梅田 総一郎 さん 2006年 03月 21日 21時 09分 36秒

  

  僕は行く!!

梅田聡一郎 さん 2006年 03月 19日 19時 04分 07秒



  二度とこの僕にあんな事すんな。

  二度とこの僕に恥じかかすな。

  ギャラリーや美術館内で!!

  「来る意味ない?」

  「来たくねえんだよ!!こっちも!!」

さようなら さん 2006年 03月 19日 19時 02分 56秒

楽しい学生生活を脅かすことになりかねない,様々な手口でせまってくる不当請求や悪質商法に対応するため,消費者トラブルの事例を下記に明記しましたので,一読するとともにトラブルに巻き込まれないように十分注意してください。
東京芸術大学学生課
目次
1.迷惑メール等がきっかけの不当請求
2.オンラインショッピング・ネットオークション
3.アフィリエイト
4.デート(恋人)商法
5.アポイントメントセールス,キャッチセールス
6.訪問販売
7.マルチ商法
8.資格商法
9.特定継続的役務提供
10.多重債務
クーリング・オフ制度


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1.迷惑メール等がきっかけの不当請求

パソコンや携帯電話へ届いた「出会い系サイト」や「アダルト系サイト」の広告メールにうっかり接続してしまったら,利用料金の請求がきてしまった。

《事例》
携帯電話に,出会い系サイトの広告メールが届いた。興味本位でちょっと覗いてみてから削除しようとURLをクイックしてみたら,いきなり次の画面に「入会完了!5日以内に3万円支払ってください」と表示された。

ここがポイント!
(1) サービスを利用(契約)しようとして接続したわけでなければ支払いの義務はありません。
(2) 発信元への返信(再送信を断るための画面等)で,自分の名前や電話番号などを教えると,二次被害につながることがあるので,個人情報は絶対に教えないこと。
発信元は,無作為に複数のメールアドレスに送信しているだけの場合が多いと思われ,解っているのはあなたのメールアドレスだけの場合が多いです。
(3) 身に覚えのないURLには興味本位で接続しないことが第一です。
(4) 利用していないサイトから料金の請求がきたら無視することです。
(5) 迷惑メールを受信しないために,文字数が多く複雑なメールアドレスにしたり,各種サービス(フィルタリング機能)を活用しましょう。
(6) 支払の催促や脅迫をされたらすぐに警察へ相談しましょう。

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2.オンラインショッピング・ネットオークション

インターネット上で契約の申込みなどをおこなうインターネット通信販売が普及し,自宅で手軽に買い物が出来るようになりましたが…。

《事例》
ネットオークションで欲しかったパソコンを落札したので,代金を振り込んだが,なかなか商品が届かない。そのうち,出品者と連絡が取れなくなってしまった。
《事例》
ネットオークションでブランド物のバックを落札したが,届いた物は明らかに偽物だった。

ここがポイント!
(1) インターネット取引では取引相手が見えないため,信頼できる売り主かどうかをよく見極めましょう。多数の商品を扱う事業者には住所・氏名・TEL等の表示義務がありますので,必ず確認しましょう。店頭価格より大幅に安いような場合も要注意です。
(2) 支払う前に,出品者の連絡先・申込み・落札画面などプリントアウトしておきましょう。
(3) 大切な買い物には,出品者と落札者を仲介する(有料)サービスを利用する手段もあります。(エスクロー,代引き,クレジットカードなど)
銀行振込に比べてそれほど料金が高くないこともあります。

《事例》
友人・知人から不要品を多数集め,ネットオークションで出品していたところ,オークション運営事業者から「特定商取引に違反しているので氏名・住所・TELなどを表示するように」と警告された。

ここがポイント!
(1) ネットオークションは,個人が容易に売り主となり得るシステムです。
個人であっても多数の出品を繰り返す場合には特定商取引法の「販売業者」に該当し,氏名・住所・TELなどや返品特約等の取引条件を表示する義務が発生することがありますので注意しましょう。

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3.アフィリエイト

自分のブログ等に商品広告を掲載し,そのブログ等を通じて注文が行われると販売店から成功報酬がもらえる仕組み。最近,月に数十万円も儲かるといった宣伝をよく見かけますが,そんなにウマイ話ばかりではありません。

《事例》
自分のブログに,アフィリエイトの報酬料率の高い健康食品の広告を掲載し,「飲んだだけで5Kgやせた」などと書き込んでいたところ,このブログを読んで購入した人から文句を言われた。

ここがポイント!
(1) インターネットで情報発信する際には,正確な情報を記載しましょう。他人の権利を侵害したり,虚偽の説明をしたりすると,法的な責任を問われる可能性もあります。
(2) 「楽して儲かる」方法はありません。アフィリエイトとして成功している人は,買い手にとって魅力的なサイトとして,信頼を得るため,多くの時間をかけて努力しています。

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4.デート(恋人)商法

言葉巧みな話術で異性に好意を抱かせ,それにつけ込んでアクセサリーなど高額な商品を販売する商法。

《事例》
携帯の「出会い系」のサイトで知り合った異性から,「今度デートしようよ」と誘われた。デートの途中で自分がデザインしたアクセサリーを展示しているイベントをやっていると連れて行かれ,好きだったらアクセサリーを購入するように勧められた。嫌われたくないからクレジットで契約してしまった。

ここがポイント!
(1) 恋愛感情を巧みに利用し,契約へ誘導するのが目的です。
(2) 一度買ってしまうと,また購入してもらえると思われ,次々に商品をせがまれることがあります。
(3) 出会いのきっかけが携帯電話の「メル友」や「出会い系サイト」の場合は要注意です。

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5.アポイントメントセールス,キャッチセールス

電話で「あなたが特別に選ばれました。○○を取りに来てください」や「○○様が当選しました。特典があり,○○ホテルや○○センターなどの行楽施設が特別に低料金で利用できます。」などと言って販売目的を告げずに事務所などに誘い出し,商品やサービス等の購入の契約をさせるアポイントメントセールス。
駅前や路上で呼び止めて営業所などに連れて行き,商品やサービス等を販売するキャッチセールス。

《事例》
街で「美容に関する調査をしています。協力してくれたら,化粧品のサンプルを差し上げます」と声を掛けられた。営業所についていきアンケートに答えたが,その後,高額なエステの契約を勧められた。締め切った部屋で勧誘され,契約しないと帰れない雰囲気だった。

《事例》
海外旅行や高級ホテルなどの低料金利用の特典について説明され,特に利用しないと思われるところが多くても巧みな話術に掛かり,つい高額な英会話の教材購入の契約をしてしまった。また,購入後のサポートがまったく無く,英会話が身に付かない。

ここがポイント!
(1) どちらの商法も事業者の営業所などに連れて行かれ,長時間にわたり勧誘し契約を迫ってきた。
(2) 「タダ」に釣られて,簡単について行かないことが肝心です。
(3) 不要な商品の販売には,毅然と断りましょう。

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6.訪問販売

自宅などに販売員が訪問してくる商法

《事例》
「お届け物です」と人が訪ねてきた。ドアを開けると,実は新聞の勧誘員で「部数を伸ばしたいので,名前だけでも良い。いつでも解約できるから」と執拗に勧誘され,夜だったので押し問答になるのも面倒で契約をした。
《事例》
アパートなどの不動産会社(大家さん)から,換気扇や浄水器等のフィルター交換を
依頼されたと装って,必要のない作業をして居住者に多額の請求をしてくる。

ここがポイント!
(1) 一人暮らしや留守番の時を狙って突然訪問し,電話会社や消防署の職員を装ったり,無料点検と言って家にあがりこみ,商品の購入を長時間,執拗に勧める場合があります。簡単にドアを開けたりせず,用件を再度確認する。服装やセールストークに惑わされることなく,契約は慎重にしましょう。
(2) 電話会社,水道局,ガス会社,消防署,不動産会社等からの依頼を装っている場合が多々あるので必ず依頼元に確認するようにしてください。

※訪問販売ではないが,過去に本学の在学生に対する詐欺行為として下記の様な事例がありましたので,類似の詐欺行為には十分注意してください。

学生の下宿先に「アパートの契約を仲介している不動産会社の変更及び家賃等の振込先の変更等」について郵便物による通知があった。
事前連絡もなく突然の通知に対して不審に思った学生は,契約している不動産会社や大家さんに連絡を取り,そのような事実はまったく無く,家賃等を詐取するための振り込め詐欺であることがわかり,事件は未然に防ぐことができた。

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7.マルチ商法

個人を商品等の販売員として勧誘し,次の販売員を勧誘すれば収入になると,組織を連鎖的に拡大する商法。

《事例》
サークルの友人から連絡があり,割の良いバイトがあると誘われセミナー会場に行った。会場では「健康食品を購入し,友達に売ればマージンが入る。勝ち組になれる。」と誘われた。

ここがポイント!
(1) 悪質なマルチ商法は,一部の成功例を強調し,あたかも全員が成功するかのように勧誘してくることがあります。「必ず儲かる」ウマイ話はありません。
(2) 多量の商品を購入しても思ったように売れず,売れ残りの商品や借金を抱えてしまうリスクもあります。
(3) 大学の友人,先輩,後輩を勧誘することが多いため,学校内での信頼関係や友人関係を壊すことになりかねません。
(4) なお,商品が介在しない,いわゆる「ネズミ講」は「無限連鎖講の防止に関する法律」で禁止されています。

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8.資格商法

自宅等に電話をかけてきて,資格のために講座の受講や教材の購入を契約させる商法。

《事例》
自宅などに突然電話が来て「あなたのバイト先から依頼を受けたので書類を送りたい」と言われ,忙しかったので,つい自宅の住所を教えてしまったところ,後で講座の契約書が送られてきた。

ここがポイント!
(1) 「結構です」「はいはい」といった曖昧な返事はトラブルのもと。口約束でも契約は成立します。契約の意志がない場合ははっきりと断りましょう。
(2) 過去に類似の資格講座を受講していた人に,まだ,講座の契約は続いていると嘘を言い,更新費用の支払いを求める手口も横行しています。過去の講座が既に終了している場合は,取りあわずきっぱりと断りましょう。

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9.特定継続的役務提供

身体の美化,知識の向上などを目的として,継続的に役務(サービス)を提供する取引のことで,エステティックサロン,語学教室,学習塾,家庭教師派遣,パソコン教室,結婚相手紹介サービスがこれにあたります。

《事例》
エステの無料体験に軽い気持ちで行ってみた。体験後,「今ならキャンペーン中」と勧められ1年コースを契約したが,思うように効果が現れない。前払いで1年分払ってしまったが,解約はできないと言われた。

(1) 契約期間が比較的長期にわたり,料金が高額で一括払いのものが多い。サービス内容が違った,期待した効果が現れない,業者が倒産しサービスが受けられなくなる等のトラブルがあります。
(2) 契約の締結にあたっては,サービス内容や契約期間,中途解約(退会)時の精算方法,対価の支払方法(クレジット等)等,契約内容について十分確認したうえで,慎重に行うことが重要です。特に長期間の高額な前払いの契約は避ける方が無難です。
(3) それまで受けたサービス代金と一定の損害賠償金を支払えば,理由を問わず中途解約が可能です。

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10.多重債務

クレジットで楽しくショッピング,気軽にキャッシング。でも,これは借金です。
複数の金融機関やカード会社から多額の借金をして,返済が困難になった人を多重債務者と言います。

(1) クレジットの無計画な利用,消費者金融等から安易な借入で多額な債務を抱え,自分で返済できずに自己破産するケースが急増しています。
(2) クレジット等の利用は,月々の収入でゆとりをもって返済できる範囲で利用することが鉄則です。無計画に安易にクレジットを利用していると,多額の借金を抱えることになります。もし,返済に困ったら,財団法人日本クレジットカウンセリング協会(TEL:03−3226−0121)に相談してください。
(3) カードの盗難やデータを盗んで偽造する犯罪が急増しています。利用するときは目を離さない,人に貸さない等,カード利用の基本的ルールを守ることが肝心です。

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クーリング・オフ制度

特定商取引法では,一定期間内であれば無条件で契約の解除が出来ることを認めています。
クーリング・オフの期間は,契約書面を受け取った日から,その日を含めて
8日間 …… 電話勧誘販売,特定継続的役務提供,
訪問販売(アポイントメントセールス,キャッチセールスを含む)
20日間 …… 連鎖販売取引(マルチ商法),業務提供誘引販売取引(内職商法)

上記期間内に,書面(はがき等)で販売会社に簡易書留扱いで通知しましょう。
原則として,支払った代金は全額返金されますが,クーリング・オフ出来ない場合もあります。詳しくは下記相談窓口または地元の消費生活センターへご相談ください。
なお,通信販売は,クーリング・オフできません。

経済産業省消費者相談室TEL03−3501−4657(相談室直通)
http://www.meti.go.jp/intro/consult/a_main_01.html

関東経済産業局消費者相談室TEL048−601−1239(相談室直通)
http://www.kanto.meti.go.jp/sodan/shohishasodan/20040610ssannai.html


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梅田 聡一郎 さん 2006年 03月 19日 19時 00分 09秒

 あと、西本君、君は、

    「画家じゃないだろ?お前の作品、いつも腹が立って仕方なかったよ。塵以下だろう?」

梅田 聡一郎 さん 2006年 03月 19日 18時 58分 52秒


 そういうのはな、自分で教えるもんだぞ。

梅田 聡一郎 さん 2006年 03月 19日 18時 58分 21秒



   「あばよ、汚れ羊と汚れ先生。」

梅田 聡一郎 さん 2006年 03月 19日 18時 57分 25秒

 「上も下も、見る。」

 「塵爺。」

梅田 聡一郎 さん 2006年 03月 19日 18時 55分 49秒

 そして、一言で言うと、



 「君達はどうして、そんな、しなくて良い事をするんだ?」

梅田聡一郎 さん 2006年 03月 19日 18時 54分 20秒

 君たちは、単純に、僕にしてはいけない事をして、淡くって僕を全員でキチガイに貶めようとしただけだろう?
 そして、挙句、人殺しとかがウヨウヨしてる所に捨てようと目論んだ。

 恩をどれだけ仇で返すと気が済むんだ?私は、アンナ人間に会いたくも無いんだが?
 人にああいう思いをさせ、今日も鼻歌混じりに暮らしてろ。
 
自分に「気持ち悪い」などと言う爺に物を教わらん。

僕は、最後まで描く気なんだ。そんな「空論」を言うなら、要らない。私は今も描いてる。

    君はどうなんだ!!!

梅田 聡一郎 さん 2006年 03月 19日 18時 49分 54秒

 私は、君のように、「ワザと足引っ張ってる」のが大嫌いなんだ。
 
 切れる若者かお前らは。

梅田 聡一郎 さん 2006年 03月 19日 18時 47分 53秒

 藤井洋子、君は本当に塵だなあ。人間の屑としか言いようが無い。はっきり言って、君等、

    邪魔。

 心根は不純、人間性は疑わしい、進路も適当。
そのくせ人には五月蝿い。
 
 犯罪者を宛がって証拠隠滅とかはなあ、

 「懲役ものなんだよ本当は。」

梅田 聡一郎 さん 2006年 03月 19日 18時 45分 45秒

 人間の屑だ、お前らは、

 そして、もう一つ言ってやろうか。

 僕は将来、教師になる気なんかな、


  これっぽっちもねえんだよ。

梅田 聡一郎 さん 2006年 03月 19日 18時 44分 28秒

 そして、私の家庭の事情に入り込んで、勝手に憶測し、私の家の中身の悪態を付き捲る。私の家をボンボンとか抜かし腐る。
 
 私の家は一般家庭なのだよ。この塵共。

 今度あったら唯で済むと思うな。
 
 あと、先生、「気持ち悪い」とか言うのなら、きちんと物を教えてください。私、具体的用語としては、何も教わっておりません。

梅田 聡一郎 さん 2006年 03月 19日 18時 43分 58秒

 そして、私の家庭の事情に入り込んで、勝手に憶測し、私の家の中身の悪態を付き捲る。私の家をボンボンとか抜かし腐る。
 
 私の家は一般家庭なのだよ。この塵共。

 今度あったら唯で済むと思うな。
 
 あと、先生、「気持ち悪い」とか言うのなら、きちんと物を教えてください。私、具体的用語としては、何も教わっておりません。

梅田 聡一郎 さん 2006年 03月 19日 18時 40分 41秒

 藤井洋子、
 遠巻きに私の知人に頼み、私の身の周りを迫害するように仕向けたのが、君ですね。そして、そのツケを周り中に頼んで回ったでしょう。この汚れ。        
  

梅田 聡一郎 さん 2006年 03月 17日 19時 03分 57秒

 私は、絶対に画家を侵害したものを許さない。
 
 だ、そうです。
 

梅田 聡一郎 さん 2006年 03月 17日 18時 21分 07秒

 通行人を装うな。若井の。

梅田 聡一郎 さん 2006年 03月 17日 18時 17分 43秒

 離れた人間が戻ってきたとき、理由を突き詰めろ。
 自分が大事なだけだったら、突っぱねろ。
 申し訳なさそうだったら、
 申し訳なさそうに突っぱねろ。

 口調はAさん、音波はBさん、そんな人間駄目なだけや。信用すんな。寝てるときうるさいやつ、信用スンナ。思ってる事、思ってる事が正しいという事に意味がある。思ってる事が正しい事に!!

 

梅田 聡一郎 さん 2006年 03月 17日 18時 14分 25秒

 


  「共通項を探せ。相違点を喧嘩の材料にすんな。

   共通項を探せ。相違点を喧嘩の材料にすんな。

   危ないとき相違点を探せ。まったく同じ時共通   項を煮詰めろまったく違うとき相違点を探せ。

   画家でないなら画家の口調は良くない。
   相違点も探せ。立ち位置が違うのだから。
  相違点も探せ。立ち位置が違うのは事実だから。
  実際そうなってないとかいう問題でない。
 
 だまされる人間というのは、だます人間と
「同じ闇を抱いている。同じ闇を。」どちらも変わりがないと思え。どちらも。唯、少しだけ種類が違う。少しの差異であるが。対処だけ変えろ。
   

梅田 聡一郎 さん 2006年 03月 16日 17時 12分 56秒

 油ごとに再分化される文房堂油と、扱われ方を意識の重点においているターレンス。この2つの油を使いこなせる様になれば、かなりinhaltを熟知しているのではないかと思われます。リタッチング(再加筆)の油と、第一層目に用いるレクティファイド(タッチの残しやすい)ホワイトスピリッツ(速乾型レクティファイド)、上層保護のダンマーと、速乾のダンマル樹脂。柔軟質のヴォイルド・リンシード。絵の具の伸びが良いヴェネチアン。

 レクティファイドはそのまま薄め液になり、筆の洗浄にも良いと言います。sikkativecourtraiや、voild linseed などの、文房堂にある基本溶剤の促進状態の油もターレンスには多く見られます。

 しかし、一定以上のレベルで、きちんと節制もって使い分けるのならば、

  

     「細かく全種使うのが普通です。」


 それが、分別を知る事にもなります。

梅田聡一郎 さん 2006年 03月 16日 16時 15分 56秒

技術verhalt(実在部)と、意識inhalt(見えない部位)の関連

  両5段階
 
 verhalt(面積差異と使用技術、使用画材)
 verhaltrealitat
(モチーフと描画媒材の科学的、化学反応、形状の近似値。見る側に促す反応の正しさの技術的明確さ。使用技術との近似値でもある。) 
  
 inhalt(大きな概意意識から、細かな部分意識へ)
 inhaltrealitat
その物の距離、中身、目に見えない内包部分。重心、因果関係、使用、磨耗度による、生活する人間にしか解らない雰囲気、物の持つ、個性。重さ、中身の感覚。)

 技術と、意識。判断と、感覚解釈。自主性と判断基準と、意識と思いやりが、あれば在るほど上手く描ける。それをrealitat.と言います。

また、描く中での、気付きの数々を、inhalt,verhaltのどちらと取るかは一生続く事ですが、100パーセント、マイナスにはなりません。
 そっくりに描けない人を助け、そっくりに描ける人間の助長にもなる。その両方の基準を満たす。その絵画体系をもってして、 halt。と申します。

さん 2006年 03月 14日 19時 57分 59秒


 交番とお侍さん、一緒にするな!!

梅田聡一郎 さん 2006年 03月 14日 19時 57分 13秒



 ポン引きに脅された人間を、捕まえて回れ。

   じゃあな。

梅田聡一郎 さん 2006年 03月 14日 19時 55分 56秒


 「君達は、私の名前を知ってるかい?」

 お偉いさんの娘というだけで、総て許されるわけでも無ければ、
 のべつまくなし好かれるわけでもなく、
 まして、人間に対して何か出来るわけでも無い。


 ポン引きあてがうくらいしか能の無い人間だったら、ハナから相手を見て、物を言ったらどうだ?

梅田 聡一郎 さん 2006年 03月 14日 19時 52分 41秒


 「君達は、いつもそういう嫌がらせをしてるのか?
  同じ目に遭う度胸は出来ているかい?」

梅田聡一郎 さん 2006年 03月 14日 19時 49分 56秒

技術 ( tinting/painting) strength
profilli 描き始め解釈具体化描写
contrioni 輪郭線調整
preparetion 下地
crowazone      仕切り描き
impast        上層プリマ   
imprimatura    プリマ下地
alla prima      プリマ描き(盛描鼓舞)
haching 細密描線描写
crosshaching 細密線交差描写
brush strork 筆跡描写
scumbling      上層平塗り(流動斑無)
ebouche       おつゆ概形描
camaieu       
chiaroscuro     明暗描写
velatura       上層平塗り(斑無鼓舞) 
ririevo リリエーヴォ(盛描き描写鼓舞)
realitat デッサン/技術/解釈介在模写
 
croister man paint 描きぶりより、真実と実物への理解を増やす。
prima paint 真実よりも、世の中へこうあってほしいという懇

梅田 聡一郎 さん 2006年 03月 12日 18時 23分 03秒

  「7美徳と絵画生活の守護について」

 「cloister(回廊)の階段、階段の名前一段づつ」

penicillius 絵筆
halt (支え)inhalt(内的支え)
        verhalt(外的支え)
1科 通常の絵画 (real)
2科 inhalt verhalt を含有した、絵画常識、美徳、道    徳、様々な文化のいり混じった広義の意味での絵    画(realitat)
3科 7自由学芸前方3科
    修辞
    倫理
    文学
4科 7自由学芸後方4科
    天文学
    音楽
    算術
    幾何学
 7美徳      7自由学芸  7自由学芸の椅子 
 正義       修辞      「scala artmn」
 剛毅       倫理
 慈愛       文学 
 賢明       幾何学
 節制       算術 
 信仰       天文学
 希望       音楽

 icon 聖画

(inhaltの 無限) (verhaltの無限)

 二つの対なる解釈のあらゆる広義の意味でのinhalt
verhalt。

 inhalt=  内在 理論  美徳 由  意識点  注意         状況理解  原理 心理
 verhalt= 外在 技術 行い 自由 技術点 処置 
        対処 能力 


 「 子供も大人も皆大人になり、

 大人も子供も皆子供であった。」
 
 「子供によって大人は理解し、

 大人によって子供も理解する」

 「inhalt(内在)によってverhalt(外在)を裏打ちし、

 verhalt(行い)によって、inhalt(内面)を見つめ直す。」

    そして、段を踏み、理解を重ねる。


           
 懸命な人間とは、心から師を重んじ、その師が自身を吐き捨てる様な真似をしても、信じて描き続けるものである。


     「向いてない」と言われようと。

     「その他総て」が敵であろうと。


 その15万人の裏切りを1人で打ち負かし、そうして生きる。
     



        そして、27歳になりました。




 そんな私の先生に憧れた人生を、後一度でも「ホモ」と抜かしたら、殺す以上の重圧を与える。

      「気持ち悪い」


      「ホモ野郎」


 どんな罵詈雑言も、胸を掠める涼しげな褒め言葉に過ぎなかった。
 
     心、感動、骨子の人間関係。

 そいつを本物の絵画家と言い、指導と言うんだ。人間が人間を大事にするとは、その「骨子の感覚関係。」

 相手の身体を大事にする心を自身に向けたとき、そうなる。

  それを師弟という。

  絵画に生きた人間生活。


   「変態」

   「うざい」

   「気味が悪い」
  
 薄汚れた言葉も耳慣れた頃、やっと道が開けそうなんだ。

梅田 聡一郎 さん 2006年 03月 12日 17時 17分 55秒




   「私に対して、ギャラリーの中で後一度でも


  気持ち悪いと吐いてみろ。許さんと思え。」

梅田 聡一郎 さん 2006年 03月 12日 17時 17分 10秒

 


  「私を、何も考えず教わる人間と










     同じと思うな。恥を知れ。」

東京藝術大学 さん 2006年 03月 11日 17時 34分 12秒

インターネットなどによるストーカー被害の注意喚起について


 現在、情報化社会が進むことによって、必要とする情報がインターネットや携帯電話などで手軽に素早く入手することができる状況の中、本学の特性を考えると情報を入手するためだけの理由以外に、個々の芸術活動内容をホームページやブログを開設して社会に発信している学生諸君も多くいると予想されます。

 しかし、個人の情報を必要以上に発表することやメールなどにより見えない相手と安易に交信をすると色々なトラブルに巻き込まれる可能性がありますので特に注意して下さい。

 本学では、メールなどで知り合った異性からストーカー被害に遭い、友人や家族だけではなく警察の協力を求めたことがありました。

 万が一、ストーカー被害などにあった場合は住居地における警察署及び本学学生相談室に連絡して下さい。


かず さん 2006年 03月 09日 11時 39分 07秒
URL:http://x.z-z.jp/?I-BBS

話題の出会いBBS

やっぱヤルなら素人女性でしょ!!
全国対応で完全無料だったよ



梅田 聡一郎 さん 2006年 02月 28日 13時 56分 51秒

東京藝術大学が、職員の一斉募集を募っております。

パートタイマー 大学院映像研究科 事務 2名 平成18年3月3日(金)必着
日々雇用職員 附属図書館 図書館業務補助 2名 平成18年3月10日(金)消印有効
パートタイマー 附属図書館 図書館業務補助 2名 平成18年3月10日(金)消印有効

umeda souichirou さん 2006年 02月 22日 16時 00分 07秒

梅田 聡一郎 : 2006/2/22 6:49:43
後、ー晋里^卦貭未靴董∋笋粒愬C里漾チ棒C量Y未砲茲訛膤愎奮惻圓泙

      1人も存在しません。

 私の学年だけ、ー甬醋ね茖隠闇B振り返って。ブラックホールの様に。理由を突き詰めますが、準備はOKですか?

        



梅田 聡一郎 さん 2006年 02月 22日 15時 54分 49秒


後、ー晋里^卦貭未靴董∋笋粒愬C里漾チ棒C量Y未砲茲訛膤愎奮惻圓泙

      1人も存在しません。

 私の学年だけ、ー甬醋ね茖隠闇B振り返って。ブラックホールの様に。理由を突き詰めますが、準備はOKですか?
        
後、ー晋里^卦貭未靴董∋笋粒愬C里漾チ棒C量Y未砲茲訛膤愎奮惻圓泙

      1人も存在しません。

 私の学年だけ、ー甬醋ね茖隠闇B振り返って。ブラックホールの様に。理由を突き詰めますが、準備はOKですか?

        




梅田 聡一郎 さん 2006年 02月 22日 15時 53分 20秒

梅田 聡一郎 : 2006/2/22 6:49:43
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      1人も存在しません。

 私の学年だけ、ー甬醋ね茖隠闇B振り返って。ブラックホールの様に。理由を突き詰めますが、準備はOKですか?

        



梅田 聡一郎 さん 2006年 02月 22日 15時 53分 04秒

後、ー晋里^卦貭未靴董∋笋粒愬C里漾チ棒C量Y未砲茲訛膤愎奮惻圓泙

      1人も存在しません。

 私の学年だけ、ー甬醋ね茖隠闇B振り返って。ブラックホールの様に。理由を突き詰めますが、準備はOKですか?

        



梅田 聡一郎 さん 2006年 02月 22日 15時 52分 40秒

後、ー晋里^卦貭未靴董∋笋粒愬C里漾チ棒C量Y未砲茲訛膤愎奮惻圓泙

      1人も存在しません。

 私の学年だけ、ー甬醋ね茖隠闇B振り返って。ブラックホールの様に。理由を突き詰めますが、準備はOKですか?

        



梅田 聡一郎 さん 2006年 02月 21日 15時 11分 15秒

 寄付金を入れていて悩むのですが、私は鑑賞者ではないので、そういう区分けをされては凄く困ります。描き手なので、客扱いも困るし・・・。

 寄付金を入れた理由というのは、「私、一美術者としてこれこれこういう所できちんと働き、そしてその金を同じ美術者に与える事はしてゆく。」という意味でやっているので。
 その事で、金で何がしかの権限を買ったといわれても、凄く困ります。日本銀行券を「証明書」として取るならば、
「毎日をかように頑張っている」という証明書を頂き、その証明を与えるのですが・・・。

  「その、自身の私腹を肥やす自由を捨て、与える事の、何が(汚権)なのか、分かりやすく説明をして頂きたい。」

 と思う。私は。

 しかし、自身の証明として、喜んで賛助致します。

 その事が、働く自身を支えるとしたならば、どうでしょうか。

 「貴方と私の年齢は絶対に違う。しかし、貴方も私も、一度は50歳に成ります。」

梅田聡一郎 さん 2006年 02月 18日 12時 26分 02秒

インターネットなどによるストーカー被害の注意喚起について


 現在、情報化社会が進むことによって、必要とする情報がインターネットや携帯電話などで手軽に素早く入手することができる状況の中、本学の特性を考えると情報を入手するためだけの理由以外に、個々の芸術活動内容をホームページやブログを開設して社会に発信している学生諸君も多くいると予想されます。

 しかし、個人の情報を必要以上に発表することやメールなどにより見えない相手と安易に交信をすると色々なトラブルに巻き込まれる可能性がありますので特に注意して下さい。

 本学では、メールなどで知り合った異性からストーカー被害に遭い、友人や家族だけではなく警察の協力を求めたことがありました。

 万が一、ストーカー被害などにあった場合は住居地における警察署及び本学学生相談室に連絡して下さい。


学生課


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梅田 聡一郎 さん 2005年 10月 20日 17時 17分 23秒

そのようにして、各自さまざまな技術を体得しその個性を技術の変容や、突出で魅せる。この事が描き手各々の個性を助長させるが、一方で通り一遍の他の技術に支えられての突出と、一技術の突出では、安定感が違うのも事実ではある。油を薄く、薄く、重ね続ける人もいれば、筆勢を思い切り魅せる人もいる。そして、上級者になると、総てを一画面に込める努力はしても、一つの技術のみで絵画制作を終わらせる事は、まず無い。主格として目立つ、メインの技術は定められているし、それが一番魅力を放つ事に違いは無いのだが、相違点はそれが他の様々な技術に支えられている事にある。例えばハッチングをするにしても、その下地に合った色が塗布されているのとそうでないのでは、完成度に段違いの差が生じる 。

目次 [非表示] 1 道具 2 画調 3 技術 4 絵画5層 5 複合学術 6 有名画家 7 デザインの語源 8 遠近法 9 ウィキペディアにようこそ! 10 プレビュー機能のお知らせ




[編集] 道具 支持体

キャンバス(又はカンバスとも言う。キャンパスは大学の敷地、構内)(0〜300号) キャンバス張り器 木枠 キャンバス布 短釘

描写道具

ペインティングナイフ パレットナイフ スクレーパー 絵筆(0〜40号)  ラウンド(丸)  フラット(平)  ファン(扇)  フィルバート(平突)

木炭・鉛筆(8H〜8B) 刷毛 ローラー パレット(木) パレット(プラスティック) パレット(紙・ペーパー)

着彩道具

油絵の具 ペインティングオイル テレピン油 油壺 膠 油分速乾剤 下地剤 顔料 体質顔料 メディウム 仕上げ

上層保護剤 額縁(金・銀細工・木枠・アルミ枠)








[編集] 画調  絵画の画風は、何派、とか何風とかに分かれているが、技術の観点でいうと、このように沢山の画調に分かれている。

スキアグラフィア   陰影画 ポリクローム     多色画 ジャクスタポーズ   並列画 コラージュ      紙片体接合画 アッサンブラージュ  立体物構成画 インスタレーション  象徴設置画 カリカチュア     風刺画 ナチュールモート   静物画 デックファーベンモレリ不透明画 ポートリアル     肖像画(写実) ポートレイト     肖像画(心象)      イコン        聖画    グリザイユ      単色画 ディプティック    2部作 トリプティック    3部作 ポリプティクス    連作 壁画 [編集] 技術  技術には、様々な扱われ様があり、それは語感によってさらに感性質の高いものへと昇華する。単なる行いから、感性を含有した技術体系へと変化する。

基礎技術

平塗り ハッチング クロスハッチング マスキング ステンシル デカルコマニー フロッタージュ アッサンブラージュ ヒディング モデリング ポワリング アクションペインティング ドリッピング 透かし 暈し ブラッシュストローク ドライブラッシュ 特有技術

esquisee(エスキース)構想下絵 profili 線描 controni輪郭描写 disegno 素描 coloare 彩色 chiaroscuro (キアロスクーロ)階調画 impasto(インパスト)   上層厚塗り imprimatula(インプリマトゥーラ)有色下地 camaieu(カマイュ)    有色下地上単色画 ebouche(エボッシュ)   薄塗り下絵 glasis (グラッシ)    薄塗り重層画 scumbling(スカンブリング) 上層仕上げ平塗り(技術) veratula(ベラトゥ−ラ)  上層仕上げ平塗り (表現) alla prima (アラ プリマ)直接描き preparesion(プレパレーション)地塗り tintingstrength(ティンティングストレングス)着色力 hiding power (ヒディングパワー)隠魅塗布      併用可 

[編集] 絵画5層  絵画を描く段取りと同時並行する「意識点」にある。個性は人それぞれであるが、意識すべき順序は共通している。これを絵画5層(inhaltstructur)という。 絵画5層(物質であれば、2は構造、3は質感になる。)





1層目 明暗、形姿、概図、全体像をぼんやりと把握する。 (sfumato霧状効果)

2層目 動勢、量塊、量感、骨筋を把握する。 (anatomy解剖学)(masse/volume/moveman)(formung)

3層目 心の中、内臓、性格、感情、心境の状態を把握する。 (personal)

4層目 その扱われ方の癖、個性、哲学、発達と理由、人体の「物としての磨耗度」、性格を描く。 (tintingstrength)(wallen)

5層目 それらすべてを総合して、描写対象を象徴化する。 (Vostellung)  

[編集] 複合学術 これらを絵画に複合する事が、自分の絵画の可能性を広げるきっかけになる。


図(構図の正しさ、面白さ)

commensuratio(寸法) prospectiva 遠近法 liner perspective 線遠近法 sfumato 空気遠近法(霧状効果) graphein 記述 geometory    幾何学 iconography 図像学 golden ratio 黄金率(1:1.618) silver ratio 白銀率(1:1.414) distance axiom(距離公理) angle axiom (視覚公理) 線織面 天使遠近法(湾曲線分割)=幾何比例遠近法 地上遠近法(直線分割) =投射面投影遠近法 proportionalmente 釣り合い良い・バランスの良い hypervolacroslinerperspective(双曲線交差遠近法) Tennpointperspective(10点遠近法) paravolaperspective(放物線湾曲率操作遠近法) Revercepersepective(正逆遠近法) 消失点無限遠近法




体(体の作りの把握表現)

somatology    生体学 surface anatomy 体表解剖学 artistic anatomy 美術解剖学 芸(芸術を行う上での感覚)

kunst        芸術 kunstwissenchaft        芸術学 all germani kunstwissenchaft一般芸術学 kunst verhalten        芸術態度 kunstwallen           芸術意志 aesthetisia 感性学 象(検討あるシンボルとして描く方法)

ung 象構成 buildlesthureibung 形象記述能力 einbuildungskraft 形象構想能力  formung       形象構成 vostellung 表象構成 象状態(上記の方法で出来たシンボルの、芸術作品としての種類)

noema   形象 noesis  構象  zeigen  示形象

[編集] 有名画家 アルブレヒト・デューラー アルビン・ブルノブスキー アンディー・ウォーホル アンドレ・マッソン ヴァンアイク オスカル・ドミンゲス オーブリー・ビアズリー レオナルド・ダ・ヴィンチ ラファエロ・サンティ レンブラント・ファン・レイン ピーテル・パウル・ルーベンス ティツィアーノ・ヴェチェッリオ ヨハネス・フェルメール クロード・モネ ポール・セザンヌ フィンセント・ファン・ゴッホ サルバドール・ダリ ピーテル・ブリューゲル ピエロデッラ・フランチェスカ パウル・バンダーリッヒ ジオットー ジョルジュ・ルオー マックス・エルンスト エルンスト・フックス ルドルフ・ハウズナー ロベルト・マッタ マックス・ベックマン カラバッジオ  ピーターブレイク プッサン ブラマンク ティッツアーノ グスタフ・クリムト エゴン・シーレ ガストン ジャンミッシェル アガス・ジャック・ロラン ジョセフ・アルバース アルガルディ・アレッサンドロ ワシントン・オールストン ローレンス・アルマ・タデマ アルブレヒト・アルトドルファー ジャコポ・アミゴーニ カール・アンドレ フラ・アンジェリコ アンドレア・デル・サルト アンリギッラ・ソフォニスバ アントネッロ・ダ・メッシーナ アペル・カレル アーキペンコ・アレグザンダー ジュゼッペアルチンボルド アンドレ・ブルトン ジョン・ジェームズ・オーデュポン アウアーバック・フランク アーフェルカンプ・ヘンドリック フランシス・ベーコン バルドゥング・ハンス バッラ・ジャコモ バルテュス フラ・バルトロメオ ゲオルグ・バゼリッツ ジャンミッシェル ヤコボ・バッサーノ ポンペオ・バトーニ ヴィリ・バウマイスター フレデリック・バジル アンドレ・ボヌーブ ドメニコ・ベッカフーミ マックス・ベックマン ジェンティーレ・ベリーニ ジョバンニ・ベリーニ ベルナルド・ベロット ジョージ・ベローズ ジャンロレンツオ・ベルニーニ ヨーゼフ・ボイス アルバート・バイアスタント ジョージ・ケイラブ・ビンガム ピーター・ブレイク ウイリアム・ブレイク ウンベルト・ボッチョーニ アルノルト・ベックリン クリスチャン・ボルタンスキー ディビッド・ボンバーグ ボニントン ピエール・ボナール パリス・ボルドーネ ヒエロニムス・ボス フェルナンド・ボテロ サンドロ・ボッティチェリ フランソワ・ブーシェ ウジェーヌ・ブーダン ディリック・バウツ ボイド・アーサー ジョルジュ・ブラック ヴィクトール・ブラウネル アーニョロ・ブロンツウィーノ マルセル・ブロータース フォード・マドックス・ブラウン ヤン・ブリューゲル エドワード・バーン・ジョーンズ エドワード・バラ アルベルト・ブッリ ギュスターブ・カイユボット ロベルト・カンビン カレナット カルパッチオ カルラ・カルロ アンニバーレ・カラッチ メアリー・カサット アンドレア・デルカスターニョ ヴィンチェンツオ・カテーナ ジョージ・カトリン ポール・セザンヌ マルク・シャガール フィリップ・ド・シャンパーニュ ジャン・バティスト・シメオン ウィリアム・メリット・チェイス フレデリック・チャーチ チマブーエ ピーテル・クラース クロード・ロラン フランチェスコ・クレメンテ フランソワ・クルーエ トマス・コール ジョン・カンスタブル ジョン・シングルドン コロー・ジョン・バティスト コレッジオ デルコッサ・フランテェスコ クルーベ・ギュスターブ ジョン・ロバート・カズンス トニー・クラッグ クラナル・ルーカス アールベルト・カイプ サルバドール・ダリ バービニー・シャルル・フランソワ オノレ・ドーミエ ダビッド・ヘラルト ダビッド・ジャック・ルイ ディヴイス・ステュアート エドガー・ドガ ウジューヌ・ドラクロア ローベル・ドローネ ポール・デルヴォー モーリス・ドン アンドレ・ドラン ディーベンコーン・リチャード ジム・ダイン オットー・ディックス ウィリアム・ドブソン テオ・ファン・ドゥースブルフ ドメキニーノ キースヴァン・ドンゲン ドッソ・ドッシ ヘラルド・ダウ ダヴ・アーサ ジャン・デビュッフェ ドヴッチオ・ディ・ブオンセーニャ マルセル・デュシャン ラウール・デュフィ ヴァン・ダイク トマス・エイキンズ アダム・エルスハイヤー フランソワ ジェームス・アンソール リチャード・エステス ウィリアム・エッツイ ヤンファンエイク カレル・ファブリティウヌ アンリファンター・ラトゥール ジャン・フォートリエ ライオネル・ファイニンガー ルーチョ・フォンタナ ジャニ・フーケ 藤田嗣治 ジャン・オノレ・フラゴナール サム・フランシス ヘレン・フランケンサーラー フロイド・ルシアン カスパル・ダヴィッド・フリードリッヒ ニコラ・フロマン ダッデオ・ガッディ ゲーンズ・ボロ・トマス ポール・ゴーガン ジェンティーレ・ファブリアーノ アルテミシア・ジェティレスキ テオドール・ジェリコー マーク・ガートラー ドメニコ・ギルランダイオ ギルバート・アンド・ジョージ ハロルド・ギルマン ルカ・ジョルダーノ ジョルジョーネ ジオットー・ディ・ボンドーネ ロマーノ・ジュリオ ヒューフォ・ヴァン・デル・グース ヴィンセント ナターリア・ゴンチャロヴァ アシール・ゴーキー ゴヤ・ルシエンテス ファンホイエン ベノッツオ・ゴッツオリ エル・グレコ ジャン・ヴァティスト・グルーズ フトキンソン・グリムショー ファン・グリス アントワーヌ・ジャン・グロ ゲオルグ・グロッス アティアス・グリューネヴァルト フランチェスコ・グアルディ グエルチーノ フィリップ・ガストン フランス・ハルス リチャード・ハミルトン ハンマーショイ・ヴィルヘルム ハンス・アルトウング チャイルド・ハッサム ラウール・ハウスマン スタンリー・ウィリアム・ヘイター エーリッヒ・ヘッケル ヤン・ダーフィッツ・デ・ヘーム バーバラ・ヘップワース パトリック・ヘラン エドワード・ヒックス 安藤広重 マインデルド・ホッベマ デヴィッド・ホックニー ハワード・ホジキン フェルナンド・ホジョラー ハンス・ホフマン ウィリアム・フォーガス 葛飾北斎 ハンス・ホルバイン ヴィンズローラ・ホーマー ホントホルスト・ヘルト デホーホ エドワード・ホッパー ウィリアム・ホルマン ドミニク・アングル イヴァーノフ・アレクサンドル ヤウレンスキー・アレクセイ・フォン ジョン・グヴォン ジャスパー・ジョーンズ アレン・ジョーンズ ヤコブ・ヨルダンズ ドナルド・ジャッド フリーダ・カーロ ウィレム・カルフ ワシリー・カンディンスキー カウフマン・アンジェリカ アンセルム・キーファー キルヒナー キタイ パウル・クレー イヴ・クライン フランツ・クライン ゴッドフリー・ネラー オスカー・ロコシェカ ヴィレム・デ・クーニング ジェフ・クーンズ レオン・ユソッフ クルイエル ケプカ・フランティシェク ヴィフレド・ラム エドウィン・ランシア ピーター・ランヨン ジョルジュ・ド・ラトゥール マリー・ローランサン トマス・ローレンス フェルナン・レジェ レイトン・フレデリック ピーター・リーリー ヴキンダム・ルイース ロイ・リキテンスタイン 佐伯祐三 東郷青児 梅原龍三郎 岡倉天心 岸田隆生 玉川信一 開光市 荒川修作 滝口修造 加納光於 浜田知明 横山博之 春口光義 富張宏司 作田富幸 大津英敏 坂本繁二郎 横山大観 川上尉平 坂本善三 中島敏明 草間弥生 木戸征郎 岡本太郎 会田誠 林浩 工藤礼二郎 長嶋康雄 加来万周 松井冬子 木下藤次郎 [編集] デザインの語源 signifiant(意味する者)+signifie(意味される者)=sign(シーニュ.サイン) sign(サイン)+ do/する(動詞)=do sign (ドゥー・サイン) do sign = design (デザイン)

[編集] 遠近法  遠近法は視覚への対応から、遠近図を挟む事によって視覚をいかに面白く再表現(representasion)するかという行為に変化してきた。逆遠近法という、遠くの物が小さく、近くの物が大きいという手法や、5点、6点を用いた多数消失点混在型遠近法、天井の物を描くときは逆からも消失点を扱うので、点を増やしたりするのに始め、湾曲線(hyper vola)を用いた、双曲線遠近法や、地平線曲線分割型の天使遠近法、直線分割型の地上遠近法等、現在拡張の程を見せている。また、中国式遠近法「三遠」(高遠=空高く見上げる)、(深遠=空間深く見通す)、(平遠=地平線の向こうを見る)との関連、複合による新式遠近法も思考される。 肉体について  外に守る骨がガードとして存在し、中に袋が存在し、その必要性として動の必要性として筋肉が存在する。形を追うときはung,形象を構成する。ここではanatomy肉体の学問にきちんと拘る。人と関わるに関しても重要になるし、自分と向き合うに具体性を帯びる。人を描くに関してはリアリティーの根源として説得力を加える。  『私』においては、誰もわが身を守らない。自己理解でさえある。コミュニケーションとしてあらゆる分野に適応され、理解力を倍加させる。人間が集まって何ぼの美術で、人間を理解するのは当然と思われる。

 覚え方にも、恐怖を伴う人体も、グロテスクな様で実は法則性の塊である。

 例文)(名は体を現す。漢字が体の筋肉の意味をそのまま示唆している。)


 脊髄部筋肉・正中線部(左か右に偏る筋肉、必ずしも二つ以上と見ろ)




 頭半束束筋(頭の負荷に関わる束状の筋肉と知れ)

 頭最長筋 (頭のうち最も長い筋肉と知る)







 胸束束筋 (胸の負荷に関わる束状の筋肉と知れ)

 胸最長筋 (胸の辺りの一番長い筋肉と知る)




  外側に最長筋、内側に束束筋。





 脊柱起立筋(脊部の柱、起立するを支える筋肉二つと知る)


 腰腸肋筋 (腰、腸、肋骨、に関わる筋肉と知る)


 脊部+

 腰腸肋筋 (腰と腸、に関わり、肋骨に張り付く筋肉と知る)

 腰方形筋 (腰に関わる、三角を描く筋肉と知る)





 脊柱部筋肉の数、

 頭:胸:脊 = 4:3:2  簡単な下降バランス

 脊部+を含めた数

 頭:胸:脊 = 4:5:4  中央上がりのピラミッドバランス




 真の筋構成美しきとせよ。valanceを保持して生れてきているとせよ。名は『体』を『表』す。と書いて『体表』解剖学。文字の憶測駆け抜けよう。  脊部にバランスあり。まずは四つの束が広がり、中心二つに端二つ。それぞれ一つずつ。(名は体を表す。名称が働きと知れ。)  この世の本質は(平等)。男女に性器の違いあれど、束の数の違いは無いと見よ。 シニフィアン。機能を知り、名前の意、そこから探り、最後に覚えると良い。一番の教科書が、目玉から下に垂れ下がっているではないか。


 人体を覚えるときは、確定性としてlinerformung線形象であれ。

 人体を、実際対象、描くときは、不確定性としてvostelllung表象であれ。

 気持ちの悪いものを追うのでなく、相互理解の為と、恥を知る心としての象徴検討行為であると知れ。

 しかし結局はtintingstrength (着色力)にあると知れ。

肉体には役割の重複が存在する。同じ骨でもガード的機能であったり、支えであったり。その「骨」という1物質であるにも関わらず、機能の重複する事が、形状の微妙さと名前の複雑さを生んでいる。

美術解剖学(artistic anatomy)についての述解 梅田 聡一郎

 美術には、人物画が存在し、どの様な分野の絵画においても、その象徴性、人間同士の相互理解における人物の登場意義はとても重要な役割を担い、今日の絵画空間の中においても使用頻度の高い図像といえます。  その人物画の完成度、内部構造把握、ともすれば鑑賞者に「こうありたい」という影響を与うにいたるこの人物の正確な表現には社会的にも重要な役割と義務性があると感じます。人間が人間に影響を持たす図像である以上、その人物は、健康的であり、かつ美的でなくてはいけません。究極的には、その影響下にさらされただけで、その人間が正しき行いを心の中で歓迎するにいたるくらいのものであるのなら、もう逆に歓迎は免れないくらいであると感じます。  somatology(生体学)、surface anatomy(体表解剖学)も絡むものであるのなら、健康や、体内構造の生活における円満にも成り得、最上のものであると感じます。  健康と自分について考えさせられる、とても自然なものであるほうが、良いと思われます。そのような人と人の生活の「円満」の助長の為の絵画を描く、医学知識として美術解剖学があると感じます。人間がこういう感情を持つ、こういうシチュエーションに出会うとこういう心の変化をきたす、などの感情起伏や心理学との関連性や、自身の心を大事にするという意義においての絵画が、明日の空間を作るに至ると感じます。行動学的側面から見た人間の感情の起伏、安閑の法則などを示唆する絵画の条件も、健康学に精通する事で守られ、美術を知る事で、健康的側面に繋がってゆくという効果も期待できます。  速筋と遅筋の関係性についてや、赤色筋肉、白色筋肉との関連性、心の動きと体、筋肉の動きとの関連性、連鎖反応との関連性、病理さえ明かす美術解剖生理の心、絵画理解が身体理解に繋がるという関連性、医術解釈美術介在における、処置前の「観察眼における美術健康学的事前の事前処置と営淙涓宗廚皺椎修隼廚錣譴襦」  大腿四頭筋、腹直筋、外腹斜筋、腸内転筋、大胸筋、広背筋、三角筋、上腕三頭筋、上腕二頭筋、胸鎖乳突筋、僧帽筋、 外反母趾内転筋、外反母趾外転筋、筋肉の作動、心臓、膵臓、脾臓、肝臓、腎臓、大腸、小腸、総ての内臓の相互理解、心臓がポンプであり、毛細血管に血を流し体内の連動のエネルギーと化し、血を循環、取り替える。血液には成分が内在し、体の傷を治し、病魔を克服する力が存在する。その体内含有量によっても、体表も違い、描かれる人間の色自体が変化する。意味。肝心なのは、意味であり、その意味性を支えるのが、解剖学と医学の介在になる。   骨格においての問題や、恥骨、頭蓋骨、鎖骨、背骨、肋骨、指骨、手根骨、眼窩、背骨の数は12本存在するという事を知りえているのとそうでないのでは違うとか、体のどこの部分をどこの骨が支えているかという自覚に基づいて本人同士が生き、その事から来る悩みを共有しあう事の重要性。  体内理解によって、自身の体に対する理解を持つと同時に、自己自覚によって、自身を思う様生き生きと動かすことができる。  自己理解にも、他者理解にも繋がりうる。人間が、人間の可能性を最大限に生かし、具体的に自身を変える事さえできる。高度な才能が成すとてもとても抽象的な心と体の悩みさえも、体の具体的な悩みとして還元できる。

例)気韻生動と、心理学selfdynamizm(セルフダイナミズム)について

 「中国六画法は主格「気韻生動」(生き生きと動く、気韻、気迫を感じる絵を描く、美術の行いとしての動きを取る)という言葉がある。これがひいては心理学用語selfdynamizm(自己律動)(自身の体を生き生きと、体調管理という自己規律を持って動く)という、心理健康的動きを示唆する事と同じくするのではないかという事。気と韻律を感じる神秘性、生動という、生き生きとした動きとダイナミックさ、そして、生体の生き生きとした動きの事をも示唆するという意義を、気韻生動を、selfdynamizmと並べ比較し、同義点を見出す事で拡張させてみました。自己の生活を生体学的側面から見て円満にしつつも、その神秘性と生動(生き生きとした生活、美術としての躍動)たるや、才気あふれる。これが本物の気韻生動であるという感想です。改めて、その深みを感じてしまいました。」

   このように、美術解剖学には、美術家や美術家が描く対象の生活を円満たらしむ学識可能性も特化価値として存在します。描くにおいては画家に健康的知識を与え、鑑賞者にも人間生活の規範たる象徴を影響として与え、動くにおいては自己の管理や、生活の円満、心の隅々を知りえ、自由に立ち回る事を救う学術ににもなるという深みも存在します。 人類史において絵画が先か、文字が先か、という議論が良くされますが、無論絵画が先といえます。文字と言うのは契約の思想によって結ばれなければなりません。そうでなくては意味がなく、言葉は不信感をただよわせる情報の断片になってしまいます。一つの文字を少なくとも一つの社会で同じ意味をもつ了解される事の前提が必要になります。  アルタミラの洞窟壁画のビゾンの絵が以前として何の為に描かれたのかは分からないのだけれども、その美しい姿で人々の目をひきつけたのです。これまでは獲物として、それも捕らえたいという願望から描かれたという説明がなされていたのですが、その恐らくは勇猛な姿に人々が感銘を受けたから描かれていたのでしょう。しかし洞窟でもそのような美しいものだけではありません。  絵画として描かれたからといって、絵画として、つまり芸術として認められるわけではありません。「絵画」となる為にはそこに芸術価値があると人々が認定される必要があります。近代となって、美術館が出来る。そしてそこにある多くの絵画の中で、秀逸なる価値を持っているから展示しようとするわけです。そうした選択がある絵画が芸術となって認められたといって良いでしょう。  しかしこれは、近代に限った事ではありません。中国五世紀には「画の六法」という倫理に基づき、絵画批評の指針が生まれました。その価値観は現代においても主格と言えます。

中国画の六法最重要項「気韻生動」と、医学重要項「self dynamizm」の類似点について


 黄金率が何にも当てはまらない美しい分割割合であるのと同じくして、他のどんな術儀や基本的心得にも説明がつかないのがこの[気韻生動]。この二つは、


     [律の最頂点]

     [六画の最頂点]

 として、主要を成す2大極点です。この二つを兼ね備えたものは、美術に愛されているといって過言ではありません。

 そして、ここで着目したのが、心理学術『self dynamizm』です。『自己力動』自己を律し、ダイナミックに動かすという、『健康的かつダイナミックに律動す』という意義の言語です。

 「気韻もち、生き生きと動く」という気韻生動と、「セルフコントロールする力を持ち、健康的にダイナミックに動くボディコントロール」をする」selfdynamizmが、とても相似関係として類似した2極点であると感じます。同時に、お互い個性ある極点を担っていると感じます。  この二つの類似については、あらゆる角度で検討される価値があると思われます。


絵画技術には様々な用法、筆運び、技術が存在し、バリエーションに富む。

impasto(インパスト)   上層厚塗り imprimatula(インプリマトゥーラ)有色下地 esquisee(エスキース)   構想下絵 camaieu(カマイュ)    有色下地上単色画 ebouche(エボッシュ)   薄塗り下絵 glasis (グラッシ)    薄塗り重層画 scumbling(スカンブリング) 上層仕上げ平塗り(技術) veratula(ベラトゥ−ラ)  上層仕上げ平塗り (表現) alla prima (アラ プリマ)直接描き




1esquisee(エスキース)   下絵を構想


2ebouche (エボッシュ)   構想した下絵に基づき、薄塗りで下絵を描く


3glasis (グラッシ)    薄塗りで、下絵を少しずつ立ち上げていく。


4scumbling(スカンブリング)平塗りで、大きな面とその階調、色調を少しづつ立ち上げる velatula (ベラトゥーラ) 時に、その平塗りのタッチに表現を求む。


5おつゆ描き~細密描写    細部を厳密に立ち上げたり、油分の多い薄塗で、細部表現を行ったりもする。  この行程の中で、どんな途中と完成を求むかは自由になる。しかし、基本的に大事なのは、「徹底」。唐突に、経験の満たないアラプリマとか抽象(中傷画)画に逃げず、技術による、段階的な再現につとむ事が基本。

 等、沢山の技術に支えられて、油彩の技術的向上は望める。道具の機能も、この技術達との関連を鑑みると、使用方法を実感として掴む事が出来る。実のある指導者達は、これらが実に染み、これらに基づいた技術指導をするが故、多少しか絵を描いた事のない相手にさえ、実感を与え、向上させる事ができる。


下絵構想技術について(esquisee)

 下絵構想能力とは、思いのほか難しく、手記、補記的な問題や、描くことのほかに、次に展開したときに対する能力として「図る」(geometry)、「記述する」(graphein)という能力が存在します。その能力とは、次の行程に対する可能性を広げる意味としてのクロッキーを構想する構想構成能力(einbuildungskraft)が良く生かされます。可能性を広げる構想と、そこに完成度を求める為の図る、描き込む、前後感を持たす、という行為をつくる。絵画を描き、人を癒す心においては、(buildlesthureibung)形象記述能力も大事になってくるという事です。  例え形象そのものでなくっても構図において位置関係の少しのズレとか、描き込みの差異によっても意味性はとても違ってくる。写実、模写においても、形象意識のあるエスキースを描く事が重要になる。  エスキースは、∞である。技術と料金の関係性の重圧を感じずに想像を羽ばたかす事ができる。たとえ本人の作風がそれを実行するに至らなくても、その技術を持つ人間がその構想における絵画を制作に至るから。

 ※シニフィアンワード(勘違いするなかれ!!)  だからと言って、他人に想像力豊かなエスキースを描かせ、嘘を吹いて死なせ、遠まわしにクロッキーを手渡して良いわけでは全然無い。傾聴せよ。悪用をするなかれという事を。美しき心の行いと描いて美術という事を。                                                  梅田 聡一郎 隋類賦彩〜随類賦彩論 梅田 聡一郎  随類賦彩(スイレイフウタイ)とは、彩し続ける事の重要性と、そこから精髄、真髄を技術とともに見出す努力の事をさす。  技術的な卓越をさらに水彩技術をもって一段階上の表象に持ち上げる効果もある。=塑形したモデリングの上から随類賦彩。(応物賦彩論)  技術同士の複雑な混同でなく、一つの技術体系の上からもう一つ技術を置く。という事。パソコンの世界ではペーストしたら下の図像は隠れますが、上の図像と下の図像を描写技術によってかみ合わせる事ができるのが、絵画の世界です。  これは、(protraho)=引き出す、露にする、物の形を引き出す、露にする技術と似ている。起こした実際の形を随類賦彩によって更に上の段階に引き上げる。

