くやみ

いろんなあいさつのなかで、いちはん難しいのが、「くやみ」やそうですな。
「こんにちは」
「どうぞ、こっち」
「へ。」
「どなた・・・・」
「ごめん。ご、ご、ごめんやす。しかし、何でやす。この度ゃ、ジ、実に・・・・どうもとんだこっで。まあ、何と申しあげてよろしいやら、・・・・その・・・・何でおます、ま、何と申し上げてよろしいやら、そのう、・・・・いうたりして、ま、何と申し上げてよろしいやら、何でやす、・・・・そのう・・・・いえ、ちょっとも知らなんだもんですさかいに、いまきいて、びっくりして飛んで来たようなこっで、まあ、何と申し上げてよろしいやら、ま、何でおます、いえ、ご病気ちゅうこたあ、きいてまへんもんでやすさかいにさいでやしたかあ・・・・てなこっであんたもう、何と申し上げてよろしいやら、何でおます・・・・さいなら」
「なあんやおい。ええ?はじめから終りまでわからんあいさつやがな。一体、いまのん誰や。」
「誰やて、横町の筆屋の大将やがな。口べたやちゅうこたきいてたけどな、あないにへたやとは思わんがな。ちょっとそこへつけときなはれ。」
「こんにちは」
「お!こらまた、炭屋の大将やおまへんか。まあどうぞこっち」
「へ、ま、こんにちは。どなたはんもごくろ・・・・勘忍しとくなはれ。いえ、いま表でたどん煉ってましたんや。山本はんが通りはりましたやろ。『どこいきなはってん』『ちよっと横町のご隠居はんとこへ』『何しに』『何しにてあんた、知んなはらしまへんのんかい』実はこないこないだっせちゅうて、きいてぴっくりして飛んで来たん。あんまりあわてて、手を洗うのん忘れて、いま手をつかえて皆さんにあいさつすることがでけまへん。どうぞ勘忍しとくんなはれや。しかしまあ、急なこっでしたなあ。いや、そらまあ、あんまり長患いされるのもかないまへんけれども、こう急なん、あとに残ったもんが、頼りのうてどもなりまへんがな。いえ、うちの親父も、ここのご隠居はんと一緒。たった半日の患いでゴロッといきよった。ええ?知ってておくんなはるお方もおまっしゃろけど、うちの親父、ずいぷん酒飲みで、家ん中のもんすっくり飲んでしもた時分にゴロッといきよった。あとで財産調べしてもうたらあんた。日向炭がたった四俵しか残ったらしまへんのや。さ、そのときに、ここのご隠居はんが、『お前もあんな田舎にいてんと、ちょっとこっち出て、商売せえ』いうてくれはりましたんやけど、炭屋の日向炭の四俵やそとらで商売になりまへんがちゅうたら、『まあええがな。親父の生きている間は、してやりとうてもしてやれなんだ。あんな極道もんが死んで、ちょうど幸いというと、まあ何や。まあ出て来い。何とかなるわい』ちゅうて、ほいであんた、いまのところへ店持たしてくれはりましたんや。このごろではね、商売も、どうやらやっていってますし、お得意もボチポチ増えてます。というのんが、ホレ、わたいら、生れつき、あんまり、横着なことようせん性分でっしゃろ。そやさかい、よそはみなネ、山なり山なり産地直送てなこというて、持って来やはりますけど、たいていあれ、粉炭だけ、先抜きとっておまんねん。ところが、私とこのは、山なりちゅうたら、ほんまの山なり。そのかわり、よそが、あんたいま、日向炭一俵450円か500円でいれたります。うちゃ、650円もろうとります。ま、ほかとくらべて、高いように思いなほるやろけどな、いっぺん使うてもらうとわかると見えてね、『オイ、切れたさかい、また持って来い』ちゅうて、きっというてくれほりまんねん。タドンでもそうですわ。よそは、夏越しや、夏越しやいうて、売ってはりますやろ。夏にね、タドンが干せるもんやおまへん。ところが、うちのは夏越しちゅうたら、ほんまの夏越し、土用に入らんことにゃ、干さしまへんで。これもな、使うてもらうとわかりますわ。よそのは、炬燵入れたりするとね、あとに、このドグレみたいな芯がでけまんねん。うちのはきれいに燃えてすっくり灰になるというのんが、素灰はあんまり使いまへん。炭の粉ぎようさん使いまんのや。おたくらもなあ、取りつけの炭おまっしやろけど、切れた節にはいっぺん、うちのも間へはさんでみたっておくれやす。また、お知りあいの方に、炭の入り用なことがあったら、お世話さしておくれやす。十分勉強さしていただきやす。へ、おたの申しま。おたの申しま。さいなら」
