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お茶の水博士の誕生年

中谷 憲一


以下の文章は, 1999年6月に書いたものです。甥や姪が「鉄腕アトムの誕生日は2003年4月7日だ」と言っていたのを聞いて, ではお茶の水博士の誕生日は設定されているのだろうかと思い, いろいろと調べながら書き始めたのですが, 結局は未完のまま置いていたものです。アトムの誕生日については, 最近また話題になっているので, 未完のままではありますが, 発表します。未完であるというのは, 「私にとって大きな意味を持っているお茶の水博士の誕生年」について書くことを目的にしていたのですが, それを書いていないからです。


 鉄腕アトムの生年月日は2003年4月7日だという。このことは,アトムを連載当初(1951年)から読んでいた世代,現在のいわゆる中高年よりも,若い世代,たとえば,現在の中高生のほうがよく知っているようだ。手塚治虫氏の漫画「鉄腕アトム」は,雑誌に連載されていたものや,アニメーション化されテレビで放映されたものを見ていたが,誕生日の4月7日については気が付かなかった。あるいは,私が鉄腕アトムに夢中になっていた頃には,まだ誕生日が設定されていなかったのかもしれない。

 アトムの誕生年2003年頃は,おそらく「鉄腕アトム」の連載が始まった当初から設定されていたはずであり,私の記憶にもある。時代設定が不明確だと,描くほうも見るほうも戸惑うことがあるからだ。アトムは2003年,科学省長官であった天馬博士のひとり息子,飛雄が交通事故死し,天馬博士が飛雄をよみがえらそうとして造ったロボットである。やがて,アトムはロボット商人に売り飛ばされ,奴隷のように売り買いされてサーカスで働いているところを,お茶の水研究所のお茶の水博士に見つけられ,博士に引取られて「鉄腕アトム」として活躍するするようになる。

 鉄腕アトムが活躍するのは2013年頃である。これは単行本として出版された「鉄腕アトム」から知ることができる。おそらく,アトムを10歳ぐらいの少年として設定しているためであろうと想像する。

 たとえば,「赤い猫の巻」(手塚,1987d)は2013年の武蔵野が舞台である。また,「イワンのばかの巻」(手塚,1987a)では,1965年に月の裏側に不時着したソ連の月ロケット「ウラル」の事故の50年後という設定である。つまり,2015年が舞台となっている。ただ,この月ロケット「ウラル」に乗っていた女性宇宙飛行士,ミーニャ・ミハイローヴナ空軍中尉の娘(ウラル事故当時10歳前後)が,月の女王になろうとして事件を起こす「ホットドッグ兵団の巻」(手塚,1987b)は,「ウラル」の事故から30年後の設定である。「ウラル」が1965年だとすると,アトム誕生以前の1995年が舞台となり,矛盾する。これは,60歳前後の女性が月の女王をもくろんで精力的に悪事を働くと設定するよりも,女盛りの40歳前後であるほうが自然であるからだろう。「ホットドッグ兵団の巻」の場合,時代設定は明示されていないが,鉄腕アトムの他のストーリーと同様に2015年前後と見るべきだろう。したがって,この場合の「ウラル」事故は1985年頃となる。

 鉄腕アトムには多くのシリーズが出されている。前述の「ウラル」事故は,光文社の雑誌「少年」に連載された,ひとつのシリーズの中での例である。「ウラル」のように,同一シリーズ内でも各ストーリーごとに,ある「事件」の時代設定を変えている場合がある。同様に,シリーズによって時代設定を変えている場合がある。この節の冒頭に示した「赤い猫の巻」(手塚,1987d)の場合は2013年であるが,1980年10月から1年間、日本テレビ系で放映された「鉄腕アトム」のシリーズ(全52話)での「赤いネコ」(手塚プロダクション,1980)は,2031年の東京武蔵野が舞台となっている。こうした時代設定の相違は,漫画とアニメーションといった異なったメディア間だけではない。たとえば,同一の原画を使って出版された単行本であっても,シリーズによって吹き出しの台詞が変えてある場合があるという。