 彩する、という思想が、更に心の安心を異文化に与える。真の伝統は、前衛技術とかけ合わせても、実はなんら遜色が無いのだなあ、と感心した。

zeigen=(形象学) 梅田 聡一郎  (noema)=構成に関した応物象形のテクスチャー(塑形)を空間上に配置してゆく。塑形物同士を、構造体として組み合わせる。さらにそれを描く。塑形に描写、描写に構成を重ねる。そして最後には丁寧な仕上げによって空間表現が正誤性をもって成立する。  彩度、明確な世界と逸脱、(noema)に拘らず、複雑な(difficulty)世界を適切なhow to draw (描写方法)によって表現してゆく。ラディカルであり、宗教的に成り過ぎず、科学的又技術的裏打ちがある。世界観は芸術であり、そこにリアリティーを持たせるのは現実的技術になる。  理解に理解を重ねた技術の積層と、明確に空間を表現するリアリティー。生体学(somatology)に通じた芸術世界と、明確な世界の安心感と安閑を創りあげる。    (芸術的形象)と、(応物描写)。そして、(科学希釈)。しかし、それさえも部分に過ぎない。(応物)=インウーという言葉の意味は、(物に応える)、(物を応用する)、(物質の可能性を引き出す)という希釈から生まれる。一見してそのもの単体が役に立たなくっても、その物体を構成物として一つの輝ける象徴を形成描写する 世界観と数字に裏づけられた図像学による形象黄金率をつくる。そして、双曲線空間と、3次元空間、二次元空間を同時保有する状態を、黄金率交差線を同時保有した立体物で空間を構成、空間内の物質を、現実に在り得ないつくりで描き、人物を生体学(somatology),美術解剖学(artistic anatomy),に基づいた上での象徴性保有人物画を描き、配置する。その上で、全体が、慈祖。恐怖でなく、真実を含有した慈愛。象徴形成物体として、高らかに屹立する事。静謐で残酷な細密絵画と同等のリアリティーを保有しつつも、主象形としてある物質と世界が、慈祖構成物体である事。

     「総ての学術が極点まで保有された、

      祖形象徴である事。」





 線形象が織成す線織面、構図の骨組みにしろ、そのままにしろ、両方において使えるまでの形象状態と知る。  線織面形象骨組みとしれlinerformung人体芸術骨格の象徴である。機能を超えて美しい。技術を孕んでなお遊び心。thinking strength思考の海の中に、皆好きな形を持つ。 形象面遠近法を、正逆遠近法操作∞遠近法に整える、合わせて、総体的に混合すると、 単純な平面構成だけで象徴を形作る事が可能になってくる。  要は、マチエールのバリエーショナルと、その描き込みの際のリアリズムのみで、様々な技術を用いる。と、いう事は、小細工も必要ないのだ。  前進色、後退色のバランスを調和させ、平面立体を平塗りによって仕上げる平面構成を、天麩羅で揚げたようなモチーフ構成になる。モデリング塑形によって確かなマチエールを下塗りの時点で制作し、上書きによってさらにリアリティーを増す。  完成度を意識する。モデリングを散漫にしない。と、様々な点に配慮をすべきだが、基本は、確かな線遠近法を用いる事。 要素

1)形  塑形(モデリング)  絵肌(マチエール)  応物象形(インウーシャンシン)  祖形  zeigen(形象)  noema(象徴構成)  noesis(象徴構成体)

2)  色  mat  落ち着いた

pale  のっぺりとした
dark  暗い
graysh 薄暗い
blight 明るい
vipid  派手、蛍光色
3)線  liner perspective (線遠近法)  geometry (幾何学)  iconography(図像学)  1〜5点遠近法

six point hypervolacrossliner perspective (6点双曲線交差遠近法)


基本要素

1)形  塑形(モデリング)  絵肌(マチエール)  応物象形(インウーシャンシン)  祖形  zeigen(形象)  noema(象徴構成)  noesis(象徴構成体)

2)  色  mat  落ち着いた

pale  のっぺりとした
dark  暗い
graysh 薄暗い
blight 明るい
vipid  派手、蛍光色
3)線  liner perspective (線遠近法)  geometry (幾何学)  iconography(図像学)  1〜5点遠近法

美術解剖学

美術解剖学とは、美術家の為の解剖学を意味します。 (how to draw )  描画方法  人体を描く知識 (surface anatomy) 体表解剖学 (somatorogy)    生体学 解剖学図を描く。

@どの様な仕組みをしているか。内部構造と形態、骨格、関節、筋肉、腱。 例)上腕二頭筋   上腕三頭筋   三角筋   外反母趾内転筋   外反母趾外転筋   広背筋   脊柱起立筋   大腿四頭筋   (内側広筋)   (中間広筋)   (外側広筋)   (大腿直筋)

   腹直筋    外腹斜筋    大胸筋    双子筋 顔部 眼輪筋    鼻根筋    上唇挙筋    口角下制筋    下唇下制筋    前頭筋    側頭筋                   etc..... 骨と皮、骨格、筋肉、脂質、皮質。これらの変化の位置によって人間の個性を描き出す。  骨格、関節、筋肉、皮膚、脂質の成り立ちを、見かけで追わず、法則性の集合体として把握する。

A生体の内部構造と外貌の関係

 人体表面に現れた起伏、窪みの把握。骨格の凹凸や人体の動きが、実際の体表に外貌としてどう関わるのか。手の力の入り様や、皮膚の表層の関係。皮膚の中身の筋肉や骨格、内臓の中身の部分が変化したとき、表面にでる具体的連鎖反応も把握し、描く。

B形態と機構、機能の把握  人体のある空間、空間の中にある人体同士の比例関係、geometry(幾何学)、iconography(図像学)的要素を、liner perspectiveを用いて描かれた空間に位置する人間の身体寸法の正確な把握。又、年齢、性別等の人間の老い、性差から来る身体的特徴も関係する。

C運動による形の変化  動きによって生じる生体の変化の観察。動勢=movemanにも通じる人体の動きを表すかの様にして、筆勢を持って描いたりもする。動きに連動した体の表情の変化や、動き自体の表現、それによる内臓の状況変化をも理解し、描ききる。 D形態として現れ、又現れる可能性のある特性  毛髪、皺、色調、血管や発汗作用を表現する。毛穴から汗を吹き、血圧の高低によって血管もその太さを変える。赤色筋肉と青色筋肉で運動に対する働きも異なる。発汗作用もあり、内臓の動き一つ一つの行動における状態を表し、描写に移行する事が大事になる。「アル一つの身体的状況」の把握〜絵画技術を持って支持面に移行する。(伝移模写。)

E造形された人体像と生体の関係  生きている体を塑形するにおいての造形物と生体の相関関係。生きた人間の生体と、造形としての人間の差異をどの様にして埋め、その上で与えられた媒質を応用し、生命感ある表現として近しめるか。

F生体の美性、美格  美の形状に対する研究。同じく塑形術としての「形」 と、生体の在りようの美しき「形」の二つを連ね合わせる事。「form」 と、「modering」 の関係。その二つの関連性を「感受性の上の同義」 として近しめる。そこへ、完成度、描写、的側面を思考に置く。

1) 人種、性別、年齢の視覚的特長 2) 喘湶としての生体と、塑形物としての作品の比較







美術解剖学Artistic anatomyは美術家のための生体学であるということができる。生体学は解剖学を基礎に置いて、体表から生きている人の形や構造を研究する学問で、体表解剖学などとも呼ばれている。この講義では体表の構造(皮膚、毛、爪、乳房など)をはじめ、体表から観察される骨格、筋、頭部の感覚器(目、耳、鼻、口など)、体表の血管や神経などについて分かりやすく講義し、造形活動に必要な人体に関する基本的な知識を身につけて貰うことをねらいにしている。したがって、人体に関する講義とともに、実際に表現された造形作品について、その表現法などを美術解剖学的な立場から分析することも行う。 美術解剖学 (Artistic anatomy) の概念の発祥は、人体の内部構造と外形との関係を解剖を通して考察し、その観察から得た成果を彫刻、絵画などの造形美術に生かした、16世紀のヨーロッパルネサンスにまで遡ります。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロらが、自身の解剖経験やそこから得た知識を、人物像や騎馬像を造形する基礎としていたことはよく知られています。その後、美術家のための解剖学は、美術に携わる人々にとっての必須の科目、藝用解剖学 (Anatomy for Artists) として美術学校などで教授されるようになりました。

 我が国における美術解剖学の教育・研究は、明治22年(1889)森鴎外による東京美術学校の講義に始まります。昭和38年(1963)東京芸術大学美術研究科美術解剖学研究領域の設置によって美術での教育・研究の一分野として位置づけられ、現在に至っています。  人体をよく見る、よく観察することによって、解剖から得られた知識に匹敵するような優れた洞察眼をもつに至った天才もいました。しかし多くの場合、人体を描くときに外から見えるかたちを闇雲になぞっていても、生き生きとした躍動感ある表現に繋がらず、もどかしいと感じることはよくあることでしょう。骨格や筋、皮膚や皮下組織など内部構造と外形との関係がわかることによって、対象をつかむ眼差しは一層深くなります。

 今日の美術解剖学は、このような骨格、筋の運動機構を中心とした内部構造と外形との関係、動きにともなうかたちの変化、比較解剖学、発生学からのかたちの由来を学ぶ芸用解剖学を教育的側面としてもっています。同時に、研究分野としての広がりが加わりました。芸術表現として人のすがたがもつ美しさや、生物のかたちがもつ意味を考察すること、人体とかかわるものの関係を研究する応用解剖学的研究もあります。人間、そして人体に関わる関連諸学との有機的な関わりの中で、美術解剖学の研究範囲は広範なものとなっています。  今日の美術解剖学は、かつて藝用解剖学と言われていた、造形のための解剖学であることに加えて、これらの研究を通して人間と美術とのかかわりを考える幅広い視野を有する分野へと発展しています。

三叉神経は脳神経のなかで最も大きな神経である。知覚性の部分は延髄、橋、頚髄上部にわたってみられる縦に長い三叉神経脊髄路核と橋の被蓋にある三叉神経主知覚核の両方から起こり、橋の外側縁から脳の外へでる。この部分は太いので大部と呼ばれる。これに対して運動性の部分は小部といわれ、橋の被蓋にある三叉神経運動核から起こり、大部と並んで走行する。大部は側頭骨の錐体にある三叉神経圧痕圧痕というくぼみに半月神経節をつくり、ここから眼神経、上顎神経、下顎神経の3本の大きな枝に分かれる。三叉神経の名称はこれによる。なお半月神経節は脊髄神経節と相同のものである。小部は半月神経節に参加せず、その傍らを通り、下顎神経に合流する。大部は顔面の知覚を司り、小部は咀嚼筋の運動を司る。
@眼神経(V1) A上顎神経(V2) B下顎神経(V3)

A.三叉神経節 B.三叉神経中脳路核 C.その他の三叉神経核群 D.三叉神経核群への求心性線維 E.三叉神経核群からの遠心性線維 F.三叉神経群の臨床的側面

・解剖学用語(三叉神経)







三叉神経の主要構成成分は次の2つである。

1)前頭部、顔面、鼻腔および口腔の粘膜、歯、脳硬膜の痛覚・温度覚・触覚と歯、歯根膜、硬口蓋、顎関節、咀嚼筋の固有感覚の情報を伝える一般体性求心性線維。

2)咀嚼筋(側頭筋、咬筋、外側翼突筋、内側翼突筋)、顎二腹筋の前腹部分、顎舌骨筋、鼓膜張筋・口蓋帆張筋への特殊内臓性遠心性線維。

 三叉神経は第一鰓弓の神経であって、鰓弓運動性および鰓弓感覚性の要素を含む。運動性要素(特殊内臓性遠心性)は側頭筋、咬筋、内側および外側翼突筋、鼓膜張筋、口蓋帆張筋、顎舌骨筋、顎二腹筋前腹を支配する。これらのニューロンの細胞体は三叉神経運動核(咀嚼核)として、橋の背臥位側部に位置する。感覚根(大部)は運動根(小部)よりもはるかに大きく(運動根線維:約9,000本、感覚根線維:約140,000本)、橋の外表と三叉神経節(半月神経節)のあいだを走る。三歳sン蛍雪は側頭骨岩様部の錐体の先端部上にあり、二枚の硬膜のあいだに包まれているから、硬膜がついたままの頭蓋では外からはみえない。

 三叉神経根には三叉神経節の近くではproximal part(緻密部compact part)と遠位部(網様部)が区別される。運動根は三叉神経節の下面を横切って下顎神経に加わる。

 三叉神経の感覚線維(一般体性入力性)は三叉神経節と「三叉神経中脳路核の偽単極細胞」から起こる。三叉神経には3本の主枝がある。そのうち、眼神経と上顎神経は鰓裂前枝であり、下顎神経は鰓裂後枝である。




 

@眼神経(V1)
 眼神経は三叉神経のうちで最も小さな枝で、上眼窩裂を通り、頭蓋腔の外に出て、涙腺神経、前頭神経、鼻毛様体神経に分枝する。前頭部、眼、鼻を感覚性に支配する。










A上顎神経(V2)
 上顎神経は正円孔を貫いて翼口蓋窩へ入り、硬膜枝、頬骨神経、眼窩下神経、上歯槽神経、翼口蓋神経に分枝する。上顎部、上顎の歯、上唇の粘膜、頬粘膜、口蓋粘膜、上顎洞などを感覚性に支配する。







B下顎神経(V3)
 下顎神経は、三叉神経の中で最も大きな枝で、運動性の小部も合わせて卵円孔を貫き、側頭下窩に現れ、硬膜枝、咀嚼筋枝(運動性線維)、頬神経、耳介側頭神経、下歯槽神経、舌神経に分枝する。舌、下顎部、下顎の歯、下唇の粘膜、頬粘膜の一部、外耳の一部を感覚性に支配するほか、咀嚼筋などを支配する運動性線維をも含む。

 三叉神経の3本の主枝の分布領域にはほとんど重なり合いはない。なお、三叉神経には咀嚼筋、顎関節、外眼筋などの固有受容器からの線維も含まれている。




A.三叉神経節
 三叉神経節の感覚ニューロンは末梢の支配領域に対応して配列されている。眼神経を出す細胞体は内側に、下顎神経を出す細胞細胞体は外側に、上顎神経を出す細胞体は両者の間に位置する。3本の主枝は神経節の尖端で分かれてただちに頭蓋を去る。眼神経は上眼窩裂、上顎神経は正円孔、下顎神経は卵円孔を通る。




B.三叉神経中脳路核
 紡錘筋や歯からの固有感覚性インパルスはいわゆる中脳路核によって伝達される。この核の細胞は中枢神経系内にありながらその形が脊髄神経節の細胞に類似している点で特徴的である。中脳路核は中枢神経系内に残留した脊髄神経節とみることができる。中脳路核の細胞の軸索の中には三叉神経運動核でシナプス結合するものがある。

「その他の軸索は同側の脳幹背外側を下行して脊髄まで達し、おそらく介在ニューロンを介して、脳神経運動核や頚筋支配運動ニューロンに連絡する。脳幹を下行するこれらの軸索群をProbstの神経路という。また、上丘や小脳に達する軸索があるとする報告もあるが、ヒトではその存在は疑わしい。」




C.その他の三叉神経核群
@三叉神経の感覚核群

 末梢からくる一次三叉神経線維は延髄と脊髄の移行部から橋にわたって広汎に拡がる三叉神経感覚核群でシナプス結合する。感覚根を通って脳幹に入るこれらの感覚線維はまず上行枝と下行枝に分岐する。太い線維は細い線維に比べて通常短く、核の最頭側部でシナプス結合する。そのほかの線維はときには脊髄まで下行してLissauerの辺縁帯にはいる。三叉神経感覚核群は大きく分けて二つの核から成る。

A三叉神経主感覚核

 三叉神経主感覚核は橋において三叉神経紺野線維束の外側に位置する卵円形の核である。三叉神経根の上行枝は、太い求心性線維として、この核でシナプス結合する。この核は頭顔部領域からの主として触覚および圧覚入力を受ける。

B三叉神経脊髄路核

 この核は主感覚核の尾側に続いて脊髄にまで達し、脊髄では膠様質に連続する。脊髄路核はさらに吻側核、中間核、尾側核に区分される。三叉神経根の下行枝は脊髄路核と平衡に走る長い線維線維束を形成する。これが三叉神経脊髄路である。三叉神経脊髄路には明確な身体部位対応配列がみられ、眼神経線維は最腹側、下顎神経線維は背側、上顎神経は前2者の中間に位置する。これらの線維は脊髄路核のニューロンとシナプス結合して、頭顔部領域からの痛覚、温度覚、圧覚を伝達する。痛覚線維は主として尾側核に終止する。

C三叉神経運動核(咀嚼筋)

 これは鰓弓運動核のうちで最頭側に位置する核である。橋において主感覚核の内側に位置し、大形多極性細胞を含む。










D.三叉神経核群への求心性線維
三叉神経根のほかに、舌咽神経、迷走神経、顔面神経および第1から第4頚神経からの後索線維などがシナプス結合する。大脳皮質、とくに一次体性感覚野から、感覚核への投射がある。運動核も(大脳)皮質核線維を介して直接ないし間接に大脳皮質からの投射を受ける。他の脳神経からの入力は脳幹網様体を介して三叉神経核群に達する。




E.三叉神経核群からの遠心性線維
 三叉神経核群からの遠心性線維は視床、小脳、脳幹網様体でシナプス結合する。脊髄路核からの遠心性線維は大部分が正中線で交叉して内側毛帯に加わり、ともに視床に達する。

 主感覚核からは交叉性上行性線維と非交叉性上行線維(背側三叉神経毛帯)が出る。前者は反対側の内側毛帯に加わり、後者は同側の中脳中心灰白質の傍を上行する。

 三叉神経視床路線維は視床の後内側腹側核でシナプス結合するが、尾側核からの線維の多くは髄板内核や内側膝状体大細胞部に終止するといわれる。

 「中脳路核から起こるProbstの神経路は咀嚼筋、歯根膜、外眼筋などからの固有感覚性入力を橋、延髄、頚髄の書部へ伝達する。また、主感覚核や脊髄路核から小脳へ達する線維は主として小脳虫部に分布する。」

 脊髄路核から視床へ向かう線維からは軸索側枝が出て脳幹網様体に分布すると考えられる。




F.三叉神経群の臨床的側面
 三叉神経脊髄路または脊髄路核が損傷されると頭顔部の痛覚と温度覚の消失ないし減弱が起こるが、触覚と圧覚は正常に保たれる。痛覚と温度覚は主として主感覚核へ伝達されるからである。また、咀嚼や言語の障害(下位運動ニューロン損傷によるもの)も生じる。三叉神経運動核が大脳皮質からの両側性支配を受けている関係で、三叉神経系の上位運動ニューロン損傷は極めて稀にしか症状をもたらさない。

 三叉神経が関与する多くの反射のうちで、角膜反射はとくに重要である。角膜が刺激されると外輪筋が収縮して眼が閉じる。この効果は同側の顔面神経核に伝達インパルスに基づく。したがって、三叉神経感覚核群から出るインパルスが顔面神経核に投射しているのは明らかである。眼神経を損傷すると同側の角膜の触覚と痛覚が消失するが、この場合でも反射弓の出力部が健常であれば、反対側の角膜の刺激によって両眼が閉じる。しかし顔面神経が損傷されると、角膜の感覚は健常であっても角膜反射は障害される。




解剖学用語(三叉神経)
1. 三叉神経 [V] ラ:Nervus trigeminus [V] 英:Trigeminal nerve [V]

  →二つの線維束で橋をでる第V脳神経。咬筋の運動および顔面の近くを司る。第一鰓弓の神経。

2.  知覚根(感覚根) ラ:Radix sensoria 英:Sensory root

  →橋をでる際下方にある知覚性の部分。

3.   三叉神経節;半月神経節 ラ:Ganglion trigeminale 英:Trigeminal ganglion

  →裂口の上方、錐体の前表面の三叉神経腔中にある半月状の、脊髄神経節に相同の神経節。

4.  運動根 ラ:Radix motoria 英:Motor root

  →三叉神経出口では上方、ついで三叉神経節の下方に位置する咬筋への運動性線維。

5. 眼神経 [Va; V1] ラ:Nervus ophthalmicus [Va; V1] 英:Ophthalmic nerve; Ophthalamic division [Va; V1]

  →上眼窩裂より入る三叉神経第一枝。蝶形骨体上の海綿静脈洞の外側に沿って前方にすすみ、上眼窩裂を通って眼窩に入る。つぎの諸枝があり、また眼筋にいたる動眼、滑車、外転の3神経および交感神経との間に交通がある。

6. テント枝 ラ:R. meningeus recurrens; R. tentorii 英:Tentorial nerve

  →頭蓋内で分かれて後方に走り、小脳テント(横静脈洞、直静脈洞、上錐体静脈洞)および大脳鎌に分布する知覚枝で、三叉神経の他の硬膜枝および迷走神経の硬膜枝などとともに、頭痛の発生に関係を持つといわれる。

7. 涙腺神経 ラ:N. lacrimalis 英:Lacrimal nerve

  →上眼窩裂外側を通り、涙腺、結膜および上眼瞼側方部へ分布する。頬骨神経との交通枝を出す。

8.  頬骨神経との交通枝 ラ:R. communicans cum nervo zygomatico 英:Communicating branch with zygomatic nerve

  →頬骨神経との結合。涙腺へいたる翼口蓋神経節よりの自律性線維を含む。

9. 前頭神経 ラ:N. frontalis 英:Frontal nerve

  →上眼窩裂を通り、上眼瞼挙筋の上を通り、額に分布。眼窩上壁に沿って前進し、眼窩上神経と滑車上神経の2枝に分かれる。眼窩上神経はもまく外側枝および内側枝に分かれ、それぞれ切痕および前頭切痕(または孔)を通って前頭部に現われ、また滑車上神経は滑車の上を通って皮下に現われ、いずれもその付近の前頭部、上眼瞼、結膜および鼻背皮膚に分布する。なお滑車上神経の1枝は鼻毛様体神経から出る滑車下神経と交通する。

10.  眼窩上神経 ラ:N. supraorbitalis 英:Supra-orbital nerve

  →結膜、上眼瞼、前頭洞および前額の皮膚に分布する前頭神経の太い枝。

11.  外側枝 ラ:R. lateralis 英:Lateral branch

  →眼窩上切痕を通り内側方へいたる枝。

12.  内側枝 ラ:R. medialis 英:Medial branch

  →眼窩上切痕を通り内側方へいたる枝。

13.  滑車上神経 ラ:N. supratrochlelearis 英:Supratrochlear nerve

  →細い内側の枝。内眼角より上下方向に分かれる。

14. 鼻毛様体神経 ラ:N. nasociliaris 英:Nasociliary nerve

  →眼神経の最も太い内側枝。はじめは上直筋の下に、ついで上斜筋と内側直筋の間に位置する。

15.  毛様体神経節との交通枝;(毛様体神経節感覚根;毛様体神経節;毛様体神経節の鼻毛様体根) ラ:R. communicans cum ganglio ciliari; Radix sensoria ganglii cilaris; Radix nasociliaris ganglii ciliaris 英:Communicating branch with ciliary ganglion; Sensory root of cliary ganglion; Nasociliary root of ciliary ganglion

  →知覚性線維。毛様体神経節を通って眼窩からでる。眼神経に付属する神経節で、眼窩の後部において視神経と外側直筋との間に位置し、ほぼ扁平四角形で直径約2mmである。通常3根を区別するが、そのなかで短根は動眼神経からの根とよばれ、副交感神経性で動眼神経から来たり、長根は知覚性で鼻毛様体神経から来たり、鼻毛様体神経節との交通枝と呼ばれ、交感根は海綿静脈洞にある内頚動脈神経叢から来たり、毛様体神経節への交感神経枝と呼ばれる。この神経節から出る神経としては短毛様体神経があり、6〜7本で、前記の長毛様体神経とともに眼球に入る。知覚性、交感神経性および副交感神経性で毛様体、虹彩および瞳孔括約筋に分布する。

16.   長毛様体神経 ラ:Nn. ciliares longi 英:Long ciliary nerves

  →毛様体神経節から出る短毛様体神経とともに視神経の付近で眼球に入り、強膜を貫いて、これと脈絡膜の間を前にすすみ、瞳孔散大筋への交感性線維と虹彩、毛様体および角膜からの求心性線維を含む2本の神経。

17.  後篩骨神経 ラ:Nervus ethmoidalis posterior 英:Posterior ethmoidal nerve

  →眼窩の後端を通り、蝶形骨洞および後篩骨洞に分布する。

18.   (前硬膜枝) ラ:R. meningeus anterior 英:Anterior meningeal branch

19.  前篩骨神経 ラ:Nervus ethmoidalis anterior 英:Anterior ethmoidal nerve

  →前篩骨孔をへて頭蓋腔へ入り、篩板の上を前進し、さらに鼻孔に入って内鼻枝と外鼻枝とに分かれる。前者は鼻粘膜の前上部に分布し、後者は鼻骨後面の篩骨神経溝を通り、鼻骨と鼻軟骨の間で鼻背に出て皮膚に分布する。

20.   内鼻枝 ラ:Rr. nasales interni 英:Internal nasal branches

  →鼻粘膜の前部および鼻中隔の前部へ分布する。

21.   外側鼻枝 ラ:Rr. nasales laterales 英:Lateral nasal branches

  →鼻腔壁外側の前部へ分布する。

22.   内側鼻枝 ラ:Rr. nasales mediales 英:Medial nasal branches

  →鼻中隔前部への枝。

23.   外鼻枝 ラ:R. nasalis externus 英:External nasal nerve

  →鼻の先端部および鼻翼へ分布する。尾骨の篩骨溝を通る。

24.  滑車下神経 ラ:N. infratrochlearis 英:Infratrochlear nerve

  →内眼角のところで上斜筋の下を前進し、滑車上神経内側枝と結合して神経弓を作り、これから眼瞼枝を出し上、下眼瞼および内眼角の皮膚と涙嚢に分布する。

25.   眼瞼枝 ラ:Rr. palpebrales 英:Palpebral branches

  →上および下眼瞼へ分布する。

26. 上顎神経 [Vb; V2] ラ:Nervus maxillaris [Vb; V2] 英:Maxillary nerve; Maxillary division [Vb; V2]

  →三叉神経第2枝。蝶形骨大翼の正円孔を通って頭蓋腔を去り、翼口蓋窩へいたり、頬骨神経および翼口蓋神経を出した後、眼窩下神経となって眼窩下裂を経て眼窩に入り、顔面まで達する。

27. 硬膜枝 ラ:R. meningeus 英:Meningeal nerve

  →正円孔の手前で分かれ、中硬膜動脈とともに分布して脳硬膜にいたる知覚枝で、下顎神経の硬膜枝と交通する。

28. 翼口蓋神経節への翼口蓋神経;(翼口蓋神経節感覚枝) ラ:Rr. ganglionares ad ganglion pterygopalatium; Radix sensoria ganglii pterygopalatini 英:Ganglionic branches to pterygopalatine ganglion; Sensory root of pterygopalatine ganglion

  →主に翼口蓋神経節よりでる枝。涙腺への自律性線維および眼窩後部よりの知覚線維を含む。

29. 眼窩枝 ラ:Rr. orbitales 英:Orbital branches

  →2〜3本の細い神経。下眼窩裂を経て眼窩へ入り、さらに後篩骨孔を通って篩骨洞および蝶形骨洞の粘膜に分布する。

30. 外側上後鼻枝 ラ:Rr. nasales posteriores superiores laterales 英:Posterior superior lateral nasal branches

  →蝶口蓋孔を通り上および中鼻甲介と後篩骨洞へ分布する。約10本程度の細い線維。

31. 内側上後鼻枝 ラ:Rr. nasales posteriores superiores mediales 英:Posterior superior medial nasal branches

  →蝶口蓋孔をでて鼻中隔の上部へいたる2ないし3本の枝。

32. 鼻口蓋神経 ラ:N. nasopalatinus 英:Nasopalatine nerve

  →鼻中隔の骨膜と粘膜の間を通り、さらに切歯管を通り口腔粘膜前部および上切歯の歯肉へ分布する。

33. 咽頭枝 ラ:N. pharyngeus 英:Pharyngeal nerve

  →咽頭粘膜への小枝。

34. 大口蓋神経 ラ:N. palatinus major 英:Greater palatine nerve

  →大口蓋管をへて同名の孔よりでて、硬口蓋粘膜および腺へ分布する。

35.  [外側]下後鼻枝 ラ:Rr. nasales posteriores inferiores 英:Posterior inferior nasal nerves

  →中および下鼻道と下鼻甲介へ分布する。

36. 小口蓋神経 ラ:Nn. palatini minores 英:Lesser palatine nerves

  →同名の管を通り、小口蓋孔よりでて、軟口蓋へ分布する。

37.  (扁桃枝) ラ:Rr. tonsillares 英:Tonsillar branches

38. 上歯槽神経 ラ:Nn. alveolares superiores 英:Superior alveolar nerve

  →上顎歯への枝。中上歯槽枝および前上歯槽枝の2枝は後上歯槽枝とともに上歯槽神経と総称され、これらは合して歯槽管の中で上歯槽神経叢を作り、これから出る上歯枝は上顎歯の歯根尖孔から歯髄中に分布し、上歯肉枝は歯槽の槽間中隔を通じて歯肉、歯根膜に分布する。

39.  後上歯槽枝 ラ:Rr. alveolares superiores posteriores 英:Posterior superior alveolar branches

  →歯槽孔をへて上顎内面へいたる2〜3本の枝。上顎洞、大臼歯およびその頬側の歯肉へ分布する。ほか、歯槽管を通じて上顎洞の外側壁に達する。

40.  中上歯槽枝 ラ:R. alveolaris superior medius 英:Middle superior alveolar branch

  →上顎骨の眼窩下溝へ入り、上顎洞側壁中を走り上歯神経叢へいたる。

41.  前上歯槽枝 ラ:Rr. alveolares superiores anteriores 英:Anterior superior alveolar branches

  →前上歯槽管を通り、上歯神経叢の上を通り、切歯、犬歯、小臼歯および大臼歯へいたる。

42.   上歯神経叢 ラ:Plexus dentalis superior 英:Superior dental plexus

  →上歯槽枝のつくる歯根上、歯槽骨中にある神経叢。

43.    上歯枝 ラ:Rr. dentales superiores 英:Superior dental branches

  →おのおのの歯根へいたる枝。

44.    上歯肉枝 ラ:Rr. gingivales superiores 英:Superior gingival branches

  →歯肉への枝。

45. 頬骨神経 ラ:N. zygomaticus 英:Zygomatic nerve

  →翼口蓋窩中で二分する。眼窩側壁で下眼窩裂を通り眼窩に入り、その外側壁で涙腺神経との交通枝を出し、のちに次の2枝分かれる。涙腺神経との結合により翼口蓋神経節よりの副交感神経線維が涙腺にいくことなる。

46.  頬骨側頭枝 ラ:R. zygomaticotemporalis 英:Zygomaticotemporal branch

  →頬骨側頭孔を通って側頭窩に出て付近の皮膚に分布する。

47.  頬骨顔面枝 ラ:R. zygomaticofacialis 英:Zygomaticofacial branch

  →頬骨顔面孔を通って頬部の皮膚に分布する。

48. 眼窩下神経 ラ:N. infraorbitalis 英:Infra-orbital nerve

  →下眼窩裂を通り、眼窩下溝および管、さらに同名の孔をへて下眼瞼、鼻、上口唇および頬に分布する。

49.  下眼瞼枝 ラ:Rr. palpebrales inferiores 英:Inferior palpebral branches

  →眼窩下孔の外側で、下眼瞼の皮膚へ分布する。

50.  外鼻枝 ラ:Rr. nasales externi 英:External nasal branches

  →鼻翼の外側へ分布する。

51.  内鼻枝 ラ:Rr. nasales interni 英:Internal nasal branches

  →鼻の皮膚に分布。

52.  上唇枝 ラ:Rr. labiales superiores 英:Superior labial branches

  →上唇の皮膚および粘膜に分布。

53. 下顎神経[Vc; V3] ラ:Nervus mandibularis [Vc; V3] 英:Mandibular nerve; Mandibular division [Vc; V3]

  →知覚性線維のほかに咬筋へいたる運動枝を含む。三叉神経の第3枝で最も太く、その中に知覚神経線維の外に三叉神経の運動根からくる全ての運動神経線維を含む。この神経は三叉神経節から出てただちに蝶形骨大翼の卵円孔を通って側頭下窩に出て硬膜、咀嚼筋、頬粘膜、耳介、外耳道付近その他へ枝を与えた後、舌神経、下歯槽神経の2終枝に分かれる。

54. 硬膜枝 ラ:R. meningeus; N. spinosus 英:Meningeal branch; Nervus spinosus

  →頭蓋を出るとすぐ分かれて棘孔を通って再び頭蓋腔に入り、上顎神経の硬膜枝とともに、中硬膜動脈に沿って脳硬膜に分布する知覚枝で、なお蝶形骨大翼乳突峰巣の内部にも線維を与える。

55. 内側翼突筋神経 ラ:N. pterygoideus medialis 英:Nerve to medial pterygoid

  →内側翼突筋への運動枝。口蓋帆張筋および鼓膜張筋への小枝を伴う。

56. (耳神経節枝、耳神経節感覚根) ラ:Rr. ganglionares ad ganglion oticum; Radix sensoria ganglii otici 英:Branches to otic ganglion; Sensory root of otic ganglion

  →下顎神経の内側。卵円孔の下にある副交感性の神経節。舌咽神経から小錐体神経を介し線維の流入があり、耳下腺へ分泌線維を送る。

57.  口蓋帆張筋神経 ラ:N. musculi tensoris veli palatini 英:Nerve to tensor veli palatini

  →口蓋帆張筋へいたる枝。ときに内側翼突筋神経より起こる。

58.  鼓膜張筋神経 ラ:N. musculi tensoris tympani 英:Nerve to tensor tympani

  →鼓膜張筋へいたる。ときに内側翼突筋へもいたる。

59. 咬筋神経 ラ:N. massetericus 英:Masseteric nerve

  →外側翼突筋の上で下顎切痕中を通り咬筋へいたる運動枝。

60. 深側頭神経 ラ:Nn. temporales profundi 英:Deep temporal nerves

  →外側翼突筋の内側を下顎骨に接しながら上方に走り、側頭筋へいたる運動枝。

61. 外側翼突筋神経 ラ:N. pterygoideus lateralis 英:Nerve to lateral pterygoid

  →外側翼突筋への運動枝。しばしば頬神経とともに起こる。

62. 頬神経 ラ:N. buccalis 英:Buccal nerve

  →知覚神経で、外側翼突筋を貫き、またはその下を通り頬筋の外側に出て前にすすみ口角に至る。この間に一部は頬粘膜に分布するとともに、頬の皮膚と第一大臼歯の頬側歯肉に分布。

63. 耳介側頭神経 ラ:N. auriculotemporalis 英:Auriculotemporal nerve

  →中硬膜動脈を囲み、下顎骨の関節突起の内側を通って後に向い、つぎに弓状をえがいて外上方に曲がり、耳下腺の下で浅側頭動脈の後側に達し、つぎに多くの枝に分かれて耳介前側および側頭部の皮膚に分布する。

64.  外耳道神経 ラ:N. meatus acustici externi 英:Nerve to external acoustic meatus

  →外耳道の皮膚へいたる2本の小枝。その鼓膜枝は鼓膜外面に至る。

65.  鼓膜枝 ラ:Rr. membranae tympani 英:Branches to tympanic membrane

  →鼓膜へいたる小枝。

66.  耳下腺枝 ラ:Rr. parotidei 英:Parotid branches

  →耳下腺への小枝。耳神経節からくる耳下腺の分泌神経を受ける。

67.  顔面神経との交通枝 ラ:Rr. communicantes cum nervo faciali 英:Communicating branches with facial nerve

  →耳神経節よりでる副交感性の線維を顔面神経を通り耳下腺へ送る。

68.  前耳介神経 ラ:Nn. auriculares anteriores 英:Anterior auricular nerves

  →耳介前面への枝。

69.  浅側頭枝 ラ:Rr. temporales superficiales 英:Superficial temporal branches

  →耳の前および上方の側頭皮膚へ分布する。

70. 舌神経 ラ:N. lingualis 英:Lingual nerve

  →下顎神経の枝として外側および内側翼突筋の間を弓状に前方へ走り口腔底に沿って顎下腺および顎舌骨筋の上を前に走ってしたの外側縁に至り、下顎骨体中央部の内側で多くの枝に分かれて舌の中に入り、舌体に分布して、その知覚および味覚を司る。舌神経はその基部の近くで顔面神経の枝である鼓索神経と結合して、これから味覚神経線維および顎下腺と舌下腺への分泌線維を受け、また末端で舌下神経の枝と結合する。智歯近くの粘膜直下に位置する。

71.  口峡枝 ラ:Rr. isthmi faucium 英:Branches to isthmus of fauces

  →咽頭および扁桃への枝。

72.  舌下神経との交通枝 ラ:Rr. communicantes cum nervo hypoglosso 英:Communicating branches with hypoglossal nerve

  →舌骨舌筋上での舌下神経との連絡。

73.  鼓索神経 ラ:Chorda tympani 英:Chorda tympani

  →顎下神経節へいたる副交感性線維および舌の前2/3の味蕾よりの知覚性線維を有する。鼓索中のチツ骨とキヌタ骨の間を後走し、錐体鼓索裂を通り舌神経へ合する。

74.  舌下部神経 ラ:N. sublingualis 英:Sublingual nerve

  →舌神経が舌に入る際に出て舌下腺およびそ口腔底の粘膜および下顎前面の歯肉へ分布する。し舌下腺中では舌下神経節を形成する。

75.  舌枝 ラ:Rr. linguales 英:Lingual branches

  →味覚および味覚線維を有する舌前2/3へ分布する。多数の枝。

76.  (顎下神経節の神経節枝;顎下神経節感覚根) ラ:Rr. ganglionares ad ganglion submandibulare; Radix sensoria ganglii submandibularis 英:Ganglionic branches to submandibular ganglion; Sensory root of submandibular ganglion

  →顎下腺の上または前にある副交感性の神経節。鼓索からの節前線維をうけ、節後線維を舌下腺および顎下腺へ与える。

77.  (舌下神経節の神経節枝;舌下神経節感覚根) ラ:Rr. ganglionares ad ganglion sublinguale; Radix sensoria ganglii sublingualis 英:Ganglionic branches to sublinngual ganglion; Sensory root of sublingual ganglion

78. 下歯槽神経 ラ:N. alveolaris inferior 英:Inferior alveolar nerve

  →知覚および運動枝をもつ下顎神経最大の枝。舌神経の1cm後方で下歯槽動脈に伴って下顎孔を通って下顎管に入るが、その直前に顎舌骨筋神経を出す。下顎管内では数枝に分かれ、これが歯槽下で結合して下歯神経叢を作り、下顎の歯および歯肉に分布する。

79.  顎舌骨筋神経 ラ:N. mylohyoideus 英:Nerve to mylohyoid

  →顎舌骨筋溝中を、ついで顎舌骨筋下を通る運動性線維。顎舌骨筋と顎二腹筋前腹に運動神経を与えた後、オトガイおよび顎下部に皮神経を送る。

80.  下歯神経叢 ラ:Plexus dentalis inferior 英:Inferior dental plexus

  →下顎管中の神経叢。これから出る下歯枝は下顎歯の歯根尖孔から入り歯髄に分布歯、下歯肉枝は槽間中隔を通って歯肉および歯根膜に至る。

81.   下歯枝 ラ:Rr. dentales inferiores 英:Inferior dental branches

  →下顎枝への枝。

82.   下歯肉枝 ラ:Rr. gingivales inferiores 英:Inferior gingival branches

  →下顎枝の頬側歯肉へ分布する。(第一大臼歯は除く)。

83. オトガイ神経 ラ:N. mentalis 英:Mental nerve

  →第二小臼歯下でオトガイ孔をでる知覚枝で下顎の前面に出て、オトガイ枝と下唇枝とに分かれて付近の皮膚に分布する。

84.  オトガイ枝 ラ:Rr. mentales 英:Mental branches

85.  下唇枝 ラ:Rr. labiales 英:Labial branches

86.  (歯肉枝) ラ:Rr. gingivales 英:Gingival branches

1・眼球内部構造

上直筋
上斜筋
下直筋
下斜筋
外側直筋
内側直筋
2・神経内部構造

嗅神経
視神経
三叉神経
外転神経
顔面神経
内耳神経
舌咽神経
迷走神経
副神経
舌下神経
滑車神経
目次 [非表示]
1 anatomy解剖生理学の成り立ちと、絵画の成り立ち
2 ung(形象)と線と絵画5層と、人体の網状関係
3 絵画5層を扱う人達
4 衣食住と肩を並べる為の芸術と大学単位の5教科の、関連性



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anatomy解剖生理学の成り立ちと、絵画の成り立ち
解剖生理学においての人体の内部のバランスと機能の絶妙な成り立ちと、芸術における公理の活かし方は酷似している。そのバランスの内包する機能性と、一媒質が担う役割の多重性が人間が制作するものにおいて沢山の要素をもっている。その内臓をデザインと見、網状組織と絡ませる事が、次の段階=新しいung を生み、かつ通常のデッサンにも活かされるのではないかと憶測する。人体の線linerformung線形象であり、その状態を半網状化し、その網状組織と絡ませる事で新しい段階にゆくのだと感じる。その線画はクロッキーであり、ungであり、アイデアにもなりうるものである。

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ung(形象)と線と絵画5層と、人体の網状関係
 ungが、人間の体や内部構造でもって練習されるものなら、その網状組織も、人間の内部のディフォルメイトや、人間構造のヒントにより形象化させ、プロポーショナルメンテにより象徴状態を維持し、曲線、双曲線、放物線、円錐分割線、 を投入。網状組織にするための床面に地上遠近法、(直線分割式)空に天使遠近法(曲線分割幾何比例式)の2つを中国三遠は高遠平遠式に(平遠=地上遠近法)、(高遠=天使遠近法)配置し、その空間に線形象や、円錐曲線、放物線、双曲線、を配置し、プロポーショナルメンテにより網状化する。その段階は、絵画5層の5段階と同じ、『線引き5層』になる。完成が黄金率を介在し、ティンティングストレングスを保持したままの状態であると、抽象画を超えた、『形象画』の出来上がりになる。  簡単に言うと、黄金率とバランス(公理)と描きこみと、形象を、現実に無い形でも状態化する。生け花みたいなものだと思います。  生活の営みにおいて経験ないでしょうか。相手の分野と自分の分野の皮切りに寂しさを抱き、独特のやり方でコミュニケーションを取ろうとする行為を。それが本当のオリジナリティーの始まりであって、目立つのが目的には無いという事です。

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絵画5層を扱う人達
 絵画にある調子の良し悪しの概念を、無くす絶対安全な方法として、下絵が存在します。その下絵の時点で完成度をいやおうなしに要求するには、絵画5層と同じく、下絵線描にも5層を設けるのが良いと思います。そういう試みが、絵画の下絵の重要さを助長させると感じてます。  「ズボンよりパンツの方が重要」という事はまず無いと思いますので。= 下絵5層を提案します。  絵画5層といっても、いわゆる「彩する行程のみ」の5層なので、そこには「下絵」という行程が欠けてると思います。下絵の時点で構図は10割決まるし、その中で重要な点もあるのに、下絵のみが低い扱いを受けるのは違うような気がします。disegno、profili、controni、等、下絵そのものの用語だけで絵画同様様々な単語があるのに、現代になってその前行程を略すのは変な気がします。  美術館で、昔、「名前だけ描くっていうのも、変じゃない?」という心ある答えをもらいました。確かに、絵画をその人が見たかどうかは、下絵同様のこらないもの(まあ、本当は残るんですけど)ですけど、その結果、人生結果にしろ絵画結果にしろ、明確に違いが出ます。よって、しっかりと見るのも大事な役割ですし、名前を書いて、コミュニケーションを取るのも大事になります。同様に、下絵の大事さを、もう絵画そのものと同じレベルまで引っ張っていっても良いのではないかと思います。    そこで考案したのが、


   下絵5層(profillistructur)+絵画5層(inhaltstructur)です。これによって、画家の「調子のブレ」を

支える事ができると思われます。(halt)=支え。絵画5層には彩技術、下絵5層には線技術が反映すると思われます。象徴を子供臭いと笑う人はいますが、線や図形自体が卓越していれば、これは高度なものが仕上がります。むしろ、その反映が未来に写実、静物を模すに至って、下絵の層や、物体解釈に役立つという事です。 ==絵画5層を主格とした他5層を加える段階公式解釈==     inhaltstruktur(内面的支えの5層)という、絵画意識の5層が存在します。絵画を実際描く、tintingstrength(着色)における5層の際の技術と意識を両立させた段取りの事です。この5層の中にいて絵画を完遂させる者たちは、どんなタイプでも好評価を受け、なんらかの賞に至ります。この5層よりさらに次の段階、これがまだ初級、発想と最上の5行程とすると、中級に、着色をする前、の状態にさらに五層を設けます。これをesquiseestructur(下絵5層)と名づけました。

1・esquiseestructur(下絵5層)   第1層・比率の骨組線描図 (世界)

線遠近法liner perspective
天使遠近法 幾何比例遠近法
地上遠近法 投射面投影遠近法
中国三遠(チョンゴアサンデュエン)高遠(カユウエン)深遠(サンデュエン)平遠(ピンデュエン)
(介在律)

黄金率golden ratio
白銀率silver ratio
(介在学)

幾何学geometry
図像学iconography
(正確さ、バランスの追求)

propotionalmente
骨法用筆(形の取り方)

分岐1「それが写実である場合」 (種別1)人物

骨の位置
身長
体型
これらの線における概図把握 (種別2)静物

物体の構造
物体の重心
物のアウトラインの長さの関係性
形の頂点の、位置関係
これらの線における概図把握  

※両方の種別における距離公理(distance axiom),視覚公理(angle axiom)の意識。どれくらいの距離離れていて、どんな風に見える角度から見ているか。という問題。   分岐2「それが象形である場合」 (状態)線形象化

hypervola双曲線
paravola 放物線
ruled surface 線織面
single curved surface 単曲面
double curved surface 複合曲面
warped surface ねじれ面
directring surface 導面
element 面素
generatrix 導線
linerformung線形象
propotionalmente律関係バランス
トレーシングクロッキー(解剖整理線形象化図)
仕上げに、全体における線形象や複合した線関係図の、全体的( gerlecht )網状組織化から、propotionalmente調整のバランス。










芸術用語 how to draw = 描画方法 theory of art = 絵画理論 zeigen=形象 noema=象徴構成  noesis=象徴構成体

学術 kunst = 芸術 kunstwissenchaft = 芸術学 allgermanikunstwissenchaft = 一般芸術学 kunstverhalten = 芸術態度 geometry = 幾何学 somatology = 生体学 surface anatomy = 体表解剖学 iconography = 図像学 技術と道具(tecnique and tool)

スパッタリング         スパッターブラシと網を用いた絵の具の飛沫を粉のように飛ばす技術。 マスキング           マスキングテープを使った、アウトラインや、切り抜き面をカバーする技術。塗布後保護紙を剥がす。そして、そのカバーリングの技術を応用して、様々な効果を生む。 ステンシル           マスキングと併用し、支持面の一部を意図的にカバーする技術。塑形物には使用不可。 ドリッピング           筆先の絵の具を支持面に振り落としたり、支持面に向かって振り払う。面相による細書きや、積層技術、グラデーションで色相を分け、ドリッピングで積層させた後、描きこんだり、ステンシルで囲って「ドリップ面」を用いたりしたら、とても動勢を持つ。単体で漠然と使っても、何の役にも立たない。

マーブリング          ガッシュの水紋を紙に写す技術。実は、余り「絵画という絵画」には答えてくれない。色によって模様にも様々なものを連想させる。 ハッチング           支持面を引っかく行為。あらかじめ下地を積層固着させておいて、下地をハッチによって表出させるのも手。 クロスハッチング       ハッチングを異色にして交錯させ、色彩を鮮やかにする方法。この技術で描かれた絵画は、寓話的でかつ虹のように鮮やかになる。 ブラシストローク        刷毛や平筆の跡を支持面に思い切り振り残す技術。残った形は動勢(ムーブマン)をとても主張する。 ドライブラッシュストローク 水分を含ませない、擦れた絵の具の筆跡を残す。細かな調整を行える。塑形したマチエールを表出させるにはもってこいの技術になる。マット質と噛み合う。 モデリング          マチエールを意図的に塑形する術。自身の好みの形に、マチエールをコントロールする。 マチエール          絵の具を、自分に対して自然な感覚で盛り込む。モデリングのように操作をしない。                 アクションペインティング あらゆる画材を用いて、動勢を限りなく表現する技術。媒質に拘らず、支持面に勢いをぶつける技術を介在させるのが難しい画法。 ポワリング          絵の具を「垂らす」 技術。ドリッピングは「振り当てる」技術。正確性を重視した絵画には向かない。

この技術体系には、先人が生んだ、大した意義の無いものもある。しかし、それに研鑽を加え、意義をかさねる事に研究生の喚起点が存在する。  さらには応用的な混合解釈による技術もある。  単量ひとつにしても公式でその差異を表示され、分別されています。なので、公式がひとつでも異なるもの同士の混色はポリマー(重合体)といえます。  グロスポリマー等、製品の時点で重合体の媒質も存在します。 道具

刷毛 筆      (大小号数) フラット   (平) フィルバート(平突) ラウンド   (丸) ファン    (扇) 面相 ローラー ナイフ 鉄ベラ マスキングテープ スパッターブラシ スクレープナイフ このほかにも、支持面に向かう時の気持ちが作用する方法に成ります。

検討しよう。きっと無検討を凌ぐ。 研鑽せよ支持面の中。模索しよう。身につけた技術をあっという間に惰性に変えて、次の技術を当然のように習得し。 伝えたい事を要約してしまうな。トランスする。そして、緻密に扱う。 今そこにある物質に無駄なく応じる。 媒質を触っているからといって、絵を描いているわけではない。両手を膝に置き、どうするか思索する事も描いていると言える。 技術を持つ事、知識を持つ事に衒いを感じるな。意味が無い。 感性も、技術も大事にしろ。その天秤が調和良くあって初めて作品は輝く。 習わぬ教を読み、教も習え。 習い、かつ慣れろ。 拘れ。凄く瑣末な支持面の端にも。それが緻密という事。 芸術であり、科学であり、公式であり、具体的検討や、予定であれ。 混色以外は措かない。厳密に言うと、自分の望みではないはず。 下地の時点でもう、3段階、4段階の予定を組んでおく。

媒質、技術、道具、歴史、運動との関連性、社会の流れの中でのイズムの発生、画材の発明理由。その他を暗記し、研究に至ったら今度は自己の絵画の風合いと自身との誓い。そこにウエイトを置く。  その後は研鑚に身を任すなら画家。作家。文章に秀でれば小説家。筆に秀でれば画家。応用に秀でれば個性を伸ばす。根を詰めたくば基本を煮詰める。学術、学識と、出来上がった媒質の組み合わせ方や展示、技術よりも目につく個性が際立てば現代美術、黄金率で構図を構成し、技術の組み合わせに長け、「3つ以上の技術の構成をひとつの画面空間に入れれる」や、「手や体の各部位を総て美術解剖学として熟知、

         そして、それを一つとして悪用しない自己決心。

 それができたら良いなあ、と思う。 アクリルガッシュがアクリル酸とメタリクル酸から生成されていて、公共建築用に発明された強固な絵の具であり、速乾性で一度乾くと一切の科学変化を受け付けないというのが基本である事は心に留めています。という事実から割り出せるガッシュの根本的使用方法は、「積層して出来る技法の活用」にあると感じました。どうしてかというと、透き通った感じが欲しいのなら、透明水彩のほうがレベルの高い媒質と感じます。と、いう事は、速乾性不透明水彩は重ね塗りのできる媒質性を生かした、積層をするのが一番の根本と感じました。積層された地塗りのう上にできる、透明な質は、また違う感触を醸すはず。重合体=テクスチャー等に扱うこの地塗り剤も、アクリルのこうした性質に救われている一面があります。こういう絵の具の感覚が逐次重要で、一見まぐれのような技術にも、実は媒質の特性をいかんなく生かした計算が見られます。

 絵画や塗料において、顔料を固着させる性質を含有するもの、すなわち絵の具を練るのに用いるメディウムの類、油脂、樹脂、ろう、各種のたんぱく質など総てこの章に含まれる。  接着剤は画用に用いるものに限られ、一般的なものは含まれない。 油彩のうち揮発性油に分類されるものは希釈剤、溶剤という括りで説明される。  ちなみに、DUO=デュオというメーカーから、アクリルとの混彩可能な油彩が含まれている。

研究は、「環境の良さ」「周囲の学識の高さ」に引っ張られる処もあります。なので、良質な勉強には良質な環境が重要だと思います。美術をやる人、そうでない人に関わらず、良くも悪くも【朱に交われば赤くなる】というのがあるので、良い環境に足を運ばせてもらい、最大限気を使い、その場で長く勉強するが1番の幸いだと感じます。  僕もそうしてこの勉強量を手にしました。自分ではなんもやっとらんです。

色面の少ない平面構成は性格上、配色が一番の見せ場です。そういう観点からこうやって配色を研究してみました。進行中です。 アクリルガッシュ=合成樹脂で顔料を結合する樹脂の事 アクリルガッシュの発達理由=公共建築の壁面に描くに足る、長持ちする強固な画材需要 具体的な要求=速乾性、安定性質の絵の具 アクリルガッシュの最初の活躍の場=工業分野 ポリマー=重合体 「PVA」=ポリビニールアセテート 成型プラスティック=飛行機や列車のガラスの代用 アクリルガッシュ=アクリル酸+メタリクル酸

(アクリルガッシュの特質)  水溶性であるが、一旦乾くと一切の科学変化が起こらない  塗り潰した支持面に更に絵の具を加える事ができる  科学構造によって完全蒸発できるような多孔質の膜が形成される  酸化や還元にも強い。 Acrylic rezins アクリル樹脂 Synthetic resins  合成樹脂 Vinyl rezins    ビニル樹脂  Amber       琥珀 Albmen       アルブミン アクリル酸+メタリクル酸+メチルメタアクリレート=アクリルガッシュ アクリル酸  CH²=CH:COOH メタリクル酸 CH:C(CH³)COOH メチルメタアクリレート 沸点100.3℃

 ムーブマン(動勢・運動・連動) 一場面しかピックアップできない事に対し、表現したい動きはとても難解。という場合、方向線、ストロークの方向等がとても印象や、動きの説明に一役買う。正中線とそのブレ、ルートを描きつける事によって、自動的に人間の想像力を喚起したり、知覚してもらえる事もできます。  回旋運動、伸縮緊張、弛緩、筋肉、骨格、体表解剖学の体表、等の知識があれば、骨や肉の方向線の位置が理解できます。 マッス=塊、量塊。         マス・コミュニケーション=大衆。(コミュニケーションを取る集団という塊)多量の纏まった物体の集まりを示すのがこの語「マッス」です。マッスとは、画面の中の相当量の光・色・影の集まりを意味します。群衆や森の集合、総体をマッスとも言います。「集まり」の感覚を総体的に指すのがマッスです。  よく用いられるのが、「群衆」という一人一人の集合を、一つの塊として描くのが「マッスとして捉える」という事だと思います。木を一つ一つ描くのでなく、その集合体が、直方体を描いていた時、それを直方体として解釈し、描くのが「マッス」という概念です。集まりを集まりとして要領良く捉え、集合として整理して描く、事がマッスのポイントだと感じます。  彫刻においては、素材がもう、「色んなモチーフを、一種の媒質、粘土、石膏で再現する」というマッス行為がなされています。  もう一つ、光の束、陰影、同色のまとまりにもマッスという括りが使われます。 「描き手が上手に行う画面の量塊整理・ないしは総体視整理」という広い意味でもマッスは用いられています。今日画面にマッスを形成しようとする作品は、様々な所で見られます。  応物用筆=物質の特性をいかんなく発揮した筆運び(要するに、マチエールと描写をいかに噛み合わせるかのstruglleに対して骨法用筆的に筆運びの研鑽を練る。)

moveman(動勢)や、masse(量塊)を持ち、スキアグラフィアやカリカチュアなどの正式画調を用いた絵画。技術を遠近法に重ねて用い、内包する空間も意識する。  動勢や空間、量塊、陰影に目が届き、それらを総合的に一つの支持面にうまく複合する事。

 「美的判断」

 美的判断とは、いわく言いがたき物ごとを判断する、特殊能力にあります。しかし、比喩的、「look like 」的学芸論には実は趣味性が高い。発祥から詳細まで語るプロには、(何々に見える)なんて理屈は通用しない。  魅せる側に付きまとう責任も、重大なのだろうと感じた。 芸術には日常を逸脱した天才の集団が集う、恐ろしき趣味性の高い会合という印象が付きまとう。実態はそうでもない。芸術学には、たしかな教養がある。何となくで描き続ける事と一線を画すのがそのkunst=芸術の事であり、そのkunst(芸術)の中にも沢山の種類が存在する。

 All germani kunstwissenchaft (一般芸術学)  Kunstwissenchaft (芸術学)  Kunstverhalten (芸術態度)    等、芸術学の中においても、態度教育や一般汎用性の高いものに振り分けられる。芸術学は人間の日常的な態度にまで良い影響を及ぼす。人間の欠点をカバーする教育手段にもなり、術性の高くなった昨今の人間の空虚を癒す、思いやりある手段にもなりうる。技術は描き手を未知の手段に飲み込む空虚な罠にもなる。よって、手段においては技術を伸ばし、健康学的観念においては人間の健康性や、ありよう、在り方を説明付けるものとして存在する。美術には美術解剖学という分野が存在し、それに関わるには、自分や他人の体を詳しく熟知し、生態系、生命体としての人間を中身から熟知する必要がある。  体の動きを追う動勢も、筋肉の成り立ちと、実際動く時、筋肉が縮む事によって手先を胸元に引き上げ、隆起と怒張によって作用を増し、収縮によって物体を引き、双子筋が走る手助けをする。肺呼吸で人間は動き、心臓は絶えず血を新しい血液に循環させる。その連動をしる事によって、人間は初めてそのlner perspective (線遠近法空間)の中を動き回る。人間は剤渓渫ではない。確かな連動によって動き回る、理性ある生命体なのだ。その事を知ることが、kunst(芸術学)を伸ばす、倍加させるきっかけとなる。

Kunst ( 芸術 ) ×somatology ( 生体学 ) × 美術解剖学=kunstwissenchaft  ( 芸術学 )    の図式を感じる。芸術は基本論から生じる。その生かし方と、健康学的側面を応用する世界。何の技術も保有しなくっても、ある程度上手に見える絵。あれは、均一であるからになる。しかし、もう一つ違う側面からいくと、美術技能には、緻密な段取りがある。素材毎に枝分かれするものでもある。よって、聞きかじった噂の集合体には、説得力が無い。人間としての英知を段違いに上げつつ、さらに芸術としての高い知識と技術を併せ持つ。それが本当の芸術学である筈。懸命すぎつつ自身の技術による支持面の状態を疑う。

