2005Y 429日〜 5月2

黒部横断  (赤岩尾根 ⇒ 鹿島槍南峰 ⇒ 牛首尾根 ⇒ 黒部川 ⇒ ガンドウ尾根 ⇒ 池ノ平山 

  剱 ⇒ 早月尾根

L 佐藤 、河村

 

 

429日 入山時より天気雨 尾根上風強く 時折横殴りの雨 冷池到着頃止む

 8:23 大谷原発 ⇒ 1324 高千穂平 ⇒1620 冷池

 

大谷原から入山者少なく赤岩尾根では高千穂平に幕営しているパーティー以外人に会わず。いやな雨と寝不足で少し頭痛でペース上がらず。 冷池山荘も悪天の為キャンセルが出たとのことでガラガラ。昨年同様 布引山手前まで行きたかったが雨天の行動を続けるほど先を急ぐことは無いと思い山荘前に幕営。

 

30日 晴れ時々曇り

 605 発 ⇒ 831 鹿島槍南峰 ⇒ 1014 牛首山 ⇒ 13:00 尾根上1,600M地点(前回敗退点)

  ⇒ 1820 1,400M 尾根上 幕営

 

南峰から牛首尾根を下降する。牛首山への登り返しは既に雪が腐り始め歩きずらいが先行パーティーのトレース、昨年は無かった「KAC」と書かれたマーキングに導かれ順調なペースで下降。

 

昨年の敗退ポイントである1,600M付近も前回より短時間で通過。ただ先行パーティーのトレースがいやにトラバース気味なのが少し気になった。ここから先は特にルートファインディングが難しくなるのでヤブがうるさくとも尾根上を行く方が良いのでは?と思っていた。 

案の定、トラバースしすぎて北側にルートをはずし沢を横断して尾根上に登り返す。これでもはや先行パーティーのトレースをただ追うだけではマズイと実感。昨年敗退点1600M付近の下で尾根は急に切れ込んだガレ状となるがそこから左(南側)に懸垂下降し沢をトラバースし左の主尾根に移るのが正解のようだ。

 

主尾根を下降していくとヤブながらリッジ状になり切れた大岩に乗るとダム作業場跡のコンクリート、そしてその先に黒部の流れと目標のS字峡吊橋が視認できた。黒部川まではまだ大分、降るがもはや目標地点がしっかり確認できたことで牛首尾根の下降は問題なしと踏んだ。今ひとつ方角に確信の無かったコンパスをS字峡吊橋に修正しここからまず50Mを繋いで1回目の懸垂下降。ヤブをつかみながらのクライムダウンも出来そうだが

懸垂支点の残置がありすぐ下は3Mほどの垂壁になっている。 ヤブがロープに引っかかり懸垂しながら何度も

ロープの絡みを直す。 予想以上に時間がかかる。

 

上から見たのとは別の樹林帯の中にある作業場跡を過ぎ、さらに降り上から確認した台地の上に建つ作業場跡、ここで南側に強引に降ろうとして時間をロス。作業場跡からまっすぐ尾根を下降。やがてコンクリートの崩れかかった壁にぶつかりその先のリッジを行くが行き止まり。少し引き返し南側に先行パーティーの懸垂支点を見つけ、下降 501本で2回の懸垂だがここでもヤブにロープが絡み不安定な状態での解き直し、回収に時間ばかり過ぎる。

 

 この時点で16時を回っていたがまだ標高1500Mで100Mしか降っていない。これにはかなりがっかりした。しかし少し無理をしても今日中に黒部川に降り立ちたい、明日1日は天気がもつが2日は気圧の谷の通過で荒れる。できるだけ早く明日中にガンドウ尾根をやっつけて2日は勝手知ったる仙人山付近の安定した場所で停滞。とその一心で下降する。

足元の不安定な残雪とガレで何度か足を滑らせながら降っていくうち陽が落ち始め、当然暗い中のルートファインディングは不可能、これ以上下降して雪もなくなると水も確保できないと観念し、1,400M付近樹林帯のわずかな残雪の斜面にテントが何とか3分の2載るように整地し幕営。 

 

黒部川の旨い水を飲むはずが樹林帯の泥交じりの水を飲むことになった。それでも2人で紅茶を大量に飲み疲れを取る。食欲はなく予備食用の雑煮餅を食べて21時頃就寝。 長期山行で先も長いのだから安易に考えず余裕をもって幕営をすべきであった。2人ともかなり疲れていた。 

 

5月1日 晴れ 14時30頃から雨

 

