| お留守番 | ||
三上亮は、不在だ。 なんだかこの世の終わりみたいな憂鬱な顔で、今朝出ていった。 ものすごく珍しい事に、渋沢克朗が起こす前に起きた。 っていうか、あまり寝てなかったような顔をしていた。 渋沢が起き上がった時、それを待っていたかのように同時に身体を起こして、それから時計を見てぎょっとしていた。 朝食もあまり喉を通らない様子だったので、異例だが朝からコーヒーを煎れてやった。 「水筒に詰めて持っていこうかな」とか言っていたのが、あながち冗談にも聞こえなかったのだが、うっかり聞き流してしまった。 それより何度も、何か言いかけて、やっぱり止める、という様子を繰り返していたので、そちらのほうが気になっていた。 よっぽどこちらから聞き出してやろうかと思った。 が、しなかった。 というより、出来なかった。 出来なかった。というのも変な話だが。 なんとなく、聞きたくてしようがなかったので、かえって聞けなかったのだ。 変だな。 聞きたくてしようがない、というのも少し語弊があるかもしれない。 今回帰る理由なら、聞いていたから。 お姉さんの、結婚式。と言っていた。 聞いていたからそれ以上聞く必要が無くなってしまった。 だから聞けなくなった。 その憂鬱と、今回の帰省と、結婚式はなにか関係があるのか、と。 聞けば三上は答えてくれるかもしれない。 これこれこういう理由だから、と。 けれど、もう一つ、自分でも説明不能の感情。 聞きたくなかった。 なんとなく、聞いてしまうといけない気がする、何か。 なんなんだろうな。 聞きたくてしようがないけど、聞いてみたら自分が後悔しそうなもやもやとした気分。 三上の憂鬱が伝染しているのかもしれない。 どちらにしても。 部屋は一緒に出た。 玄関を出て、門を出て。自分は学校へ。三上は駅へ。 次に会うのは3日後だ。 じゃあな。 すたすたと振り返りもせず歩き去っていく後ろ姿が、なんだか切ない渋沢克朗だった。 「好き」はなかなか、幸せだけを運んではくれない。 いつもと同じ授業中。いつもと同じ部活中。 別に何事も無く、何事も無い。 三上が不在というだけで、後は別にいつもと同じ、日常。 三上の不在だって、別に何かの特殊理由も無く、平和な、というかおめでたい理由なので、誰も気にもとめない。 いつもと同じ、すべての現象。 いつも、自分はそんなに三上を見ていた訳でもないし、例えば部活中だってGKとMFなんてメニューも 違うし、一度も顔も姿も見ないままの事だって、ある。 っていうか、そっちの方が普通だ。 だというのに、なんで、今日に限って、空席をやたら目にしてしまうのか。 なんで、セットプレイの繰り返しを行うFWとMFの集団なんかをぼんやり見ているのか。 なんか、自分がバカみたいに思えていやなんだけどな。 別に、なんてことはないのに。 なんなんだろう。 なんか、変だ。 頭が上手く、動かない気がする。 ずっとなにかを考えなくちゃいけないような、でも、それに集中できないような。 そんなカンジ。 ずっとなにかに気を取られていて集中できない。 それがなにか、わからないんだ。 渋沢は、小さくひとつため息をついてから、小さくひとつ頭を振って、それから小さくひとつ、つぶやいた。 「集中」 そして、意識をグラウンドに戻す。 耳障りな笛の音が、自分を促している。 ダッシュ、アンド、ラン。 走る。走れ。 なんとなく、いつもより疲れた気がして、帰ってくる。 なんとなく、いつもよりまだ更に不味い気がする飯を食い。(人間の食い物か、これは(←ムカつく)) うんざりしながら部屋に帰ると、どっと疲れが倍増する気分。 「当社比、約3倍」とか、頭の中に注釈を入れながら、ノートを広げ、テキストを広げ、しばらく頭を空っぽにして単語を拾う。 全部書き出してから、もう一度本文を読み返して、再度チェック。 辞書を引く。 単純作業。 予習くらい頭を使えよ。 ぼんやりと自分にツッコミを入れてみる。 コーヒーを煎れようか、どうしようか。 でも、自分ひとりだし。 自分のためだけに煎れるコーヒーは、なんか、なんか。 飲みたいような、面倒なような。 つまらないような、さびしいような。 っていうか、静かだな。 突然、そう思って、渋沢は鉛筆をノートの上に転がした。 椅子の背に全体重を預けて、思い切り背中を伸ばす。 そのままそっくり返ってさかさまに部屋を眺める。 よく三上がやるように。 けどすぐちょっと頭に血が下がって(上って?)きたので、腹筋に力を込めて起き上がる。 背骨がぜんぜん曲がらないんだけど、これは自分の体が硬いのか、個人差があるものなのか。 