読者の夢インタビュー

大阪出身のミュージシャン大江千里さんが今回の「読者の夢インタビュー」です。音楽の世界だけではなく、ドラマや司会者としても活躍している大江さん。40歳の誕生日の9月6日、新アルバム「ソリチュード」をリリースし、神戸市でコンサートを開きます。東京・青山の事務所で、十数年来のファンという☆☆市の主婦△△○○さん(33)のちょっぴり緊張しながらの質問に、関西弁を交えながら、ざっくばらんに答えてくれました。

△△ 誕生日に神戸でコンサートを開かれるんですね。
大江 国際会館は大学生だったころ、多くのアーティストを見た思い出が詰まっているし、ツアーの初日を何回も迎えさせてもらった。阪神大震災で建物が壊れ、会場がハーバーランドに移ったんですけど、再建されたら、またぜひやりたいっていう気持ちがあったんです。
△△ 「塩屋」など神戸を歌った曲がありますね。
大江 神戸周辺は今もあこがれの場所。関学の学生時代、キャンパスのだだっぴろい芝生に寝転がって夢みたこと。友達と街にレコードを聴きに行ったこと…。一つひとつが歌詞や音楽にすごい影響を与えている。ゆっくりと訪ねると、自然に曲が出てくるかもしれない。
△△ 新アルバムはどんな感じなんでしょう。
大江 孤独っていうと、暗いイメージがあるんですけど、一人が二人になって、エネルギーが増幅していくっていう孤独の持つ光と影を歌いました。等身大の歌を歌っていくことに地軸を定め、作ったんですね。懐かし新しいっていうか、私小説の色彩が強いんです。
△△ 音楽を通して伝えたいことって。
大江 僕が聞いてほしいのと違うところで、反応のあることが多い。一人ひとり、つくりが違うように、響く部分も微妙に違うんですね。CDを聴いてくれてる人の数だけ、曲が成長していくんでね。でも、コンサートの時、ぐっと似た周波数で、バチッとつながり合う瞬間がある。似た価値観を持った人が世の中にはいて、電波を飛ばせばどっかで必ず、答えが見つかるはずみたいな感覚は、デビューから17年たっても変わらない。
△△ どんな子供でしたか。
大江 やんちゃでもあり、一人でもよくいました。学校ごっこやる時は、常に先生役でしたね。
△△ NHKの朝の連続ドラマ「あすか」では、先生の役でしたね。
大江 先生役は初めてだったんですけど、快感でした。丸付けとか得意でしたから。
△△ 今の中学、高校生とは違いましたか。
大江 バーチャルな世界で遊んだり、携帯電話があったりと状況は違う。最近の子供たちは土に触れることなんてほとんどないでしょう。昔は学校以外に、自分の居場所がいくつもありました。学校っていうのは、それ以上でも以下でもなく、たいしたことないですもんね。いじめられて、それがすべてになってしまう状況というのは「?」っていう感じですね。
△△ 名前の由来は百人一首の大江千里ですか。
大江 彼のことは非常に意識しているんですけれど……。「万里」というペンネームで趣味でものを書き、身寄りのない人の世話をしていたおじいちゃんのように心の広い、優しい子に育ってほしいとの願いを込めて、親は「万里」にしようと思ったけれど、生まれた僕の顔を見て、一けた下げて、千里にしたと、小さいころ、よく聞かされました。妹は万里なんですよ。
△△ ミュージシャンは天命と思っておられますか。
大江 大学生のころ、読売新聞に勤めていたおやじは「読売旅行に就職しろ」と冗談で。「夢ばかり追うんじゃなく、現実に根差して、いろいろ試して、本当に合った仕事を選ばなきゃいけないぞ」みたいな話をしてました。でも音楽漬けで、ミュージシャンになるって決めてたからドアが開きました。
△△ 両親は協力的だったのですか。
大江 最終的には好きなことを選ばせて、やらせてくれた。浪人が決まった時、「プロになる」って言ったら、おやじに「ピアノをかついで出て行け」って言われて。家を出たんですよ。ピアノは置いたまま。近所を一周して、「大学に入っといたほうが得かな」と家に戻った。一日5時間ぐらいだったピアノの練習時間を、受験勉強とピアノに分けました。
△△ これからの夢は。
大江 自分が一番楽しいと思うことを大事にしたい。音楽で生きているわけですけれども、趣味みたいな部分で引っ張っているところがある。別のところでちょっと稼いで、ここではぜいたくして、みたいな発想があって、好きなことを近くに置いて、大事に守っていける状況っていうのを作っていける自分であり続けたい。
△△ 40歳っていうと企業では中間管理職になっている人もいます。
大江 日本の芸能、音楽界って17、18歳がターゲットですから厳しいですよ。でもね、キャリア積んでるわけで、この年齢でしか書けないものや表現できないもの、影響を与えられることってあると思うんですよ。自分のできる範囲の中で精いっぱいやるってすごく大事だと思ってるんですよ。世代の空気をもっと強く出していければいいなあって思うんですけどね。

 
(読売新聞 2000年8月27日)
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