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みかきもりの競技かるた歴

1993/12/xx
(H5)
大阪府門真市の広報で新春かるた会を知って申し込む。
読売新聞に大阪大会開催の記事を見つける。
年末年始の帰省で、妹から百人一首札をもらって100枚覚える。
1994/01/22
(H6)
市民サークル「みよしの会」の新春かるた会に参加する。
みよしの会へ入会する。
1994/01/30
(H6)
大阪大会:D級一般に無所属で出場する。
1回戦不戦の後、2回戦で岡田あゆみさん(奈良県協)との対戦。
この頃はまだ札の定位置や払い手とかを知らなくて、 札をばしばしと飛ばされたうえになかなかもとの場所に戻せませんでした。 さらには岡田さんに場所が違うと指摘され、 もうボ〜然となって頭の中が真っ白。結局20枚差でボロ負けしました。
でも、岡田さんが自陣の右端と左端にわけて置いていた「なげき」「なげけ」 をあっという間に払い飛ばして(渡り手というのを後で知った)、 思わずすごい!と思いました。 このボロ負けで俄然負けん気が出てきて、 本格的にかるたを始めることとなったわけです。
1994/02/26
(H6)
大阪暁会へ入会する。
この頃はなぜかかるたがとりたくてうずうずしていました。 朝早く起きて自転車で坂道を走って体力づくりをしたり、 フレックスタイムを利用して出勤前に腕立てふせや腹筋、 素振りとかしていました。この頃はなんて若かったんでしょうねえ!
1994/05/01
(H6)
広島大会:D級優勝。
前日の広島観光と美味しいお酒もあったかもしれませんが、 3度めの大会で初めて勝って、しかも5回も勝ち進んで優勝してしまい、 こんなに気持ちのいい緊張感はないなあと、かるたにハマってしまいました。
しかしその反動で、以後の練習がなんだかつまらなくって、 C級のどつぼにもハマってしまいました。
1995/02/26
(H7)
東大阪大会:C級優勝。
数週間前、大阪暁会の機関誌「あかつき第12号」にある自分の記事を読み返し、 入会したての頃のかるたをとりたくてうずうずしていた自分を思い出していた。 それから何度も同じ記事を読み返していました。
かるたをとりたい!そんな気持ちの勝利でした。
1995/09/10
(H7)
高知大会:B級準優勝。
前日の高知観光と美味しいお酒もあってか、 B級になって5度めの大会は次々と勝ち進んでいきました。 さて決勝戦という直前に、迪子先生から「おなかすいたでしょ、 おはぎでも食べたら?」とここで3個も食べたのがまずかった。 暗記の途中から頭がぼ〜っとしてしまって結局負けてしまいました。
まあそれでもリーチがかかってよしとしよう!
(A級昇格条件:B級優勝orB級準優勝2回)
1995/11/22
(H7)
かるたML(メーリングリスト)開設。
かるた展望第24号の「インターネットしませんか?」を見て、 小林好真さん(東大かるた会)とのメールのやりとりが始まり、 なりゆきでわたしがMLを開くことになりました。
1996/01/07
(H8)
高松宮杯大会:B級準優勝。
1回戦不戦で時間があって、 できたてほやほやのかるたMLのメンバーで雑談していた。 試合前に話していると対戦にあたるといういわれなきジンクスが存在する。 かるた界の誰もがそれを否定しないだろう。 B級準決勝の対戦相手はその雑談メンバーの一人、 川端由布子さん(慶應かるた会)だった。 リーチを持つ者どうしの対戦となり、 これを勝ったほうがA級昇格の権利を得る。 このA級を賭けた試合はわたしが制することとなった。
(川端さんは1ヵ月後の宇佐大会でB級準優勝を果たした。)
1996/01/15
(H8)
新春京都大会:A級デビュー。
競技かるたをはじめた者は、 「A級になれ!」というのを耳にたこができるくらい聞かされ、 それを目標としてがんばっている。 そしてこの日、自分が晴れてA級としてデビューする。 ただ1枚1枚を落ち着いて取っていこう! そんな気持ちがこの日の1勝を与えてくれたに違いない。
1996/02/12
(H8)
各会対抗団体戦:大阪暁会3位で銅メダルもらう。
神戸へ引っ越す前の最後の大会。 この頃は引っ越した後もまだかるたを続けるかそれともやめるか迷っていた時期だった。 しかし、この銅メダルは続けることを決心させてくれました。
