プラス+な人々

NHK「トップランナー」のパーソナリティをはじめ、マルチに活躍するシンガーソングライターはデビューして17年。9月には、2年ぶりのオリジナルアルバムが発売になり、全国ツアーも開始する。その曲作りと音楽生活を楽しく語ってもらった。
◆9月に発売になるアルバム『Solitude』からお伺いしますが、テーマは何になるんですか?

「そのものズバリで、孤独ですね。孤独というと、どうしてもマイナスイメージですが、寂しいだけじゃなくて、孤独の持つ光と影を表現したくて……。年齢的にも私小説寄りなアルバムを作れる時期なんじゃないかと思ったわけです。曲作りも、ベースとドラムとピアノのトリオで、シンプルな音。あまりいろんな音をかぶせて分厚くしないで、最低限必要な音にしました」

◆そのようなレコ−ディングは、通常のものとどう違うんでしょうか。

「スタジオに入ってから、6〜7時間リハーサルして、そろそろ本番、"せぇーの"って感じで録音しました。そういう録り方は初めてですね。ポップスのレコーディングの場合、リズムトラックをとってから、音をかぶせていくのに時間をすごく要するんです。今まで僕もそういう作り方をしてきたんですが、ミュージシャンの持っている気合いみたいなものがもっと見えてくるレコーディングができないかなと思ってた。それで辿り着いたのが今回のスタイル。詞と曲はあらかじめ作っておきますけど、その場のイマジネーションがすべてになっちゃうんです。ですからレコーディング時間は少し短縮になりますが、シンガーソングライターとしての曲の準備には時間がかかっている。今回のは心情的な部分も入っているけれど、テーマを決めてちょっと引いて映画のように俯瞰の視線ですね。『なんで間違いばかり繰り返すのか。大人になれないのか』なんてフレーズが1行入ったりする」

◆大江さんの曲づくりの際の心境を聞かせてください。

「今は音楽業界は戦国時代で、何年キャリアがあろうが、インディーズであろうが、同一線上にいるような雑多な時代で、聞くほうも能動的にキャッチできる。それにマニアックなものも手軽に手に入るし、自由にいろんなものを聞ける状況にある。で、僕は17年間音楽生活に携わってきて、いろんなことに挑戦してきたけれども、やはりピアノ1本で、自分の書いた詞と曲を自分の声で歌っていく。シンガーソングライターの側面はそれしかない世界。改めて、再デビューという感じでやっているんですけど」

◆今年、40歳になることと20世紀末という節目と関係がありますか。

「あると思いますね。周りがワサワサすると、できるだけ冷静にリラックスして集中しようとする。反面、走ろうとする自分もいて。でもテンションが高くないと曲はどうしても作った感じになっちゃう。自分でバーを設定すると面白くないので、吐き出す感じで意識しないでやってみる。今回久しぶりに満足のいく曲が生まれて、すごく楽しい。自分が音楽に携わってきて、歌っていく意味みたいなことを感じます。僕がデビューしたのは、バブルの走りだったから、蝶よ花よの時期。僕自身は一歩引いたところから、コンサートを地道にやってきたミュージシャンの一人だと思う。そういう時代を経て、90年代がガラッと変わったんですよね。エンターテインメントとして、中身がある程度成熟して、平面的に風呂敷を広げたようにあからさまになって、ある種の神秘性みたいなものが、あまり意味を持たなくなってきた。ヒットしてなんぼ(笑)。ただ突き詰めると、周りの状況に関係なく自分が納得できるかどうかが重要。僕が曲を書くことによって、燃焼できて自分の声と音で表現できるか、そこがポイントですよね」

