「友の会の横のつながりとして、東京・友の会のような会を」という主旨で、昭和52年7月に『芹沢文学研究会』として発足。昭和56年9月より『芹沢文学愛好会』に名称を変更し、月例読書会の他に、芹沢氏に縁のある作家による文芸講演会やコンサートなど様々な会を催しています。

日時 4月23日(日) 13:00-17:00 (2017/04/23)
会場 東中野区民活動センター 洋室1・2  三越マンション 1階
東京都中野区東中野4-25-5-101 TEL 当日連絡先 090-2322-5722 鈴木春雄
テキスト 短編小説「かくした賓石」別冊小説新潮 
昭和32年10月15月 競新潮社 (3月の送付資料)
司会 豊田英文様
参加費 500円 
連絡先 鈴木 春雄  メール (お問い合わせはこちらまで)
リンク 芹沢光治良文学愛好会(東京)
その他 ●『ある読者のつぶやき』 (文責 池田三省)

■芹沢光治良 復刻版『緑の校庭』(少女小説)出版記念
  『芹沢光治良先生 DVD鑑賞会』お知らせ   〈2017/4/10)

 日時  2017年 5月7日(日) 午後2時~4時
 場所  月船 (JR中央線 国立駅南口徒歩2分)
 参加費 1500円(1ドリンク付き)
 定員(要予約) 40名
 主催・申し込み先 「月船」
    TEL:042-574-4787
    住所:東京都国立市中1丁目9-4 国立ビル一橋ハイム 2F
    会場地図:「月船」で検索お願いします。

 『内容』
  ・岡玲子様(芹沢光治良の四女)
     復刻版「緑の校庭」のご紹介
  ・DVD鑑賞(50分)
  ・懇親会 (DVD、復刻本の販売)

  
  ・本DVDは、
   2016年、芹沢光治良生誕120周年を記念して
   沼津市教育委員会・沼津市芹沢光治良記念館
   の作成したものです。
   (芹沢光治良記念館のHPでYouTube動画公開されています)
 
  ※ 人間芹沢光治良、作家芹沢光治良、そして芹沢文学が
    受け継がれていく魅力を多くの方のインタビューを通じて
    芹沢光治良の魅力が紹介されているDVDです。
  
   芹沢光治良先生の愛読者の皆様必見です。
   『月船』まで、ご連絡ください。



以上 (池田三省)


■遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

昨年9月より、私事により、例会にあまり参加できなく、HPの更新が
なされなく、皆様にご迷惑をおかけして申し訳ありません。

最低限度の情報は更新していきたいと思っていますのでよろしくお願いいたします。

「今後の日程とテキスト」 2016年12月の会報より

●2月 2/19(日)  テキスト 完全版「人間の運命」第4巻 「愛」
●3月 3/26(日)  テキスト 短編小説「母は死に給はず」昭和13
●4月 4/23(日)  テキスト 短編小説「かくした宝石」 昭和32
●5月 5/28(日)  テキスト 神シリーズ 「人間の幸福」平成元年
●6月 6/25(日)  テキスト 短編小説「聖母像」 昭和7
●7月 未定       テキスト 短編小説「田舎から来た妹」昭和7


以上


■2016/9/25
短編小説「松柏苑」 改造 昭和9年5月号 改造社

 ・大きな旧家が、「時代の波」にのみ込まれ、滅び行く姿と
  家族が知恵を出し合って協力していかなければ、時代の波を
  乗り越えることはできないはずなのに・・。
  小説では、自分勝手に、自分の利益しか考えられない家族が詳しく
  描かれている。

 ・この作品で「時代の波」とは、大金持ちの旧家だけでなく、私のような
  凡人にも、同じ波が押し寄せ来ているのに感じることなく生きている。
  現在はどのような「時代の波」が来ているのだろうか。
  その波に飲み込まれないで寄り添っていくにはどうすればいいのだろう。
   「時代の波には」
    ・経済的(お金の価値観)の変化の波。
    ・心の変化の波。
     ☛・お金第一主義、仕事の成功が人生の成功者と思うお考えかた。
      ・自分のことしか考えない、他人を蹴落として伸し上がる。
       他にはどうでもよい。
    
