〔前の画面〕
〔クリックポイント〕 〔最新の一覧〕
〔全て読んだことにする〕〔全て読んだことにして終了〕 〔終了〕
2007/2/22(木)08:02 - New Day - 3683 hit(s) - ResMail
わたくしも自分の肉の思いや妄想、アダルトサイトに心焦がした事があります。
時折やって来る衝動に負けてしまう事もしばしば、全く罪悪感を感じない事さえもありました。
以前、私は神学生の頃、きよめの体験をし自慰行為も数ヶ月無く、
自分の思いを主への熱心から反らす一切を憎み徹底して勝利の道を邁進していたときもあったのです。
しかし、インターネットで目に入るちょっとした広告や特集の
「好ましい映像」を少しだけ垣間見た所から、少しづつのめり込んで行きました。
しかし、そんな自分に対し、主は決して厳しい事を語るのではなく記憶されている聖書の箇所を示し、
それが自分にとって益とは成らない事を何度も示して下さいました。
主は、等身大の私達の友となって下さる方です。
私達が罪の中にあってもどの様にしてそこから離れ私達が自由を楽しめるかを悩み考えて下さるお方なのです。
外側からの戒めは、環境や関心を制限する事で欲求を行動に移さなくさせるのみです。
そこにあるのは、「罪を実行していない」と言うだけで本質的な自由と解放はありません。
罪悪感から自らの欲求を制限する事は、野獣が自らを鎖につないでおくのと同じであって
周囲の人々に安全そうに振る舞っているだけなのです。
しかし、人目が無くなると自分で鎖をはずし自分の好きな所を徘徊するのです。
パウロも「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死のからだから、
私を救い出してくれるのでしょうか。」言っています。
多かれ少なかれ、人は皆、情欲の問題に突き当たり叩きのめされた事があるはずです。
情欲に限らず、自らを引き降ろす肉の性質につながれており自由になれない事で
挫折感を味わっている事でしょう。
「わたしの内に、すなわち、わたしの肉の内には、
善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。
なぜなら、善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないからである。」
ある時は勝利し、ある時は負けているワケです。
今のところ、1勝99敗の戦績の人が、
頑張って10勝90敗に成れるかも知れませんが、やはり自由人とは成ってはいません。
99勝1敗の人があるかも知れませんが、誇る事は出来ないでしょう。
しかし、その人は秘訣を教える事は出来そうです。
創世記39章にヨセフがポティファルの妻から逃げ出したシーンがあります。
ある聖書教師はこう教えてくれました。
この手の敵に対して、私達は戦いを挑むのではなく「遠くに離れるべきです」と。
あくまでも距離をおくと言う事が秘訣のようです。
また、詩篇119篇9節には「若い人はどうしておのが道を清く保つことができるでしょうか。
み言葉にしたがって、それを守るよりほかにありません。」とあります。
聖書の御言葉に親しみ神を知ろうと追い求める事を怠る時、
本来神が与えられる祝福を得られず、関心が安易に得られる快楽に反れて行くようです。
ローマ1章24節「ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、
自分のからだを互いにはずかしめて、汚すままに任せられた。」
28節「彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、
そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。」
新改訳聖書では、「神を知ろうとしたがらないので」「引き渡され」とあります。
神を知ろうとしない人々を「誰かに」渡されたというのです。
また別の聖書教師は、こう言いました。
「姦淫の罪にふけっているのは、実は罪の結果なのであって、地上における裁きそのものなのです。
罪を楽しんで、罪と仲良くしている間は、離れる事は出来ません。」と。
思いを変えるまで、そこから離れる事が出来ないのは確かです。
主をひたすら追い求めましょう。
きっと、主の方が私達を捕らえて下さるはずです。
〔ツリー構成〕
-
-
-
-
-
-
-
| ┣【241】 re(1):姦淫の罪からお守りください 2007/2/22(木)08:02 New Day (3140) |
-
-
〔前の画面〕
〔クリックポイント〕 〔最新の一覧〕
〔全て読んだことにする〕〔全て読んだことにして終了〕 〔終了〕
※ 『クリックポイント』とは一覧上から読み始めた地点を指し、ツリー上の記事を巡回しても、その位置に戻ることができます.