はじめに
「北陸トンネル」をご存知だろうか。福井県敦賀市と南越前町今庄を結ぶJR北陸線のトンネルで、
総延長は13.9キロと在来線では日本一の長さ(地下鉄を除く)を誇る。このトンネルが開通した
のは1962年であり、まもなく半世紀を迎える歴史を持つ。
北陸トンネル開通から遡ること5年前、1957年に北陸線「深坂トンネル」(5.2キロ)が開通して
いる。こちらは敦賀市と滋賀県西浅井町の間に建設されたトンネルだが、前出の北陸トンネルと
ともに北陸線のスピードアップに貢献している。
このトンネル開通により、明治時代より活躍していた「旧線」が廃止となった。今回当サイトで取り
扱う理由は、その「旧線跡」が道路として通行可能であり、旧線の「トンネル」がそこにあるからで
ある。ここでは旧線跡道路を訪れ、それら「トンネル」を含めた旧線の「遺品」を紹介したい。

〔3〕では「北陸トンネル」により廃されたうちの、敦賀市杉津(水津)〜南越前町今庄までの区間を
紹介する。

「北陸線廃線跡(杉津〜今庄)」の位置
■所在地:福井県南越前町〜敦賀市
訪問レポート
■訪問日:2008年6月16日/2009年4月19日

  〔お読み頂く前に〕------------------------------------------------------------------------
    ★印の付いたリンクについては、別ウインドウでより多くの画像をご覧頂けます。
    お楽しみ頂ければ幸いです。
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杉津から北陸道と別れ県道207を進む
杉津から北陸道と別れ県道207を進む

  北陸線廃線跡〔2〕より

■隧道連続区間は忘れた頃に来る対向車に注意

旧線跡の道路である県道今庄杉津線は、杉津(すいつ)駅跡から北陸道の呪縛?を解かれ、単独で山肌を進んでいく。しばらくは隧道も無く直線で徐々に高度を上げていくが、やがて彼らの「お迎え」を受ける。

第一観音寺隧道。気持ちカーブしているが、長さもさほどなく出口が見えている。対向車がいないことを確認してGoだ。

「対向車がいないことを・・・」と書いているが、私が訪れた範囲で対向車は少なかったと記憶している。ただ「全く無かった」というわけではなく、地元の車が「忘れた頃にやって来る」ぐらだったと思う。

やって来る頻度が比較的多いのであれば緊張感を持って運転も出来るが、忘れた頃にというのがやっかいだ。緊張感を維持できない(気が緩む)ことにつながりかねないからだ。全線で緊張する必要も無いだろうが、隧道に入る前後ぐらいは緊張し、安全確認を怠らないようにしたい。

■先の見通しにくい隧道もある

第一観音寺隧道を抜けると、次の隧道が待っている。「第一」があるんだから、その先には「第二」という単純な理屈。第二観音寺隧道のお出ましである。こちらは最初カーブし先が見通しにくいが、その先は出口まで見通せる。最初対向車が見えない分、隧道突入には多少の「気合」が必要かも。

あれ、先に「対向車確認」についてしつこく書きながら、「気合」ではおかしいな・・・そういう隧道もあるが事実なので、スピードは控えめに。

第二観音寺隧道を抜けると、路肩に車を停めるスペースがないまま次の曲谷隧道へ。撮影のため一時停車も考えたのだが、トンネルの出入口周辺は外光のためトンネル内部から確認しづらく、そこへの停車は後続車や対向車にとってリスキーだと思いやめた。・・・トンネル内からの撮影はリスキーではないのかという質問には答えられない(汗)・・・

曲谷隧道は「名は体を現す」ではないが、こちらも内部がカーブしていた。この区間では、この2隧道が運転要注意ではないかと思われる。

曲谷隧道を抜けると、芦谷隧道。出口が見通せる安心隧道(笑)である。もちろん、対向車確認は必要であるが。

芦谷隧道の先には、葉原隧道以来の交互通行用信号機が待っている。伊良谷隧道である。距離が比較的長く、中でカーブしている。交互通行もやむを得ないか。待ち時間は3分。

■ついに山越えの隧道へ

そしてこの後に、この隧道集団の「主」になる隧道に突入する。山を越えて今庄側に向かうための隧道、山中隧道である。いかにも「主」らしく、ポータル(入り口の面)も堂々とした立派な造りである。そして距離も長い(1.2km)のだが、交互通行になっていない。さすがに出口もはるか彼方だが、内部は直線であることから、対向車があればヘッドライトの光などですぐにわかる。実際に私も、隧道に入る前に対向車がいることを確認できた。

