交野山の来光



交野山(こうのさん)

交野山は標高350メートルあり、交野の人々の古くからの信仰の山である。

神宮寺の宮より北にかけて寺が続いていた。その一つ、開元寺が鎌倉時代、交野山の山頂に移され、岩倉開元寺と名前を変えた。 開元寺を立てたのは交野忌寸の一族だと言われている。
しかし、織田信長の命により、筒井勢に焼き払われ、今は寺院の跡もない。

交野山の山頂に、梵字を彫った岩が三つある。中央に観音岩、南に三宝荒神、北に大日如来である。

三宝荒神 観音岩 大日如来


三宝荒神

三宝荒神とは、仏法僧荒神、如来荒神、忿怒荒神の三身といわれている。荒神は不浄を嫌うため、 家の中で最も清浄とされる「かまど」の中に常時おられるといい、台所の神とされている。
付近から出土した銅板には、法印實傳が河州交野山開元寺中興の開基に命じ建立したところは、三宝荒神の宮、 同拝殿、同鳥居、同額、同大石に荒神の梵字を彫ったとある。

観音岩

大昔から、「甲の尾」には神さんがいる、仏さんがいる、お日さんの昇る山など、巨石信仰が 始まり、開元寺が焼土と化した後も、嶺々の霊所、諸天仙人の住む宿所と信じられてきた。
観音岩には、修験者の長が大梵字(聖観音)を彫りつけている。左下には「寛文六丙午年吉祥日 京都猪熊荒神三宝寺 法印實傳」とある。

大日如来

交野山山頂への急な山道を登って行くと、急に視界が開けてくる。この山頂の平らな部分の突き当たりに石段が組まれて いる。登り口には左右に二つの巨石が並んでおり、まるで観音岩への門のようである。その左(北)の石に「大日如来」の梵字が 彫り込まれている。


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