立ち切れ線香

 たゞいまは、若い人の遊び、特に男の人の遊びというと、まあ、キャバレーがあり、バーがあり、アルサロがあり、自由に方々いけるところがありますけども、昔は、たいがいはお茶屋遊びにきまってございまして、あの当時のお茶屋さんといゝますと、時間を線香で計算してたんやそうですな。線香一本が、何時間。そういうふうに、時間を線香で計算してた
んやそうですが、まあ、その時分のはなしでございまして、たまに、お茶屋へ遊びに行ったりしますと
「ハーさんどないしてなはった。長いこと顔みせんとからに、わて、あんたのこと案じてましたんやしい」
てなことを言われたらね、男はその気になって
「俺のこと、そんな心配してゝくれたんかなあ。それやったら、もっと早よ来たらよかったなあ」
てなことを思いよる。言うた本人は、向うの方むいて舌をベローッと出してね、だまされるわけですけども、そやさかい、昔から『女郎のまことと卵の四角、あればみそかに月が出る』てなことをいゝますが、しかし、商売女にも、真実の恋というのはあるんやそうでして、
「これ、定吉。こっちおいで。こっち入りいな。そ、そこィすわり。そこィ坐り」
「わてェ、若旦那のそばへ行けしまへんで」
「何で」
「あのう・・・・・・番頭はんがいうてはりましたんでんねん。『若旦那がお呼びになっても、そばへ行ったらあかんぞ。どっちみち、何やかんやとおききになるやろ。なら、お前は、口が軽いねんやさかい、何でも言うてしまう。なかには言うたらいかんこともあんねんさかい、そばに行かんに越したことないねんさかい、そばへ行ったらいかん。そのかわり、二十銭やる』いうて、わて、二十銭もらいましてん。へへへ・・・その義理があるさかいに、そばへ行かれしまへんねん」
「何やねんな、二十銭ぐらい。わてやったら一円やるがな」
「ホ、ほんならなんでっか。若旦那やったら一円おくんなはるか。なら、若旦那の方が落ち札でんな」
「頼母子みたいに言うてんねやあらへんがな。コ、コ、こっちおいで、こっちおいで。そそ、そこ坐り。きょうは誰ぞ来てんのか」
「ええ、あのう、親類の人が来てはりますねん」
「誰、だれ寄ってんねん」
「へへ・・・・・・そら、一円もらわなんだら、言われしまへんわ」
「そんな現金なこといゝないな。後でやるやないか、な。誰が来てるか、ちょっというてんか」
「あのな、あのう、丹波の旦那はんと、そいから、池田の御家はんと、ええ、兵庫の旦那はんと、ほいで、親旦はんと、番頭はんとな、寄っで、若旦那はんの相談してはりまんねん」
「わてのことを? ど、ど、どないなことをいうてるねん」
「あのな、旦那はんが、きょうはようこそ、来てくれはりました。きょう来てくれはったというのは、実は、寄ってもろうたんには、わけがございます。というのは、うちの金喰虫のことでございますう・・・いうて、へへ、若旦那のこと「金喰虫」やというてはりましたで。若旦那、お金たべはりまんのんか。そんなんたべたら、身体に悪うおまっせ。
『まあ、愛想もこそも尽さはてました。きょうは、あんさん方が、
どうせえ、こうせえといわれたら、言われたとおりに致します。
きたんのないとこ、おっしゃっておくれやす』こ、こないいうてはりました」
「ふん、うちの親父さんの言いそうなこっちゃな。ほで、いちばんさき、誰が口きったんや」
「いちばんさきには、丹波の旦那が、『ほんなら、ワシが丹波へ連れて帰る』て、こないいうてはりましたで」
「丹波へ? わてをか。丹波へ連れて帰ってどないするつもりや」
「あのな、炭焼きにしまんねんと。炭焼きいう仕事、えらい仕事でんねんとー。ほで、半月ほどしたら、あいつはまいってしまうやろ。医者にもかけんとほったらかしにしといたら、ほなら、早よ片づいてええやないかて・・・へへ・・・・・・こないいうてはりまし
