Keyboard Magazine 1998年3月号 (\760)          リットーミュージック刊 Keyboard Magazine INTERVIEW  (P.129)  前を向いて歌えるし、アコーディオンは とてもアクティブな楽器です。               須山公美子  シャンソンや昔の歌謡曲の香り漂うメロディに乗せ、 楽しさ/悲しさ、崇高/通俗といった表裏一体のような テーマをアコーディオンやピアノの弾き語りで 歌い続ける須山公美子。今でこそライブ・シーンで アコーディオンを目にする機会も増したが、 彼女が歌い始めたころ、それは斬新であった。 主に関西方面でのライブ活動が中心の彼女のライブで 共演中のギタリスト内橋和久をプロデューサーに迎え、 5thアルバムを完成させた。 本作やアコーディオンとの出会いについて聞いた。 ●アコーディオンの弾き語りというスタイルは、  どのように確立していったのですか? ○20年くらい前に、変身キリンというパンク・バンドを  やってて、そのころはピアノとROLANDのSaturn09っていう、  持ち運びできるシンプルなオルガンを使ってたんですけど、  いろいろ不自由があったんです。アンプやミキサー通すと、  自分の出したい音と出音が違ってたり、ピアノの弾き語りを  したいのにピアノがなくて動きがとれなかったり。  で、ある時ピアノのない所でライブをやることがあって、  何か面白いことがしたいっていうんで、メンバーが  アコーディオンを借りてきたんです。弾いてみたらこれが  なかなか渋いんですね。何より前を向いて歌えるのが便利でした。 ●そんなアコーディオンで歌う歌は、シンプルだけど、  さまざまな要素が感じられますね。 ○音楽を作る人間だったら曲や詩を書いたりする場合、  小さいころの情景なんかが残っていることが多いでしょ?  私は、横浜生まれでしてね、もの心ついたころに  傷痍軍人さんの姿を見た最後の世代だと思うんです。  高架下とかで白い服着てアコーディオンを弾く姿を見て、  なんかこう、都会のブラック・ボックスみたいな  ミステリアスなものと、それに引かれる気持ちを感じていて、  いつかアコーディオンの音色で何かをやってみたいと  思っていたんです。それから、父が好きでシャンソンを  聴く機会が多かったんですけど、その中でアコーディオンが  縦横無尽に使われているのも印象的でしたね。  その後、自分でアコーディオンを手に入れたんですが、  最初はスリー・コードくらいしかできませんでしたから、  いかにスリー・コードで曲を書くかでした(笑)。  でも、単純なものって面白いでしょ?その中でもできることは  いっぱいあるし。シャンソンって3拍子が多いんで、  自分も3拍子の曲が自然に出てくるようになったんです。  歌謡曲に関しては、日本人だったらみんな心の中にある、  と言うか、シャンソンとは別の、大陸から来た3拍子があるでしょ?  そういうのは抵抗なく出てくるもののひとつだと思うんです。  そんな風に混とんとした感じが好きなんです。一色よりも  混とんとしている方が、何が何だか分からなくて面白いもの。 ●ライブやアルバム制作といった活動の中で、いろいろな人と  コラボレーションされていますね。 ○ええ、そういう機会に関しては、私すごく恵まれてますね。  セカンド・アルバムでは すきすきスウッチの佐藤幸雄が  プロデュースを買って出てくれて、自分が面白いと思う  ミュージシャンを片っ端から集めて各曲のアレンジを依頼したんです。  溝口肇さんなどを含む初期斉藤ネコカルテットとか篠田昌巳さんとか  素晴らしい人たちと作ることができました。サード・アルバムでは、  リクオ君とかね。こんな風にだれかほかのミュージシャンと  やるっていうのは、自分にないものをそこに存在させるためか、  自分では引き出せないものを引き出すためか、どっちかでしょう?  この人たちは私にはできないことをやってくれたんです。 ●新しいアルバムはギタリストである内橋和久さんを  プロデューサーに迎えていますね。 ○彼は、歌のないバンドをやっているし、自分でも歌わないんだけど、  ボーカル・ミュージックには一見識あるし、好きなんですよ。  で、アルバムやコラボレーションで実にいいボーカルものを  プロデュースしているんです。彼とはもう2年近くライブを  一緒にやっているんですけど、そういうライブで何回もやってる曲を  広げてみよう、というのが今回のコンセプトだったんです。  私や内橋さんは、レコード世代なんです。  で、レコードとライブっていうのは楽しみ方が違うんですけど、  そういうレコードの醍醐味みたいなものを彼は意識していると  思いますよ。その結果音楽が立体的になりましたね。  サード・アルバムの時はサウンドの主導権を自分が握ってたんですけど、  自分がイメージした通りのものができる反面、その音楽の限界が  私の限界を超えることはありえなかったわけです。  だけど、今回、内橋さんにインストゥルメントの部分を  まかせることによって、音楽的な広がりは2倍じゃなくて  2乗になると思うんです。もちろん一緒にやる人が、  歌が好きってことが前提ですけどね。そういう意味で、  とてもいい経験だったと思います。