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楊子江定期船旅行記



同部屋のメンバーで記念撮影
同部屋のメンバーで記念撮影


はじめに


この駄文は、1990年の中国旅行記を、1991年、ある旅行雑誌に載せて頂いたものを、ほとんどそのままアップしてます。
おいおい説明文、写真などを追加して、もっと読みやすくしようと思っています。
(・・・と思って写真・説明文を追加したら、かえって読みにくくなってしまいました。しかも一部使い回し)
当時の通貨は1元=約30円くらいだったと思います。



定期船『江渝』で楊子江を遡った7日間



旧鑑真号  横浜国際船ターミナル  横浜国際船ターミナル 
旧鑑真号(横浜〜上海航路:現在は大阪・神戸出航のみ)

 去年(注:1990年の事です)の秋、横浜港発の鑑真号に乗り、上海へと旅立ったのは、ほんの気紛れからでした。
中国語は全くダメ、目的は『上海ガニ』、といういいかげんさ。

1週間程、上海の混沌を楽しみ、B級グルメを気取り、そろそろ帰路に着こうと思っていた時、 重慶(チョンチン)行きの定期船の事を知りました。

預園上海雑技団上海雑技団はスゴイ!
前売り券の販売所に行ったら、運良く、翌々日の一番良い席を買う事が出来ました。たしか10元(当時約300円)。
ゴチャゴチャと楽しい預園

長江(楊子江)きっての景勝地『三峡』・・・重慶から漢口までを、2〜3日で下る『三峡下り』は有名ですが、 逆に、上海から7日間かけて『三峡上り』をする船があると聞いては、好奇心を抑えきれず、 教えられた人民路218号の住所を捜し当てると、倉庫のような建物の2階に 薄暗くも殺風景な長江航路の前売切符売場。
170元ちょっとを払い、無事3等の切符を手に入れたのでした。

 2日後の朝、十六舗埠頭(国内航路の船着場)へ。 広い待合室の中で重慶行きの場所を探し、人の流れについて乗船。

船は、香港のスターフェリーを一回り大きくした感じ。
4層になっていて、1階が5等船室と厨房、エンジンルームなどがあり、2階が4等船室、食堂、服務員室、医務室など、 3階が3等と2等船室、上級船客用食堂、売店など、4階が船員室、録像室(ビデオ上映室)などとなっていたようです。

江渝のデッキプラン? 録像(ビデオ)上映予定黒板に書かれた今日の録像(ビデオ)上映予定
廊下にあった江渝のデッキプラン?

5等からあふれた人かそれとも6等なのか、通路等には毛布や寝袋などにくるまって寝ている人がかなりいました。
1等以上の船室については不明。2等でさえ、船客がいないものと見えて、通路はふさがれ、上級船客用の食堂も昼間は閉鎖、 夜はダンスホールになっていました。

 船に乗り込み、切符を見せて身振り手振りで案内を頼むと、連れて行かれたのは服務室。
服務員さんにとり囲まれ、筆談で、170元近い追加料金を要求されて大ショック。
中国名物(?)『外国人料金』の事は知っていましたが、私は、切符を買う時にチェック されているものと思い込んでいたのです。
「それなら4等に替えて欲しい」と頼むと、今度は4等運賃130元の90何%だかの追加料金を払うように言われました。
ところが、回りに集まって来た中国の人達のすごい抗議でとうとう服務員側が折れて、結局私は3等の正規料金と4等の外人料金の差額、 85元程を払えば良い事になりました。まわりの中国の人たちも大喜び。何の縁もない外国人のために、 延々と言い争いをする中国の人達の親切さとパワーには感動しました。

4等船室
2段ベッドの4等船室

 4等船室は2段ベッドの12人部屋。ベッドには枕と2枚の毛布。(3等は8人部屋で各部屋に洗面と机が付いているようでした。)
トイレとシャワーは、2階・3階にそれぞれ男女別の共同トイレ、シャワー室があるのでそれを利用します。
2階には共同の洗面室もありました。
シャワー室、洗面室でも、もちろんお湯が出ますが、お茶や食事に使う熱湯は各階に専用の蛇口があるので、 お茶の葉やインスタントコーヒー等を持っていればいつでも熱いお茶が飲めます。