た」
「えげつないこというな。ほで何か、そうと決ったんか」
「ほ、ほ、ほんならな、こんどは、あのう、池田の御家はんがな、『わたしが池田へ連れて帰りますう』」
「それがわて、かなわんねや。むこうにはなデブッと肥えたな、いやらしい娘がいてんねん。それとわてと、一緒に添わすと、こない思うとんのや」
「ふん、若旦那、そんなこと思うてたら、えらい違いでっせ。こんどなあ、池田の御家はんとこにな、博労した牛が、イ、イ、一頭いまんねんと。この牛を若旦那に追わしまんねんと。ほでな、その牛は。えらい暴れ牛ねんと。ほだらな、言うこときかんさかいに、若旦那は、短気やさかいに、棒でどづきます。ほで、牛は怒って、角で若旦那ブスーッと突き差してしまいます。ほんなら、早よ片づいてええなあ・・・て、こないいうてはりました」
「あ、あのおばはん、顔に似合わずえげつないこというな。ほで、何か、そうと決ったんか」
「ほ、ほんならな、こんどはあのう、兵庫の旦那はんがな、わてが、兵庫へ連れて帰るう、うちに潰れかゝった船が一叟おいてある。あいつァ釣が好きやさかい、きょうは風がきついなあと思うたときに、その船で、沖の方に、釣りにやります。ほんだら、風が吹いたら、あんな船は、ひとたまりもないさかい、ひっくり返ってしまう。あのへんには、フカやとか、サメがぎょうさんいてるさかいに、その餌食になったら、死骸も上がらんでええし、葬式もせえてええ。それがええ、それがええ、こないいうてはりました」
「何かいな、ほで、そうと決ったんか」
「ほんならな、番頭はんが、そんな人殺ししてしまうて、えげつないことでけしまへん。いや、若旦那は、あゝしてお金を使うて、こういうことになったんだっさかいに、お金の有難ささえ知らしたら、それでよろしいとざいます。それには、乞食にすんのがいちばんよろしゅうございます・・・・・・こ、こないいうて、ほだら、みなが、ええ、ええ、そらええいうてな、いうたり・・・・・・若旦那、あんたもう乞食だっせ。もう、わてらに偉そうに言われしまへんで。乞食の秘訣教えてあげまひょか。乞食いうのはな、あの、お腹大きいてもな、大きそうな顔したらあきまへんで。ひもじそうにな、・・・『二日前から、何も食べてしまへん。どうぞ一文お恵みを』」
「じゃかましい。どけッ!」
「若旦那、どこへいきはりまんねん」
「どけ! 離せ! 下いく。下いくねん」
「そ、そ、そんなことしたら、わて、お、親方はんに、お、お、おこられまんがな、そ、そ、そ、それより、一円おくなはれ」
「そんなもんあるかい」
「そ、そ、そんなアホなことを。タ、タ、タ、倒された」
「何をいうねや。離せェ」
バタバタバタァッ、下へ降りてまいりまして、
「あんた方、逃げることおまへんやないか。逃げることないやないかい。番頭、番頭えらいもんやな、わてを乞食にするいうたそうやな。してもらおやないか。番頭て何や。番頭というたらな、丁稚が却経たらみな番頭になんねん。わてはな、わてはここの一粒種やで、お父っあんにもしものことがあったら、ここの釜の灰までわてのもんや。いや、わてここの主やないか。主を乞食にする? あゝしてくれ。乞食にして。乞食にしてみろい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・若旦那。何というお言葉でございます。人の前、立ちはだかって、胸ひろげて、大きな声出して、それが、船場のご大家の若旦那のいうお言葉でございますか。そこィお坐りやす。・・・・・・そこィお坐りやす。そこへ坐んなはれ」
「な、なんや。何やねんな。番頭が、エ、偉そうに言うて」
