| 早起きは三文の得 | ||
武蔵森学園中等部のサッカー部は、はっきり言って全国でも名だたる強豪だ。 おかげで練習がきついきつい。 放課後に毎日練習があるのは部活なんだからまあ当然としても、平日は朝から早朝練習があるし、試合前になると 昼休みにだって昼錬がある。(きっつー) 土日は、ほぼつぶれる。 まあ、うら若き青少年たちなので、たまには休みも確保はしてもらえるが。 半日オフとか、祝日は1日オフとか。 それが無ければなんだか哀しすぎる青春だ。 ところで、その武蔵森学園中等部2年生期待の星、守護神候補の渋沢克朗君の話をしてもいいだろうか。 渋沢克朗は、割と寝起きがいいやつだった。 これは先天的なものもあるだろうが、かなりに後天的な努力もある。 つまり、もともと早起きが苦手かそうでないか、という資質と、それに加えて早起きをする習慣を きちんと体に憶え込ませているという事実。 これは確かに彼の必要以上に築き上げた「外面の良さ」に起因するものではあったが、だからといって 彼の努力が尊くない訳ではない・・・・と思う。 彼が、その自分の習慣について、ちょっと苦い気持ちになるのは、こんな時だ。 例えば、今日みたいな。 その日、渋沢克朗は、いつも通り、目覚ましのなる1分前に目が覚めた。 いつも通りの時間だった。 体がリズムを覚えきっているとしか思えなかった。 いつも通り目が覚めて、いつも通り、鳴る前の目覚ましを止めようとして、スイッチが入っていないことに気がつく。 今ボタンを押したらかえってあと数十秒で時計のベルが鳴り響くだろう。 なんでだろう。 寝起きの頭でぼんやり考えて、ようやく思い出す。 午前オフ日曜だったのだ。 つまり、練習は午後から。 なので、珍しく朝寝坊をしてやれ、と思ってあえて目覚ましをかけなかったのだ。 どのくらいゆっくりするかも決めていたくらいなのに(ちなみに9時くらいまで寝てようとか思っていた)、何のことはない。 まったくいつも通りに身体が勝手に起きてしまった。 がっくりと、布団の中で自分自身にちょっと自己嫌悪など感じてみたり。 外面の良さも、善し悪しだ。 二度寝すればいいのだが、目が覚めてしまうとなんだかそれがやりにくい。 つくづく損な性分だ。 もちろん向かい側のベッドでは、まったくそんな悩みなんかないだろう人物が深く深く夢の世界に漂っている。 その枕元にはかなり分厚目の本があったので、そっちもそっちで今朝はゆっくり朝寝坊を決め込むつもりだったと思える。 なんとなく、起き出すのも悔しく、かといって起きてしまった頭はだんだんしっかり覚醒してくる。 しばらく布団をかぶってフテ寝をしてみたが、なぜかぜんぜん眠気が来ない。 こりゃだめだ。 渋沢は観念しておきあがった。 時計を見る。 起きてからまだ10分も経っていない。 情けなそうにため息をついた。 ゆっくり寝たいなあ。 ゆっくり寝られる時にもできない自分を情けなく思う。 思うままにできないのは、自分を作りすぎているせいだろうか。 とりあえず、起きてしまったので、やることといえばいつもの通り。 洗面道具を一そろい持って、多分どう考えても混む訳の無い時刻の洗面所に向かった。 いつもより10分遅く来た洗面所には、いつも通り誰も来ていない。 人が来出すのはもう少しくらい後の事。 大体ここで出会うのは、辰巳、たまに近藤、それから新入生の3軍のちっちゃい子(名前まだ憶えてない)。 後はたいてい自分が帰ったあとになだれてくるようで、せわしない時間の様子はよく知らない。 洗面所は階ごとにあるから、この階に住んでいる者はたいていここに来ないといけない。 よっぽど混む時はトイレを使うしかなくなる。 こんなに空いている時間にくればいいのに。 っていうか、でもホントにさすがに今日は寮中が朝寝坊の予定らしい。 静かだ。 渋沢は歯ブラシを動かしながら、ぼんやりと寮中の音に耳を澄ませた。 たっぷり30分ほどかけて歯を磨いていたが、やっぱり誰も来なかった。 珍しく誰にも会わないまま、部屋に帰る。 帰ってきたら、三上はやっぱりおんなじ格好のまま寝ていた。一度起きた様子とかも無し。 けっこう物音とかを立てても、朝の三上はまず起きることはない。 始めの頃は気を遣ってひっそりと動いていた渋沢だが、今ではこの時間、どうせ三上の安眠を妨害することは 無いと思い知っているので、普通に行動している。(かえって起こすためにいろいろ気を遣うくらいだ) 着替えて、カーテンと窓を開ける。 早く起きてしまったため、練習時間まで、かなり時間がある。 今日はなにをしよう。 出かけるほどの時間はない。 何かをするには少なく、何もしないのには長すぎる自由時間。