Special Interview

四年目の「TOP RUNNER」

渡邉 「TOP RUNNER」は、いよいよこの春から四年目を迎えられるんですよね。相方の益子直美さんとの呼吸もピッタリで、自然体でやってらっしゃるような感じがします。
大江 そうですね。暗黙のうちに、ここは益子さん、ここは僕っていう役割分担はできるようになったと思います。それに、最近やっと、「番組の中で初めて人と会う」ことに馴染んできて、プレッシャーよりも「人に会える喜び」のほうが大きくなってきたんです。
渡邉 と、いうことは今までは緊張のほうが大きかったんですか?公開での収録ということで、ゲストの方だけでなく「観客」もスタジオにいるんですよね。
大江 ええ。多いときで七十人くらい。これってちょうど、緊張感がいちばん高まる数字なんですよ。これが横浜アリーナでライブっていうと「みんなぁぁぁぁ!」って叫べば大音量で「おおぉぉぉぉ!」って返ってくるし、逆に二、三人だと、「それでさぁ」って感じなんだけど、何十人っていう数はいちばん難しい。どのゲストの方も、「このスタジオは緊張する」っておっしゃいます。僕自身、ゲストの方に会うまで「今日は話してくれるかな」って心配で。よくこれだけ長くやってて、毎回、緊張が続くもんだと思いますよ。まあ、考えてみれば、初めて会う人なんですから、緊張して当たり前かなと(笑)。
渡邉 ゲストの方は毎回、各界のトップランナー。大江さんもかなり刺激を受けてらっしゃるんじゃないかと思うんですけど。
大江 僕が彼らに共通して思うのは、一つのことをあきらめずに、逃げ出さずにやっているなということ。「もういいじゃん、ここで」って普通の人が思うところから先が非常に長いんです。一つのことを突き詰めていく信念というか、執念深さを感じますね。
渡邉 大江さん自身もミュージシャンとしてトップを走ってらっしゃいますよね。ゲストの方がご自分と同じミュージシャンの方の場合とそうでない場合では、質問や感想も変わってくるんですか?
大江 パーソナリティーとしての僕のベースになっているのは自分がずっと続けてきている「音楽」という体験だったりするんですけど、基本的には「音楽談義」というよりは、その人がどういうプロセスを重ねてきてそこまでたどり着いたかとか、これから何をやろうとしているのかといったことを聞いているし、普段の生活の何気ないウィークポイントとかで「ああ!」と共感できることなんかがあったりするんで、ミュージシャンであるなしはあまり関係ないです。「せっかく会ったんだからいろんな話を聞きたい」という気持ちでやっています。あ、でも、今日のゲストはメガネデザイナーの三瓶哲男さんだったんですけど、カメラが苦手な僕よりずっとカメラに慣れていない。「僕、緊張してしゃべれてなくないですか?」って小声で聞かれたりすると、ここは僕がリードしてあげなくちゃと思います(笑)。

千里のウィークポイント

渡邉 ウィークポイント、という言葉が出てきましたので、ぜひ、大江さんのウィークポイントを伺いたいのですが。
大江 僕ね、恐がりなんですよ。フライングカーペットとか、落下傘とかバンジージャンプみたいな急激に短い時間で移動するものが苦手で…。飛行機とかは大丈夫なんだけど。
渡邉 でも、それは避けて通れますよね。避けられないもので苦手なものはないんですか?
大江 テレビカメラとか…。以前、山田邦子さんと生放送で一緒になった時に、「千チャン、見ててね、アタシ、カメラが切り替わるとき、その前にちゃんとわかるから」って言うんですよ。で、見ていると1カメから2カメに切り替わるランプがつく前に、邦子さん、そっちの方を向いてるんです。これはスゴイ!僕なんて「これは撮られているのではないか」って意識したとたんに右足と右手が一緒に出てしまうようなところがあるもんですから。コンサートだとガッといけるんですけどねえ(笑)。