     現在、どのような大きな「心の波」を被ぶれば、他人のことを
        大切に思えるようになるのだろうか。
     実際に、大きな時代の波を被っているのでしょうが、感じ切れていません。

    (しかし、どの時代にま成金はいるのですね)

  なーんて、考えささせる作品でした。

以上


■2016/7/31
 芹沢文子・著作集成 エッセイ 「一本の道」1996年(平成8:63歳作品)

芹沢文子先生が父親の死(1993年)までの60年間を回想したエッセイである。
 ・少女時代 軽井沢疎開生活
 ・戦後 三宿時代の高校生活
 ・7年間のパリー留学生活
・両親との生活と母の死
 ・晩年の父が、用意してくれた「人知をこえた大きな力と愛の一本の道」を
  歩こうと決意するる。

 芹沢文子先生の一周忌(命日2015/7/17)に相応しい作品でした。



■2016/7/17
『芹沢文子先生 一周忌を偲んで』    2016/7/17 池田三省
 愛好会会員の池田です。文子先生の思い出を書かせて戴きます。

「愛好会での文子先生の出会い」
 文子先生との出会いは、芹沢文学愛好会で、文子先生が、赤い車で、
 東中野の会場に光治良先生を送り迎えをされていた30年前の出会いです。
 文子先生と、気楽にお話しできるようになったのは、19年前(1997)の
 芹沢光治良先生・生誕100年記念「フランス・スイス旅」からでした。
 留学されたフランス、パリで結核になり療養したスイスの足跡をたどる旅に、
 文子先生も参加され、多くの思い出を共有することができました。
 例えば、スイスのレマン湖にあるシヨン城の小さな礼拝堂で、文子先生と会員の
 女性と二人で「シューベルトのアベマリア」を歌って下さり、小さな礼拝堂に響き
 渡り我々を包み込むような優しい歌声を今でも思い出します。
 そのフランス・スイスの旅の文子先生の紀行文を紹介します。

 「フランス、スイスの旅」    芹沢文子
 ①「パリ」
 スの窓に鼻をすりつけるようにして、パリーの町並みを眺めていた私に、
 トロカデロ広場に面した赤い戸、赤い壁、赤いひざしのカフェが眼に入ってきた。
 私が留学していた時も、このカフェは赤が目立つカフェだった。終戦後初めて父が
 パリーに来た頃は、どうだったのだろうか。
 あの時、日本大使館に近いこのカフェで初めて「巴里の死す」の仏訳出版の具体的
 な話が交わされたと父に教えられてから、このカフェに心がひかれる。
 あの当時は、外貨事情も厳しく、パリーには、ほんの一握りの日本人が住んでいた
 だけだった。でも今はカメラを肩に提げたり、買い物袋を持ってパリーを散歩する
 日本人の姿のなんと多いこと!
 八月末のパリーの夕方は、昼間のように明るい。色づき始めたマロニエの並木道は
 美しくその中を私達を乗せたバスは、ブローニュの森の中にある高級レストランへ
 と走っていた。ブローニュの森はとても広くて美しい。
 手入れの行き届いた芝生の緑が柔らかい。童話の世界に紛れ込んだようで、
 白雪姫の物語のきのこ達が、どこからか出てくるような気さえしてくる。
 白い建物のレストランはシャンデリアが輝いていた。
 沼津の文学館に飾ってある父がタキシードに身を包み、母が肩にショ-ルをかけた
 モダンな装いの写真の裏に父の筆跡で「こんな華やかな時代もあった」と記されて
 いるけど、戦前のパリーでは、今こうしてレストランになっているような、美しい
 邸宅で夜会が催されていたのかも知れない。今宵の私達も普段とは違って、
 やや気取った格好をして、シャナリシャナリと階段をのぼっていく。
 白いタキシードのボーイさん達が、溢れんばかりの微笑で迎えてくれた。
 半世紀以上前のパリーで、父もこんな風に夜会に迎えられ、百武閣下と出会い、
 文化の香りを身につけていったのかも知れない。父が戦前住んでいたボアロー街の
 下宿もここから遠くない。そして若き父は、この森をよく散歩したはずだ。  
 そんなゆかりの場所で、パリーの父の生活に思いをはせながら、パリー最後の夜は
 シャンデリアの下で過ぎていった。