702 発 ⇒ 1308 黒部川 ⇒ 1445 S字峡施設トンネル内幕営

 

今日はもう黒部に降りるだけ、そう割り切って遅く出発。やがて錆びた配管がルート上に現れ、それに添って下降。もう黒部川の流れの音も大きいし、そこに見えるとなるととにかく早く川の流れにタッチしたい気持ちで適当に降りそうになるが、S字峡より上流に行き過ぎればゴルジュに阻まれて吊橋まで行けず、本流の渡渉をする事になってしまうし、東谷の方に降りればこれもゴルジュ帯。ピンポイントで黒部川と東谷の出合付近に降りなくてはならない。

 

早速、尾根が切れたところで50M2本の懸垂をするが尾根をはずして左に降りすぎてしまい、不安定な

登り返しを強いられる。ここは岩稜通しで下降するのが正解。 岩稜帯に戻ると左 南面は急なガレで黒部川まで切れているし、右 北斜面は岩混じりの雪壁となって東谷に切れ落ちている。なんとなくそろそろと思い

「いちよヘルメットつけて行こう。」と河村さんに声をかける。 「ヘッ こんなところで?」といいながらも

2人でヘルメットを着けた。 

 

佐藤が先行して再び下降開始、 しばらく降ったところで岩からその下の岩に乗り移る間に100cm×40cm位の残雪のブロックがのっかている所にでた。 佐藤は恐る恐る体重をかけて通過。

その5M程先の懸垂下降支点を確認していた。とそのとき、河村さんの「アーーー!」という大声に振り向くと

東谷斜面を滑落していく河村さんの姿、雪ブロックを踏み抜いたらしい。 5M程の垂壁を滑り落ち、その下の雪のバンドでも止まらず今度は頭を下にして落ちていく。20M位落ちたところで運良く雪の窪みで止まる。そこで止まらなかったら東谷に向かって200M以上の雪の急斜面 ぞっとした。佐藤が懸垂で河村さんのいる場所に

降りる。 興奮状態でどこをどう打ったか判らないようだが取りあえず骨折などはしてないようで安心する。

岩で頭をすったらしく左耳の上あたりから血が出ているがこれも切った程度。数分前にヘルメットを着用したこと。雪の窪みで止まった事。まさに運が良かったとしか言いようが無い。

 

取りあえず河村さんは空身でロープにプルージックがけで尾根に登り返し、その後佐藤が河村のザックを背負って尾根に上がる。

 

目に見える傷、自覚症状は頭の出血と両腕,足、胸の打撲。 痛そうだが兎に角、安全地帯へ、今 一番の安全地帯は牛首尾根を登り返すことか、黒部川に降り立つ事か? 少し考えたがやはり黒部川はもう少しだ。

岩稜の切れるところで50M1本の懸垂 残雪の上に降り立ち、そこからガレの急斜面を50M2本繋いだ懸垂。

相変わらずロープが絡む。上からロープを垂らしながらの懸垂もやってみたが最後のロープ末端の結び目が木に引っかかり余計に往生する。ガレにダブルアックスを利かせてクライムダウンした方が早いとも思うが途中途中に岩の垂壁があり困難だ。 もう何回懸垂したんだろう。のどはカラカラ、でもすぐそこに黒部の青い水。でもいくら懸垂をしても黒部川はその下。最後は50M2本で4回の懸垂 そしてようやく黒部川の雪渓へ、2M位の高さの雪渓から飛び降りて黒部川に降り立った。 

 

水をがぶ飲み。牛首尾根を下降しきったことに何か、もう一つの山行をやり終えてしまったような安堵感がよぎる。 吊橋のある河原まで渡渉3回、 最初の2回はヒザくらいで冷たさを我慢すればたいした事は無いが3回目、東谷沢が黒部に流れ込む渡渉は水量が多い、河村、佐藤でスクラムを組んで渡渉開始。半分過ぎたところで

流され河村全身ビッショリ 佐藤左半分ビッショリ。 

明日2日は雨だろうという事でダム施設内の半トンネルにテントを張る。 と早くも14時過ぎから雨。

 

牛首尾根に丸々2日かかった形になってしまった。そして明日は停滞。となるとここでもう予備日の2日を使ってしまうことになる。今後のことを考える。河村さんは全身打撲、特に右肩のあたりを強打したらしくアックスを振るのが無理らしい。それに頭を打ったことも気にかかる。黒部から見上げるガンドウ尾根は今降りてきたあの牛首尾根よりもさらに急なガレで始まりその上に雪の付いて切れた岩稜。ガンドウ尾根は無理だろう。