 「鉄腕アトム」では,ひとつのシリーズでのストーリー間においても,厳密に時代を設定されていない。おそらくこれは原作者である手塚治虫氏の考えであろう(そのようななかで,アトムの生年月日が明確に設定されたのは何らかの理由があったからだとは思う)。2003年4月7日だという設定は,私の知る範囲内での鉄腕アトムのほとんどのシリーズで,考え方によっては矛盾する。飛雄の事故が2003年で,天馬博士の命令のもと,1年の期間をかけてアトムは完成する。完成年月日を「誕生」と見るなら誕生年は2004年になるはずである。ただ,設計図の完成を誕生と見るならば矛盾しない。いずれにせよ,手塚氏には,時代設定を厳密にする気が無かったのであろうと推測する。


お茶の水博士の誕生年の推定

 本節で,私は「鉄腕アトム」の中での重要な登場人物「お茶の水博士」の誕生年を推定する。アトムの生年月日が決められているのだから,あるいはお茶の水博士についてもどこかで決めてあるのかも知れないが,とりあえず,手近にある単行本等を利用して,判断できる範囲で推定してみる。

 お茶の水博士の年齢が明記された作品がある。1965年に「鉄腕アトムクラブ」に連載された「盗まれたアトムの巻」(手塚,1987c)である。そこでは博士は68歳である。「鉄腕アトム」という作品の中では,ストーリーの進行と共に,登場人物が年齢を重ねていくという設定にはなっていない。つまり,他の作品の中でも,お茶の水博士の年齢は68歳程度と考えられる。

 2013年が舞台になっている作品の中で,68歳のお茶の水博士は1944年か1945年生まれである。2013年の誕生日をむかえるまでの間68歳である場合(1944年生まれ)と,誕生日をむかえて68歳になる場合(1945年生まれ)である(注1)。1945年というと,日本政府がポツダム宣言を受諾した年である。あるいは,お茶の水博士の年齢設定の際,そのこと(戦後生まれの第1世代)が意識されていたのかもしれない。

 2031年が舞台となっている作品では,お茶の水博士は1962年か1963年の生まれとなる。2031年という設定は,作品の発表年(1980年)がアトムの誕生年と接近したため,初期の設定年であった2013年の10位と1位の数字を入れ替えただけとも考えられる。

 誕生年をもっとも早く想定するなら1944年,もっとも遅く想定するなら1963年である。これは私が知る範囲でのもっとも早い例と遅い例である。

 アトムがはじめて登場するのは1951年の「アトム大使」からで,翌年から「鉄腕アトム」の連載が始まっている。1944年から1963年という誕生年は,アトムの読者層の多くが含まれるはずである(1964年以降生まれにも多くの読者がいるわけではあるが)。かなり大雑把ではあるが,お茶の水博士は鉄腕アトムの読者と同世代だとみなせる。あるいは、お茶の水博士の誕生年を1945年と特定してしまえば、鉄腕アトム連載が始まった時点ですでにお茶の水博士は6歳程度の少年として存在していたことになる。つまり、お茶の水博士は私たち読者と同時代を生きているということである。

 お茶の水博士は手塚治虫がつくり出した架空の人物であり、実際には存在しない(同姓のドクターが存在しないと言っているのではない)。それを、私たちと同時代を生きているというのは嘘である。ただ、一読者として、うれしく思うのである。(未完)

注1:
 厳密に物事を考える人は,1946年1月1日生まれでも,2013年12月31日に68歳になっているから,1946年生まれである可能性をも指摘するだろう。しかし,本文では,原作自体が厳密な時代設定をしていないという立場から,そこまでの厳密さを追求しない。




文献

・手塚治虫(1987a) イワンのばかの巻,KCスペシャル305,鉄腕アトム第1集,303-349,講談社.(所載:「少年」1959年2月号〜3月号,光文社)
・手塚治虫(1987b) ホットドッグ兵団の巻,KCスペシャル307,鉄腕アトム第3集,105-277,講談社.(所載:「少年」1961年3月号〜10月号,光文社)
・手塚治虫(1987c) 盗まれたアトムの巻,KCスペシャル309,鉄腕アトム第5集,177-217,講談社.(所載:「鉄腕アトムクラブ」1965年6月号〜9月号)
・手塚治虫(1987d) 赤い猫の巻,KCスペシャル311,鉄腕アトム第7集,95-141,講談社.(所載:「少年」1953年5月号〜11月号,光文社)
・手塚プロダクション(1980) 「赤いネコ」原作・構成・メインキャラクター:手塚治虫,脚本:杉江彗子,演出:小笠原輔則.(パイオニアLCD株式会社から「鉄腕アトム<カラー版>自然を守ろう編上巻」として発売されている)


昆虫情報処理研究会連絡誌
No.57
27.Dec. 2003





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