「何やあれ、おい。くやみやあらへんが。おのれとこの商売の広告して帰りやがんねん。ほんまに、くやみもぎようさん聞いたけど、あんなくやみ聞いたことないわ、ほんま。ちよっと、そこへつけときなはれ」
「ごめんやす」
「へ、こら、まあ、どうぞこっち」
「あの、わたくしは横町の最上屋から参りました。承りますればこちらのご隠居様にもついにはようございませなんだそうで、さだめて、ご愁傷様のこととお察し申し上げます。永うお悔みあそばすよう、あとあとの香花をお大事にあそばしますよう、手前、早速お悔にあがるべきはずでございますが。ちよっと失礼さしていただいております。お葬式のお伴には、ぜひとも立たしていただきとう存じますが、お時間だけ承ってくるよう、かよう申しつかって参りました。これは、甚だ些少でございますが、どうぞご仏前へ」
「あ、さいでございますか。こらまたお門広いのに結構なお祝いを・・・・」
「アホ!」
「へえ?」
「へえ?やあらへんがな。どこぞの世界にそんなもん受け取っておまい、結構なお祝いちゅうようなあいさつがあるかいな」
「う、う、うっかりしてまんねん」
「うっかりしすぎてるが。なあ、大体、お前はんらそんなとこで、偉そうに、人さんにあいさつ受ける柄やあれへん。お前はんら、庭掃いたり、水まいたり、バタバタしてたらええねや。偉そうにシャシャリ出て。どき!どきなはれ。
へ、いまちょっと、あれと代りましたんでおますねやが・・・・
へへ・・・・へへ・・・・あ、ああ、さいでおますか。こらまたお忙しいのに、ごていねいなこっで。ちょっとお待ちなしておくれやっしゃ。
あのな、これ、ちよっと奥へ持っていってな、ほで、ご寮んさんに、最上屋の女中さんがわざわざ来てくれてはるちゅうて、あんばいいうて、これ渡してな、ここへおためをうんと入れてもらうように・・・・」
「何を?ええ?香典におためはいりまへん?ほなこたわかってるがな。はよ、奥に持っていきな、奥にもう。
へえ、へ、どうも、ど・・・・これ、若いもんがぎょうさんゴロゴロしてにゃおま・・・・気ィきかして座ぷとん持っといでな、座ぶとん。こっち貸し、こっち。
ど、ど、どうぞ、座ぶとんおあてなっておくれやす。お女中、おいどが冷えてもらうとどうもなりまへんので、どうぞ、おあてなっておくれやす。
へへへ・・・・えらいどうも、こんにちはお疲れながらご苦労はんでおます。へぇへへへ・・・・あのう・・・・何もおまへんけど、あの、お口汚しにひとつ。いや、ほな、遠慮してもらうほどのもんやおまへんねや。ほんまの精進料理。仏の供養。ええ?何でやす。お嫌い。そらそうでっしやろな。ほな甘党でいきまひょか。
(ポンボン)ぜんざい二つ。」
「そんなもんあれへんで、きょうら」
「誰も食べはらへんがな。こっちゃ愛想にいうてんねやがな。『あれへんでー』て、もっちゃりしすぎてるわ、ほんまに。ええ?で何や。あゝ、いまのん?こっち持って来て。はばかりさん。
お待っ遠さん。あのね。葬式は、明日の正後三時でおます。お帰りになりましたら、どうぞ、そうおっしゃっていただきますよう。
あれ、もうお帰りでっか。根っから愛想ございまへんでした。ほな、お帰りになりましたら、どうぞよろしゅう。さいなら、ごめんやす。あっと、そこ気ィつけてもらわんと、その溝板がね。釘がぬけてまんのではね返りまんねん。危のうおまっせ。いえどうも。
オィ!ぎょうさん若いもんがゴロゴロしてんねやろ。あの、釘ぐらい打っときいな。前からいたんだるがな。気ィつけく帰っておくんなはれや。