1996/05/17
(H8)
かるたMLの通称をMIKAとしてHi-HOに移す。
神戸へ引っ越した後、Hi-HOと契約してインターネット環境を整え、 かるたMLの通称をMIKAとしました。 その管理人なので「みかきもり」を自称しています。
MIKAには「みんなでいっしょにかるたであそぼう!」 と江村聡さん(東大かるた会)がとてもナイスな言葉をつけてくれました。
1999/05/03
(H11)
しまなみ海道開通記念今治大会:A級3位。
A級になって初めての入賞。当日朝、三原から海上ルートで今治に入り、 清々しい新鮮な気持ちでかるたがとれた。なんだか今治が好きになった。
2000/08/06
(H12)
富山大会:A級4位。
A級になって2度目の入賞。超実力者と名前が1字違いの選手と連続で対戦。 1回戦:渡辺和恵さん(富山県協)、2回戦:土田徹さん(府中白妙会)を相手に勝ったが、 これはこれでめったにない記録ではないかと思う。 準々決勝の木原彰彦さん(東大かるた会)との試合は7回お手つきという自己最悪の試合で とても反省すべき試合だった。
2001/08/09
(H13)
神戸市西区から大阪市旭区へ引っ越す。
引っ越しに伴ってクルマを手放した。これまで5年くらい大会にクルマで行っていたのが これからは電車になる。ま、それもいいか。
2002/09/29-9/30
(H14)
NHKドラマ「かるたクイーン」で審判役として出演する。
この日、2003年1月放送の夜のNHK連続ドラマ「かるたクイーン」の撮影でした。 近江神宮勧学館でやっていた大阪暁合宿を早々にあとにしてNHK大阪放送局へと向かい、 倉田春香(石田ひかりさん)VS佐伯若菜(真瀬樹里さん)の2003年1月クイン戦1回戦、 2004年1月クイン戦3回戦の審判役として出演しました。2日間で11時間くらい局に いて、実際にリハーサルや撮影で参加したのが30分くらいでしょうか。けっこう、 ドラマ撮影というのは大変です。
このときまでは和装してまでかるたをしようとは思ってなかったので着物・袴を 持たずに済ませていたのですが、これのためにいつお呼びがかかってもいいように、 ついつい大枚はたいて着物・袴を買ってしまいました(^^;  せっかく買ったので、選抜大会に出るために入賞目指してがんばろうと思います。
2004/02/08
(H16)
各会対抗団体戦:大阪暁会準優勝で銀メダルもらう。
かるた歴10年の節目でいい記念になりました。
またもや勝利には貢献しなかったけど…(^^;
2004/11/06-11/07
(H16)
国民文化祭(福岡):決勝トーナメント進出、2回戦敗退。
国民文化祭に初めてかるた部門ができ、38都府県の代表による大会がカルタ発祥の地 大牟田で開催されました。わたしは大阪府代表の監督兼選手で出場させていただきました。 予選リーグは10ブロックのパートに分かれており、受付のときに行った予備抽選では 37番(最後から2番目、ラストは長野)を引き、監督者会議の本抽選ではCパートと なるかFパートとなるか二者択一のくじとなりました。 Cパートは兵庫、青森、岡山が、Fパートは滋賀、福岡、千葉がすでに決まっていました。 Fパートになると強豪ぞろいで決勝トーナメントは絶望的です。 わたしは迷わず右側の封筒を選び、Cパートとなりました。これで監督として一番の大仕事を 無事果たしてほっとしました。(^_^)v
決勝トーナメント進出をかけた勝点2どうしの大阪と岡山の3回戦は3−2と辛勝しました。 この3勝目をとり選手としても仕事を果たすことができました。(^_^)v
決勝トーナメントは1回戦不戦の後、2回戦はこの大会を優勝した静岡との対戦でしたが完敗 でした。その昔(2000年)第22回高校選手権団体戦で大阪府代表近畿大学附属高(初出場;選手全員が 無段)は勢いで決勝トーナメントに進出し、優勝した静岡雙葉高と対戦して敗れていますが、 なんだかパターンが似ていますね…。(^^;
2007/07/14-07/15
(H19)
第16回関西地区府県対抗団体戦:大阪北部チーム初優勝!
七人制団体戦で行われるこの大会、初めての優勝となりました。(^_^)v
2007/10/27-10/28
(H19)
国民文化祭(徳島):大阪府チーム初優勝!
