スタンド バイ ミー

僕が生まれ育ったのは、藤井寺球場の真ん前だった。

まさにスコアボードの目の前だったので、よく外野を突き抜けて、練習ボールがバンバン飛んでくるような、楽しい場所だった。友達と一緒に、プロが打ってこっち側に飛ばしてきた玉を、みかんを買ったときに入れてあったような緑色のプラスチックのかごを抱えて「たくさんとったほうが勝ちや」とか「サインがはいってるほうがえらいねん」とか言い合いながら夢中で毎日ボールを集めた。

ある日、草むらでいつものように玉探ししてたら、メガネを見つけた。今考えると、誰かが落とした老眼鏡なのだが、僕は「スゴイ見つけ物をしてしまった」と思った。

小さい頃からメガネに異常な興味を持っていた僕はおそるおそるそれを手にとって顔に近づけてみた。

上の部分が黒で徐々に下に行くと透明になる、典型的なセルロイドで、ずっしり重かった。

レンズにヒビが入っていたので初めてレンズを通して見る草むらは、屈曲し、モノがぐしゃぐしゃに見えたけど、僕の心は興奮していた。半ズボン姿に老眼鏡で「よっしゃ、玉集めるで」とあたりを走り回ったのはいいが、度の合わない割れたメガネで、すぐ目頭が痛くなってやめてしまった。

その後、駄菓子屋で売ってた10円のふちの白いメガネを見つけた。

レンズは、青いセロハンのようなペラペラな物がはってあるだけなのだが、そのセロハンをはずし、黒マジックでふちを塗れば、これはなかなかイケた。

そのメガネをかけて、球場のスコアボードのこっち側からぐるっと向こう側まで、遊びに行くことは無かったが、子供心にスコアボードの手前だけで十分な大冒険であった。『スタンド バイ ミー』という映画を観たときに、その頃の自分を思い出してみたが、そこにはいつもみかんかごにあふれるくらい野球ボールを集めながら、汗で所々せっかく塗った黒がはげて、地の白が出た駄菓子屋のメガネをかけて、「そこで太田幸司とすれ違ったんや」なんて友達と話した自分がいる。

『あすか』に去年出演したときに、奈良から近鉄南大阪線で「藤井寺」あたりを通った。30年振りだ。近づいてくるともう、匂いでわかったし、球場の反対側を電車が通るので、あの頃見えなかった景色を一気に見た。

「ずいぶん小さい球場や」心の中でつぶやいて、にやっとした。

 

(C・work 2000年8月号)
[戻る]