馬場写真館 パート1

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初等科第一学年 (昭和18年)

一年生の母。現在の伊南小学校校舎前。貧しいながらほのぼのした時代を彷彿させる1枚。比較的貧乏だったようで(笑)草履をはいているらしい。                     

ダッコちゃん (昭和35年頃)

自宅前(あばら家でちょっと恥かしいが)でまぶしそうにカメラをみつめる当時大ブームのダッコちゃんと私。
長靴(晴れているのにね)のヨゴレ具合が後ろの家と妙にマッチしている。
後ろのカゴ姿は、孫の勇姿を見守るキヨ子(故人)。おそらく桑畑にでも行くところであろう。
そうそう、今思い出したんだけど横の池に近所の兄ちゃんたちがプラモデルの船などを 浮かべて遊んでいた。母に泣いてねだったんだけど、買ってもらえなかった。 母にすれば、迷惑このうえない兄ちゃんたちであった。

祖祖父と弟 (昭和36年)

弟の子守が日課であった頃の祖祖父(馬場熊ヲ)。
85才で天寿を全うした。弟はこの頃、おしっこがラクだということでスカートにノーパン姿で過ごしていたという。タカ子おばさんのおさがりのスカートらしい。
後年、その話で笑いをとられることになるとは全く知らない、今日も仲良く散歩する二人。

しかし、、、後ろの人だれでしょうね。

伊南川橋 3代渡初め (昭和37年)

前年、雪害により落橋した伊南川橋の完成の渡初めで勢揃いした馬場家3代夫婦。
父(タケシ)の髪型がなぜかハイカラに見えるが、ただ単に無頓着なだけ(笑)。

このとき我が家は、私や弟、父の妹(タカコさん、ミネコさん)など10人+猫一匹の大所帯であった。
猫(名前をミーといった)が家の中でコウモリを捕まえていたこともなつかしい。 ミーの写真がないのが残念。ミーが生きていれば私と同い年。

上列左から祖父(延丸)、母(マス子)、父(毅)、祖母(キヨ子)。
祖祖父(熊ヲ)、祖祖母(鳥松)。


役者がそろっているようなので、ついでに記させていただくが、 私は9月生まれなのだがどういうわけか、戸籍上は11月となっている。
これはタケシが届けを出すのを忘れてしまったためである。年が明けて正月になり、キヨ子が 状差しの私の出生届けを発見したのである。
慌てて役場に駆けつけるも9月にまではしてもらえず、11月で手を打って帰宅したそうな。

私もまた、父のそういうよくいえばのんびりとしたところが似たらしく、 家人が時々イライラしては私に当たるのであった。
むろん、私の場合、出生届など忘れるはずもなく、後々ホームページでグチられる心配は全くない。
ここでわたしの罪を告白しなければなりません。祖母キヨ子は、敷き布団の下に小銭を置いておく癖があり、それをよく拝借しました。お許しください。


落橋する前の伊南川橋 (写真提供 馬場昭男さん)
向こうが古町側である。山しか見えないが伊南村の中心地である。橋を渡った所に整版工場らしきものが見える。
幼稚園の帰りなどは、橋を渡らずに川を歩いて小塩まで渡ってズックなどを流したっけね。古いパチンコ台とかが川べりに捨ててあって、家に持ち帰って遊んだりした。
そうそう、橋の上からコスモスの花を落とすときれいに回転して落ちるんだ。花びらをうまくひねってプロペラみたいに角度をつけるのがコツ。
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