◆音楽とは切っても切れない。3歳のときからピアノを習いはじめたと聞きましたが。

「そうなんです。自分から親にピアノを習いたいと言い出して。近所の女の子がピアノを弾いていたのを見てたからですね。どうせそんなに長続きしないと親に言われたのに、壁にクレパスで鍵盤を描いて指を当てて弾くマネしたり、デモンストレーションをした。それで"こりゃあ、ホンマもんやな"と買ってもらった(笑)。だから友だちから野球に誘われてもピアノがあるから行かなかった。あるとき、僕が勝手にポロポロ弾いているのをピアノの先生が見て、毎回5分間くらい好き勝手に弾かせてくれた。その都度、身近にテーマを決めてくれたので、作曲らしきものができたんです。それにオヤジがクラシックマニアで、ドビッシーとかのレコードを聞いていたんで環境的なものもあった。でもオヤジいわく、一番反応していたのはチャルメラの音だったと(笑)」

◆今年1月には、奥田美和子さんのデビューシングル『しずく』を初プロデュース。いかがでしたか?

「歌を歌う人は、最終的に自分の言葉を曲の中に持っていくべきだというのが僕の持論なので、そのための協力はおしまない。作詞作曲を僕が肩代わりするのなら、その人にインタビューをして本人の中から出てくる言葉を拾う作業をします。僕がデビューしたとき、スタジオの中で転校生のように小さくなっていたので、萎縮しないようにと配慮します。新人には誰かがアイデアをあげたり、いい環境を作っていくことが大事だと思う。それに、自分では躊躇したり飛べないのに、他人の曲だと飛べちゃったりするんですよ。以前、光GENJIの『太陽がいっぱい』を作ったとき、"こんな風に自分の曲も書けばいいのに"といわれたことがあった(笑)。僕はいったんお嫁に出しちゃうと敷居はまたがせないみたいなところがある。きっと人に書いた曲を歌いたくなるときが来るかもしれないけど(笑)」

◆ずっと続いていた野外イベントの「納涼千里天国」は、中断しているんですか?

「今年はやりませんでした。10年間やってきたんですが、大規模なものは大変なんですよ。でも、そのコンセプトは続いているし、そんなに先じゃなくて実現したいとプランは練っています」

◆また、3年前からNHKの「トップランナー」のパーソナリティを務めていますが、ご自身に変化はありましたか。

「初期の頃は、人選に参加していたけど、どうしても得意分野の人になってしまうので。思いがけない人、自分が疎い分野の人に会ったりする驚きがあるので聞き役に徹しています。特にスポーツはルールも知らなくて、いきなり野球選手やプロレスラーのゲストに失礼しまくり、恥かきまくり(笑)。僕は人の話を聞くのが好きなので、好奇心と視聴者の目線で聞いています。毎回緊張しながら、ライブ感を出してライブセッション、それしかない(笑)。それに曲作りで独りでこもっているから、この番組に出ることで新鮮な空気をいただいてエネルギーが出てくるみたい」

◆テレビや映画で役者も経験し、エッセイや小説も書いていますね。

「芝居だとコケてもいいや(笑)。やり逃げみたいに、本業じゃないから思いきりできる。キッチリ役を作って、相手のセリフを覚えて返して、カメラの目線は……と自分の中で完璧にリハーサルをする。そして本番で一瞬、力を抜く。そうしたときに役になりきれるような燃焼のしかたができます。本のほうは、小さいころから書いたりするのが好きだったから。部屋で布団かぶって懐中電灯を照らし、自分でストーリーを考えてその世界に入ってしまうという独り遊びをしていたんです。河原の小高い道をずっと歩いて行けば……映画の『スタンド・バイ・ミー』みたいな(笑)。それが原点。僕が書いた『PAGODA TREE』という小説は、裏山を抜けてスタンド・バイ・ミーする話なんです」

◆今後やっていきたいことを聞かせてください。

「日本の音楽は、10代の音楽と言われています。僕もそういうところを通過してきたし、いくつになったら演歌という決まりはないと思うし、いろんなタイプの歌があっていいと思う。僕もその中の一つを確立していきたい。今後、何年間に1回は、漠然としていますが時代とクロスしていくようなものをやりたい。それをするには独自のコミュニケーションとユーザーと対等にリスペクトし合いながら通信するのが大事だと思う。自分の音楽を作りながら、そのための舞台作りをしていきたいですね」

 

(朝日生命SANSAN 2000年9月号)
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