         「 Can you real struggle ?  」   の精神を感じました。それが同様に、精神としても安心を生み、正しき生活を促すかのような絵画技術を獲得します。  情けは人の為にある。技術は生活の円環を守る為にある。豊富な知識が技術に拍車を掛け、生活を治める柔和な知識にもなるのだなあ、と感心しました。  (応物3法)

 立体編  物の形(塑形する媒質の特色)を表現として順応しつつも応用し、象徴として塑形する。巷にある、物体の破れた形 、曲がった形を美しく取りまとめる、その形に対して、確かな意味合いを持たせて立体象徴と化す芸術作品。

 絵画編  モデリング(塑形したマチエール)=(絵具+モデリングペースト)を、下地剤の媒質種と描きたい物、支持面に求める状態に応じて行う。心ある配慮をするかの如く知恵ある塑形をし、象徴化する。 (地塗り剤の特色を把握し、確かな塑形術によって物質を象徴化する。かつその絵画には技術と思いやりがある。)

日常編  生活の中、そこにある物質を最も効果的に用いたり、判りやすく配列したりする。日常の心構えとしての自己実現の象徴化である。        

美術と心理学論文 美術には、いわんや人間を癒す効果がある。その役割が無くては、作品の意義は無いと言っても過言ではない。社会の恐ろしさや、戦争に対する反対意識がある作品をアンチテーゼする事は可能だが、作品がコミュニケーションの取れる媒体として存在する、あるいはメッセージを内包した状態のものでなくては、結局なんの他人に対して与えうる回復も無い。と、いう事は、メッセージの中にも、テクスチャー、あるいは絵画技術としての、「見る側への癒し」がエッセンスとして内包されていなければ、成立はしても、誰かの足を止めるような絵画としては、成り立っていない、という事は。結局作品の中には「干渉」以外の、理解力とか、心遣いというものを含ませる必要性がある。  セラピストの基本に「共感的理解」という必要事項が存在する。セラピストには、相手の立場にたつ必要が、相手とのコミュニケーションを取る上で出てくる、というものだ。 「充分に機能する人間」という解釈でもって相手を具体的に理解しようという側面と、同時に「そういった一連の不具合というのは、どういった理由から来ているのか」という心理的側面の、2方向から人間を治療する事が重要であるのと同様に、「社会的メッセージ、公的訴えとしての絵画」「心癒す媒体の塊と、その積層としての絵画」という両側、2方向から人間にイメージを投げかける事が絵画には重要であるといえる。 美術という活動は、特に心を使い、目や内臓の疲労を増やす。密閉された部屋で行う作業という事もあって、どうしてだか精神的にも疲労する。病院に通う人間や、錠剤を常用する人間がいたとしても何ら不思議は無い。  そういう芸術活動のストレスは、屋内作業にして『衣食住』総てに美しさや景観、彩り、人間の作業の円滑、生活の循環の浄化としてタッチする事の難易度。『思いやり』や、人間の誠意の形作りであるがゆえの心労や、心の中の悩みが日々募るが故に起こる『変な疲労』が、尽きないということです。通常の人間からすると凡そ訳の分からない理由で自殺したり、病院送りになったり、薬を常用する為、その関心事の中に入る人間の活動もなかなか分析しづらく、その人間の病理を未然に解決する事も、とても難しいと憶測します。  要は、「美術系は患者としてはとても厄介で、故に人一倍体調管理に気をつけて欲しい人種だ」という事である。人間のなかでも、退化しやすい、あるいは退化をいとわず活動をつづけるのが芸術家であり、体は当然弱い、という事である。 美術館での景観に着目してみよう。お気づきでないだろうか。美術館の中の人間。「少々太り気味」というだけで、かなりの大柄な人間に見える事。そう、美術系という人種は、僕も含めて、それだけ脆弱な人種なのである。 そういう意識の元活動して欲しい、という人間も、内外問わず沢山存在する筈だ。要は人生を歩んだ結果としての体格や、一個体としての蓄積が、美術家は脆弱になりやすいという事だ。  一方で、学生常設には事故が起こり易い。「大作品」の厄介さだ。大作は、ナイーブな扱いを要求する割に、相当な重量を伴うので、扱いを知りつつ取り扱う事が重要になる。 そして、実はもう一つの重要な観点がある。そういうナイーブな作品の取り扱い、実は「ためらってはいけないのだ。」 しても良いことの範疇を利用して、最大限の要領を用いるのが作品の秘訣である。それはとても感覚が難しく、要領よ美術との狭間に位置するのだ。    その活動の「混合疲労」は、とても体には辛いだろう。脳と肉体が両方疲れる、という事だから。そして、さらに新たな美術品にも精力を注がない事には始まらない。 まことに美術とは、疲労の連続なのである。しかも、動きは美的な為、なかなか表出しにくい分、当人たちが倍、気を使いあわないといけないという義務がある。  一方で、これは描き手の願望、『こう描きたい』とか、『ああいう風に描きこんでみたい』とか、そういう類の物である以上、やはり作品完成度で日本人を上回る人種は相変わらず存在しない。  あの石膏像や、ルネッサンス絵画といえども、積層と、重層感においては結局日本人の上を行く事などとても不可能である。日本人の気質でなければ、生み出す事が不可能な「思考的密度を組む絵画理論」で、できたインスタレーション絵画は、構図は精巧、かつダイナミックに仕上がっている。そういう日本の気質が、オリジナリティーを奪う行為にも繋がり易くはあるのだが、結局人間は「同じ物があれば、良質な方に興味を引かれる」というのが定石なのである。 アクリル絵の具は水で希釈できる合成樹脂(ポリアクリルエマルジョン)によって顔料を嫌ったものです。画材として合成化合物が育ったのが、壁画創作運動に伴う「対公共建築物対応壁画用画材」の需要で、 「強度」 「速乾」 「多数支持面固着」  等の需要の為に生まれました。たくさんの支持面、鉄、コンクリート、木、等有機物、無機物を問わず固着する上、全画材中最強度を誇るものでなくては、雨天にも対応する壁画は生まれなかったのです。支持面がフラットであり続ける限り、罅割れすら起こらないというのがその強み。面相による細かな描きこみも可能で、薄め液も水になるので健康も害さない。  こうしてアクリルガッシュは生まれ、その有能さから、絵画にも続いて応用されるようになりました。 アクリルガッシュと下地の関係は、作品の仕上がりを100パーセント左右するほどのものがあり、その下地剤一つ一つにも特徴が存在する。

ライトモデリングペースト  マチエール塑形術、「モデリング」に扱う素材。この応用で、立体に長けた人間を絵画に誘う事が出来る。通常の重量の物と、もう一つ軽質な物がある。その軽質さ故、多大なマチエールを造り、モデリングとして塑造しようとも、重量が軽質を保つ。要は支持面の重さを念頭に置かない創造が可能になるという事。この物質にはモデリングの上でとても助けられる筈。

セラミックスタッコ 粒状の樹脂が独特のテクスチャを出す。粘りが強く、固着しても、マットさと粒質感と、かつ品位も残す。 ナチュラルサンドもこれに似ている所がある 「制作意図」についての論文

美術を渇望する人間は、何を手に取ろうともなにか魅せる物を作ってしまう」というのを。  そうしたいという人間、真にそういう物を創造したいと考える人間に、媒質のハードルや技法の難解度はあまり問題ではないのだ。「その表現をするにおいての最大限のマテリアルの生かし方」が、最も重要であり、それを習うにしても、習わざるにしても、描かんと欲する人間はどうにかして、頭の中から引きずりだす。道具と道徳を思考するだけで、ある程度は解決付いてしまう。勿論そこからの教養というのが肝心なのだが、その地盤にそういう「思い」が根付いていないと、作品として「意味が分からない」のだと感じる。  道徳を筆を取る際感覚化させるだけでも、それが充分な「技法」足りうる。  絵の具を使う=無駄なき方法を知っている=少ない画材で良い物が沢山できる  絵の具を使う=道徳観念がある=無駄をしない考え方をする=上記に同じ結果  という様に、道徳観念が生み出す「思い」が、今そこに習わぬ知識を生み出す事があり、美術に携わる人間は、それが自分の手元から出てきた瞬間、それを残し、逃さずキャッチしなければいけない。そういう感覚を絶えず保有する事と、そういう「真新しさと品格の違った創造」を心が排出する精神性を保有している人間こそが天才であり、それ以外はただの全体の中の売名に過ぎない。そう、道徳性とは心の広い人間性にこそ微笑み、矮小で真新しいものにばかり走る人間には振り向かないのである。    本当の真新しさには理由とコンセプトがある。多くの人間に目を引いてもらいたい、戦争、社会、国、等の、確固たる理由や、「自分の絵を見ている間だけでも和んでいてもらいたい」とか「こういう表現、コンセプトで表現した事を皆に伝えたい」という『理由』に基づいて作られ、その結果、多くの人間の足を止めるような技術が必要になり、『真新しさ』が表出する。要は

     『本人の一番良い自我を、技法を乗せて放出する』  のだ。そこには、自分の引いた線、たまたま形として出来てしまった美しきストローク、筆跡のみに流されない、『本当に優れた心の持ち主』のみが到達できる『技法をちりばめてなお、爆発混在している自己表現』がある。僕は僕の絵も含めて、そういう絵を未だ目にした事が無い。 それは、その夢は、『左手で左手の肘を掻く』が如き夢である。そう、技術を一画面に纏め、一つの体系としてバランス良く表現することと、そういう『表現』という感情の曖昧さの混在の渇望は、矛盾点が多く、例えばクロッキーをいくつもかさねたとか、其れこそ面白い絵柄を作った、だれも知らない技法を生み出したとか、そういう物とは別である。『誰も知らない線の引き方が出来た』というのは、実は結構意味性に欠ける。例えば卵を投げてきれいに割れる手腕があったとして、『皆の役に立つ類では無い、意味性の希薄な趣味性の高い技』なのだ。本当に表現を渇望する人間は、適当にやっても何故かその表現したい事項が表出した絵になるのである。よって、美術をする人間の殆どが、その夢を抱いている。その夢の頂の高さにかかると、大作までもが失敗作と化す。僕は勿論出来ない。しかし、美術は技術でなく、美しきなにかの表出術であり、技法体系を美しくまとめるだけのものに終わるのも、僕自身としては寂しいような気がしてならないのである。  前述したように、制作の意図と、癒しのバランスが作品には欠かせないのだろう。リアリティーをどれだけ保有したものでも、結局それと等量の癒しとしての絵画技術を保有したものでなければ、絵画を体感する側としても、とても息苦しい。言い換えるならば、「制作意図の為のリアルな一側面」がそこにあるのであれば、相手は気持ち悪さを感受しないし、感知もしない。逆に、いかに可愛いものばかりを扱った絵画でも、その「制作意図の為の腹黒い算段」がそこにあるのであれば、相手はなぜかそこに気持ち悪さを感受する。そういうものである。 技術というのは、とても重要である。軽んじてはいけない、皆が苦心に苦悩を重ねて生んだ思考の断片を、客観的な視覚や考え、感覚、理論によって否定したり、また肯定したり、練り直したり、技術同士を比べて、新たに生み出されたものであるか、それとも既存の技法の変容、応用的なものであるか検討したりして一つ一つがとても自由な発想と、今日の技術的修練と完成度で生み出されている。その集積が技法である以上、技術を、単なるテクニックとして否定する事は、誰にも出来ない。美術に愛着があればあるほど、本当は「できない」のである。  ところで、6年から7年以上画面に着手した人間ならもう分かると思うが、技術には併用が可能である。ステンシルとストロークも、ステンシルの用紙の上から、筆跡(ストローク)をダイナミックにつけることができる。ステンシルの上からドリッピングすると、用紙をはがした時、用紙の切り抜いた部分にのみドリップの痕跡が残る。そのようにして、技術同士の混合が可能なこの一つ一つのぎじゅつは、とても上手く共存してる。ステンシルで直線を切り抜いて、ドリッピングを5〜6階調で行い、上から光の調節を行うようにして加筆を行うと、「ドリッピングの柱」が出来る。そのようにして、技術の併用によって出来る表現は、掛け算式に倍加する。この感覚さえ持っていれば、いかに描写力を有した状態でも、画面の真新しさを失う事は無い。「実力介在形前衛絵画」の出来上がりである。 今現在の常識の中の技術は、とても幅が出来たと感じる。しかし、肝心なのは使い手の方の心構えである。人間の、物知りげなプライドが自身の向上心に対するストッパーになることもあれば、社会における低俗な嫌がらせに屈し易い稚拙な作業をする人間のありようなどに、心を狂わされるであろう。修行僧ではないので、それが自然な事である。しかし、いくら人間が良いからといって、思いやりがあるといっても、それ全部自分の負債であるという事。なので、技術を研鑽する身になったからといって、その精神や心構えを決して変えてはいけない。そして、「ダイナミックさより密度を重視したい」とか、「知名度より節度を重視したい」のなら、まずそういう技術の習得に対して熱心でなくてはいけなく、指導者もそれを応援する義務があり、その責務から逃避した口の使い方をするのなら、心優しい人間からの、制裁を受けなければいけない。美術は、心根の綺麗な人間を、からかう為に生まれた技術ではない。ゆえに、今日も、誤った用法を呪詛的に用いた人間は、どんなに多勢であろうと、容赦なく罰せられるし、そういう正しさの方がまかり通るように出来ている。まことに不思議な感覚を覚えました。 制作意図という問題、観点もそう。制作の意図がとても深いものなら、一見単純なようでも、なぜか心の深い部分に響き、技術がいかに複雑で、さまざまな描きこみに基づいた技術形態であろうと、モナリザをぱくったような「間違った斬新さ」を持っていたら、人間は自然と素通りする。その証明のもっとも顕著な例が現代美術だといえる。おおよそ技法的な構成上の詰めや、制作上の完璧な予定、その他総てが曖昧であるものの、人間の心惹くテーマ性に満ちている。 美術という画面の応用性には、様々な悪用方法が存在する。それはいわんや、不明瞭な利用方法で、とても人間の隠れ蓑になりやすい。知識のある人間が利用して、知識の無い人間を騙しきるのだから、それは罰せられる筈が無い。よって芸術系には、逸脱した感じの人間がいる。一部の知識者によって、自覚を奪われているのだ。心を自動的にコントロールされるかのように。そういう人間の把握量の差を用いた、間抜けな失敗も美術にはあり、それは医学等がツケをもっている。現代社会に絵画が登場する事は、とっても考えにくい。なぜって今は、ビルディングのモニターの大画面が、壁画にとってかわり、そういうシステマティックな全体が、絵画という手間隙を、ぶち壊してしまったからである。そうして今、デザインという簡易で安易な物体が日常社会を占め、その量産性が格好の特異点を求める人間達を食い物にしているというわけだろうと感じる。  自分は、絵画を一生懸命に続けた人間である。その時脇目も降らなかった。学校を辞めたり、誤解されたり、陰口を叩かれても、まるで気にしなかった。歯が欠けても、肌がボロボロになっても、その筆を、訳のわからないダスターに持ち替えてでも、辞めなかった。その事が今日の僕にほんのチョットの身分をくれた。後は、皆が喜んでくれると嬉しい。それだけだ。人間の制作意図というのは、技術を超えて人間の意志を支配する。その意図へ向けて、心燃やし、体を裂いた人間には、必ず望みが敵う。その望みが、他人がより多く喜ぶタイプのものであるのなら、なおさらである。そして、制作意図が自身の作風に沿ったものであるのならば、作品はいつも8割方の成功を収める。一人の個性ある人間が、長く作品を制作する事に従事してゆくと、どのような人間にもアクや、個性が表出する。そしてその個性に沿った制作体系を、生み出すに至る。基本的な技術体系の上にその個性が綺麗に乗ったとき、その絵画の個性はゴールインする。そう、制作意図と技術は、本当はとっても仲良しなのだ。「制作意図=個性」「個性があるから、技術を介在させるのが面倒くさい」という心理状態に陥り易い、集中制作においては、結局そういう人間の感性が完成度に対する障害と化す、という事実がある。しかし、誠に良いものが作りたい、自身の個性の先の、一番良い表現状態が見たいと感じた場合、技術のハードルというのは、そういう願望が在る人間にとっては実は「そんなに高くない」。大きくその体を使い、絵画をする大人として解釈するならば、決して困難でない。それに気付いている人間は技術を吸収する。それが総てでないのだから、技術の習得はとっても簡単な筈だ。技術は媒質である。技術は用法である。その用法の真新しさが、新しい自身を引き出す事も沢山あるはずだ。で、あるのならば、技術の幅が広ければ、制作の意図の深みも増すというものだ。長年一つの物事に従事した人間には、その内実の研鑽方法について、知る義務がある。それが制作意図に一層の深遠広大さを与える事は、言うまでもない。  このようにして、技術と制作の意図がどれだけ重要な接点を有しているかは分かるでしょうが、ここからさらに分解し、かつ分かり易く克明に制作意図と技術の関連性について触れてみたいと思う。  例えば在る一色、「ベージュ」によって得た感覚からイメージを膨らませて絵を描いたとしよう。その一色によって生み出せるイメージの幅と、更にもう一色、「ベージュの補色」を絡ませて描ける絵のイメージの幅では、どうしても、その「もう一色」を知っている、及び用いる事が出来る人間の絵画の方に完成度が出来るのが、当然の結果である。色数が総てでは無い。シンプルな方に注目が集まり、その魅力はシンプルである事で成立している絵画も当然沢山ある。しかし、この場合で言う所の感覚点とは、「製作意図の深みの差異」を表す。日本的な一面を内包した高名な現代絵画においては、一色の色彩だけが主立っている事は先ず皆無である。人間が魅力を感じるのは、その苦悩と正しき研鑽の集積である。結局、「癒し」というレベルを超えた解釈の感覚になると、そういう「研鑽の集積」が価値基準と化し、その中で人間はもっとも複雑にして深遠なイメージを両有するものを選出する。よって、絵画の制作意図に深みを与えたいのならば、当然制作の複雑化が必要不可欠になってくる。その技術の集大成に一つ一つの技術を付加し、その付加に自身のイメージを引っ張られてゆく事も、重要な研鑽のポイントになる。               そう、制作意図自体も成長するのである。

美術には、いわんや人間を癒す効果がある。その役割が無くては、作品の意義は無いと言っても過言ではない。社会の恐ろしさや、戦争に対する反対意識がある作品をアンチテーゼする事は可能だが、作品がコミュニケーションの取れる媒体として存在する、あるいはメッセージを内包した状態のものでなくては、結局なんの他人に対して与えうる回復も無い。と、いう事は、メッセージの中にも、テクスチャー、あるいは絵画技術としての、「見る側への癒し」がエッセンスとして内包されていなければ、成立はしても、誰かの足を止めるような絵画としては、成り立っていない、という事は。結局作品の中には「干渉」以外の、理解力とか、心遣いというものを含ませる必要性がある。  セラピストの基本に「共感的理解」という必要事項が存在する。セラピストには、相手の立場にたつ必要が、相手とのコミュニケーションを取る上で出てくる、というものだ。 「充分に機能する人間」という解釈でもって相手を具体的に理解しようという側面と、同時に「そういった一連の不具合というのは、どういった理由から来ているのか」という心理的側面の、2方向から人間を治療する事が重要であるのと同様に、「社会的メッセージ、公的訴えとしての絵画」「心癒す媒体の塊と、その積層としての絵画」という両側、2方向から人間にイメージを投げかける事が絵画には重要であるといえる。 美術という活動は、特に心を使い、目や内臓の疲労を増やす。密閉された部屋で行う作業という事もあって、どうしてだか精神的にも疲労する。病院に通う人間や、錠剤を常用する人間がいたとしても何ら不思議は無い。  そういう芸術活動のストレスは、屋内作業にして『衣食住』総てに美しさや景観、彩り、人間の作業の円滑、生活の循環の浄化としてタッチする事の難易度。『思いやり』や、人間の誠意の形作りであるがゆえの心労や、心の中の悩みが日々募るが故に起こる『変な疲労』が、尽きないということです。通常の人間からすると凡そ訳の分からない理由で自殺したり、病院送りになったり、薬を常用する為、その関心事の中に入る人間の活動もなかなか分析しづらく、その人間の病理を未然に解決する事も、とても難しいと憶測します。  要は、「美術系は患者としてはとても厄介で、故に人一倍体調管理に気をつけて欲しい人種だ」という事である。人間のなかでも、退化しやすい、あるいは退化をいとわず活動をつづけるのが芸術家であり、体は当然弱い、という事である。 美術館での景観に着目してみよう。お気づきでないだろうか。美術館の中の人間。「少々太り気味」というだけで、かなりの大柄な人間に見える事。そう、美術系という人種は、僕も含めて、それだけ脆弱な人種なのである。 そういう意識の元活動して欲しい、という人間も、内外問わず沢山存在する筈だ。要は人生を歩んだ結果としての体格や、一個体としての蓄積が、美術家は脆弱になりやすいという事だ。  一方で、学生常設には事故が起こり易い。「大作品」の厄介さだ。大作は、ナイーブな扱いを要求する割に、相当な重量を伴うので、扱いを知りつつ取り扱う事が重要になる。 そして、実はもう一つの重要な観点がある。そういうナイーブな作品の取り扱い、実は「ためらってはいけないのだ。」 しても良いことの範疇を利用して、最大限の要領を用いるのが作品の秘訣である。それはとても感覚が難しく、要領よ美術との狭間に位置するのだ。    その活動の「混合疲労」は、とても体には辛いだろう。脳と肉体が両方疲れる、という事だから。そして、さらに新たな美術品にも精力を注がない事には始まらない。 まことに美術とは、疲労の連続なのである。しかも、動きは美的な為、なかなか表出しにくい分、当人たちが倍、気を使いあわないといけないという義務がある。  一方で、これは描き手の願望、『こう描きたい』とか、『ああいう風に描きこんでみたい』とか、そういう類の事である以上、やはり完成度でを上回る人種は相変わらず存在しない。  あの石膏像や、ルネッサンス絵画といえども、積層と、重層感においては結局日本人の上を行く事などとても不可能である。日本人の気質でなければ、生み出す事が不可能な「思考的密度を組む絵画理論」で、できたインスタレーション絵画は、構図は精巧、かつダイナミックに仕上がっている。日本の気質が、オリジナリティーを奪う行為にも繋がり易くはあるのだが、結局人間は「同じ物があれば、良質な方に興味を引かれる」というのが定石なのである。  決まり事の中で物事を煮詰める行為で世界一なのは日本人である気がする。 一方で、美術に携わる人間の感覚と、技術の駆使の天秤をとても悩みの種にする人間もたくさん存在すると思います。 なんに関してもそうですが、「万人に共通する悩み」と、「専門的に理解する必要がある事実への悩み」は、とても矛盾を抱きやすい問題が出てきます。そういう時、どちらを優先順位として持ってくるかはその人間各自の自由になると思います。あらかじめ自己心理の理解力を上げている人間は、「飲み込み」が違います。「ああしなければいけない」、という理由を心が理解するので、とっかかりなく物事を推し進める事ができます。これと美術的技術と交わらせると、同様の事が言えます。例えば、テクスチャーを作る下塗りに扱う技術を用いる、ストロークであったり、もしくはマチエール、テクスチャーであったり、その選別が正しい人間というのは、より良い選別をする人間というのは、「そうしないといけない理由」を深く理解している人種だからです。その理解に技術を乗せているから、「技術的に卓越しているにも関わらず、内的理解に乏しい」という失敗が無い、という訳です。  テクスチャーや、地塗りは、失敗すると次の面を作るとき、その失敗した部分のみが一層厚くなり、「物体」として見た場合、不自然になります。そしてテクスチャーの失敗、しかもその色面がとても大きかった場合、上塗りにはあからさまな費用がかかる上、支持面が重くなります。  物事の間違いには費用が掛かります。そして世の中においてその失敗は往々にして自身に帰ってきます。よって、「間違えるな」と言える人間の方が少しだけ思いやりがあるというのが事実です。  技術的失敗の積層は、人間の心に対して「できない」という感覚を自身に刷り込む事になります。そういう「自分の刷り込んだ感覚」というのは中々払拭しずらいものです。他人が刷り込んだ感覚は距離を置く事でやがて緩和されますが、自分とは一生、一秒も離れ離れになる事ができないのです。よって、自己に対する不安はなかなか払拭しずらいものなのです。美術とは、自分の内面の表出場面であり、調子の不具合がすぐ体にでます。よって、「自身に負けない心」というものが必要不可欠になると感じます。  他人と自身を比べてみた場合に、どうしても心理的不安が伴い、いつもの好調が出ないでしょう。しかし、そういう場合にこそ意味性を伴うような2倍の優しさと、2倍の具体的な何かでもってますますの好調を引き出すのです。







美術にはいわんや人間のメンタルに関わるという役割が存在します。人間のメンタルに画面でもって食い込む作業、実はこれかなり現代社会においては重要な役割を担っています。コンピューターや、社会の軋轢に耐えかねた人間の心理的ある一面の崩壊を、きれいさっぱり立て直す行為や、ゲームの画面に惑わされた人間、携帯電話の画面に身体的な側面を害された人間のリロード方法としての絵画が、今日存在します。 色彩は「癒し」、テクニックは「信頼」、技術は「円滑なコミュニケーションとイメージの助長」、解剖学は「正しい画面内の人体のありようとテクニックとの関連性」、修練は、「義務」、会合は「守りあう為」。  そういう一連の行為が絵画の作品作りにおいてもっとも重要な決定付けになります。その存在が際立つ秘密の箇条はこんなところです。  人間には、実生活、実際の世界以外の癒しが必要となります。そして、そういうぎりぎりの癒しを与える行動というのはとてもテクニックと修練の時間を擁します。その研鑽の量が確かになってゆくと、人間は障害を乗り越えるようになります。そして画面を見る人間の障害もそこから消えうせます。そういう技術の集大成に対して得る感動とは、

   「思いやり×技術」という倍加方式により一層の効用を他人全体に与えます。

 技術の無い絵画というのは、とても客層が偏ってきます。そういう場合に、自分も他人も、大変寂しいでしょう。

 会合とは、自己顕示ならず、守護しあう、心配りあうものなのです。賞を与える相手は、その人の人生に責任を持つ証拠として与えるわけで、その事を何者も否定してはいけません。 遠近法は視覚への対応から、遠近図を挟む事によって視覚をいかに面白く再表現(representasion)するかという行為に変化してきた。逆遠近法という、遠くの物が大きく、近くの物が小さいという手法や、5点、6点を用いた多数消失点混在型遠近法、天井の物を描くときは逆からも消失点を扱うので、点を増やしたりするのに始め、双曲線hypervola、放物線paravola等を用いた双曲線遠近法や、地平線曲線分割型の天使遠近法、直線分割型の地上遠近法等、現在拡張の程を見せている。また、中国式遠近法「三遠」(高遠=空高く見上げる)、(深遠=空間深く見通す)、(平遠=地平を見回す)との関連、複合による新式遠近法も思考される。そしてそれらの遠近法をまとめる構図構成は、黄金率(美しさ優先)の場合と、公理(バランス優先)の場合がある。また、碁盤の目の様に線を引いた後に、想像力から偶発的に生まれる遠近法の線組織状態が、(prospettiva accidentale)とも言い、遠近術の想像力を試す楽しさの追求にもなります。 また、その偶発的にできた遠近図と、線形象を織り交ぜ、網状組織にして、最後に(propotional mente)を行うと、象徴状態を完成度を持って保有できます。網状にする際の、線と遠近術と、網状組織の複雑さと、正しさと高度さ、そして、実際に絵画にした時の描きこみが決め手になると思われます

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衣食住と肩を並べる為の芸術と大学単位の5教科の、関連性
 数学、古文、国語、科学、理科等を、もっともっと投入して行かないと絵画として成立しずらいと思います。描くにおいてその計算や言葉が介在するとしないのでは、段違いであって、絵が巧くならない理由は、絵ばかり描いているからであって、そこに「ung」。象徴性。僕から見たら、この媒体はこう見えるとか、そういう見地を、他の学問でもって言葉で表すかの如く絵画に変えるのは、とても重要になります。形、形状をただ計るのみでなく、どこまでそういった他学問を介在できるかが重要な一線になります。 「そっくりに描いているのに」というわだかまりがある人間はそういう部分が足りてないと存じます。 人間の学問の介在余地についても思考し、六画法や、絵画5層、線描5層と別に、個々の物に何を見るかが肝心になると思われます。その好み、趣向が実は個性を織り成していて、それは極めて単純に個人の学術が見え隠れするからだと存じます。  箱が一つ存在して、それを描写してゆかなければならないとして、それを「静謐」ととるか、「量感 」ととるかで、明らかに違ったものが出来上がります。その両方がある時、それはとても、実物以上の説得力を持ちます。そう、それが、「実物」になくて「絵画」にある物なのです。その一個の物体に、虚偽やごまかしを交える事無くその「静謐」や「量感」を一手に込める事ができると、実物と同じ正誤性を保つにも関わらず、実物を遥かに凌ぐ絵画になります。そしてそれは、「模写」であり、「絵」でもあります。

梅田 聡一郎 さん 2005年 10月 20日 16時 17分 57秒

絵画にある調子の良し悪しの概念を、無くす絶対安全な方法として、下絵が存在します。その下絵の時点で完成度をいやおうなしに要求するには、絵画5層と同じく、下絵線描にも5層を設けるのが良いと思います。そういう試みが、絵画の下絵の重要さを助長させると感じてます。  「ズボンよりパンツの方が重要」という事はまず無いと思いますので。= 下絵5層を提案します。  絵画5層といっても、いわゆる「彩する行程のみ」の5層なので、そこには「下絵」という行程が欠けてると思います。下絵の時点で構図は10割決まるし、その中で重要な点もあるのに、下絵のみが低い扱いを受けるのは違うような気がします。disegno、profili、controni、等、下絵そのものの用語だけで絵画同様様々な単語があるのに、現代になってその前行程を略すのは変な気がします。  美術館で、昔、「名前だけ描くっていうのも、変じゃない?」という心ある答えをもらいました。確かに、絵画をその人が見たかどうかは、下絵同様のこらないもの(まあ、本当は残るんですけど)ですけど、その結果、人生結果にしろ絵画結果にしろ、明確に違いが出ます。よって、しっかりと見るのも大事な役割ですし、名前を書いて、コミュニケーションを取るのも大事になります。同様に、下絵の大事さを、もう絵画そのものと同じレベルまで引っ張っていっても良いのではないかと思います。    そこで考案したのが、


   下絵5層(profillistructur)+絵画5層(inhaltstructur)です。これによって、画家の「調子のブレ」を

支える事ができると思われます。(halt)=支え。絵画5層には彩技術、下絵5層には線技術が反映すると思われます。象徴を子供臭いと笑う人はいますが、線や図形自体が卓越していれば、これは高度なものが仕上がります。むしろ、その反映が未来に写実、静物を模すに至って、下絵の層や、物体解釈に役立つという事です。 ==絵画5層を主格とした他5層を加える段階公式解釈==     inhaltstruktur(内面的支えの5層)という、絵画意識の5層が存在します。絵画を実際描く、tintingstrength(着色)における5層の際の技術と意識を両立させた段取りの事です。この5層の中にいて絵画を完遂させる者たちは、どんなタイプでも好評価を受け、なんらかの賞に至ります。この5層よりさらに次の段階、これがまだ初級、発想と最上の5行程とすると、中級に、着色をする前、の状態にさらに五層を設けます。これをesquiseestructur(下絵5層)と名づけました。

1・esquiseestructur(下絵5層)   第1層・比率の骨組線描図 (世界)

線遠近法liner perspective
天使遠近法 幾何比例遠近法
地上遠近法 投射面投影遠近法
中国三遠(チョンゴアサンデュエン)高遠(カユウエン)深遠(サンデュエン)平遠(ピンデュエン)
(介在律)

黄金率golden ratio
白銀率silver ratio
(介在学)

幾何学geometry
図像学iconography
(正確さ、バランスの追求)

propotionalmente
骨法用筆(形の取り方)

分岐1「それが写実である場合」 (種別1)人物

骨の位置
身長
体型
これらの線における概図把握 (種別2)静物

物体の構造
物体の重心
物のアウトラインの長さの関係性
形の頂点の、位置関係
これらの線における概図把握  

※両方の種別における距離公理(distance axiom),視覚公理(angle axiom)の意識。どれくらいの距離離れていて、どんな風に見える角度から見ているか。という問題。   分岐2「それが象形である場合」 (状態)線形象化

hypervola双曲線
paravola 放物線
ruled surface 線織面
single curved surface 単曲面
double curved surface 複合曲面
warped surface ねじれ面
directring surface 導面
element 面素
generatrix 導線
linerformung線形象
propotionalmente律関係バランス
トレーシングクロッキー(解剖整理線形象化図)
仕上げに、全体における線形象や複合した線関係図の、全体的( gerlecht )網状組織化から、propotionalmente調整のバランス。








京都精華大学「shin-bi」 さん (info@shin-bi.jp) 2005年 10月 18日 23時 22分 26秒
URL:htt://www.shin-bi.jp

私ども「shin-bi」は、ショップ&ギャラリースペース「Studio KINO」(京都精華大学映像メディア研究所のエクステンションオフィス)が併設されたアートの「制作-体験-発表-鑑賞-販売」の場です。
この度開催いたします展覧会についてお知らせします。


京都精華大学「shin-bi」企画展
展覧会名:「唐長の装飾文様」展 第三回「幾何学文様」
会期:2005年11月18日(金)〜12月4日(日)
会場:京都精華大学「shin-bi」ギャラリー

◎レクチャー 「唐紙のある暮らし」
千田郁子 (唐長十一代目当主夫人)
11月27日(日)開場18:00, 18:30〜20:00 参加費1,000円

◎レクチャー 「京唐紙の幾何学文様 −そのデザインと名称」
鶴岡真弓 (立命館大学文学部教授/美術史・ケルト芸術文化研究者)
12月3日(土)開場14:00, 14:30〜16:30 参加費1,000円

◎唐紙ワークショップ 「配色を楽しむ」 
千田堅吉 (唐長十一代目当主)
11月5日(土) 19日(土) 20日(日) 27日(日)12月4日(日) 10日(土)
開場14:00, 14:30〜16:30 参加費14,000円/全6回
*参加費には千田郁子レクチャー(11月27日)、材料費が含まれます。
*板木は唐紙制作に用いる朴の一枚板を使用します。
日程:
11月5日(土) (14:30〜15:30) 図案確認・ワークショップ説明
11月19日(土) (14:30〜16:30) 唐長十一代目当主千田堅吉 レクチャー+制作説明
11月20日(日) (14:30〜16:30) 唐紙制作
11月27日(日) (18:30〜20:00) レクチャー「唐紙のある暮らし」千田郁子
12月 4日(日) (14:30〜16:30) 唐紙制作
12月10日(土) (14:30〜16:30) 唐紙制作

申込み方法:
E-mail、ハガキ、FAXにワークショップ又はレクチャー名・氏名・郵便番号・住所・電話番号・FAX番号を記入しお申し込みください。shin-biカウンターでも受付けます。詳細はshin-biのホームページをご覧ください。htt://www.shin-bi.jp


梅田 聡一郎 さん 2005年 10月 18日 18時 54分 56秒

絵画にある調子の良し悪しの概念を、無くす絶対安全な方法として、下絵が存在します。その下絵の時点で完成度をいやおうなしに要求するには、絵画5層と同じく、下絵線描にも5層を設けるのが良いと思います。そういう試みが、絵画の下絵の重要さを助長させると感じてます。  「ズボンよりパンツの方が重要」という事はまず無いと思いますので。= 下絵5層を提案します。  絵画5層といっても、いわゆる「彩する行程のみ」の5層なので、そこには「下絵」という行程が欠けてると思います。下絵の時点で構図は10割決まるし、その中で重要な点もあるのに、下絵のみが低い扱いを受けるのは違うような気がします。disegno、profili、controni、等、下絵そのものの用語だけで絵画同様様々な単語があるのに、現代になってその前行程を略すのは変な気がします。  美術館で、昔、「名前だけ描くっていうのも、変じゃない?」という心ある答えをもらいました。確かに、絵画をその人が見たかどうかは、下絵同様のこらないもの(まあ、本当は残るんですけど)ですけど、その結果、人生結果にしろ絵画結果にしろ、明確に違いが出ます。よって、しっかりと見るのも大事な役割ですし、名前を書いて、コミュニケーションを取るのも大事になります。同様に、下絵の大事さを、もう絵画そのものと同じレベルまで引っ張っていっても良いのではないかと思います。    そこで考案したのが、


   下絵5層(profillistructur)+絵画5層(inhaltstructur)です。これによって、画家の「調子のブレ」を

  支える事ができると思われます。

梅田 聡一郎 さん 2005年 10月 16日 17時 08分 51秒

  びびるのだったら、最初から頼まないように。私の喧嘩の仕方があるの
  ですから。
   責任持てない相手に、茶々入れないように。
   無関係な人間に、迷惑かけないように。
   訴訟起こして学費全額バックさせますよ。しないけど。


782 名前:梅田 聡一郎 :2005/10/16(日) 16:26:58
  
   出来ない事はするとは言わない、でしょ?

 自分で喧嘩くらいしなさいよ。こういう風に。なあ?

       藤井さん。


783 名前:梅田 聡一郎 :2005/10/16(日) 16:31:58
 学生は皆、切羽詰ってます。君だけではありません。
我侭でもなければ酷くも無い。

   私の人生は私の物である。

   私は今召使だが、(君の)じゃない。

 お前一人が悪い、良いの問題じゃない。体美問わず全員でお話でもして、


     悔い改めろ!!!研鑽に溺れし汚物達よ!!


784 名前:梅田 聡一郎 :2005/10/16(日) 16:33:12
 私は、相手が女の子から美術館の館長に変わったくらいで頭を下げる事は無い。


785 名前:梅田 聡一郎 :2005/10/16(日) 16:39:15

「自分に対する不満を、私に対する不満に変えるな。この汚れ羊が。
 友人の、自分の葛藤を私に対する憤懣に変えるな。
 適わない理想の牙を私に向けるな!!
 自分の意見が私の連れに通らない怒りを私に向けるな!!
 私の心をかき乱し、無かった事にするな!!
 そのくらいの事をしたくらいで、陳腐な計画を練るな!! 
 そんな事くらい、司法は分かるんだ!!
 そんな事で捕まる訳無いだろ!!
 思いやって思いやって裏切られたのは、あろう事か、この私だ!!
 私の目の前から一生消えろ!!

     「  youko fujii !! void out myheart!! 」



786 名前:梅田 聡一郎 :2005/10/16(日) 16:43:58
 「憤懣をぶつけまくった挙句、囲ってる周囲に縋るな!!
  善意に自惚れるな!!
  では、私に頼ったが如く、お前は私の為に何をする!!
  幻覚でも見せるか?
  安東朝子にでも頼るか?あのような拙い者に。
  anatomyの悪用でもしてみせるか?知っている者同士なら戯事だろう。
  私がどんな心持ちでお前等を見ていたか、
  私に尋ねた事は

  一度でもあるか!!!
  
  


787 名前:梅田 聡一郎 :2005/10/16(日) 16:48:18
 何かにつけ、邪魔する理由を探してまわる心の醜さを、
見抜かれてる故に罵詈雑言を浴びるのだ!!

 linerformung線形象!!
have all track mind全体感!!

動勢、量魂、=筋肉
対象とのdistanse axiom
angle axiom

 その体格、文化に違いあれど、仲良くしたければ共通項にまみれている。

      日常会話からやり直して来い!!子羊と筋肉馬鹿!!


788 名前:梅田 聡一郎 :2005/10/16(日) 17:00:33
 米田沙織!!友人起こしにいってるわけじゃねーんだよ!!

 遠方から来てる人間のせいにすんじゃねえよ!!

   「体の大きな物の痛みは2倍」。

       void!!



789 名前:梅田 聡一郎 :2005/10/16(日) 17:07:10
お前等の尽きせぬ毎日の言葉が、ストレスに変化し、周りを悪魔に
変える。しからば悪徳は、君等にある。
君等が闊達だった時の僕を見て、気がつかなかったか?

 僕は普通の描き手なんだよ!!普段から!!基本的に!!
 テメーラの葛藤に巻き込むんじゃねーよカスが!!
人の家族に物を頼み、人の画人生に邪魔をする。ケツは
 大人に拭かせる。(その大人も怪しい)
 網状組織の誤報者。
 良いか、
 人は、先々の思いやりの為、一つでも多くを学ぶのだよ。
 自分達のやり口と比べてみろ!!
 
 どれだけ穏便だ!!

梅田聡一郎 さん 2005年 10月 12日 15時 05分 29秒

梅田 聡一郎


(僕の作成分) そのようにして、各自さまざまな技術を体得しその個性を技術の変容や、突出で魅せる。この事が描き手各々の個性を助長させるが、一方で通り一遍の他の技術に支えられての突出と、一技術の突出では、安定感が違うのも事実ではある。油を薄く、薄く、重ね続ける人もいれば、筆勢を思い切り魅せる人もいる。そして、上級者になると、総てを一画面に込める努力はしても、一つの技術のみで絵画制作を終わらせる事は、まず無い。主格として目立つ、メインの技術は定められているし、それが一番魅力を放つ事に違いは無いのだが、相違点はそれが他の様々な技術に支えられている事にある。例えばハッチングをするにしても、その下地に合った色が塗布されているのとそうでないのでは、完成度に段違いの差が生じる 。
目次
[非表示]
• 1 道具
• 2 画調
• 3 技術
• 4 絵画5層
• 5 複合学術
• 6 有名画家
• 7 デザインの語源
• 8 遠近法
• 9 ウィキペディアにようこそ!
• 10 梅田聡一郎からの質問
• 11 プレビュー機能のお知らせ
• 12 署名のお願い
• 13 質問のお返事

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道具
支持体
• キャンバス(又はカンバスとも言う。キャンパスは大学の敷地、構内)(0〜300号)
• キャンバス張り器
• 木枠
• キャンバス布
• 短釘

描写道具
• ペインティングナイフ
• パレットナイフ
• スクレーパー
• 絵筆(0〜40号)
 ラウンド(丸)  フラット(平)  ファン(扇)  フィルバート(平突)
• 木炭・鉛筆(8H〜8B)
• 刷毛
• ローラー
• パレット(木)
• パレット(プラスティック)
• パレット(紙・ペーパー)

着彩道具
• 油絵の具
• ペインティングオイル
• テレピン油
• 油壺
• 膠
• 油分速乾剤
• 下地剤
• 顔料
• 体質顔料
• メディウム
仕上げ
• 上層保護剤
• 額縁(金・銀細工・木枠・アルミ枠)


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画調
 絵画の画風は、何派、とか何風とかに分かれているが、技術の観点でいうと、このように沢山の画調に分かれている。
• スキアグラフィア   陰影画
• ポリクローム     多色画
• ジャクスタポーズ   並列画
• コラージュ      紙片体接合画
• アッサンブラージュ  立体物構成画
• インスタレーション  象徴設置画
• カリカチュア     風刺画
• ナチュールモート   静物画
• デックファーベンモレリ不透明画
• ポートリアル     肖像画(写実)
• ポートレイト     肖像画(心象)     
• イコン        聖画   
• グリザイユ      単色画
• ディプティック    2部作
• トリプティック    3部作
• ポリプティクス    連作
• 壁画
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技術
 技術には、様々な扱われ様があり、それは語感によってさらに感性質の高いものへと昇華する。単なる行いから、感性を含有した技術体系へと変化する。
基礎技術
• 平塗り
• ハッチング
• クロスハッチング
• マスキング
• ステンシル
• デカルコマニー
• フロッタージュ
• アッサンブラージュ
• ヒディング
• モデリング
• ポワリング
• アクションペインティング
• ドリッピング
• 透かし
• 暈し
• ブラッシュストローク
• ドライブラッシュ
特有技術
• esquisee(エスキース)構想下絵
• profili 線描
• controni輪郭描写
• disegno 素描
• coloare 彩色
• chiaroscuro (キアロスクーロ)階調画
• impasto(インパスト)   上層厚塗り
• imprimatula(インプリマトゥーラ)有色下地
• camaieu(カマイュ)    有色下地上単色画
• ebouche(エボッシュ)   薄塗り下絵
• glasis (グラッシ)    薄塗り重層画
• scumbling(スカンブリング) 上層仕上げ平塗り(技術)
• veratula(ベラトゥ−ラ)  上層仕上げ平塗り (表現)
• alla prima (アラ プリマ)直接描き
• preparesion(プレパレーション)地塗り
• tintingstrength(ティンティングストレングス)着色力
• hiding power (ヒディングパワー)隠魅塗布
     併用可 
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絵画5層
 絵画を描く段取りと同時並行する「意識点」にある。個性は人それぞれであるが、意識すべき順序は共通している。これを絵画5層(inhaltstructur)という。 絵画5層(物質であれば、2は構造、3は質感になる。)

• 1層目 明暗、形姿、概図、全体像をぼんやりと把握する。
(sfumato霧状効果)
• 2層目 動勢、量塊、量感、骨筋を把握する。
(anatomy解剖学)(masse/volume/moveman)(formung)
• 3層目 心の中、内臓、性格、感情、心境の状態を把握する。
(personal)
• 4層目 その扱われ方の癖、個性、哲学、発達と理由、人体の「物としての磨耗度」、性格を描く。
(tintingstrength)(wallen)
• 5層目 それらすべてを総合して、描写対象を象徴化する。
(Vostellung)  
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複合学術
これらを絵画に複合する事が、自分の絵画の可能性を広げるきっかけになる。

図(構図の正しさ、面白さ)
• commensuratio(寸法)
• prospectiva 遠近法
• liner perspective 線遠近法
• sfumato 空気遠近法(霧状効果)
• graphein 記述
• geometory    幾何学
• iconography 図像学
• golden ratio 黄金率(1:1.618)
• silver ratio 白銀率(1:1.414)
• distance axiom(距離公理)
• angle axiom (視覚公理)
• 線織面
• 天使遠近法(湾曲線分割)=幾何比例遠近法
• 地上遠近法(直線分割) =投射面投影遠近法
• proportionalmente 釣り合い良い・バランスの良い
体(体の作りの把握表現)
• somatology    生体学
• surface anatomy 体表解剖学
• artistic anatomy 美術解剖学
芸(芸術を行う上での感覚)
• kunst        芸術
• kunstwissenchaft        芸術学
• all germani kunstwissenchaft一般芸術学
• kunst verhalten        芸術態度
• kunstwallen           芸術意志
• aesthetisia 感性学
象(検討あるシンボルとして描く方法)
• ung 象構成
• buildlesthureibung 形象記述能力
• einbuildungskraft 形象構想能力 
• formung       形象構成
• vostellung 表象構成
象状態(上記の方法で出来たシンボルの、芸術作品としての種類)
• noema   形象
• noesis  構象 
• zeigen  示形象
• flack   平形象
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有名画家
• アルブレヒト・デューラー
• アルビン・ブルノブスキー
• アンディー・ウォーホル
• アンドレ・マッソン
• ヴァンアイク
• オスカル・ドミンゲス
• オーブリー・ビアズリー
• レオナルド・ダ・ヴィンチ
• ラファエロ・サンティ
• レンブラント・ファン・レイン
• ピーテル・パウル・ルーベンス
• ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
• ヨハネス・フェルメール
• クロード・モネ
• ポール・セザンヌ
• フィンセント・ファン・ゴッホ
• サルバドール・ダリ
• ピーテル・ブリューゲル
• ピエロデッラ・フランチェスカ
• パウル・バンダーリッヒ
• ジオットー
• ジョルジュ・ルオー
• マックス・エルンスト
• エルンスト・フックス
• ルドルフ・ハウズナー
• ロベルト・マッタ
• マックス・ベックマン
• カラバッジオ 
• ピーターブレイク
• プッサン
• ブラマンク
• ティッツアーノ
• グスタフ・クリムト
• エゴン・シーレ
• ガストン
• ジャンミッシェル
• アガス・ジャック・ロラン
• ジョセフ・アルバース
• アルガルディ・アレッサンドロ
• ワシントン・オールストン
• ローレンス・アルマ・タデマ
• アルブレヒト・アルトドルファー
• ジャコポ・アミゴーニ
• カール・アンドレ
• フラ・アンジェリコ
• アンドレア・デル・サルト
• アンリギッラ・ソフォニスバ
• アントネッロ・ダ・メッシーナ
• アペル・カレル
• アーキペンコ・アレグザンダー
• ジュゼッペアルチンボルド
• アンドレ・ブルトン
• ジョン・ジェームズ・オーデュポン
• アウアーバック・フランク
• アーフェルカンプ・ヘンドリック
• フランシス・ベーコン
• バルドゥング・ハンス
• バッラ・ジャコモ
• バルテュス
• フラ・バルトロメオ
• ゲオルグ・バゼリッツ
• ジャンミッシェル
• ヤコボ・バッサーノ
• ポンペオ・バトーニ
• ヴィリ・バウマイスター
• フレデリック・バジル
• アンドレ・ボヌーブ
• ドメニコ・ベッカフーミ
• マックス・ベックマン
• ジェンティーレ・ベリーニ
• ジョバンニ・ベリーニ
• ベルナルド・ベロット
• ジョージ・ベローズ
• ジャンロレンツオ・ベルニーニ
• ヨーゼフ・ボイス
• アルバート・バイアスタント
• ジョージ・ケイラブ・ビンガム
• ピーター・ブレイク
• ウイリアム・ブレイク
• ウンベルト・ボッチョーニ
• アルノルト・ベックリン
• クリスチャン・ボルタンスキー
• ディビッド・ボンバーグ
• ボニントン
• ピエール・ボナール
• パリス・ボルドーネ
• ヒエロニムス・ボス
• フェルナンド・ボテロ
• サンドロ・ボッティチェリ
• フランソワ・ブーシェ
• ウジェーヌ・ブーダン
• ディリック・バウツ
• ボイド・アーサー
• ジョルジュ・ブラック
• ヴィクトール・ブラウネル
• アーニョロ・ブロンツウィーノ
• マルセル・ブロータース
• フォード・マドックス・ブラウン
• ヤン・ブリューゲル
• エドワード・バーン・ジョーンズ
• エドワード・バラ
• アルベルト・ブッリ
• ギュスターブ・カイユボット
• ロベルト・カンビン
• カレナット
• カルパッチオ
• カルラ・カルロ
• アンニバーレ・カラッチ
• メアリー・カサット
• アンドレア・デルカスターニョ
• ヴィンチェンツオ・カテーナ
• ジョージ・カトリン
• ポール・セザンヌ
• マルク・シャガール
• フィリップ・ド・シャンパーニュ
• ジャン・バティスト・シメオン
• ウィリアム・メリット・チェイス
• フレデリック・チャーチ
• チマブーエ
• ピーテル・クラース
• クロード・ロラン
• フランチェスコ・クレメンテ
• フランソワ・クルーエ
• トマス・コール
• ジョン・カンスタブル
• ジョン・シングルドン
• コロー・ジョン・バティスト
• コレッジオ
• デルコッサ・フランテェスコ
• クルーベ・ギュスターブ
• ジョン・ロバート・カズンス
• トニー・クラッグ
• クラナル・ルーカス
• アールベルト・カイプ
• サルバドール・ダリ
• バービニー・シャルル・フランソワ
• オノレ・ドーミエ
• ダビッド・ヘラルト
• ダビッド・ジャック・ルイ
• ディヴイス・ステュアート
• エドガー・ドガ
• ウジューヌ・ドラクロア
• ローベル・ドローネ
• ポール・デルヴォー
• モーリス・ドン
• アンドレ・ドラン
• ディーベンコーン・リチャード
• ジム・ダイン
• オットー・ディックス
• ウィリアム・ドブソン
• テオ・ファン・ドゥースブルフ
• ドメキニーノ
• キースヴァン・ドンゲン
• ドッソ・ドッシ
• ヘラルド・ダウ
• ダヴ・アーサ
• ジャン・デビュッフェ
• ドヴッチオ・ディ・ブオンセーニャ
• マルセル・デュシャン
• ラウール・デュフィ
• ヴァン・ダイク
• トマス・エイキンズ
• アダム・エルスハイヤー
• フランソワ
• ジェームス・アンソール
• リチャード・エステス
• ウィリアム・エッツイ
• ヤンファンエイク
• カレル・ファブリティウヌ
• アンリファンター・ラトゥール
• ジャン・フォートリエ
• ライオネル・ファイニンガー
• ルーチョ・フォンタナ
• ジャニ・フーケ
• 藤田嗣治
• ジャン・オノレ・フラゴナール
• サム・フランシス
• ヘレン・フランケンサーラー
• フロイド・ルシアン
• カスパル・ダヴィッド・フリードリッヒ
• ニコラ・フロマン
• ダッデオ・ガッディ
• ゲーンズ・ボロ・トマス
• ポール・ゴーガン
• ジェンティーレ・ファブリアーノ
• アルテミシア・ジェティレスキ
• テオドール・ジェリコー
• マーク・ガートラー
• ドメニコ・ギルランダイオ
• ギルバート・アンド・ジョージ
• ハロルド・ギルマン
• ルカ・ジョルダーノ
• ジョルジョーネ
• ジオットー・ディ・ボンドーネ
• ロマーノ・ジュリオ
• ヒューフォ・ヴァン・デル・グース
• ヴィンセント
• ナターリア・ゴンチャロヴァ
• アシール・ゴーキー
• ゴヤ・ルシエンテス
• ファンホイエン
• ベノッツオ・ゴッツオリ
• エル・グレコ
• ジャン・ヴァティスト・グルーズ
• フトキンソン・グリムショー
• ファン・グリス
• アントワーヌ・ジャン・グロ
• ゲオルグ・グロッス
• アティアス・グリューネヴァルト
• フランチェスコ・グアルディ
• グエルチーノ
• フィリップ・ガストン
• フランス・ハルス
• リチャード・ハミルトン
• ハンマーショイ・ヴィルヘルム
• ハンス・アルトウング
• チャイルド・ハッサム
• ラウール・ハウスマン
• スタンリー・ウィリアム・ヘイター
• エーリッヒ・ヘッケル
• ヤン・ダーフィッツ・デ・ヘーム
• バーバラ・ヘップワース
• パトリック・ヘラン
• エドワード・ヒックス
• 安藤広重
• マインデルド・ホッベマ
• デヴィッド・ホックニー
• ハワード・ホジキン
• フェルナンド・ホジョラー
• ハンス・ホフマン
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• トマス・ローレンス
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• 会田誠
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• 工藤礼二郎
• 長嶋康雄
• 加来万周
• 松井冬子
• 木下藤次郎
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デザインの語源
signifiant(意味する者)+signifie(意味される者)=sign(シーニュ.サイン) sign(サイン)+ do/する(動詞)=do sign (ドゥー・サイン) do sign = design (デザイン)
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遠近法
 遠近法は視覚への対応から、遠近図を挟む事によって視覚をいかに面白く再表現(representasion)するかという行為に変化してきた。逆遠近法という、遠くの物が小さく、近くの物が大きいという手法や、5点、6点を用いた多数消失点混在型遠近法、天井の物を描くときは逆からも消失点を扱うので、点を増やしたりするのに始め、湾曲線(hyper vola)を用いた、双曲線遠近法や、地平線曲線分割型の天使遠近法、直線分割型の地上遠近法等、現在拡張の程を見せている。また、中国式遠近法「三遠」(高遠=空高く見上げる)、(深遠=空間深く見通す)、(平遠=地平線の向こうを見る)との関連、複合による新式遠近法も思考される。

遠近法  遠近法は視覚への対応から、遠近図を挟む事によって視覚をいかに面白く再表現(representasion)するかという行為に変化してきた。逆遠近法という、遠くの物が小さく、近くの物が大きいという手法や、5点、6点を用いた多数消失点混在型遠近法、天井の物を描くときは逆からも消失点を扱うので、点を増やしたりするのに始め、湾曲線(hyper vola)を用いた、双曲線遠近法や、地平線曲線分割型の天使遠近法、直線分割型の地上遠近法等、現在拡張の程を見せている。また、中国式遠近法「三遠」(高遠=空高く見上げる)、(深遠=空間深く見通す)、(平遠=地平線の向こうを見る)との関連、複合による新式遠近法も思考される。 肉体について  外に守る骨がガードとして存在し、中に袋が存在し、その必要性として動の必要性として筋肉が存在する。形を追うときはung,形象を構成する。ここではanatomy肉体の学問にきちんと拘る。人と関わるに関しても重要になるし、自分と向き合うに具体性を帯びる。人を描くに関してはリアリティーの根源として説得力を加える。  『私』においては、誰もわが身を守らない。自己理解でさえある。コミュニケーションとしてあらゆる分野に適応され、理解力を倍加させる。人間が集まって何ぼの美術で、人間を理解するのは当然と思われる。
 覚え方にも、恐怖を伴う人体も、グロテスクな様で実は法則性の塊である。
 例文)(名は体を現す。漢字が体の筋肉の意味をそのまま示唆している。)

 脊髄部筋肉・正中線部(左か右に偏る筋肉、必ずしも二つ以上と見ろ)

 頭半束束筋(頭の負荷に関わる束状の筋肉と知れ)
 頭最長筋 (頭のうち最も長い筋肉と知る)


 胸束束筋 (胸の負荷に関わる束状の筋肉と知れ)
 胸最長筋 (胸の辺りの一番長い筋肉と知る)

  外側に最長筋、内側に束束筋。


 脊柱起立筋(脊部の柱、起立するを支える筋肉二つと知る)

 腰腸肋筋 (腰、腸、肋骨、に関わる筋肉と知る)

 脊部+
 腰腸肋筋 (腰と腸、に関わり、肋骨に張り付く筋肉と知る)
 腰方形筋 (腰に関わる、三角を描く筋肉と知る)


 脊柱部筋肉の数、
 頭:胸:脊 = 4:3:2  簡単な下降バランス
 脊部+を含めた数
 頭:胸:脊 = 4:5:4  中央上がりのピラミッドバランス

 真の筋構成美しきとせよ。valanceを保持して生れてきているとせよ。名は『体』を『表』す。と書いて『体表』解剖学。文字の憶測駆け抜けよう。  脊部にバランスあり。まずは四つの束が広がり、中心二つに端二つ。それぞれ一つずつ。(名は体を表す。名称が働きと知れ。)  この世の本質は(平等)。男女に性器の違いあれど、束の数の違いは無いと見よ。 シニフィアン。機能を知り、名前の意、そこから探り、最後に覚えると良い。一番の教科書が、目玉から下に垂れ下がっているではないか。

 人体を覚えるときは、確定性としてlinerformung線形象であれ。
 人体を、実際対象、描くときは、不確定性としてvostelllung表象であれ。
 気持ちの悪いものを追うのでなく、相互理解の為と、恥を知る心としての象徴検討行為であると知れ。
 しかし結局はtintingstrength (着色力)にあると知れ。
肉体には役割の重複が存在する。同じ骨でもガード的機能であったり、支えであったり。その「骨」という1物質であるにも関わらず、機能の重複する事が、形状の微妙さと名前の複雑さを生んでいる。