 ②「スイス」
 曲がりくねった山道をバスは走り、さんさんと輝く太陽に迎えられ、私達はコーに
 着いた。下にはレマン湖がそして正面にはアルプスの山々がそそり立ち雄大な
 景色だ。「あっ、虹」仲間の声に見上げた空には美しい虹が出ていた。
 今回の旅では天候に関係なくよく虹が出た。天からの私達の旅への祝福の
 メッセージかも知れないと考えると、暖かな思いが体中を駆け巡っていく。
 コーの空気は爽やかだ。澄んだ空、美しい風景、地上の楽園のようなこの地で父は
 癒やされた。 冬はきっと雪に覆われ、厳しい自然環境のなかで精神は鍛えられる
 のだろう。療養所の裏山に教会があり、広場があった。
 ジャックと語り合った場所は、その広場だったろうか。銀世界となり物音も
 しないだろう冬のこの地で父は大自然の声に耳を傾けていたのかも知れない。
 そして、もし私がそんな時期に、又この地に来ることが出来たら、
 私は大自然の声を聴くことが出来るのだろうか・・・・。
 以上

「私のもう一つの文子先生の出会い」

 ・文子先生は、九十歳のお父様の生活を守られた。
  その働きがなければ「神シリーズ」は世に出なかったのではなでしょうか。
 ・文子先生が、2004年に音大の教授を退官され「教えの道」専念され、
  湯河原で多くの方にご自分の体験された事「神の愛」をお話されました。
 ・私は、この頃「神シリーズ」に書かれていること本当のことを知りたくて
  文子先生の教えを学ぶようになりました。

  私は、文子先生から、どういう訳か、心を許してもらい。
  先生が亡くなる3年前ぐらいから、毎月、先生の自宅に伺い資料整理をさせても
  らいました。いつも、文子先生は手作りの昼食をご馳走してくれました。
  お味おつけは、お母さんの直伝なのよ。といって具だくさんのお味おつけや。
  たまに、先生の好物のうなぎをご馳走してくれました。
  食事の時は、光治良先のお話しや、私が疑問に持っている教えのことなど、
  先生のお考えを聞くことができました。
 ・文子先生は、皆さんもご存知のように、人の良いところを見て“いいのよー”
  “大丈夫よ”と言って人を悪く言う言葉を一度も聞いたことがありません。
  いつも、人様のために、お話を聞き、祈ってくださる先生でした。

『文子先生の生き方(教え)について』
 ・文子先生は、2年前(2014/1/18)に、余命三ヶ月の末期ガンで慶應病院に
  入院されました。
  しかし、この末期ガンを3ヶ月で完全に克服され、4月8日に、湯河原の
  湯河原(天命庵)で酸素ボンベもつけないで、60分、立ったまま、お話なさる、
  奇跡の姿を見せてくれました。
  どのように末期肺癌を克服されたのか、お話の抜粋を読ませていただきます。