年越しカウントダウン

渡邉 今度は本来の音楽活動についてお話を伺っていきたいと思います。一九九九年の締めくくり、そして二〇〇〇年の幕開けとなったカウントダウンコンサートがとっても盛り上がったそうですね。
大江 おかげさまで。実はカウントダウンコンサートについては、ホントに何にも決めてなかったんですよ。一二月は十日から二六日まで東京グローブ座で「PAGODAPIA HAUNTED CHRISTMAS」というクリスマス企画コンサートをやったんです。これはアミューズメントパーク的な要素が強いコンセプチュアルなもので、演出も多いしテンションも高いから、とにかく二六日にそれが終了するまではそのことしか頭に入ってこなくて。同じ会場を二九、三十、三十一日の三日間、年末年越しライブのために押さえておいたんですが、そこで何をやるかは周囲から「千里、早くコンサートでやる曲、出してくれよ」って言われても、なっかなか決まらない。三十一日は、年越しの瞬間、紋付き袴でせりあがって来て「JANUARY」を歌おうってことだけは決めてたんですけどね(笑)。でも、一方で、「何も決めなくてもいいじゃん」とも思ってて。日替わりで六〜八曲くらい僕のピアノの弾き語りから始めて、途中からミュージシャンが加わっていく、というメリハリだけ考えて、余分な演出は一切なしで、その時の気分でいこうと。
渡邉 ずいぶんライブなライブですね!
大江 そう。フタを開けてみるまではわからない(笑)。クリスマスコンサートの時は着替えも多いし、演出もフクザツな割には意外に自分の中で緩急がついてるんで呼吸もスムーズだったんですよ。だけど、年末コンサートの初日にあたる二十九日は、もう最初から最後までテンションがあがりっぱなしでしたから。ホントに大変でした。アンコールで舞台の袖に引っ込んだ時、初めて「ツライッ!」て弱音を吐いたんですよ(笑)。
渡邉 そういう辛さを経てカウントダウン、そして「JANUARY」を歌われた瞬間っていうのはどんなお気持ちだったんでしょう?
大江 小さい頃は、コンサートをやりながら年を越すなんて、夢のまた夢だったわけで、これはもう、夢を追い越しているような感覚ですよね。「JANUARY」を歌い終えた後は、長距離を走り終えた後のような、ホワーンとした心地でした。十二月はほとんど毎日、三時間ぐらい歌い続けてましたから、月末ともなると声が枯れてきて、「JANUARY」を歌ってた時なんて声の成分の七十%が息でしたよ。「じゃにゅありひぃ〜」って感じで(笑)。だけど、そんな風にボロボロなんだけど、「ああ、今、いい歌を歌えてるなあ」って実感があったんですよ。それが自分でうれしくてね。二十三歳の時も二十九歳の時にもステージで何回かそういう瞬間があったんだけど、今回はもう僕も大人だし、この気持ちをキッチリ分析して覚えておこうと思います(笑)。

俳優・大江千里

渡邉 大江さんはミュージシャンでありながら、一方で俳優としても非凡な才能を発揮してらっしゃいますが、「音楽と演技」って何か共通点があるんですか?
大江 去年、NHKの朝ドラ「あすか」に、あすかの小学生時代の担任役で出させてもらったんですけど、その中で、四ページくらいにわたる長いシーンがあったんですよ。ずっと一人しゃべりでね。その時、コンサートでピアノを弾きながら歌っている時のような、グッと世界に入り込めるような感じがありました。
渡邉 トレンディドラマに出てらした大江さんが、学校の先生役。いかがでした?
大江 「先生」は小学校の頃、憧れの職業だったんですよ。生徒役の子役さんたちが、休憩時間ともなると、「先生、光GENJIに曲書いたってほんまか?」とか「先生、紅白に出るんか?」とかワァッと僕を囲むんですよ。「先生!歌ってよ」なんて言われたりして「ああ、先生ってやっぱりいいなあ」と感慨にふけっていたら、ADさんの「はい、お疲れさまでした」の声がかかったら「お疲れさまでした」ってサッと引いちゃった。「やっぱりお前ら子役やったんか、あれは演技やったんかぁ!」と思い知らされました(笑)。
渡邉 演技の上で工夫されたことは?
大江 僕は今までは「自分の感性のまま演じればいい」って強気なところがあったんですけど、「あすか」では、もう少しシナリオを掘り下げてみたんですよ。このシーンの「え?」と別のシーンにある「えっ?」はどう違うんだろうとか考えながら。非常におもしろい脚本でしたし、勉強になりました。「もっと早く気づけよ!」って言われそうですけどね。
渡邉 これからも音楽と俳優業は両立させていくんですか?
大江 いや、あんまりはっきりとそうしようと考えているわけではないんですよ。音楽で形にしたいことは山ほどあるし、それを一つ一つやっていこうと思うだけで…。でも、この部屋のドアを開けたところで大河ドラマに誘われたら、ペロッと出てしまうかも(笑)。