美術解剖学(artistic anatomy)についての述解 梅田 聡一郎
 美術には、人物画が存在し、どの様な分野の絵画においても、その象徴性、人間同士の相互理解における人物の登場意義はとても重要な役割を担い、今日の絵画空間の中においても使用頻度の高い図像といえます。  その人物画の完成度、内部構造把握、ともすれば鑑賞者に「こうありたい」という影響を与うにいたるこの人物の正確な表現には社会的にも重要な役割と義務性があると感じます。人間が人間に影響を持たす図像である以上、その人物は、健康的であり、かつ美的でなくてはいけません。究極的には、その影響下にさらされただけで、その人間が正しき行いを心の中で歓迎するにいたるくらいのものであるのなら、もう逆に歓迎は免れないくらいであると感じます。  somatology(生体学)、surface anatomy(体表解剖学)も絡むものであるのなら、健康や、体内構造の生活における円満にも成り得、最上のものであると感じます。  健康と自分について考えさせられる、とても自然なものであるほうが、良いと思われます。そのような人と人の生活の「円満」の助長の為の絵画を描く、医学知識として美術解剖学があると感じます。人間がこういう感情を持つ、こういうシチュエーションに出会うとこういう心の変化をきたす、などの感情起伏や心理学との関連性や、自身の心を大事にするという意義においての絵画が、明日の空間を作るに至ると感じます。行動学的側面から見た人間の感情の起伏、安閑の法則などを示唆する絵画の条件も、健康学に精通する事で守られ、美術を知る事で、健康的側面に繋がってゆくという効果も期待できます。  速筋と遅筋の関係性についてや、赤色筋肉、白色筋肉との関連性、心の動きと体、筋肉の動きとの関連性、連鎖反応との関連性、病理さえ明かす美術解剖生理の心、絵画理解が身体理解に繋がるという関連性、医術解釈美術介在における、処置前の「観察眼における美術健康学的事前の事前処置と営淙涓宗廚皺椎修隼廚錣譴襦」  大腿四頭筋、腹直筋、外腹斜筋、腸内転筋、大胸筋、広背筋、三角筋、上腕三頭筋、上腕二頭筋、胸鎖乳突筋、僧帽筋、 外反母趾内転筋、外反母趾外転筋、筋肉の作動、心臓、膵臓、脾臓、肝臓、腎臓、大腸、小腸、総ての内臓の相互理解、心臓がポンプであり、毛細血管に血を流し体内の連動のエネルギーと化し、血を循環、取り替える。血液には成分が内在し、体の傷を治し、病魔を克服する力が存在する。その体内含有量によっても、体表も違い、描かれる人間の色自体が変化する。意味。肝心なのは、意味であり、その意味性を支えるのが、解剖学と医学の介在になる。   骨格においての問題や、恥骨、頭蓋骨、鎖骨、背骨、肋骨、指骨、手根骨、眼窩、背骨の数は12本存在するという事を知りえているのとそうでないのでは違うとか、体のどこの部分をどこの骨が支えているかという自覚に基づいて本人同士が生き、その事から来る悩みを共有しあう事の重要性。  体内理解によって、自身の体に対する理解を持つと同時に、自己自覚によって、自身を思う様生き生きと動かすことができる。  自己理解にも、他者理解にも繋がりうる。人間が、人間の可能性を最大限に生かし、具体的に自身を変える事さえできる。高度な才能が成すとてもとても抽象的な心と体の悩みさえも、体の具体的な悩みとして還元できる。
例)気韻生動と、心理学selfdynamizm(セルフダイナミズム)について
 「中国六画法は主格「気韻生動」(生き生きと動く、気韻、気迫を感じる絵を描く、美術の行いとしての動きを取る)という言葉がある。これがひいては心理学用語selfdynamizm(自己律動)(自身の体を生き生きと、体調管理という自己規律を持って動く)という、心理健康的動きを示唆する事と同じくするのではないかという事。気と韻律を感じる神秘性、生動という、生き生きとした動きとダイナミックさ、そして、生体の生き生きとした動きの事をも示唆するという意義を、気韻生動を、selfdynamizmと並べ比較し、同義点を見出す事で拡張させてみました。自己の生活を生体学的側面から見て円満にしつつも、その神秘性と生動(生き生きとした生活、美術としての躍動)たるや、才気あふれる。これが本物の気韻生動であるという感想です。改めて、その深みを感じてしまいました。」
   このように、美術解剖学には、美術家や美術家が描く対象の生活を円満たらしむ学識可能性も特化価値として存在します。描くにおいては画家に健康的知識を与え、鑑賞者にも人間生活の規範たる象徴を影響として与え、動くにおいては自己の管理や、生活の円満、心の隅々を知りえ、自由に立ち回る事を救う学術ににもなるという深みも存在します。 人類史において絵画が先か、文字が先か、という議論が良くされますが、無論絵画が先といえます。文字と言うのは契約の思想によって結ばれなければなりません。そうでなくては意味がなく、言葉は不信感をただよわせる情報の断片になってしまいます。一つの文字を少なくとも一つの社会で同じ意味をもつ了解される事の前提が必要になります。  アルタミラの洞窟壁画のビゾンの絵が以前として何の為に描かれたのかは分からないのだけれども、その美しい姿で人々の目をひきつけたのです。これまでは獲物として、それも捕らえたいという願望から描かれたという説明がなされていたのですが、その恐らくは勇猛な姿に人々が感銘を受けたから描かれていたのでしょう。しかし洞窟でもそのような美しいものだけではありません。  絵画として描かれたからといって、絵画として、つまり芸術として認められるわけではありません。「絵画」となる為にはそこに芸術価値があると人々が認定される必要があります。近代となって、美術館が出来る。そしてそこにある多くの絵画の中で、秀逸なる価値を持っているから展示しようとするわけです。そうした選択がある絵画が芸術となって認められたといって良いでしょう。  しかしこれは、近代に限った事ではありません。中国五世紀には「画の六法」という倫理に基づき、絵画批評の指針が生まれました。その価値観は現代においても主格と言えます。
中国画の六法最重要項「気韻生動」と、医学重要項「self dynamizm」の類似点について

 黄金率が何にも当てはまらない美しい分割割合であるのと同じくして、他のどんな術儀や基本的心得にも説明がつかないのがこの[気韻生動]。この二つは、

     [律の最頂点]
     [六画の最頂点]
 として、主要を成す2大極点です。この二つを兼ね備えたものは、美術に愛されているといって過言ではありません。
 そして、ここで着目したのが、心理学術『self dynamizm』です。『自己力動』自己を律し、ダイナミックに動かすという、『健康的かつダイナミックに律動す』という意義の言語です。
 「気韻もち、生き生きと動く」という気韻生動と、「セルフコントロールする力を持ち、健康的にダイナミックに動くボディコントロール」をする」selfdynamizmが、とても相似関係として類似した2極点であると感じます。同時に、お互い個性ある極点を担っていると感じます。  この二つの類似については、あらゆる角度で検討される価値があると思われます。

絵画技術には様々な用法、筆運び、技術が存在し、バリエーションに富む。
impasto(インパスト)   上層厚塗り imprimatula(インプリマトゥーラ)有色下地 esquisee(エスキース)   構想下絵 camaieu(カマイュ)    有色下地上単色画 ebouche(エボッシュ)   薄塗り下絵 glasis (グラッシ)    薄塗り重層画 scumbling(スカンブリング) 上層仕上げ平塗り(技術) veratula(ベラトゥ−ラ)  上層仕上げ平塗り (表現) alla prima (アラ プリマ)直接描き

1esquisee(エスキース)   下絵を構想

2ebouche (エボッシュ)   構想した下絵に基づき、薄塗りで下絵を描く

3glasis (グラッシ)    薄塗りで、下絵を少しずつ立ち上げていく。

4scumbling(スカンブリング)平塗りで、大きな面とその階調、色調を少しづつ立ち上げる velatula (ベラトゥーラ) 時に、その平塗りのタッチに表現を求む。

5おつゆ描き~細密描写    細部を厳密に立ち上げたり、油分の多い薄塗で、細部表現を行ったりもする。  この行程の中で、どんな途中と完成を求むかは自由になる。しかし、基本的に大事なのは、「徹底」。唐突に、経験の満たないアラプリマとか抽象(中傷画)画に逃げず、技術による、段階的な再現につとむ事が基本。
 等、沢山の技術に支えられて、油彩の技術的向上は望める。道具の機能も、この技術達との関連を鑑みると、使用方法を実感として掴む事が出来る。実のある指導者達は、これらが実に染み、これらに基づいた技術指導をするが故、多少しか絵を描いた事のない相手にさえ、実感を与え、向上させる事ができる。

下絵構想技術について(esquisee)
 下絵構想能力とは、思いのほか難しく、手記、補記的な問題や、描くことのほかに、次に展開したときに対する能力として「図る」(geometry)、「記述する」(graphein)という能力が存在します。その能力とは、次の行程に対する可能性を広げる意味としてのクロッキーを構想する構想構成能力(einbuildungskraft)が良く生かされます。可能性を広げる構想と、そこに完成度を求める為の図る、描き込む、前後感を持たす、という行為をつくる。絵画を描き、人を癒す心においては、(buildlesthureibung)形象記述能力も大事になってくるという事です。  例え形象そのものでなくっても構図において位置関係の少しのズレとか、描き込みの差異によっても意味性はとても違ってくる。写実、模写においても、形象意識のあるエスキースを描く事が重要になる。  エスキースは、∞である。技術と料金の関係性の重圧を感じずに想像を羽ばたかす事ができる。たとえ本人の作風がそれを実行するに至らなくても、その技術を持つ人間がその構想における絵画を制作に至るから。
 ※シニフィアンワード(勘違いするなかれ!!)  だからと言って、他人に想像力豊かなエスキースを描かせ、嘘を吹いて死なせ、遠まわしにクロッキーを手渡して良いわけでは全然無い。傾聴せよ。悪用をするなかれという事を。美しき心の行いと描いて美術という事を。                                                  梅田 聡一郎 隋類賦彩〜随類賦彩論 梅田 聡一郎  随類賦彩(スイレイフウタイ)とは、彩し続ける事の重要性と、そこから精髄、真髄を技術とともに見出す努力の事をさす。  技術的な卓越をさらに水彩技術をもって一段階上の表象に持ち上げる効果もある。=塑形したモデリングの上から随類賦彩。(応物賦彩論)  技術同士の複雑な混同でなく、一つの技術体系の上からもう一つ技術を置く。という事。パソコンの世界ではペーストしたら下の図像は隠れますが、上の図像と下の図像を描写技術によってかみ合わせる事ができるのが、絵画の世界です。  これは、(protraho)=引き出す、露にする、物の形を引き出す、露にする技術と似ている。起こした実際の形を随類賦彩によって更に上の段階に引き上げる。
 彩する、という思想が、更に心の安心を異文化に与える。真の伝統は、前衛技術とかけ合わせても、実はなんら遜色が無いのだなあ、と感心した。
zeigen=(形象学) 梅田 聡一郎  (noema)=構成に関した応物象形のテクスチャー(塑形)を空間上に配置してゆく。塑形物同士を、構造体として組み合わせる。さらにそれを描く。塑形に描写、描写に構成を重ねる。そして最後には丁寧な仕上げによって空間表現が正誤性をもって成立する。  彩度、明確な世界と逸脱、(noema)に拘らず、複雑な(difficulty)世界を適切なhow to draw (描写方法)によって表現してゆく。ラディカルであり、宗教的に成り過ぎず、科学的又技術的裏打ちがある。世界観は芸術であり、そこにリアリティーを持たせるのは現実的技術になる。  理解に理解を重ねた技術の積層と、明確に空間を表現するリアリティー。生体学(somatology)に通じた芸術世界と、明確な世界の安心感と安閑を創りあげる。    (芸術的形象)と、(応物描写)。そして、(科学希釈)。しかし、それさえも部分に過ぎない。(応物)=インウーという言葉の意味は、(物に応える)、(物を応用する)、(物質の可能性を引き出す)という希釈から生まれる。一見してそのもの単体が役に立たなくっても、その物体を構成物として一つの輝ける象徴を形成描写する 世界観と数字に裏づけられた図像学による形象黄金率をつくる。そして、双曲線空間と、3次元空間、二次元空間を同時保有する状態を、黄金率交差線を同時保有した立体物で空間を構成、空間内の物質を、現実に在り得ないつくりで描き、人物を生体学(somatology),美術解剖学(artistic anatomy),に基づいた上での象徴性保有人物画を描き、配置する。その上で、全体が、慈祖。恐怖でなく、真実を含有した慈愛。象徴形成物体として、高らかに屹立する事。静謐で残酷な細密絵画と同等のリアリティーを保有しつつも、主象形としてある物質と世界が、慈祖構成物体である事。
     「総ての学術が極点まで保有された、
      祖形象徴である事。」


 線形象が織成す線織面、構図の骨組みにしろ、そのままにしろ、両方において使えるまでの形象状態と知る。  線織面形象骨組みとしれlinerformung人体芸術骨格の象徴である。機能を超えて美しい。技術を孕んでなお遊び心。thinking strength思考の海の中に、皆好きな形を持つ。 形象面遠近法を、正逆遠近法操作∞遠近法に整える、合わせて、総体的に混合すると、 単純な平面構成だけで象徴を形作る事が可能になってくる。  要は、マチエールのバリエーショナルと、その描き込みの際のリアリズムのみで、様々な技術を用いる。と、いう事は、小細工も必要ないのだ。  前進色、後退色のバランスを調和させ、平面立体を平塗りによって仕上げる平面構成を、天麩羅で揚げたようなモチーフ構成になる。モデリング塑形によって確かなマチエールを下塗りの時点で制作し、上書きによってさらにリアリティーを増す。  完成度を意識する。モデリングを散漫にしない。と、様々な点に配慮をすべきだが、基本は、確かな線遠近法を用いる事。 要素
1)形  塑形(モデリング)  絵肌(マチエール)  応物象形(インウーシャンシン)  祖形  zeigen(形象)  noema(象徴構成)  noesis(象徴構成体)
2)  色  mat  落ち着いた
pale  のっぺりとした
dark  暗い
graysh 薄暗い
blight 明るい
vipid  派手、蛍光色
3)線  liner perspective (線遠近法)  geometry (幾何学)  iconography(図像学)  1〜5点遠近法
six point hypervolacrossliner perspective (6点双曲線交差遠近法)

基本要素
1)形  塑形(モデリング)  絵肌(マチエール)  応物象形(インウーシャンシン)  祖形  zeigen(形象)  noema(象徴構成)  noesis(象徴構成体)
2)  色  mat  落ち着いた
pale  のっぺりとした
dark  暗い
graysh 薄暗い
blight 明るい
vipid  派手、蛍光色
3)線  liner perspective (線遠近法)  geometry (幾何学)  iconography(図像学)  1〜5点遠近法
美術解剖学
美術解剖学とは、美術家の為の解剖学を意味します。 (how to draw )  描画方法  人体を描く知識 (surface anatomy) 体表解剖学 (somatorogy)    生体学 解剖学図を描く。
@どの様な仕組みをしているか。内部構造と形態、骨格、関節、筋肉、腱。 例)上腕二頭筋   上腕三頭筋   三角筋   外反母趾内転筋   外反母趾外転筋   広背筋   脊柱起立筋   大腿四頭筋   (内側広筋)   (中間広筋)   (外側広筋)   (大腿直筋)
   腹直筋    外腹斜筋    大胸筋    双子筋 顔部 眼輪筋    鼻根筋    上唇挙筋    口角下制筋    下唇下制筋    前頭筋    側頭筋                   etc..... 骨と皮、骨格、筋肉、脂質、皮質。これらの変化の位置によって人間の個性を描き出す。  骨格、関節、筋肉、皮膚、脂質の成り立ちを、見かけで追わず、法則性の集合体として把握する。
A生体の内部構造と外貌の関係
 人体表面に現れた起伏、窪みの把握。骨格の凹凸や人体の動きが、実際の体表に外貌としてどう関わるのか。手の力の入り様や、皮膚の表層の関係。皮膚の中身の筋肉や骨格、内臓の中身の部分が変化したとき、表面にでる具体的連鎖反応も把握し、描く。
B形態と機構、機能の把握  人体のある空間、空間の中にある人体同士の比例関係、geometry(幾何学)、iconography(図像学)的要素を、liner perspectiveを用いて描かれた空間に位置する人間の身体寸法の正確な把握。又、年齢、性別等の人間の老い、性差から来る身体的特徴も関係する。
C運動による形の変化  動きによって生じる生体の変化の観察。動勢=movemanにも通じる人体の動きを表すかの様にして、筆勢を持って描いたりもする。動きに連動した体の表情の変化や、動き自体の表現、それによる内臓の状況変化をも理解し、描ききる。 D形態として現れ、又現れる可能性のある特性  毛髪、皺、色調、血管や発汗作用を表現する。毛穴から汗を吹き、血圧の高低によって血管もその太さを変える。赤色筋肉と青色筋肉で運動に対する働きも異なる。発汗作用もあり、内臓の動き一つ一つの行動における状態を表し、描写に移行する事が大事になる。「アル一つの身体的状況」の把握〜絵画技術を持って支持面に移行する。(伝移模写。)
E造形された人体像と生体の関係  生きている体を塑形するにおいての造形物と生体の相関関係。生きた人間の生体と、造形としての人間の差異をどの様にして埋め、その上で与えられた媒質を応用し、生命感ある表現として近しめるか。
F生体の美性、美格  美の形状に対する研究。同じく塑形術としての「形」 と、生体の在りようの美しき「形」の二つを連ね合わせる事。「form」 と、「modering」 の関係。その二つの関連性を「感受性の上の同義」 として近しめる。そこへ、完成度、描写、的側面を思考に置く。
1) 人種、性別、年齢の視覚的特長 2) 喘湶としての生体と、塑形物としての作品の比較


美術解剖学Artistic anatomyは美術家のための生体学であるということができる。生体学は解剖学を基礎に置いて、体表から生きている人の形や構造を研究する学問で、体表解剖学などとも呼ばれている。この講義では体表の構造(皮膚、毛、爪、乳房など)をはじめ、体表から観察される骨格、筋、頭部の感覚器(目、耳、鼻、口など)、体表の血管や神経などについて分かりやすく講義し、造形活動に必要な人体に関する基本的な知識を身につけて貰うことをねらいにしている。したがって、人体に関する講義とともに、実際に表現された造形作品について、その表現法などを美術解剖学的な立場から分析することも行う。 美術解剖学 (Artistic anatomy) の概念の発祥は、人体の内部構造と外形との関係を解剖を通して考察し、その観察から得た成果を彫刻、絵画などの造形美術に生かした、16世紀のヨーロッパルネサンスにまで遡ります。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロらが、自身の解剖経験やそこから得た知識を、人物像や騎馬像を造形する基礎としていたことはよく知られています。その後、美術家のための解剖学は、美術に携わる人々にとっての必須の科目、藝用解剖学 (Anatomy for Artists) として美術学校などで教授されるようになりました。
 我が国における美術解剖学の教育・研究は、明治22年(1889)森鴎外による東京美術学校の講義に始まります。昭和38年(1963)東京芸術大学美術研究科美術解剖学研究領域の設置によって美術での教育・研究の一分野として位置づけられ、現在に至っています。  人体をよく見る、よく観察することによって、解剖から得られた知識に匹敵するような優れた洞察眼をもつに至った天才もいました。しかし多くの場合、人体を描くときに外から見えるかたちを闇雲になぞっていても、生き生きとした躍動感ある表現に繋がらず、もどかしいと感じることはよくあることでしょう。骨格や筋、皮膚や皮下組織など内部構造と外形との関係がわかることによって、対象をつかむ眼差しは一層深くなります。
 今日の美術解剖学は、このような骨格、筋の運動機構を中心とした内部構造と外形との関係、動きにともなうかたちの変化、比較解剖学、発生学からのかたちの由来を学ぶ芸用解剖学を教育的側面としてもっています。同時に、研究分野としての広がりが加わりました。芸術表現として人のすがたがもつ美しさや、生物のかたちがもつ意味を考察すること、人体とかかわるものの関係を研究する応用解剖学的研究もあります。人間、そして人体に関わる関連諸学との有機的な関わりの中で、美術解剖学の研究範囲は広範なものとなっています。  今日の美術解剖学は、かつて藝用解剖学と言われていた、造形のための解剖学であることに加えて、これらの研究を通して人間と美術とのかかわりを考える幅広い視野を有する分野へと発展しています。
芸術用語 how to draw = 描画方法 theory of art = 絵画理論 zeigen=形象 noema=象徴構成  noesis=象徴構成体
学術 kunst = 芸術 kunstwissenchaft = 芸術学 allgermanikunstwissenchaft = 一般芸術学 kunstverhalten = 芸術態度 geometry = 幾何学 somatology = 生体学 surface anatomy = 体表解剖学 iconography = 図像学 技術と道具(tecnique and tool)
スパッタリング         スパッターブラシと網を用いた絵の具の飛沫を粉のように飛ばす技術。 マスキング           マスキングテープを使った、アウトラインや、切り抜き面をカバーする技術。塗布後保護紙を剥がす。そして、そのカバーリングの技術を応用して、様々な効果を生む。 ステンシル           マスキングと併用し、支持面の一部を意図的にカバーする技術。塑形物には使用不可。 ドリッピング           筆先の絵の具を支持面に振り落としたり、支持面に向かって振り払う。面相による細書きや、積層技術、グラデーションで色相を分け、ドリッピングで積層させた後、描きこんだり、ステンシルで囲って「ドリップ面」を用いたりしたら、とても動勢を持つ。単体で漠然と使っても、何の役にも立たない。
マーブリング          ガッシュの水紋を紙に写す技術。実は、余り「絵画という絵画」には答えてくれない。色によって模様にも様々なものを連想させる。 ハッチング           支持面を引っかく行為。あらかじめ下地を積層固着させておいて、下地をハッチによって表出させるのも手。 クロスハッチング       ハッチングを異色にして交錯させ、色彩を鮮やかにする方法。この技術で描かれた絵画は、寓話的でかつ虹のように鮮やかになる。 ブラシストローク        刷毛や平筆の跡を支持面に思い切り振り残す技術。残った形は動勢(ムーブマン)をとても主張する。 ドライブラッシュストローク 水分を含ませない、擦れた絵の具の筆跡を残す。細かな調整を行える。塑形したマチエールを表出させるにはもってこいの技術になる。マット質と噛み合う。 モデリング          マチエールを意図的に塑形する術。自身の好みの形に、マチエールをコントロールする。 マチエール          絵の具を、自分に対して自然な感覚で盛り込む。モデリングのように操作をしない。                 アクションペインティング あらゆる画材を用いて、動勢を限りなく表現する技術。媒質に拘らず、支持面に勢いをぶつける技術を介在させるのが難しい画法。 ポワリング          絵の具を「垂らす」 技術。ドリッピングは「振り当てる」技術。正確性を重視した絵画には向かない。
この技術体系には、先人が生んだ、大した意義の無いものもある。しかし、それに研鑽を加え、意義をかさねる事に研究生の喚起点が存在する。  さらには応用的な混合解釈による技術もある。  単量ひとつにしても公式でその差異を表示され、分別されています。なので、公式がひとつでも異なるもの同士の混色はポリマー(重合体)といえます。  グロスポリマー等、製品の時点で重合体の媒質も存在します。 道具
刷毛 筆      (大小号数) フラット   (平) フィルバート(平突) ラウンド   (丸) ファン    (扇) 面相 ローラー ナイフ 鉄ベラ マスキングテープ スパッターブラシ スクレープナイフ このほかにも、支持面に向かう時の気持ちが作用する方法に成ります。
検討しよう。きっと無検討を凌ぐ。 研鑽せよ支持面の中。模索しよう。身につけた技術をあっという間に惰性に変えて、次の技術を当然のように習得し。 伝えたい事を要約してしまうな。トランスする。そして、緻密に扱う。 今そこにある物質に無駄なく応じる。 媒質を触っているからといって、絵を描いているわけではない。両手を膝に置き、どうするか思索する事も描いていると言える。 技術を持つ事、知識を持つ事に衒いを感じるな。意味が無い。 感性も、技術も大事にしろ。その天秤が調和良くあって初めて作品は輝く。 習わぬ教を読み、教も習え。 習い、かつ慣れろ。 拘れ。凄く瑣末な支持面の端にも。それが緻密という事。 芸術であり、科学であり、公式であり、具体的検討や、予定であれ。 混色以外は措かない。厳密に言うと、自分の望みではないはず。 下地の時点でもう、3段階、4段階の予定を組んでおく。
媒質、技術、道具、歴史、運動との関連性、社会の流れの中でのイズムの発生、画材の発明理由。その他を暗記し、研究に至ったら今度は自己の絵画の風合いと自身との誓い。そこにウエイトを置く。  その後は研鑚に身を任すなら画家。作家。文章に秀でれば小説家。筆に秀でれば画家。応用に秀でれば個性を伸ばす。根を詰めたくば基本を煮詰める。学術、学識と、出来上がった媒質の組み合わせ方や展示、技術よりも目につく個性が際立てば現代美術、黄金率で構図を構成し、技術の組み合わせに長け、「3つ以上の技術の構成をひとつの画面空間に入れれる」や、「手や体の各部位を総て美術解剖学として熟知、
         そして、それを一つとして悪用しない自己決心。
 それができたら良いなあ、と思う。 アクリルガッシュがアクリル酸とメタリクル酸から生成されていて、公共建築用に発明された強固な絵の具であり、速乾性で一度乾くと一切の科学変化を受け付けないというのが基本である事は心に留めています。という事実から割り出せるガッシュの根本的使用方法は、「積層して出来る技法の活用」にあると感じました。どうしてかというと、透き通った感じが欲しいのなら、透明水彩のほうがレベルの高い媒質と感じます。と、いう事は、速乾性不透明水彩は重ね塗りのできる媒質性を生かした、積層をするのが一番の根本と感じました。積層された地塗りのう上にできる、透明な質は、また違う感触を醸すはず。重合体=テクスチャー等に扱うこの地塗り剤も、アクリルのこうした性質に救われている一面があります。こういう絵の具の感覚が逐次重要で、一見まぐれのような技術にも、実は媒質の特性をいかんなく生かした計算が見られます。
 絵画や塗料において、顔料を固着させる性質を含有するもの、すなわち絵の具を練るのに用いるメディウムの類、油脂、樹脂、ろう、各種のたんぱく質など総てこの章に含まれる。  接着剤は画用に用いるものに限られ、一般的なものは含まれない。 油彩のうち揮発性油に分類されるものは希釈剤、溶剤という括りで説明される。  ちなみに、DUO=デュオというメーカーから、アクリルとの混彩可能な油彩が含まれている。
研究は、「環境の良さ」「周囲の学識の高さ」に引っ張られる処もあります。なので、良質な勉強には良質な環境が重要だと思います。美術をやる人、そうでない人に関わらず、良くも悪くも【朱に交われば赤くなる】というのがあるので、良い環境に足を運ばせてもらい、最大限気を使い、その場で長く勉強するが1番の幸いだと感じます。  僕もそうしてこの勉強量を手にしました。自分ではなんもやっとらんです。
色面の少ない平面構成は性格上、配色が一番の見せ場です。そういう観点からこうやって配色を研究してみました。進行中です。 アクリルガッシュ=合成樹脂で顔料を結合する樹脂の事 アクリルガッシュの発達理由=公共建築の壁面に描くに足る、長持ちする強固な画材需要 具体的な要求=速乾性、安定性質の絵の具 アクリルガッシュの最初の活躍の場=工業分野 ポリマー=重合体 「PVA」=ポリビニールアセテート 成型プラスティック=飛行機や列車のガラスの代用 アクリルガッシュ=アクリル酸+メタリクル酸
(アクリルガッシュの特質)  水溶性であるが、一旦乾くと一切の科学変化が起こらない  塗り潰した支持面に更に絵の具を加える事ができる  科学構造によって完全蒸発できるような多孔質の膜が形成される  酸化や還元にも強い。 Acrylic rezins アクリル樹脂 Synthetic resins  合成樹脂 Vinyl rezins    ビニル樹脂  Amber       琥珀 Albmen       アルブミン アクリル酸+メタリクル酸+メチルメタアクリレート=アクリルガッシュ アクリル酸  CH²=CH:COOH メタリクル酸 CH:C(CH³)COOH メチルメタアクリレート 沸点100.3℃
 ムーブマン(動勢・運動・連動) 一場面しかピックアップできない事に対し、表現したい動きはとても難解。という場合、方向線、ストロークの方向等がとても印象や、動きの説明に一役買う。正中線とそのブレ、ルートを描きつける事によって、自動的に人間の想像力を喚起したり、知覚してもらえる事もできます。  回旋運動、伸縮緊張、弛緩、筋肉、骨格、体表解剖学の体表、等の知識があれば、骨や肉の方向線の位置が理解できます。 マッス=塊、量塊。         マス・コミュニケーション=大衆。(コミュニケーションを取る集団という塊)多量の纏まった物体の集まりを示すのがこの語「マッス」です。マッスとは、画面の中の相当量の光・色・影の集まりを意味します。群衆や森の集合、総体をマッスとも言います。「集まり」の感覚を総体的に指すのがマッスです。  よく用いられるのが、「群衆」という一人一人の集合を、一つの塊として描くのが「マッスとして捉える」という事だと思います。木を一つ一つ描くのでなく、その集合体が、直方体を描いていた時、それを直方体として解釈し、描くのが「マッス」という概念です。集まりを集まりとして要領良く捉え、集合として整理して描く、事がマッスのポイントだと感じます。  彫刻においては、素材がもう、「色んなモチーフを、一種の媒質、粘土、石膏で再現する」というマッス行為がなされています。  もう一つ、光の束、陰影、同色のまとまりにもマッスという括りが使われます。 「描き手が上手に行う画面の量塊整理・ないしは総体視整理」という広い意味でもマッスは用いられています。今日画面にマッスを形成しようとする作品は、様々な所で見られます。  応物用筆=物質の特性をいかんなく発揮した筆運び(要するに、マチエールと描写をいかに噛み合わせるかのstruglleに対して骨法用筆的に筆運びの研鑽を練る。)
moveman(動勢)や、masse(量塊)を持ち、スキアグラフィアやカリカチュアなどの正式画調を用いた絵画。技術を遠近法に重ねて用い、内包する空間も意識する。  動勢や空間、量塊、陰影に目が届き、それらを総合的に一つの支持面にうまく複合する事。
 「美的判断」
 美的判断とは、いわく言いがたき物ごとを判断する、特殊能力にあります。しかし、比喩的、「look like 」的学芸論には実は趣味性が高い。発祥から詳細まで語るプロには、(何々に見える)なんて理屈は通用しない。  魅せる側に付きまとう責任も、重大なのだろうと感じた。 芸術には日常を逸脱した天才の集団が集う、恐ろしき趣味性の高い会合という印象が付きまとう。実態はそうでもない。芸術学には、たしかな教養がある。何となくで描き続ける事と一線を画すのがそのkunst=芸術の事であり、そのkunst(芸術)の中にも沢山の種類が存在する。
 All germani kunstwissenchaft (一般芸術学)  Kunstwissenchaft (芸術学)  Kunstverhalten (芸術態度)    等、芸術学の中においても、態度教育や一般汎用性の高いものに振り分けられる。芸術学は人間の日常的な態度にまで良い影響を及ぼす。人間の欠点をカバーする教育手段にもなり、術性の高くなった昨今の人間の空虚を癒す、思いやりある手段にもなりうる。技術は描き手を未知の手段に飲み込む空虚な罠にもなる。よって、手段においては技術を伸ばし、健康学的観念においては人間の健康性や、ありよう、在り方を説明付けるものとして存在する。美術には美術解剖学という分野が存在し、それに関わるには、自分や他人の体を詳しく熟知し、生態系、生命体としての人間を中身から熟知する必要がある。  体の動きを追う動勢も、筋肉の成り立ちと、実際動く時、筋肉が縮む事によって手先を胸元に引き上げ、隆起と怒張によって作用を増し、収縮によって物体を引き、双子筋が走る手助けをする。肺呼吸で人間は動き、心臓は絶えず血を新しい血液に循環させる。その連動をしる事によって、人間は初めてそのlner perspective (線遠近法空間)の中を動き回る。人間は剤渓渫ではない。確かな連動によって動き回る、理性ある生命体なのだ。その事を知ることが、kunst(芸術学)を伸ばす、倍加させるきっかけとなる。
Kunst ( 芸術 ) ×somatology ( 生体学 ) × 美術解剖学=kunstwissenchaft  ( 芸術学 )    の図式を感じる。芸術は基本論から生じる。その生かし方と、健康学的側面を応用する世界。何の技術も保有しなくっても、ある程度上手に見える絵。あれは、均一であるからになる。しかし、もう一つ違う側面からいくと、美術技能には、緻密な段取りがある。素材毎に枝分かれするものでもある。よって、聞きかじった噂の集合体には、説得力が無い。人間としての英知を段違いに上げつつ、さらに芸術としての高い知識と技術を併せ持つ。それが本当の芸術学である筈。懸命すぎつつ自身の技術による支持面の状態を疑う。
         「 Can you real struggle ?  」   の精神を感じました。それが同様に、精神としても安心を生み、正しき生活を促すかのような絵画技術を獲得します。  情けは人の為にある。技術は生活の円環を守る為にある。豊富な知識が技術に拍車を掛け、生活を治める柔和な知識にもなるのだなあ、と感心しました。  (応物3法)
 立体編  物の形(塑形する媒質の特色)を表現として順応しつつも応用し、象徴として塑形する。巷にある、物体の破れた形 、曲がった形を美しく取りまとめる、その形に対して、確かな意味合いを持たせて立体象徴と化す芸術作品。
 絵画編  モデリング(塑形したマチエール)=(絵具+モデリングペースト)を、下地剤の媒質種と描きたい物、支持面に求める状態に応じて行う。心ある配慮をするかの如く知恵ある塑形をし、象徴化する。 (地塗り剤の特色を把握し、確かな塑形術によって物質を象徴化する。かつその絵画には技術と思いやりがある。)
日常編  生活の中、そこにある物質を最も効果的に用いたり、判りやすく配列したりする。日常の心構えとしての自己実現の象徴化である。        
美術と心理学論文 美術には、いわんや人間を癒す効果がある。その役割が無くては、作品の意義は無いと言っても過言ではない。社会の恐ろしさや、戦争に対する反対意識がある作品をアンチテーゼする事は可能だが、作品がコミュニケーションの取れる媒体として存在する、あるいはメッセージを内包した状態のものでなくては、結局なんの他人に対して与えうる回復も無い。と、いう事は、メッセージの中にも、テクスチャー、あるいは絵画技術としての、「見る側への癒し」がエッセンスとして内包されていなければ、成立はしても、誰かの足を止めるような絵画としては、成り立っていない、という事は。結局作品の中には「干渉」以外の、理解力とか、心遣いというものを含ませる必要性がある。  セラピストの基本に「共感的理解」という必要事項が存在する。セラピストには、相手の立場にたつ必要が、相手とのコミュニケーションを取る上で出てくる、というものだ。 「充分に機能する人間」という解釈でもって相手を具体的に理解しようという側面と、同時に「そういった一連の不具合というのは、どういった理由から来ているのか」という心理的側面の、2方向から人間を治療する事が重要であるのと同様に、「社会的メッセージ、公的訴えとしての絵画」「心癒す媒体の塊と、その積層としての絵画」という両側、2方向から人間にイメージを投げかける事が絵画には重要であるといえる。 美術という活動は、特に心を使い、目や内臓の疲労を増やす。密閉された部屋で行う作業という事もあって、どうしてだか精神的にも疲労する。病院に通う人間や、錠剤を常用する人間がいたとしても何ら不思議は無い。  そういう芸術活動のストレスは、屋内作業にして『衣食住』総てに美しさや景観、彩り、人間の作業の円滑、生活の循環の浄化としてタッチする事の難易度。『思いやり』や、人間の誠意の形作りであるがゆえの心労や、心の中の悩みが日々募るが故に起こる『変な疲労』が、尽きないということです。通常の人間からすると凡そ訳の分からない理由で自殺したり、病院送りになったり、薬を常用する為、その関心事の中に入る人間の活動もなかなか分析しづらく、その人間の病理を未然に解決する事も、とても難しいと憶測します。  要は、「美術系は患者としてはとても厄介で、故に人一倍体調管理に気をつけて欲しい人種だ」という事である。人間のなかでも、退化しやすい、あるいは退化をいとわず活動をつづけるのが芸術家であり、体は当然弱い、という事である。 美術館での景観に着目してみよう。お気づきでないだろうか。美術館の中の人間。「少々太り気味」というだけで、かなりの大柄な人間に見える事。そう、美術系という人種は、僕も含めて、それだけ脆弱な人種なのである。 そういう意識の元活動して欲しい、という人間も、内外問わず沢山存在する筈だ。要は人生を歩んだ結果としての体格や、一個体としての蓄積が、美術家は脆弱になりやすいという事だ。  一方で、学生常設には事故が起こり易い。「大作品」の厄介さだ。大作は、ナイーブな扱いを要求する割に、相当な重量を伴うので、扱いを知りつつ取り扱う事が重要になる。 そして、実はもう一つの重要な観点がある。そういうナイーブな作品の取り扱い、実は「ためらってはいけないのだ。」 しても良いことの範疇を利用して、最大限の要領を用いるのが作品の秘訣である。それはとても感覚が難しく、要領よ美術との狭間に位置するのだ。    その活動の「混合疲労」は、とても体には辛いだろう。脳と肉体が両方疲れる、という事だから。そして、さらに新たな美術品にも精力を注がない事には始まらない。 まことに美術とは、疲労の連続なのである。しかも、動きは美的な為、なかなか表出しにくい分、当人たちが倍、気を使いあわないといけないという義務がある。  一方で、これは描き手の願望、『こう描きたい』とか、『ああいう風に描きこんでみたい』とか、そういう類の物である以上、やはり作品完成度で日本人を上回る人種は相変わらず存在しない。  あの石膏像や、ルネッサンス絵画といえども、積層と、重層感においては結局日本人の上を行く事などとても不可能である。日本人の気質でなければ、生み出す事が不可能な「思考的密度を組む絵画理論」で、できたインスタレーション絵画は、構図は精巧、かつダイナミックに仕上がっている。そういう日本の気質が、オリジナリティーを奪う行為にも繋がり易くはあるのだが、結局人間は「同じ物があれば、良質な方に興味を引かれる」というのが定石なのである。 アクリル絵の具は水で希釈できる合成樹脂(ポリアクリルエマルジョン)によって顔料を嫌ったものです。画材として合成化合物が育ったのが、壁画創作運動に伴う「対公共建築物対応壁画用画材」の需要で、 「強度」 「速乾」 「多数支持面固着」  等の需要の為に生まれました。たくさんの支持面、鉄、コンクリート、木、等有機物、無機物を問わず固着する上、全画材中最強度を誇るものでなくては、雨天にも対応する壁画は生まれなかったのです。支持面がフラットであり続ける限り、罅割れすら起こらないというのがその強み。面相による細かな描きこみも可能で、薄め液も水になるので健康も害さない。  こうしてアクリルガッシュは生まれ、その有能さから、絵画にも続いて応用されるようになりました。 アクリルガッシュと下地の関係は、作品の仕上がりを100パーセント左右するほどのものがあり、その下地剤一つ一つにも特徴が存在する。
ライトモデリングペースト  マチエール塑形術、「モデリング」に扱う素材。この応用で、立体に長けた人間を絵画に誘う事が出来る。通常の重量の物と、もう一つ軽質な物がある。その軽質さ故、多大なマチエールを造り、モデリングとして塑造しようとも、重量が軽質を保つ。要は支持面の重さを念頭に置かない創造が可能になるという事。この物質にはモデリングの上でとても助けられる筈。
セラミックスタッコ 粒状の樹脂が独特のテクスチャを出す。粘りが強く、固着しても、マットさと粒質感と、かつ品位も残す。 ナチュラルサンドもこれに似ている所がある 「制作意図」についての論文
美術を渇望する人間は、何を手に取ろうともなにか魅せる物を作ってしまう」というのを。  そうしたいという人間、真にそういう物を創造したいと考える人間に、媒質のハードルや技法の難解度はあまり問題ではないのだ。「その表現をするにおいての最大限のマテリアルの生かし方」が、最も重要であり、それを習うにしても、習わざるにしても、描かんと欲する人間はどうにかして、頭の中から引きずりだす。道具と道徳を思考するだけで、ある程度は解決付いてしまう。勿論そこからの教養というのが肝心なのだが、その地盤にそういう「思い」が根付いていないと、作品として「意味が分からない」のだと感じる。  道徳を筆を取る際感覚化させるだけでも、それが充分な「技法」足りうる。  絵の具を使う=無駄なき方法を知っている=少ない画材で良い物が沢山できる  絵の具を使う=道徳観念がある=無駄をしない考え方をする=上記に同じ結果  という様に、道徳観念が生み出す「思い」が、今そこに習わぬ知識を生み出す事があり、美術に携わる人間は、それが自分の手元から出てきた瞬間、それを残し、逃さずキャッチしなければいけない。そういう感覚を絶えず保有する事と、そういう「真新しさと品格の違った創造」を心が排出する精神性を保有している人間こそが天才であり、それ以外はただの全体の中の売名に過ぎない。そう、道徳性とは心の広い人間性にこそ微笑み、矮小で真新しいものにばかり走る人間には振り向かないのである。    本当の真新しさには理由とコンセプトがある。多くの人間に目を引いてもらいたい、戦争、社会、国、等の、確固たる理由や、「自分の絵を見ている間だけでも和んでいてもらいたい」とか「こういう表現、コンセプトで表現した事を皆に伝えたい」という『理由』に基づいて作られ、その結果、多くの人間の足を止めるような技術が必要になり、『真新しさ』が表出する。要は
     『本人の一番良い自我を、技法を乗せて放出する』  のだ。そこには、自分の引いた線、たまたま形として出来てしまった美しきストローク、筆跡のみに流されない、『本当に優れた心の持ち主』のみが到達できる『技法をちりばめてなお、爆発混在している自己表現』がある。僕は僕の絵も含めて、そういう絵を未だ目にした事が無い。 それは、その夢は、『左手で左手の肘を掻く』が如き夢である。そう、技術を一画面に纏め、一つの体系としてバランス良く表現することと、そういう『表現』という感情の曖昧さの混在の渇望は、矛盾点が多く、例えばクロッキーをいくつもかさねたとか、其れこそ面白い絵柄を作った、だれも知らない技法を生み出したとか、そういう物とは別である。『誰も知らない線の引き方が出来た』というのは、実は結構意味性に欠ける。例えば卵を投げてきれいに割れる手腕があったとして、『皆の役に立つ類では無い、意味性の希薄な趣味性の高い技』なのだ。本当に表現を渇望する人間は、適当にやっても何故かその表現したい事項が表出した絵になるのである。よって、美術をする人間の殆どが、その夢を抱いている。その夢の頂の高さにかかると、大作までもが失敗作と化す。僕は勿論出来ない。しかし、美術は技術でなく、美しきなにかの表出術であり、技法体系を美しくまとめるだけのものに終わるのも、僕自身としては寂しいような気がしてならないのである。  前述したように、制作の意図と、癒しのバランスが作品には欠かせないのだろう。リアリティーをどれだけ保有したものでも、結局それと等量の癒しとしての絵画技術を保有したものでなければ、絵画を体感する側としても、とても息苦しい。言い換えるならば、「制作意図の為のリアルな一側面」がそこにあるのであれば、相手は気持ち悪さを感受しないし、感知もしない。逆に、いかに可愛いものばかりを扱った絵画でも、その「制作意図の為の腹黒い算段」がそこにあるのであれば、相手はなぜかそこに気持ち悪さを感受する。そういうものである。 技術というのは、とても重要である。軽んじてはいけない、皆が苦心に苦悩を重ねて生んだ思考の断片を、客観的な視覚や考え、感覚、理論によって否定したり、また肯定したり、練り直したり、技術同士を比べて、新たに生み出されたものであるか、それとも既存の技法の変容、応用的なものであるか検討したりして一つ一つがとても自由な発想と、今日の技術的修練と完成度で生み出されている。その集積が技法である以上、技術を、単なるテクニックとして否定する事は、誰にも出来ない。美術に愛着があればあるほど、本当は「できない」のである。  ところで、6年から7年以上画面に着手した人間ならもう分かると思うが、技術には併用が可能である。ステンシルとストロークも、ステンシルの用紙の上から、筆跡(ストローク)をダイナミックにつけることができる。ステンシルの上からドリッピングすると、用紙をはがした時、用紙の切り抜いた部分にのみドリップの痕跡が残る。そのようにして、技術同士の混合が可能なこの一つ一つのぎじゅつは、とても上手く共存してる。ステンシルで直線を切り抜いて、ドリッピングを5〜6階調で行い、上から光の調節を行うようにして加筆を行うと、「ドリッピングの柱」が出来る。そのようにして、技術の併用によって出来る表現は、掛け算式に倍加する。この感覚さえ持っていれば、いかに描写力を有した状態でも、画面の真新しさを失う事は無い。「実力介在形前衛絵画」の出来上がりである。 今現在の常識の中の技術は、とても幅が出来たと感じる。しかし、肝心なのは使い手の方の心構えである。人間の、物知りげなプライドが自身の向上心に対するストッパーになることもあれば、社会における低俗な嫌がらせに屈し易い稚拙な作業をする人間のありようなどに、心を狂わされるであろう。修行僧ではないので、それが自然な事である。しかし、いくら人間が良いからといって、思いやりがあるといっても、それ全部自分の負債であるという事。なので、技術を研鑽する身になったからといって、その精神や心構えを決して変えてはいけない。そして、「ダイナミックさより密度を重視したい」とか、「知名度より節度を重視したい」のなら、まずそういう技術の習得に対して熱心でなくてはいけなく、指導者もそれを応援する義務があり、その責務から逃避した口の使い方をするのなら、心優しい人間からの、制裁を受けなければいけない。美術は、心根の綺麗な人間を、からかう為に生まれた技術ではない。ゆえに、今日も、誤った用法を呪詛的に用いた人間は、どんなに多勢であろうと、容赦なく罰せられるし、そういう正しさの方がまかり通るように出来ている。まことに不思議な感覚を覚えました。 制作意図という問題、観点もそう。制作の意図がとても深いものなら、一見単純なようでも、なぜか心の深い部分に響き、技術がいかに複雑で、さまざまな描きこみに基づいた技術形態であろうと、モナリザをぱくったような「間違った斬新さ」を持っていたら、人間は自然と素通りする。その証明のもっとも顕著な例が現代美術だといえる。おおよそ技法的な構成上の詰めや、制作上の完璧な予定、その他総てが曖昧であるものの、人間の心惹くテーマ性に満ちている。 美術という画面の応用性には、様々な悪用方法が存在する。それはいわんや、不明瞭な利用方法で、とても人間の隠れ蓑になりやすい。知識のある人間が利用して、知識の無い人間を騙しきるのだから、それは罰せられる筈が無い。よって芸術系には、逸脱した感じの人間がいる。一部の知識者によって、自覚を奪われているのだ。心を自動的にコントロールされるかのように。そういう人間の把握量の差を用いた、間抜けな失敗も美術にはあり、それは医学等がツケをもっている。現代社会に絵画が登場する事は、とっても考えにくい。なぜって今は、ビルディングのモニターの大画面が、壁画にとってかわり、そういうシステマティックな全体が、絵画という手間隙を、ぶち壊してしまったからである。そうして今、デザインという簡易で安易な物体が日常社会を占め、その量産性が格好の特異点を求める人間達を食い物にしているというわけだろうと感じる。  自分は、絵画を一生懸命に続けた人間である。その時脇目も降らなかった。学校を辞めたり、誤解されたり、陰口を叩かれても、まるで気にしなかった。歯が欠けても、肌がボロボロになっても、その筆を、訳のわからないダスターに持ち替えてでも、辞めなかった。その事が今日の僕にほんのチョットの身分をくれた。後は、皆が喜んでくれると嬉しい。それだけだ。人間の制作意図というのは、技術を超えて人間の意志を支配する。その意図へ向けて、心燃やし、体を裂いた人間には、必ず望みが敵う。その望みが、他人がより多く喜ぶタイプのものであるのなら、なおさらである。そして、制作意図が自身の作風に沿ったものであるのならば、作品はいつも8割方の成功を収める。一人の個性ある人間が、長く作品を制作する事に従事してゆくと、どのような人間にもアクや、個性が表出する。そしてその個性に沿った制作体系を、生み出すに至る。基本的な技術体系の上にその個性が綺麗に乗ったとき、その絵画の個性はゴールインする。そう、制作意図と技術は、本当はとっても仲良しなのだ。「制作意図=個性」「個性があるから、技術を介在させるのが面倒くさい」という心理状態に陥り易い、集中制作においては、結局そういう人間の感性が完成度に対する障害と化す、という事実がある。しかし、誠に良いものが作りたい、自身の個性の先の、一番良い表現状態が見たいと感じた場合、技術のハードルというのは、そういう願望が在る人間にとっては実は「そんなに高くない」。大きくその体を使い、絵画をする大人として解釈するならば、決して困難でない。それに気付いている人間は技術を吸収する。それが総てでないのだから、技術の習得はとっても簡単な筈だ。技術は媒質である。技術は用法である。その用法の真新しさが、新しい自身を引き出す事も沢山あるはずだ。で、あるのならば、技術の幅が広ければ、制作の意図の深みも増すというものだ。長年一つの物事に従事した人間には、その内実の研鑽方法について、知る義務がある。それが制作意図に一層の深遠広大さを与える事は、言うまでもない。  このようにして、技術と制作の意図がどれだけ重要な接点を有しているかは分かるでしょうが、ここからさらに分解し、かつ分かり易く克明に制作意図と技術の関連性について触れてみたいと思う。  例えば在る一色、「ベージュ」によって得た感覚からイメージを膨らませて絵を描いたとしよう。その一色によって生み出せるイメージの幅と、更にもう一色、「ベージュの補色」を絡ませて描ける絵のイメージの幅では、どうしても、その「もう一色」を知っている、及び用いる事が出来る人間の絵画の方に完成度が出来るのが、当然の結果である。色数が総てでは無い。シンプルな方に注目が集まり、その魅力はシンプルである事で成立している絵画も当然沢山ある。しかし、この場合で言う所の感覚点とは、「製作意図の深みの差異」を表す。日本的な一面を内包した高名な現代絵画においては、一色の色彩だけが主立っている事は先ず皆無である。人間が魅力を感じるのは、その苦悩と正しき研鑽の集積である。結局、「癒し」というレベルを超えた解釈の感覚になると、そういう「研鑽の集積」が価値基準と化し、その中で人間はもっとも複雑にして深遠なイメージを両有するものを選出する。よって、絵画の制作意図に深みを与えたいのならば、当然制作の複雑化が必要不可欠になってくる。その技術の集大成に一つ一つの技術を付加し、その付加に自身のイメージを引っ張られてゆく事も、重要な研鑽のポイントになる。               そう、制作意図自体も成長するのである。
美術には、いわんや人間を癒す効果がある。その役割が無くては、作品の意義は無いと言っても過言ではない。社会の恐ろしさや、戦争に対する反対意識がある作品をアンチテーゼする事は可能だが、作品がコミュニケーションの取れる媒体として存在する、あるいはメッセージを内包した状態のものでなくては、結局なんの他人に対して与えうる回復も無い。と、いう事は、メッセージの中にも、テクスチャー、あるいは絵画技術としての、「見る側への癒し」がエッセンスとして内包されていなければ、成立はしても、誰かの足を止めるような絵画としては、成り立っていない、という事は。結局作品の中には「干渉」以外の、理解力とか、心遣いというものを含ませる必要性がある。  セラピストの基本に「共感的理解」という必要事項が存在する。セラピストには、相手の立場にたつ必要が、相手とのコミュニケーションを取る上で出てくる、というものだ。 「充分に機能する人間」という解釈でもって相手を具体的に理解しようという側面と、同時に「そういった一連の不具合というのは、どういった理由から来ているのか」という心理的側面の、2方向から人間を治療する事が重要であるのと同様に、「社会的メッセージ、公的訴えとしての絵画」「心癒す媒体の塊と、その積層としての絵画」という両側、2方向から人間にイメージを投げかける事が絵画には重要であるといえる。 美術という活動は、特に心を使い、目や内臓の疲労を増やす。密閉された部屋で行う作業という事もあって、どうしてだか精神的にも疲労する。病院に通う人間や、錠剤を常用する人間がいたとしても何ら不思議は無い。  そういう芸術活動のストレスは、屋内作業にして『衣食住』総てに美しさや景観、彩り、人間の作業の円滑、生活の循環の浄化としてタッチする事の難易度。『思いやり』や、人間の誠意の形作りであるがゆえの心労や、心の中の悩みが日々募るが故に起こる『変な疲労』が、尽きないということです。通常の人間からすると凡そ訳の分からない理由で自殺したり、病院送りになったり、薬を常用する為、その関心事の中に入る人間の活動もなかなか分析しづらく、その人間の病理を未然に解決する事も、とても難しいと憶測します。  要は、「美術系は患者としてはとても厄介で、故に人一倍体調管理に気をつけて欲しい人種だ」という事である。人間のなかでも、退化しやすい、あるいは退化をいとわず活動をつづけるのが芸術家であり、体は当然弱い、という事である。 美術館での景観に着目してみよう。お気づきでないだろうか。美術館の中の人間。「少々太り気味」というだけで、かなりの大柄な人間に見える事。そう、美術系という人種は、僕も含めて、それだけ脆弱な人種なのである。 そういう意識の元活動して欲しい、という人間も、内外問わず沢山存在する筈だ。要は人生を歩んだ結果としての体格や、一個体としての蓄積が、美術家は脆弱になりやすいという事だ。  一方で、学生常設には事故が起こり易い。「大作品」の厄介さだ。大作は、ナイーブな扱いを要求する割に、相当な重量を伴うので、扱いを知りつつ取り扱う事が重要になる。 そして、実はもう一つの重要な観点がある。そういうナイーブな作品の取り扱い、実は「ためらってはいけないのだ。」 しても良いことの範疇を利用して、最大限の要領を用いるのが作品の秘訣である。それはとても感覚が難しく、要領よ美術との狭間に位置するのだ。    その活動の「混合疲労」は、とても体には辛いだろう。脳と肉体が両方疲れる、という事だから。そして、さらに新たな美術品にも精力を注がない事には始まらない。 まことに美術とは、疲労の連続なのである。しかも、動きは美的な為、なかなか表出しにくい分、当人たちが倍、気を使いあわないといけないという義務がある。  一方で、これは描き手の願望、『こう描きたい』とか、『ああいう風に描きこんでみたい』とか、そういう類の事である以上、やはり完成度でを上回る人種は相変わらず存在しない。  あの石膏像や、ルネッサンス絵画といえども、積層と、重層感においては結局日本人の上を行く事などとても不可能である。日本人の気質でなければ、生み出す事が不可能な「思考的密度を組む絵画理論」で、できたインスタレーション絵画は、構図は精巧、かつダイナミックに仕上がっている。日本の気質が、オリジナリティーを奪う行為にも繋がり易くはあるのだが、結局人間は「同じ物があれば、良質な方に興味を引かれる」というのが定石なのである。  決まり事の中で物事を煮詰める行為で世界一なのは日本人である気がする。 一方で、美術に携わる人間の感覚と、技術の駆使の天秤をとても悩みの種にする人間もたくさん存在すると思います。 なんに関してもそうですが、「万人に共通する悩み」と、「専門的に理解する必要がある事実への悩み」は、とても矛盾を抱きやすい問題が出てきます。そういう時、どちらを優先順位として持ってくるかはその人間各自の自由になると思います。あらかじめ自己心理の理解力を上げている人間は、「飲み込み」が違います。「ああしなければいけない」、という理由を心が理解するので、とっかかりなく物事を推し進める事ができます。これと美術的技術と交わらせると、同様の事が言えます。例えば、テクスチャーを作る下塗りに扱う技術を用いる、ストロークであったり、もしくはマチエール、テクスチャーであったり、その選別が正しい人間というのは、より良い選別をする人間というのは、「そうしないといけない理由」を深く理解している人種だからです。その理解に技術を乗せているから、「技術的に卓越しているにも関わらず、内的理解に乏しい」という失敗が無い、という訳です。  テクスチャーや、地塗りは、失敗すると次の面を作るとき、その失敗した部分のみが一層厚くなり、「物体」として見た場合、不自然になります。そしてテクスチャーの失敗、しかもその色面がとても大きかった場合、上塗りにはあからさまな費用がかかる上、支持面が重くなります。  物事の間違いには費用が掛かります。そして世の中においてその失敗は往々にして自身に帰ってきます。よって、「間違えるな」と言える人間の方が少しだけ思いやりがあるというのが事実です。  技術的失敗の積層は、人間の心に対して「できない」という感覚を自身に刷り込む事になります。そういう「自分の刷り込んだ感覚」というのは中々払拭しずらいものです。他人が刷り込んだ感覚は距離を置く事でやがて緩和されますが、自分とは一生、一秒も離れ離れになる事ができないのです。よって、自己に対する不安はなかなか払拭しずらいものなのです。美術とは、自分の内面の表出場面であり、調子の不具合がすぐ体にでます。よって、「自身に負けない心」というものが必要不可欠になると感じます。  他人と自身を比べてみた場合に、どうしても心理的不安が伴い、いつもの好調が出ないでしょう。しかし、そういう場合にこそ意味性を伴うような2倍の優しさと、2倍の具体的な何かでもってますますの好調を引き出すのです。


美術にはいわんや人間のメンタルに関わるという役割が存在します。人間のメンタルに画面でもって食い込む作業、実はこれかなり現代社会においては重要な役割を担っています。コンピューターや、社会の軋轢に耐えかねた人間の心理的ある一面の崩壊を、きれいさっぱり立て直す行為や、ゲームの画面に惑わされた人間、携帯電話の画面に身体的な側面を害された人間のリロード方法としての絵画が、今日存在します。 色彩は「癒し」、テクニックは「信頼」、技術は「円滑なコミュニケーションとイメージの助長」、解剖学は「正しい画面内の人体のありようとテクニックとの関連性」、修練は、「義務」、会合は「守りあう為」。  そういう一連の行為が絵画の作品作りにおいてもっとも重要な決定付けになります。その存在が際立つ秘密の箇条はこんなところです。  人間には、実生活、実際の世界以外の癒しが必要となります。そして、そういうぎりぎりの癒しを与える行動というのはとてもテクニックと修練の時間を擁します。その研鑽の量が確かになってゆくと、人間は障害を乗り越えるようになります。そして画面を見る人間の障害もそこから消えうせます。そういう技術の集大成に対して得る感動とは、
   「思いやり×技術」という倍加方式により一層の効用を他人全体に与えます。
 技術の無い絵画というのは、とても客層が偏ってきます。そういう場合に、自分も他人も、大変寂しいでしょう。
 会合とは、自己顕示ならず、守護しあう、心配りあうものなのです