「2014/4/28  湯河原(天命庵)文子先生のお話」   
 ・80歳で末期癌になり桜を観ることが出来ないと宣告されて、私も80歳まで
  祖父母、父の信仰や徳によって生きてこられ、素晴らしい人生だったので、
  このままに天に召されても良いと思った。 
  母の舌癌での抗癌剤が大変なことを知っていたもで、絶対に抗癌剤は飲まないと
  決めていた。しかし、若い医師から、「イレッサ」という抗癌剤が適応する
  4つの条件がすべて満たされているのに飲まないのは「もったいない」の言葉に
  心惹かれた。
 ・80歳まで、祖父母の信仰や父の徳によって生きてこられた。もし「イレッサ」を
  飲むことで、命が永らえるならば、その命の尽きるまで、私には子供はいない
  けれども私の周りや私に続く人達のため「徳」を積んで、皆さんの役に立てばと
  思って「イレッサ」を飲んだ。一週間で別人の肺のようになった。
  病院の多くの医師も驚かれて、文子先生の病室にお顔を見に来られたそうです。

  文子先生は、私に「信仰・教えの奇跡」を見せてくれました。
  そして、この一年半の間に先生は、自分に関係するすべての人に対して、
  病身でありながら相手を気遣い優しい心で身を粉にしてお助けをされてきた。
  私は亡くなる前日(2015/7/16)に、電話で「元気よ、大丈夫よ」と声を聞いて
  いました。
  しかし、突然に眠るように苦しみもなく天に戻られたのには驚きました。

「文子先生の遺言」(最後(2015/7/8)の湯河原でのお話)
  ・35年も教えを学んでも、現実に病気や災いが現れてくると、「教えの理」も
   すっ飛んでしまう。」と、人間の心の弱さをお話にくださった。
   どのようにすれば、神に凭れていられるか、ブレない心になれるのかを
   話してくださった。
 ❋同じ病気でも、助かる人と、助からない人がいる。
  助かるか助からないかは、神が守っていただいているか、否かによると思う。
  守られている方は、「徳」を積んでいる方だと思います。
  私の場合は、祖父母、父の積んだ徳をお返しくださった。と思います。

 ❋「一寸先は光である」 良くなることは当たり前と思うこと。

 ❋「必要な時、ちゃんと出会わせてくれる」
  ・神と一緒にいられたことを確信することで素晴らしい人生を歩める。
  ・有難いことは、どのようなものにも見付けることが出来る。
  ・絶望のとき必ず、「神の愛」の助け手が現れる。

 ❋「心を鍛えることで身体を鍛える」
  ・心を鍛えるとは、現れ来ることに『喜んで、感動し、希望』を持つこと。

 ❋「日本は生かす国。殺し合う国ではない。」
  ・祈りによって、平和に生きるすべてのことが動き湧いてくる。
 
 ◆「人に対して優しい人になる」
  「相手を信じて、相手を神の子と念じて優しい人になると良い言葉が生まれる。
   その「良い言葉」を相手に捧げればそれでいい。

 私は、文子先生の最後のお話(2015/7/8)を遺言として文子先生の生き方を目指して
 生きていきたいと思っています。
 
  『芹沢文子先生、実相の世界から「愛の力」お送りください。』

                                 以上


■2016/6/13
●副田 守様の5月のリレー随筆「私の生き方」は素晴らしい内容でした。
(キーワードだけ記載します)
①私は「悪い人間になりたいと思っている」
 ➽・良い人間は自ら良い人になるため人の悪い所を見つけ出し、あの人ほど
   悪くないと自分で納得させている。
  ・なぜ、人の悪い所を見つけるのがいけないのか?
   ➽・自分の悪い所が鏡の様に相手に映るのです。しかし、相手を直そうと
     責め続けます。
    ・相手に見える悪い所は、結局は自分の悪いところが映っているので、
     自分の汚れを直していけば鏡に映る汚れも消える。
 ➽・悪い人ならば、相手の悪い所は見ない。

  『心を磨くと、良い所が見えてくる』
 
  芹沢光治良先生の色紙
   『いつよりか、空をあおぎて、日に一度、心のチリを払う悲しき』

②「日々、不安を感じるとき」 
 ➽・”神の示す生き方からはずれている”と反省する。

③「相手を良い人にする事で自分の心を低くすることが出来る」
 ➽・何事も人には負けて通る。(負けるのは容易です)
  ・買い物は個人の小さな店でする。
  ・賞味期限の近いものや過ぎた物を選ぶ。
  ・野菜や果物もしなびた物を選ぶ。
  ・良い行いは、人の居ない所で行う。
   人にほめられたら神様のお礼はありません。
 