「いかにも、いま、若旦那のおっしゃったとおり、私は丁稚の却経た番頭でございます。しかし、その番頭が、乞食にしようということで話が纏まりました。その乞食になるのがいややとおっしゃれば、これは致し方がございません。しかし、いまききゃ、乞食になるとおっしゃった。乞食にせえとおっしゃった。こらあ、もう、願うたりかのうたりでございます。乞食にして進ぜましょう。これ!そこの道具をこっち持って来なはれ。若旦那。これがお箸でございます。これがお碗でございます。乞食にはいちばん大事な道具でございます。その恰好では、具合が悪うございます。ここにボロの着物がございます。これと、
お着換え遊ばせ。さ、お着換え遊ばせ。脱ぎなはれ。私が、着換えさしてあげまひょ。脱ぎなはれ!」
「なにを、何をすんねん。離しィ。ナ、なにかいな、わては、お、おまえ、乞食にするつもりか」
「あんたいま、乞食になるとおっしゃった」
「それは、イキ・・・・・・行きがかり上、言うただけのことやないかい。わて乞食いやや、わて乞食いややで」
「乞食はいやや。しかし、乞食はいややだけでは、済みません。いやなら、あゝもしよう、こうもしようというお言葉がききとうございます」
「わて・・・・・・何なと、いうこときくがな。ス、ス・・・・・・好きなように、・・・・・・好きなように、しいな。わて、何でも言うこときく」
「さようでこざいますか。それでこそ、若旦那でございます。それなら、きょうから、向う百日の間、蔵住いをしていただきましょう」
「・・・・・・何かいな、番頭。わては、蔵へ入んのんか」
「というても、不自由はおかけいたしません。欲しいものがあれば、何なりというていただければ結構でございます。ただ、一寸でも、外へ出ていただいたら困ります。これだけのことでございます。ご、ご案内申上げましょう。こっち、お越し遊ばせ。この三番蔵でございます。ここへ、お入り遊ばせ。しばらくの間、ご辛抱を・・・・・・」
ガラガラガラ、ビシーン・・・・・と錠をかけてしまいます。
こんなウブな若旦那が、何で、こういうことになったかといゝますと、一年ほど前に、親旦那の名代で、仲間の寄合いがありまして、その流れが、宗右ヱ門町へ。芸者がぎょうさん来てるなかで、ひと際目についたのが、紀ノ庄の小糸。親が中筋でお茶屋をしておりまして、いわば、娘芸者。若旦那、その小糸を見るなり、
「はあ、芸者の中にも、こんなウブなお子がいてたんかいな」
一方、小糸の方も、
「こんな上品な若旦那。私も女と生れたからには、こんな殿御と添い節の・・・」
と、お互いに、思い思われるようになった。
そうなると、若旦那は毎日のようにお茶屋遊び。莫大な金を使うてしもうた。結果はこうなったんですがちょうど蔵へ入りました昼過ぎ、小粋な風をした男が
「ごめん」
「へい、お越しやす」
「あのう・・・・・・若旦那をちょっと・・・・・」
「ただいまお留守でございます」
「ア、さようでこざいますか。あのう・・・・・・帰られましたら、この手紙をお渡し願いたいんで・・・・・・」
「ハイ、承知いたしました」
「お願い致します」
「ハイ・・・・・・・・・番頭さん、若旦那に手紙が参っております」
「なに? 若旦那に手紙。おう、ちょっと見せてみなはれ。ミナミからやな。京単笥の引出しへしもうとけ」
ピチーンと鍵をかけてしまいます。
日が暮れに
「ごめん」
「ヘイ」
「あのう、若旦那は」
「まだお帰りやございませんので・・・・・・」
「ハ、さようでこざいますか。あの、帰りましたら、この手紙を」
「ヘイ、承知いたしました」
その日は二通。あくる日が五通。十通、二十通、三十通、毎日、手紙の数はふえる一方。そうなると、店のモンがかかりきりで、この手紙を受け取るようになった。それも、八十日目で、ビタッと止ってしもうた。
「若旦那。ご気嫌よろしゅうございます」