梅田聡一郎 さん 2005年 10月 12日 15時 05分 07秒

梅田 聡一郎


(僕の作成分) そのようにして、各自さまざまな技術を体得しその個性を技術の変容や、突出で魅せる。この事が描き手各々の個性を助長させるが、一方で通り一遍の他の技術に支えられての突出と、一技術の突出では、安定感が違うのも事実ではある。油を薄く、薄く、重ね続ける人もいれば、筆勢を思い切り魅せる人もいる。そして、上級者になると、総てを一画面に込める努力はしても、一つの技術のみで絵画制作を終わらせる事は、まず無い。主格として目立つ、メインの技術は定められているし、それが一番魅力を放つ事に違いは無いのだが、相違点はそれが他の様々な技術に支えられている事にある。例えばハッチングをするにしても、その下地に合った色が塗布されているのとそうでないのでは、完成度に段違いの差が生じる 。
目次
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• 1 道具
• 2 画調
• 3 技術
• 4 絵画5層
• 5 複合学術
• 6 有名画家
• 7 デザインの語源
• 8 遠近法
• 9 ウィキペディアにようこそ!
• 10 梅田聡一郎からの質問
• 11 プレビュー機能のお知らせ
• 12 署名のお願い
• 13 質問のお返事

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道具
支持体
• キャンバス(又はカンバスとも言う。キャンパスは大学の敷地、構内)(0〜300号)
• キャンバス張り器
• 木枠
• キャンバス布
• 短釘

描写道具
• ペインティングナイフ
• パレットナイフ
• スクレーパー
• 絵筆(0〜40号)
 ラウンド(丸)  フラット(平)  ファン(扇)  フィルバート(平突)
• 木炭・鉛筆(8H〜8B)
• 刷毛
• ローラー
• パレット(木)
• パレット(プラスティック)
• パレット(紙・ペーパー)

着彩道具
• 油絵の具
• ペインティングオイル
• テレピン油
• 油壺
• 膠
• 油分速乾剤
• 下地剤
• 顔料
• 体質顔料
• メディウム
仕上げ
• 上層保護剤
• 額縁(金・銀細工・木枠・アルミ枠)


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画調
 絵画の画風は、何派、とか何風とかに分かれているが、技術の観点でいうと、このように沢山の画調に分かれている。
• スキアグラフィア   陰影画
• ポリクローム     多色画
• ジャクスタポーズ   並列画
• コラージュ      紙片体接合画
• アッサンブラージュ  立体物構成画
• インスタレーション  象徴設置画
• カリカチュア     風刺画
• ナチュールモート   静物画
• デックファーベンモレリ不透明画
• ポートリアル     肖像画(写実)
• ポートレイト     肖像画(心象)     
• イコン        聖画   
• グリザイユ      単色画
• ディプティック    2部作
• トリプティック    3部作
• ポリプティクス    連作
• 壁画
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技術
 技術には、様々な扱われ様があり、それは語感によってさらに感性質の高いものへと昇華する。単なる行いから、感性を含有した技術体系へと変化する。
基礎技術
• 平塗り
• ハッチング
• クロスハッチング
• マスキング
• ステンシル
• デカルコマニー
• フロッタージュ
• アッサンブラージュ
• ヒディング
• モデリング
• ポワリング
• アクションペインティング
• ドリッピング
• 透かし
• 暈し
• ブラッシュストローク
• ドライブラッシュ
特有技術
• esquisee(エスキース)構想下絵
• profili 線描
• controni輪郭描写
• disegno 素描
• coloare 彩色
• chiaroscuro (キアロスクーロ)階調画
• impasto(インパスト)   上層厚塗り
• imprimatula(インプリマトゥーラ)有色下地
• camaieu(カマイュ)    有色下地上単色画
• ebouche(エボッシュ)   薄塗り下絵
• glasis (グラッシ)    薄塗り重層画
• scumbling(スカンブリング) 上層仕上げ平塗り(技術)
• veratula(ベラトゥ−ラ)  上層仕上げ平塗り (表現)
• alla prima (アラ プリマ)直接描き
• preparesion(プレパレーション)地塗り
• tintingstrength(ティンティングストレングス)着色力
• hiding power (ヒディングパワー)隠魅塗布
     併用可 
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絵画5層
 絵画を描く段取りと同時並行する「意識点」にある。個性は人それぞれであるが、意識すべき順序は共通している。これを絵画5層(inhaltstructur)という。 絵画5層(物質であれば、2は構造、3は質感になる。)

• 1層目 明暗、形姿、概図、全体像をぼんやりと把握する。
(sfumato霧状効果)
• 2層目 動勢、量塊、量感、骨筋を把握する。
(anatomy解剖学)(masse/volume/moveman)(formung)
• 3層目 心の中、内臓、性格、感情、心境の状態を把握する。
(personal)
• 4層目 その扱われ方の癖、個性、哲学、発達と理由、人体の「物としての磨耗度」、性格を描く。
(tintingstrength)(wallen)
• 5層目 それらすべてを総合して、描写対象を象徴化する。
(Vostellung)  
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複合学術
これらを絵画に複合する事が、自分の絵画の可能性を広げるきっかけになる。

図(構図の正しさ、面白さ)
• commensuratio(寸法)
• prospectiva 遠近法
• liner perspective 線遠近法
• sfumato 空気遠近法(霧状効果)
• graphein 記述
• geometory    幾何学
• iconography 図像学
• golden ratio 黄金率(1:1.618)
• silver ratio 白銀率(1:1.414)
• distance axiom(距離公理)
• angle axiom (視覚公理)
• 線織面
• 天使遠近法(湾曲線分割)=幾何比例遠近法
• 地上遠近法(直線分割) =投射面投影遠近法
• proportionalmente 釣り合い良い・バランスの良い
体(体の作りの把握表現)
• somatology    生体学
• surface anatomy 体表解剖学
• artistic anatomy 美術解剖学
芸(芸術を行う上での感覚)
• kunst        芸術
• kunstwissenchaft        芸術学
• all germani kunstwissenchaft一般芸術学
• kunst verhalten        芸術態度
• kunstwallen           芸術意志
• aesthetisia 感性学
象(検討あるシンボルとして描く方法)
• ung 象構成
• buildlesthureibung 形象記述能力
• einbuildungskraft 形象構想能力 
• formung       形象構成
• vostellung 表象構成
象状態(上記の方法で出来たシンボルの、芸術作品としての種類)
• noema   形象
• noesis  構象 
• zeigen  示形象
• flack   平形象
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有名画家
• アルブレヒト・デューラー
• アルビン・ブルノブスキー
• アンディー・ウォーホル
• アンドレ・マッソン
• ヴァンアイク
• オスカル・ドミンゲス
• オーブリー・ビアズリー
• レオナルド・ダ・ヴィンチ
• ラファエロ・サンティ
• レンブラント・ファン・レイン
• ピーテル・パウル・ルーベンス
• ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
• ヨハネス・フェルメール
• クロード・モネ
• ポール・セザンヌ
• フィンセント・ファン・ゴッホ
• サルバドール・ダリ
• ピーテル・ブリューゲル
• ピエロデッラ・フランチェスカ
• パウル・バンダーリッヒ
• ジオットー
• ジョルジュ・ルオー
• マックス・エルンスト
• エルンスト・フックス
• ルドルフ・ハウズナー
• ロベルト・マッタ
• マックス・ベックマン
• カラバッジオ 
• ピーターブレイク
• プッサン
• ブラマンク
• ティッツアーノ
• グスタフ・クリムト
• エゴン・シーレ
• ガストン
• ジャンミッシェル
• アガス・ジャック・ロラン
• ジョセフ・アルバース
• アルガルディ・アレッサンドロ
• ワシントン・オールストン
• ローレンス・アルマ・タデマ
• アルブレヒト・アルトドルファー
• ジャコポ・アミゴーニ
• カール・アンドレ
• フラ・アンジェリコ
• アンドレア・デル・サルト
• アンリギッラ・ソフォニスバ
• アントネッロ・ダ・メッシーナ
• アペル・カレル
• アーキペンコ・アレグザンダー
• ジュゼッペアルチンボルド
• アンドレ・ブルトン
• ジョン・ジェームズ・オーデュポン
• アウアーバック・フランク
• アーフェルカンプ・ヘンドリック
• フランシス・ベーコン
• バルドゥング・ハンス
• バッラ・ジャコモ
• バルテュス
• フラ・バルトロメオ
• ゲオルグ・バゼリッツ
• ジャンミッシェル
• ヤコボ・バッサーノ
• ポンペオ・バトーニ
• ヴィリ・バウマイスター
• フレデリック・バジル
• アンドレ・ボヌーブ
• ドメニコ・ベッカフーミ
• マックス・ベックマン
• ジェンティーレ・ベリーニ
• ジョバンニ・ベリーニ
• ベルナルド・ベロット
• ジョージ・ベローズ
• ジャンロレンツオ・ベルニーニ
• ヨーゼフ・ボイス
• アルバート・バイアスタント
• ジョージ・ケイラブ・ビンガム
• ピーター・ブレイク
• ウイリアム・ブレイク
• ウンベルト・ボッチョーニ
• アルノルト・ベックリン
• クリスチャン・ボルタンスキー
• ディビッド・ボンバーグ
• ボニントン
• ピエール・ボナール
• パリス・ボルドーネ
• ヒエロニムス・ボス
• フェルナンド・ボテロ
• サンドロ・ボッティチェリ
• フランソワ・ブーシェ
• ウジェーヌ・ブーダン
• ディリック・バウツ
• ボイド・アーサー
• ジョルジュ・ブラック
• ヴィクトール・ブラウネル
• アーニョロ・ブロンツウィーノ
• マルセル・ブロータース
• フォード・マドックス・ブラウン
• ヤン・ブリューゲル
• エドワード・バーン・ジョーンズ
• エドワード・バラ
• アルベルト・ブッリ
• ギュスターブ・カイユボット
• ロベルト・カンビン
• カレナット
• カルパッチオ
• カルラ・カルロ
• アンニバーレ・カラッチ
• メアリー・カサット
• アンドレア・デルカスターニョ
• ヴィンチェンツオ・カテーナ
• ジョージ・カトリン
• ポール・セザンヌ
• マルク・シャガール
• フィリップ・ド・シャンパーニュ
• ジャン・バティスト・シメオン
• ウィリアム・メリット・チェイス
• フレデリック・チャーチ
• チマブーエ
• ピーテル・クラース
• クロード・ロラン
• フランチェスコ・クレメンテ
• フランソワ・クルーエ
• トマス・コール
• ジョン・カンスタブル
• ジョン・シングルドン
• コロー・ジョン・バティスト
• コレッジオ
• デルコッサ・フランテェスコ
• クルーベ・ギュスターブ
• ジョン・ロバート・カズンス
• トニー・クラッグ
• クラナル・ルーカス
• アールベルト・カイプ
• サルバドール・ダリ
• バービニー・シャルル・フランソワ
• オノレ・ドーミエ
• ダビッド・ヘラルト
• ダビッド・ジャック・ルイ
• ディヴイス・ステュアート
• エドガー・ドガ
• ウジューヌ・ドラクロア
• ローベル・ドローネ
• ポール・デルヴォー
• モーリス・ドン
• アンドレ・ドラン
• ディーベンコーン・リチャード
• ジム・ダイン
• オットー・ディックス
• ウィリアム・ドブソン
• テオ・ファン・ドゥースブルフ
• ドメキニーノ
• キースヴァン・ドンゲン
• ドッソ・ドッシ
• ヘラルド・ダウ
• ダヴ・アーサ
• ジャン・デビュッフェ
• ドヴッチオ・ディ・ブオンセーニャ
• マルセル・デュシャン
• ラウール・デュフィ
• ヴァン・ダイク
• トマス・エイキンズ
• アダム・エルスハイヤー
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• リチャード・エステス
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• ヤンファンエイク
• カレル・ファブリティウヌ
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• アルテミシア・ジェティレスキ
• テオドール・ジェリコー
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• ドメニコ・ギルランダイオ
• ギルバート・アンド・ジョージ
• ハロルド・ギルマン
• ルカ・ジョルダーノ
• ジョルジョーネ
• ジオットー・ディ・ボンドーネ
• ロマーノ・ジュリオ
• ヒューフォ・ヴァン・デル・グース
• ヴィンセント
• ナターリア・ゴンチャロヴァ
• アシール・ゴーキー
• ゴヤ・ルシエンテス
• ファンホイエン
• ベノッツオ・ゴッツオリ
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• ゲオルグ・グロッス
• アティアス・グリューネヴァルト
• フランチェスコ・グアルディ
• グエルチーノ
• フィリップ・ガストン
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• チャイルド・ハッサム
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• バーバラ・ヘップワース
• パトリック・ヘラン
• エドワード・ヒックス
• 安藤広重
• マインデルド・ホッベマ
• デヴィッド・ホックニー
• ハワード・ホジキン
• フェルナンド・ホジョラー
• ハンス・ホフマン
• ウィリアム・フォーガス
• 葛飾北斎
• ハンス・ホルバイン
• ヴィンズローラ・ホーマー
• ホントホルスト・ヘルト
• デホーホ
• エドワード・ホッパー
• ウィリアム・ホルマン
• ドミニク・アングル
• イヴァーノフ・アレクサンドル
• ヤウレンスキー・アレクセイ・フォン
• ジョン・グヴォン
• ジャスパー・ジョーンズ
• アレン・ジョーンズ
• ヤコブ・ヨルダンズ
• ドナルド・ジャッド
• フリーダ・カーロ
• ウィレム・カルフ
• ワシリー・カンディンスキー
• カウフマン・アンジェリカ
• アンセルム・キーファー
• キルヒナー
• キタイ
• パウル・クレー
• イヴ・クライン
• フランツ・クライン
• ゴッドフリー・ネラー
• オスカー・ロコシェカ
• ヴィレム・デ・クーニング
• ジェフ・クーンズ
• レオン・ユソッフ
• クルイエル
• ケプカ・フランティシェク
• ヴィフレド・ラム
• エドウィン・ランシア
• ピーター・ランヨン
• ジョルジュ・ド・ラトゥール
• マリー・ローランサン
• トマス・ローレンス
• フェルナン・レジェ
• レイトン・フレデリック
• ピーター・リーリー
• ヴキンダム・ルイース
• ロイ・リキテンスタイン
• 佐伯祐三
• 東郷青児
• 梅原龍三郎
• 岡倉天心
• 岸田隆生
• 玉川信一
• 開光市
• 荒川修作
• 滝口修造
• 加納光於
• 浜田知明
• 横山博之
• 春口光義
• 富張宏司
• 作田富幸
• 大津英敏
• 坂本繁二郎
• 横山大観
• 川上尉平
• 坂本善三
• 中島敏明
• 草間弥生
• 木戸征郎
• 岡本太郎
• 会田誠
• 林浩
• 工藤礼二郎
• 長嶋康雄
• 加来万周
• 松井冬子
• 木下藤次郎
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デザインの語源
signifiant(意味する者)+signifie(意味される者)=sign(シーニュ.サイン) sign(サイン)+ do/する(動詞)=do sign (ドゥー・サイン) do sign = design (デザイン)
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遠近法
 遠近法は視覚への対応から、遠近図を挟む事によって視覚をいかに面白く再表現(representasion)するかという行為に変化してきた。逆遠近法という、遠くの物が小さく、近くの物が大きいという手法や、5点、6点を用いた多数消失点混在型遠近法、天井の物を描くときは逆からも消失点を扱うので、点を増やしたりするのに始め、湾曲線(hyper vola)を用いた、双曲線遠近法や、地平線曲線分割型の天使遠近法、直線分割型の地上遠近法等、現在拡張の程を見せている。また、中国式遠近法「三遠」(高遠=空高く見上げる)、(深遠=空間深く見通す)、(平遠=地平線の向こうを見る)との関連、複合による新式遠近法も思考される。

遠近法  遠近法は視覚への対応から、遠近図を挟む事によって視覚をいかに面白く再表現(representasion)するかという行為に変化してきた。逆遠近法という、遠くの物が小さく、近くの物が大きいという手法や、5点、6点を用いた多数消失点混在型遠近法、天井の物を描くときは逆からも消失点を扱うので、点を増やしたりするのに始め、湾曲線(hyper vola)を用いた、双曲線遠近法や、地平線曲線分割型の天使遠近法、直線分割型の地上遠近法等、現在拡張の程を見せている。また、中国式遠近法「三遠」(高遠=空高く見上げる)、(深遠=空間深く見通す)、(平遠=地平線の向こうを見る)との関連、複合による新式遠近法も思考される。 肉体について  外に守る骨がガードとして存在し、中に袋が存在し、その必要性として動の必要性として筋肉が存在する。形を追うときはung,形象を構成する。ここではanatomy肉体の学問にきちんと拘る。人と関わるに関しても重要になるし、自分と向き合うに具体性を帯びる。人を描くに関してはリアリティーの根源として説得力を加える。  『私』においては、誰もわが身を守らない。自己理解でさえある。コミュニケーションとしてあらゆる分野に適応され、理解力を倍加させる。人間が集まって何ぼの美術で、人間を理解するのは当然と思われる。
 覚え方にも、恐怖を伴う人体も、グロテスクな様で実は法則性の塊である。
 例文)(名は体を現す。漢字が体の筋肉の意味をそのまま示唆している。)

 脊髄部筋肉・正中線部(左か右に偏る筋肉、必ずしも二つ以上と見ろ)

 頭半束束筋(頭の負荷に関わる束状の筋肉と知れ)
 頭最長筋 (頭のうち最も長い筋肉と知る)


 胸束束筋 (胸の負荷に関わる束状の筋肉と知れ)
 胸最長筋 (胸の辺りの一番長い筋肉と知る)

  外側に最長筋、内側に束束筋。


 脊柱起立筋(脊部の柱、起立するを支える筋肉二つと知る)

 腰腸肋筋 (腰、腸、肋骨、に関わる筋肉と知る)

 脊部+
 腰腸肋筋 (腰と腸、に関わり、肋骨に張り付く筋肉と知る)
 腰方形筋 (腰に関わる、三角を描く筋肉と知る)


 脊柱部筋肉の数、
 頭:胸:脊 = 4:3:2  簡単な下降バランス
 脊部+を含めた数
 頭:胸:脊 = 4:5:4  中央上がりのピラミッドバランス

 真の筋構成美しきとせよ。valanceを保持して生れてきているとせよ。名は『体』を『表』す。と書いて『体表』解剖学。文字の憶測駆け抜けよう。  脊部にバランスあり。まずは四つの束が広がり、中心二つに端二つ。それぞれ一つずつ。(名は体を表す。名称が働きと知れ。)  この世の本質は(平等)。男女に性器の違いあれど、束の数の違いは無いと見よ。 シニフィアン。機能を知り、名前の意、そこから探り、最後に覚えると良い。一番の教科書が、目玉から下に垂れ下がっているではないか。

 人体を覚えるときは、確定性としてlinerformung線形象であれ。
 人体を、実際対象、描くときは、不確定性としてvostelllung表象であれ。
 気持ちの悪いものを追うのでなく、相互理解の為と、恥を知る心としての象徴検討行為であると知れ。
 しかし結局はtintingstrength (着色力)にあると知れ。
肉体には役割の重複が存在する。同じ骨でもガード的機能であったり、支えであったり。その「骨」という1物質であるにも関わらず、機能の重複する事が、形状の微妙さと名前の複雑さを生んでいる。

美術解剖学(artistic anatomy)についての述解 梅田 聡一郎
 美術には、人物画が存在し、どの様な分野の絵画においても、その象徴性、人間同士の相互理解における人物の登場意義はとても重要な役割を担い、今日の絵画空間の中においても使用頻度の高い図像といえます。  その人物画の完成度、内部構造把握、ともすれば鑑賞者に「こうありたい」という影響を与うにいたるこの人物の正確な表現には社会的にも重要な役割と義務性があると感じます。人間が人間に影響を持たす図像である以上、その人物は、健康的であり、かつ美的でなくてはいけません。究極的には、その影響下にさらされただけで、その人間が正しき行いを心の中で歓迎するにいたるくらいのものであるのなら、もう逆に歓迎は免れないくらいであると感じます。  somatology(生体学)、surface anatomy(体表解剖学)も絡むものであるのなら、健康や、体内構造の生活における円満にも成り得、最上のものであると感じます。  健康と自分について考えさせられる、とても自然なものであるほうが、良いと思われます。そのような人と人の生活の「円満」の助長の為の絵画を描く、医学知識として美術解剖学があると感じます。人間がこういう感情を持つ、こういうシチュエーションに出会うとこういう心の変化をきたす、などの感情起伏や心理学との関連性や、自身の心を大事にするという意義においての絵画が、明日の空間を作るに至ると感じます。行動学的側面から見た人間の感情の起伏、安閑の法則などを示唆する絵画の条件も、健康学に精通する事で守られ、美術を知る事で、健康的側面に繋がってゆくという効果も期待できます。  速筋と遅筋の関係性についてや、赤色筋肉、白色筋肉との関連性、心の動きと体、筋肉の動きとの関連性、連鎖反応との関連性、病理さえ明かす美術解剖生理の心、絵画理解が身体理解に繋がるという関連性、医術解釈美術介在における、処置前の「観察眼における美術健康学的事前の事前処置と営淙涓宗廚皺椎修隼廚錣譴襦」  大腿四頭筋、腹直筋、外腹斜筋、腸内転筋、大胸筋、広背筋、三角筋、上腕三頭筋、上腕二頭筋、胸鎖乳突筋、僧帽筋、 外反母趾内転筋、外反母趾外転筋、筋肉の作動、心臓、膵臓、脾臓、肝臓、腎臓、大腸、小腸、総ての内臓の相互理解、心臓がポンプであり、毛細血管に血を流し体内の連動のエネルギーと化し、血を循環、取り替える。血液には成分が内在し、体の傷を治し、病魔を克服する力が存在する。その体内含有量によっても、体表も違い、描かれる人間の色自体が変化する。意味。肝心なのは、意味であり、その意味性を支えるのが、解剖学と医学の介在になる。   骨格においての問題や、恥骨、頭蓋骨、鎖骨、背骨、肋骨、指骨、手根骨、眼窩、背骨の数は12本存在するという事を知りえているのとそうでないのでは違うとか、体のどこの部分をどこの骨が支えているかという自覚に基づいて本人同士が生き、その事から来る悩みを共有しあう事の重要性。  体内理解によって、自身の体に対する理解を持つと同時に、自己自覚によって、自身を思う様生き生きと動かすことができる。  自己理解にも、他者理解にも繋がりうる。人間が、人間の可能性を最大限に生かし、具体的に自身を変える事さえできる。高度な才能が成すとてもとても抽象的な心と体の悩みさえも、体の具体的な悩みとして還元できる。
例)気韻生動と、心理学selfdynamizm(セルフダイナミズム)について
 「中国六画法は主格「気韻生動」(生き生きと動く、気韻、気迫を感じる絵を描く、美術の行いとしての動きを取る)という言葉がある。これがひいては心理学用語selfdynamizm(自己律動)(自身の体を生き生きと、体調管理という自己規律を持って動く)という、心理健康的動きを示唆する事と同じくするのではないかという事。気と韻律を感じる神秘性、生動という、生き生きとした動きとダイナミックさ、そして、生体の生き生きとした動きの事をも示唆するという意義を、気韻生動を、selfdynamizmと並べ比較し、同義点を見出す事で拡張させてみました。自己の生活を生体学的側面から見て円満にしつつも、その神秘性と生動(生き生きとした生活、美術としての躍動)たるや、才気あふれる。これが本物の気韻生動であるという感想です。改めて、その深みを感じてしまいました。」
   このように、美術解剖学には、美術家や美術家が描く対象の生活を円満たらしむ学識可能性も特化価値として存在します。描くにおいては画家に健康的知識を与え、鑑賞者にも人間生活の規範たる象徴を影響として与え、動くにおいては自己の管理や、生活の円満、心の隅々を知りえ、自由に立ち回る事を救う学術ににもなるという深みも存在します。 人類史において絵画が先か、文字が先か、という議論が良くされますが、無論絵画が先といえます。文字と言うのは契約の思想によって結ばれなければなりません。そうでなくては意味がなく、言葉は不信感をただよわせる情報の断片になってしまいます。一つの文字を少なくとも一つの社会で同じ意味をもつ了解される事の前提が必要になります。  アルタミラの洞窟壁画のビゾンの絵が以前として何の為に描かれたのかは分からないのだけれども、その美しい姿で人々の目をひきつけたのです。これまでは獲物として、それも捕らえたいという願望から描かれたという説明がなされていたのですが、その恐らくは勇猛な姿に人々が感銘を受けたから描かれていたのでしょう。しかし洞窟でもそのような美しいものだけではありません。  絵画として描かれたからといって、絵画として、つまり芸術として認められるわけではありません。「絵画」となる為にはそこに芸術価値があると人々が認定される必要があります。近代となって、美術館が出来る。そしてそこにある多くの絵画の中で、秀逸なる価値を持っているから展示しようとするわけです。そうした選択がある絵画が芸術となって認められたといって良いでしょう。  しかしこれは、近代に限った事ではありません。中国五世紀には「画の六法」という倫理に基づき、絵画批評の指針が生まれました。その価値観は現代においても主格と言えます。
中国画の六法最重要項「気韻生動」と、医学重要項「self dynamizm」の類似点について

 黄金率が何にも当てはまらない美しい分割割合であるのと同じくして、他のどんな術儀や基本的心得にも説明がつかないのがこの[気韻生動]。この二つは、

     [律の最頂点]
     [六画の最頂点]
 として、主要を成す2大極点です。この二つを兼ね備えたものは、美術に愛されているといって過言ではありません。
 そして、ここで着目したのが、心理学術『self dynamizm』です。『自己力動』自己を律し、ダイナミックに動かすという、『健康的かつダイナミックに律動す』という意義の言語です。
 「気韻もち、生き生きと動く」という気韻生動と、「セルフコントロールする力を持ち、健康的にダイナミックに動くボディコントロール」をする」selfdynamizmが、とても相似関係として類似した2極点であると感じます。同時に、お互い個性ある極点を担っていると感じます。  この二つの類似については、あらゆる角度で検討される価値があると思われます。

絵画技術には様々な用法、筆運び、技術が存在し、バリエーションに富む。
impasto(インパスト)   上層厚塗り imprimatula(インプリマトゥーラ)有色下地 esquisee(エスキース)   構想下絵 camaieu(カマイュ)    有色下地上単色画 ebouche(エボッシュ)   薄塗り下絵 glasis (グラッシ)    薄塗り重層画 scumbling(スカンブリング) 上層仕上げ平塗り(技術) veratula(ベラトゥ−ラ)  上層仕上げ平塗り (表現) alla prima (アラ プリマ)直接描き

1esquisee(エスキース)   下絵を構想

2ebouche (エボッシュ)   構想した下絵に基づき、薄塗りで下絵を描く

3glasis (グラッシ)    薄塗りで、下絵を少しずつ立ち上げていく。

4scumbling(スカンブリング)平塗りで、大きな面とその階調、色調を少しづつ立ち上げる velatula (ベラトゥーラ) 時に、その平塗りのタッチに表現を求む。

5おつゆ描き~細密描写    細部を厳密に立ち上げたり、油分の多い薄塗で、細部表現を行ったりもする。  この行程の中で、どんな途中と完成を求むかは自由になる。しかし、基本的に大事なのは、「徹底」。唐突に、経験の満たないアラプリマとか抽象(中傷画)画に逃げず、技術による、段階的な再現につとむ事が基本。
 等、沢山の技術に支えられて、油彩の技術的向上は望める。道具の機能も、この技術達との関連を鑑みると、使用方法を実感として掴む事が出来る。実のある指導者達は、これらが実に染み、これらに基づいた技術指導をするが故、多少しか絵を描いた事のない相手にさえ、実感を与え、向上させる事ができる。

下絵構想技術について(esquisee)
 下絵構想能力とは、思いのほか難しく、手記、補記的な問題や、描くことのほかに、次に展開したときに対する能力として「図る」(geometry)、「記述する」(graphein)という能力が存在します。その能力とは、次の行程に対する可能性を広げる意味としてのクロッキーを構想する構想構成能力(einbuildungskraft)が良く生かされます。可能性を広げる構想と、そこに完成度を求める為の図る、描き込む、前後感を持たす、という行為をつくる。絵画を描き、人を癒す心においては、(buildlesthureibung)形象記述能力も大事になってくるという事です。  例え形象そのものでなくっても構図において位置関係の少しのズレとか、描き込みの差異によっても意味性はとても違ってくる。写実、模写においても、形象意識のあるエスキースを描く事が重要になる。  エスキースは、∞である。技術と料金の関係性の重圧を感じずに想像を羽ばたかす事ができる。たとえ本人の作風がそれを実行するに至らなくても、その技術を持つ人間がその構想における絵画を制作に至るから。
 ※シニフィアンワード(勘違いするなかれ!!)  だからと言って、他人に想像力豊かなエスキースを描かせ、嘘を吹いて死なせ、遠まわしにクロッキーを手渡して良いわけでは全然無い。傾聴せよ。悪用をするなかれという事を。美しき心の行いと描いて美術という事を。                                                  梅田 聡一郎 隋類賦彩〜随類賦彩論 梅田 聡一郎  随類賦彩(スイレイフウタイ)とは、彩し続ける事の重要性と、そこから精髄、真髄を技術とともに見出す努力の事をさす。  技術的な卓越をさらに水彩技術をもって一段階上の表象に持ち上げる効果もある。=塑形したモデリングの上から随類賦彩。(応物賦彩論)  技術同士の複雑な混同でなく、一つの技術体系の上からもう一つ技術を置く。という事。パソコンの世界ではペーストしたら下の図像は隠れますが、上の図像と下の図像を描写技術によってかみ合わせる事ができるのが、絵画の世界です。  これは、(protraho)=引き出す、露にする、物の形を引き出す、露にする技術と似ている。起こした実際の形を随類賦彩によって更に上の段階に引き上げる。
 彩する、という思想が、更に心の安心を異文化に与える。真の伝統は、前衛技術とかけ合わせても、実はなんら遜色が無いのだなあ、と感心した。
zeigen=(形象学) 梅田 聡一郎  (noema)=構成に関した応物象形のテクスチャー(塑形)を空間上に配置してゆく。塑形物同士を、構造体として組み合わせる。さらにそれを描く。塑形に描写、描写に構成を重ねる。そして最後には丁寧な仕上げによって空間表現が正誤性をもって成立する。  彩度、明確な世界と逸脱、(noema)に拘らず、複雑な(difficulty)世界を適切なhow to draw (描写方法)によって表現してゆく。ラディカルであり、宗教的に成り過ぎず、科学的又技術的裏打ちがある。世界観は芸術であり、そこにリアリティーを持たせるのは現実的技術になる。  理解に理解を重ねた技術の積層と、明確に空間を表現するリアリティー。生体学(somatology)に通じた芸術世界と、明確な世界の安心感と安閑を創りあげる。    (芸術的形象)と、(応物描写)。そして、(科学希釈)。しかし、それさえも部分に過ぎない。(応物)=インウーという言葉の意味は、(物に応える)、(物を応用する)、(物質の可能性を引き出す)という希釈から生まれる。一見してそのもの単体が役に立たなくっても、その物体を構成物として一つの輝ける象徴を形成描写する 世界観と数字に裏づけられた図像学による形象黄金率をつくる。そして、双曲線空間と、3次元空間、二次元空間を同時保有する状態を、黄金率交差線を同時保有した立体物で空間を構成、空間内の物質を、現実に在り得ないつくりで描き、人物を生体学(somatology),美術解剖学(artistic anatomy),に基づいた上での象徴性保有人物画を描き、配置する。その上で、全体が、慈祖。恐怖でなく、真実を含有した慈愛。象徴形成物体として、高らかに屹立する事。静謐で残酷な細密絵画と同等のリアリティーを保有しつつも、主象形としてある物質と世界が、慈祖構成物体である事。
     「総ての学術が極点まで保有された、
      祖形象徴である事。」


 線形象が織成す線織面、構図の骨組みにしろ、そのままにしろ、両方において使えるまでの形象状態と知る。  線織面形象骨組みとしれlinerformung人体芸術骨格の象徴である。機能を超えて美しい。技術を孕んでなお遊び心。thinking strength思考の海の中に、皆好きな形を持つ。 形象面遠近法を、正逆遠近法操作∞遠近法に整える、合わせて、総体的に混合すると、 単純な平面構成だけで象徴を形作る事が可能になってくる。  要は、マチエールのバリエーショナルと、その描き込みの際のリアリズムのみで、様々な技術を用いる。と、いう事は、小細工も必要ないのだ。  前進色、後退色のバランスを調和させ、平面立体を平塗りによって仕上げる平面構成を、天麩羅で揚げたようなモチーフ構成になる。モデリング塑形によって確かなマチエールを下塗りの時点で制作し、上書きによってさらにリアリティーを増す。  完成度を意識する。モデリングを散漫にしない。と、様々な点に配慮をすべきだが、基本は、確かな線遠近法を用いる事。 要素
1)形  塑形(モデリング)  絵肌(マチエール)  応物象形(インウーシャンシン)  祖形  zeigen(形象)  noema(象徴構成)  noesis(象徴構成体)
2)  色  mat  落ち着いた
pale  のっぺりとした
dark  暗い
graysh 薄暗い
blight 明るい
vipid  派手、蛍光色
3)線  liner perspective (線遠近法)  geometry (幾何学)  iconography(図像学)  1〜5点遠近法
six point hypervolacrossliner perspective (6点双曲線交差遠近法)

基本要素
1)形  塑形(モデリング)  絵肌(マチエール)  応物象形(インウーシャンシン)  祖形  zeigen(形象)  noema(象徴構成)  noesis(象徴構成体)
2)  色  mat  落ち着いた
pale  のっぺりとした
dark  暗い
graysh 薄暗い
blight 明るい
vipid  派手、蛍光色
3)線  liner perspective (線遠近法)  geometry (幾何学)  iconography(図像学)  1〜5点遠近法
美術解剖学
美術解剖学とは、美術家の為の解剖学を意味します。 (how to draw )  描画方法  人体を描く知識 (surface anatomy) 体表解剖学 (somatorogy)    生体学 解剖学図を描く。
@どの様な仕組みをしているか。内部構造と形態、骨格、関節、筋肉、腱。 例)上腕二頭筋   上腕三頭筋   三角筋   外反母趾内転筋   外反母趾外転筋   広背筋   脊柱起立筋   大腿四頭筋   (内側広筋)   (中間広筋)   (外側広筋)   (大腿直筋)
   腹直筋    外腹斜筋    大胸筋    双子筋 顔部 眼輪筋    鼻根筋    上唇挙筋    口角下制筋    下唇下制筋    前頭筋    側頭筋                   etc..... 骨と皮、骨格、筋肉、脂質、皮質。これらの変化の位置によって人間の個性を描き出す。  骨格、関節、筋肉、皮膚、脂質の成り立ちを、見かけで追わず、法則性の集合体として把握する。
A生体の内部構造と外貌の関係
 人体表面に現れた起伏、窪みの把握。骨格の凹凸や人体の動きが、実際の体表に外貌としてどう関わるのか。手の力の入り様や、皮膚の表層の関係。皮膚の中身の筋肉や骨格、内臓の中身の部分が変化したとき、表面にでる具体的連鎖反応も把握し、描く。
B形態と機構、機能の把握  人体のある空間、空間の中にある人体同士の比例関係、geometry(幾何学)、iconography(図像学)的要素を、liner perspectiveを用いて描かれた空間に位置する人間の身体寸法の正確な把握。又、年齢、性別等の人間の老い、性差から来る身体的特徴も関係する。
C運動による形の変化  動きによって生じる生体の変化の観察。動勢=movemanにも通じる人体の動きを表すかの様にして、筆勢を持って描いたりもする。動きに連動した体の表情の変化や、動き自体の表現、それによる内臓の状況変化をも理解し、描ききる。 D形態として現れ、又現れる可能性のある特性  毛髪、皺、色調、血管や発汗作用を表現する。毛穴から汗を吹き、血圧の高低によって血管もその太さを変える。赤色筋肉と青色筋肉で運動に対する働きも異なる。発汗作用もあり、内臓の動き一つ一つの行動における状態を表し、描写に移行する事が大事になる。「アル一つの身体的状況」の把握〜絵画技術を持って支持面に移行する。(伝移模写。)
E造形された人体像と生体の関係  生きている体を塑形するにおいての造形物と生体の相関関係。生きた人間の生体と、造形としての人間の差異をどの様にして埋め、その上で与えられた媒質を応用し、生命感ある表現として近しめるか。
F生体の美性、美格  美の形状に対する研究。同じく塑形術としての「形」 と、生体の在りようの美しき「形」の二つを連ね合わせる事。「form」 と、「modering」 の関係。その二つの関連性を「感受性の上の同義」 として近しめる。そこへ、完成度、描写、的側面を思考に置く。
1) 人種、性別、年齢の視覚的特長 2) 喘湶としての生体と、塑形物としての作品の比較


美術解剖学Artistic anatomyは美術家のための生体学であるということができる。生体学は解剖学を基礎に置いて、体表から生きている人の形や構造を研究する学問で、体表解剖学などとも呼ばれている。この講義では体表の構造(皮膚、毛、爪、乳房など)をはじめ、体表から観察される骨格、筋、頭部の感覚器(目、耳、鼻、口など)、体表の血管や神経などについて分かりやすく講義し、造形活動に必要な人体に関する基本的な知識を身につけて貰うことをねらいにしている。したがって、人体に関する講義とともに、実際に表現された造形作品について、その表現法などを美術解剖学的な立場から分析することも行う。 美術解剖学 (Artistic anatomy) の概念の発祥は、人体の内部構造と外形との関係を解剖を通して考察し、その観察から得た成果を彫刻、絵画などの造形美術に生かした、16世紀のヨーロッパルネサンスにまで遡ります。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロらが、自身の解剖経験やそこから得た知識を、人物像や騎馬像を造形する基礎としていたことはよく知られています。その後、美術家のための解剖学は、美術に携わる人々にとっての必須の科目、藝用解剖学 (Anatomy for Artists) として美術学校などで教授されるようになりました。
 我が国における美術解剖学の教育・研究は、明治22年(1889)森鴎外による東京美術学校の講義に始まります。昭和38年(1963)東京芸術大学美術研究科美術解剖学研究領域の設置によって美術での教育・研究の一分野として位置づけられ、現在に至っています。  人体をよく見る、よく観察することによって、解剖から得られた知識に匹敵するような優れた洞察眼をもつに至った天才もいました。しかし多くの場合、人体を描くときに外から見えるかたちを闇雲になぞっていても、生き生きとした躍動感ある表現に繋がらず、もどかしいと感じることはよくあることでしょう。骨格や筋、皮膚や皮下組織など内部構造と外形との関係がわかることによって、対象をつかむ眼差しは一層深くなります。
 今日の美術解剖学は、このような骨格、筋の運動機構を中心とした内部構造と外形との関係、動きにともなうかたちの変化、比較解剖学、発生学からのかたちの由来を学ぶ芸用解剖学を教育的側面としてもっています。同時に、研究分野としての広がりが加わりました。芸術表現として人のすがたがもつ美しさや、生物のかたちがもつ意味を考察すること、人体とかかわるものの関係を研究する応用解剖学的研究もあります。人間、そして人体に関わる関連諸学との有機的な関わりの中で、美術解剖学の研究範囲は広範なものとなっています。  今日の美術解剖学は、かつて藝用解剖学と言われていた、造形のための解剖学であることに加えて、これらの研究を通して人間と美術とのかかわりを考える幅広い視野を有する分野へと発展しています。
芸術用語 how to draw = 描画方法 theory of art = 絵画理論 zeigen=形象 noema=象徴構成  noesis=象徴構成体
学術 kunst = 芸術 kunstwissenchaft = 芸術学 allgermanikunstwissenchaft = 一般芸術学 kunstverhalten = 芸術態度 geometry = 幾何学 somatology = 生体学 surface anatomy = 体表解剖学 iconography = 図像学 技術と道具(tecnique and tool)
スパッタリング         スパッターブラシと網を用いた絵の具の飛沫を粉のように飛ばす技術。 マスキング           マスキングテープを使った、アウトラインや、切り抜き面をカバーする技術。塗布後保護紙を剥がす。そして、そのカバーリングの技術を応用して、様々な効果を生む。 ステンシル           マスキングと併用し、支持面の一部を意図的にカバーする技術。塑形物には使用不可。 ドリッピング           筆先の絵の具を支持面に振り落としたり、支持面に向かって振り払う。面相による細書きや、積層技術、グラデーションで色相を分け、ドリッピングで積層させた後、描きこんだり、ステンシルで囲って「ドリップ面」を用いたりしたら、とても動勢を持つ。単体で漠然と使っても、何の役にも立たない。
マーブリング          ガッシュの水紋を紙に写す技術。実は、余り「絵画という絵画」には答えてくれない。色によって模様にも様々なものを連想させる。 ハッチング           支持面を引っかく行為。あらかじめ下地を積層固着させておいて、下地をハッチによって表出させるのも手。 クロスハッチング       ハッチングを異色にして交錯させ、色彩を鮮やかにする方法。この技術で描かれた絵画は、寓話的でかつ虹のように鮮やかになる。 ブラシストローク        刷毛や平筆の跡を支持面に思い切り振り残す技術。残った形は動勢(ムーブマン)をとても主張する。 ドライブラッシュストローク 水分を含ませない、擦れた絵の具の筆跡を残す。細かな調整を行える。塑形したマチエールを表出させるにはもってこいの技術になる。マット質と噛み合う。 モデリング          マチエールを意図的に塑形する術。自身の好みの形に、マチエールをコントロールする。 マチエール          絵の具を、自分に対して自然な感覚で盛り込む。モデリングのように操作をしない。                 アクションペインティング あらゆる画材を用いて、動勢を限りなく表現する技術。媒質に拘らず、支持面に勢いをぶつける技術を介在させるのが難しい画法。 ポワリング          絵の具を「垂らす」 技術。ドリッピングは「振り当てる」技術。正確性を重視した絵画には向かない。
この技術体系には、先人が生んだ、大した意義の無いものもある。しかし、それに研鑽を加え、意義をかさねる事に研究生の喚起点が存在する。  さらには応用的な混合解釈による技術もある。  単量ひとつにしても公式でその差異を表示され、分別されています。なので、公式がひとつでも異なるもの同士の混色はポリマー(重合体)といえます。  グロスポリマー等、製品の時点で重合体の媒質も存在します。 道具
刷毛 筆      (大小号数) フラット   (平) フィルバート(平突) ラウンド   (丸) ファン    (扇) 面相 ローラー ナイフ 鉄ベラ マスキングテープ スパッターブラシ スクレープナイフ このほかにも、支持面に向かう時の気持ちが作用する方法に成ります。
検討しよう。きっと無検討を凌ぐ。 研鑽せよ支持面の中。模索しよう。身につけた技術をあっという間に惰性に変えて、次の技術を当然のように習得し。 伝えたい事を要約してしまうな。トランスする。そして、緻密に扱う。 今そこにある物質に無駄なく応じる。 媒質を触っているからといって、絵を描いているわけではない。両手を膝に置き、どうするか思索する事も描いていると言える。 技術を持つ事、知識を持つ事に衒いを感じるな。意味が無い。 感性も、技術も大事にしろ。その天秤が調和良くあって初めて作品は輝く。 習わぬ教を読み、教も習え。 習い、かつ慣れろ。 拘れ。凄く瑣末な支持面の端にも。それが緻密という事。 芸術であり、科学であり、公式であり、具体的検討や、予定であれ。 混色以外は措かない。厳密に言うと、自分の望みではないはず。 下地の時点でもう、3段階、4段階の予定を組んでおく。
媒質、技術、道具、歴史、運動との関連性、社会の流れの中でのイズムの発生、画材の発明理由。その他を暗記し、研究に至ったら今度は自己の絵画の風合いと自身との誓い。そこにウエイトを置く。  その後は研鑚に身を任すなら画家。作家。文章に秀でれば小説家。筆に秀でれば画家。応用に秀でれば個性を伸ばす。根を詰めたくば基本を煮詰める。学術、学識と、出来上がった媒質の組み合わせ方や展示、技術よりも目につく個性が際立てば現代美術、黄金率で構図を構成し、技術の組み合わせに長け、「3つ以上の技術の構成をひとつの画面空間に入れれる」や、「手や体の各部位を総て美術解剖学として熟知、
         そして、それを一つとして悪用しない自己決心。
 それができたら良いなあ、と思う。 アクリルガッシュがアクリル酸とメタリクル酸から生成されていて、公共建築用に発明された強固な絵の具であり、速乾性で一度乾くと一切の科学変化を受け付けないというのが基本である事は心に留めています。という事実から割り出せるガッシュの根本的使用方法は、「積層して出来る技法の活用」にあると感じました。どうしてかというと、透き通った感じが欲しいのなら、透明水彩のほうがレベルの高い媒質と感じます。と、いう事は、速乾性不透明水彩は重ね塗りのできる媒質性を生かした、積層をするのが一番の根本と感じました。積層された地塗りのう上にできる、透明な質は、また違う感触を醸すはず。重合体=テクスチャー等に扱うこの地塗り剤も、アクリルのこうした性質に救われている一面があります。こういう絵の具の感覚が逐次重要で、一見まぐれのような技術にも、実は媒質の特性をいかんなく生かした計算が見られます。
 絵画や塗料において、顔料を固着させる性質を含有するもの、すなわち絵の具を練るのに用いるメディウムの類、油脂、樹脂、ろう、各種のたんぱく質など総てこの章に含まれる。  接着剤は画用に用いるものに限られ、一般的なものは含まれない。 油彩のうち揮発性油に分類されるものは希釈剤、溶剤という括りで説明される。  ちなみに、DUO=デュオというメーカーから、アクリルとの混彩可能な油彩が含まれている。
研究は、「環境の良さ」「周囲の学識の高さ」に引っ張られる処もあります。なので、良質な勉強には良質な環境が重要だと思います。美術をやる人、そうでない人に関わらず、良くも悪くも【朱に交われば赤くなる】というのがあるので、良い環境に足を運ばせてもらい、最大限気を使い、その場で長く勉強するが1番の幸いだと感じます。  僕もそうしてこの勉強量を手にしました。自分ではなんもやっとらんです。
色面の少ない平面構成は性格上、配色が一番の見せ場です。そういう観点からこうやって配色を研究してみました。進行中です。 アクリルガッシュ=合成樹脂で顔料を結合する樹脂の事 アクリルガッシュの発達理由=公共建築の壁面に描くに足る、長持ちする強固な画材需要 具体的な要求=速乾性、安定性質の絵の具 アクリルガッシュの最初の活躍の場=工業分野 ポリマー=重合体 「PVA」=ポリビニールアセテート 成型プラスティック=飛行機や列車のガラスの代用 アクリルガッシュ=アクリル酸+メタリクル酸
(アクリルガッシュの特質)  水溶性であるが、一旦乾くと一切の科学変化が起こらない  塗り潰した支持面に更に絵の具を加える事ができる  科学構造によって完全蒸発できるような多孔質の膜が形成される  酸化や還元にも強い。 Acrylic rezins アクリル樹脂 Synthetic resins  合成樹脂 Vinyl rezins    ビニル樹脂  Amber       琥珀 Albmen       アルブミン アクリル酸+メタリクル酸+メチルメタアクリレート=アクリルガッシュ アクリル酸  CH²=CH:COOH メタリクル酸 CH:C(CH³)COOH メチルメタアクリレート 沸点100.3℃
 ムーブマン(動勢・運動・連動) 一場面しかピックアップできない事に対し、表現したい動きはとても難解。という場合、方向線、ストロークの方向等がとても印象や、動きの説明に一役買う。正中線とそのブレ、ルートを描きつける事によって、自動的に人間の想像力を喚起したり、知覚してもらえる事もできます。  回旋運動、伸縮緊張、弛緩、筋肉、骨格、体表解剖学の体表、等の知識があれば、骨や肉の方向線の位置が理解できます。 マッス=塊、量塊。         マス・コミュニケーション=大衆。(コミュニケーションを取る集団という塊)多量の纏まった物体の集まりを示すのがこの語「マッス」です。マッスとは、画面の中の相当量の光・色・影の集まりを意味します。群衆や森の集合、総体をマッスとも言います。「集まり」の感覚を総体的に指すのがマッスです。  よく用いられるのが、「群衆」という一人一人の集合を、一つの塊として描くのが「マッスとして捉える」という事だと思います。木を一つ一つ描くのでなく、その集合体が、直方体を描いていた時、それを直方体として解釈し、描くのが「マッス」という概念です。集まりを集まりとして要領良く捉え、集合として整理して描く、事がマッスのポイントだと感じます。  彫刻においては、素材がもう、「色んなモチーフを、一種の媒質、粘土、石膏で再現する」というマッス行為がなされています。  もう一つ、光の束、陰影、同色のまとまりにもマッスという括りが使われます。 「描き手が上手に行う画面の量塊整理・ないしは総体視整理」という広い意味でもマッスは用いられています。今日画面にマッスを形成しようとする作品は、様々な所で見られます。  応物用筆=物質の特性をいかんなく発揮した筆運び(要するに、マチエールと描写をいかに噛み合わせるかのstruglleに対して骨法用筆的に筆運びの研鑽を練る。)
moveman(動勢)や、masse(量塊)を持ち、スキアグラフィアやカリカチュアなどの正式画調を用いた絵画。技術を遠近法に重ねて用い、内包する空間も意識する。  動勢や空間、量塊、陰影に目が届き、それらを総合的に一つの支持面にうまく複合する事。
 「美的判断」
 美的判断とは、いわく言いがたき物ごとを判断する、特殊能力にあります。しかし、比喩的、「look like 」的学芸論には実は趣味性が高い。発祥から詳細まで語るプロには、(何々に見える)なんて理屈は通用しない。  魅せる側に付きまとう責任も、重大なのだろうと感じた。 芸術には日常を逸脱した天才の集団が集う、恐ろしき趣味性の高い会合という印象が付きまとう。実態はそうでもない。芸術学には、たしかな教養がある。何となくで描き続ける事と一線を画すのがそのkunst=芸術の事であり、そのkunst(芸術)の中にも沢山の種類が存在する。
 All germani kunstwissenchaft (一般芸術学)  Kunstwissenchaft (芸術学)  Kunstverhalten (芸術態度)    等、芸術学の中においても、態度教育や一般汎用性の高いものに振り分けられる。芸術学は人間の日常的な態度にまで良い影響を及ぼす。人間の欠点をカバーする教育手段にもなり、術性の高くなった昨今の人間の空虚を癒す、思いやりある手段にもなりうる。技術は描き手を未知の手段に飲み込む空虚な罠にもなる。よって、手段においては技術を伸ばし、健康学的観念においては人間の健康性や、ありよう、在り方を説明付けるものとして存在する。美術には美術解剖学という分野が存在し、それに関わるには、自分や他人の体を詳しく熟知し、生態系、生命体としての人間を中身から熟知する必要がある。  体の動きを追う動勢も、筋肉の成り立ちと、実際動く時、筋肉が縮む事によって手先を胸元に引き上げ、隆起と怒張によって作用を増し、収縮によって物体を引き、双子筋が走る手助けをする。肺呼吸で人間は動き、心臓は絶えず血を新しい血液に循環させる。その連動をしる事によって、人間は初めてそのlner perspective (線遠近法空間)の中を動き回る。人間は剤渓渫ではない。確かな連動によって動き回る、理性ある生命体なのだ。その事を知ることが、kunst(芸術学)を伸ばす、倍加させるきっかけとなる。
Kunst ( 芸術 ) ×somatology ( 生体学 ) × 美術解剖学=kunstwissenchaft  ( 芸術学 )    の図式を感じる。芸術は基本論から生じる。その生かし方と、健康学的側面を応用する世界。何の技術も保有しなくっても、ある程度上手に見える絵。あれは、均一であるからになる。しかし、もう一つ違う側面からいくと、美術技能には、緻密な段取りがある。素材毎に枝分かれするものでもある。よって、聞きかじった噂の集合体には、説得力が無い。人間としての英知を段違いに上げつつ、さらに芸術としての高い知識と技術を併せ持つ。それが本当の芸術学である筈。懸命すぎつつ自身の技術による支持面の状態を疑う。
         「 Can you real struggle ?  」   の精神を感じました。それが同様に、精神としても安心を生み、正しき生活を促すかのような絵画技術を獲得します。  情けは人の為にある。技術は生活の円環を守る為にある。豊富な知識が技術に拍車を掛け、生活を治める柔和な知識にもなるのだなあ、と感心しました。  (応物3法)
 立体編  物の形(塑形する媒質の特色)を表現として順応しつつも応用し、象徴として塑形する。巷にある、物体の破れた形 、曲がった形を美しく取りまとめる、その形に対して、確かな意味合いを持たせて立体象徴と化す芸術作品。
 絵画編  モデリング(塑形したマチエール)=(絵具+モデリングペースト)を、下地剤の媒質種と描きたい物、支持面に求める状態に応じて行う。心ある配慮をするかの如く知恵ある塑形をし、象徴化する。 (地塗り剤の特色を把握し、確かな塑形術によって物質を象徴化する。かつその絵画には技術と思いやりがある。)
日常編  生活の中、そこにある物質を最も効果的に用いたり、判りやすく配列したりする。日常の心構えとしての自己実現の象徴化である。        
美術と心理学論文 美術には、いわんや人間を癒す効果がある。その役割が無くては、作品の意義は無いと言っても過言ではない。社会の恐ろしさや、戦争に対する反対意識がある作品をアンチテーゼする事は可能だが、作品がコミュニケーションの取れる媒体として存在する、あるいはメッセージを内包した状態のものでなくては、結局なんの他人に対して与えうる回復も無い。と、いう事は、メッセージの中にも、テクスチャー、あるいは絵画技術としての、「見る側への癒し」がエッセンスとして内包されていなければ、成立はしても、誰かの足を止めるような絵画としては、成り立っていない、という事は。結局作品の中には「干渉」以外の、理解力とか、心遣いというものを含ませる必要性がある。  セラピストの基本に「共感的理解」という必要事項が存在する。セラピストには、相手の立場にたつ必要が、相手とのコミュニケーションを取る上で出てくる、というものだ。 「充分に機能する人間」という解釈でもって相手を具体的に理解しようという側面と、同時に「そういった一連の不具合というのは、どういった理由から来ているのか」という心理的側面の、2方向から人間を治療する事が重要であるのと同様に、「社会的メッセージ、公的訴えとしての絵画」「心癒す媒体の塊と、その積層としての絵画」という両側、2方向から人間にイメージを投げかける事が絵画には重要であるといえる。 美術という活動は、特に心を使い、目や内臓の疲労を増やす。密閉された部屋で行う作業という事もあって、どうしてだか精神的にも疲労する。病院に通う人間や、錠剤を常用する人間がいたとしても何ら不思議は無い。  そういう芸術活動のストレスは、屋内作業にして『衣食住』総てに美しさや景観、彩り、人間の作業の円滑、生活の循環の浄化としてタッチする事の難易度。『思いやり』や、人間の誠意の形作りであるがゆえの心労や、心の中の悩みが日々募るが故に起こる『変な疲労』が、尽きないということです。通常の人間からすると凡そ訳の分からない理由で自殺したり、病院送りになったり、薬を常用する為、その関心事の中に入る人間の活動もなかなか分析しづらく、その人間の病理を未然に解決する事も、とても難しいと憶測します。  要は、「美術系は患者としてはとても厄介で、故に人一倍体調管理に気をつけて欲しい人種だ」という事である。人間のなかでも、退化しやすい、あるいは退化をいとわず活動をつづけるのが芸術家であり、体は当然弱い、という事である。 美術館での景観に着目してみよう。お気づきでないだろうか。美術館の中の人間。「少々太り気味」というだけで、かなりの大柄な人間に見える事。そう、美術系という人種は、僕も含めて、それだけ脆弱な人種なのである。 そういう意識の元活動して欲しい、という人間も、内外問わず沢山存在する筈だ。要は人生を歩んだ結果としての体格や、一個体としての蓄積が、美術家は脆弱になりやすいという事だ。  一方で、学生常設には事故が起こり易い。「大作品」の厄介さだ。大作は、ナイーブな扱いを要求する割に、相当な重量を伴うので、扱いを知りつつ取り扱う事が重要になる。 そして、実はもう一つの重要な観点がある。そういうナイーブな作品の取り扱い、実は「ためらってはいけないのだ。」 しても良いことの範疇を利用して、最大限の要領を用いるのが作品の秘訣である。それはとても感覚が難しく、要領よ美術との狭間に位置するのだ。    その活動の「混合疲労」は、とても体には辛いだろう。脳と肉体が両方疲れる、という事だから。そして、さらに新たな美術品にも精力を注がない事には始まらない。 まことに美術とは、疲労の連続なのである。しかも、動きは美的な為、なかなか表出しにくい分、当人たちが倍、気を使いあわないといけないという義務がある。  一方で、これは描き手の願望、『こう描きたい』とか、『ああいう風に描きこんでみたい』とか、そういう類の物である以上、やはり作品完成度で日本人を上回る人種は相変わらず存在しない。  あの石膏像や、ルネッサンス絵画といえども、積層と、重層感においては結局日本人の上を行く事などとても不可能である。日本人の気質でなければ、生み出す事が不可能な「思考的密度を組む絵画理論」で、できたインスタレーション絵画は、構図は精巧、かつダイナミックに仕上がっている。そういう日本の気質が、オリジナリティーを奪う行為にも繋がり易くはあるのだが、結局人間は「同じ物があれば、良質な方に興味を引かれる」というのが定石なのである。 アクリル絵の具は水で希釈できる合成樹脂(ポリアクリルエマルジョン)によって顔料を嫌ったものです。画材として合成化合物が育ったのが、壁画創作運動に伴う「対公共建築物対応壁画用画材」の需要で、 「強度」 「速乾」 「多数支持面固着」  等の需要の為に生まれました。たくさんの支持面、鉄、コンクリート、木、等有機物、無機物を問わず固着する上、全画材中最強度を誇るものでなくては、雨天にも対応する壁画は生まれなかったのです。支持面がフラットであり続ける限り、罅割れすら起こらないというのがその強み。面相による細かな描きこみも可能で、薄め液も水になるので健康も害さない。  こうしてアクリルガッシュは生まれ、その有能さから、絵画にも続いて応用されるようになりました。 アクリルガッシュと下地の関係は、作品の仕上がりを100パーセント左右するほどのものがあり、その下地剤一つ一つにも特徴が存在する。
ライトモデリングペースト  マチエール塑形術、「モデリング」に扱う素材。この応用で、立体に長けた人間を絵画に誘う事が出来る。通常の重量の物と、もう一つ軽質な物がある。その軽質さ故、多大なマチエールを造り、モデリングとして塑造しようとも、重量が軽質を保つ。要は支持面の重さを念頭に置かない創造が可能になるという事。この物質にはモデリングの上でとても助けられる筈。
セラミックスタッコ 粒状の樹脂が独特のテクスチャを出す。粘りが強く、固着しても、マットさと粒質感と、かつ品位も残す。 ナチュラルサンドもこれに似ている所がある 「制作意図」についての論文
美術を渇望する人間は、何を手に取ろうともなにか魅せる物を作ってしまう」というのを。  そうしたいという人間、真にそういう物を創造したいと考える人間に、媒質のハードルや技法の難解度はあまり問題ではないのだ。「その表現をするにおいての最大限のマテリアルの生かし方」が、最も重要であり、それを習うにしても、習わざるにしても、描かんと欲する人間はどうにかして、頭の中から引きずりだす。道具と道徳を思考するだけで、ある程度は解決付いてしまう。勿論そこからの教養というのが肝心なのだが、その地盤にそういう「思い」が根付いていないと、作品として「意味が分からない」のだと感じる。  道徳を筆を取る際感覚化させるだけでも、それが充分な「技法」足りうる。  絵の具を使う=無駄なき方法を知っている=少ない画材で良い物が沢山できる  絵の具を使う=道徳観念がある=無駄をしない考え方をする=上記に同じ結果  という様に、道徳観念が生み出す「思い」が、今そこに習わぬ知識を生み出す事があり、美術に携わる人間は、それが自分の手元から出てきた瞬間、それを残し、逃さずキャッチしなければいけない。そういう感覚を絶えず保有する事と、そういう「真新しさと品格の違った創造」を心が排出する精神性を保有している人間こそが天才であり、それ以外はただの全体の中の売名に過ぎない。そう、道徳性とは心の広い人間性にこそ微笑み、矮小で真新しいものにばかり走る人間には振り向かないのである。    本当の真新しさには理由とコンセプトがある。多くの人間に目を引いてもらいたい、戦争、社会、国、等の、確固たる理由や、「自分の絵を見ている間だけでも和んでいてもらいたい」とか「こういう表現、コンセプトで表現した事を皆に伝えたい」という『理由』に基づいて作られ、その結果、多くの人間の足を止めるような技術が必要になり、『真新しさ』が表出する。要は
     『本人の一番良い自我を、技法を乗せて放出する』  のだ。そこには、自分の引いた線、たまたま形として出来てしまった美しきストローク、筆跡のみに流されない、『本当に優れた心の持ち主』のみが到達できる『技法をちりばめてなお、爆発混在している自己表現』がある。僕は僕の絵も含めて、そういう絵を未だ目にした事が無い。 それは、その夢は、『左手で左手の肘を掻く』が如き夢である。そう、技術を一画面に纏め、一つの体系としてバランス良く表現することと、そういう『表現』という感情の曖昧さの混在の渇望は、矛盾点が多く、例えばクロッキーをいくつもかさねたとか、其れこそ面白い絵柄を作った、だれも知らない技法を生み出したとか、そういう物とは別である。『誰も知らない線の引き方が出来た』というのは、実は結構意味性に欠ける。例えば卵を投げてきれいに割れる手腕があったとして、『皆の役に立つ類では無い、意味性の希薄な趣味性の高い技』なのだ。本当に表現を渇望する人間は、適当にやっても何故かその表現したい事項が表出した絵になるのである。よって、美術をする人間の殆どが、その夢を抱いている。その夢の頂の高さにかかると、大作までもが失敗作と化す。僕は勿論出来ない。しかし、美術は技術でなく、美しきなにかの表出術であり、技法体系を美しくまとめるだけのものに終わるのも、僕自身としては寂しいような気がしてならないのである。  前述したように、制作の意図と、癒しのバランスが作品には欠かせないのだろう。リアリティーをどれだけ保有したものでも、結局それと等量の癒しとしての絵画技術を保有したものでなければ、絵画を体感する側としても、とても息苦しい。言い換えるならば、「制作意図の為のリアルな一側面」がそこにあるのであれば、相手は気持ち悪さを感受しないし、感知もしない。逆に、いかに可愛いものばかりを扱った絵画でも、その「制作意図の為の腹黒い算段」がそこにあるのであれば、相手はなぜかそこに気持ち悪さを感受する。そういうものである。 技術というのは、とても重要である。軽んじてはいけない、皆が苦心に苦悩を重ねて生んだ思考の断片を、客観的な視覚や考え、感覚、理論によって否定したり、また肯定したり、練り直したり、技術同士を比べて、新たに生み出されたものであるか、それとも既存の技法の変容、応用的なものであるか検討したりして一つ一つがとても自由な発想と、今日の技術的修練と完成度で生み出されている。その集積が技法である以上、技術を、単なるテクニックとして否定する事は、誰にも出来ない。美術に愛着があればあるほど、本当は「できない」のである。  ところで、6年から7年以上画面に着手した人間ならもう分かると思うが、技術には併用が可能である。ステンシルとストロークも、ステンシルの用紙の上から、筆跡(ストローク)をダイナミックにつけることができる。ステンシルの上からドリッピングすると、用紙をはがした時、用紙の切り抜いた部分にのみドリップの痕跡が残る。そのようにして、技術同士の混合が可能なこの一つ一つのぎじゅつは、とても上手く共存してる。ステンシルで直線を切り抜いて、ドリッピングを5〜6階調で行い、上から光の調節を行うようにして加筆を行うと、「ドリッピングの柱」が出来る。そのようにして、技術の併用によって出来る表現は、掛け算式に倍加する。この感覚さえ持っていれば、いかに描写力を有した状態でも、画面の真新しさを失う事は無い。「実力介在形前衛絵画」の出来上がりである。 今現在の常識の中の技術は、とても幅が出来たと感じる。しかし、肝心なのは使い手の方の心構えである。人間の、物知りげなプライドが自身の向上心に対するストッパーになることもあれば、社会における低俗な嫌がらせに屈し易い稚拙な作業をする人間のありようなどに、心を狂わされるであろう。修行僧ではないので、それが自然な事である。しかし、いくら人間が良いからといって、思いやりがあるといっても、それ全部自分の負債であるという事。なので、技術を研鑽する身になったからといって、その精神や心構えを決して変えてはいけない。そして、「ダイナミックさより密度を重視したい」とか、「知名度より節度を重視したい」のなら、まずそういう技術の習得に対して熱心でなくてはいけなく、指導者もそれを応援する義務があり、その責務から逃避した口の使い方をするのなら、心優しい人間からの、制裁を受けなければいけない。美術は、心根の綺麗な人間を、からかう為に生まれた技術ではない。ゆえに、今日も、誤った用法を呪詛的に用いた人間は、どんなに多勢であろうと、容赦なく罰せられるし、そういう正しさの方がまかり通るように出来ている。まことに不思議な感覚を覚えました。 制作意図という問題、観点もそう。制作の意図がとても深いものなら、一見単純なようでも、なぜか心の深い部分に響き、技術がいかに複雑で、さまざまな描きこみに基づいた技術形態であろうと、モナリザをぱくったような「間違った斬新さ」を持っていたら、人間は自然と素通りする。その証明のもっとも顕著な例が現代美術だといえる。おおよそ技法的な構成上の詰めや、制作上の完璧な予定、その他総てが曖昧であるものの、人間の心惹くテーマ性に満ちている。 美術という画面の応用性には、様々な悪用方法が存在する。それはいわんや、不明瞭な利用方法で、とても人間の隠れ蓑になりやすい。知識のある人間が利用して、知識の無い人間を騙しきるのだから、それは罰せられる筈が無い。よって芸術系には、逸脱した感じの人間がいる。一部の知識者によって、自覚を奪われているのだ。心を自動的にコントロールされるかのように。そういう人間の把握量の差を用いた、間抜けな失敗も美術にはあり、それは医学等がツケをもっている。現代社会に絵画が登場する事は、とっても考えにくい。なぜって今は、ビルディングのモニターの大画面が、壁画にとってかわり、そういうシステマティックな全体が、絵画という手間隙を、ぶち壊してしまったからである。そうして今、デザインという簡易で安易な物体が日常社会を占め、その量産性が格好の特異点を求める人間達を食い物にしているというわけだろうと感じる。  自分は、絵画を一生懸命に続けた人間である。その時脇目も降らなかった。学校を辞めたり、誤解されたり、陰口を叩かれても、まるで気にしなかった。歯が欠けても、肌がボロボロになっても、その筆を、訳のわからないダスターに持ち替えてでも、辞めなかった。その事が今日の僕にほんのチョットの身分をくれた。後は、皆が喜んでくれると嬉しい。それだけだ。人間の制作意図というのは、技術を超えて人間の意志を支配する。その意図へ向けて、心燃やし、体を裂いた人間には、必ず望みが敵う。その望みが、他人がより多く喜ぶタイプのものであるのなら、なおさらである。そして、制作意図が自身の作風に沿ったものであるのならば、作品はいつも8割方の成功を収める。一人の個性ある人間が、長く作品を制作する事に従事してゆくと、どのような人間にもアクや、個性が表出する。そしてその個性に沿った制作体系を、生み出すに至る。基本的な技術体系の上にその個性が綺麗に乗ったとき、その絵画の個性はゴールインする。そう、制作意図と技術は、本当はとっても仲良しなのだ。「制作意図=個性」「個性があるから、技術を介在させるのが面倒くさい」という心理状態に陥り易い、集中制作においては、結局そういう人間の感性が完成度に対する障害と化す、という事実がある。しかし、誠に良いものが作りたい、自身の個性の先の、一番良い表現状態が見たいと感じた場合、技術のハードルというのは、そういう願望が在る人間にとっては実は「そんなに高くない」。大きくその体を使い、絵画をする大人として解釈するならば、決して困難でない。それに気付いている人間は技術を吸収する。それが総てでないのだから、技術の習得はとっても簡単な筈だ。技術は媒質である。技術は用法である。その用法の真新しさが、新しい自身を引き出す事も沢山あるはずだ。で、あるのならば、技術の幅が広ければ、制作の意図の深みも増すというものだ。長年一つの物事に従事した人間には、その内実の研鑽方法について、知る義務がある。それが制作意図に一層の深遠広大さを与える事は、言うまでもない。  このようにして、技術と制作の意図がどれだけ重要な接点を有しているかは分かるでしょうが、ここからさらに分解し、かつ分かり易く克明に制作意図と技術の関連性について触れてみたいと思う。  例えば在る一色、「ベージュ」によって得た感覚からイメージを膨らませて絵を描いたとしよう。その一色によって生み出せるイメージの幅と、更にもう一色、「ベージュの補色」を絡ませて描ける絵のイメージの幅では、どうしても、その「もう一色」を知っている、及び用いる事が出来る人間の絵画の方に完成度が出来るのが、当然の結果である。色数が総てでは無い。シンプルな方に注目が集まり、その魅力はシンプルである事で成立している絵画も当然沢山ある。しかし、この場合で言う所の感覚点とは、「製作意図の深みの差異」を表す。日本的な一面を内包した高名な現代絵画においては、一色の色彩だけが主立っている事は先ず皆無である。人間が魅力を感じるのは、その苦悩と正しき研鑽の集積である。結局、「癒し」というレベルを超えた解釈の感覚になると、そういう「研鑽の集積」が価値基準と化し、その中で人間はもっとも複雑にして深遠なイメージを両有するものを選出する。よって、絵画の制作意図に深みを与えたいのならば、当然制作の複雑化が必要不可欠になってくる。その技術の集大成に一つ一つの技術を付加し、その付加に自身のイメージを引っ張られてゆく事も、重要な研鑽のポイントになる。               そう、制作意図自体も成長するのである。
美術には、いわんや人間を癒す効果がある。その役割が無くては、作品の意義は無いと言っても過言ではない。社会の恐ろしさや、戦争に対する反対意識がある作品をアンチテーゼする事は可能だが、作品がコミュニケーションの取れる媒体として存在する、あるいはメッセージを内包した状態のものでなくては、結局なんの他人に対して与えうる回復も無い。と、いう事は、メッセージの中にも、テクスチャー、あるいは絵画技術としての、「見る側への癒し」がエッセンスとして内包されていなければ、成立はしても、誰かの足を止めるような絵画としては、成り立っていない、という事は。結局作品の中には「干渉」以外の、理解力とか、心遣いというものを含ませる必要性がある。  セラピストの基本に「共感的理解」という必要事項が存在する。セラピストには、相手の立場にたつ必要が、相手とのコミュニケーションを取る上で出てくる、というものだ。 「充分に機能する人間」という解釈でもって相手を具体的に理解しようという側面と、同時に「そういった一連の不具合というのは、どういった理由から来ているのか」という心理的側面の、2方向から人間を治療する事が重要であるのと同様に、「社会的メッセージ、公的訴えとしての絵画」「心癒す媒体の塊と、その積層としての絵画」という両側、2方向から人間にイメージを投げかける事が絵画には重要であるといえる。 美術という活動は、特に心を使い、目や内臓の疲労を増やす。密閉された部屋で行う作業という事もあって、どうしてだか精神的にも疲労する。病院に通う人間や、錠剤を常用する人間がいたとしても何ら不思議は無い。  そういう芸術活動のストレスは、屋内作業にして『衣食住』総てに美しさや景観、彩り、人間の作業の円滑、生活の循環の浄化としてタッチする事の難易度。『思いやり』や、人間の誠意の形作りであるがゆえの心労や、心の中の悩みが日々募るが故に起こる『変な疲労』が、尽きないということです。通常の人間からすると凡そ訳の分からない理由で自殺したり、病院送りになったり、薬を常用する為、その関心事の中に入る人間の活動もなかなか分析しづらく、その人間の病理を未然に解決する事も、とても難しいと憶測します。  要は、「美術系は患者としてはとても厄介で、故に人一倍体調管理に気をつけて欲しい人種だ」という事である。人間のなかでも、退化しやすい、あるいは退化をいとわず活動をつづけるのが芸術家であり、体は当然弱い、という事である。 美術館での景観に着目してみよう。お気づきでないだろうか。美術館の中の人間。「少々太り気味」というだけで、かなりの大柄な人間に見える事。そう、美術系という人種は、僕も含めて、それだけ脆弱な人種なのである。 そういう意識の元活動して欲しい、という人間も、内外問わず沢山存在する筈だ。要は人生を歩んだ結果としての体格や、一個体としての蓄積が、美術家は脆弱になりやすいという事だ。  一方で、学生常設には事故が起こり易い。「大作品」の厄介さだ。大作は、ナイーブな扱いを要求する割に、相当な重量を伴うので、扱いを知りつつ取り扱う事が重要になる。 そして、実はもう一つの重要な観点がある。そういうナイーブな作品の取り扱い、実は「ためらってはいけないのだ。」 しても良いことの範疇を利用して、最大限の要領を用いるのが作品の秘訣である。それはとても感覚が難しく、要領よ美術との狭間に位置するのだ。    その活動の「混合疲労」は、とても体には辛いだろう。脳と肉体が両方疲れる、という事だから。そして、さらに新たな美術品にも精力を注がない事には始まらない。 まことに美術とは、疲労の連続なのである。しかも、動きは美的な為、なかなか表出しにくい分、当人たちが倍、気を使いあわないといけないという義務がある。  一方で、これは描き手の願望、『こう描きたい』とか、『ああいう風に描きこんでみたい』とか、そういう類の事である以上、やはり完成度でを上回る人種は相変わらず存在しない。  あの石膏像や、ルネッサンス絵画といえども、積層と、重層感においては結局日本人の上を行く事などとても不可能である。日本人の気質でなければ、生み出す事が不可能な「思考的密度を組む絵画理論」で、できたインスタレーション絵画は、構図は精巧、かつダイナミックに仕上がっている。日本の気質が、オリジナリティーを奪う行為にも繋がり易くはあるのだが、結局人間は「同じ物があれば、良質な方に興味を引かれる」というのが定石なのである。  決まり事の中で物事を煮詰める行為で世界一なのは日本人である気がする。 一方で、美術に携わる人間の感覚と、技術の駆使の天秤をとても悩みの種にする人間もたくさん存在すると思います。 なんに関してもそうですが、「万人に共通する悩み」と、「専門的に理解する必要がある事実への悩み」は、とても矛盾を抱きやすい問題が出てきます。そういう時、どちらを優先順位として持ってくるかはその人間各自の自由になると思います。あらかじめ自己心理の理解力を上げている人間は、「飲み込み」が違います。「ああしなければいけない」、という理由を心が理解するので、とっかかりなく物事を推し進める事ができます。これと美術的技術と交わらせると、同様の事が言えます。例えば、テクスチャーを作る下塗りに扱う技術を用いる、ストロークであったり、もしくはマチエール、テクスチャーであったり、その選別が正しい人間というのは、より良い選別をする人間というのは、「そうしないといけない理由」を深く理解している人種だからです。その理解に技術を乗せているから、「技術的に卓越しているにも関わらず、内的理解に乏しい」という失敗が無い、という訳です。  テクスチャーや、地塗りは、失敗すると次の面を作るとき、その失敗した部分のみが一層厚くなり、「物体」として見た場合、不自然になります。そしてテクスチャーの失敗、しかもその色面がとても大きかった場合、上塗りにはあからさまな費用がかかる上、支持面が重くなります。  物事の間違いには費用が掛かります。そして世の中においてその失敗は往々にして自身に帰ってきます。よって、「間違えるな」と言える人間の方が少しだけ思いやりがあるというのが事実です。  技術的失敗の積層は、人間の心に対して「できない」という感覚を自身に刷り込む事になります。そういう「自分の刷り込んだ感覚」というのは中々払拭しずらいものです。他人が刷り込んだ感覚は距離を置く事でやがて緩和されますが、自分とは一生、一秒も離れ離れになる事ができないのです。よって、自己に対する不安はなかなか払拭しずらいものなのです。美術とは、自分の内面の表出場面であり、調子の不具合がすぐ体にでます。よって、「自身に負けない心」というものが必要不可欠になると感じます。  他人と自身を比べてみた場合に、どうしても心理的不安が伴い、いつもの好調が出ないでしょう。しかし、そういう場合にこそ意味性を伴うような2倍の優しさと、2倍の具体的な何かでもってますますの好調を引き出すのです。