 ※なんとも素敵な生き方です。私も一つでも真似して実行したいものです。


■2016/4/24 読書会 「天使か魔女か」

・作品の最後に、細君は津村に
 「この女は、天使のような心であろうか、小悪魔であろうかと」
 問いかける。

➽私が津村ならば、
・小悪魔だと言うだろう。と答えたかも知れない。
 娘と同じ年頃のぎん子が、二人の男を、手玉に取って自分の思うように
 手なづける。したたかさ。
 その反面、三人の男の子の母親として子供を面倒みていることは、天使とは
 言わないが、母心を持つ女だと思う。

 しかし、そんことよりも
 何故、こんな「田島ぎん子」という女性を先生が描かなければならなかったのか。
 ・敗戦後の昭和23年の時代は、戦争の”たが”が外れて、”勝手な自由”が、
  はびこんでいる。
 ・経済的に自立できない女性が多く、ふがいない男が多っかたのだろう。
 そして、「娯楽雑誌」書いたのだろう。 と疑問に思う。
 
 当時は「「死者との対話 または唖の娘」 「黒目の天使」など文学作品として
 読み応えのある作品が多くあるのに・・・。 


 ※・悪魔は「与えて、求める」
  ・神(天使)は「ただ与える」だけである。


■2016/3/27 読書会 「マロニエの花さきて」

・私のようなおじさんが、少女小説をどれだけ素直に読めるだろうかと
 心配しながら読みました。
 ➽結構、素直に読むことが出来ました。
  また母親の心の成長に興味を持てて読めた。
  「希望は必ず果たされるものよ。クレール(娘:光子)の希望と
   コージン(離婚した日本人の夫)の希望で、あの人が巴里に
   来れるようになったのですもの。 ママはうれしいのよ」


●光子が父親と会うことが本当に幸せになるのだろうか?
 ➽光子自身が存在している証を父親と会えることで、しっかりと確認できる
  ので、光子にとっては喜ばしいことだと思う。
  幸せになるのではないかとおもった。

●母親の成長に驚いた。
 ・離婚して、母親にとっては「死んだ人」だった夫(日本で再婚している)を
  空港まで迎えに行く心になったなったのは何故なんだろう?
 ➽子供(光子)が、成長して父親を求めるいる事を知り、娘にも父親が必要だと
  思えるようになり、夫を許せるように心が溶けてきたのではないか。

●日本にいた父親はなぜ巴里に会いに来たのだろう?
 ・少し身勝手すぎる。男として恥ずかしく思うのだが・・・。
、➽やはり、生きて会えるとは思っていなかった娘から、手紙が来た。
  その娘に会いたい思いと、もう一度巴里で絵を勉強したいという下心が
  あったのでは・・。 

これからの展開どのようになるかは読書に委ねられている。


■2016/2/24 読書会 「神の計画」(神シリーズ三作目)

①「宗教が知識を教える大学に成り下がった」意味とは? (P102,P149) 
②)河石氏が“神の微笑”を読んだ感動を持続させるのは“言葉です、
  口から発する言葉です“の意味は?(P111)
③神の世界とは、死後の世界とは、人間の世界とは。(P68)
④不信仰だった芹沢先生が、なぜ信仰心持つことができたのか?
 また、「文学と物言わぬ神の意思に言葉をあたえることだ」との信仰を
 もっていながらも、なぜ不信仰と言っているのだろう。
⑤この三部作は、神を主人公に書くべきだった。 二つのテーマが
 はっきり考えられるのに僕自身を主人公ににして、私小説にして、
 神の希望を裏切ってしまった。
 (二つのテーマはなんだろう?)(P227)

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