私の実用書「体験記」

 実用書を読んだことのある人は多くても、書いた経験を持つ人は少ないだろう。私にはある。

 テーマはあるパソコンのワープロソフトを使っての、「ビジネス文書の書き方」であった。私はパソコン雑誌に記事を書いていたこともあって、パソコン関係のマニュアルは数多く読んでいる。ていうか、一時期「マニュアル評論家」を名乗ってパソコンマニュアルの書評をしていたぐらいだ。このヘンな肩書きは「他の雑誌からもお呼びがかかると良いな」とスケベ心からデッチあげたものなのだが、この仕事はその一環として来たものだった。

 そんな評論家生活(?)の中で「忘れられない一冊」といえば、あの愛染恭子センセがお書きになったマニュアル本であろう。中味は監修者がいるらしくそれなりにまとまってはいるのだが、この本の白眉はなんと言っても10ページに一度ぐらいの割合で登場する、愛染センセのセクシーショットだ。愛染センセは下着姿でモニターにしだれかかったり、どういうわけかキーボードを持って喘いでいらっしゃる。本の大きさは新書版サイズで写真もモノクロだからどことなくチープ感があるのだが、逆にそこが愛染センセのちょっと余分に脂肪が付いた体型とマッチして、そこはかとない隠微な雰囲気を醸し出しているのである。
「この本はどういう読者を想定しているのだろうか」
 ふと、私はそう考えた。失礼ながら今さら愛染センセ一本槍では売れまい。ここはパソコンの解説が「主」で、愛染センセのセクシーショットは「従」と考えねばなるまい。つまり他の出版社がマニュアル本でカラー印刷したり、CD-ROMのオマケをつけるのと同じ差別化を、この編集者、出版社は愛染センセで図ろうとしたわけである。

 ちょっとうらぶれた感じの中高年のサラリーマンが、なんとなく周囲の雰囲気に押されて「パソコンでもやろうかな」とマニュアル本を物色しているときに、書棚でこの本を見つけて
「お、愛染恭子の写真ついてるじゃん。ラッキー」
 と思ってくれることを期待したのであろうか。それが間違いだと言い切る根拠は私にはないが、ものすごくストライクゾーンが狭い気がする。

 しかしこの愛染本は、これからマニュアル本の執筆に取りかかろうとする私と編集者、本の企画提案者であるデザイナーに「本の差別化はいかにあるべきか」ということを教えてくれた。たんに初心者向けとか、ビジネスマン向けとか、もうそういうのはいっぱい出ているのだから、これから出す本にはひと工夫もふた工夫もいるのだ。

 といっても本の中で私が脱ぐわけにもいかんので、ひっきょう我々3人の目標は「内容の充実」という当たり前の結論に落ち着いた。それから編集者は参考文献として「ビジネス文書の書き方」みたいな実用書を山ほど買い込み、私に連日宅配便で送りつけてくる。それに付箋紙を付けて私は3人の打ち合わせに持ち込む。
 だがその過程で私は避けては通れない重大な疑問にブチ当たった。
「オレたち3人は誰もビジネス文書を書いたことがない。そんな人間が書き方を指南しても良いのだろうか」
 あ、やっぱりィ、そう思いますゥ? と言ったときの女性編集者の辛そうな顔が忘れられない。
 それから本は多少は進行したのだが、出版社側と印税のことやなんかでいろいろ食い違いがあり、結局私は地面に額を伏すようにしてその仕事から降ろさせてもらった。あれから2年たつのだがまだその本は世間に現れていない。やっぱり私が脱げば良かったのだろうか。

(月刊誌に発表)

Column_List
TOP