ああ!その、あの、八百屋のかし棒、気ィつけてもらわんと、あ、危のうおまっさかいな。八百屋やろ。いつも車あそこ置いときよるねん。あれ、いうて、こっち寄せるようにせな、女子衆さん通んのに危いがな。ま、ま、気ィつけて帰っとくんなはれや。ああ!その犬、犬、犬。それ気ィつけてもらわんと、か、かぶりまんねん。つないどき、犬を。女子衆さん通んのに、邪魔になるがな。へへへ、気ィつけて帰っとくんなはれや。
ああ!その水・・・・」
「もうやかましいな、ほんまに。おなごとみたら、大きな声出して、ワイワイ、ワイワイとみっともない」
「あのね、あんたそないいうて怒りなはるけど、大体、いままでぎょうさんあいさつに来よったけど、あない初めから、しまいまで、シュツと満足にあいさつのでけた人がおまっか。きいたかいな、いまの口上。立て板に水ちゅうけど、立て板に水なら、水が板にしみこむ間がある。立て板に粒をころがすがごとく、コロコロコロと淀みがない。きいてるモンの肩の凝りがとれるがな。大体あの、入って来るところからして違うな。男みたいに。ヒョコタン、ヒョコタン入って来よらんわい。ちょっと、こんなとこへ手ェ当てて、様子してな、身体ユーサユサゆすって、ボートに乗ってて、汽船の大波くろたてなもんやな。頭のてっペんから声出して、・・・・『ごめんやす、こんはんは・・・・』」
「どっから声出しとんねん、アホ。また奥へきこえたら、ご寮んさんにおこられんならん。しょうもないことばっかり、べ、・・・・べ・・・・モシ、向うから来んのん、あれ、テ、手伝いの又兵衛とちがいますか」
「あ、そうでんな。手伝の又はんでんな」
「す、すんまへん。ちょっとこの、チョ、帳場代ってもらえまへんか」
「そら、何を言いなはんねん。いやいな、いまあんたが、あの男つかまえて、ここ、すわんのはわしやとか何とか、偉そうに言うてはったやおまへんか」
「いや、ホ、ほかの人やったら、わたいかましまへんねん。ところが、あの又兵衛だけは具合が悪い。というのは、あの男にけったいな病気がおましてなあ。誰でも、ひとの顔さえみたら掴えて、嫁はんのノロケ言いまんのや」
「誰が。あの男が?あ、あの嫁はんのノロケ?・・ホウホホホ・・・・おもろおまっしゃないか」
「おもろい?あんたは知らんさかい、そんな呑気なこと言うてはんねん。あの男のノロケ、ひと通りやおまへんで、いえ、横町の染もん屋の大将、前から体の具合いも悪かったんか知らんけど、あの男のノロケきき終るなり、アッちゅうて、中風患ろうたきり、いまだに寝とるがな。」
「ええ?ほなもん命取りのノロケやがな。」
「きょうはわて、朝からね、気分がおかしいんで、・・・・ええ?へえへ、へえへ、・・・・いやぁそらね、私かて、こんなとこきて、そら悔みとノロケと一緒にしよるとは思うてしまへんけどもい、・・・・ええ?よろしよろし。ほな、わたいここイ坐ってますけどな、災難や思うて。けどね、おかしいなと思うたら、すぐ代っとくなはれや。頼まっせ。」
「こんにちは」
「又兵衛はん。いいやいな。いまも、あんたの顔が見えたさかいな、ここであんたの噂してたとこや」
「へえ、こんにちは。どなたはんもご苦労はんでおます。お忙しいのに、お大抵さんやございまへんやろが、しかし、手伝うておくんなはれ、生きてはる間から、結構なお方でやしたさかい、喜んでくれたはりますわいな。しかしまあ、惜い人亡くしましたなあ。世の中ちゅうもんは思うようにいかんもんで。あんな奴、早よ死にくさったらええのになあと思うてんのがあんた、長生きして、ほで、ここのご隠居はんみたいなええお方があんた、・・・・いや、そらまあお年に不足はおまへんわいな。おまへんけど、もうちょっといててもらいとうおましたで。ええ人でやしたがなあ。世話好きで。たいていの人は、大なり小なり、ここのご隠居はんにお世話になってはりまっしやろけど、まあ、きいとくんなはれ、わたいらの世話になりよう。ひと通りやおまへんのやで。