美術にはいわんや人間のメンタルに関わるという役割が存在します。人間のメンタルに画面でもって食い込む作業、実はこれかなり現代社会においては重要な役割を担っています。コンピューターや、社会の軋轢に耐えかねた人間の心理的ある一面の崩壊を、きれいさっぱり立て直す行為や、ゲームの画面に惑わされた人間、携帯電話の画面に身体的な側面を害された人間のリロード方法としての絵画が、今日存在します。 色彩は「癒し」、テクニックは「信頼」、技術は「円滑なコミュニケーションとイメージの助長」、解剖学は「正しい画面内の人体のありようとテクニックとの関連性」、修練は、「義務」、会合は「守りあう為」。  そういう一連の行為が絵画の作品作りにおいてもっとも重要な決定付けになります。その存在が際立つ秘密の箇条はこんなところです。  人間には、実生活、実際の世界以外の癒しが必要となります。そして、そういうぎりぎりの癒しを与える行動というのはとてもテクニックと修練の時間を擁します。その研鑽の量が確かになってゆくと、人間は障害を乗り越えるようになります。そして画面を見る人間の障害もそこから消えうせます。そういう技術の集大成に対して得る感動とは、
   「思いやり×技術」という倍加方式により一層の効用を他人全体に与えます。
 技術の無い絵画というのは、とても客層が偏ってきます。そういう場合に、自分も他人も、大変寂しいでしょう。
 会合とは、自己顕示ならず、守護しあう、心配りあうものなのです


梅田聡一郎 さん 2005年 10月 12日 15時 04分 02秒

梅田 聡一郎


(僕の作成分) そのようにして、各自さまざまな技術を体得しその個性を技術の変容や、突出で魅せる。この事が描き手各々の個性を助長させるが、一方で通り一遍の他の技術に支えられての突出と、一技術の突出では、安定感が違うのも事実ではある。油を薄く、薄く、重ね続ける人もいれば、筆勢を思い切り魅せる人もいる。そして、上級者になると、総てを一画面に込める努力はしても、一つの技術のみで絵画制作を終わらせる事は、まず無い。主格として目立つ、メインの技術は定められているし、それが一番魅力を放つ事に違いは無いのだが、相違点はそれが他の様々な技術に支えられている事にある。例えばハッチングをするにしても、その下地に合った色が塗布されているのとそうでないのでは、完成度に段違いの差が生じる 。
目次
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• 1 道具
• 2 画調
• 3 技術
• 4 絵画5層
• 5 複合学術
• 6 有名画家
• 7 デザインの語源
• 8 遠近法
• 9 ウィキペディアにようこそ!
• 10 梅田聡一郎からの質問
• 11 プレビュー機能のお知らせ
• 12 署名のお願い
• 13 質問のお返事

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道具
支持体
• キャンバス(又はカンバスとも言う。キャンパスは大学の敷地、構内)(0〜300号)
• キャンバス張り器
• 木枠
• キャンバス布
• 短釘

描写道具
• ペインティングナイフ
• パレットナイフ
• スクレーパー
• 絵筆(0〜40号)
 ラウンド(丸)  フラット(平)  ファン(扇)  フィルバート(平突)
• 木炭・鉛筆(8H〜8B)
• 刷毛
• ローラー
• パレット(木)
• パレット(プラスティック)
• パレット(紙・ペーパー)

着彩道具
• 油絵の具
• ペインティングオイル
• テレピン油
• 油壺
• 膠
• 油分速乾剤
• 下地剤
• 顔料
• 体質顔料
• メディウム
仕上げ
• 上層保護剤
• 額縁(金・銀細工・木枠・アルミ枠)


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画調
 絵画の画風は、何派、とか何風とかに分かれているが、技術の観点でいうと、このように沢山の画調に分かれている。
• スキアグラフィア   陰影画
• ポリクローム     多色画
• ジャクスタポーズ   並列画
• コラージュ      紙片体接合画
• アッサンブラージュ  立体物構成画
• インスタレーション  象徴設置画
• カリカチュア     風刺画
• ナチュールモート   静物画
• デックファーベンモレリ不透明画
• ポートリアル     肖像画(写実)
• ポートレイト     肖像画(心象)     
• イコン        聖画   
• グリザイユ      単色画
• ディプティック    2部作
• トリプティック    3部作
• ポリプティクス    連作
• 壁画
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技術
 技術には、様々な扱われ様があり、それは語感によってさらに感性質の高いものへと昇華する。単なる行いから、感性を含有した技術体系へと変化する。
基礎技術
• 平塗り
• ハッチング
• クロスハッチング
• マスキング
• ステンシル
• デカルコマニー
• フロッタージュ
• アッサンブラージュ
• ヒディング
• モデリング
• ポワリング
• アクションペインティング
• ドリッピング
• 透かし
• 暈し
• ブラッシュストローク
• ドライブラッシュ
特有技術
• esquisee(エスキース)構想下絵
• profili 線描
• controni輪郭描写
• disegno 素描
• coloare 彩色
• chiaroscuro (キアロスクーロ)階調画
• impasto(インパスト)   上層厚塗り
• imprimatula(インプリマトゥーラ)有色下地
• camaieu(カマイュ)    有色下地上単色画
• ebouche(エボッシュ)   薄塗り下絵
• glasis (グラッシ)    薄塗り重層画
• scumbling(スカンブリング) 上層仕上げ平塗り(技術)
• veratula(ベラトゥ−ラ)  上層仕上げ平塗り (表現)
• alla prima (アラ プリマ)直接描き
• preparesion(プレパレーション)地塗り
• tintingstrength(ティンティングストレングス)着色力
• hiding power (ヒディングパワー)隠魅塗布
     併用可 
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絵画5層
 絵画を描く段取りと同時並行する「意識点」にある。個性は人それぞれであるが、意識すべき順序は共通している。これを絵画5層(inhaltstructur)という。 絵画5層(物質であれば、2は構造、3は質感になる。)

• 1層目 明暗、形姿、概図、全体像をぼんやりと把握する。
(sfumato霧状効果)
• 2層目 動勢、量塊、量感、骨筋を把握する。
(anatomy解剖学)(masse/volume/moveman)(formung)
• 3層目 心の中、内臓、性格、感情、心境の状態を把握する。
(personal)
• 4層目 その扱われ方の癖、個性、哲学、発達と理由、人体の「物としての磨耗度」、性格を描く。
(tintingstrength)(wallen)
• 5層目 それらすべてを総合して、描写対象を象徴化する。
(Vostellung)  
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複合学術
これらを絵画に複合する事が、自分の絵画の可能性を広げるきっかけになる。

図(構図の正しさ、面白さ)
• commensuratio(寸法)
• prospectiva 遠近法
• liner perspective 線遠近法
• sfumato 空気遠近法(霧状効果)
• graphein 記述
• geometory    幾何学
• iconography 図像学
• golden ratio 黄金率(1:1.618)
• silver ratio 白銀率(1:1.414)
• distance axiom(距離公理)
• angle axiom (視覚公理)
• 線織面
• 天使遠近法(湾曲線分割)=幾何比例遠近法
• 地上遠近法(直線分割) =投射面投影遠近法
• proportionalmente 釣り合い良い・バランスの良い
体(体の作りの把握表現)
• somatology    生体学
• surface anatomy 体表解剖学
• artistic anatomy 美術解剖学
芸(芸術を行う上での感覚)
• kunst        芸術
• kunstwissenchaft        芸術学
• all germani kunstwissenchaft一般芸術学
• kunst verhalten        芸術態度
• kunstwallen           芸術意志
• aesthetisia 感性学
象(検討あるシンボルとして描く方法)
• ung 象構成
• buildlesthureibung 形象記述能力
• einbuildungskraft 形象構想能力 
• formung       形象構成
• vostellung 表象構成
象状態(上記の方法で出来たシンボルの、芸術作品としての種類)
• noema   形象
• noesis  構象 
• zeigen  示形象
• flack   平形象
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有名画家
• アルブレヒト・デューラー
• アルビン・ブルノブスキー
• アンディー・ウォーホル
• アンドレ・マッソン
• ヴァンアイク
• オスカル・ドミンゲス
• オーブリー・ビアズリー
• レオナルド・ダ・ヴィンチ
• ラファエロ・サンティ
• レンブラント・ファン・レイン
• ピーテル・パウル・ルーベンス
• ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
• ヨハネス・フェルメール
• クロード・モネ
• ポール・セザンヌ
• フィンセント・ファン・ゴッホ
• サルバドール・ダリ
• ピーテル・ブリューゲル
• ピエロデッラ・フランチェスカ
• パウル・バンダーリッヒ
• ジオットー
• ジョルジュ・ルオー
• マックス・エルンスト
• エルンスト・フックス
• ルドルフ・ハウズナー
• ロベルト・マッタ
• マックス・ベックマン
• カラバッジオ 
• ピーターブレイク
• プッサン
• ブラマンク
• ティッツアーノ
• グスタフ・クリムト
• エゴン・シーレ
• ガストン
• ジャンミッシェル
• アガス・ジャック・ロラン
• ジョセフ・アルバース
• アルガルディ・アレッサンドロ
• ワシントン・オールストン
• ローレンス・アルマ・タデマ
• アルブレヒト・アルトドルファー
• ジャコポ・アミゴーニ
• カール・アンドレ
• フラ・アンジェリコ
• アンドレア・デル・サルト
• アンリギッラ・ソフォニスバ
• アントネッロ・ダ・メッシーナ
• アペル・カレル
• アーキペンコ・アレグザンダー
• ジュゼッペアルチンボルド
• アンドレ・ブルトン
• ジョン・ジェームズ・オーデュポン
• アウアーバック・フランク
• アーフェルカンプ・ヘンドリック
• フランシス・ベーコン
• バルドゥング・ハンス
• バッラ・ジャコモ
• バルテュス
• フラ・バルトロメオ
• ゲオルグ・バゼリッツ
• ジャンミッシェル
• ヤコボ・バッサーノ
• ポンペオ・バトーニ
• ヴィリ・バウマイスター
• フレデリック・バジル
• アンドレ・ボヌーブ
• ドメニコ・ベッカフーミ
• マックス・ベックマン
• ジェンティーレ・ベリーニ
• ジョバンニ・ベリーニ
• ベルナルド・ベロット
• ジョージ・ベローズ
• ジャンロレンツオ・ベルニーニ
• ヨーゼフ・ボイス
• アルバート・バイアスタント
• ジョージ・ケイラブ・ビンガム
• ピーター・ブレイク
• ウイリアム・ブレイク
• ウンベルト・ボッチョーニ
• アルノルト・ベックリン
• クリスチャン・ボルタンスキー
• ディビッド・ボンバーグ
• ボニントン
• ピエール・ボナール
• パリス・ボルドーネ
• ヒエロニムス・ボス
• フェルナンド・ボテロ
• サンドロ・ボッティチェリ
• フランソワ・ブーシェ
• ウジェーヌ・ブーダン
• ディリック・バウツ
• ボイド・アーサー
• ジョルジュ・ブラック
• ヴィクトール・ブラウネル
• アーニョロ・ブロンツウィーノ
• マルセル・ブロータース
• フォード・マドックス・ブラウン
• ヤン・ブリューゲル
• エドワード・バーン・ジョーンズ
• エドワード・バラ
• アルベルト・ブッリ
• ギュスターブ・カイユボット
• ロベルト・カンビン
• カレナット
• カルパッチオ
• カルラ・カルロ
• アンニバーレ・カラッチ
• メアリー・カサット
• アンドレア・デルカスターニョ
• ヴィンチェンツオ・カテーナ
• ジョージ・カトリン
• ポール・セザンヌ
• マルク・シャガール
• フィリップ・ド・シャンパーニュ
• ジャン・バティスト・シメオン
• ウィリアム・メリット・チェイス
• フレデリック・チャーチ
• チマブーエ
• ピーテル・クラース
• クロード・ロラン
• フランチェスコ・クレメンテ
• フランソワ・クルーエ
• トマス・コール
• ジョン・カンスタブル
• ジョン・シングルドン
• コロー・ジョン・バティスト
• コレッジオ
• デルコッサ・フランテェスコ
• クルーベ・ギュスターブ
• ジョン・ロバート・カズンス
• トニー・クラッグ
• クラナル・ルーカス
• アールベルト・カイプ
• サルバドール・ダリ
• バービニー・シャルル・フランソワ
• オノレ・ドーミエ
• ダビッド・ヘラルト
• ダビッド・ジャック・ルイ
• ディヴイス・ステュアート
• エドガー・ドガ
• ウジューヌ・ドラクロア
• ローベル・ドローネ
• ポール・デルヴォー
• モーリス・ドン
• アンドレ・ドラン
• ディーベンコーン・リチャード
• ジム・ダイン
• オットー・ディックス
• ウィリアム・ドブソン
• テオ・ファン・ドゥースブルフ
• ドメキニーノ
• キースヴァン・ドンゲン
• ドッソ・ドッシ
• ヘラルド・ダウ
• ダヴ・アーサ
• ジャン・デビュッフェ
• ドヴッチオ・ディ・ブオンセーニャ
• マルセル・デュシャン
• ラウール・デュフィ
• ヴァン・ダイク
• トマス・エイキンズ
• アダム・エルスハイヤー
• フランソワ
• ジェームス・アンソール
• リチャード・エステス
• ウィリアム・エッツイ
• ヤンファンエイク
• カレル・ファブリティウヌ
• アンリファンター・ラトゥール
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• ジェンティーレ・ファブリアーノ
• アルテミシア・ジェティレスキ
• テオドール・ジェリコー
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• ドメニコ・ギルランダイオ
• ギルバート・アンド・ジョージ
• ハロルド・ギルマン
• ルカ・ジョルダーノ
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• ジオットー・ディ・ボンドーネ
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• ナターリア・ゴンチャロヴァ
• アシール・ゴーキー
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• ファンホイエン
• ベノッツオ・ゴッツオリ
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• フトキンソン・グリムショー
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• アントワーヌ・ジャン・グロ
• ゲオルグ・グロッス
• アティアス・グリューネヴァルト
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• バーバラ・ヘップワース
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• エドワード・ヒックス
• 安藤広重
• マインデルド・ホッベマ
• デヴィッド・ホックニー
• ハワード・ホジキン
• フェルナンド・ホジョラー
• ハンス・ホフマン
• ウィリアム・フォーガス
• 葛飾北斎
• ハンス・ホルバイン
• ヴィンズローラ・ホーマー
• ホントホルスト・ヘルト
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• エドワード・ホッパー
• ウィリアム・ホルマン
• ドミニク・アングル
• イヴァーノフ・アレクサンドル
• ヤウレンスキー・アレクセイ・フォン
• ジョン・グヴォン
• ジャスパー・ジョーンズ
• アレン・ジョーンズ
• ヤコブ・ヨルダンズ
• ドナルド・ジャッド
• フリーダ・カーロ
• ウィレム・カルフ
• ワシリー・カンディンスキー
• カウフマン・アンジェリカ
• アンセルム・キーファー
• キルヒナー
• キタイ
• パウル・クレー
• イヴ・クライン
• フランツ・クライン
• ゴッドフリー・ネラー
• オスカー・ロコシェカ
• ヴィレム・デ・クーニング
• ジェフ・クーンズ
• レオン・ユソッフ
• クルイエル
• ケプカ・フランティシェク
• ヴィフレド・ラム
• エドウィン・ランシア
• ピーター・ランヨン
• ジョルジュ・ド・ラトゥール
• マリー・ローランサン
• トマス・ローレンス
• フェルナン・レジェ
• レイトン・フレデリック
• ピーター・リーリー
• ヴキンダム・ルイース
• ロイ・リキテンスタイン
• 佐伯祐三
• 東郷青児
• 梅原龍三郎
• 岡倉天心
• 岸田隆生
• 玉川信一
• 開光市
• 荒川修作
• 滝口修造
• 加納光於
• 浜田知明
• 横山博之
• 春口光義
• 富張宏司
• 作田富幸
• 大津英敏
• 坂本繁二郎
• 横山大観
• 川上尉平
• 坂本善三
• 中島敏明
• 草間弥生
• 木戸征郎
• 岡本太郎
• 会田誠
• 林浩
• 工藤礼二郎
• 長嶋康雄
• 加来万周
• 松井冬子
• 木下藤次郎
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デザインの語源
signifiant(意味する者)+signifie(意味される者)=sign(シーニュ.サイン) sign(サイン)+ do/する(動詞)=do sign (ドゥー・サイン) do sign = design (デザイン)
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遠近法
 遠近法は視覚への対応から、遠近図を挟む事によって視覚をいかに面白く再表現(representasion)するかという行為に変化してきた。逆遠近法という、遠くの物が小さく、近くの物が大きいという手法や、5点、6点を用いた多数消失点混在型遠近法、天井の物を描くときは逆からも消失点を扱うので、点を増やしたりするのに始め、湾曲線(hyper vola)を用いた、双曲線遠近法や、地平線曲線分割型の天使遠近法、直線分割型の地上遠近法等、現在拡張の程を見せている。また、中国式遠近法「三遠」(高遠=空高く見上げる)、(深遠=空間深く見通す)、(平遠=地平線の向こうを見る)との関連、複合による新式遠近法も思考される。

遠近法  遠近法は視覚への対応から、遠近図を挟む事によって視覚をいかに面白く再表現(representasion)するかという行為に変化してきた。逆遠近法という、遠くの物が小さく、近くの物が大きいという手法や、5点、6点を用いた多数消失点混在型遠近法、天井の物を描くときは逆からも消失点を扱うので、点を増やしたりするのに始め、湾曲線(hyper vola)を用いた、双曲線遠近法や、地平線曲線分割型の天使遠近法、直線分割型の地上遠近法等、現在拡張の程を見せている。また、中国式遠近法「三遠」(高遠=空高く見上げる)、(深遠=空間深く見通す)、(平遠=地平線の向こうを見る)との関連、複合による新式遠近法も思考される。 肉体について  外に守る骨がガードとして存在し、中に袋が存在し、その必要性として動の必要性として筋肉が存在する。形を追うときはung,形象を構成する。ここではanatomy肉体の学問にきちんと拘る。人と関わるに関しても重要になるし、自分と向き合うに具体性を帯びる。人を描くに関してはリアリティーの根源として説得力を加える。  『私』においては、誰もわが身を守らない。自己理解でさえある。コミュニケーションとしてあらゆる分野に適応され、理解力を倍加させる。人間が集まって何ぼの美術で、人間を理解するのは当然と思われる。
 覚え方にも、恐怖を伴う人体も、グロテスクな様で実は法則性の塊である。
 例文)(名は体を現す。漢字が体の筋肉の意味をそのまま示唆している。)

 脊髄部筋肉・正中線部(左か右に偏る筋肉、必ずしも二つ以上と見ろ)

 頭半束束筋(頭の負荷に関わる束状の筋肉と知れ)
 頭最長筋 (頭のうち最も長い筋肉と知る)


 胸束束筋 (胸の負荷に関わる束状の筋肉と知れ)
 胸最長筋 (胸の辺りの一番長い筋肉と知る)

  外側に最長筋、内側に束束筋。


 脊柱起立筋(脊部の柱、起立するを支える筋肉二つと知る)

 腰腸肋筋 (腰、腸、肋骨、に関わる筋肉と知る)

 脊部+
 腰腸肋筋 (腰と腸、に関わり、肋骨に張り付く筋肉と知る)
 腰方形筋 (腰に関わる、三角を描く筋肉と知る)


 脊柱部筋肉の数、
 頭:胸:脊 = 4:3:2  簡単な下降バランス
 脊部+を含めた数
 頭:胸:脊 = 4:5:4  中央上がりのピラミッドバランス

 真の筋構成美しきとせよ。valanceを保持して生れてきているとせよ。名は『体』を『表』す。と書いて『体表』解剖学。文字の憶測駆け抜けよう。  脊部にバランスあり。まずは四つの束が広がり、中心二つに端二つ。それぞれ一つずつ。(名は体を表す。名称が働きと知れ。)  この世の本質は(平等)。男女に性器の違いあれど、束の数の違いは無いと見よ。 シニフィアン。機能を知り、名前の意、そこから探り、最後に覚えると良い。一番の教科書が、目玉から下に垂れ下がっているではないか。

 人体を覚えるときは、確定性としてlinerformung線形象であれ。
 人体を、実際対象、描くときは、不確定性としてvostelllung表象であれ。
 気持ちの悪いものを追うのでなく、相互理解の為と、恥を知る心としての象徴検討行為であると知れ。
 しかし結局はtintingstrength (着色力)にあると知れ。
肉体には役割の重複が存在する。同じ骨でもガード的機能であったり、支えであったり。その「骨」という1物質であるにも関わらず、機能の重複する事が、形状の微妙さと名前の複雑さを生んでいる。

美術解剖学(artistic anatomy)についての述解 梅田 聡一郎
 美術には、人物画が存在し、どの様な分野の絵画においても、その象徴性、人間同士の相互理解における人物の登場意義はとても重要な役割を担い、今日の絵画空間の中においても使用頻度の高い図像といえます。  その人物画の完成度、内部構造把握、ともすれば鑑賞者に「こうありたい」という影響を与うにいたるこの人物の正確な表現には社会的にも重要な役割と義務性があると感じます。人間が人間に影響を持たす図像である以上、その人物は、健康的であり、かつ美的でなくてはいけません。究極的には、その影響下にさらされただけで、その人間が正しき行いを心の中で歓迎するにいたるくらいのものであるのなら、もう逆に歓迎は免れないくらいであると感じます。  somatology(生体学)、surface anatomy(体表解剖学)も絡むものであるのなら、健康や、体内構造の生活における円満にも成り得、最上のものであると感じます。  健康と自分について考えさせられる、とても自然なものであるほうが、良いと思われます。そのような人と人の生活の「円満」の助長の為の絵画を描く、医学知識として美術解剖学があると感じます。人間がこういう感情を持つ、こういうシチュエーションに出会うとこういう心の変化をきたす、などの感情起伏や心理学との関連性や、自身の心を大事にするという意義においての絵画が、明日の空間を作るに至ると感じます。行動学的側面から見た人間の感情の起伏、安閑の法則などを示唆する絵画の条件も、健康学に精通する事で守られ、美術を知る事で、健康的側面に繋がってゆくという効果も期待できます。  速筋と遅筋の関係性についてや、赤色筋肉、白色筋肉との関連性、心の動きと体、筋肉の動きとの関連性、連鎖反応との関連性、病理さえ明かす美術解剖生理の心、絵画理解が身体理解に繋がるという関連性、医術解釈美術介在における、処置前の「観察眼における美術健康学的事前の事前処置と営淙涓宗廚皺椎修隼廚錣譴襦」  大腿四頭筋、腹直筋、外腹斜筋、腸内転筋、大胸筋、広背筋、三角筋、上腕三頭筋、上腕二頭筋、胸鎖乳突筋、僧帽筋、 外反母趾内転筋、外反母趾外転筋、筋肉の作動、心臓、膵臓、脾臓、肝臓、腎臓、大腸、小腸、総ての内臓の相互理解、心臓がポンプであり、毛細血管に血を流し体内の連動のエネルギーと化し、血を循環、取り替える。血液には成分が内在し、体の傷を治し、病魔を克服する力が存在する。その体内含有量によっても、体表も違い、描かれる人間の色自体が変化する。意味。肝心なのは、意味であり、その意味性を支えるのが、解剖学と医学の介在になる。   骨格においての問題や、恥骨、頭蓋骨、鎖骨、背骨、肋骨、指骨、手根骨、眼窩、背骨の数は12本存在するという事を知りえているのとそうでないのでは違うとか、体のどこの部分をどこの骨が支えているかという自覚に基づいて本人同士が生き、その事から来る悩みを共有しあう事の重要性。  体内理解によって、自身の体に対する理解を持つと同時に、自己自覚によって、自身を思う様生き生きと動かすことができる。  自己理解にも、他者理解にも繋がりうる。人間が、人間の可能性を最大限に生かし、具体的に自身を変える事さえできる。高度な才能が成すとてもとても抽象的な心と体の悩みさえも、体の具体的な悩みとして還元できる。
例)気韻生動と、心理学selfdynamizm(セルフダイナミズム)について
 「中国六画法は主格「気韻生動」(生き生きと動く、気韻、気迫を感じる絵を描く、美術の行いとしての動きを取る)という言葉がある。これがひいては心理学用語selfdynamizm(自己律動)(自身の体を生き生きと、体調管理という自己規律を持って動く)という、心理健康的動きを示唆する事と同じくするのではないかという事。気と韻律を感じる神秘性、生動という、生き生きとした動きとダイナミックさ、そして、生体の生き生きとした動きの事をも示唆するという意義を、気韻生動を、selfdynamizmと並べ比較し、同義点を見出す事で拡張させてみました。自己の生活を生体学的側面から見て円満にしつつも、その神秘性と生動(生き生きとした生活、美術としての躍動)たるや、才気あふれる。これが本物の気韻生動であるという感想です。改めて、その深みを感じてしまいました。」
   このように、美術解剖学には、美術家や美術家が描く対象の生活を円満たらしむ学識可能性も特化価値として存在します。描くにおいては画家に健康的知識を与え、鑑賞者にも人間生活の規範たる象徴を影響として与え、動くにおいては自己の管理や、生活の円満、心の隅々を知りえ、自由に立ち回る事を救う学術ににもなるという深みも存在します。 人類史において絵画が先か、文字が先か、という議論が良くされますが、無論絵画が先といえます。文字と言うのは契約の思想によって結ばれなければなりません。そうでなくては意味がなく、言葉は不信感をただよわせる情報の断片になってしまいます。一つの文字を少なくとも一つの社会で同じ意味をもつ了解される事の前提が必要になります。  アルタミラの洞窟壁画のビゾンの絵が以前として何の為に描かれたのかは分からないのだけれども、その美しい姿で人々の目をひきつけたのです。これまでは獲物として、それも捕らえたいという願望から描かれたという説明がなされていたのですが、その恐らくは勇猛な姿に人々が感銘を受けたから描かれていたのでしょう。しかし洞窟でもそのような美しいものだけではありません。  絵画として描かれたからといって、絵画として、つまり芸術として認められるわけではありません。「絵画」となる為にはそこに芸術価値があると人々が認定される必要があります。近代となって、美術館が出来る。そしてそこにある多くの絵画の中で、秀逸なる価値を持っているから展示しようとするわけです。そうした選択がある絵画が芸術となって認められたといって良いでしょう。  しかしこれは、近代に限った事ではありません。中国五世紀には「画の六法」という倫理に基づき、絵画批評の指針が生まれました。その価値観は現代においても主格と言えます。
中国画の六法最重要項「気韻生動」と、医学重要項「self dynamizm」の類似点について

 黄金率が何にも当てはまらない美しい分割割合であるのと同じくして、他のどんな術儀や基本的心得にも説明がつかないのがこの[気韻生動]。この二つは、

     [律の最頂点]
     [六画の最頂点]
 として、主要を成す2大極点です。この二つを兼ね備えたものは、美術に愛されているといって過言ではありません。
 そして、ここで着目したのが、心理学術『self dynamizm』です。『自己力動』自己を律し、ダイナミックに動かすという、『健康的かつダイナミックに律動す』という意義の言語です。
 「気韻もち、生き生きと動く」という気韻生動と、「セルフコントロールする力を持ち、健康的にダイナミックに動くボディコントロール」をする」selfdynamizmが、とても相似関係として類似した2極点であると感じます。同時に、お互い個性ある極点を担っていると感じます。  この二つの類似については、あらゆる角度で検討される価値があると思われます。

絵画技術には様々な用法、筆運び、技術が存在し、バリエーションに富む。
impasto(インパスト)   上層厚塗り imprimatula(インプリマトゥーラ)有色下地 esquisee(エスキース)   構想下絵 camaieu(カマイュ)    有色下地上単色画 ebouche(エボッシュ)   薄塗り下絵 glasis (グラッシ)    薄塗り重層画 scumbling(スカンブリング) 上層仕上げ平塗り(技術) veratula(ベラトゥ−ラ)  上層仕上げ平塗り (表現) alla prima (アラ プリマ)直接描き

1esquisee(エスキース)   下絵を構想

2ebouche (エボッシュ)   構想した下絵に基づき、薄塗りで下絵を描く

3glasis (グラッシ)    薄塗りで、下絵を少しずつ立ち上げていく。

4scumbling(スカンブリング)平塗りで、大きな面とその階調、色調を少しづつ立ち上げる velatula (ベラトゥーラ) 時に、その平塗りのタッチに表現を求む。

5おつゆ描き~細密描写    細部を厳密に立ち上げたり、油分の多い薄塗で、細部表現を行ったりもする。  この行程の中で、どんな途中と完成を求むかは自由になる。しかし、基本的に大事なのは、「徹底」。唐突に、経験の満たないアラプリマとか抽象(中傷画)画に逃げず、技術による、段階的な再現につとむ事が基本。
 等、沢山の技術に支えられて、油彩の技術的向上は望める。道具の機能も、この技術達との関連を鑑みると、使用方法を実感として掴む事が出来る。実のある指導者達は、これらが実に染み、これらに基づいた技術指導をするが故、多少しか絵を描いた事のない相手にさえ、実感を与え、向上させる事ができる。

下絵構想技術について(esquisee)
 下絵構想能力とは、思いのほか難しく、手記、補記的な問題や、描くことのほかに、次に展開したときに対する能力として「図る」(geometry)、「記述する」(graphein)という能力が存在します。その能力とは、次の行程に対する可能性を広げる意味としてのクロッキーを構想する構想構成能力(einbuildungskraft)が良く生かされます。可能性を広げる構想と、そこに完成度を求める為の図る、描き込む、前後感を持たす、という行為をつくる。絵画を描き、人を癒す心においては、(buildlesthureibung)形象記述能力も大事になってくるという事です。  例え形象そのものでなくっても構図において位置関係の少しのズレとか、描き込みの差異によっても意味性はとても違ってくる。写実、模写においても、形象意識のあるエスキースを描く事が重要になる。  エスキースは、∞である。技術と料金の関係性の重圧を感じずに想像を羽ばたかす事ができる。たとえ本人の作風がそれを実行するに至らなくても、その技術を持つ人間がその構想における絵画を制作に至るから。
 ※シニフィアンワード(勘違いするなかれ!!)  だからと言って、他人に想像力豊かなエスキースを描かせ、嘘を吹いて死なせ、遠まわしにクロッキーを手渡して良いわけでは全然無い。傾聴せよ。悪用をするなかれという事を。美しき心の行いと描いて美術という事を。                                                  梅田 聡一郎 隋類賦彩〜随類賦彩論 梅田 聡一郎  随類賦彩(スイレイフウタイ)とは、彩し続ける事の重要性と、そこから精髄、真髄を技術とともに見出す努力の事をさす。  技術的な卓越をさらに水彩技術をもって一段階上の表象に持ち上げる効果もある。=塑形したモデリングの上から随類賦彩。(応物賦彩論)  技術同士の複雑な混同でなく、一つの技術体系の上からもう一つ技術を置く。という事。パソコンの世界ではペーストしたら下の図像は隠れますが、上の図像と下の図像を描写技術によってかみ合わせる事ができるのが、絵画の世界です。  これは、(protraho)=引き出す、露にする、物の形を引き出す、露にする技術と似ている。起こした実際の形を随類賦彩によって更に上の段階に引き上げる。
 彩する、という思想が、更に心の安心を異文化に与える。真の伝統は、前衛技術とかけ合わせても、実はなんら遜色が無いのだなあ、と感心した。
zeigen=(形象学) 梅田 聡一郎  (noema)=構成に関した応物象形のテクスチャー(塑形)を空間上に配置してゆく。塑形物同士を、構造体として組み合わせる。さらにそれを描く。塑形に描写、描写に構成を重ねる。そして最後には丁寧な仕上げによって空間表現が正誤性をもって成立する。  彩度、明確な世界と逸脱、(noema)に拘らず、複雑な(difficulty)世界を適切なhow to draw (描写方法)によって表現してゆく。ラディカルであり、宗教的に成り過ぎず、科学的又技術的裏打ちがある。世界観は芸術であり、そこにリアリティーを持たせるのは現実的技術になる。  理解に理解を重ねた技術の積層と、明確に空間を表現するリアリティー。生体学(somatology)に通じた芸術世界と、明確な世界の安心感と安閑を創りあげる。    (芸術的形象)と、(応物描写)。そして、(科学希釈)。しかし、それさえも部分に過ぎない。(応物)=インウーという言葉の意味は、(物に応える)、(物を応用する)、(物質の可能性を引き出す)という希釈から生まれる。一見してそのもの単体が役に立たなくっても、その物体を構成物として一つの輝ける象徴を形成描写する 世界観と数字に裏づけられた図像学による形象黄金率をつくる。そして、双曲線空間と、3次元空間、二次元空間を同時保有する状態を、黄金率交差線を同時保有した立体物で空間を構成、空間内の物質を、現実に在り得ないつくりで描き、人物を生体学(somatology),美術解剖学(artistic anatomy),に基づいた上での象徴性保有人物画を描き、配置する。その上で、全体が、慈祖。恐怖でなく、真実を含有した慈愛。象徴形成物体として、高らかに屹立する事。静謐で残酷な細密絵画と同等のリアリティーを保有しつつも、主象形としてある物質と世界が、慈祖構成物体である事。
     「総ての学術が極点まで保有された、
      祖形象徴である事。」


 線形象が織成す線織面、構図の骨組みにしろ、そのままにしろ、両方において使えるまでの形象状態と知る。  線織面形象骨組みとしれlinerformung人体芸術骨格の象徴である。機能を超えて美しい。技術を孕んでなお遊び心。thinking strength思考の海の中に、皆好きな形を持つ。 形象面遠近法を、正逆遠近法操作∞遠近法に整える、合わせて、総体的に混合すると、 単純な平面構成だけで象徴を形作る事が可能になってくる。  要は、マチエールのバリエーショナルと、その描き込みの際のリアリズムのみで、様々な技術を用いる。と、いう事は、小細工も必要ないのだ。  前進色、後退色のバランスを調和させ、平面立体を平塗りによって仕上げる平面構成を、天麩羅で揚げたようなモチーフ構成になる。モデリング塑形によって確かなマチエールを下塗りの時点で制作し、上書きによってさらにリアリティーを増す。  完成度を意識する。モデリングを散漫にしない。と、様々な点に配慮をすべきだが、基本は、確かな線遠近法を用いる事。 要素
1)形  塑形(モデリング)  絵肌(マチエール)  応物象形(インウーシャンシン)  祖形  zeigen(形象)  noema(象徴構成)  noesis(象徴構成体)
2)  色  mat  落ち着いた
pale  のっぺりとした
dark  暗い
graysh 薄暗い
blight 明るい
vipid  派手、蛍光色
3)線  liner perspective (線遠近法)  geometry (幾何学)  iconography(図像学)  1〜5点遠近法
six point hypervolacrossliner perspective (6点双曲線交差遠近法)

基本要素
1)形  塑形(モデリング)  絵肌(マチエール)  応物象形(インウーシャンシン)  祖形  zeigen(形象)  noema(象徴構成)  noesis(象徴構成体)
2)  色  mat  落ち着いた
pale  のっぺりとした
dark  暗い
graysh 薄暗い
blight 明るい
vipid  派手、蛍光色
3)線  liner perspective (線遠近法)  geometry (幾何学)  iconography(図像学)  1〜5点遠近法
美術解剖学
美術解剖学とは、美術家の為の解剖学を意味します。 (how to draw )  描画方法  人体を描く知識 (surface anatomy) 体表解剖学 (somatorogy)    生体学 解剖学図を描く。
@どの様な仕組みをしているか。内部構造と形態、骨格、関節、筋肉、腱。 例)上腕二頭筋   上腕三頭筋   三角筋   外反母趾内転筋   外反母趾外転筋   広背筋   脊柱起立筋   大腿四頭筋   (内側広筋)   (中間広筋)   (外側広筋)   (大腿直筋)
   腹直筋    外腹斜筋    大胸筋    双子筋 顔部 眼輪筋    鼻根筋    上唇挙筋    口角下制筋    下唇下制筋    前頭筋    側頭筋                   etc..... 骨と皮、骨格、筋肉、脂質、皮質。これらの変化の位置によって人間の個性を描き出す。  骨格、関節、筋肉、皮膚、脂質の成り立ちを、見かけで追わず、法則性の集合体として把握する。
A生体の内部構造と外貌の関係
 人体表面に現れた起伏、窪みの把握。骨格の凹凸や人体の動きが、実際の体表に外貌としてどう関わるのか。手の力の入り様や、皮膚の表層の関係。皮膚の中身の筋肉や骨格、内臓の中身の部分が変化したとき、表面にでる具体的連鎖反応も把握し、描く。
B形態と機構、機能の把握  人体のある空間、空間の中にある人体同士の比例関係、geometry(幾何学)、iconography(図像学)的要素を、liner perspectiveを用いて描かれた空間に位置する人間の身体寸法の正確な把握。又、年齢、性別等の人間の老い、性差から来る身体的特徴も関係する。
C運動による形の変化  動きによって生じる生体の変化の観察。動勢=movemanにも通じる人体の動きを表すかの様にして、筆勢を持って描いたりもする。動きに連動した体の表情の変化や、動き自体の表現、それによる内臓の状況変化をも理解し、描ききる。 D形態として現れ、又現れる可能性のある特性  毛髪、皺、色調、血管や発汗作用を表現する。毛穴から汗を吹き、血圧の高低によって血管もその太さを変える。赤色筋肉と青色筋肉で運動に対する働きも異なる。発汗作用もあり、内臓の動き一つ一つの行動における状態を表し、描写に移行する事が大事になる。「アル一つの身体的状況」の把握〜絵画技術を持って支持面に移行する。(伝移模写。)
E造形された人体像と生体の関係  生きている体を塑形するにおいての造形物と生体の相関関係。生きた人間の生体と、造形としての人間の差異をどの様にして埋め、その上で与えられた媒質を応用し、生命感ある表現として近しめるか。
F生体の美性、美格  美の形状に対する研究。同じく塑形術としての「形」 と、生体の在りようの美しき「形」の二つを連ね合わせる事。「form」 と、「modering」 の関係。その二つの関連性を「感受性の上の同義」 として近しめる。そこへ、完成度、描写、的側面を思考に置く。
1) 人種、性別、年齢の視覚的特長 2) 喘湶としての生体と、塑形物としての作品の比較


