源氏滝の清涼


機物神社

機物神社鳥居 機物神社本殿

京阪バス倉治バス停で降りると目の前が参道である。

主神の「天棚機比売大神(七夕姫)」を始め、「栲機千々比売大神」「地代主大神」「八重事代主大神」の神々をお祭りしてある。
伝説によると、文明8年(1476)3月31日、後土御門天皇の命を受け、神祗管領卜部兼倶が、応仁の乱の早期終息を祈願して、十六善神を奉幣している。
元亀3年(1572)織田信長により神社での「狼藉・陣取・放火・寄宿の禁制」がだされ、天正元年(1573)「神境は東西260間、南北67間余」、且つ、神職16人の席次も定められた。
天正10年には明智光秀が武運長久を祈願して、初穂料白銀百枚を奉納されて記録もある。
天正16年(1588)、豊臣秀吉により神饌米百が奉納され、豊臣秀次は武運長久大満願成就により神殿の新造、神饌米千表を奉納、宝永5年(1708)、大破のため社殿を再建。
これが現存のものであると伝えられているが、年々破損がひどくなり、昭和半ば本殿、覆並拝殿を昔の由緒ある姿を残しつつ、新築、銅板葺に改築された。

源氏の滝



不動明王の梵字


不動堂


八大龍王社
源氏の滝

源氏の滝は白旗池を源流として流れる谷川にあり、高さ約17.5メートルでこの付近では最大のものである。
昔は開元寺の境内あったので「元寺の滝」と いわれていたらしい。
交野山の宿で修業した修験者が、この滝で身を清めたという場所である。
明治36年に妙心寺の末寺を不動堂に移し、しばらくの間、無住職状態が続いたが、昭和の初め住職と なった拙堂和尚が生前「この滝は修験者にとてもいい修業の場として評判だった」と書き残している。

源氏滝の左手上にある、不動堂は正式には「正法院宣春院」と呼ばれたが、残念ながら昭和48年火災により全焼した。不動明王像は幸いにして、類焼を免れた。この像の背刳りの中から一部焼けた法華教が見つかり、「慶安二丑巳年3月23日、京都猪熊荒神別当丈阿闍梨法印実祐」と書かれていた。

滝に面した左側の岩の上に不動明王の梵字が残されている。これは交野山観音岩側からでた銅板に「三寶荒神宮、同瀧之鎮守八大龍王、同瀧之脇奉彫不動梵字、同瀧之不動明王御長座光共八尺之本尊 云々」とあり、この梵字も交野山と同時期に彫られたらしい。

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