わたいらが世話になったちゅうのは、そうでんな、いまからちょうど、十八年前でっか、その時分にな、雨で、ここの表の壁が崩れ落ったことがおまんねや。そのときに、ご隠居はんが、『なあ、又兵衛、これぐらいのことなら、わざわざ左官を入れるまでもない。お前が器用でつづくられんかい』『え、これぐらいのことならつづくらしてもらいまっさ』ちゅうて、わて、表の壁つくろうてた。すると、そばを、そう・・・・あのね、この町内に古くからおいでの方でしたら、ご存知でっしやろけどね。その時分に、この真向いに、池田屋はんちゅう、薬屋はんがおました。
さあさ、表に蚤取り粉や大きな提灯ぶら下げた。その池田屋はんに、いまのうちのカカが奉公してましてん。」
「ポチポチ始まってまっせ、もし。そやさかい、代っておくんなはれいうてまんねん」
「わたいがね、仕事しながら、何の気なしにヒョイと向う見たら、いまのうちの奴が、この池田屋の店先きで、針仕事しながら店番してまんねや。いまでもあんな女でっさかい、その時分にも、えろう別嬪というほどのこともおまへんけど、まあ、若い時分のこっだっしゃろ。色の白い、肌のキメの細い、艶のあるポチャポチャッとしたほん可愛らしい男好きのする顔。えらい可愛らしい女中さんが来てはるなあと思うて、仕事しながら、ちょいちょいと向いへ目がいくようになる。そないしてるうちに、こんどはわたいが何の気なしに、ヒョッと向うを見た。どうした拍子か向うもヒョイと顔上げた。互いに見交す顔と顔ちゅうやつ。その時分はあんた、わてかて若かった時分でんがな。友だち仲間からな、『オイ、お前みたいな男は、ほんまに職人にしとくのは惜しいようななあ』とかなんとか、まあま、べんちゃらにしろ、言われてたんだ。そこで、向うも、わたいを見よって、まんざらでもない男はんやわあとかなんとか、そこはそれ、合縁奇縁、妙なもんで、思いよったんでっしやろ。
わたいの顔をね、おかしな目つきで、ジーッとみていては、うつ向いて針仕事しよる。ほで、わたいが、顔上げて向う見ると、向うもわたいの顔みといては、またうつ向いて針仕事しよる。
ハハー、こらちょっとおかしな具合やなあと思うたんでな、その次、顔の合うた時に、あつかましい話、ニコーッと笑うてみせたりますと、うちのカカ、まだその時分、ウプなもんで、耳のつけ根まで、ポーッと赤こしてな、ニコッと笑うて、袂で顔隠す。」
「誰ぞ、代ってや、いやなってきた、ほんま」
「若い時分のこっでっしゃろ。おかしな仲になったん。するとあんた、この池田屋の主人ちゅうのは、堅い人でね、こんなことするような女子衆おいといたんでは、はたの奉公人のしめしがつかん。うちら、すぐ暇出すさかい、おたくの、あの手伝いの出入り止めてもらわなどもなりまへんで。えらいけんまくで怒って来やはったんだ。さあそのときに、ここのご隠居はんが、『まあまあそうまで言うたらいでもな、あれが間男したというわけでなし、若いうちにはありがちのこっちゃ。好いた同志なら一緒にしたったらええやないか』とかなんとか言うてくれはってな、家も一軒ちゃあんと借ってくれはって、『さあ、仲良う暮すねんぞ。道具で足らんもんがあったら、わしとこィ取りに来い。喧嘩すんのやないぞ』というてもうたときの、まあ嬉しかったこと。死んでも、よう忘れられん。いや、うちのやつと言うてまんねやで。お前と俺とは普通の夫婦やないで、たまに口喧嘩してもお世話になったご隠居はんに対して相済まん。
そうでやっしやろけど、まあ喜んでおくなはれ。添うてから十八年。いまだに、カカに荒い言葉ひとつかけたことをおまへんねや。近所でも感心しやはってな、ほんに仲のえゝ夫婦やな。夫婦とはあゝいう風に暮すべきもんかいなちゅうてな、近所で夫婦の手本にされてまんねや。ところがね、そなしてもろたわりには、ウチのカカちゅうのは気の若いよってね。わたいの帰りがあんた、仕事場から、いつもよりちよっとでも遅いと、ウチによう、じっと坐っとりまへんわ。路地口まで出て来て、わたいの帰る方を向いて立ってまんねん。わたいの姿がちらっとでも見えまっしゃろ。飛ぶように走って来よってからに。
