かいがけの錦繍


JR河内磐船駅より少し津田方向に行き、「灯篭の辻」より山手方向に進むと住吉神社がある。かいがけの道はこの住吉神社から傍示の里までの山道である。

この道は、大和と河内を結ぶ重要な交通路として、古代には修験の道、奈良・平安時代には紀州熊野神社へ詣でる「熊野街道」、そして天正年間(1573〜92)織田軍と戦った武将たちが馬かけ道とするなど多くの人たちが往来した。
また、大和に大仏が建立されるときも、仏師たちが行き来したと伝えられている。

そのためか道筋にはたくさんの地蔵様や伏拝(ふしおがみ)が点在している。「伏拝」とは生活の知恵で、本来ならばお寺にお参りし、社殿でぬかずきお願いすべきであるが、ここからのお参りを認め、御利益をいただきたいと伏し拝がむその方向の中心を示した碑である。

住吉神社(寺)
灯篭の辻 住吉神社 くぼみ石

南面したお宮で石段をあがったところの鳥居には明和元年(1764)願主 山添文三郎康朗とあり、230余年を経る。
東から宮山がせまり、お宮の西と北に池を残し、どうみても古墳の上に建立された神社である。

とりわけ、春になると、境内の西南の山桜花や周囲の雑木の淡い新芽などここならではの味わいのある美しい神の森である。

また、東の境に南北両側に石垣があり、その上に、昔の子供たちが餅つき遊びをして、擦り減った石がある。「くぼみ石」と呼ばれ、昔語りの世界に引き入れられる。大切に残しておきたいものである。

伏拝
かいがけの道入口 伏拝の辻 金毘羅大権現

入り口の古い道標には「やまと道」と書かれている。まさに大和に通じる交通路である。
道を登って行くと北に開けた曲がり角に出る。伏拝の辻である。下から順に「柳谷伏拝」「愛宕山大権現」「石清水八幡宮」の伏拝である。柳谷さんは眼の仏様、愛宕さんは鎮火の神様、八幡さんは開運の神様である。

古い大和道とかいがけ道が一つになるところが嶮棧滝である。その北には金毘羅大権現の伏拝がある。金毘羅さんは最初舟の神様で特に地主の信仰が厚いという。

お地蔵様
龍王社鳥居 かいがけ地蔵 ごみの木地蔵


龍王社の鳥居をくぐり、参道を登っていくと、一段高くなった広場に龍王石と雨乞岩がある。
淳和天皇の時代、天長2年(825)大干ばつがあり、天上よりの命により弘法大師に雨を祈らせたのが龍王石で あると伝えられている。

また、鳥居の右前の標石に「従是嬰児山龍王社三丁」と刻まれている。嬰児山の山号に暗い 印象をもつが、付近にも乳母谷(おちごだに)、溺谷(いばりたに)、地獄谷など暗い地名や嬰児に かかわる地名が多い。昔、嬰児を捨てた山、間引き子を捨てた山ではないだろうか。

かいがけ(街崖)地蔵の石段を登ると、左に「三界萬霊の碑」その横にこの碑を守るかのように山桃の 古木が枝をはっている。その奥にも数体の地蔵が奉られている。
石段正面がかいがけ地蔵で、周りは 昔の弘法大師堂のなごりと思われる瓦で囲ってある。この地蔵は歯を病む人々がお参りし、円満幸福を お願いしたようである。

この「かいがけの道」は伊勢参宮、大峯の霊場への熊野路ともなったころ、 ここが祈願する場所であり、休息の場所でもあったらしい。

また、ごみ(胡頽子)の木地蔵は、 深い舟形光背の蓮華座の上の阿弥陀様で立派な姿で旅の人の安全を祈り、心をなごませたのであろう。

傍示の里
傍示の里 きとら双体仏 八葉蓮華寺

この「かいがけの道」が終わるところが傍示の里である。なぜこんな高い山の中に水田があるのだろうを 感銘を覚える。
右手に水田を見ながら登っていく途中、左に入ると交野市の文化財に指定された蓮華寺がある。 約3mの観音像が眼を惹く。
この横を上に登っていくと急に水田が展ける。「きとらの田」である。突き当たりに双体仏が奉られている。 そのうしろは宝篋印塔の塔身がささえていて、後ろの高い台地は古寺の跡である。
この少しさきは大和と 河内の国境の場所でもある。


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