美術解剖学Artistic anatomyは美術家のための生体学であるということができる。生体学は解剖学を基礎に置いて、体表から生きている人の形や構造を研究する学問で、体表解剖学などとも呼ばれている。この講義では体表の構造(皮膚、毛、爪、乳房など)をはじめ、体表から観察される骨格、筋、頭部の感覚器(目、耳、鼻、口など)、体表の血管や神経などについて分かりやすく講義し、造形活動に必要な人体に関する基本的な知識を身につけて貰うことをねらいにしている。したがって、人体に関する講義とともに、実際に表現された造形作品について、その表現法などを美術解剖学的な立場から分析することも行う。 美術解剖学 (Artistic anatomy) の概念の発祥は、人体の内部構造と外形との関係を解剖を通して考察し、その観察から得た成果を彫刻、絵画などの造形美術に生かした、16世紀のヨーロッパルネサンスにまで遡ります。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロらが、自身の解剖経験やそこから得た知識を、人物像や騎馬像を造形する基礎としていたことはよく知られています。その後、美術家のための解剖学は、美術に携わる人々にとっての必須の科目、藝用解剖学 (Anatomy for Artists) として美術学校などで教授されるようになりました。
 我が国における美術解剖学の教育・研究は、明治22年(1889)森鴎外による東京美術学校の講義に始まります。昭和38年(1963)東京芸術大学美術研究科美術解剖学研究領域の設置によって美術での教育・研究の一分野として位置づけられ、現在に至っています。  人体をよく見る、よく観察することによって、解剖から得られた知識に匹敵するような優れた洞察眼をもつに至った天才もいました。しかし多くの場合、人体を描くときに外から見えるかたちを闇雲になぞっていても、生き生きとした躍動感ある表現に繋がらず、もどかしいと感じることはよくあることでしょう。骨格や筋、皮膚や皮下組織など内部構造と外形との関係がわかることによって、対象をつかむ眼差しは一層深くなります。
 今日の美術解剖学は、このような骨格、筋の運動機構を中心とした内部構造と外形との関係、動きにともなうかたちの変化、比較解剖学、発生学からのかたちの由来を学ぶ芸用解剖学を教育的側面としてもっています。同時に、研究分野としての広がりが加わりました。芸術表現として人のすがたがもつ美しさや、生物のかたちがもつ意味を考察すること、人体とかかわるものの関係を研究する応用解剖学的研究もあります。人間、そして人体に関わる関連諸学との有機的な関わりの中で、美術解剖学の研究範囲は広範なものとなっています。  今日の美術解剖学は、かつて藝用解剖学と言われていた、造形のための解剖学であることに加えて、これらの研究を通して人間と美術とのかかわりを考える幅広い視野を有する分野へと発展しています。
芸術用語 how to draw = 描画方法 theory of art = 絵画理論 zeigen=形象 noema=象徴構成  noesis=象徴構成体
学術 kunst = 芸術 kunstwissenchaft = 芸術学 allgermanikunstwissenchaft = 一般芸術学 kunstverhalten = 芸術態度 geometry = 幾何学 somatology = 生体学 surface anatomy = 体表解剖学 iconography = 図像学 技術と道具(tecnique and tool)
スパッタリング         スパッターブラシと網を用いた絵の具の飛沫を粉のように飛ばす技術。 マスキング           マスキングテープを使った、アウトラインや、切り抜き面をカバーする技術。塗布後保護紙を剥がす。そして、そのカバーリングの技術を応用して、様々な効果を生む。 ステンシル           マスキングと併用し、支持面の一部を意図的にカバーする技術。塑形物には使用不可。 ドリッピング           筆先の絵の具を支持面に振り落としたり、支持面に向かって振り払う。面相による細書きや、積層技術、グラデーションで色相を分け、ドリッピングで積層させた後、描きこんだり、ステンシルで囲って「ドリップ面」を用いたりしたら、とても動勢を持つ。単体で漠然と使っても、何の役にも立たない。
マーブリング          ガッシュの水紋を紙に写す技術。実は、余り「絵画という絵画」には答えてくれない。色によって模様にも様々なものを連想させる。 ハッチング           支持面を引っかく行為。あらかじめ下地を積層固着させておいて、下地をハッチによって表出させるのも手。 クロスハッチング       ハッチングを異色にして交錯させ、色彩を鮮やかにする方法。この技術で描かれた絵画は、寓話的でかつ虹のように鮮やかになる。 ブラシストローク        刷毛や平筆の跡を支持面に思い切り振り残す技術。残った形は動勢(ムーブマン)をとても主張する。 ドライブラッシュストローク 水分を含ませない、擦れた絵の具の筆跡を残す。細かな調整を行える。塑形したマチエールを表出させるにはもってこいの技術になる。マット質と噛み合う。 モデリング          マチエールを意図的に塑形する術。自身の好みの形に、マチエールをコントロールする。 マチエール          絵の具を、自分に対して自然な感覚で盛り込む。モデリングのように操作をしない。                 アクションペインティング あらゆる画材を用いて、動勢を限りなく表現する技術。媒質に拘らず、支持面に勢いをぶつける技術を介在させるのが難しい画法。 ポワリング          絵の具を「垂らす」 技術。ドリッピングは「振り当てる」技術。正確性を重視した絵画には向かない。
この技術体系には、先人が生んだ、大した意義の無いものもある。しかし、それに研鑽を加え、意義をかさねる事に研究生の喚起点が存在する。  さらには応用的な混合解釈による技術もある。  単量ひとつにしても公式でその差異を表示され、分別されています。なので、公式がひとつでも異なるもの同士の混色はポリマー(重合体)といえます。  グロスポリマー等、製品の時点で重合体の媒質も存在します。 道具
刷毛 筆      (大小号数) フラット   (平) フィルバート(平突) ラウンド   (丸) ファン    (扇) 面相 ローラー ナイフ 鉄ベラ マスキングテープ スパッターブラシ スクレープナイフ このほかにも、支持面に向かう時の気持ちが作用する方法に成ります。
検討しよう。きっと無検討を凌ぐ。 研鑽せよ支持面の中。模索しよう。身につけた技術をあっという間に惰性に変えて、次の技術を当然のように習得し。 伝えたい事を要約してしまうな。トランスする。そして、緻密に扱う。 今そこにある物質に無駄なく応じる。 媒質を触っているからといって、絵を描いているわけではない。両手を膝に置き、どうするか思索する事も描いていると言える。 技術を持つ事、知識を持つ事に衒いを感じるな。意味が無い。 感性も、技術も大事にしろ。その天秤が調和良くあって初めて作品は輝く。 習わぬ教を読み、教も習え。 習い、かつ慣れろ。 拘れ。凄く瑣末な支持面の端にも。それが緻密という事。 芸術であり、科学であり、公式であり、具体的検討や、予定であれ。 混色以外は措かない。厳密に言うと、自分の望みではないはず。 下地の時点でもう、3段階、4段階の予定を組んでおく。
媒質、技術、道具、歴史、運動との関連性、社会の流れの中でのイズムの発生、画材の発明理由。その他を暗記し、研究に至ったら今度は自己の絵画の風合いと自身との誓い。そこにウエイトを置く。  その後は研鑚に身を任すなら画家。作家。文章に秀でれば小説家。筆に秀でれば画家。応用に秀でれば個性を伸ばす。根を詰めたくば基本を煮詰める。学術、学識と、出来上がった媒質の組み合わせ方や展示、技術よりも目につく個性が際立てば現代美術、黄金率で構図を構成し、技術の組み合わせに長け、「3つ以上の技術の構成をひとつの画面空間に入れれる」や、「手や体の各部位を総て美術解剖学として熟知、
         そして、それを一つとして悪用しない自己決心。
 それができたら良いなあ、と思う。 アクリルガッシュがアクリル酸とメタリクル酸から生成されていて、公共建築用に発明された強固な絵の具であり、速乾性で一度乾くと一切の科学変化を受け付けないというのが基本である事は心に留めています。という事実から割り出せるガッシュの根本的使用方法は、「積層して出来る技法の活用」にあると感じました。どうしてかというと、透き通った感じが欲しいのなら、透明水彩のほうがレベルの高い媒質と感じます。と、いう事は、速乾性不透明水彩は重ね塗りのできる媒質性を生かした、積層をするのが一番の根本と感じました。積層された地塗りのう上にできる、透明な質は、また違う感触を醸すはず。重合体=テクスチャー等に扱うこの地塗り剤も、アクリルのこうした性質に救われている一面があります。こういう絵の具の感覚が逐次重要で、一見まぐれのような技術にも、実は媒質の特性をいかんなく生かした計算が見られます。
 絵画や塗料において、顔料を固着させる性質を含有するもの、すなわち絵の具を練るのに用いるメディウムの類、油脂、樹脂、ろう、各種のたんぱく質など総てこの章に含まれる。  接着剤は画用に用いるものに限られ、一般的なものは含まれない。 油彩のうち揮発性油に分類されるものは希釈剤、溶剤という括りで説明される。  ちなみに、DUO=デュオというメーカーから、アクリルとの混彩可能な油彩が含まれている。
研究は、「環境の良さ」「周囲の学識の高さ」に引っ張られる処もあります。なので、良質な勉強には良質な環境が重要だと思います。美術をやる人、そうでない人に関わらず、良くも悪くも【朱に交われば赤くなる】というのがあるので、良い環境に足を運ばせてもらい、最大限気を使い、その場で長く勉強するが1番の幸いだと感じます。  僕もそうしてこの勉強量を手にしました。自分ではなんもやっとらんです。
色面の少ない平面構成は性格上、配色が一番の見せ場です。そういう観点からこうやって配色を研究してみました。進行中です。 アクリルガッシュ=合成樹脂で顔料を結合する樹脂の事 アクリルガッシュの発達理由=公共建築の壁面に描くに足る、長持ちする強固な画材需要 具体的な要求=速乾性、安定性質の絵の具 アクリルガッシュの最初の活躍の場=工業分野 ポリマー=重合体 「PVA」=ポリビニールアセテート 成型プラスティック=飛行機や列車のガラスの代用 アクリルガッシュ=アクリル酸+メタリクル酸
(アクリルガッシュの特質)  水溶性であるが、一旦乾くと一切の科学変化が起こらない  塗り潰した支持面に更に絵の具を加える事ができる  科学構造によって完全蒸発できるような多孔質の膜が形成される  酸化や還元にも強い。 Acrylic rezins アクリル樹脂 Synthetic resins  合成樹脂 Vinyl rezins    ビニル樹脂  Amber       琥珀 Albmen       アルブミン アクリル酸+メタリクル酸+メチルメタアクリレート=アクリルガッシュ アクリル酸  CH²=CH:COOH メタリクル酸 CH:C(CH³)COOH メチルメタアクリレート 沸点100.3℃
 ムーブマン(動勢・運動・連動) 一場面しかピックアップできない事に対し、表現したい動きはとても難解。という場合、方向線、ストロークの方向等がとても印象や、動きの説明に一役買う。正中線とそのブレ、ルートを描きつける事によって、自動的に人間の想像力を喚起したり、知覚してもらえる事もできます。  回旋運動、伸縮緊張、弛緩、筋肉、骨格、体表解剖学の体表、等の知識があれば、骨や肉の方向線の位置が理解できます。 マッス=塊、量塊。         マス・コミュニケーション=大衆。(コミュニケーションを取る集団という塊)多量の纏まった物体の集まりを示すのがこの語「マッス」です。マッスとは、画面の中の相当量の光・色・影の集まりを意味します。群衆や森の集合、総体をマッスとも言います。「集まり」の感覚を総体的に指すのがマッスです。  よく用いられるのが、「群衆」という一人一人の集合を、一つの塊として描くのが「マッスとして捉える」という事だと思います。木を一つ一つ描くのでなく、その集合体が、直方体を描いていた時、それを直方体として解釈し、描くのが「マッス」という概念です。集まりを集まりとして要領良く捉え、集合として整理して描く、事がマッスのポイントだと感じます。  彫刻においては、素材がもう、「色んなモチーフを、一種の媒質、粘土、石膏で再現する」というマッス行為がなされています。  もう一つ、光の束、陰影、同色のまとまりにもマッスという括りが使われます。 「描き手が上手に行う画面の量塊整理・ないしは総体視整理」という広い意味でもマッスは用いられています。今日画面にマッスを形成しようとする作品は、様々な所で見られます。  応物用筆=物質の特性をいかんなく発揮した筆運び(要するに、マチエールと描写をいかに噛み合わせるかのstruglleに対して骨法用筆的に筆運びの研鑽を練る。)
moveman(動勢)や、masse(量塊)を持ち、スキアグラフィアやカリカチュアなどの正式画調を用いた絵画。技術を遠近法に重ねて用い、内包する空間も意識する。  動勢や空間、量塊、陰影に目が届き、それらを総合的に一つの支持面にうまく複合する事。
 「美的判断」
 美的判断とは、いわく言いがたき物ごとを判断する、特殊能力にあります。しかし、比喩的、「look like 」的学芸論には実は趣味性が高い。発祥から詳細まで語るプロには、(何々に見える)なんて理屈は通用しない。  魅せる側に付きまとう責任も、重大なのだろうと感じた。 芸術には日常を逸脱した天才の集団が集う、恐ろしき趣味性の高い会合という印象が付きまとう。実態はそうでもない。芸術学には、たしかな教養がある。何となくで描き続ける事と一線を画すのがそのkunst=芸術の事であり、そのkunst(芸術)の中にも沢山の種類が存在する。
 All germani kunstwissenchaft (一般芸術学)  Kunstwissenchaft (芸術学)  Kunstverhalten (芸術態度)    等、芸術学の中においても、態度教育や一般汎用性の高いものに振り分けられる。芸術学は人間の日常的な態度にまで良い影響を及ぼす。人間の欠点をカバーする教育手段にもなり、術性の高くなった昨今の人間の空虚を癒す、思いやりある手段にもなりうる。技術は描き手を未知の手段に飲み込む空虚な罠にもなる。よって、手段においては技術を伸ばし、健康学的観念においては人間の健康性や、ありよう、在り方を説明付けるものとして存在する。美術には美術解剖学という分野が存在し、それに関わるには、自分や他人の体を詳しく熟知し、生態系、生命体としての人間を中身から熟知する必要がある。  体の動きを追う動勢も、筋肉の成り立ちと、実際動く時、筋肉が縮む事によって手先を胸元に引き上げ、隆起と怒張によって作用を増し、収縮によって物体を引き、双子筋が走る手助けをする。肺呼吸で人間は動き、心臓は絶えず血を新しい血液に循環させる。その連動をしる事によって、人間は初めてそのlner perspective (線遠近法空間)の中を動き回る。人間は剤渓渫ではない。確かな連動によって動き回る、理性ある生命体なのだ。その事を知ることが、kunst(芸術学)を伸ばす、倍加させるきっかけとなる。
Kunst ( 芸術 ) ×somatology ( 生体学 ) × 美術解剖学=kunstwissenchaft  ( 芸術学 )    の図式を感じる。芸術は基本論から生じる。その生かし方と、健康学的側面を応用する世界。何の技術も保有しなくっても、ある程度上手に見える絵。あれは、均一であるからになる。しかし、もう一つ違う側面からいくと、美術技能には、緻密な段取りがある。素材毎に枝分かれするものでもある。よって、聞きかじった噂の集合体には、説得力が無い。人間としての英知を段違いに上げつつ、さらに芸術としての高い知識と技術を併せ持つ。それが本当の芸術学である筈。懸命すぎつつ自身の技術による支持面の状態を疑う。
         「 Can you real struggle ?  」   の精神を感じました。それが同様に、精神としても安心を生み、正しき生活を促すかのような絵画技術を獲得します。  情けは人の為にある。技術は生活の円環を守る為にある。豊富な知識が技術に拍車を掛け、生活を治める柔和な知識にもなるのだなあ、と感心しました。  (応物3法)
 立体編  物の形(塑形する媒質の特色)を表現として順応しつつも応用し、象徴として塑形する。巷にある、物体の破れた形 、曲がった形を美しく取りまとめる、その形に対して、確かな意味合いを持たせて立体象徴と化す芸術作品。
 絵画編  モデリング(塑形したマチエール)=(絵具+モデリングペースト)を、下地剤の媒質種と描きたい物、支持面に求める状態に応じて行う。心ある配慮をするかの如く知恵ある塑形をし、象徴化する。 (地塗り剤の特色を把握し、確かな塑形術によって物質を象徴化する。かつその絵画には技術と思いやりがある。)
日常編  生活の中、そこにある物質を最も効果的に用いたり、判りやすく配列したりする。日常の心構えとしての自己実現の象徴化である。        
美術と心理学論文 美術には、いわんや人間を癒す効果がある。その役割が無くては、作品の意義は無いと言っても過言ではない。社会の恐ろしさや、戦争に対する反対意識がある作品をアンチテーゼする事は可能だが、作品がコミュニケーションの取れる媒体として存在する、あるいはメッセージを内包した状態のものでなくては、結局なんの他人に対して与えうる回復も無い。と、いう事は、メッセージの中にも、テクスチャー、あるいは絵画技術としての、「見る側への癒し」がエッセンスとして内包されていなければ、成立はしても、誰かの足を止めるような絵画としては、成り立っていない、という事は。結局作品の中には「干渉」以外の、理解力とか、心遣いというものを含ませる必要性がある。  セラピストの基本に「共感的理解」という必要事項が存在する。セラピストには、相手の立場にたつ必要が、相手とのコミュニケーションを取る上で出てくる、というものだ。 「充分に機能する人間」という解釈でもって相手を具体的に理解しようという側面と、同時に「そういった一連の不具合というのは、どういった理由から来ているのか」という心理的側面の、2方向から人間を治療する事が重要であるのと同様に、「社会的メッセージ、公的訴えとしての絵画」「心癒す媒体の塊と、その積層としての絵画」という両側、2方向から人間にイメージを投げかける事が絵画には重要であるといえる。 美術という活動は、特に心を使い、目や内臓の疲労を増やす。密閉された部屋で行う作業という事もあって、どうしてだか精神的にも疲労する。病院に通う人間や、錠剤を常用する人間がいたとしても何ら不思議は無い。  そういう芸術活動のストレスは、屋内作業にして『衣食住』総てに美しさや景観、彩り、人間の作業の円滑、生活の循環の浄化としてタッチする事の難易度。『思いやり』や、人間の誠意の形作りであるがゆえの心労や、心の中の悩みが日々募るが故に起こる『変な疲労』が、尽きないということです。通常の人間からすると凡そ訳の分からない理由で自殺したり、病院送りになったり、薬を常用する為、その関心事の中に入る人間の活動もなかなか分析しづらく、その人間の病理を未然に解決する事も、とても難しいと憶測します。  要は、「美術系は患者としてはとても厄介で、故に人一倍体調管理に気をつけて欲しい人種だ」という事である。人間のなかでも、退化しやすい、あるいは退化をいとわず活動をつづけるのが芸術家であり、体は当然弱い、という事である。 美術館での景観に着目してみよう。お気づきでないだろうか。美術館の中の人間。「少々太り気味」というだけで、かなりの大柄な人間に見える事。そう、美術系という人種は、僕も含めて、それだけ脆弱な人種なのである。 そういう意識の元活動して欲しい、という人間も、内外問わず沢山存在する筈だ。要は人生を歩んだ結果としての体格や、一個体としての蓄積が、美術家は脆弱になりやすいという事だ。  一方で、学生常設には事故が起こり易い。「大作品」の厄介さだ。大作は、ナイーブな扱いを要求する割に、相当な重量を伴うので、扱いを知りつつ取り扱う事が重要になる。 そして、実はもう一つの重要な観点がある。そういうナイーブな作品の取り扱い、実は「ためらってはいけないのだ。」 しても良いことの範疇を利用して、最大限の要領を用いるのが作品の秘訣である。それはとても感覚が難しく、要領よ美術との狭間に位置するのだ。    その活動の「混合疲労」は、とても体には辛いだろう。脳と肉体が両方疲れる、という事だから。そして、さらに新たな美術品にも精力を注がない事には始まらない。 まことに美術とは、疲労の連続なのである。しかも、動きは美的な為、なかなか表出しにくい分、当人たちが倍、気を使いあわないといけないという義務がある。  一方で、これは描き手の願望、『こう描きたい』とか、『ああいう風に描きこんでみたい』とか、そういう類の物である以上、やはり作品完成度で日本人を上回る人種は相変わらず存在しない。  あの石膏像や、ルネッサンス絵画といえども、積層と、重層感においては結局日本人の上を行く事などとても不可能である。日本人の気質でなければ、生み出す事が不可能な「思考的密度を組む絵画理論」で、できたインスタレーション絵画は、構図は精巧、かつダイナミックに仕上がっている。そういう日本の気質が、オリジナリティーを奪う行為にも繋がり易くはあるのだが、結局人間は「同じ物があれば、良質な方に興味を引かれる」というのが定石なのである。 アクリル絵の具は水で希釈できる合成樹脂(ポリアクリルエマルジョン)によって顔料を嫌ったものです。画材として合成化合物が育ったのが、壁画創作運動に伴う「対公共建築物対応壁画用画材」の需要で、 「強度」 「速乾」 「多数支持面固着」  等の需要の為に生まれました。たくさんの支持面、鉄、コンクリート、木、等有機物、無機物を問わず固着する上、全画材中最強度を誇るものでなくては、雨天にも対応する壁画は生まれなかったのです。支持面がフラットであり続ける限り、罅割れすら起こらないというのがその強み。面相による細かな描きこみも可能で、薄め液も水になるので健康も害さない。  こうしてアクリルガッシュは生まれ、その有能さから、絵画にも続いて応用されるようになりました。 アクリルガッシュと下地の関係は、作品の仕上がりを100パーセント左右するほどのものがあり、その下地剤一つ一つにも特徴が存在する。
ライトモデリングペースト  マチエール塑形術、「モデリング」に扱う素材。この応用で、立体に長けた人間を絵画に誘う事が出来る。通常の重量の物と、もう一つ軽質な物がある。その軽質さ故、多大なマチエールを造り、モデリングとして塑造しようとも、重量が軽質を保つ。要は支持面の重さを念頭に置かない創造が可能になるという事。この物質にはモデリングの上でとても助けられる筈。
セラミックスタッコ 粒状の樹脂が独特のテクスチャを出す。粘りが強く、固着しても、マットさと粒質感と、かつ品位も残す。 ナチュラルサンドもこれに似ている所がある 「制作意図」についての論文
美術を渇望する人間は、何を手に取ろうともなにか魅せる物を作ってしまう」というのを。  そうしたいという人間、真にそういう物を創造したいと考える人間に、媒質のハードルや技法の難解度はあまり問題ではないのだ。「その表現をするにおいての最大限のマテリアルの生かし方」が、最も重要であり、それを習うにしても、習わざるにしても、描かんと欲する人間はどうにかして、頭の中から引きずりだす。道具と道徳を思考するだけで、ある程度は解決付いてしまう。勿論そこからの教養というのが肝心なのだが、その地盤にそういう「思い」が根付いていないと、作品として「意味が分からない」のだと感じる。  道徳を筆を取る際感覚化させるだけでも、それが充分な「技法」足りうる。  絵の具を使う=無駄なき方法を知っている=少ない画材で良い物が沢山できる  絵の具を使う=道徳観念がある=無駄をしない考え方をする=上記に同じ結果  という様に、道徳観念が生み出す「思い」が、今そこに習わぬ知識を生み出す事があり、美術に携わる人間は、それが自分の手元から出てきた瞬間、それを残し、逃さずキャッチしなければいけない。そういう感覚を絶えず保有する事と、そういう「真新しさと品格の違った創造」を心が排出する精神性を保有している人間こそが天才であり、それ以外はただの全体の中の売名に過ぎない。そう、道徳性とは心の広い人間性にこそ微笑み、矮小で真新しいものにばかり走る人間には振り向かないのである。    本当の真新しさには理由とコンセプトがある。多くの人間に目を引いてもらいたい、戦争、社会、国、等の、確固たる理由や、「自分の絵を見ている間だけでも和んでいてもらいたい」とか「こういう表現、コンセプトで表現した事を皆に伝えたい」という『理由』に基づいて作られ、その結果、多くの人間の足を止めるような技術が必要になり、『真新しさ』が表出する。要は
     『本人の一番良い自我を、技法を乗せて放出する』  のだ。そこには、自分の引いた線、たまたま形として出来てしまった美しきストローク、筆跡のみに流されない、『本当に優れた心の持ち主』のみが到達できる『技法をちりばめてなお、爆発混在している自己表現』がある。僕は僕の絵も含めて、そういう絵を未だ目にした事が無い。 それは、その夢は、『左手で左手の肘を掻く』が如き夢である。そう、技術を一画面に纏め、一つの体系としてバランス良く表現することと、そういう『表現』という感情の曖昧さの混在の渇望は、矛盾点が多く、例えばクロッキーをいくつもかさねたとか、其れこそ面白い絵柄を作った、だれも知らない技法を生み出したとか、そういう物とは別である。『誰も知らない線の引き方が出来た』というのは、実は結構意味性に欠ける。例えば卵を投げてきれいに割れる手腕があったとして、『皆の役に立つ類では無い、意味性の希薄な趣味性の高い技』なのだ。本当に表現を渇望する人間は、適当にやっても何故かその表現したい事項が表出した絵になるのである。よって、美術をする人間の殆どが、その夢を抱いている。その夢の頂の高さにかかると、大作までもが失敗作と化す。僕は勿論出来ない。しかし、美術は技術でなく、美しきなにかの表出術であり、技法体系を美しくまとめるだけのものに終わるのも、僕自身としては寂しいような気がしてならないのである。  前述したように、制作の意図と、癒しのバランスが作品には欠かせないのだろう。リアリティーをどれだけ保有したものでも、結局それと等量の癒しとしての絵画技術を保有したものでなければ、絵画を体感する側としても、とても息苦しい。言い換えるならば、「制作意図の為のリアルな一側面」がそこにあるのであれば、相手は気持ち悪さを感受しないし、感知もしない。逆に、いかに可愛いものばかりを扱った絵画でも、その「制作意図の為の腹黒い算段」がそこにあるのであれば、相手はなぜかそこに気持ち悪さを感受する。そういうものである。 技術というのは、とても重要である。軽んじてはいけない、皆が苦心に苦悩を重ねて生んだ思考の断片を、客観的な視覚や考え、感覚、理論によって否定したり、また肯定したり、練り直したり、技術同士を比べて、新たに生み出されたものであるか、それとも既存の技法の変容、応用的なものであるか検討したりして一つ一つがとても自由な発想と、今日の技術的修練と完成度で生み出されている。その集積が技法である以上、技術を、単なるテクニックとして否定する事は、誰にも出来ない。美術に愛着があればあるほど、本当は「できない」のである。  ところで、6年から7年以上画面に着手した人間ならもう分かると思うが、技術には併用が可能である。ステンシルとストロークも、ステンシルの用紙の上から、筆跡(ストローク)をダイナミックにつけることができる。ステンシルの上からドリッピングすると、用紙をはがした時、用紙の切り抜いた部分にのみドリップの痕跡が残る。そのようにして、技術同士の混合が可能なこの一つ一つのぎじゅつは、とても上手く共存してる。ステンシルで直線を切り抜いて、ドリッピングを5〜6階調で行い、上から光の調節を行うようにして加筆を行うと、「ドリッピングの柱」が出来る。そのようにして、技術の併用によって出来る表現は、掛け算式に倍加する。この感覚さえ持っていれば、いかに描写力を有した状態でも、画面の真新しさを失う事は無い。「実力介在形前衛絵画」の出来上がりである。 今現在の常識の中の技術は、とても幅が出来たと感じる。しかし、肝心なのは使い手の方の心構えである。人間の、物知りげなプライドが自身の向上心に対するストッパーになることもあれば、社会における低俗な嫌がらせに屈し易い稚拙な作業をする人間のありようなどに、心を狂わされるであろう。修行僧ではないので、それが自然な事である。しかし、いくら人間が良いからといって、思いやりがあるといっても、それ全部自分の負債であるという事。なので、技術を研鑽する身になったからといって、その精神や心構えを決して変えてはいけない。そして、「ダイナミックさより密度を重視したい」とか、「知名度より節度を重視したい」のなら、まずそういう技術の習得に対して熱心でなくてはいけなく、指導者もそれを応援する義務があり、その責務から逃避した口の使い方をするのなら、心優しい人間からの、制裁を受けなければいけない。美術は、心根の綺麗な人間を、からかう為に生まれた技術ではない。ゆえに、今日も、誤った用法を呪詛的に用いた人間は、どんなに多勢であろうと、容赦なく罰せられるし、そういう正しさの方がまかり通るように出来ている。まことに不思議な感覚を覚えました。 制作意図という問題、観点もそう。制作の意図がとても深いものなら、一見単純なようでも、なぜか心の深い部分に響き、技術がいかに複雑で、さまざまな描きこみに基づいた技術形態であろうと、モナリザをぱくったような「間違った斬新さ」を持っていたら、人間は自然と素通りする。その証明のもっとも顕著な例が現代美術だといえる。おおよそ技法的な構成上の詰めや、制作上の完璧な予定、その他総てが曖昧であるものの、人間の心惹くテーマ性に満ちている。 美術という画面の応用性には、様々な悪用方法が存在する。それはいわんや、不明瞭な利用方法で、とても人間の隠れ蓑になりやすい。知識のある人間が利用して、知識の無い人間を騙しきるのだから、それは罰せられる筈が無い。よって芸術系には、逸脱した感じの人間がいる。一部の知識者によって、自覚を奪われているのだ。心を自動的にコントロールされるかのように。そういう人間の把握量の差を用いた、間抜けな失敗も美術にはあり、それは医学等がツケをもっている。現代社会に絵画が登場する事は、とっても考えにくい。なぜって今は、ビルディングのモニターの大画面が、壁画にとってかわり、そういうシステマティックな全体が、絵画という手間隙を、ぶち壊してしまったからである。そうして今、デザインという簡易で安易な物体が日常社会を占め、その量産性が格好の特異点を求める人間達を食い物にしているというわけだろうと感じる。  自分は、絵画を一生懸命に続けた人間である。その時脇目も降らなかった。学校を辞めたり、誤解されたり、陰口を叩かれても、まるで気にしなかった。歯が欠けても、肌がボロボロになっても、その筆を、訳のわからないダスターに持ち替えてでも、辞めなかった。その事が今日の僕にほんのチョットの身分をくれた。後は、皆が喜んでくれると嬉しい。それだけだ。人間の制作意図というのは、技術を超えて人間の意志を支配する。その意図へ向けて、心燃やし、体を裂いた人間には、必ず望みが敵う。その望みが、他人がより多く喜ぶタイプのものであるのなら、なおさらである。そして、制作意図が自身の作風に沿ったものであるのならば、作品はいつも8割方の成功を収める。一人の個性ある人間が、長く作品を制作する事に従事してゆくと、どのような人間にもアクや、個性が表出する。そしてその個性に沿った制作体系を、生み出すに至る。基本的な技術体系の上にその個性が綺麗に乗ったとき、その絵画の個性はゴールインする。そう、制作意図と技術は、本当はとっても仲良しなのだ。「制作意図=個性」「個性があるから、技術を介在させるのが面倒くさい」という心理状態に陥り易い、集中制作においては、結局そういう人間の感性が完成度に対する障害と化す、という事実がある。しかし、誠に良いものが作りたい、自身の個性の先の、一番良い表現状態が見たいと感じた場合、技術のハードルというのは、そういう願望が在る人間にとっては実は「そんなに高くない」。大きくその体を使い、絵画をする大人として解釈するならば、決して困難でない。それに気付いている人間は技術を吸収する。それが総てでないのだから、技術の習得はとっても簡単な筈だ。技術は媒質である。技術は用法である。その用法の真新しさが、新しい自身を引き出す事も沢山あるはずだ。で、あるのならば、技術の幅が広ければ、制作の意図の深みも増すというものだ。長年一つの物事に従事した人間には、その内実の研鑽方法について、知る義務がある。それが制作意図に一層の深遠広大さを与える事は、言うまでもない。  このようにして、技術と制作の意図がどれだけ重要な接点を有しているかは分かるでしょうが、ここからさらに分解し、かつ分かり易く克明に制作意図と技術の関連性について触れてみたいと思う。  例えば在る一色、「ベージュ」によって得た感覚からイメージを膨らませて絵を描いたとしよう。その一色によって生み出せるイメージの幅と、更にもう一色、「ベージュの補色」を絡ませて描ける絵のイメージの幅では、どうしても、その「もう一色」を知っている、及び用いる事が出来る人間の絵画の方に完成度が出来るのが、当然の結果である。色数が総てでは無い。シンプルな方に注目が集まり、その魅力はシンプルである事で成立している絵画も当然沢山ある。しかし、この場合で言う所の感覚点とは、「製作意図の深みの差異」を表す。日本的な一面を内包した高名な現代絵画においては、一色の色彩だけが主立っている事は先ず皆無である。人間が魅力を感じるのは、その苦悩と正しき研鑽の集積である。結局、「癒し」というレベルを超えた解釈の感覚になると、そういう「研鑽の集積」が価値基準と化し、その中で人間はもっとも複雑にして深遠なイメージを両有するものを選出する。よって、絵画の制作意図に深みを与えたいのならば、当然制作の複雑化が必要不可欠になってくる。その技術の集大成に一つ一つの技術を付加し、その付加に自身のイメージを引っ張られてゆく事も、重要な研鑽のポイントになる。               そう、制作意図自体も成長するのである。
美術には、いわんや人間を癒す効果がある。その役割が無くては、作品の意義は無いと言っても過言ではない。社会の恐ろしさや、戦争に対する反対意識がある作品をアンチテーゼする事は可能だが、作品がコミュニケーションの取れる媒体として存在する、あるいはメッセージを内包した状態のものでなくては、結局なんの他人に対して与えうる回復も無い。と、いう事は、メッセージの中にも、テクスチャー、あるいは絵画技術としての、「見る側への癒し」がエッセンスとして内包されていなければ、成立はしても、誰かの足を止めるような絵画としては、成り立っていない、という事は。結局作品の中には「干渉」以外の、理解力とか、心遣いというものを含ませる必要性がある。  セラピストの基本に「共感的理解」という必要事項が存在する。セラピストには、相手の立場にたつ必要が、相手とのコミュニケーションを取る上で出てくる、というものだ。 「充分に機能する人間」という解釈でもって相手を具体的に理解しようという側面と、同時に「そういった一連の不具合というのは、どういった理由から来ているのか」という心理的側面の、2方向から人間を治療する事が重要であるのと同様に、「社会的メッセージ、公的訴えとしての絵画」「心癒す媒体の塊と、その積層としての絵画」という両側、2方向から人間にイメージを投げかける事が絵画には重要であるといえる。 美術という活動は、特に心を使い、目や内臓の疲労を増やす。密閉された部屋で行う作業という事もあって、どうしてだか精神的にも疲労する。病院に通う人間や、錠剤を常用する人間がいたとしても何ら不思議は無い。  そういう芸術活動のストレスは、屋内作業にして『衣食住』総てに美しさや景観、彩り、人間の作業の円滑、生活の循環の浄化としてタッチする事の難易度。『思いやり』や、人間の誠意の形作りであるがゆえの心労や、心の中の悩みが日々募るが故に起こる『変な疲労』が、尽きないということです。通常の人間からすると凡そ訳の分からない理由で自殺したり、病院送りになったり、薬を常用する為、その関心事の中に入る人間の活動もなかなか分析しづらく、その人間の病理を未然に解決する事も、とても難しいと憶測します。  要は、「美術系は患者としてはとても厄介で、故に人一倍体調管理に気をつけて欲しい人種だ」という事である。人間のなかでも、退化しやすい、あるいは退化をいとわず活動をつづけるのが芸術家であり、体は当然弱い、という事である。 美術館での景観に着目してみよう。お気づきでないだろうか。美術館の中の人間。「少々太り気味」というだけで、かなりの大柄な人間に見える事。そう、美術系という人種は、僕も含めて、それだけ脆弱な人種なのである。 そういう意識の元活動して欲しい、という人間も、内外問わず沢山存在する筈だ。要は人生を歩んだ結果としての体格や、一個体としての蓄積が、美術家は脆弱になりやすいという事だ。  一方で、学生常設には事故が起こり易い。「大作品」の厄介さだ。大作は、ナイーブな扱いを要求する割に、相当な重量を伴うので、扱いを知りつつ取り扱う事が重要になる。 そして、実はもう一つの重要な観点がある。そういうナイーブな作品の取り扱い、実は「ためらってはいけないのだ。」 しても良いことの範疇を利用して、最大限の要領を用いるのが作品の秘訣である。それはとても感覚が難しく、要領よ美術との狭間に位置するのだ。    その活動の「混合疲労」は、とても体には辛いだろう。脳と肉体が両方疲れる、という事だから。そして、さらに新たな美術品にも精力を注がない事には始まらない。 まことに美術とは、疲労の連続なのである。しかも、動きは美的な為、なかなか表出しにくい分、当人たちが倍、気を使いあわないといけないという義務がある。  一方で、これは描き手の願望、『こう描きたい』とか、『ああいう風に描きこんでみたい』とか、そういう類の事である以上、やはり完成度でを上回る人種は相変わらず存在しない。  あの石膏像や、ルネッサンス絵画といえども、積層と、重層感においては結局日本人の上を行く事などとても不可能である。日本人の気質でなければ、生み出す事が不可能な「思考的密度を組む絵画理論」で、できたインスタレーション絵画は、構図は精巧、かつダイナミックに仕上がっている。日本の気質が、オリジナリティーを奪う行為にも繋がり易くはあるのだが、結局人間は「同じ物があれば、良質な方に興味を引かれる」というのが定石なのである。  決まり事の中で物事を煮詰める行為で世界一なのは日本人である気がする。 一方で、美術に携わる人間の感覚と、技術の駆使の天秤をとても悩みの種にする人間もたくさん存在すると思います。 なんに関してもそうですが、「万人に共通する悩み」と、「専門的に理解する必要がある事実への悩み」は、とても矛盾を抱きやすい問題が出てきます。そういう時、どちらを優先順位として持ってくるかはその人間各自の自由になると思います。あらかじめ自己心理の理解力を上げている人間は、「飲み込み」が違います。「ああしなければいけない」、という理由を心が理解するので、とっかかりなく物事を推し進める事ができます。これと美術的技術と交わらせると、同様の事が言えます。例えば、テクスチャーを作る下塗りに扱う技術を用いる、ストロークであったり、もしくはマチエール、テクスチャーであったり、その選別が正しい人間というのは、より良い選別をする人間というのは、「そうしないといけない理由」を深く理解している人種だからです。その理解に技術を乗せているから、「技術的に卓越しているにも関わらず、内的理解に乏しい」という失敗が無い、という訳です。  テクスチャーや、地塗りは、失敗すると次の面を作るとき、その失敗した部分のみが一層厚くなり、「物体」として見た場合、不自然になります。そしてテクスチャーの失敗、しかもその色面がとても大きかった場合、上塗りにはあからさまな費用がかかる上、支持面が重くなります。  物事の間違いには費用が掛かります。そして世の中においてその失敗は往々にして自身に帰ってきます。よって、「間違えるな」と言える人間の方が少しだけ思いやりがあるというのが事実です。  技術的失敗の積層は、人間の心に対して「できない」という感覚を自身に刷り込む事になります。そういう「自分の刷り込んだ感覚」というのは中々払拭しずらいものです。他人が刷り込んだ感覚は距離を置く事でやがて緩和されますが、自分とは一生、一秒も離れ離れになる事ができないのです。よって、自己に対する不安はなかなか払拭しずらいものなのです。美術とは、自分の内面の表出場面であり、調子の不具合がすぐ体にでます。よって、「自身に負けない心」というものが必要不可欠になると感じます。  他人と自身を比べてみた場合に、どうしても心理的不安が伴い、いつもの好調が出ないでしょう。しかし、そういう場合にこそ意味性を伴うような2倍の優しさと、2倍の具体的な何かでもってますますの好調を引き出すのです。


美術にはいわんや人間のメンタルに関わるという役割が存在します。人間のメンタルに画面でもって食い込む作業、実はこれかなり現代社会においては重要な役割を担っています。コンピューターや、社会の軋轢に耐えかねた人間の心理的ある一面の崩壊を、きれいさっぱり立て直す行為や、ゲームの画面に惑わされた人間、携帯電話の画面に身体的な側面を害された人間のリロード方法としての絵画が、今日存在します。 色彩は「癒し」、テクニックは「信頼」、技術は「円滑なコミュニケーションとイメージの助長」、解剖学は「正しい画面内の人体のありようとテクニックとの関連性」、修練は、「義務」、会合は「守りあう為」。  そういう一連の行為が絵画の作品作りにおいてもっとも重要な決定付けになります。その存在が際立つ秘密の箇条はこんなところです。  人間には、実生活、実際の世界以外の癒しが必要となります。そして、そういうぎりぎりの癒しを与える行動というのはとてもテクニックと修練の時間を擁します。その研鑽の量が確かになってゆくと、人間は障害を乗り越えるようになります。そして画面を見る人間の障害もそこから消えうせます。そういう技術の集大成に対して得る感動とは、
   「思いやり×技術」という倍加方式により一層の効用を他人全体に与えます。
 技術の無い絵画というのは、とても客層が偏ってきます。そういう場合に、自分も他人も、大変寂しいでしょう。
 会合とは、自己顕示ならず、守護しあう、心配りあうものなのです


梅田聡一郎 さん 2005年 10月 12日 15時 03分 44秒

梅田 聡一郎


(僕の作成分) そのようにして、各自さまざまな技術を体得しその個性を技術の変容や、突出で魅せる。この事が描き手各々の個性を助長させるが、一方で通り一遍の他の技術に支えられての突出と、一技術の突出では、安定感が違うのも事実ではある。油を薄く、薄く、重ね続ける人もいれば、筆勢を思い切り魅せる人もいる。そして、上級者になると、総てを一画面に込める努力はしても、一つの技術のみで絵画制作を終わらせる事は、まず無い。主格として目立つ、メインの技術は定められているし、それが一番魅力を放つ事に違いは無いのだが、相違点はそれが他の様々な技術に支えられている事にある。例えばハッチングをするにしても、その下地に合った色が塗布されているのとそうでないのでは、完成度に段違いの差が生じる 。
目次
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• 1 道具
• 2 画調
• 3 技術
• 4 絵画5層
• 5 複合学術
• 6 有名画家
• 7 デザインの語源
• 8 遠近法
• 9 ウィキペディアにようこそ!
• 10 梅田聡一郎からの質問
• 11 プレビュー機能のお知らせ
• 12 署名のお願い
• 13 質問のお返事

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道具
支持体
• キャンバス(又はカンバスとも言う。キャンパスは大学の敷地、構内)(0〜300号)
• キャンバス張り器
• 木枠
• キャンバス布
• 短釘

描写道具
• ペインティングナイフ
• パレットナイフ
• スクレーパー
• 絵筆(0〜40号)
 ラウンド(丸)  フラット(平)  ファン(扇)  フィルバート(平突)
• 木炭・鉛筆(8H〜8B)
• 刷毛
• ローラー
• パレット(木)
• パレット(プラスティック)
• パレット(紙・ペーパー)

着彩道具
• 油絵の具
• ペインティングオイル
• テレピン油
• 油壺
• 膠
• 油分速乾剤
• 下地剤
• 顔料
• 体質顔料
• メディウム
仕上げ
• 上層保護剤
• 額縁(金・銀細工・木枠・アルミ枠)


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画調
 絵画の画風は、何派、とか何風とかに分かれているが、技術の観点でいうと、このように沢山の画調に分かれている。
• スキアグラフィア   陰影画
• ポリクローム     多色画
• ジャクスタポーズ   並列画
• コラージュ      紙片体接合画
• アッサンブラージュ  立体物構成画
• インスタレーション  象徴設置画
• カリカチュア     風刺画
• ナチュールモート   静物画
• デックファーベンモレリ不透明画
• ポートリアル     肖像画(写実)
• ポートレイト     肖像画(心象)     
• イコン        聖画   
• グリザイユ      単色画
• ディプティック    2部作
• トリプティック    3部作
• ポリプティクス    連作
• 壁画
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技術
 技術には、様々な扱われ様があり、それは語感によってさらに感性質の高いものへと昇華する。単なる行いから、感性を含有した技術体系へと変化する。
基礎技術
• 平塗り
• ハッチング
• クロスハッチング
• マスキング
• ステンシル
• デカルコマニー
• フロッタージュ
• アッサンブラージュ
• ヒディング
• モデリング
• ポワリング
• アクションペインティング
• ドリッピング
• 透かし
• 暈し
• ブラッシュストローク
• ドライブラッシュ
特有技術
• esquisee(エスキース)構想下絵
• profili 線描
• controni輪郭描写
• disegno 素描
• coloare 彩色
• chiaroscuro (キアロスクーロ)階調画
• impasto(インパスト)   上層厚塗り
• imprimatula(インプリマトゥーラ)有色下地
• camaieu(カマイュ)    有色下地上単色画
• ebouche(エボッシュ)   薄塗り下絵
• glasis (グラッシ)    薄塗り重層画
• scumbling(スカンブリング) 上層仕上げ平塗り(技術)
• veratula(ベラトゥ−ラ)  上層仕上げ平塗り (表現)
• alla prima (アラ プリマ)直接描き
• preparesion(プレパレーション)地塗り
• tintingstrength(ティンティングストレングス)着色力
• hiding power (ヒディングパワー)隠魅塗布
     併用可 
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絵画5層
 絵画を描く段取りと同時並行する「意識点」にある。個性は人それぞれであるが、意識すべき順序は共通している。これを絵画5層(inhaltstructur)という。 絵画5層(物質であれば、2は構造、3は質感になる。)

• 1層目 明暗、形姿、概図、全体像をぼんやりと把握する。
(sfumato霧状効果)
• 2層目 動勢、量塊、量感、骨筋を把握する。
(anatomy解剖学)(masse/volume/moveman)(formung)
• 3層目 心の中、内臓、性格、感情、心境の状態を把握する。
(personal)
• 4層目 その扱われ方の癖、個性、哲学、発達と理由、人体の「物としての磨耗度」、性格を描く。
(tintingstrength)(wallen)
• 5層目 それらすべてを総合して、描写対象を象徴化する。
(Vostellung)  
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複合学術
これらを絵画に複合する事が、自分の絵画の可能性を広げるきっかけになる。

図(構図の正しさ、面白さ)
• commensuratio(寸法)
• prospectiva 遠近法
• liner perspective 線遠近法
• sfumato 空気遠近法(霧状効果)
• graphein 記述
• geometory    幾何学
• iconography 図像学
• golden ratio 黄金率(1:1.618)
• silver ratio 白銀率(1:1.414)
• distance axiom(距離公理)
• angle axiom (視覚公理)
• 線織面
• 天使遠近法(湾曲線分割)=幾何比例遠近法
• 地上遠近法(直線分割) =投射面投影遠近法
• proportionalmente 釣り合い良い・バランスの良い
体(体の作りの把握表現)
• somatology    生体学
• surface anatomy 体表解剖学
• artistic anatomy 美術解剖学
芸(芸術を行う上での感覚)
• kunst        芸術
• kunstwissenchaft        芸術学
• all germani kunstwissenchaft一般芸術学
• kunst verhalten        芸術態度
• kunstwallen           芸術意志
• aesthetisia 感性学
象(検討あるシンボルとして描く方法)
• ung 象構成
• buildlesthureibung 形象記述能力
• einbuildungskraft 形象構想能力 
• formung       形象構成
• vostellung 表象構成
象状態(上記の方法で出来たシンボルの、芸術作品としての種類)
• noema   形象
• noesis  構象 
• zeigen  示形象
• flack   平形象
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有名画家
• アルブレヒト・デューラー
• アルビン・ブルノブスキー
• アンディー・ウォーホル
• アンドレ・マッソン
• ヴァンアイク
• オスカル・ドミンゲス
• オーブリー・ビアズリー
• レオナルド・ダ・ヴィンチ
• ラファエロ・サンティ
• レンブラント・ファン・レイン
• ピーテル・パウル・ルーベンス
• ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
• ヨハネス・フェルメール
• クロード・モネ
• ポール・セザンヌ
• フィンセント・ファン・ゴッホ
• サルバドール・ダリ
• ピーテル・ブリューゲル
• ピエロデッラ・フランチェスカ
• パウル・バンダーリッヒ
• ジオットー
• ジョルジュ・ルオー
• マックス・エルンスト
• エルンスト・フックス
• ルドルフ・ハウズナー
• ロベルト・マッタ
• マックス・ベックマン
• カラバッジオ 
• ピーターブレイク
• プッサン
• ブラマンク
• ティッツアーノ
• グスタフ・クリムト
• エゴン・シーレ
• ガストン
• ジャンミッシェル
• アガス・ジャック・ロラン
• ジョセフ・アルバース
• アルガルディ・アレッサンドロ
• ワシントン・オールストン
• ローレンス・アルマ・タデマ
• アルブレヒト・アルトドルファー
• ジャコポ・アミゴーニ
• カール・アンドレ
• フラ・アンジェリコ
• アンドレア・デル・サルト
• アンリギッラ・ソフォニスバ
• アントネッロ・ダ・メッシーナ
• アペル・カレル
• アーキペンコ・アレグザンダー
• ジュゼッペアルチンボルド
• アンドレ・ブルトン
• ジョン・ジェームズ・オーデュポン
• アウアーバック・フランク
• アーフェルカンプ・ヘンドリック
• フランシス・ベーコン
• バルドゥング・ハンス
• バッラ・ジャコモ
• バルテュス
• フラ・バルトロメオ
• ゲオルグ・バゼリッツ
• ジャンミッシェル
• ヤコボ・バッサーノ
• ポンペオ・バトーニ
• ヴィリ・バウマイスター
• フレデリック・バジル
• アンドレ・ボヌーブ
• ドメニコ・ベッカフーミ
• マックス・ベックマン
• ジェンティーレ・ベリーニ
• ジョバンニ・ベリーニ
• ベルナルド・ベロット
• ジョージ・ベローズ
• ジャンロレンツオ・ベルニーニ
• ヨーゼフ・ボイス
• アルバート・バイアスタント
• ジョージ・ケイラブ・ビンガム
• ピーター・ブレイク
• ウイリアム・ブレイク
• ウンベルト・ボッチョーニ
• アルノルト・ベックリン
• クリスチャン・ボルタンスキー
• ディビッド・ボンバーグ
• ボニントン
• ピエール・ボナール
• パリス・ボルドーネ
• ヒエロニムス・ボス
• フェルナンド・ボテロ
• サンドロ・ボッティチェリ
• フランソワ・ブーシェ
• ウジェーヌ・ブーダン
• ディリック・バウツ
• ボイド・アーサー
• ジョルジュ・ブラック
• ヴィクトール・ブラウネル
• アーニョロ・ブロンツウィーノ
• マルセル・ブロータース
• フォード・マドックス・ブラウン
• ヤン・ブリューゲル
• エドワード・バーン・ジョーンズ
• エドワード・バラ
• アルベルト・ブッリ
• ギュスターブ・カイユボット
• ロベルト・カンビン
• カレナット
• カルパッチオ
• カルラ・カルロ
• アンニバーレ・カラッチ
• メアリー・カサット
• アンドレア・デルカスターニョ
• ヴィンチェンツオ・カテーナ
• ジョージ・カトリン
• ポール・セザンヌ
• マルク・シャガール
• フィリップ・ド・シャンパーニュ
• ジャン・バティスト・シメオン
• ウィリアム・メリット・チェイス
• フレデリック・チャーチ
• チマブーエ
• ピーテル・クラース
• クロード・ロラン
• フランチェスコ・クレメンテ
• フランソワ・クルーエ
• トマス・コール
• ジョン・カンスタブル
• ジョン・シングルドン
• コロー・ジョン・バティスト
• コレッジオ
• デルコッサ・フランテェスコ
• クルーベ・ギュスターブ
• ジョン・ロバート・カズンス
• トニー・クラッグ
• クラナル・ルーカス
• アールベルト・カイプ
• サルバドール・ダリ
• バービニー・シャルル・フランソワ
• オノレ・ドーミエ
• ダビッド・ヘラルト
• ダビッド・ジャック・ルイ
• ディヴイス・ステュアート
• エドガー・ドガ
• ウジューヌ・ドラクロア
• ローベル・ドローネ
• ポール・デルヴォー
• モーリス・ドン
• アンドレ・ドラン
• ディーベンコーン・リチャード
• ジム・ダイン
• オットー・ディックス
• ウィリアム・ドブソン
• テオ・ファン・ドゥースブルフ
• ドメキニーノ
• キースヴァン・ドンゲン
• ドッソ・ドッシ
• ヘラルド・ダウ
• ダヴ・アーサ
• ジャン・デビュッフェ
• ドヴッチオ・ディ・ブオンセーニャ
• マルセル・デュシャン
• ラウール・デュフィ
• ヴァン・ダイク
• トマス・エイキンズ
• アダム・エルスハイヤー
• フランソワ
• ジェームス・アンソール
• リチャード・エステス
• ウィリアム・エッツイ
• ヤンファンエイク
• カレル・ファブリティウヌ
• アンリファンター・ラトゥール
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• ジェンティーレ・ファブリアーノ
• アルテミシア・ジェティレスキ
• テオドール・ジェリコー
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• ドメニコ・ギルランダイオ
• ギルバート・アンド・ジョージ
• ハロルド・ギルマン
• ルカ・ジョルダーノ
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• ジオットー・ディ・ボンドーネ
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• ナターリア・ゴンチャロヴァ
• アシール・ゴーキー
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• ファンホイエン
• ベノッツオ・ゴッツオリ
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• フトキンソン・グリムショー
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• アントワーヌ・ジャン・グロ
• ゲオルグ・グロッス
• アティアス・グリューネヴァルト
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• バーバラ・ヘップワース
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• エドワード・ヒックス
• 安藤広重
• マインデルド・ホッベマ
• デヴィッド・ホックニー
• ハワード・ホジキン
• フェルナンド・ホジョラー
• ハンス・ホフマン
• ウィリアム・フォーガス
• 葛飾北斎
• ハンス・ホルバイン
• ヴィンズローラ・ホーマー
• ホントホルスト・ヘルト
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• エドワード・ホッパー
• ウィリアム・ホルマン
• ドミニク・アングル
• イヴァーノフ・アレクサンドル
• ヤウレンスキー・アレクセイ・フォン
• ジョン・グヴォン
• ジャスパー・ジョーンズ
• アレン・ジョーンズ
• ヤコブ・ヨルダンズ
• ドナルド・ジャッド
• フリーダ・カーロ
• ウィレム・カルフ
• ワシリー・カンディンスキー
• カウフマン・アンジェリカ
• アンセルム・キーファー
• キルヒナー
• キタイ
• パウル・クレー
• イヴ・クライン
• フランツ・クライン
• ゴッドフリー・ネラー
• オスカー・ロコシェカ
• ヴィレム・デ・クーニング
• ジェフ・クーンズ
• レオン・ユソッフ
• クルイエル
• ケプカ・フランティシェク
• ヴィフレド・ラム
• エドウィン・ランシア
• ピーター・ランヨン
• ジョルジュ・ド・ラトゥール
• マリー・ローランサン
• トマス・ローレンス
• フェルナン・レジェ
• レイトン・フレデリック
• ピーター・リーリー
• ヴキンダム・ルイース
• ロイ・リキテンスタイン
• 佐伯祐三
• 東郷青児
• 梅原龍三郎
• 岡倉天心
• 岸田隆生
• 玉川信一
• 開光市
• 荒川修作
• 滝口修造
• 加納光於
• 浜田知明
• 横山博之
• 春口光義
• 富張宏司
• 作田富幸
• 大津英敏
• 坂本繁二郎
• 横山大観
• 川上尉平
• 坂本善三
• 中島敏明
• 草間弥生
• 木戸征郎
• 岡本太郎
• 会田誠
• 林浩
• 工藤礼二郎
• 長嶋康雄
• 加来万周
• 松井冬子
• 木下藤次郎
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デザインの語源
signifiant(意味する者)+signifie(意味される者)=sign(シーニュ.サイン) sign(サイン)+ do/する(動詞)=do sign (ドゥー・サイン) do sign = design (デザイン)
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遠近法
 遠近法は視覚への対応から、遠近図を挟む事によって視覚をいかに面白く再表現(representasion)するかという行為に変化してきた。逆遠近法という、遠くの物が小さく、近くの物が大きいという手法や、5点、6点を用いた多数消失点混在型遠近法、天井の物を描くときは逆からも消失点を扱うので、点を増やしたりするのに始め、湾曲線(hyper vola)を用いた、双曲線遠近法や、地平線曲線分割型の天使遠近法、直線分割型の地上遠近法等、現在拡張の程を見せている。また、中国式遠近法「三遠」(高遠=空高く見上げる)、(深遠=空間深く見通す)、(平遠=地平線の向こうを見る)との関連、複合による新式遠近法も思考される。

遠近法  遠近法は視覚への対応から、遠近図を挟む事によって視覚をいかに面白く再表現(representasion)するかという行為に変化してきた。逆遠近法という、遠くの物が小さく、近くの物が大きいという手法や、5点、6点を用いた多数消失点混在型遠近法、天井の物を描くときは逆からも消失点を扱うので、点を増やしたりするのに始め、湾曲線(hyper vola)を用いた、双曲線遠近法や、地平線曲線分割型の天使遠近法、直線分割型の地上遠近法等、現在拡張の程を見せている。また、中国式遠近法「三遠」(高遠=空高く見上げる)、(深遠=空間深く見通す)、(平遠=地平線の向こうを見る)との関連、複合による新式遠近法も思考される。 肉体について  外に守る骨がガードとして存在し、中に袋が存在し、その必要性として動の必要性として筋肉が存在する。形を追うときはung,形象を構成する。ここではanatomy肉体の学問にきちんと拘る。人と関わるに関しても重要になるし、自分と向き合うに具体性を帯びる。人を描くに関してはリアリティーの根源として説得力を加える。  『私』においては、誰もわが身を守らない。自己理解でさえある。コミュニケーションとしてあらゆる分野に適応され、理解力を倍加させる。人間が集まって何ぼの美術で、人間を理解するのは当然と思われる。
 覚え方にも、恐怖を伴う人体も、グロテスクな様で実は法則性の塊である。
 例文)(名は体を現す。漢字が体の筋肉の意味をそのまま示唆している。)

 脊髄部筋肉・正中線部(左か右に偏る筋肉、必ずしも二つ以上と見ろ)

 頭半束束筋(頭の負荷に関わる束状の筋肉と知れ)
 頭最長筋 (頭のうち最も長い筋肉と知る)


 胸束束筋 (胸の負荷に関わる束状の筋肉と知れ)
 胸最長筋 (胸の辺りの一番長い筋肉と知る)

  外側に最長筋、内側に束束筋。


 脊柱起立筋(脊部の柱、起立するを支える筋肉二つと知る)

 腰腸肋筋 (腰、腸、肋骨、に関わる筋肉と知る)

 脊部+
 腰腸肋筋 (腰と腸、に関わり、肋骨に張り付く筋肉と知る)
 腰方形筋 (腰に関わる、三角を描く筋肉と知る)


 脊柱部筋肉の数、
 頭:胸:脊 = 4:3:2  簡単な下降バランス
 脊部+を含めた数
 頭:胸:脊 = 4:5:4  中央上がりのピラミッドバランス

 真の筋構成美しきとせよ。valanceを保持して生れてきているとせよ。名は『体』を『表』す。と書いて『体表』解剖学。文字の憶測駆け抜けよう。  脊部にバランスあり。まずは四つの束が広がり、中心二つに端二つ。それぞれ一つずつ。(名は体を表す。名称が働きと知れ。)  この世の本質は(平等)。男女に性器の違いあれど、束の数の違いは無いと見よ。 シニフィアン。機能を知り、名前の意、そこから探り、最後に覚えると良い。一番の教科書が、目玉から下に垂れ下がっているではないか。

 人体を覚えるときは、確定性としてlinerformung線形象であれ。
 人体を、実際対象、描くときは、不確定性としてvostelllung表象であれ。
 気持ちの悪いものを追うのでなく、相互理解の為と、恥を知る心としての象徴検討行為であると知れ。
 しかし結局はtintingstrength (着色力)にあると知れ。
肉体には役割の重複が存在する。同じ骨でもガード的機能であったり、支えであったり。その「骨」という1物質であるにも関わらず、機能の重複する事が、形状の微妙さと名前の複雑さを生んでいる。

