Profile


【なまえ】:佐 藤 裕 久 (Hirohisa Sato)
【せいざ】:おひつじ座
【うまれどし】:辛卯
【せいべつ】:♂
【かもん】:源氏車
【しゅみ】:天文・歴史・考古学・その他雑学。特に、彗星天文学、須賀川の歴史などに興味を持っている。
【しりょく】:右1.5、左0.6と、ここ数年でかなり視力が衰えた。以前は2.0以上あり、街中でプレアデス(M45)を肉眼で21個見たこともある。
【しっぱいだん】:天の川の中に肉眼で6等の星が見え、東京天文台に電報を打った経験(失敗)がある。その星は1918年のわし座新星のすぐ脇にあった6.3等の星だった。
【せいず・せいひょう】:その後親切にその近くの当時出たばかりのSAO星図の写しを送ってくれた。当時は6.25等までの「全天恒星図」しか持っていなかったのだ。    1969年以降はがむしゃらに星図や星表を集めた。ベクバル星図・SAO星図・ボン星図や写真星図、ベクバル星表・SAO星表・AGK3など
【てんもんをしゅみにしたどうき】:中学時代に学校の映画鑑賞で池谷薫氏の物語を見たこと。その後学習教材の単レンズ3cmの望遠鏡を買ってもらい月、木星や土星を見たことがきっかけ。
【いけや・せきすいせい】:残念ながらあの池谷・関彗星は見ていなかった。ほんとに残念。    今は、関勉氏のホームページの池谷・関彗星を毎日見ている。また、時々自分のパソコンを壁紙いっぱいの池谷・関彗星にして見ている。数多い彗星の中で一番美しいと思っている。
【すいせいのはつかんそく】:初めて彗星を観測したのは、本田彗星(1968c: C/1968 N1)である。この彗星は北の空に見え小さな双眼鏡で観測した。その後天文にのめり込んでいった。
    【ほんかくてきかんそく】:高校を卒業し地元に就職してからすぐに20cmの反射鏡を磨きコメットシーカーをマウンチングしてEr32mm X33で観測を開始しました。    その後1973年にコホーテク彗星が見つかりコメットシーカーは10cm反射X20に交替。現在の観測の主力は7cmX10双眼鏡と次第に観測器械が小さくなっている。
【てほどき】:1972年東亜天文学会に入会し、関勉氏が課長の彗星課を選んだ。関氏は青二才だった私に丁寧に色々な事を教えてくれた。これは今でも感謝している。    その後、計算課の長谷川一郎氏に天文計算、特に軌道計算の手解きを受けた。関氏も軌道計算の楽しみを出版され、私も計算に没頭するようになった。    その頃はまだパソコンは一般的でなく、もっぱら4mm角の計算用紙に数字を埋めて彗星の軌道や、位置推算を計算した。その後、中野主一氏の薦めでプログラム電卓TI−59を利用するようになった。       1980年代にはパソコンが一般的となり、パソコンで天文計算をするようになった。
   
戻る