鹿政談

 奈良のおはなしでございまして、奈良七重・七堂伽藍・八重桜、天平の甍を濡らす時雨かな、いずれにいたしましても、奈良というとこは結構なとこで、春によし、夏によし、秋によし、冬によし、ええとこですな。
まァ、何と申しましても、奈良と申しますと大仏っあん、あれおもしろいもんで、大仏っあん観に行って、あんまり拝んでる人おまへんねゃ、あれネ。
あらァ、大きいのがとりえでしょうが、大仏殿へ入りまして、大仏っあんの前へ手ェ合して、拝んでる人というのは少ない。
大仏殿へ入りますと、修学旅行の方でも、あるいは、地方からお越しになったかたでも、地のもんでもみな一緒ですな。
大仏殿へ初めて入って、大仏っあん見上けるとみな、アポーンとして
「あゝ・・・・・・大きィなァ。ホゥ・・・・・・裏へ廻ってみようかァ」
と、拝みもなンにもせんと裏へ廻ります、あれネ。
あれを拝んでる人、あんまりないんですが、でも、いま見ても、あれだけ大きいもん。
いまは大きいもん、ずいぶんあります。
東京タワー、大阪タワー、何タワー、ぎょうさん大きなもんがあるなかで、あれ見てびっくりするんでっさかいに、昔は、あンだけ大きなもんができましたときには、びっくりしたんでっしゃろな。
そらァ大きい。お身丈が五丈三尺あるてなこというて大騒ぎ。それまで、日本中でいちはん大きいもんはちゅうと、紀州・熊野灘の鯨やちゅうとったんですな。
そやから、鯨、「俺ァ大きい」と思うとるところへ、奈良の大仏っあんがでけて、大きィお株を向うへ取られたちゅうんで、熊野灘の鯨がネ、気ィ悪うしよったン。
「オイ、え?馬鹿にしとるなァ。どないや、あのガキゃ、ほんまに。大きィ大きィて、みな言やがって、奈良の大仏っあん、奈良の大仏っあんて、みな、奈良へ行きよるやないかい。おら、ムカつくさかいに、いっぺん奈良行てきたろ思うてんねん」
「お前、何しに行くねん」
「何しに行くねんて、そやないかい。俺ァ、お前、奈良行てな、俺と大仏っあんと、どっちが背が高いか、背くらべしたろ思うて」
「そなアホなことすなや、お前。あんだけ大きィねや。そらァ、お前行たかてあかんで」
「いや、俺ァ行てくるわい」
熊野灘の鯨が、旅仕度こしらえて、奈良へ出てきよった。
「おい、大仏っあんちゅうのん、お前はんかい」
「おゝ・・・・・・妙なもんが出て来たなァ。あんた何じゃ」
「俺ァ、あの紀州のな、鯨やねん。いままで俺が、日本でいちばん大きィと思てたン。お前みたいなんがでけたお陰で、大きィ大きィて、お前の方が大きィち言われてな、俺ァおもろないねん。いっぺん、俺と背くらべしょう。ほなとこで坐ってんと、ピューッと立ってみィ」
「そんなアホなこと言ィな、これ。お前はんが立ってそれじゃ。わしゃ坐っててこれじゃ。立ったさかいて、みんな、負ける気遣いない。やめときィ」
「何ぬかしてけつかんねん。ほなもんやってみなわかるかい。立て立て、立て。よう立たんのか、こら立てェ」
「そない言うなら、立って見せようか」
と、大仏っあんがヌーッとお立ちになったんですが、こら残念ながら、大仏っあんが負けたン。大仏っあん、金ですからな。カネとクジラで二寸、クジラの方が長かった。
でも、奈良の名物というのは、大仏っあんだけやないんですな。奈良へ参りますと、鹿がぎょうさんいてます。
奈良の鹿というのは、なんぼいてるかわからんそうですってネ。