(だから寝てたかったんだ) 早朝なので、ランニングにでも行こうかとも思うが、どうせ6時間もしたら嫌でもランニングはしなくてはならない。 ふと思い付いて、三上のベッドに寄り、枕元の本を手にとって見た。 半分と少しのところでしおりが挟んである。 なにを読んでいるんだろう。 三上は普段から、何かしら本を読んでいる。 ほんの少しの暇さえあればちょこちょこと文庫を広げているのをよくよく目にする。 始めは推理ミステリーものばかりかと思っていたが、そうでもないらしい。 というより、手当たり次第という感もある。 歴史物も好きみたいだし、外国文学もよく読んでいる(さすがに翻訳物だ)。かと思うとエッセイ集や 随筆も読んでいる。 特に旅行記物が好きらしい。 たまに借りたりするが、渋沢が1冊読む間に三上は3冊くらい読んでいる。 「そういう家だったから」と言っていた。 本好きは家庭環境の現われらしい。(自分の家で言うなら、食べ物に関することへの現われのような物か) 手に取った本は、今回は推理サスペンスだった。 渋沢の聞いたことの無い作家の、殺人をめぐる失踪のなんとかかんとか、よく分からないけどアオリを読むだけでは 何のことやら分からない。 ぱらぱらと開いてみたが、殺人事件云々とあったわりにはそういうおどろおどろしいシーンは出ていなそうだ。 (渋沢はそういう血みどろの、とかスプラッタな物が思い切りだめだった) なんとなく、開いたページを読み始めてしまう。 主人公は、既に何かを探して右往左往している。 なにを見つけたいんだ、と、気になって、さらに10ページほど溯って、読んでみる。 が、やっぱりなんか分からないが主人公は誰か知らない女ともめていて、渋沢は更にその章の始めまで溯り、 やっぱり誰かに責められていたので、あきらめて冒頭に戻った。 冒頭まで行ってしまえば、読み始めなくてはならない。 ちょっと、待て。 それならそれで気合いを入れたっていい。 渋沢は本を三上の枕元に戻すと、コーヒーの準備を始めた。 粉をフィルターに入れながら、つい、今し方の男を考える。 あいつが殺した話ではなさそうだな。 誰が殺されてて、なにを探していたんだろう。 コーヒーが入るまでの、待ち時間の間、もう一度三上のベッドに寄り、その本を拝借してそのまま枕元近くの 床に座り込んだ。 裏表紙の短い解説文に目を通す。 ミステリーの解説文にありがちな、ぼかしすぎてなにがなんだか分からない文章だった。 しばらくその解説文から推察しようと試みて努力するが、はじめから無理がある。 分かるように書いていたら推理物の解説は成り立たない。 もう。なんでこんなもんばっかり読むんだろう。 ちょっととほほ気分で本から目を上げる。 と、目の前に三上の顔があった。 一瞬、うわ、と、心の中で声を上げる。 いつのまにか、三上が寝返りを打って転がってきていた。 枕元に座っていたため、異常に接近していたらしい。 突然のアップに、少し動悸が上がるのを自覚。 おちつけ、おちつけ。 うん。 実は渋沢は密かに三上を好きだった。 今年の正月、散々考えた末にそういう結論を認めざるを得なくなったのだ。 だからと言って、なにがどうなる、とかどうしたい、とかいうのは正直なところ別に無かった。 彼は今現在、三上亮に最も近い人間だった。 多分、それで満足している。 三上の中で多分今、自分はかなり高い位置に居る、と言う事を自覚している・・・・というか、おそらく 間違いようが無い事実だと思っている。 多分、他の誰にも見せないような顔や心を、自分にだけは少しは見せていると思う。 三上自身が見せるつもり無くこぼしてしまう物も含めて。 家族。に、準じる、くらいで。 それだけで充分満足していた。 いや、今もしている。 そういう風に、好きだった。 彼の中での「一番」でいたかった。 そういうふうに。 だから。 その時、渋沢は、一瞬の予期せぬアップに遭遇して、自分の心に不意に起こった衝動に、戸惑った。 さらさらした前髪に、触れたくなったのだ。 触れたい、という欲求は、自分の主体だ。 「彼の中での一番の自分でありたい」と言う、相手主体の欲求とは根本的に違う。 三上は、眠っている。意識が無い。 でも、自分は起きていて、彼の髪に触れたい。 それが、いい事なのか悪い事なのか、分からない。 「・・・・三上」 小さく、呼びかけてみた。 いつも起こす時間より、かなり過ぎてはいる。 三上は微動だにしなかった。規則正しい寝息が、わずかに肩と胸を上下させている。 そっと手を伸ばし、額からその髪をかきあげた。 指の間から、さらさらと髪が零れ落ちて、また額にかかる。 