須賀川城跡


二階堂神社に須賀川史談会が建立した二階堂氏居城時代の須賀川城と町割図へジャンプ
須賀川城と町割図


須賀川城

岩瀬山(現在の愛宕山)にあった須賀川城は、南北朝期の戦いの後、30年〜40年後の永享〜文安年間(1429〜49年)、現在の須賀川市街地の中心に移された。本丸は宮先町の二階堂神社と田善通りとなっている内堀をはさんだ現保健センター北側にあったと思われる。
二の丸は宮先町〜中町、大手門は二の丸の南口(中町南側)、搦手は北側釈迦堂口(北町)にあった。城の固は西北側に釈迦堂川、東側は栗谷沢(現須賀川、通称「下の川」)が外堀として造られ、西に八幡崎舘、北に山寺舘、東に守谷舘などの出城が各街道の守りとなった。



平成10年(1998年)9月13日須賀川城跡発掘調査現地説明会の模様

須賀川城址

本丸跡(二階堂神社) 内堀跡(長松院西側) 内堀跡(神炊舘神社南側) 内堀跡(諏訪町田善通り)


八幡崎城跡

八幡崎舘跡(岩瀬八幡神社) 空堀跡(中腹) 空堀跡(中腹) 土塁跡(山頂)