『まあ、誰かと思うたらやっぱりあんたやったん。きょうはえらい遅かったやないかいな。どないしててんな』
『うん。きょうはな、いつもより仕事が多うなって、そんで遅なったんや』
『まあ、そうかいな。そんなこと知らんもんやさかいな、またどこかに悪いとこがでけて、そこィでも寄って、遅なってんのか思うて、いまも、わたい、ウチで恨んでたとこ。男が外で、汗かいて働いてんのに、女が家で恨んでるやなんで、こんな間違うたことおますやろか。あんたこんなこときいたら、腹立つやろな』
『そら何をいうねん。ひっきようわいみたいなもんでも、お前が何とか思うてくれてりゃこそ、いらん心配のひとつもすんねんがな』
『まあ、勘忍してくれて、嬉しいやな。ほな、その道具箱、いっぺんこっち、貸しなはれ』
『この道具箱みたいなん、何すんねん。』
『わたい、ウチまで持っていぬの』
『こんなもん、おなごに持てるかい』
『持てるか、持てんか貸しなはれ』
『持たれへん』
『貸しなはれちゅうのに』
『なあんでこんなもん持ちたいねん』
『そうかて、そうやおまへんかいな。あんたいままで、外で一生懸命働いてはった。わたい、いままで家で遊んでたんやわ。こっから、道具箱ぐらいウチまで持って帰らな、わたいが気がすまん』
『そんなこというたかてな、こない重たいもん、足の上でも落したら、危いさかいやめとき』
『持ちたい』
『やめとき』
『持ちたい』
『やめとき』
『ウーン、持ちたあい。いやーん』
『よしよし。そないまでいうねやったら、半分だけ助けてもらおう』
『ウアー嬉しい。ほんなら、わたい、こっちかきまっさ』
『ほんな、わしこっちやでえ』
ちゅうてな、小さな道具箱、カカと二人してかきまんねや。で、わたいが後から、『ヨーイトサー』ちゅうと、カカ、嬉しそうに『コーラサー』『ヨイトサー』『ヨイヨイ』『ドッコイサー』
門口まで来まっしやろ。押し返さいでもええのに、カカが『ヨイトサー』と、こうさがりまんねん。わたいが『コーラサー』『ヨイトサー』『ヨイヨイ』
入口はいるのに、これで大抵、四十分ぐらいはかかりまんな。あ、そうそ、ほでね、夏やなんか、わてがそうして、仕事から帰りますわ。ほすとこうちゃあんと行水ができるようにね、たらいに湯が入ってまんねんね、わたいがバーッと着物脱いで、たらい入るとね、カカが後の方から、
『あんさん、あの、背中いっべん流しまひょか』
『そうか。すまんなあ。ほなまあ、ざっとでええさかい、流してもらおかな』
『まあ、自分の嫁はんに、背中流さすのに、すまんやなんて、水くさいわ、黙って向うむきなはれ』
ちゅうてな、カカ、手拭いで、わたいの背中、こすってくれまんねや。それはよろしいわいな。片っぽの手があいてまっしやろ。このあいてる方の手をね、わたいの脇の下から、こぐらして、乳の辺、こすぐりよりまんねやで。
『何をすんねんなこれ。こそばいがな』
『まあ、そら、わたいらみたいなオタフクがさわったら、こそぼうおまっしやろ。』
『誰がさわったかて、こそばいとこ、こそばいがな。もう、しいないな、これ。着物が濡れるさかい、やめとき』
『まあ、着物が濡れていかんのやったら、わたいも、そこに、一緒に入れてもらおうかしらん』
『そらまあ、入ろうと思うたら、入ったらええねん』
『ほな入れてもらいまっさ』
ちゅうてな、カカ入って来よりまんねん。
ほで、お互いにな、背中流したりな、流されたり。『こない面倒くさいことやめて、いっべんに流せるようにしょうやおまへんか』
どないすんのやいうたうな、カカ、このわたいの背中、石けんつけよって、で、背中合せに、たらいに座りまんねん。で、わたいがシューッと立つと、カカが、シュ,と座る。カカがシュッと立ったら、シュッと座る。シュッシュシュと、去年の夏、たらいの底、六つもぬきましたで。さっぱりわややわ。