といって佐藤自身 もう2度と牛首尾根の登り返しは御免だ。実際 懸垂を重ねた下部1600Mまでどこをどうやって登り返すのだろう。登り返すならまだ傾斜のゆるそうな東谷尾根か、しかし東谷尾根も尾根が屈曲していて

ルートファインディングに苦労しそうだ。それに「戻る」と言うこと自体に大きくやる気をそがれる。

 

 廣川健太郎さんのルート解説に「残雪期なら仙人ダムを渡り仙人谷を仙人山まで辿れる。」とあった。それであればただ雪渓を登るだけだし、ガンドウ尾根というこだわりを捨てれば北方稜線から剱に立てる。しかし5日まで全日行動できるだろうか? この谷底ではラジオは全く入らず天候予想も立たない。

 

5月2日 雨 のち 10時頃から晴れ

 

1042 発 ⇒ 1150 仙人ダム 

 

今日は停滞としていたがどうやら気圧の谷は予報より早く通過し、10時位から急に晴れてきた。

偵察に向かう準備をしていたが空をみて急遽、テントを撤収し仙人ダムへむかう。

 

夏道の下ノ廊下ルート上だがデブリの斜面となって下は黒部川に落ちており所々、気を使う。途中 岬状に張り出したところは東谷尾根の取付と思われる、そこから鉄塔までガレを強引に登り1,771Mの台地まで、最悪はここを登るか。。と思いながら通過。 対岸に仙人谷が見え始める。出合付近の雪渓には穴が空き黒部川に激流となって流れ込んでいる。 「こんなところ無理だ!」即座に判断できる状況だ。それでは仙人ダムのすぐ後ろの急斜面を登って阿曽原峠まで行っていいところで谷に降りる、と考えたが急斜面は岩のガレで落石防止網が張り巡らされているほどでこれも到底無理。

 

仙人ダムの上に上がる。サルの群れが僕らに構うことなく行き来し、ダム上そこいらにフンだらけ。

しばらく2人で途方に暮れる。 黒部の谷底で行き詰まっているというのにこの風景ののどかさは何だろう。

このサルたちは、そしてなんでこんな大きなダム施設があるんだろう。携帯もラジオも入らない、どっちに登り返すにも3日は要するこの状況の中で何でこんなにも人間くさいところにいるのだろうか?

 

「阿曽原まで夏道どおしでいけるかもしれない」という河村さんの提案で取りあえず佐藤はダムから先のトンネルが夏道につながっているか偵察に向かう。

 

ダムから阿曽原方面の水平歩道への道はなぜか封鎖されておりダム施設の屋根から強引に対岸に飛び降り水平歩道のトンネルに入る。 少し行くとトロッコ列車のレールがありそこからものすごい熱気と硫黄のにおい、ここ辺りは硫黄の噴出しのある高熱帯が有るらしくトロッコも耐熱仕様になっているとのこと。

 

トンネルを出るとダム作業員の為の人見寮がある。これも立派であきれる。 そこにおじさんが一人タバコをくわえて休んでいた。

「すいません。今 阿曽原の方に行けますか?」

「行っていけないことは無いかもしれないけど、昨日辺りもしょっちゅう 雪崩の音がしてたよ。」

こんなところで働いてはいるが山に登っているわけではないのでよくは判らないらしい。

パートナーが怪我をしてガンドウ尾根を諦め、他のルートを探している事を話したら

「そんなら、トロッコに乗せてもらえばいい。 あれに乗っちゃえば欅平まで20分だ。」 と一言。

大きな一言だった。

どこに下山するにも後3日かかる。この時期に水平歩道通しで欅平下山はあり得ない。 そんな状況の

中で「欅平まで20分。」

こうして作業員の方々に混じって欅平へ、欅平で一般車両に乗り変えて宇奈月へ。17時には富山駅に着いていた。

 

今回の山行を思い返すにまず。

 

1.      黒部横断というそのかっこよさに引かれて、昨年から2度、安易に取り付いたが、この長いルートは夏、冬と厳しく長い山行を重ねてきた者が初めて余裕を持って取り付くことの出来るルートであることを思い知らされた。 それはグレード的なものではなく、体力、精神力に大きく左右される。

2.      スピーディーなザイルワークに欠けた。 この山行前に懸垂下降したのは何時だっただろう。

3.      ガンドウ尾根をすべてリードするつもりで計画通り山行を継続するくらいの気合が必要だった。牛首尾根を終えた時点で気力が切れた。