やっと日本にも世界に通じるベトナム戦争を背景にした映画が誕
生した。

 泰造がカンボジアに渡った1972年のベトナム情勢といえば、ベト
ナムから米軍の撤退が始まり、翌73年にパリ和平協定が調印、米軍
の撤退が完了しようかというときである。カメラマン沢田教一はす
でに伝説を残して70年にカンボジアで亡くなっており、近藤紘一も
72年に再婚している。つまりベトナム戦争は「米軍の負け」がほぼ
確定して、あとは、いつ・どのような形で、北ベトナム軍の勝利が
得られるのか、政治もジャーナリズムも焦点はそちらに移っていた
ようだ。

 遅れてきた戦場カメラマン、泰造が取材対象をまだ動静が流動的
なカンボジアに移したのは自然な流れであり、そこからさらにアン
コール・ワットに絞り込んだのも、当然である。

 映画で泰造がアンコール・ワットに初めて遭遇するのは、戦闘が
一段落して、小高い丘に登り、ジャングルの中から一瞬だけ覗かせ
るその尖塔を発見したときである。浅野忠信演じる泰造が夢中でシ
ャッターを切りまくるこのシーンについて、五十嵐匠監督は
「“青年の功名心“からのアンコール撮影が、彼方にアンコールを
見るうちにいつしか『撮らねばならぬ』という自意識に変化してい
ったのではないか」
 と演出の背景を説明している(パンフレットより)。

 実はアンコール・ワットには密林の中からも、ちらり、ちらりと
その「偉大な姿」が拝めるよう、宗教的演出が施してあるという説
がある。私も実際にバイクタクシーの後ろに乗せられてアンコール
を訪れたとき、林の中から神殿の壁が立ちはだかるように現れてき
たときは、落涙しそうなほど感動した。だから浅野・泰造が「アン
コールだ」と叫びながら撮す姿に「そう!」と映画を見ながらすん
なりシンクロできた。

 この共感は実際にアンコールを訪れたものにしかわからないし、
アンコールに惚れたものにしか持ち得ない(それはこの映画の欠点
かもしれない)。おそらく五十嵐監督はカンボジアとアンコール・
ワットを愛し、心の内に十分に消化し尽くしている。だからこそ得
られた着眼点であり、私が「世界に通じる」と評価するのもその所
以である。

 ベトナムやあの戦争を舞台にした映画・小説は数多あるが、たい
てい原作と舞台装置に引きずり回されて消化不良に終わり、ただ
「流行の舞台だから借りました」だけで終わってしまっている。対
象に入れ込む姿勢が伝わってこなかった。
 だが五十嵐監督は流行とか、売れそうとか、そんなものは関係な
かったのであろう。本当にアンコールと、一ノ瀬泰造が好きで、内
なる存在だけを描ききった。

 そして五十嵐の「泰造の解釈」は、実際の泰造を理解する上でも
正鵠を得ていると思われる。それは彼が残した、アンコールへ通じ
る一本の道を撮した写真からわかる。彼は功名心から始まり、自覚
していたかどうかはともかく、アンコールに魅せられてしまってい
た。彼の悲劇はこの「手段の目的化」から始まっていたのかも知れ
ない。

 間違えてはいけないと思うのは、上記の文脈で考えたとき、この
映画の主人公は泰造とアンコール・ワットの二つである。だからラ
ストシーンで事実とは違っても、泰造はアンコール・ワットと出会
わなくてはならなかったのだ。

 劇中、怪しんだところが2点ある。浅野の着ているTシャツと赤
いレインコートだ。渋谷系ファッションで「いまどき」過ぎるし、
そもそも危険な戦地取材する者が、撃ってくれといわんばかりの目
立ちやすい赤い服で全身を包むだろうか。しかしこれも、
「渋谷を歩いている若者をスポイトですくい取って、戦場に落とし
てみたら、どういう行動をとるか見てみたい」
 という五十嵐監督の意図からの演出だろう。一種の危険な賭であ
る。ヘタをすればたんなるアイドル映画が平板な青春ストーリーに
陥ってしまう。それをギリギリのところですくい取とったのが浅野
の存在感と演技だ。あの現代風の切れ長の視線と華奢な身体が、映
画では戦場カメラマンのいかがわしさと狂気を十分に現している。
もう一ノ瀬泰造は他の役者ではやれなくなってしまった。

 泰造が弾薬輸送船に乗り込むシーン、ベトナム女性レファンから
投げつけられる言葉に、私は思わず苦笑いしてしまった。私もかつ
てつき合っていたベトナム女性から同じ言葉を突きつけられたから
だ。
「You are selfish」(あなた、自分勝手よ)
 もっとも泰造の場合は意訳すれば「行かないで」だが、私の場合
は「とっとと出ていけ、このスットコドッコイ」、しかもいかがわ
しい宿でお互い素ッ裸というトンマな状況であった、という違いは
あるが。現実は映画ほど格好良くないのである。


(未発表原稿)

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