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アームストロング

月面歩行の人

高齢の方はアポロ11号で月面に到達したアメリカ人、
ニール・アームストロング船長のことをご存じでしょう。

TV放映された月面をピョンピョンと飛び歩く姿が思い浮
かばれますね。1969年7月21日のことでした。

着陸船から月面に足を踏み出したとき「これは一人の人間に
とっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」
とのメッセージが有名です。


手動アンテナ回転

1950年代、アームストロング方式という指向性アンテナの
回転方法を私は知りました。

当時、アマチュア無線局を開設する家庭環境にはありません
でしたが、知識だけは「初歩のラジオ」や「無線と実験」などで
吸収していました。

八木アンテナやループアンテナ等を取付けた鉄柱や竹竿の
マストを地面に植え込み、窓越しに腕を伸ばして回転させる
ロータリー・アンテナの記事がありました。

このアンテナは自分の「剛腕」でアンテナを回転させることから
「アームストロング方式」と呼ばれていたのです。


真空管時代の発明王

1952年、高校生の時のある日、社会科の教師が教室に
入ってくるや「英字新聞を読んでいたら超党派外交の記事が
出ていた。諸君、<超>は英語で何と言うか知っているか?」
と皆に訊ねました。
すかさず私は挙手、「ウルトラです」と答えました。

「エー」と皆はびっくりしましたが、私にとってはたいしたことでは
ありませんでした。
受信機の性能を上げるためのウルトラ・オーディオン(超再生)の
呼び名を私は知っていたのです。

東京オリンピックなどで体操の選手が美技を披露し「ウルトラ」という
言葉が使われたのはそれから12年後の1964年のことでした。

余談ですが、言葉は時代と共に変わります。現在では超党派の「超」は
「スーパー」と呼ばれているようです。

無線受信機の感度や選択度を上げるための「超再生回路」は
エドウイン・アームストロング(アメリカ人)が1922年に発明しました。
後に彼は「スーパーヘテロダイン」方式も発明しました。

アームストロングはコロンビア大学を出て一時、陸軍通信隊
に籍をおいたそうでうが、会社勤務などは無く、博士となって
コロンビア大学の教授となりました。

1914年に「再生回路」を発明しその後、「周波数変調回路」など
終生40件を超える特許を取得しました。

取得した特許のライセンス収入で彼は富豪になりました。

当時、真空管(2局管、3局管)を発明した リー・ド・フォレスト
(アメリカ人)との間で特許抗争が起こり、実に10年を超える
長きに渉りました。(抗争期間20年とも言われています。)

その争いは、最初フォレストが勝ち、次にはアームストロングに
権利が与えられ、3転してフォレストに軍配が上りました。

長い抗争で疲れ、資金力も失ったアームストロングはニューヨーク
のアパートの13階から投身自殺したそうです。(1890-1954)

フォレストも金持ちにはなったものの80歳代まで長生きしま
したが、亡くなった時は僅かな銀行預金しか残っていなかった
ようです。(1873-1961)

素人目には、貧乏するまで特許抗争しなくてもよかったのでは
ないかと思いますが、アームストロングはRCAやウエスティング
ハウス側、フォレストにはAT&Aの巨大企業が付いていたので
企業のメンツをかけた争いだったのかも知れません。

青色発光ダイオードを発明した技術者は発明時に勤めていた会社
と特許報酬を争い、短い期間に和解・解決しました。
さらに同時進行型で同じような研究をしていた大学の先生方と
一緒にノーベル賞を受賞しました。
アームストロングやフォレストの争いは、古い時代感覚の悲劇と
言えるかもしれません。
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エドウイン・アームストロングらの話の一部は
Wikipedia や 真空管90年の歩み(誠文堂新光舎刊)の中の
記事を参考にしました。

真空管時代の電子回路参考書には必ずアームストロングの回路が
出ていますが、大きく頁を割いたものは有りませんでした。


                                  (2015.11.1)