想像通りのさらさらした感触。 もう一度、髪を漉きあげる。 「三上・・・起きろよ」 起こせるはずの無い声でつぶやく。 そっと、手を頬に滑らせた。 やはりさらりとした感触で、眠っているせいか少し体温が高い。 「・・・・起きないと・・・・」 頬を滑らせる指を、唇に伸ばした。 乾いた感触に、そっとなぞらせる指先に。 どうしようかな。 起きないと。 三上が起きないと。 自分はどうしよう。 どうしたい? どうしようか。 葛藤は。 一瞬ではなかったが。 指でたどった唇に、そっと自分のそれを押し当てた。 乱れぬままの寝息を確かめて、ため息をついて立ち上がる。 しばらく起きないでいて欲しいよなあ、などと考えながら。 いつもと違う覚醒に、ぼんやりと思考が回る。 いいニオイ・・・・。 なんだかとても気分がいい気がする。 段々ハッキリしてきた視界に一番に映った物は、なんだか黒い固まりだった。 なんだこりゃ。 手を伸ばしてつかんでみた。 「わっ」 固まりが渋沢みたいな声をあげた。 「あれ?」 それでハッキリ目が覚めた。 自分のベッドの真横に渋沢が座り込んでいたのだ。 俯いている頭をつかんだらしい。 「何でこんなところに居るんだ?」 「本借りてたぞ」 「?」 もそもそと身体を乗り出して覗き込むと、渋沢は昨夜自分が読んでいた本を読んでいるようだった。 ひざの横にマグカップが置いてあって、半分ほどコーヒーが残っている。 そのニオイだったんだ。 三上は乗り出して手を伸ばした。 「それ、ちょっとくれ」 「これ?いや、お前の分は入れてやるから待てよ」 「いい。とりあえず一口くれ」 うつぶせに、肘だけついて体を起こすと、取り上げたコーヒーを飲んだ。 マグカップを渋沢に押し付けると、はーっと息をついてもう一度長々と寝そべる。 「なんか、気が済むまで寝たってカンジだー」 そりゃそうだろう、と、渋沢は時計を目の前においてやる。 「・・・・・10時半?・・・・・うわ。朝飯の時間終わってるじゃん」 そこでやっと三上は起き上がってベッドの上に座り込んだ。 うわーぁあ、と、大あくびをして、首をぐりぐりと回し、うーんと反り返って伸びをして、 そのまま座ったまま後ろにひっくり返った。 「渋沢、朝飯は?」 「ああ、まあ」 あいまいな返事を返す。 食ってねーな、こいつ。 ぷ、と、笑いをかみ殺す。 この男は自分と一緒でないと食事をあまり摂ろうとしない。 というか、自分が誘ってようやく腰を上げる程度なのだ。 始めは好き嫌いが多いのかと思っていたが、一年経って分かった事は、どうやら異常なまでの口贅沢らしい。 たまに自作の料理を振る舞ってくれる事があるが、確かに寮食とは洗練度の違う味だった。 そんなだから、無理して一人でまで食べに行く事があまり無い。 そんなんで持つのかなあ、と心配にもなるのだが、そうかと言って情けない顔で無理矢理口に押し込んでいるのを見ると それはそれで気の毒にもなる。 育ちがいいのも善し悪しなもんだ。 ふと自分の家を思い浮かべた。 家の食事は、好きとか嫌いとか、そういう対象以前の物だったが、確かにここでの食事が続くと恋しくなる。 ・・・・とはいえ、渋沢の振る舞ってくれた例えば肉じゃがとか、炊き合わせとか、和え物とか、そういう物の 方が相当美味かったと言う事実に、ちょっと記憶が薄れつつあったりするけど。 「簡単に何か作ろうか?」 渋沢が本を閉じて振り返った。 「そうだな。ちょっとなんか食べときたいかな」 多分そう言わないと、渋沢はこのまま朝を抜いてしまうだろう。 「じゃあ、先に行ってる。適当に降りてきてくれ」 そう言って行ってしまった。 出て行きしなに、ちょっとだけ振り返って、ふわりと笑った。 たまに、あいつはああいう顔をする。 けっこう、その顔は好きだな、と考えて、そう言えば、最近よく見る気がするな、と思った。 出会った頃に比べて、作ったような笑顔が減ったのには気がついていた。 でも、あんな顔は、いったいいつからするようになっただろう。 一番最初に、その顔をとてもいいなと思ったのは、少なくとも今年になってからだった。 いい顔、できるんじゃないか、と。 いつもそんな風にしてればいいのに、と思ったけれど、どうやら渋沢は、自分と居る時にしか、そんな風には 笑わないらしい。 もったいないな、と思う反面、なんとなく特別な感じが嬉しい。 今日は朝から機嫌がよさそうでヨカッタな、と思い、さっさと着替えを済ませて既に誰も居ない洗面所に向かった。 渋沢の、今日の献立は何かなー、などと、のんきに考えている彼は、多分なんで今日の献立が、一汁三菜なのかなんて、 きっと理由は分からない。 =Fin= |