「はあ、・・・・・・番頭か。さ、こっち入ってえな。いや、きのうな、ことずけてくれた羊かんおいしかったァ。子供に、オブ入れさす。さ、こ、こっち来て。おざぶひいてんか。おざぶひいて」
「へえ。若旦那、よう、ご辛抱してくれはりました。どうぞ、蔵からお出ましを」
「ナ、なんでや」
「きょうが、百日目でございます」
「へえ・・・・・・なにかいな、もう百日も経つのんか。早いなあ、わてまだ、ひと月ぐらいかいなと思うてたんやがそ。そうか、わてもう、蔵出えへん。もう、ここで暮す」
「ほほ・・・・・・んなことを申されましては困ります」
「いや、そやけども、こんな気楽なとこないわ。浮世のことはなんにもきけへんしなあ。もう、気が落ちついて、長生きできるように思う。わてもう、こゝから出えへん」
「それでは困ります。親旦はんも、ご心配しておられます。ええ、私の方も、困りますんで、どうぞ、お出ましを」
「どうあったって、出なあかんのんか」
「若旦那に出ていただかんことには、御当家は暗闇でございます。ところで、何でございます。ええ、若旦那が、蔵へ入りました昼すぎに、ミナミから、手紙が一通参りまして」
「番頭、ええかげんにしてや。わて、なんのために、いままで蔵住いしてたんや。そのこと忘れてしまうためやないかいな。そんなこというたら、寝てる子を起すようなもんやがな。そんな話やめてんか」
「いえ、あまりにも、数の多いお手紙でございますんで、ええ・・・最初の日が二通でございます。あくる日が五通。一十通、二十通、三十通と、毎日、日にち、手紙の数はふえる一方でこざいます。わたし、感心いたしました。さすがは若旦那、あないして、毎日お通い遊ばすお心持、さきにも、これだけの心底があったんか。しかしでございます。それも、八十日日で、いたちの道。これが毎日一通ずつでもよろしゅうこざいます。百日の間続きましたら、どんなことがありましても、わたし、わたしの身にかえまして、若旦那と小糸さんを、ご一緒にしてあげようと思うておりましたが、八十日目で、ピタッと止ってしまいました。はあ、やっぱり、色町の女、こら脈がないとみたら、牛を馬に乗り換えたか。まあ、それがこっちの、幸せでこざいます。数来ました手紙のうち、最後に来ました一通だけでも、お目通しのほどを」
「そうか。ほんなら、わて、あんたの前で、その手紙読むわ。な、そしたらえゝやろ。『この手紙着き次第、御越し下されたく。御越しなき折は、これがこの世の別れでございます。』フッハッハハハ・・・・・・なあ、番頭・・・・・・フッハハハ・・・・・・色・・・・・・色町から来る手紙の文句て、もうたいがい、決ったあんな。アッ、そうや。わて、コロッと忘れてた。あのな、わて、蔵住いするときに、あの、天満の天神さんに願かけた。『蔵住いしてます間、どうぞお父っあん、ならびに、番頭、丁稚にいたるまで、達者で働かしていただきますように。その代り、蔵を出ましたら、お礼詣りをさしていただきます』と、わて、願かけたんや。せやさかいな、お父っあんにも、会いたいと思うねんけども、お父っあんには、あとにして、そのう・・・・・・さきに・・・お礼詣りをしたいと思うねやけど、行て来てもええやろか」
「ヘイ。そらまあ、神信心のことでございます。止めましたら、止めたモンにバチが当ると申します。どうぞ、お行き遊ばせ」
「ア、そうか。ほんなら、イ、行かしてもろてもええねんな」
「どうぞ、お風呂に入って、きれいにお着換えになって・・・・・・」
「ン、そうするわ」
着物を着換えまして、紙入れを懐へ、伴の丁稚を連れまして、往来へ出ます。うまァいこと、往来で、丁稚をまいといて、辻車に乗りまして、ガラガラガラ、中筋へ。五、六軒手前で降りまして、
「ごめん・・・・・・ごめんやす」
「どなた? これお仲、どなたや来てはるやないか。ちょっと表へ出てみなはれ」