逆に言えば、隧道に入る際にライトを点けないと、対向車として認識してもらえず危険ということでもある。もっとも、ライトを点けないと隧道内は真っ暗なのだが・・・

隧道の中は、空気が結構冷えている。6月の蒸し暑い中、車の通行がないことを確認して隧道入り口に立った。隧道から冷たい風が吹いてくる。息を吹くと白くなる。6月なのに。

あと、隧道内は結構水が天井から降ってくる。隧道内を歩くことは無いと思うが、屋根の無い二輪車とかは要注意だ。結構濡れるかも。垂れる水が冬季にはつららになるようで、隧道入口には「つららに注意」の看板が立つ。

■複線の待避線を持つ大きな信号場

山中隧道の今庄側を見ると、左隣の奥にトンネル入り口が見える。今まで見てきた「隧道」というレンガ造りのものではなく、近代的なコンクリート製だ。トンネルは貫通しておらず、途中で終わりとなる。この中途半端なトンネルは、実は「山中信号場」の待避線なのである。待避線の長さを稼ぐため、行き止まりのトンネルを掘ったという。

★山中信号場(別ウインドウ)の案内板が、山中隧道を今庄側に抜けた先にある。先といってもすぐではなく、数百メートル行った先である。その案内板より今庄側は、同じ勾配で下っていく県道と、左側に轍がかろうじて残る未舗装の平坦な路面が延びる。平坦なほうは道幅が結構広く、ここに複線分の待避線が置かれていたのだという。待避線の先端にはロックシェッドと思われる覆いが複線分設けられている。

案内板によると、今庄側から上がってきた列車が、敦賀側からの対向列車をやり過ごすために一旦待避線に入ったのだという。対向列車が通過すると、待避線から勢いをつけて隧道までの坂を駆け上ったのだという。また、逆に敦賀側からの列車の場合も一旦待避線に入り、対向列車通過後に本線または隧道横の待避線(前述の中途半端なトンネル)へバックし、本線を今庄方向へ向かったのだという。

■ホーム跡が残る大桐駅跡

山中信号場跡からは、しばらくは鉄道としては急な勾配を降りていく。その後はやや平坦になり、山中を気持ちよく進む。鉄道は周りの土地より高い所を走っていたようで、それを引き継いだ県道も高い位置を走っている。

やがて集落が見えてくる。大桐地区である。相変わらず道路は高い位置を走っており、低い位置にある集落の家々とは面していない。集落へは別の道でアクセスすることになる。これも県道が鉄道跡だった名残である。
(民家が線路に面する必要はないので)

集落を抜けた先(集落の今庄側)に、「大桐駅」と書かれた駅名標風な看板が目に止まる。これが★大桐駅跡(別ウインドウ)である。現地には大桐駅の経歴について書かれた案内板も立っており、そこには大桐信号所として建設されたことや、地元の請願を受けて駅となったと記されている。

■旧線辿る旅の終わり

やがて県道右手に、JR北陸線が見えてくる。敦賀から14キロもある北陸トンネルを抜けた直後の区間である。そして県道は北陸線と併走する。併走はするがここは現行線と旧線の合流地点ではなく、更に進んだ先にある今庄駅近くが合流地点になるのだという。合流地点を目の前にして、県道は併走をやめ北陸線を踏切で横切り、国道365号へ合流する。こうして、滋賀県余呉町より続いた旧北陸線を辿る旅は終わりを告げる。

単に余呉町から今庄に抜けるだけなら、まっすぐ国道365号を利用する方がよい。ただ、遠回りして明治時代を感じる旅もたまには良いと思う。対向車には気を付けて頂きながら・・・

  北陸線廃線跡 −完−

第一観音寺隧道は出口が見える
第二観音寺隧道はカーブ気味
第二観音寺隧道はカーブ気味
第二観音寺隧道の直後に曲谷隧道
第二観音寺隧道の直後に曲谷隧道
曲谷隧道の次は芦谷隧道
曲谷隧道の次は芦谷隧道
伊良谷隧道は信号付交互通行
伊良谷隧道は信号付交互通行
山中隧道の杉津側。距離は長いが信号無し
山中隧道の杉津側。距離は長いが信号無し
山中隧道の今庄側。左は信号所引込み線跡
山中隧道の今庄側。左は信号所引込み線跡
山中信号所跡。スイッチバックがあった。
山中信号所跡。スイッチバックがあった。
今庄へ向かって気持ちよく廃線跡を進む
今庄へ向かって気持ちよく廃線跡を進む
大桐地区を過ぎると大桐駅跡がある
大桐地区を過ぎると大桐駅跡がある
南今庄駅近辺で現北陸線と併走
南今庄駅近辺で現北陸線と併走