食堂は朝・昼・晩オープン。朝はおかゆのセットで0.6元、昼、夜はご飯とおかずのセットで各1.5元〜3.5元位。 まず案内所のようなところで適当な額の食券を買い、それを食堂に持っていって食事を買う方式。
ビールやお酒もありました。

沿岸の風景
長江沿岸の風景

 さて、船は朝の10時に無事出航。わが4等24号室の12人は、私以外もちろん中国の人ばかり。 最初こそ多少のとまどいがあったものの、1時間もすると賑やかそのもの。
みんなとても親切で、様子のわからない私に、お茶を入れてくれたり、食堂に案内してくれたり。
特に私の上のベッドの女の子は、みんなの話を逐一紙に書いては解説してくれるし、 こちらが中国語を全く解せぬ事など ものともせず、どんどん話しかけて来るし、 とにかく親切、元気。
20歳位にも見えるその女の子が実は38才の主婦と知ってビックリ。
彼女は上海で働くご主人に会いに行った帰りとか。大の仲良しになりました。
他には上海の電視台(テレビ局)で働く息子さんを訪ねがてら旅遊を楽しむハルピンのご夫婦。
青海省の銀行員のお兄さんは大の映画好きで、今日は日本映画、今度は香港映画と毎日録像室通い。
お洒落な小姐(シャオジェ:お嬢さん)2人は、毎夜おめかしでダンスホールへ。彼女達、船中の人気者でした。

長江の川霧
長江の川霧

 2〜3日目の朝はすごい霧で、それこそ一寸先も見えないほど。安全のため航行を停止する事もありました。

港に着くと次々乗り降りする人たちの横で、岸壁に売店が開かれ、デッキに買物をする人達が集まります。
「面包!面包!(ミェンパオ:パン)」「快餐麺!快餐麺!(カイサンミェン:インスタントラーメン)」と、 賑やかな声が飛び交い、タモ網を使っての品物やお釣りのやりとりは見飽きません。

タモ網でお釣りをもらう
タモ網でお釣りをもらう

夜ともなれば、ほとんどノド自慢大会。中国の流行歌や、日本映画の主題歌、民謡・・・中国の人達の歌が上手な事!
中でもハルピンのおじさんが歌うモンゴル民謡はひときわ胸に沁みる歌声でした。
オンチな私も『ソーラン節』だの『北国之春(中国でもヒット)』だの歌わされ、もう大騒ぎ。
中国の渇酒拳に日本のジャンケン大会。よその部屋からも何事かと観に来るほどの賑やかさでした。

 南京、安慶、九江等の港を過ぎ、漢口ではイルミネーションも美しい大橋の下を抜け、 5日目には宜昌(イーチャン)のダム。船をためて水門を閉め、水位を上げる面白い所。

宣昌の閘門
  宣昌の閘門

  ←こんな所が↓こんな水位に
 宣昌の閘門

そして、ここを過ぎると、いよいよ三峡へ。
みんなで記念写真を撮ったり、誰かが持っていた漢詩の本を開いて、即席の朗読会。
李白、杜甫等唐代の詩人達の、三峡を詠んだ詩を次々と説明してもらって、しばしタイムスリップ気分。
『江渝』の『渝』が重慶の昔の地名『渝州』に因んだものであることも解って納得でした。
チンプンカンプンだった中国語も、このころになると、ホンの片言くらいなら解るようになって、 みんなとふざけて悪口を言い合うほど、和気あいあい。

 7日目の朝、重慶に到着後、別れ別れになりましたが、日本に帰ってきた今も、 「あの7日間は楽しかったですね。」と、手紙をもらいます。
楊子江の雄大な景色も、もちろんですが、中国の人達と家族のように一緒に過ごした日々は忘れられません。

 と、ここまでを読むと、一見優雅な船旅の印象を与えるかも知れませんが、 実は、ドアのないトイレ、デッキに乗り出して旅情に浸っていると必ず上から降ってくるツバやゴミ、と、 文化の違いによるツラさも多々ありました。
でも、そんなの平気。根性はあるけど、お金が無い。という方は、ぜひチャレンジを!
長江の定期船(江渝の同型船)
長江の定期船(江渝の同型船)


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