「へえ、どなただす? どなただす・・・・・・アッまあ、若旦那や、おまへんかいな」
「お仲か。ご気嫌さん」
「あの・・・・・・おかみさん、若旦那が来てはります」
「なにをいうねんな、お仲ァ。若旦那がお見えになったりするかいな。あんた、いつもそんをことばァっかり思うてなはるさかい、誰の顔みても、そう思うねんやろ? 若旦那が、お見えになるはずがないやないかいな・・・・・・まあ・・・・・・若旦那やおまへんかい
な」
「おかはん。と気嫌よろしゅうございます。お達者でっかいな。わてはな、事情があって、きょうまで、来られまへんでしてん。もう、あのう、すぐに帰らんなりまへんねん。また、いずれ、あらためて寄してもらいます。ちょっと小糸にだけ・・・・・・会うて帰りたいと思うて、ほで、来ましてん。小糸いまっかいな。小糸は・・・・・・お座敷でっか。小糸がいてたら、ちょっと会わしてほしおまんねん。いずれまた、あらためて来たときに、これからのことも相談したいと思いますので・・・・・」
「へい。小糸はいてます」
「いてまっか。会わしておくんなはるか」
「へ。会わしまひょ。さ、上っておくなはれ」
「おゝきに。えらりすんまへん。お仲、達者やったか。心配かけてすまなんだな」
「さあ、若旦那、そこへ坐っておくれやす。若旦那、小糸に会うてやっておくれやす」
「おかあはん・・・・・・何をすんねんな。これ、シ、白木の位牌やないかいな。わて、けんげしゃやで、そんな・・・・・・そんな冗談・・・・・・ゾ・・・・・・俗名お糸・・・・・・お糸というたら・・・・・」
「若旦那、小糸は、こんな姿になりました」
「へ・・・・・・へ・・・・・・へえ、小糸・・・・・・小糸・・・・・・小糸が死んだ。そんなはずない。・・・・・・そんなはずない。コ、小糸が死んだ!・・・・・・・・・なんで・・・・・・なんで・・・・・・何で、小糸が死んだんや」
「何で死んだというたら、あんたが殺したといわんなりまへん」
「ナ・・・・・・なんで・・・・・・」
「話をせなわかりまへんけどもな・・・・・・あんたがウチにお越しにならんようになる前の日に、あの娘に、あした芝居に連れていってやるわと、いうてなはったな」
「ふん・・・・・・いうた」
「あのあくる日には、朝早ようから、髪結さん行って、着物着換えて、ウロウロ、ウロウロしてんので、『あんた、なにをしてなはんねん』いうたら、『きょうは若旦那に、お芝居に連れて行ってもらうの』『それにしたって、まだ時間が早いやないか』『いや、そやけどもいつお越しになるやわからへんさかい、こないして待ってんの』『それもそうやなあ』いうてな、待ってました。
十一時が過ぎたころになって『若旦那、遅いわ、どないしやはったんやろ』『若旦那もいろいろと用事もあるわいな。そのうちにお越しになるわいな』十二時が、一時、二時になっても、あんたのお越しがない。『きょうは序幕から観してもらお思うて、楽しみにしてたのに、若旦那、どないしはったんやろ。わて、気になるさかい、手紙一本書くわ』
『そんなことしなはんな。色里から、船場のご大家へそんな手紙を出したらいきまへん』と、わては言おうと思うたんでっけどもな、それをいうたら、あんたとあの娘の仲を裂いてしまうように思われては、いかんと思うたんで、『はあ、書きなはれ』手紙を書いて、重どんに持たしてやったところが、『若旦那は留守で、店の人に渡して来ました』四時が五時になっても、あんたのお越しがない。『おかあちゃん、もう一本、手紙かくわ』『はあ、書きなはれ』また、重どんに持たしてやったところが、おんなじ返事。