俗に春日燈籠と鹿とを勘定したもんは長者になるてなことを言いますけれども、こら、無理な話で、燈籠の方は、印でもつけていけば、数読めんことおまへんけどネ、鹿というやつは、みな同じような顔してまっしゃろ。ほいで、あっちウロウロ、こっちウロウロしよるさかいに、数えていって、してる間に、こっちのやつが向う行きよって、あれ、これあら、ウダウダシダ・・・・・・てなもんで、そやさかいに、いまだに奈良の鹿の数だけは、シカとわからんちゅうぐらいなもんで。
でも、昔から、奈良の鹿は神鹿てなことを申しまして、大事にされたんですな。
昔は、奈良の鹿を打ち殺した者は石子詰めになるてなことを申しまして、十三になる三作という小僧さんが、あやまって鹿を殺して、石子詰になったという跡が、いまだに残っておりますが、三作石子詰めの跡、かたわらにもみじの木が一本植えてあります。
幼い子が極刑に処せられた。親のいる間は香・花をたむける人もあろうが、親が死んで、月日が経ったら、香花を供える人もなかろうと、親心でもみじを一本植えたんやそうですな。
ですさかいに、これを懐しんでか、あるいは愛しんでか、いまだに鹿の横へもみじをあしらうというのは、これから始まったんやそうですが、三作石子詰めの跡というのは、いまだにございます。その後、まさか石子詰めというような残虐な刑は行なわれんようになりましたが、江戸時代に入りましても、鹿を、たとえ過ちたりとも、打ち殺した者は死罪。承知の上で、これを打ち殺した者は打ち首、獄門極刑に処せられるというきびしい掟がでけた。そのぐらい鹿は大事にされたんですな。放し飼いにしてある鹿は大切にしてやれ。放し飼いの鹿は大切にせよ、ハナシカは大切にせよ・・・・・・ありがたいお達しがあったもんですが。ですから、奈良の名物はと申しますと、大仏に奈良筆、奈良墨、奈良晒、春日燈籠、町の早起きてなことを申します。
ほかのものはわかりますが、町の早起きというのは妙な名物があったもんで、なぜ、この早起き名物になったかと申しますと、さきほども申しましたように、たとえ過ちたりとも、鹿を打ち殺した者は死罪。
さァ、ところが、鹿かて生きもんでっさかいネ、いつお亡くなり遊ばすかわからん。
ご寿命かなんかで、お鹿様がコロッとお逝き遊ばして、朝、目ェさまして、表の戸をガラガラッと開けると、お鹿様は、それへゴロンとネ、永眠遊ばしておられるちゅうなことになると、
「おゝ、えらいこっちゃ、おい。ほなもんお前、うっかり、うちィかかわり合いがついたらえらいこっちゃ。隣、まだ寝とんな。えらい薄情なようやけど、お隣ィ、これ置かさしていただこか」
ちゅうようなもん。隣の前へ置いとくちゅうようなもん。
隣はガラッと開ける、
「オオッ、隣でどうぞォ」
ちゅうようなもん。
早起きせんことには、いつなんどき、災難がふりかかるやわからん。
町中が早起きするようになったと申します。奈良の早起き。妙な名物があったもんです。
早起きのなかでも、殊に早いのが豆腐屋さん。お豆腐屋さんというのは、朝の早い商売で、川柳というのはおもしろいことをいうもんで、『豆腐屋の亭主その手で豆をひき』てな川柳がある。これァ、ちょっと説明できません。
奈良三条通りの、豆腐屋の六兵衛さん、正直一途、今年六十三、子宝に恵まれず、婆ァさんと二人暮し。良心的な商いをいたしますンで、近所からも慕われて、遠い所から六兵衛さんの豆腐を買いに来るというぐらいのもん。この日も、朝早う起きて、豆をひいてますと、表でガタンという大きな音、
「なンや知らん」
表を見ますと、まだ、明けきらぬ表、雪花(きらず)の桶がゴロンとそれへひっくり返ってる。おからですな。
おからというやつはおもしろいもんで、三つ名前がある。おから、うのはな、きらず。
うのはなというのは綺麗ですが、きらずというのはおもしろい名前のつけかたですな。
