ごめんなさい。
今回は次のような会話からこの本が選ばれたのだ。
私「いま『本当は怖い』ってブームだから、それで『ガリヴァー旅
行記』はどうだろう」
編集者「あ、いいッスねー」
でも全然怖くないの。なんか偏執狂のおっさんが妻子を捨てて巨
人の国や馬の国に流されて、そこで「見たもの」「聞いたもの」を
微に入り細に入り報告しているだけだもの。
ではなぜ「ガリヴァー」という名前だけこんだけ一人歩きしてい
るかというと、これが発表された一七二六年にはアイルランド(ス
ウィフトの生まれ故郷)から見たイングランドの王室とか、体制へ
の痛烈な皮肉が効いていたからだ(ちなみに『あとがき』によると、
スウィフトは『ロビンソン・クルーソー』(一七一九年出版)にラ
イバル心があったらしい。全然毛色違うやんけ)。
だから脚注を見ると「ジョージ一世への皮肉である」「……とい
う風刺と思われる」というのがやたら出てくる。でもなあ、現代日
本の我々がこれを読んで「おお、ジョージ一世にここまで言うかぁ」
と思わんしな、ふつー。
むしろ興味深いのは、火星に衛星が二つあることが発見される10
0年前に、スウィフトがこの本の中でそのことを正確に言い当てて
いることや、最後は精神に錯乱を来して死んだというミステリアス
な作品背景である。さらに面白いこともある。
なんとガリヴァーは日本人と会っている。
ガリヴァーを捕らえる海賊の一人として登場し、食料を分けてや
る親切な人として描かれているのだ。なぜスウィフトが十八世紀の
日本に興味を持ったのか、稀代の皮肉屋のくせに日本人だけを「親
切な人」として描いたのか。怖くはないが不思議な本である。
「というわけで次回は『本当は怖い源氏物語』に挑戦しようかと」
「……もう結構です」
(99年週刊誌に発表)
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書評「ガリバー旅行記」