その日はとうとう泣き寝入りに、寝入ってしまいましてな、あくる朝、わてが寝てる枕元へ坐って、『おかあちゃん、若旦那に手続書くわ』『あゝ、書きなはれ』その日は五本、あくる日は十本、二十本、三十本と、毎日、日にち、手紙ばっかり書き続け、風呂へも入らんと、髪結さんにも行かんと、手紙ばっかり書いてますの。
『おかあちゃん、わて、若旦那に見捨てられたんやないやろか。見捨てられたんやないやろか』『いゝえ、そんなことはない。若旦那、そんなことをするような人やない。若旦那の気持は、あんたより、おかあちゃんの方がよう知ってんねん』『そやけども、若旦那、お越しになれへん』『あんた、そんなことばっかり気にせんと、えらいこのごろ顔の色が悪うなってきたやないか。あんたに、もしものことがあったら、親一人、子一人、おかあちゃんどないしたらええの』いうたら、あの娘、ワァッと泣き出してしまいましてな、そのうちに、だんだん、だんだんやせ細って来て、いやがんのを、無理にお医者さんに診せたところが、見立てがつけしまへんの。とうとう寝込んでしもうて、寝間へ入ってからでも、『おかあちゃんも一本書いて。お仲も一本書いて』と、そうなったら、お仲もわても、店の用事も何もでけしまへんの。
毎日、手紙ばっかり書いてな、・・・・・・だんだん、だんだん悪なってきて、ちょうど、きょうが危いという日にな、『おかあちゃん、わてもう一本だけ手紙を書くわ』『ああ、書きなはれ』その手紙を持たしてやったところが、やっばり、おんなじ返事。『おかあちゃん、わて、とうとう、若旦那に見捨てられた』ワァッと泣いたときには、どういうて慰めてええねや、慰める言葉もおまへなんだ。
ちょうどそのときに、あんたがこしらえておくなはった、三味線ができあがって来ましてな、あの娘の紋とあんたの紋が比翼に、うまい具合に入ってまんの。『これ、小糸、若旦那がこしらえてくれはった三味線ができあがって来たでえ』いうたら、初めてそのとき、ニコッと笑うて『おかあちゃん、その三味線がいっペん弾きたい』『何を言うてなはんねん。三味線は、達者になったら弾ける』『いや、弾きたいさかい、弾かして』無理にいうもんやさかいに、わてが、そうっと、後から抱き起して、お仲が三味線を渡してやると、シャンとひとバチ入れて、『おかあちゃん、しんどいさかい横にさして』横になったとたんに、変が来ましてなあ、それっきり・・・・・・可哀想なことしました」
「さ・・・・・・・・さようか・・・・・・・・・わて知らなんだ。そ・・・・・・・・・そんなことは知らなんだ。そ・・・・・・・・・そうと知ってたら、わて、たとえ蔵脱け出してでも、出て来るんでした」
「あんたいま、蔵やいゝなはったな」
「わてもなあ、百日の間、蔵住いしてましてん。いま出て来たとこですねや」
「ンまあ・・・さよか。お仲、若旦那も蔵住いしてはったんやと。・・・・・・・・・苦労してはったのになあ。恨みごというて、勘忍しとくんなはれや。いえ、わてもな、もう、何とも思うてしまへん。きょうが、ちょうど、三十五日、友達も二、三、おまいりに来てくれはりまんの。若旦那もよかったら、あの娘の位牌の前で、いっばい飲んでやっておくれやす。これ、お仲、お仏壇にな、三味線供えて、線香上げときなはれや。それにしたって、あの娘ら、えらい遅いやないか。どないしたんやろ」
「おかあちゃん、えろう遅なってすみまへん」
「まあ、小千代はんに若千代はんに君江はん、あんたがた遅かったやないか」
「おかはん、勘忍しとくんなはれや。きのうもなあ、お座敷行ったら、お座敷遅なってしもうて、風呂行けなんだの。ほで、朝早ようから風呂行たら、いつもの君江はんのやまはんのノロケでっしゃろ。この人、ノロケばァっかり言うてんのよ。おか・・・・・・・・・おかはん勘忍しておくんなはれや。まあこんな席で、こんこというてしもうて・・・・・・そいでな、帰って来てからに、お化粧してたら、縁起棚の上に、小糸はんの提灯が上ってまんの。その提灯を見たとたんに、来年から、あの提灯もなくなってしまうねんなあ・・・・・・いうたら、みなが、ワーッと泣いてしもうて、お化粧しなおし。おそなってすみまへん」
