弔辞

 林戸先輩 遂にお別れのときが参りました。長らくご病床に伏されたのでご無沙汰に打ち過ぎましたが、思えば長き良きお付き合いの人生でした。

 先輩が同志社大学を昭和11年卒業された年に小生が入学し馬術部部員となってから先輩・後輩としての交際が始まり、先輩が健蹄会理事長の折 会社勤務が岡山に転勤になり京都を離れられた際 小生理事長を引き受けた因縁があります。

 小生 学生時代馬術の試合には斎藤・田村の同級生先輩と3名で必ず顔を見せ応援してくれたことが如何に学生たちに励みになった事かと懐かしく思い出されます。

 昭和145月名古屋で立教・法政・名古屋大学との4大学馬術定期戦で同志社大学が優勝した折は林戸先輩のお世話で学生一同が稲荷山でマツタケのすき焼きパーティで優勝を祝ってもらった事は強い印象で脳に今も残っています。

 昭和335月には岩倉厩舎に新厩舎が完成し健蹄会OBの集まりも増え始め昭和437月には小生が幹事で戦前の健蹄会OBを17名高野川大和料亭に集め、また457月にも第2回目の戦前OB会で20名集合でき 健蹄会の復興に共に努力下されました。

 小生定年退職後は林戸・斎藤・田村・木村・柳沢先輩と寿蹄会を結成し、老後の観光旅行を楽しむ事として53年には乗鞍岳から平湯温泉に泊まり60年には岡山の井上先輩宅を訪問し倉敷を訪れ 秋には関西汽船さんふらわ船で別府から長崎まで足をのばし、61年には千葉佐倉市の潮来水郷巡りを楽しみ 平成になり下呂温泉・南淡路国民休暇村・大山蒜山高原も訪れましたが、他界者増え平成3年で中止となりました。平成88月の馬術部80周年記念式典には残念ながら林戸先輩は欠席となり、それ以来お顔を見る事無く一同残念に思い居りたる次第でした。

 林戸先輩には今年行年百歳を迎えられ昨年百歳を迎えられた岡山の井上先輩に次ぐ長寿人生に驚かされていましたが、今日天寿を全うされ天国に召されましたが馬を通じての良き楽しき人生を送られたものと感服しています。

 今は先立たれた奥様と天国で再会を果たし、また先立たれた寿蹄会の仲間を集め楽しく賑やかに過ごされる事を望み、健蹄会の後輩連と在天の御霊の永遠に安からんことを心からお祈り申し上げます。

平成21930

同志社健蹄会

長岡寛厚