もうね、輪換え屋のええ得意で、路地に入るなりね、『まだお宅のたらいの底脱けてまへんか』ちゅうて、いちばんにきいてくれまんねや。
ほでね、そないして、行水から、上りますわ。ほすと、こう、ちゃあんとお膳が出て、仕度がでけてま。八寸を四寸ずつ食う仲の良さ。こらあもうね。わたいら職人のこっでっさかいね、ええもんはおまへんわいな。そやけどこう、ちょっとしたもんが、二つ、三つ並んでまんねん。
『まあ、きょうはな、お魚屋がシケで何にもないの。また、あした何ぞで、いれ合せさしてもらいまっさかい、きょうはこれで辛抱して、飲んどいておくなはれ。さ、お爛がつきました。おひとつどうぞ』
『そうか。すまんな。ソヤソヤ、わしもな友だちのつきあいなんかで、外でずいぶん飲まんこともないけども、まあ、酒は、こうしてウチで飲むに限るな。同じ酒でもシャクのし手によって、こうまで味の変るもんかいなあ。』
『まあ、あんなうまいこというて、こんなおばんにシャクしてもうて、何がおいしいことおますかいな』
『そら、何をいうねん。夫婦の仲に年があるかい。いつまでたったかて、女房十八、わい二十才や。そのなれそめのこと思うてみ。まんざらでもなかったやろ。さあ、お前もひとつ飲み。』
俺が飲んで、わたいにくれる。やった、とったしてるうちに、おなごてあかんもんでっせ。目のふちまで、ポーッと染めよってな。
『まあ、きょうはちょっと、わて嬉しいさかい、お盃に半分ほどよけいによばれたわ。こない酔うたわ。あんた久し振りに。何ぞ歌うてきかしておくなはれ』
『わいらみたいな、声の悪いもんに歌わしたりしいないな。』
『そらあんた、声は悪いけど、節まわしに、どことのう、イキなとこがあって、わたい好き。歌うてきかしてー』ちゅうてな、カカ、押入れから、三味線出して、調子合して、弾き出しよってみなはれ。たまりまへんで。一ぱい入ったるさかい。
都々逸、またあれ、わたい好きだんねん。
♪テトン、テッツソ・・・・
す、すんまへん、あのちょっと、も、文句だけきいてもらいますわ。
この舌でウソをつくかと思へばにくい♪かんでやりたいときもある・・・・
ちゅうとな、カカ、三味線、向うへバーッと放り出して、『あんた好きやわあ』ちゅうて、わたいにギューツとかじりつきよる。
もうねえ。うちのカカて気の若いやつでっしやろ。いま項、家で、ようじっとしていよりまへんわ。これから帰って、顔みして、安心さしたります。どなたもさいなら」
「ほんに、つらいノロケヤなあ」
みんなが大あきれしてます。「くやみ」というお笑いでございます。
(完)

解説

 人間にとって、いちはん大事な儀式は、“冠婚葬祭”、この四つです。
 この「くやみ」は、その中の葬の儀式を取り扱ったネタですね。「葬式」といえは、悲しいものですが、これをおかしくするところにおもしろさがあります。
 くやみを言いに来る人は、悲しみの表情で、悲しみの言葉を述べねばなりません。
 しかし、本当に悲しいのは、死んだ人の肉親なのです。くやみに来る人は、悲しい口調、悲しい表情はいたしますが。その実、決して悲しんでいるものでほありません。
 人間は、心にもないことを口先で表わしても、真実は、すぐ割れるんですね。
 このはなしは、葬式の受付、昔は帳場とよんだそうですが、この帳場にくやみを述べに来る人たちの、人情のウラを皮肉ったものです。
 なかなかおもしろい話ですが、考えようによっては、極めて、辛辣な風刺ともいえます。
 私は、この「くやみ」を、松之助師匠に教わりました。教わった通りにやったのですか、ただ、炭の値段が、いまの値段になりましたので、“折角、こんな綿密な話にするなら、炭の値段も、元のままにすべきだった”と、米朝師に注意されました。
 このはなしが創られたのは、炭の値段などから推定されますが、おそらく、明治の後期から、大正にかけてだろうと思っています。

1975.1.5 桂文我