〓神足六連橋(こうたりろくれんきょう)〓
◆所在地◆




仕事の関係から、当サイト管理人の足が遠ざかっていた長岡京市。
久しぶりに訪れると、長岡京駅前に歴史観光地案内の石碑が建っていた。
その中に「神足六連橋」と記してあるのを発見。以前は耳にしなかった名前である。

耳にしなかったとはいえ、元住人なので「六連橋」の示す場所は想像できる。
ただ正直なところ、石碑に名を記すほどの橋だとは思っていなかった。
現地に向かえば何かわかるのかと思いつつ、今回ようやくその機会を見つけ訪問した。

長岡京駅から北へ向かい、「ばばばし」表記がお気に入りの「馬場橋」を渡る。
その先で府道(通称「三菱通り」)と交差。左折した先に「六連橋」が見えてきた。
しばし「六連橋」周辺をうろつくものの、期待した説明看板の類は見つからず。
仕方なく数枚の写真を撮って、web上の情報に期待し次の目的地へ向かった。

自宅に戻り早速Web上で検索したものの、特に目立った情報に出会えない。
そこで思い切って、長岡京市の観光協会へメールで問い合わせをさせて頂いた。
数日後、なんと関連する資料を郵送頂いた。ご対応頂いた関係各位に感謝申し上げます。

今回は、「六連橋」知名度アップに微力ながらも貢献するため、
頂いた資料を元に「六連橋」の説明を記すことにする。



駅前にある石碑に「神足六連橋」の案内あり
(マウスポインタonで拡大)

「ばばばし」表記がお気に入りの「馬場橋」
(マウスポインタonで橋の全体写真)

「六連橋」到着。JRが府道を跨ぐ橋
残念ながら、付近に説明看板等は未設置

一部見えませんが六連アーチの橋になっています
(マウスポインタonで“六連”カウント)

六連橋は東海道線下り複線で現役活躍中
道路を跨ぐのになぜか水切り(マウスon)


■神足六連橋■

明治9年、大阪・京都間(開通当初は大阪・向日町間)鉄道開通とともに完成。
日本初の鉄道開通(新橋・横浜間)が明治5年であるので、そのわずか4年後にあたる。
以降現在まで130年以上、日本の東西を結ぶ大動脈を支えてきた。
その歴史的意義から、後世に残す鉄道遺産として紹介されることとなったようだ。

レンガで作られた見事なアーチは、イギリス人技師の設計によるもの。
現在は複々線のうち下り2線にて利用されており、上り2線はコンクリート製の橋となっている。
レンガの見事なアーチに対して、接するコンクリート橋もデザイン的にもう少し頑張って
欲しいと思うのは少々贅沢なのだろうか。。。

橋の下は府道が通っているが、その橋脚には水路で見かける「水切り」が設置されている。
これは本橋の設置目的が道路を通すことではなく、水を流すことだったと想像できる。
「水切り」は西側から水を流れてくることを前提とした設置となっており、
理由として情報収集すると「旧小畑川説」と「大雨増水時の排水路説」があるようだ。

「旧小畑川説」であるが、確かに昔の小畑川は向日市上植野あたりから東へ向かい、
京都市伏見羽束師あたりで桂川と合流していたという。
勝龍寺城大門橋の説明石碑(京都府乙訓土木事務所)を参照
ただ流路変更は鉄道が引かれた明治時代より遥か昔のことであり、明治時代以降に
流路変更がされたという情報には残念ながら行きつけてない。

そう考えると、「大雨増水時の排水路説」が妥当なのだろうと思われる。
この地は大昔から水害を多く受けてきており、かの「長岡京」が短命に終わった
理由のひとつに、大雨による小畑川の氾濫が挙げられている。
また「一文橋」でも、増水による架け替えが橋の有料化につながったと伝わっている。
歴史的判断からも、排水路が必要と判断されたのだろう。

実際に鉄道建設の際にも、大雨増水があったという話も伝わっている。
この区間の線路は築堤(堤防のように周りより高くする)にて造られていることもあり、
排水路が無いと雨の水をせき止める恐れがあると考えたようだ。

長岡京市には神足六連橋の他に、もう一か所同様のレンガアーチの橋が存在する。
そちらも訪問したので、引き続き紹介しよう。



老が辻橋梁。こちらは川(犬川)に架かる橋

歴史を感じさせるレンガ作りの三連橋

こちらも西側(犬川上流側)に水切りがある


■老が辻橋梁■

長岡京の市街地を北から南へ流れ、途中で向きを東に変えて勝龍寺城付近で
小畑川へ流入する、「犬川」と呼ばれる小河川がある。
その「犬川」をJR東海道線(京都線)が渡る橋「老が辻橋梁」を紹介する。

「神足六連橋」と同じレンガのアーチ型であるが、こちらは三連橋になっている。
橋に近づくため、犬川の堤防を川下側から歩いた。
橋のすぐ傍に川床へ下りる階段があり、冒険感覚(?)で下りて行きアーチの下へ潜り込んだ。

蚊に刺されつつ、アーチ下より橋の様子をウオッチング。
ここの橋脚にも、「神足六連橋」と同じく「水切り」が設置されているのが確認できる。
川の流れ(西→東)と同じく、橋脚の西側に設けられている。

橋の設置は「神足六連橋」と同様、明治9年の鉄道開通時である。
こちらも130年以上、日本の大動脈を支える役目を果たしていることになる。

「神足六連橋」「老が辻橋梁」ともに、それらを案内する石碑や看板は目にしたものの、
現地には残念ながらそれらの歴史的意義などを紹介する看板などは見受けられなかった。
(訪問した2011年4月〜5月時点)
様々な事情はあると思うが、橋の歴史的意義を広く知って頂くためにも、
紹介看板等の設置検討をお願いしたいところである。



■おまけ:鉄道関係レンガ構造物■

蛇足となるが、「神足六連橋」や「老が辻橋梁」と同じ世代になる“鉄道関係レンガ構造物”
について、関西周辺において現在も残っている事例があるようだ。いくつか挙げてみよう。

★逢坂山隧道(旧東海道線)〔明治13年〕/滋賀県大津市
小刀根隧道(旧北陸線)〔明治14年〕/福井県敦賀市
柳ヶ瀬隧道(旧北陸線)〔明治17年〕/滋賀県長浜市〜福井県敦賀市
★旧草津川隧道(旧東海道線)〔明治22年〕/滋賀県草津市
★旧狼川隧道(旧東海道線)〔明治22年〕/滋賀県草津市

2、3例のみ挙げようと思ったが、意外と滋賀県勢が多かったので、地元びいき
ではないが5例も挙げてしまった。お許し願いたい。
機会があれば、せめて写真に収めて紹介できればと思う。

ちなみに、上記構造物は既に現役から退いているものばかりである。
一方で、今回紹介した「神足六連橋」「老が辻橋梁」は現役活躍中。
現役ゆえに適切な維持管理はされると思うが、文明開化の頃の歴史・文化を
伝える貴重な証人として、これからも維持保存されるよう関係各位にお願いしたい。



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