豆腐は切りますけども、おからというやつは切る人はない。で、あれ『きらず』と名前がつけたァる。枠なもんですな。
きらずの桶がゴロンとひっくり返って、湯気が、ポッポッポッと出てるとこへ、大きな赤犬が首つっこんで、これ食べとる。
「コレ、コレ、シャイ! あっち行ておくれ、あっち行とくれ。これ、お前はんらが食うぐらいのことは知れてあンねがな、後を、お客様にお持ち帰り願わんならんのじゃ。お分けせないかんというものを、お前はんら畜生にそないされては困るのじゃ。行てくれ、コレ、あっち行ておくれ。コレ! こけた桶はしょうがない。ほかのとこへ首つっこみないな、コレ。コレ! シャイ! シャイ!シャイ!」
二、三度追いましたが、向うへ行かん。
日頃、気立ての優しい六兵衛さんですが、その日は虫のいどころが悪かったとみえて、ネキにあった割木を取るなり、ピシーッ、コロッ。当りどころが悪かったか、赤犬がそれへひっくり返った。
「あゝあ、むかっ腹立ったとは言いながら、畜生でも可哀想なことした。おゝ、どないしたんじゃろな。コレ、コレ」
そばへ寄ってみますと、これが赤犬と思いのほか、大きな雄鹿、
「アー、えらいことしたァ」
「じいさん、どないしなさった。え?なに?ほう、エッ! お鹿様を・・・・・・何ちゅうことしてくれた、じいさん。鹿を殺せば重罪じゃ。打ち首になる。こなたはええ。後に残る私、打ち首になるそなた、じいさん! どないしょう」
「どうしょう」
「どないしょう」
「どうしょう」
「どないしょう」
「どうしょう」
涙にくれておりましたが、どうすることもでけん。
夜が白々明けて参ります。
近所の者が目ェさます。
「オッ、えらいこっちゃ。六兵衛さん、鹿殺したらしいで」
「エッ、どれ、六兵衛さんが鹿殺した・・・・・・」
「おはようさん」
「なンぞでけましたン」
「六兵衛さんが鹿殺しましたんや」
「えッ? 六兵衛さんが鹿を・・・・・・ヘェ」
「もし、なンぞでけてますかァ」
「六兵衛さんが鹿ァ殺しましたんや」
「どないしなはってん」
「六兵衛さんが鹿殺した」
「どないしなはった」
「鹿が六兵衛さん殺した」
上を下への大騒ぎ。こういうことは、一刻も早くお届けに上った方が、格別のご憐憫のお沙汰が下るかもわからんと、その当時、鹿の世話は、奈良・興福寺の受け持ち、幕府からは、塚原出雲という鹿の守役がつけられております。
まず、これにお届けに及ぶ。
興福寺の僧侶・良全という番僧と塚原出雲両名の者が、訴え書をしたためまして、奉行所へ差し出ます。
奉行所から差紙が着いて、豆腐屋・六兵衛、町役人一同付き添いの上でおしらすよう。
普通、小さいお裁きでございますと、与力あたりで済ましてしまいますが、奈良における鹿殺しは大罪、お奉行じきじきのお調べでごぎいます。
このころ、奈良のお奉行さまはと申しますと、松野河内守さま、後に大阪の町奉行におなりあそばして、あの忠臣蔵赤穂義士との夜打ちの道具をこしらえました天野屋利兵衛をお裁きになった後、江戸表へおたち帰りになって、江戸の町奉行におすわりになった方。
このころはまだ、奈良の奉行としてご在任中で、なかなかお慈悲深い、お裁きの上手なお方やったそうでェ。
正面には、稲妻型の襖、奉行の座右の銘ででもございましょうか、至誠一如と書かれたような墨痕淋漓たる額が掲けられております。
目安方、吟味与力、つくばいの同心、捕り方が、捕り物道具を押し立てまして、お白州のあたりを取りまく。縁側には、鹿の守役・塚原出雲、興福寺の僧・良全両名の者が控える。
ドーン、ドドドンドン、ドーンドーン、時太鼓とともに襖がスーッ、松野河内守様がピタッとご着座になる。