気分転換は入浴

 
渡邉 ホントに精力的に仕事をされている大江さんですが、気分転換にはどんなことを?
大江 入浴です。「PAGODAPIA HAUNTED CHRISTMAS」の期間中、入浴しようと僕は誓ったんですよ。
渡邉 ニューヨークじゃなくて入浴ですか?
大江 ハハハ。ボケてどうするんですか。入浴です(笑)。一カ月公演で風邪でも引いたらおしまいじゃないですか。だから、とにかく健康のために毎日「半身浴」をしようと決めたんです。リハーサルが始まった十一月から二カ月間、毎日毎日イヤなのをがまんして二十分くらい雑誌を読んだり考え事をしながら浸かってたら、夜、よく寝られるようになりましたね。フロのスチームが喉によかったらしくてライブでも声がよく出るようになりましたし。だから、今でも続けてるんですよ、実は。
渡邉 気分転換にテレビはご覧にならないんですか?
大江 あ、僕はケーブルテレビ歴、長いんですよ。VIBEとかGAORAとかよく見ます。
渡邉 他に、今年はこれをやってみたいということは?
大江 「TOP RUNNER」の収録があるんで、以前のようにフラッと一カ月海外へ、というのは無理なんですけど、二泊三日くらいの小旅行はやってみたいなあと思ってるんですよ。少しフットワークを軽くしてね。
渡邉 大江さんの曲はけっこうあちこち地名が出てきますよね。私の局は長野県の松本市にあるんですけど、大江さんは松本にいらっしゃったことはありますか?
大江 友達から、「今、松本でコンサートしてるんだよ。月がきれいだよ!」って電話をもらったことがあるんですけど、僕はまだ行ったことなくて…。松本、行きたいですねぇ。
渡邉 じゃあ、ぜひいらして下さい!松本をイメージした曲を作ってもらえたらうれしいです(笑)。

阪神大震災のこと

渡邉 地名といえば、どうしても大江さんと切っても切り離せないのが「神戸」という土地ですね。大江さんの歌にはしばしば神戸の地名や風景が登場します。今年は阪神・淡路大震災から五年。私は当時、大阪の大学に籍を置いていた学生で、被害はなかったものの、あの地震は鮮明な記憶として残っています。大江さんも震災直後、ボランティアとして神戸に行かれたと聞いています。
大江 ついこの間、こんな手紙をいただいたんですよ。「神戸はすごく好きな街で、先日、旅してきた。こんなに復興しているのに、まだ、亡くなった家族や恋人、友達のことを思いながら生きている人達がいっぱいいることにショックを受けた。つらくて苦しい気持ちを覚えている強さ、忘れない強さを自分も持ちたい」と書いてあって、僕はそれに非常に感銘を受けました。神戸は僕をインスパイアしてくれた街だし、ずっと変わることなく、大事な憧れの場所なんです。あの震災で神戸はまだまだ完全に復興したと言えないし、五年経ったから一区切りついたとは思わないけど、僕個人としては以前のように神戸でのコンサートを企画したい。それが僕なりののろしのあげ方なんです。

瞬間を刻んで生きる

渡邉 大江さんは、これまでの音楽活動の集大成として、最近、ベストアルバム「2000JOE」を出されましたね。大江さんのこれからの活動はいったいどういう方向に行くのか、ぜひ聞かせてください。
大江 昔、ライブハウスで初めてコンサートをやった時、十曲しか持ち曲がないから、アレンジを変えてもう一回やったりしてたんです。あの頃は、サザンとかユーミンのように玉手箱みたいに曲が出てくればいいなあと思ってました。でも、だんだんレパートリーが増えて「次のコンサートではあれとあれでいこう」なんて選べるようになると、自分の中である種、安心感が出てくるんですよ。これからはそういう安心感を断ち切る、というか封印して曲を作ってみようかなと。二〇〇〇年ということで気持ちを新たにしてね。この頃ね、「瞬間を刻んでいる感覚」っていうのを肌で感じるんですよ。「2000JOE」のジャケットは僕の顔に水がかかっているところを高速シャッターで撮ったんですが、「この表情いいね」なんて言いながら写真を選んでいる時に、今の瞬間がすぐ過去になっていく様を写真という形で目の当たりにして、切ないような、でも、すごくポジティブな感情がわいてきたというか…。言葉にすると「今を生きる」ってことになるんでしょうけど。
渡邉 秒針を意識しているってことでしょうか。
大江 いや、もっとですね。もっと長い時間が一〇〇〇分の一秒の中に詰まっているんじゃないかという気がします。仕事をしているとね、ともすれば袋小路にはまってしまいがちなんですけど、あのカウントダウンでの「JANUARY」を歌った気持ちで曲を書きたいなと思ってるんです。自分で自分が越えるハードルをほんの少し高く設定して、助走をつけたり工夫したりしながら、飛べない時も焦らずあきらめずに「できるんだ」という信念を持ち続けたい。ある種のリスクも自分でキッチリ背負いながら、いろんなことに素直に反応していきたいと思うんです。
 

(CATV now 2000年3月号)
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