鼓笛隊 (小4、5、6)娘が学校から帰ってきて、鼓笛隊の小太鼓に選ばれたと弾んだ声で告げたとき、 どこからか[希望の丘]のもの悲しいメロディが聞こえてきて、それは私を遠い時代へと連れ去っていった。私は、教室で今日も縦笛の居残り練習をさせられていた。 「ソソ、ソラーソミ、レドー」で始まる[希望の丘]は、単純なメロディだがどうもうまく吹けない。 鼓笛隊は、4年から6年までの全員参加の情操教育の一貫として行われていた。 鼓笛隊をプロジュースしていたのは、E教諭であり、楽器の任命権をもっていた。 今思えば私でもそうしたろうが、自然と優等生が大物楽器に指名されることになったのはひいきといったら言い過ぎであろう。 人選があまりあからさま(私の勝手な記憶だが)だったので、担任の先生は一応抗議してくれたらしいが 通るはずもなかった。 良く言えば目立たない、悪く言えば出来の悪い生徒は、笛を担当することになる。 笛の面々は、最初からやる気のなさが顔にでていたようだった。 笛吹きは、丸3年続き、その間、笛の仲間が昇格したという話はついぞ聞かない。 鼓笛隊、それは時代がいくら変わろうと、笛吹きたちの悲しい音色は途絶えることはない。 娘の場合は、鼓笛隊は希望者のみで、担当楽器は、みんなの前で演奏して上級生が審査して決めたという。 クローズドからオープンへ、いい時代になったものだ。 「よーし、今日はお祝いにスシでもとるか」「わーい」 いつのまにか [希望の丘] のメロディは、私の耳から消えていた。 |
エッサッサ体操 (中2)20年以上たった今も「エッサッサー」の声とともに、奇妙な恥かしさと悲しみが今も消えない。 そう、あの悪夢はまだ終わっていない、、、どうやって思いついたのか定かでないが、とにかくM教諭の指導のもと、 エッサッサ―体操が始まったのは、そろそろ思春期を迎えた中2の頃であった。 両足を大きく開いて、両手を前後に振りながら「エッサ、エッサ、エッサッサー」と叫ぶなんとも 勇壮な体操だった。 この体操には実は恐るべき隠された秘密があった。 足を開くたびに「キョロリ」とコンニチワしてしまいがちになるのだ。 まわりで見物している女生徒には迷惑(歓迎?)な話だが、当人達はもっと困る。 サポータと呼ばれたガードの固いアンダーウエアをすればいいものを、無頓着な生徒は、 ブリーフのままであったせいかもしれぬ。 あまりにもキテレツなせいか、当時の雑誌「中2時代」のヒマな記者が片田舎まで飛んできて、グラビア記事にしてしまった。 私があえて見出しをつけるとすれば「会津の里に今日も響く、エッサッサ―」というところか。 取材に気を良くし、いっそう練習に拍車がかかり、かくしてキョロリが続出したのはいうまでもない。 |
エッサッサは、どうやら日本体育大学の名物らしい。宴会でやると最高にウケるらしいが、そうだろうね。
でも、OBのみなさん、お願いだから宴会だけにしといてね。![]() |
伊南村で検索してたら、中学の頃の先生のページを見つけた。 校長先生の部屋 タイトルがなんともいえず、なつかしいね。エッサッサの先生ではないよ。 探したんだけど、体育会系だからないよね。 エッサッサが日本体育大学の名物ってことは、同級生が確認のメールをくれた。 彼は、ロビンフッドをやり、鼓笛隊では指揮棒をもって先頭を歩いた男なんだ。 当時、あまり親しくはなかったけど、高校時代にギターの趣味が一致して、 それ以来、ずーっと付き合いが続いている。 彼も僕も農家の長男で、いつ帰る(永住するってこと)かということで話すんだけど、 家族にその気があまりなく当分無理ってことで意見が一致している。 |