「鹿の守役・塚原出雲、ならびに、興福寺の僧・良全」
「訴状たずさえ、それに控えおりまする」
「ン、・・・・・・・・・奈良三条通り、豆腐屋六兵衛とはその方か」
「・・・・・・・・」
「面を上け、・・・・・・面を上げ」
二声お声がかかりますと、下役の者がバラバラッと寄ってくる。
「面を上げェッ!」
六尺棒でこじ上けます。たいがいの悪党は震えあがったもんやそうですが、
「恐れいります・・・・・・」
「豆腐屋六兵衛とはその方か。・・・・・・かなりの齢であるの。何才に相なる」
「へ、今年・・・・六十三で・・・・」
「ほォう、六十三か。不憫なものであるの。その方、生国はいずこじゃ」
「へ、奈良三条通り・・・・・・」
「コレコレコレ、その方、上を恐れるのあまり、気が動転いたしておるのではないか。心を鎮めて返答いたせ。生国、生れはいずこじゃ」
「へ、奈良三条通り・・・・・・」
「おゝ、これ・・・・奈良に生れ、奈良に育った者が、鹿殺しは大罪ということを知らぬはずはあるまい。その方、他国の者であろう。他国から、この奈良へ出でて商売をいたしておるものであろう、の? 前後をわきまえて返答をいたせ。生れはいずこじゃ」
「へ、親代々、三条通りでございます」
「頑稀なる正直者であるの。六兵衛、その方、さきほど、六十三才に相なると申したな。六十三才とも相なれば、耄碌をいたして、前後を忘却いたしたり、物がわからぬようになるというような病があるか」
「ここ、三、四年、鼻風邪ひとつひいたことございません」
「しからば、奉行、相たずねるが、その方、鹿を打ち殺したと申すが、何ぞ、意趣があってか」
「意趣のあろうはずがございません。朝起きて・・・・豆ひいとりました。表の方で大きな音がいたしました。見ると、赤犬がきらず食べとります。二度三度追いましたが、向うへ行ってはくれません。ネキにあった割木をとって放りました。たしかな手応え・・・・近寄り見れば、犬ではあらで、これなる鹿、南無三無、薬はなきかと、懐中を探ってみれば情なや・・・・」
「これ、それは『忠臣蔵』六段目である。逆上いたすな。ン・・・・ン・・・・ウン・・・・鹿とは存ぜぬ、犬じゃと思うたとあるか。ならば、奉行もいまいちど、死骸をあらためみよう。コレ、死骸を持て」
下役の者がバラバラバラッと死骸を運んでくる。六尺棒の先で、菰を上げて見せる。
「ほッ、奉行、いまあらためみたるところ、毛並は鹿に似たれども、これはまさしく犬じゃ。犬ならば、お咎めはない。六兵衛、これは犬である。塚原出雲、興福寺の僧・良全、その方ら両名、お役大事と思うのあまり、毛並の似たるに惑い、犬を鹿じゃと取り違えたものと思われる。お役大事の上の過ちならば、奉行、あえて咎めはいたさん。この訴状、願い下げにいたされるがよかろう」
「あいやしばらく。この塚原出雲おそれ多くも、幕府の命によって、永年、鹿の守役を相務めまするも、何事をもって、鹿と犬とを見違いましょうや」
「ほう、ならば、その方、これを鹿じゃと申すか。ならば、奉行、相たずねるが、鹿ならば、角がのうてはかなわぬはず。この死骸に角があるか」
「これはしたり。ご奉行のお言葉とも思えませぬ。鹿は、若葉の候に相なりますると、若葉を食し、よって、角がホロリと落ちる。これを世に、こぼれ角、落し角と申す。また、落ちたる後を、袋角、世に鹿茸と唱え・・・・」