美術解剖学(artistic anatomy)についての述解 梅田 聡一郎
 美術には、人物画が存在し、どの様な分野の絵画においても、その象徴性、人間同士の相互理解における人物の登場意義はとても重要な役割を担い、今日の絵画空間の中においても使用頻度の高い図像といえます。  その人物画の完成度、内部構造把握、ともすれば鑑賞者に「こうありたい」という影響を与うにいたるこの人物の正確な表現には社会的にも重要な役割と義務性があると感じます。人間が人間に影響を持たす図像である以上、その人物は、健康的であり、かつ美的でなくてはいけません。究極的には、その影響下にさらされただけで、その人間が正しき行いを心の中で歓迎するにいたるくらいのものであるのなら、もう逆に歓迎は免れないくらいであると感じます。  somatology(生体学)、surface anatomy(体表解剖学)も絡むものであるのなら、健康や、体内構造の生活における円満にも成り得、最上のものであると感じます。  健康と自分について考えさせられる、とても自然なものであるほうが、良いと思われます。そのような人と人の生活の「円満」の助長の為の絵画を描く、医学知識として美術解剖学があると感じます。人間がこういう感情を持つ、こういうシチュエーションに出会うとこういう心の変化をきたす、などの感情起伏や心理学との関連性や、自身の心を大事にするという意義においての絵画が、明日の空間を作るに至ると感じます。行動学的側面から見た人間の感情の起伏、安閑の法則などを示唆する絵画の条件も、健康学に精通する事で守られ、美術を知る事で、健康的側面に繋がってゆくという効果も期待できます。  速筋と遅筋の関係性についてや、赤色筋肉、白色筋肉との関連性、心の動きと体、筋肉の動きとの関連性、連鎖反応との関連性、病理さえ明かす美術解剖生理の心、絵画理解が身体理解に繋がるという関連性、医術解釈美術介在における、処置前の「観察眼における美術健康学的事前の事前処置と営淙涓宗廚皺椎修隼廚錣譴襦」  大腿四頭筋、腹直筋、外腹斜筋、腸内転筋、大胸筋、広背筋、三角筋、上腕三頭筋、上腕二頭筋、胸鎖乳突筋、僧帽筋、 外反母趾内転筋、外反母趾外転筋、筋肉の作動、心臓、膵臓、脾臓、肝臓、腎臓、大腸、小腸、総ての内臓の相互理解、心臓がポンプであり、毛細血管に血を流し体内の連動のエネルギーと化し、血を循環、取り替える。血液には成分が内在し、体の傷を治し、病魔を克服する力が存在する。その体内含有量によっても、体表も違い、描かれる人間の色自体が変化する。意味。肝心なのは、意味であり、その意味性を支えるのが、解剖学と医学の介在になる。   骨格においての問題や、恥骨、頭蓋骨、鎖骨、背骨、肋骨、指骨、手根骨、眼窩、背骨の数は12本存在するという事を知りえているのとそうでないのでは違うとか、体のどこの部分をどこの骨が支えているかという自覚に基づいて本人同士が生き、その事から来る悩みを共有しあう事の重要性。  体内理解によって、自身の体に対する理解を持つと同時に、自己自覚によって、自身を思う様生き生きと動かすことができる。  自己理解にも、他者理解にも繋がりうる。人間が、人間の可能性を最大限に生かし、具体的に自身を変える事さえできる。高度な才能が成すとてもとても抽象的な心と体の悩みさえも、体の具体的な悩みとして還元できる。
例)気韻生動と、心理学selfdynamizm(セルフダイナミズム)について
 「中国六画法は主格「気韻生動」(生き生きと動く、気韻、気迫を感じる絵を描く、美術の行いとしての動きを取る)という言葉がある。これがひいては心理学用語selfdynamizm(自己律動)(自身の体を生き生きと、体調管理という自己規律を持って動く)という、心理健康的動きを示唆する事と同じくするのではないかという事。気と韻律を感じる神秘性、生動という、生き生きとした動きとダイナミックさ、そして、生体の生き生きとした動きの事をも示唆するという意義を、気韻生動を、selfdynamizmと並べ比較し、同義点を見出す事で拡張させてみました。自己の生活を生体学的側面から見て円満にしつつも、その神秘性と生動(生き生きとした生活、美術としての躍動)たるや、才気あふれる。これが本物の気韻生動であるという感想です。改めて、その深みを感じてしまいました。」
   このように、美術解剖学には、美術家や美術家が描く対象の生活を円満たらしむ学識可能性も特化価値として存在します。描くにおいては画家に健康的知識を与え、鑑賞者にも人間生活の規範たる象徴を影響として与え、動くにおいては自己の管理や、生活の円満、心の隅々を知りえ、自由に立ち回る事を救う学術ににもなるという深みも存在します。 人類史において絵画が先か、文字が先か、という議論が良くされますが、無論絵画が先といえます。文字と言うのは契約の思想によって結ばれなければなりません。そうでなくては意味がなく、言葉は不信感をただよわせる情報の断片になってしまいます。一つの文字を少なくとも一つの社会で同じ意味をもつ了解される事の前提が必要になります。  アルタミラの洞窟壁画のビゾンの絵が以前として何の為に描かれたのかは分からないのだけれども、その美しい姿で人々の目をひきつけたのです。これまでは獲物として、それも捕らえたいという願望から描かれたという説明がなされていたのですが、その恐らくは勇猛な姿に人々が感銘を受けたから描かれていたのでしょう。しかし洞窟でもそのような美しいものだけではありません。  絵画として描かれたからといって、絵画として、つまり芸術として認められるわけではありません。「絵画」となる為にはそこに芸術価値があると人々が認定される必要があります。近代となって、美術館が出来る。そしてそこにある多くの絵画の中で、秀逸なる価値を持っているから展示しようとするわけです。そうした選択がある絵画が芸術となって認められたといって良いでしょう。  しかしこれは、近代に限った事ではありません。中国五世紀には「画の六法」という倫理に基づき、絵画批評の指針が生まれました。その価値観は現代においても主格と言えます。
中国画の六法最重要項「気韻生動」と、医学重要項「self dynamizm」の類似点について

 黄金率が何にも当てはまらない美しい分割割合であるのと同じくして、他のどんな術儀や基本的心得にも説明がつかないのがこの[気韻生動]。この二つは、

     [律の最頂点]
     [六画の最頂点]
 として、主要を成す2大極点です。この二つを兼ね備えたものは、美術に愛されているといって過言ではありません。
 そして、ここで着目したのが、心理学術『self dynamizm』です。『自己力動』自己を律し、ダイナミックに動かすという、『健康的かつダイナミックに律動す』という意義の言語です。
 「気韻もち、生き生きと動く」という気韻生動と、「セルフコントロールする力を持ち、健康的にダイナミックに動くボディコントロール」をする」selfdynamizmが、とても相似関係として類似した2極点であると感じます。同時に、お互い個性ある極点を担っていると感じます。  この二つの類似については、あらゆる角度で検討される価値があると思われます。

絵画技術には様々な用法、筆運び、技術が存在し、バリエーションに富む。
impasto(インパスト)   上層厚塗り imprimatula(インプリマトゥーラ)有色下地 esquisee(エスキース)   構想下絵 camaieu(カマイュ)    有色下地上単色画 ebouche(エボッシュ)   薄塗り下絵 glasis (グラッシ)    薄塗り重層画 scumbling(スカンブリング) 上層仕上げ平塗り(技術) veratula(ベラトゥ−ラ)  上層仕上げ平塗り (表現) alla prima (アラ プリマ)直接描き

1esquisee(エスキース)   下絵を構想

2ebouche (エボッシュ)   構想した下絵に基づき、薄塗りで下絵を描く

3glasis (グラッシ)    薄塗りで、下絵を少しずつ立ち上げていく。

4scumbling(スカンブリング)平塗りで、大きな面とその階調、色調を少しづつ立ち上げる velatula (ベラトゥーラ) 時に、その平塗りのタッチに表現を求む。

5おつゆ描き~細密描写    細部を厳密に立ち上げたり、油分の多い薄塗で、細部表現を行ったりもする。  この行程の中で、どんな途中と完成を求むかは自由になる。しかし、基本的に大事なのは、「徹底」。唐突に、経験の満たないアラプリマとか抽象(中傷画)画に逃げず、技術による、段階的な再現につとむ事が基本。
 等、沢山の技術に支えられて、油彩の技術的向上は望める。道具の機能も、この技術達との関連を鑑みると、使用方法を実感として掴む事が出来る。実のある指導者達は、これらが実に染み、これらに基づいた技術指導をするが故、多少しか絵を描いた事のない相手にさえ、実感を与え、向上させる事ができる。

下絵構想技術について(esquisee)
 下絵構想能力とは、思いのほか難しく、手記、補記的な問題や、描くことのほかに、次に展開したときに対する能力として「図る」(geometry)、「記述する」(graphein)という能力が存在します。その能力とは、次の行程に対する可能性を広げる意味としてのクロッキーを構想する構想構成能力(einbuildungskraft)が良く生かされます。可能性を広げる構想と、そこに完成度を求める為の図る、描き込む、前後感を持たす、という行為をつくる。絵画を描き、人を癒す心においては、(buildlesthureibung)形象記述能力も大事になってくるという事です。  例え形象そのものでなくっても構図において位置関係の少しのズレとか、描き込みの差異によっても意味性はとても違ってくる。写実、模写においても、形象意識のあるエスキースを描く事が重要になる。  エスキースは、∞である。技術と料金の関係性の重圧を感じずに想像を羽ばたかす事ができる。たとえ本人の作風がそれを実行するに至らなくても、その技術を持つ人間がその構想における絵画を制作に至るから。
 ※シニフィアンワード(勘違いするなかれ!!)  だからと言って、他人に想像力豊かなエスキースを描かせ、嘘を吹いて死なせ、遠まわしにクロッキーを手渡して良いわけでは全然無い。傾聴せよ。悪用をするなかれという事を。美しき心の行いと描いて美術という事を。                                                  梅田 聡一郎 隋類賦彩〜随類賦彩論 梅田 聡一郎  随類賦彩(スイレイフウタイ)とは、彩し続ける事の重要性と、そこから精髄、真髄を技術とともに見出す努力の事をさす。  技術的な卓越をさらに水彩技術をもって一段階上の表象に持ち上げる効果もある。=塑形したモデリングの上から随類賦彩。(応物賦彩論)  技術同士の複雑な混同でなく、一つの技術体系の上からもう一つ技術を置く。という事。パソコンの世界ではペーストしたら下の図像は隠れますが、上の図像と下の図像を描写技術によってかみ合わせる事ができるのが、絵画の世界です。  これは、(protraho)=引き出す、露にする、物の形を引き出す、露にする技術と似ている。起こした実際の形を随類賦彩によって更に上の段階に引き上げる。
 彩する、という思想が、更に心の安心を異文化に与える。真の伝統は、前衛技術とかけ合わせても、実はなんら遜色が無いのだなあ、と感心した。
zeigen=(形象学) 梅田 聡一郎  (noema)=構成に関した応物象形のテクスチャー(塑形)を空間上に配置してゆく。塑形物同士を、構造体として組み合わせる。さらにそれを描く。塑形に描写、描写に構成を重ねる。そして最後には丁寧な仕上げによって空間表現が正誤性をもって成立する。  彩度、明確な世界と逸脱、(noema)に拘らず、複雑な(difficulty)世界を適切なhow to draw (描写方法)によって表現してゆく。ラディカルであり、宗教的に成り過ぎず、科学的又技術的裏打ちがある。世界観は芸術であり、そこにリアリティーを持たせるのは現実的技術になる。  理解に理解を重ねた技術の積層と、明確に空間を表現するリアリティー。生体学(somatology)に通じた芸術世界と、明確な世界の安心感と安閑を創りあげる。    (芸術的形象)と、(応物描写)。そして、(科学希釈)。しかし、それさえも部分に過ぎない。(応物)=インウーという言葉の意味は、(物に応える)、(物を応用する)、(物質の可能性を引き出す)という希釈から生まれる。一見してそのもの単体が役に立たなくっても、その物体を構成物として一つの輝ける象徴を形成描写する 世界観と数字に裏づけられた図像学による形象黄金率をつくる。そして、双曲線空間と、3次元空間、二次元空間を同時保有する状態を、黄金率交差線を同時保有した立体物で空間を構成、空間内の物質を、現実に在り得ないつくりで描き、人物を生体学(somatology),美術解剖学(artistic anatomy),に基づいた上での象徴性保有人物画を描き、配置する。その上で、全体が、慈祖。恐怖でなく、真実を含有した慈愛。象徴形成物体として、高らかに屹立する事。静謐で残酷な細密絵画と同等のリアリティーを保有しつつも、主象形としてある物質と世界が、慈祖構成物体である事。
     「総ての学術が極点まで保有された、
      祖形象徴である事。」


 線形象が織成す線織面、構図の骨組みにしろ、そのままにしろ、両方において使えるまでの形象状態と知る。  線織面形象骨組みとしれlinerformung人体芸術骨格の象徴である。機能を超えて美しい。技術を孕んでなお遊び心。thinking strength思考の海の中に、皆好きな形を持つ。 形象面遠近法を、正逆遠近法操作∞遠近法に整える、合わせて、総体的に混合すると、 単純な平面構成だけで象徴を形作る事が可能になってくる。  要は、マチエールのバリエーショナルと、その描き込みの際のリアリズムのみで、様々な技術を用いる。と、いう事は、小細工も必要ないのだ。  前進色、後退色のバランスを調和させ、平面立体を平塗りによって仕上げる平面構成を、天麩羅で揚げたようなモチーフ構成になる。モデリング塑形によって確かなマチエールを下塗りの時点で制作し、上書きによってさらにリアリティーを増す。  完成度を意識する。モデリングを散漫にしない。と、様々な点に配慮をすべきだが、基本は、確かな線遠近法を用いる事。 要素
1)形  塑形(モデリング)  絵肌(マチエール)  応物象形(インウーシャンシン)  祖形  zeigen(形象)  noema(象徴構成)  noesis(象徴構成体)
2)  色  mat  落ち着いた
pale  のっぺりとした
dark  暗い
graysh 薄暗い
blight 明るい
vipid  派手、蛍光色
3)線  liner perspective (線遠近法)  geometry (幾何学)  iconography(図像学)  1〜5点遠近法
six point hypervolacrossliner perspective (6点双曲線交差遠近法)

基本要素
1)形  塑形(モデリング)  絵肌(マチエール)  応物象形(インウーシャンシン)  祖形  zeigen(形象)  noema(象徴構成)  noesis(象徴構成体)
2)  色  mat  落ち着いた
pale  のっぺりとした
dark  暗い
graysh 薄暗い
blight 明るい
vipid  派手、蛍光色
3)線  liner perspective (線遠近法)  geometry (幾何学)  iconography(図像学)  1〜5点遠近法
美術解剖学
美術解剖学とは、美術家の為の解剖学を意味します。 (how to draw )  描画方法  人体を描く知識 (surface anatomy) 体表解剖学 (somatorogy)    生体学 解剖学図を描く。
@どの様な仕組みをしているか。内部構造と形態、骨格、関節、筋肉、腱。 例)上腕二頭筋   上腕三頭筋   三角筋   外反母趾内転筋   外反母趾外転筋   広背筋   脊柱起立筋   大腿四頭筋   (内側広筋)   (中間広筋)   (外側広筋)   (大腿直筋)
   腹直筋    外腹斜筋    大胸筋    双子筋 顔部 眼輪筋    鼻根筋    上唇挙筋    口角下制筋    下唇下制筋    前頭筋    側頭筋                   etc..... 骨と皮、骨格、筋肉、脂質、皮質。これらの変化の位置によって人間の個性を描き出す。  骨格、関節、筋肉、皮膚、脂質の成り立ちを、見かけで追わず、法則性の集合体として把握する。
A生体の内部構造と外貌の関係
 人体表面に現れた起伏、窪みの把握。骨格の凹凸や人体の動きが、実際の体表に外貌としてどう関わるのか。手の力の入り様や、皮膚の表層の関係。皮膚の中身の筋肉や骨格、内臓の中身の部分が変化したとき、表面にでる具体的連鎖反応も把握し、描く。
B形態と機構、機能の把握  人体のある空間、空間の中にある人体同士の比例関係、geometry(幾何学)、iconography(図像学)的要素を、liner perspectiveを用いて描かれた空間に位置する人間の身体寸法の正確な把握。又、年齢、性別等の人間の老い、性差から来る身体的特徴も関係する。
C運動による形の変化  動きによって生じる生体の変化の観察。動勢=movemanにも通じる人体の動きを表すかの様にして、筆勢を持って描いたりもする。動きに連動した体の表情の変化や、動き自体の表現、それによる内臓の状況変化をも理解し、描ききる。 D形態として現れ、又現れる可能性のある特性  毛髪、皺、色調、血管や発汗作用を表現する。毛穴から汗を吹き、血圧の高低によって血管もその太さを変える。赤色筋肉と青色筋肉で運動に対する働きも異なる。発汗作用もあり、内臓の動き一つ一つの行動における状態を表し、描写に移行する事が大事になる。「アル一つの身体的状況」の把握〜絵画技術を持って支持面に移行する。(伝移模写。)
E造形された人体像と生体の関係  生きている体を塑形するにおいての造形物と生体の相関関係。生きた人間の生体と、造形としての人間の差異をどの様にして埋め、その上で与えられた媒質を応用し、生命感ある表現として近しめるか。
F生体の美性、美格  美の形状に対する研究。同じく塑形術としての「形」 と、生体の在りようの美しき「形」の二つを連ね合わせる事。「form」 と、「modering」 の関係。その二つの関連性を「感受性の上の同義」 として近しめる。そこへ、完成度、描写、的側面を思考に置く。
1) 人種、性別、年齢の視覚的特長 2) 喘湶としての生体と、塑形物としての作品の比較


美術解剖学Artistic anatomyは美術家のための生体学であるということができる。生体学は解剖学を基礎に置いて、体表から生きている人の形や構造を研究する学問で、体表解剖学などとも呼ばれている。この講義では体表の構造(皮膚、毛、爪、乳房など)をはじめ、体表から観察される骨格、筋、頭部の感覚器(目、耳、鼻、口など)、体表の血管や神経などについて分かりやすく講義し、造形活動に必要な人体に関する基本的な知識を身につけて貰うことをねらいにしている。したがって、人体に関する講義とともに、実際に表現された造形作品について、その表現法などを美術解剖学的な立場から分析することも行う。 美術解剖学 (Artistic anatomy) の概念の発祥は、人体の内部構造と外形との関係を解剖を通して考察し、その観察から得た成果を彫刻、絵画などの造形美術に生かした、16世紀のヨーロッパルネサンスにまで遡ります。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロらが、自身の解剖経験やそこから得た知識を、人物像や騎馬像を造形する基礎としていたことはよく知られています。その後、美術家のための解剖学は、美術に携わる人々にとっての必須の科目、藝用解剖学 (Anatomy for Artists) として美術学校などで教授されるようになりました。
 我が国における美術解剖学の教育・研究は、明治22年(1889)森鴎外による東京美術学校の講義に始まります。昭和38年(1963)東京芸術大学美術研究科美術解剖学研究領域の設置によって美術での教育・研究の一分野として位置づけられ、現在に至っています。  人体をよく見る、よく観察することによって、解剖から得られた知識に匹敵するような優れた洞察眼をもつに至った天才もいました。しかし多くの場合、人体を描くときに外から見えるかたちを闇雲になぞっていても、生き生きとした躍動感ある表現に繋がらず、もどかしいと感じることはよくあることでしょう。骨格や筋、皮膚や皮下組織など内部構造と外形との関係がわかることによって、対象をつかむ眼差しは一層深くなります。
 今日の美術解剖学は、このような骨格、筋の運動機構を中心とした内部構造と外形との関係、動きにともなうかたちの変化、比較解剖学、発生学からのかたちの由来を学ぶ芸用解剖学を教育的側面としてもっています。同時に、研究分野としての広がりが加わりました。芸術表現として人のすがたがもつ美しさや、生物のかたちがもつ意味を考察すること、人体とかかわるものの関係を研究する応用解剖学的研究もあります。人間、そして人体に関わる関連諸学との有機的な関わりの中で、美術解剖学の研究範囲は広範なものとなっています。  今日の美術解剖学は、かつて藝用解剖学と言われていた、造形のための解剖学であることに加えて、これらの研究を通して人間と美術とのかかわりを考える幅広い視野を有する分野へと発展しています。
芸術用語 how to draw = 描画方法 theory of art = 絵画理論 zeigen=形象 noema=象徴構成  noesis=象徴構成体
学術 kunst = 芸術 kunstwissenchaft = 芸術学 allgermanikunstwissenchaft = 一般芸術学 kunstverhalten = 芸術態度 geometry = 幾何学 somatology = 生体学 surface anatomy = 体表解剖学 iconography = 図像学 技術と道具(tecnique and tool)
スパッタリング         スパッターブラシと網を用いた絵の具の飛沫を粉のように飛ばす技術。 マスキング           マスキングテープを使った、アウトラインや、切り抜き面をカバーする技術。塗布後保護紙を剥がす。そして、そのカバーリングの技術を応用して、様々な効果を生む。 ステンシル           マスキングと併用し、支持面の一部を意図的にカバーする技術。塑形物には使用不可。 ドリッピング           筆先の絵の具を支持面に振り落としたり、支持面に向かって振り払う。面相による細書きや、積層技術、グラデーションで色相を分け、ドリッピングで積層させた後、描きこんだり、ステンシルで囲って「ドリップ面」を用いたりしたら、とても動勢を持つ。単体で漠然と使っても、何の役にも立たない。
マーブリング          ガッシュの水紋を紙に写す技術。実は、余り「絵画という絵画」には答えてくれない。色によって模様にも様々なものを連想させる。 ハッチング           支持面を引っかく行為。あらかじめ下地を積層固着させておいて、下地をハッチによって表出させるのも手。 クロスハッチング       ハッチングを異色にして交錯させ、色彩を鮮やかにする方法。この技術で描かれた絵画は、寓話的でかつ虹のように鮮やかになる。 ブラシストローク        刷毛や平筆の跡を支持面に思い切り振り残す技術。残った形は動勢(ムーブマン)をとても主張する。 ドライブラッシュストローク 水分を含ませない、擦れた絵の具の筆跡を残す。細かな調整を行える。塑形したマチエールを表出させるにはもってこいの技術になる。マット質と噛み合う。 モデリング          マチエールを意図的に塑形する術。自身の好みの形に、マチエールをコントロールする。 マチエール          絵の具を、自分に対して自然な感覚で盛り込む。モデリングのように操作をしない。                 アクションペインティング あらゆる画材を用いて、動勢を限りなく表現する技術。媒質に拘らず、支持面に勢いをぶつける技術を介在させるのが難しい画法。 ポワリング          絵の具を「垂らす」 技術。ドリッピングは「振り当てる」技術。正確性を重視した絵画には向かない。
この技術体系には、先人が生んだ、大した意義の無いものもある。しかし、それに研鑽を加え、意義をかさねる事に研究生の喚起点が存在する。  さらには応用的な混合解釈による技術もある。  単量ひとつにしても公式でその差異を表示され、分別されています。なので、公式がひとつでも異なるもの同士の混色はポリマー(重合体)といえます。  グロスポリマー等、製品の時点で重合体の媒質も存在します。 道具
刷毛 筆      (大小号数) フラット   (平) フィルバート(平突) ラウンド   (丸) ファン    (扇) 面相 ローラー ナイフ 鉄ベラ マスキングテープ スパッターブラシ スクレープナイフ このほかにも、支持面に向かう時の気持ちが作用する方法に成ります。
検討しよう。きっと無検討を凌ぐ。 研鑽せよ支持面の中。模索しよう。身につけた技術をあっという間に惰性に変えて、次の技術を当然のように習得し。 伝えたい事を要約してしまうな。トランスする。そして、緻密に扱う。 今そこにある物質に無駄なく応じる。 媒質を触っているからといって、絵を描いているわけではない。両手を膝に置き、どうするか思索する事も描いていると言える。 技術を持つ事、知識を持つ事に衒いを感じるな。意味が無い。 感性も、技術も大事にしろ。その天秤が調和良くあって初めて作品は輝く。 習わぬ教を読み、教も習え。 習い、かつ慣れろ。 拘れ。凄く瑣末な支持面の端にも。それが緻密という事。 芸術であり、科学であり、公式であり、具体的検討や、予定であれ。 混色以外は措かない。厳密に言うと、自分の望みではないはず。 下地の時点でもう、3段階、4段階の予定を組んでおく。
媒質、技術、道具、歴史、運動との関連性、社会の流れの中でのイズムの発生、画材の発明理由。その他を暗記し、研究に至ったら今度は自己の絵画の風合いと自身との誓い。そこにウエイトを置く。  その後は研鑚に身を任すなら画家。作家。文章に秀でれば小説家。筆に秀でれば画家。応用に秀でれば個性を伸ばす。根を詰めたくば基本を煮詰める。学術、学識と、出来上がった媒質の組み合わせ方や展示、技術よりも目につく個性が際立てば現代美術、黄金率で構図を構成し、技術の組み合わせに長け、「3つ以上の技術の構成をひとつの画面空間に入れれる」や、「手や体の各部位を総て美術解剖学として熟知、
         そして、それを一つとして悪用しない自己決心。
 それができたら良いなあ、と思う。 アクリルガッシュがアクリル酸とメタリクル酸から生成されていて、公共建築用に発明された強固な絵の具であり、速乾性で一度乾くと一切の科学変化を受け付けないというのが基本である事は心に留めています。という事実から割り出せるガッシュの根本的使用方法は、「積層して出来る技法の活用」にあると感じました。どうしてかというと、透き通った感じが欲しいのなら、透明水彩のほうがレベルの高い媒質と感じます。と、いう事は、速乾性不透明水彩は重ね塗りのできる媒質性を生かした、積層をするのが一番の根本と感じました。積層された地塗りのう上にできる、透明な質は、また違う感触を醸すはず。重合体=テクスチャー等に扱うこの地塗り剤も、アクリルのこうした性質に救われている一面があります。こういう絵の具の感覚が逐次重要で、一見まぐれのような技術にも、実は媒質の特性をいかんなく生かした計算が見られます。
 絵画や塗料において、顔料を固着させる性質を含有するもの、すなわち絵の具を練るのに用いるメディウムの類、油脂、樹脂、ろう、各種のたんぱく質など総てこの章に含まれる。  接着剤は画用に用いるものに限られ、一般的なものは含まれない。 油彩のうち揮発性油に分類されるものは希釈剤、溶剤という括りで説明される。  ちなみに、DUO=デュオというメーカーから、アクリルとの混彩可能な油彩が含まれている。
研究は、「環境の良さ」「周囲の学識の高さ」に引っ張られる処もあります。なので、良質な勉強には良質な環境が重要だと思います。美術をやる人、そうでない人に関わらず、良くも悪くも【朱に交われば赤くなる】というのがあるので、良い環境に足を運ばせてもらい、最大限気を使い、その場で長く勉強するが1番の幸いだと感じます。  僕もそうしてこの勉強量を手にしました。自分ではなんもやっとらんです。
色面の少ない平面構成は性格上、配色が一番の見せ場です。そういう観点からこうやって配色を研究してみました。進行中です。 アクリルガッシュ=合成樹脂で顔料を結合する樹脂の事 アクリルガッシュの発達理由=公共建築の壁面に描くに足る、長持ちする強固な画材需要 具体的な要求=速乾性、安定性質の絵の具 アクリルガッシュの最初の活躍の場=工業分野 ポリマー=重合体 「PVA」=ポリビニールアセテート 成型プラスティック=飛行機や列車のガラスの代用 アクリルガッシュ=アクリル酸+メタリクル酸
(アクリルガッシュの特質)  水溶性であるが、一旦乾くと一切の科学変化が起こらない  塗り潰した支持面に更に絵の具を加える事ができる  科学構造によって完全蒸発できるような多孔質の膜が形成される  酸化や還元にも強い。 Acrylic rezins アクリル樹脂 Synthetic resins  合成樹脂 Vinyl rezins    ビニル樹脂  Amber       琥珀 Albmen       アルブミン アクリル酸+メタリクル酸+メチルメタアクリレート=アクリルガッシュ アクリル酸  CH²=CH:COOH メタリクル酸 CH:C(CH³)COOH メチルメタアクリレート 沸点100.3℃
 ムーブマン(動勢・運動・連動) 一場面しかピックアップできない事に対し、表現したい動きはとても難解。という場合、方向線、ストロークの方向等がとても印象や、動きの説明に一役買う。正中線とそのブレ、ルートを描きつける事によって、自動的に人間の想像力を喚起したり、知覚してもらえる事もできます。  回旋運動、伸縮緊張、弛緩、筋肉、骨格、体表解剖学の体表、等の知識があれば、骨や肉の方向線の位置が理解できます。 マッス=塊、量塊。         マス・コミュニケーション=大衆。(コミュニケーションを取る集団という塊)多量の纏まった物体の集まりを示すのがこの語「マッス」です。マッスとは、画面の中の相当量の光・色・影の集まりを意味します。群衆や森の集合、総体をマッスとも言います。「集まり」の感覚を総体的に指すのがマッスです。  よく用いられるのが、「群衆」という一人一人の集合を、一つの塊として描くのが「マッスとして捉える」という事だと思います。木を一つ一つ描くのでなく、その集合体が、直方体を描いていた時、それを直方体として解釈し、描くのが「マッス」という概念です。集まりを集まりとして要領良く捉え、集合として整理して描く、事がマッスのポイントだと感じます。  彫刻においては、素材がもう、「色んなモチーフを、一種の媒質、粘土、石膏で再現する」というマッス行為がなされています。  もう一つ、光の束、陰影、同色のまとまりにもマッスという括りが使われます。 「描き手が上手に行う画面の量塊整理・ないしは総体視整理」という広い意味でもマッスは用いられています。今日画面にマッスを形成しようとする作品は、様々な所で見られます。  応物用筆=物質の特性をいかんなく発揮した筆運び(要するに、マチエールと描写をいかに噛み合わせるかのstruglleに対して骨法用筆的に筆運びの研鑽を練る。)
moveman(動勢)や、masse(量塊)を持ち、スキアグラフィアやカリカチュアなどの正式画調を用いた絵画。技術を遠近法に重ねて用い、内包する空間も意識する。  動勢や空間、量塊、陰影に目が届き、それらを総合的に一つの支持面にうまく複合する事。
 「美的判断」
 美的判断とは、いわく言いがたき物ごとを判断する、特殊能力にあります。しかし、比喩的、「look like 」的学芸論には実は趣味性が高い。発祥から詳細まで語るプロには、(何々に見える)なんて理屈は通用しない。  魅せる側に付きまとう責任も、重大なのだろうと感じた。 芸術には日常を逸脱した天才の集団が集う、恐ろしき趣味性の高い会合という印象が付きまとう。実態はそうでもない。芸術学には、たしかな教養がある。何となくで描き続ける事と一線を画すのがそのkunst=芸術の事であり、そのkunst(芸術)の中にも沢山の種類が存在する。
 All germani kunstwissenchaft (一般芸術学)  Kunstwissenchaft (芸術学)  Kunstverhalten (芸術態度)    等、芸術学の中においても、態度教育や一般汎用性の高いものに振り分けられる。芸術学は人間の日常的な態度にまで良い影響を及ぼす。人間の欠点をカバーする教育手段にもなり、術性の高くなった昨今の人間の空虚を癒す、思いやりある手段にもなりうる。技術は描き手を未知の手段に飲み込む空虚な罠にもなる。よって、手段においては技術を伸ばし、健康学的観念においては人間の健康性や、ありよう、在り方を説明付けるものとして存在する。美術には美術解剖学という分野が存在し、それに関わるには、自分や他人の体を詳しく熟知し、生態系、生命体としての人間を中身から熟知する必要がある。  体の動きを追う動勢も、筋肉の成り立ちと、実際動く時、筋肉が縮む事によって手先を胸元に引き上げ、隆起と怒張によって作用を増し、収縮によって物体を引き、双子筋が走る手助けをする。肺呼吸で人間は動き、心臓は絶えず血を新しい血液に循環させる。その連動をしる事によって、人間は初めてそのlner perspective (線遠近法空間)の中を動き回る。人間は剤渓渫ではない。確かな連動によって動き回る、理性ある生命体なのだ。その事を知ることが、kunst(芸術学)を伸ばす、倍加させるきっかけとなる。
Kunst ( 芸術 ) ×somatology ( 生体学 ) × 美術解剖学=kunstwissenchaft  ( 芸術学 )    の図式を感じる。芸術は基本論から生じる。その生かし方と、健康学的側面を応用する世界。何の技術も保有しなくっても、ある程度上手に見える絵。あれは、均一であるからになる。しかし、もう一つ違う側面からいくと、美術技能には、緻密な段取りがある。素材毎に枝分かれするものでもある。よって、聞きかじった噂の集合体には、説得力が無い。人間としての英知を段違いに上げつつ、さらに芸術としての高い知識と技術を併せ持つ。それが本当の芸術学である筈。懸命すぎつつ自身の技術による支持面の状態を疑う。
         「 Can you real struggle ?  」   の精神を感じました。それが同様に、精神としても安心を生み、正しき生活を促すかのような絵画技術を獲得します。  情けは人の為にある。技術は生活の円環を守る為にある。豊富な知識が技術に拍車を掛け、生活を治める柔和な知識にもなるのだなあ、と感心しました。  (応物3法)
 立体編  物の形(塑形する媒質の特色)を表現として順応しつつも応用し、象徴として塑形する。巷にある、物体の破れた形 、曲がった形を美しく取りまとめる、その形に対して、確かな意味合いを持たせて立体象徴と化す芸術作品。
 絵画編  モデリング(塑形したマチエール)=(絵具+モデリングペースト)を、下地剤の媒質種と描きたい物、支持面に求める状態に応じて行う。心ある配慮をするかの如く知恵ある塑形をし、象徴化する。 (地塗り剤の特色を把握し、確かな塑形術によって物質を象徴化する。かつその絵画には技術と思いやりがある。)
日常編  生活の中、そこにある物質を最も効果的に用いたり、判りやすく配列したりする。日常の心構えとしての自己実現の象徴化である。        
美術と心理学論文 美術には、いわんや人間を癒す効果がある。その役割が無くては、作品の意義は無いと言っても過言ではない。社会の恐ろしさや、戦争に対する反対意識がある作品をアンチテーゼする事は可能だが、作品がコミュニケーションの取れる媒体として存在する、あるいはメッセージを内包した状態のものでなくては、結局なんの他人に対して与えうる回復も無い。と、いう事は、メッセージの中にも、テクスチャー、あるいは絵画技術としての、「見る側への癒し」がエッセンスとして内包されていなければ、成立はしても、誰かの足を止めるような絵画としては、成り立っていない、という事は。結局作品の中には「干渉」以外の、理解力とか、心遣いというものを含ませる必要性がある。  セラピストの基本に「共感的理解」という必要事項が存在する。セラピストには、相手の立場にたつ必要が、相手とのコミュニケーションを取る上で出てくる、というものだ。 「充分に機能する人間」という解釈でもって相手を具体的に理解しようという側面と、同時に「そういった一連の不具合というのは、どういった理由から来ているのか」という心理的側面の、2方向から人間を治療する事が重要であるのと同様に、「社会的メッセージ、公的訴えとしての絵画」「心癒す媒体の塊と、その積層としての絵画」という両側、2方向から人間にイメージを投げかける事が絵画には重要であるといえる。 美術という活動は、特に心を使い、目や内臓の疲労を増やす。密閉された部屋で行う作業という事もあって、どうしてだか精神的にも疲労する。病院に通う人間や、錠剤を常用する人間がいたとしても何ら不思議は無い。  そういう芸術活動のストレスは、屋内作業にして『衣食住』総てに美しさや景観、彩り、人間の作業の円滑、生活の循環の浄化としてタッチする事の難易度。『思いやり』や、人間の誠意の形作りであるがゆえの心労や、心の中の悩みが日々募るが故に起こる『変な疲労』が、尽きないということです。通常の人間からすると凡そ訳の分からない理由で自殺したり、病院送りになったり、薬を常用する為、その関心事の中に入る人間の活動もなかなか分析しづらく、その人間の病理を未然に解決する事も、とても難しいと憶測します。  要は、「美術系は患者としてはとても厄介で、故に人一倍体調管理に気をつけて欲しい人種だ」という事である。人間のなかでも、退化しやすい、あるいは退化をいとわず活動をつづけるのが芸術家であり、体は当然弱い、という事である。 美術館での景観に着目してみよう。お気づきでないだろうか。美術館の中の人間。「少々太り気味」というだけで、かなりの大柄な人間に見える事。そう、美術系という人種は、僕も含めて、それだけ脆弱な人種なのである。 そういう意識の元活動して欲しい、という人間も、内外問わず沢山存在する筈だ。要は人生を歩んだ結果としての体格や、一個体としての蓄積が、美術家は脆弱になりやすいという事だ。  一方で、学生常設には事故が起こり易い。「大作品」の厄介さだ。大作は、ナイーブな扱いを要求する割に、相当な重量を伴うので、扱いを知りつつ取り扱う事が重要になる。 そして、実はもう一つの重要な観点がある。そういうナイーブな作品の取り扱い、実は「ためらってはいけないのだ。」 しても良いことの範疇を利用して、最大限の要領を用いるのが作品の秘訣である。それはとても感覚が難しく、要領よ美術との狭間に位置するのだ。    その活動の「混合疲労」は、とても体には辛いだろう。脳と肉体が両方疲れる、という事だから。そして、さらに新たな美術品にも精力を注がない事には始まらない。 まことに美術とは、疲労の連続なのである。しかも、動きは美的な為、なかなか表出しにくい分、当人たちが倍、気を使いあわないといけないという義務がある。  一方で、これは描き手の願望、『こう描きたい』とか、『ああいう風に描きこんでみたい』とか、そういう類の物である以上、やはり作品完成度で日本人を上回る人種は相変わらず存在しない。  あの石膏像や、ルネッサンス絵画といえども、積層と、重層感においては結局日本人の上を行く事などとても不可能である。日本人の気質でなければ、生み出す事が不可能な「思考的密度を組む絵画理論」で、できたインスタレーション絵画は、構図は精巧、かつダイナミックに仕上がっている。そういう日本の気質が、オリジナリティーを奪う行為にも繋がり易くはあるのだが、結局人間は「同じ物があれば、良質な方に興味を引かれる」というのが定石なのである。 アクリル絵の具は水で希釈できる合成樹脂(ポリアクリルエマルジョン)によって顔料を嫌ったものです。画材として合成化合物が育ったのが、壁画創作運動に伴う「対公共建築物対応壁画用画材」の需要で、 「強度」 「速乾」 「多数支持面固着」  等の需要の為に生まれました。たくさんの支持面、鉄、コンクリート、木、等有機物、無機物を問わず固着する上、全画材中最強度を誇るものでなくては、雨天にも対応する壁画は生まれなかったのです。支持面がフラットであり続ける限り、罅割れすら起こらないというのがその強み。面相による細かな描きこみも可能で、薄め液も水になるので健康も害さない。  こうしてアクリルガッシュは生まれ、その有能さから、絵画にも続いて応用されるようになりました。 アクリルガッシュと下地の関係は、作品の仕上がりを100パーセント左右するほどのものがあり、その下地剤一つ一つにも特徴が存在する。
ライトモデリングペースト  マチエール塑形術、「モデリング」に扱う素材。この応用で、立体に長けた人間を絵画に誘う事が出来る。通常の重量の物と、もう一つ軽質な物がある。その軽質さ故、多大なマチエールを造り、モデリングとして塑造しようとも、重量が軽質を保つ。要は支持面の重さを念頭に置かない創造が可能になるという事。この物質にはモデリングの上でとても助けられる筈。
セラミックスタッコ 粒状の樹脂が独特のテクスチャを出す。粘りが強く、固着しても、マットさと粒質感と、かつ品位も残す。 ナチュラルサンドもこれに似ている所がある 「制作意図」についての論文
美術を渇望する人間は、何を手に取ろうともなにか魅せる物を作ってしまう」というのを。  そうしたいという人間、真にそういう物を創造したいと考える人間に、媒質のハードルや技法の難解度はあまり問題ではないのだ。「その表現をするにおいての最大限のマテリアルの生かし方」が、最も重要であり、それを習うにしても、習わざるにしても、描かんと欲する人間はどうにかして、頭の中から引きずりだす。道具と道徳を思考するだけで、ある程度は解決付いてしまう。勿論そこからの教養というのが肝心なのだが、その地盤にそういう「思い」が根付いていないと、作品として「意味が分からない」のだと感じる。  道徳を筆を取る際感覚化させるだけでも、それが充分な「技法」足りうる。  絵の具を使う=無駄なき方法を知っている=少ない画材で良い物が沢山できる  絵の具を使う=道徳観念がある=無駄をしない考え方をする=上記に同じ結果  という様に、道徳観念が生み出す「思い」が、今そこに習わぬ知識を生み出す事があり、美術に携わる人間は、それが自分の手元から出てきた瞬間、それを残し、逃さずキャッチしなければいけない。そういう感覚を絶えず保有する事と、そういう「真新しさと品格の違った創造」を心が排出する精神性を保有している人間こそが天才であり、それ以外はただの全体の中の売名に過ぎない。そう、道徳性とは心の広い人間性にこそ微笑み、矮小で真新しいものにばかり走る人間には振り向かないのである。    本当の真新しさには理由とコンセプトがある。多くの人間に目を引いてもらいたい、戦争、社会、国、等の、確固たる理由や、「自分の絵を見ている間だけでも和んでいてもらいたい」とか「こういう表現、コンセプトで表現した事を皆に伝えたい」という『理由』に基づいて作られ、その結果、多くの人間の足を止めるような技術が必要になり、『真新しさ』が表出する。要は
     『本人の一番良い自我を、技法を乗せて放出する』  のだ。そこには、自分の引いた線、たまたま形として出来てしまった美しきストローク、筆跡のみに流されない、『本当に優れた心の持ち主』のみが到達できる『技法をちりばめてなお、爆発混在している自己表現』がある。僕は僕の絵も含めて、そういう絵を未だ目にした事が無い。 それは、その夢は、『左手で左手の肘を掻く』が如き夢である。そう、技術を一画面に纏め、一つの体系としてバランス良く表現することと、そういう『表現』という感情の曖昧さの混在の渇望は、矛盾点が多く、例えばクロッキーをいくつもかさねたとか、其れこそ面白い絵柄を作った、だれも知らない技法を生み出したとか、そういう物とは別である。『誰も知らない線の引き方が出来た』というのは、実は結構意味性に欠ける。例えば卵を投げてきれいに割れる手腕があったとして、『皆の役に立つ類では無い、意味性の希薄な趣味性の高い技』なのだ。本当に表現を渇望する人間は、適当にやっても何故かその表現したい事項が表出した絵になるのである。よって、美術をする人間の殆どが、その夢を抱いている。その夢の頂の高さにかかると、大作までもが失敗作と化す。僕は勿論出来ない。しかし、美術は技術でなく、美しきなにかの表出術であり、技法体系を美しくまとめるだけのものに終わるのも、僕自身としては寂しいような気がしてならないのである。  前述したように、制作の意図と、癒しのバランスが作品には欠かせないのだろう。リアリティーをどれだけ保有したものでも、結局それと等量の癒しとしての絵画技術を保有したものでなければ、絵画を体感する側としても、とても息苦しい。言い換えるならば、「制作意図の為のリアルな一側面」がそこにあるのであれば、相手は気持ち悪さを感受しないし、感知もしない。逆に、いかに可愛いものばかりを扱った絵画でも、その「制作意図の為の腹黒い算段」がそこにあるのであれば、相手はなぜかそこに気持ち悪さを感受する。そういうものである。 技術というのは、とても重要である。軽んじてはいけない、皆が苦心に苦悩を重ねて生んだ思考の断片を、客観的な視覚や考え、感覚、理論によって否定したり、また肯定したり、練り直したり、技術同士を比べて、新たに生み出されたものであるか、それとも既存の技法の変容、応用的なものであるか検討したりして一つ一つがとても自由な発想と、今日の技術的修練と完成度で生み出されている。その集積が技法である以上、技術を、単なるテクニックとして否定する事は、誰にも出来ない。美術に愛着があればあるほど、本当は「できない」のである。  ところで、6年から7年以上画面に着手した人間ならもう分かると思うが、技術には併用が可能である。ステンシルとストロークも、ステンシルの用紙の上から、筆跡(ストローク)をダイナミックにつけることができる。ステンシルの上からドリッピングすると、用紙をはがした時、用紙の切り抜いた部分にのみドリップの痕跡が残る。そのようにして、技術同士の混合が可能なこの一つ一つのぎじゅつは、とても上手く共存してる。ステンシルで直線を切り抜いて、ドリッピングを5〜6階調で行い、上から光の調節を行うようにして加筆を行うと、「ドリッピングの柱」が出来る。そのようにして、技術の併用によって出来る表現は、掛け算式に倍加する。この感覚さえ持っていれば、いかに描写力を有した状態でも、画面の真新しさを失う事は無い。「実力介在形前衛絵画」の出来上がりである。 今現在の常識の中の技術は、とても幅が出来たと感じる。しかし、肝心なのは使い手の方の心構えである。人間の、物知りげなプライドが自身の向上心に対するストッパーになることもあれば、社会における低俗な嫌がらせに屈し易い稚拙な作業をする人間のありようなどに、心を狂わされるであろう。修行僧ではないので、それが自然な事である。しかし、いくら人間が良いからといって、思いやりがあるといっても、それ全部自分の負債であるという事。なので、技術を研鑽する身になったからといって、その精神や心構えを決して変えてはいけない。そして、「ダイナミックさより密度を重視したい」とか、「知名度より節度を重視したい」のなら、まずそういう技術の習得に対して熱心でなくてはいけなく、指導者もそれを応援する義務があり、その責務から逃避した口の使い方をするのなら、心優しい人間からの、制裁を受けなければいけない。美術は、心根の綺麗な人間を、からかう為に生まれた技術ではない。ゆえに、今日も、誤った用法を呪詛的に用いた人間は、どんなに多勢であろうと、容赦なく罰せられるし、そういう正しさの方がまかり通るように出来ている。まことに不思議な感覚を覚えました。 制作意図という問題、観点もそう。制作の意図がとても深いものなら、一見単純なようでも、なぜか心の深い部分に響き、技術がいかに複雑で、さまざまな描きこみに基づいた技術形態であろうと、モナリザをぱくったような「間違った斬新さ」を持っていたら、人間は自然と素通りする。その証明のもっとも顕著な例が現代美術だといえる。おおよそ技法的な構成上の詰めや、制作上の完璧な予定、その他総てが曖昧であるものの、人間の心惹くテーマ性に満ちている。 美術という画面の応用性には、様々な悪用方法が存在する。それはいわんや、不明瞭な利用方法で、とても人間の隠れ蓑になりやすい。知識のある人間が利用して、知識の無い人間を騙しきるのだから、それは罰せられる筈が無い。よって芸術系には、逸脱した感じの人間がいる。一部の知識者によって、自覚を奪われているのだ。心を自動的にコントロールされるかのように。そういう人間の把握量の差を用いた、間抜けな失敗も美術にはあり、それは医学等がツケをもっている。現代社会に絵画が登場する事は、とっても考えにくい。なぜって今は、ビルディングのモニターの大画面が、壁画にとってかわり、そういうシステマティックな全体が、絵画という手間隙を、ぶち壊してしまったからである。そうして今、デザインという簡易で安易な物体が日常社会を占め、その量産性が格好の特異点を求める人間達を食い物にしているというわけだろうと感じる。  自分は、絵画を一生懸命に続けた人間である。その時脇目も降らなかった。学校を辞めたり、誤解されたり、陰口を叩かれても、まるで気にしなかった。歯が欠けても、肌がボロボロになっても、その筆を、訳のわからないダスターに持ち替えてでも、辞めなかった。その事が今日の僕にほんのチョットの身分をくれた。後は、皆が喜んでくれると嬉しい。それだけだ。人間の制作意図というのは、技術を超えて人間の意志を支配する。その意図へ向けて、心燃やし、体を裂いた人間には、必ず望みが敵う。その望みが、他人がより多く喜ぶタイプのものであるのなら、なおさらである。そして、制作意図が自身の作風に沿ったものであるのならば、作品はいつも8割方の成功を収める。一人の個性ある人間が、長く作品を制作する事に従事してゆくと、どのような人間にもアクや、個性が表出する。そしてその個性に沿った制作体系を、生み出すに至る。基本的な技術体系の上にその個性が綺麗に乗ったとき、その絵画の個性はゴールインする。そう、制作意図と技術は、本当はとっても仲良しなのだ。「制作意図=個性」「個性があるから、技術を介在させるのが面倒くさい」という心理状態に陥り易い、集中制作においては、結局そういう人間の感性が完成度に対する障害と化す、という事実がある。しかし、誠に良いものが作りたい、自身の個性の先の、一番良い表現状態が見たいと感じた場合、技術のハードルというのは、そういう願望が在る人間にとっては実は「そんなに高くない」。大きくその体を使い、絵画をする大人として解釈するならば、決して困難でない。それに気付いている人間は技術を吸収する。それが総てでないのだから、技術の習得はとっても簡単な筈だ。技術は媒質である。技術は用法である。その用法の真新しさが、新しい自身を引き出す事も沢山あるはずだ。で、あるのならば、技術の幅が広ければ、制作の意図の深みも増すというものだ。長年一つの物事に従事した人間には、その内実の研鑽方法について、知る義務がある。それが制作意図に一層の深遠広大さを与える事は、言うまでもない。  このようにして、技術と制作の意図がどれだけ重要な接点を有しているかは分かるでしょうが、ここからさらに分解し、かつ分かり易く克明に制作意図と技術の関連性について触れてみたいと思う。  例えば在る一色、「ベージュ」によって得た感覚からイメージを膨らませて絵を描いたとしよう。その一色によって生み出せるイメージの幅と、更にもう一色、「ベージュの補色」を絡ませて描ける絵のイメージの幅では、どうしても、その「もう一色」を知っている、及び用いる事が出来る人間の絵画の方に完成度が出来るのが、当然の結果である。色数が総てでは無い。シンプルな方に注目が集まり、その魅力はシンプルである事で成立している絵画も当然沢山ある。しかし、この場合で言う所の感覚点とは、「製作意図の深みの差異」を表す。日本的な一面を内包した高名な現代絵画においては、一色の色彩だけが主立っている事は先ず皆無である。人間が魅力を感じるのは、その苦悩と正しき研鑽の集積である。結局、「癒し」というレベルを超えた解釈の感覚になると、そういう「研鑽の集積」が価値基準と化し、その中で人間はもっとも複雑にして深遠なイメージを両有するものを選出する。よって、絵画の制作意図に深みを与えたいのならば、当然制作の複雑化が必要不可欠になってくる。その技術の集大成に一つ一つの技術を付加し、その付加に自身のイメージを引っ張られてゆく事も、重要な研鑽のポイントになる。               そう、制作意図自体も成長するのである。
美術には、いわんや人間を癒す効果がある。その役割が無くては、作品の意義は無いと言っても過言ではない。社会の恐ろしさや、戦争に対する反対意識がある作品をアンチテーゼする事は可能だが、作品がコミュニケーションの取れる媒体として存在する、あるいはメッセージを内包した状態のものでなくては、結局なんの他人に対して与えうる回復も無い。と、いう事は、メッセージの中にも、テクスチャー、あるいは絵画技術としての、「見る側への癒し」がエッセンスとして内包されていなければ、成立はしても、誰かの足を止めるような絵画としては、成り立っていない、という事は。結局作品の中には「干渉」以外の、理解力とか、心遣いというものを含ませる必要性がある。  セラピストの基本に「共感的理解」という必要事項が存在する。セラピストには、相手の立場にたつ必要が、相手とのコミュニケーションを取る上で出てくる、というものだ。 「充分に機能する人間」という解釈でもって相手を具体的に理解しようという側面と、同時に「そういった一連の不具合というのは、どういった理由から来ているのか」という心理的側面の、2方向から人間を治療する事が重要であるのと同様に、「社会的メッセージ、公的訴えとしての絵画」「心癒す媒体の塊と、その積層としての絵画」という両側、2方向から人間にイメージを投げかける事が絵画には重要であるといえる。 美術という活動は、特に心を使い、目や内臓の疲労を増やす。密閉された部屋で行う作業という事もあって、どうしてだか精神的にも疲労する。病院に通う人間や、錠剤を常用する人間がいたとしても何ら不思議は無い。  そういう芸術活動のストレスは、屋内作業にして『衣食住』総てに美しさや景観、彩り、人間の作業の円滑、生活の循環の浄化としてタッチする事の難易度。『思いやり』や、人間の誠意の形作りであるがゆえの心労や、心の中の悩みが日々募るが故に起こる『変な疲労』が、尽きないということです。通常の人間からすると凡そ訳の分からない理由で自殺したり、病院送りになったり、薬を常用する為、その関心事の中に入る人間の活動もなかなか分析しづらく、その人間の病理を未然に解決する事も、とても難しいと憶測します。  要は、「美術系は患者としてはとても厄介で、故に人一倍体調管理に気をつけて欲しい人種だ」という事である。人間のなかでも、退化しやすい、あるいは退化をいとわず活動をつづけるのが芸術家であり、体は当然弱い、という事である。 美術館での景観に着目してみよう。お気づきでないだろうか。美術館の中の人間。「少々太り気味」というだけで、かなりの大柄な人間に見える事。そう、美術系という人種は、僕も含めて、それだけ脆弱な人種なのである。 そういう意識の元活動して欲しい、という人間も、内外問わず沢山存在する筈だ。要は人生を歩んだ結果としての体格や、一個体としての蓄積が、美術家は脆弱になりやすいという事だ。  一方で、学生常設には事故が起こり易い。「大作品」の厄介さだ。大作は、ナイーブな扱いを要求する割に、相当な重量を伴うので、扱いを知りつつ取り扱う事が重要になる。 そして、実はもう一つの重要な観点がある。そういうナイーブな作品の取り扱い、実は「ためらってはいけないのだ。」 しても良いことの範疇を利用して、最大限の要領を用いるのが作品の秘訣である。それはとても感覚が難しく、要領よ美術との狭間に位置するのだ。    その活動の「混合疲労」は、とても体には辛いだろう。脳と肉体が両方疲れる、という事だから。そして、さらに新たな美術品にも精力を注がない事には始まらない。 まことに美術とは、疲労の連続なのである。しかも、動きは美的な為、なかなか表出しにくい分、当人たちが倍、気を使いあわないといけないという義務がある。  一方で、これは描き手の願望、『こう描きたい』とか、『ああいう風に描きこんでみたい』とか、そういう類の事である以上、やはり完成度でを上回る人種は相変わらず存在しない。  あの石膏像や、ルネッサンス絵画といえども、積層と、重層感においては結局日本人の上を行く事などとても不可能である。日本人の気質でなければ、生み出す事が不可能な「思考的密度を組む絵画理論」で、できたインスタレーション絵画は、構図は精巧、かつダイナミックに仕上がっている。日本の気質が、オリジナリティーを奪う行為にも繋がり易くはあるのだが、結局人間は「同じ物があれば、良質な方に興味を引かれる」というのが定石なのである。  決まり事の中で物事を煮詰める行為で世界一なのは日本人である気がする。 一方で、美術に携わる人間の感覚と、技術の駆使の天秤をとても悩みの種にする人間もたくさん存在すると思います。 なんに関してもそうですが、「万人に共通する悩み」と、「専門的に理解する必要がある事実への悩み」は、とても矛盾を抱きやすい問題が出てきます。そういう時、どちらを優先順位として持ってくるかはその人間各自の自由になると思います。あらかじめ自己心理の理解力を上げている人間は、「飲み込み」が違います。「ああしなければいけない」、という理由を心が理解するので、とっかかりなく物事を推し進める事ができます。これと美術的技術と交わらせると、同様の事が言えます。例えば、テクスチャーを作る下塗りに扱う技術を用いる、ストロークであったり、もしくはマチエール、テクスチャーであったり、その選別が正しい人間というのは、より良い選別をする人間というのは、「そうしないといけない理由」を深く理解している人種だからです。その理解に技術を乗せているから、「技術的に卓越しているにも関わらず、内的理解に乏しい」という失敗が無い、という訳です。  テクスチャーや、地塗りは、失敗すると次の面を作るとき、その失敗した部分のみが一層厚くなり、「物体」として見た場合、不自然になります。そしてテクスチャーの失敗、しかもその色面がとても大きかった場合、上塗りにはあからさまな費用がかかる上、支持面が重くなります。  物事の間違いには費用が掛かります。そして世の中においてその失敗は往々にして自身に帰ってきます。よって、「間違えるな」と言える人間の方が少しだけ思いやりがあるというのが事実です。  技術的失敗の積層は、人間の心に対して「できない」という感覚を自身に刷り込む事になります。そういう「自分の刷り込んだ感覚」というのは中々払拭しずらいものです。他人が刷り込んだ感覚は距離を置く事でやがて緩和されますが、自分とは一生、一秒も離れ離れになる事ができないのです。よって、自己に対する不安はなかなか払拭しずらいものなのです。美術とは、自分の内面の表出場面であり、調子の不具合がすぐ体にでます。よって、「自身に負けない心」というものが必要不可欠になると感じます。  他人と自身を比べてみた場合に、どうしても心理的不安が伴い、いつもの好調が出ないでしょう。しかし、そういう場合にこそ意味性を伴うような2倍の優しさと、2倍の具体的な何かでもってますますの好調を引き出すのです。


美術にはいわんや人間のメンタルに関わるという役割が存在します。人間のメンタルに画面でもって食い込む作業、実はこれかなり現代社会においては重要な役割を担っています。コンピューターや、社会の軋轢に耐えかねた人間の心理的ある一面の崩壊を、きれいさっぱり立て直す行為や、ゲームの画面に惑わされた人間、携帯電話の画面に身体的な側面を害された人間のリロード方法としての絵画が、今日存在します。 色彩は「癒し」、テクニックは「信頼」、技術は「円滑なコミュニケーションとイメージの助長」、解剖学は「正しい画面内の人体のありようとテクニックとの関連性」、修練は、「義務」、会合は「守りあう為」。  そういう一連の行為が絵画の作品作りにおいてもっとも重要な決定付けになります。その存在が際立つ秘密の箇条はこんなところです。  人間には、実生活、実際の世界以外の癒しが必要となります。そして、そういうぎりぎりの癒しを与える行動というのはとてもテクニックと修練の時間を擁します。その研鑽の量が確かになってゆくと、人間は障害を乗り越えるようになります。そして画面を見る人間の障害もそこから消えうせます。そういう技術の集大成に対して得る感動とは、
   「思いやり×技術」という倍加方式により一層の効用を他人全体に与えます。
 技術の無い絵画というのは、とても客層が偏ってきます。そういう場合に、自分も他人も、大変寂しいでしょう。
 会合とは、自己顕示ならず、守護しあう、心配りあうものなのです


梅田 総一郎 さん 2005年 09月 28日 15時 37分 25秒

 [chinese self dfynamizm]気韻生動と健康心理学の 類似点について


 黄金率が何にも当てはまらない美しい分割割合であるのと同じくして、他のどんな術儀や基本的心得にも説明がつかないのがこの[気韻生動]。この二つは、


     [律の最頂点]

     [六画の最頂点]

 として、主要を成す2大極点です。この二つを兼ね備えたものは、美術に愛されているといって過言ではありません。

 そして、ここで着目したのが、心理学術『self dynamizm』です。『自己力動』自己を律し、ダイナミックに動かすという、『健康的かつダイナミックに律動す』という意義の言語です。

 「気韻もち、生き生きと動く」という気韻生動と、「セルフコントロールする力を持ち、健康的にダイナミックに動くボディコントロール」をする」selfdynamizmが、とても相似関係として類似した2極点であると感じます。同時に、お互い個性ある極点を担っていると感じます。
 この二つの類似については、あらゆる角度で検討される価値があると思われます。

梅田 聡一郎 さん 2005年 09月 20日 10時 20分 24秒

 楽しさを越えようと思われます。

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