直線上に配置
   兼家と寛美
                  中谷 憲一

 平安期の貴族、藤原兼家は929年に生まれ990年に死んでいる。喜劇役者の藤山寛美は1929年に生まれ1990年に死んだ。寛美は、兼家生誕1000年に生まれ、兼家没後1000年に没した。つまり、寛美は兼家のちょうど1000年後を生きたことになる。このことは、「日本語大辞典第2版」(梅棹ら監修,1995)に、藤山寛美と藤原兼家が見開きに出ていたために、たまたま気づいた。

 我々は寛美の喜劇役者としての芸を、直接に、あるいはテレビや映画を通して享受できた。また、寛美という人物についても、我々はマスコミを通じて、情報(ゴシップも多く含まれ、必ずしも正確な情報というわけではないが)を得ることができた。それは、寛美が喜劇役者をしている時期、私生活もマスコミに取り上げられる時期に、我々が存在し得たからである。1000年というスケールでみれば、我々は寛美とほぼ同時代に存在したといえる。 

 ちょうど1000年というわけではないが、寛美と同時代人である我々にとっても、兼家はほぼ1000年前の人である。兼家は日本史に名を残している人物である。日本史資料等を探せば、兼家について記述されたものもあるだろう。しかし、私は「蜻蛉日記」で兼家という人物を知った。「蜻蛉日記」は兼家の妻が自分たちの結婚生活に取材して書き上げた文学作品である。当然のことながら私が「蜻蛉日記」の原著もしくは写本を手にできるわけもなく、また原文で読めるわけでもない。全訳注付きの、蜻蛉日記(上村,1978a・1978b・1978c)が出ている。それが、たまたま昆虫に関係のある題(本来は「陽炎」の意味であろう。言うまでもないが内容は昆虫とは関係無い)だったので読んでみただけである。

 おそらくは、数あるどの歴史資料よりも、「蜻蛉日記」は兼家という人物を的確に記録しているのではないだろうか。もっとも、「蜻蛉日記」は文学作品であって、必ずしも事実のみを記録したものではないと思う。脚色された部分もあるかもしれない。事実と相違する部分があるかもしれない。しかし、兼家という人物の、蜻蛉日記作者の夫としての一面は的確に表現されていると思う。そう思うのは「臨場感」とでもいうものがあるからである。読者である我々が、作者の目を通してみた兼家を実体験できるのである。たとえば、映画を見ていて、まさに自分が映画の主人公になりきって、映画の世界に入り込んでいるような感じである。蜻蛉日記の現代語訳者である上村悦子氏が言う「一言で評すると器量抜群の男性で、豪放、磊落で明朗闊達な人物」(上村,1978c)である兼家と、我々は1000年という時間を超えて、出会えるのである。作者の空想によって創り出された人物であったなら、これだけの「臨場感」は無いと私は考えている。



 幸運にも、私は青木浩氏が大阪市立自然史博物館に寄贈された昆虫標本をINSBASE(注1)に入力する作業を手伝わせていただいた。青木浩氏の標本は約52,000点に及ぶ(宮武,1991)。さらに、有翅昆虫のほとんどすべての目を含んでいる。

 標本データの入力は、標本に付けられたラベルの記載を読みながら行う。たとえば、メッシュコードは、ラベルに記された地名を元に、地形図で読み取って入力していく。私は青木氏とは面識がなく、またすでに亡くなられているので今後もお会いすることはない。しかし、こうした入力作業を通して、氏の行動範囲が分かる。さらに、青木氏の哲学をも感じるようにもなってきた。

 青木コレクションの登録が1万点を超えたころから、日付で登録データを検索する機会が増えた。これは、未入力の標本を登録するとき、日付で検索すれば、同じ場所で採集されたデータがすでに過去に登録した約1万点のデータのなかから、たいてい見つかるからである。こうすれば分類名や種名を変更するだけで済み、さらに日付の入力ミスを減らせるのである(注2)。検索する日付によっては、数100点もの標本が登録されている場合がある。検索データの一覧(注3)を見ると、その日、青木氏がたどったコースを地形図の上に再現できる。さらに一覧表に並んだ昆虫標本の種名からその生息環境が推測できる。私がまだ生まれもしない時代の、まだ行ったこともない場所の自然環境がありありと再現できる。その日の日差しや、空気までが感じられる。その日、その時、その場所で、昆虫を採集しながら行く若き日の青木氏の目前に、タイムスリップしたような感じである。もちろんこれは、私の主観が描き出した映像であって「これが事実だ」と言いたいわけではない。



 我々がデータを集め、分析し、解析し、検定するのは、データから何らかの情報を引き出そうとするからである。その情報が自然界への認識を深めるための事実である場合もある。多くの場合、新事実をデータに語ってもらうために私たちは努力する。ただ、データは必ずしも事実を語るとは限らない。ならば、それを逆手にとって、さまざまな想像をめぐらすのも頭を切り換えるのにはいいと思う。私の場合は辞典の見開きに掲載されていた2つのデータと、集積された個人コレクションの昆虫標本データからの想像である。私の場合、どうしても映像表現と何らかの関連ある方に傾くようである。

 ただ強調しておきたいのは、事実を集積したデータに基づく想像は、想像にすぎないとはいうものの事実との整合性を持っているということである。たとえば、「蜻蛉日記」は作者の主観を通してみた世界ではあるものの、事実との整合性が今日まで褪せることなく文学作品としての生命力を保っている秘密ではなかろうか。



注1:
 説明する必要がないと思うが、昆虫情報処理研究会で開発した昆虫標本データベースソフトである。

注2:
 INSBASEでは、登録データの日付を修正すると、変更前の登録番号は「永久欠番」になる。INSBASEを使ううえで支障はないが、欠番を増やしたくないという意識から、他の項目の入力ミスよりも日付の入力ミスには神経質になる。

注3:
 INSBASE Ver.4.12 での検索データ一覧を指す。



文献

上村悦子(1978a) 蜻蛉日記(上)講談社学術文庫
上村悦子(1978b) 蜻蛉日記(中)講談社学術文庫
上村悦子(1978c) 蜻蛉日記(下)講談社学術文庫
梅棹忠夫・金田一春彦・阪倉篤義・日野原重明 監修(1995)「日本語大辞典第2版」講談社 pp.2542
宮武頼夫(1991) 大阪市立自然史博物館の現状「昆虫採集学」506-514 九州大学出版会

(昆虫情報処理研究会連絡誌に掲載)

もどる

直線上に配置



転載禁止
サイト内の画像・文章の無断転載を禁止します
Copyright (C) 2007 NAKATANI,Ken'ichi  All Rights Reserved.