「黙れ! 何事をもって、その方がごときに、鹿茸の講釈をきこうや。松野河内守とて、その方ごときに・・・・存じおろう。その方、あくまでも鹿じゃと言いはるか。ならば言う。奈良は幕府の直轄にして、ご朱印、一万三千石、一万石は春日明神ならびに、興福寺、三千石は鹿餌料として下しおかれる。年三千石と申せば、莫大なる餌料、その餌料をもって、鹿の腹が満ちたりておれば、神鹿と敬い奉られるほどの身が、あに町下に出でて、きらずを盗み食うというがごとき、盗賊のような所業があろうや。もし、鹿がきらずを盗み食ろうたとあらば、その腹がくち足りておらぬ証拠。奉行、存じおりを申せば、餌料三千石のうち、金子に代え、町下に貸し出だし、暴利を貪る者もあるやの風聞もある。あくまでも鹿と言いはるならば、鹿殺しの取調べは、後廻しにいたし、餌料着服の件より取調べつかわそうか。出雲! どうじゃ」
「はァ!」
「鹿か」
「はッ」
「犬か?」
「ハ、ハ・・・ハァ」
「鹿か。・・・・・・犬か鹿か」
「ウウッ・・・・・・イヌシカチョウ」
「たわけ。心をすえて返答いたせ。犬か」
「さァ・・・・」
「鹿か」
「そォ・・・・」
「さあ、さァさァさァさァ・・・・・・出雲の返答はどうじゃ!」
「・・・・・・・・毛並の似たるに相惑い、これなる犬を・・・・鹿と誤りましたるは、出雲、重々の誤り」
「ほう、さようか。ならば、塚原氏は、この死骸を、犬じゃと仰せあるな。ウン、さようか。しからば、犬に相違ないな」
「は」
「ウーン、塚原氏、鹿というものはの、若葉の候になると、若葉を食す。よって、角がホロリと落ちる。これを、落し角、またはこぼれ角と申し、落ちたる後を袋角、あるいは、鹿茸という。この死骸に、その鹿茸とやらはないか、ン?」
「はァ、ごぎいません」
「ほゥ、奉行、うち見たるところ、額のあたりに、何やら癌のようなものが二つあるが、これは、袋角でほないのか」
「ウウッ・・・・・これは、でき物の痕かと・・・・・・」
「さようか。ならば、犬に相違ないの。ン、塚原出雲、ならびに、河内守、両人のみのまなこに曇のあっては相ならん。興福寺の僧・良全、あらため見ィ。犬か」
「ヘェ・・・・・・犬にござります」
「ン、目安方、犬か」
「ハァ、犬にござります」
「ン、その方らも見ィ。犬に相違ないな」
「ハッ」
「ハッ」
「犬にござります」
「ン、いかがじゃ」
「犬で・・・・ござります」
「ン、町役人一同、あらためみィ。犬か鹿か」
「ヘェ、もうどっちでも大事ござりまへん。どうぞ命の助かりますよろうに」
「コレ、ずぼらなことを申すな。犬か鹿か」
「ヘッ、・・・・ヘェ・・・・イ、イ、犬でおます。甚平はん、甚平はん、犬やな、犬やな」
「ヘェ、犬でおます、犬でおます、エッヘッヘ・・・・・・犬に違いおまへん。その証拠に、いまワンちゅうてなきました」
「コレ、死したるものがなくか」
「いゝえ、あまりのことに嬉し泣き」
「たわけたことを申すな。ならば、一同見たところ、犬に相違ないな。ン、犬ならば、お咎がない。塚原出雲、興福寺の僧・良全、両名の者、この訴状は差し戻しといたす。犬を打ち殺したる六兵衛にも、何らお咎めはなし。なれど、六兵衛、この後、犬といえども、大切にしてとらせよ。よいな。ン、これにて一件、落着。一同の者、立ちませー」
嬉し涙とともに、バラバラバラバラ・・・・退出いたします一同、お見送りになっておりました松野河内守様、サッとお立ちになって、
「おゝ、コレコレコレ、六兵衛! 六兵衛!」
「ヘェ」
「正直者の豆腐屋、キラズにやるぞ」
「マメで帰ります」
(完)

サイト管理者のコメント

最初、奉行の松野河内守の説明で、「天野屋利兵衛をお裁きになった後」とあるのに、六兵衛が、忠臣蔵を洒落たのに対し、「これは『忠臣蔵』六段目である」と指摘してます。
えらい矛盾です。当時、演者は気づかなかったのかなぁ?