶやいたこと。
まるで「そんな短いスカート履いて・・・」とボヤくと同じ感覚でした。
な〜んだ、短いスカートも履ける女子高生がうらやましかったのね私。
ビバ、豊かな黒髪と短いスカート!

抜け毛というと「ホルモンバランスや薬の副作用」と思われますが、
それ以外に、体調不良など何かの理由で栄養吸収に支障が起きた場合、
生命維持機能に関係ない毛髪への栄養が滞り、抜けてしまうことがあるとのことです。
足や腕の毛も薄くなり、これは逆に助かりました。
今は・・・・ゲホ。

漢方医さんと、ご心配くださった周りの皆様に感謝。




2009/11


このHPを始めたのは・・・30歳になった頃
いや〜、虫の息ですが、(しぃ〜しぃ〜←ムシのこんな感じ)
40歳まで続きましたよ。
しおやん40歳!
いや〜パチパチ。

さすがにシソの葉に自分のステッカー貼って配るようなことはしませんでしたが、
(三十路突入記念で味噌配りました)
新たなステージに入って、スッキリした気分です。
いや〜背筋を伸ばして行きたいねぇ。

只の日記にならん様に気をつけよう。2000/1/2