毎年11月の第2日曜日には、『長岡京ガラシャ祭』が開催されます。
『輿入行列』が市内を練り歩く、長岡京市で一番大きな祭です。
「ガラシャ」とは『細川ガラシャ』という名の実在した女性のことで、
明智光秀の三女としてこの世に生を受けたと言われます。
本名は「玉」といい、「ガラシャ」はキリスト教の洗礼を受けた後の名前です。
玉(ガラシャ)は16歳の時に
勝龍寺城の細川忠興の元に輿入れ(嫁入り)しました。
当初は幸せな生活を送っていた玉ですが、父である明智光秀が本能寺の変にて
織田信長を倒したことで、その幸せな生活が一変してしまいました。
天王山の合戦で明智光秀が倒された後、玉は味土野(現在の京都府弥栄町)へ
約2年間幽閉されました。幽閉後大阪に戻された玉でしたが、周りの人間関係の問題
などがあり、心の平安をキリスト教の教えに求めたといわれます。
その熱心な信仰から、後に洗礼を受けて「ガラシャ」と名を改めた玉の辞世の句があります。
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
その「細川ガラシャ」が長岡京にあった勝龍寺城へ輿入したことから、その行列を模した「輿入行列」
を中心に行われているのが、今回紹介する『長岡京ガラシャ祭』となっているわけです。
「玉」を始めとするキャストは、一般公募から選ばれた方たちで構成されています。
また「明智光秀」役には、一部の開催を除いて外部からゲストを招いています。
このページでは、1999年〜2001年の祭の様子を、そのゲストをメインに紹介いたします。
(本文章作成には、ガラシャ祭のパンフレット等を参考にしました)