競技かるたが国民文化祭に参加して第4回目となるこの大会、大阪府チームが初優勝を飾りました。(^_^)v
私は選手でなく、近畿支部からの応援として審判員参加でした。
2010/12/05
(H22)
第52回和歌山大会:A級4位。
10年ぶりのA級入賞です。(^_^)v
A級26名と参加者が少なく、2回勝てば入賞できるチャンスでした。
1回戦不戦、2回戦が4−1で劣勢な状況から自陣3枚を守って「こぬ」−「この」の運命戦、 そして自陣「こぬ」が出てなんとか勝つことができて入賞入りしました。
和歌山だけに歌聖定家が応援してくれたように思います。
待てば海路の日和ありですね(^^)
2012/03/11
(H24)
第27回選抜大会初出場!
NHKドラマ「かるたクイーン」のために着物・袴を買い、それから選抜大会に出ようと思ってから 9年半が経ちましたが、念願かなって上記の和歌山大会入賞で選抜大会に初出場しました(^^)
着たのは9年半前の時の着物・袴でなくて2/13に朝日放送「おはよう朝日です」で紹介された簡単着物の (株)ツインズ・コーポレーション「和美換(わびかえ)」です。 私が初めて競技かるたに使うということで改良していただいたものを大阪市森ノ宮の会社(作業場) におじゃまして確認・打ち合わせのうえ購入いたしました。
簡単に着れますし、実際に暁会練習で2回、選抜大会で1回試合を行って良好でした。 和装ビギナーによいと思います(^^)

選抜出場者一覧表を見たとき、一番末席の53番に私の名前があって「ごみ?」と思いましたが(^^;; 「いつみ」と読むのでしょうね。「いつみきとてか恋しかるらむ」、百人一首27番「みかの原」の歌ですね。
第27回選抜大会の出場は巡り合わせのような気がします。

東日本大震災からちょうどまる一年の3/11の日、 また和歌を愛して約9万3千首以上もの御製を遺された明治天皇が崩御されて100年の今年、 その明治天皇を御祭神として明治天皇百年祭を行っている明治神宮で行われるこの選抜大会は特別な感じがします。
今回次の和歌3首に触れていろいろ感じるものがありました。

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【1】前日東京に入り、初めて九段下・靖國神社に参拝し、その後おみくじを引くと「第九番大吉」でした。 それには「みおしへ」として次の和歌が書かれていました。
  袖ひぢてむすびし水の こほれるを
  春立つけふの 風や とくらん
                     紀貫之
袖をぬらして汲んだ泉の水が、たちまち凍ってしまうようなきびしい冬も、いまようやく終ろうとする。風がもう違う。
冬は春となり、春は夏となり、夏は秋となり、秋は冬となり、年々歳々それが繰りかえされる。 そこに四季とりどりのおもむきはあるにしても、冬は寒く、きびしい。
だが耐えねばならぬ。 必ず春は来ると信じてはいるが、われわれはそれを傍観することはできない。 その年その年の工夫で、きびしさに耐えねばならぬ。
だから、春を迎えるよろこびは、いつも新しい。「立春大吉」感動はつねによみがえる。
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【2】当日、試合会場である神宮会館に行く前に明治神宮に参拝し、その後大御心を引くと次の和歌が書かれていました。
  昭憲皇太后御歌
    義
  茂りたる うばらからたち払ひても
  ふむべき道は ゆくべかりけり
トゲの茨(いばら)、針のついた枸橘(からたち)などの生い茂っている困難な道でも、 人として践(ふ)み行わなければならない正しい道は、どんなに苦労しても、強い信念を持って、 勇敢に進むべきです。
未開の天地を拓(ひら)き、狭い道をも広く、文化を常に高めて行くことが、創造の活(はたら)きで、 人生の生き甲斐というものです。
どんな困難をも正義によって勇敢に打開して進みましょう。
(あらゆる困難を切り開いて、よりよい世の中へ)
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【3】開会式の明治神宮宮司のご挨拶(禰宜さんによる代読?)で次の和歌が紹介されました。 (わずかな記憶を頼りにぐぐりました)
  明治天皇御製
  こゝろざす 方(かた)こそかはれ 国を思ふ
  民の誠は ひとつなるらむ
  ※方こそかはれ…その方向は人によって変われども
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