自 己 紹 介

 小学6年の頃より碓井 通生君(カットサロンうすいのホームページ参照)といっしょにサイクリングを始める。「山下湖まで釣りに行きたいので、自転車で行った」と言った方が正解かもしれない。みっちゃんは5段ギアのスポーツ車、私は中古で買ってもらったBSのサイクリング車だった。水分峠でみっちゃんの足がつって私の自転車と交換、やまなみハイウエーでは私の足もつった。自転車の差が感じられた瞬間であった。その後みっちゃんもサイクリング車を買いサイクリングによく出かけた。

 大学では交通機械工学を学び卒業後、久留米の「ぴーこっく」に就職し自転車の部門を3年間勉強する。子供自転車や三輪車、ベービーカーの方が多かったが、ロードやサイクリング車の取り扱いもあった。

 昭和62年5月退社、家の手伝いを始めるが、知り合いから譲ってもらったロードレーサーに乗ってサイクリング車との違いを体感する。
 パナソニックのロードを作ってセンチュリーランに出てみるが、2回の休憩で、たばこも吸ってしまうという走り方でとりあえず完走はしたが、きつかっただけだった。

 昭和63年、中村 稔君(飛脚便のリーダー)が、玄海トライアス東平安名崎ロン大会に出場し、応援に行った古賀 和妃郎君(飛脚便のメンバー)といっしょに感動しトライアスロン出場に向けトレーニングを開始する。古賀君は平成1年佐賀トライアスロン大会で、私は天草トライアスロン大会でデビューし、完走。3人ではまる。宮古島トライアスロンゴール

 平成6年もう一人のお客さんと4人で、宮古島トライアスロンに行き、全員完走する。私のタイムは10時間30分32秒、1300人中270位でした。目標は9時間代だったんですが、ロングというのは計算通りにはいかないものです。だから、おもしろいんでしょうね。

 平成9年飛脚便として群馬県まで自転車で走り友好を深める。


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