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〓勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)〓
◆所在地◆

長岡京市の南東部に『勝龍寺城』の跡が公園としてあります。
勝龍寺城の歴史は南北朝時代まで遡り、京都へ進出しようとしてくる
南朝方に対抗するため、北朝(足利尊氏)方の前線基地として1339年に
細川頼春(よりはる)により築かれたと言われています。
その後勝龍寺城には、1578年に細川忠興(ただおき)のもとへ明智光秀の娘「玉」
(後の「細川ガラシャ」)が16歳で輿入れした所であります。また明智光秀自身が
1582年の山崎の合戦で本拠地として利用した所でもあります。
ここでは勝龍寺城に関連する場所について紹介いたします。

勝龍寺公園内の風景です。園内は川が流れ、春はしだれ桜が美しい。 |

勝龍寺本堂を臨む |
■ 勝龍寺公園 ■
勝龍寺城は現在、公園として整備されています。
敷地の南側にある門をくぐると、正面には天守閣を模した管理棟が建ってます。
管理棟は2階建てになっていて、1階部分には管理室と休憩室・トイレなどがあります。
2階部分には勝龍寺城の発掘・整備時に出てきたものが展示されています。
園内は訪問者がくつろげるよう、日本庭園風に整備されています。
中央部には小川が流れ、それを取り囲むように散歩道があります。
またソメイヨシノや枝垂桜などが植えられており、春には美しい花を見せてくれます。
■ 勝龍寺 ■
勝龍寺城のすぐそばには、勝龍寺城の名前の元になったと思われる「勝龍寺」があります。
勝龍寺の本尊は十一面観音で、鎌倉時代作の重要文化財だそうです。
寺伝によると、806年に帰朝した空海(弘法大師)が唐長安で学んだ「青龍寺」の
名前を取って開基したとのこと。その後962年の干ばつ時の雨乞いの効験によって「勝龍寺」に
改称したとの事です(市観光協会の案内板より一部抜粋)。

山崎の合戦での両者布陣 |

明智光秀本陣側から天王山を望む |
■ 山崎の合戦 ■
勝龍寺城は細川頼春によって築かれ、細川忠興のもとへ明智光秀の娘「玉」(ガラシャ)が
輿入れしてきました。その後山崎の合戦のために明智光秀が入城して、城を合戦の
本拠地としたそうです。玉のその後の運命も変えたその「山崎の合戦」について見てみましょう。
『天下分け目の天王山』と言われた「山崎の合戦」は、天正10年(1582年)6月13日
天王山の麓にて羽柴秀吉軍と明智光秀軍が激突したことで幕が開けました。
戦いは合戦前に天王山山頂を羽柴方が征した段階で体勢は決まり、
後は軍勢に勝る羽柴軍が明智軍を圧倒したのでした。
敗北した明智光秀は、滋賀の坂本城に逃げる途中に京都伏見の農民に殺害され、
世に言う「三日天下」が終わったと歴史は伝えています。
明智光秀が敗れた時点で、勝龍寺城も落城したそうです。
その「合戦の地」を訪ねてみます(画像上右)。後方に見えるのがが天王山です。
天王山が淀川の方向へ高度を下げている部分(画像上右で左側方向)に
羽柴秀吉の本陣があったと言われています。
明智光秀の本陣は、現在のサントリー(株)桂工場の敷地すぐそばに
設けられたといわれます。現在は自然と竹林化されてしまったようで、
本陣跡という面影は残念ながら何一つ残ってません。
長岡京市南部から大山崎町にかけての静かな住宅地・田園地帯ですが、400年以上
前に『天下分け目』の戦いがあったとは想像がつきません。
しかしここが、歴史が動いた“現場”のひとつなのです。

降り立った神を祭ったと言われる神足神社 |

神足神社には勝龍寺城の空堀が |

竹やぶの中に空堀跡が見られます |
■ 神足神社と空堀 ■
勝龍寺城公園の北東約200mの所に、「神足神社」があります。神足神社は
旧神足村の産土(うぶすな)神で、文徳天皇の頃(854年)に国の官社にあげられて
いるそうです。神足神社には『桓武天皇の夢』として、以下の伝説が残っているそうです。
〜田村(旧神足村の昔の地名)の池に天から神が降り立ち、宮中を南から襲おうとした
悪霊を防いでおられた夢を見られたという。天皇は目覚められ、
田村にこの神をまつる社を建てさせ、太刀と絹を秘蔵させた〜
以降この社は「神足神社」と呼ばれ、田村は「神足」と呼ばれるようになったそうです。
(市観光協会案内板より紹介させて頂きました)
この神足神社のすぐそばに、勝龍寺城の「空堀」「土塁」跡が残っています。
その「空掘」「土塁」は、細川藤孝(ふじたか)が1571年、勝龍寺城の大改修で造営したもの
と言われています。小畑川から水を引き込んでいたようです(画像上中・・・案内板より)
神足神社東側(画像上右)は、発掘調査で土塁と空堀との比高が6メートルあったことと、
土塁下から6世紀後半の方墳である神足古墳が確認されたそうです。
(市教育委員会の土塁・空堀の案内板より紹介させて頂きました)
画像の地図ではこの他にも堀が描かれているようですが、この神足神社の空堀跡
以外の場所では確認できてないようです。
貴重な「歴史の証人」として、今後も後世へ歴史を伝えていって欲しいものです。
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