「そうか。よう泣いてやっておくなはったな。あのな、若旦那もお見えになってんの」
「若旦那て・・・・・・おかあちゃん、あの人殺し」
「コレ。いゝなはんな。いえ、いまもを、いろんなわけを聴いた。いろいろと事情があんの。あんた方には、また、あとから話をしてあげます。あのを、いっぺんあいさつして来なはれ」
「へ。若旦那! ごきげんさん。お達者で。お変りおまへんか」
「は・・・・・・お前らも達者やったか」
「さあ、若旦那、いっぱい注がさしてもらいまっさ」
「へ、おおきに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ゴホン、ゴホン・・・・・・・・・」
(三味線の音)
「キャーッ!」
「ど、どど、どないした。どないしたんや」
「お、・・・・・・お仏壇の三味線が・・・・・・・・・誰もさわってないのに鳴って
る。・・・・・・鳴ってる」
「オッ・・・・・・・・・シーッ・・・・・・・・・・」
♪ほんに昔のことよ・・・・・・・・・・・・・・・(下座「ゆき」)
「小糸! かんにんしてや。お前がな、そこまで思うてくれてたとは知らなんだんや。かんにんしてや。わしほど幸せな男はない。こんなことと知ってたらな、蔵脱け出してでも、出て来るんやった。そのかわりにな、わてはな、もう女房と名のつくもんは、一生もてへん・・・・・・一生もてへんでェ・・・・・・・・・・・・・・」
「小糸、いまの若旦那のことばききなはったか。あんたは幸せもんや。いまの若旦那の言葉を冥度のみやげに、ええとこにまいんねやで」
(下座続く)・・・・・・・・・(止る)
「どないしたんや。どないしたんや。いっぺんみて・・・・・・・・・どないした。三味線が鳴らへん。いっペんみて」
「若旦那、もう小糸は、三味線弾けしまへん」
「なんでや」
「ちょうど線香が・・・・・・たちぎれました」
(完)

解説

 私は、古い人間なのでしょうか。このはなしに出てくる小糸の若旦那を慕って死んでいく心情に、ひとしお、魅かれるのです。
 それだけに、私としては、難しさ、演りがいのあるはなしです。
 どこが難しいかといゝますと、このはなしは一個所も、息がぬけないのです。
 つまり、遊びができません。途中で、ちょっと遊んでみようと、すかすと、たちまちにして、このはなしは崩れてしまいます。
 それから、小糸の母親が、若旦那にたいして、小糸が、若旦那を慕い、患い、死んでいったくだりを、恨みをこめて話しますが、若旦那が、蔵住いをさせられていたという事情をさとって、若旦那の心情も理解し、「小糸あんたは幸せもんや」といいます。そのへんの描写は、本当に難しいものです。
 わが子に対するいとおしみ、若旦那への恨み、そして、若旦那への同情へと変っていく気持の変化を出さないと、このはなしは生きてこないのです。
 また、上方落語には、「はめもの」がたくさん出てきますが、「たちぎれ線香」のはめものは、普通の場合と趣が違います。
 たとえば、普通、野辺の描写をするときは、「きぬた」を使ったり、茶屋遊びの場合は、「茶屋入り」を使ったりしますが、それらはあくまでBGM音楽の役割です。
 しかし、「たちぎれ線香」の場合は、目的がはっきりしていきます。
 地唄「ゆき」がなければ、小糸が仏壇の三味線を弾くくだりは、死んでしまいます。
 東京の場合は、「ゆき」だけでなく、演者によって「黒髪」を使う人もいますが、地唄「ゆき」あってこそ、「たちぎれ線香」があるといっても過言ではないでしょう。

1972.12.10 桂小文枝