三上なんか、どうせいつも黙って机に座って勉強してたり、本を読んでいたり、寝てたりしてるだけだから、静かさと言えばそんなに 変わらないはずなのに。 三上は、たいていいつも、静かだ。あんまりしゃべるほうじゃないし、自分もさして口が多いほうじゃない。 そして、自分も三上も、あまり音楽を聴いたり、という趣味もたいして無いし、テレビも置いていない。 考えてみれば、この部屋はたいていいつも、しんとしている、ような気がする。 なのに、今の今まで、その事には気がつかなかった。 静か、なんだ。 寝てるだけでもいるのといないのとでは大違いなんだな。 結局、面倒になってしまったので、今夜はコーヒーは無し。 渋沢にしては青天の霹靂並に珍しい事。 だけど、それにツッコミを入れるべき人間もいないので、何と言うことも無く。 「明日は雪でも降るんじゃねーのか!?」とか言って、ばかばかしくも笑うやつがいないから。 ・・・・・・なんでそれでまた、そんなでも、自分は予習も課題もはかどるんだろうな。 ああ、変だ、変だ。 いつもと同じ時間に目が覚める。 いつもと同じように、歯を磨き、顔を洗い、着替えをして、カーテンを開け、窓を開ける。 なんべんも、頭に言い聞かせていた。にもかかわらず、窓を開けて振り返った時、空っぽのベッドを見る瞬間まで、「もう起こさないと」 と、考えていたらしい自分に気がついた。 なぜならば、空っぽのベッドを見た瞬間、一瞬混乱していたから。 3秒ばかり、固まって、思考停止して、それから、何やってるんだ、と自分に苦々しい舌打ちをする。 なんとなく、気が抜けた。 なんだってんだよ。 がっかりしている自分に腹が立つ。 三上を起こしたりする時間が浮いてしまったので、それから朝食に行くまで、なんだか妙な時間が空いてしまった。 朝食。 食いに行かなきゃ。 早目に行けばいいんだ。 けど。 あれを1人で食うと思うと、またそれも気が重い事この上なし。 飛ばそうかな。 めんどくさいし。 不味いし。(ホントにいまだに慣れることができないよ) 渋沢は、なんだかやけっぱちと言えなくもない顔で、かばんをつかむと、そのまま学校に行ってしまった。 今ごろ、三上は何してるんだろうな。なんて、ちょっと考えながら。 (注:ちなみにその頃の三上は当然ながらまだ寝ている。この時間に活動していたのは2人の姉と母くらいか) 今日も、天気がいいんだな。 結婚式が晴れなのは、けっこうな事だ。 そして、すぐに反省する事になる。 ああ、ばかだ。俺は、ホントにばかだった。 その場のノリで朝飯を抜いたりするからこんな事になる。 授業中はまだ何とか耐えられた。 必死で、単語やら数式やらに集中して気を散らすが。 いかんせん、部活は。 気を散らそうにも、もっとダイレクトに。 ・・・・・腹減った。(昼は一応食った←足りなかったらしい) ちょっと、深刻によろめいたりして。 なにやってるんだよ。 無表情にランニングをこなしながら、実は足元はふらふらだ。 踏みしめる足が、たまによろめく気分。あくまで気分。 実際の渋沢は、いつもとたいして変わりはしない。 黙々とランニングをこなし、セットのフォーメーションを繰り返し、FWたちのシュートを受け続けている。 たいして変わりはしないから、誰も気がつかない。 いつもと同じ自分。 不意に何もかもをぶち壊したくなる。 「俺はっ、今っ、鬱だーーーーっ!!!」・・・・などと、叫んでしまったら、どーおなるんだろうなー。 クラスメートもチームメイトも、誰もいつもと変わらない渋沢に、なにも気がつかない。 ああ、三上なら、こんな時、どんなに自分を取り繕っても絶対気がつくはずなのに。 そんなことにも少し苛立たしい。 「お前、なんて顔してんの」って。 気が、付かれたいのか。 自分の感情や、内面を悟られるのなんて、絶対いやだったはずだったのにな。 でも、多分今更三上以外の他人に取り繕った自分を見破られたらものすごく不愉快だろうと思う。 でも、三上にだけは、見やぶられたいとまで思う。 そんな自分がいたなんて、信じられない。 そんな自分が、少し疎ましく、少し切ない。 好き。 そんな気持ちが、こんなに重苦しくなるなんて、思わなかった。 自分の中で、そんな気持ちだけが、重くのしかかって、やたら重量を増して、積載可能限度重量を越えそうだ。 三上亮という人物の中で、多分かなりの比重を占めているという現実に、充分満足していたはずだったのに。 達成された満足感は、限界容量を少しずつ広げてしまう。 ・・・要するに、満足なんてモノは、永遠に達成されないということか? ではこのなにか、言うに言えないイライラ感は、その増やされた容量分の感情か。 なにかをぶち壊したくなるような、感情は。 低い弾道で飛ばされたボールを。 「・・・・はっ!!」 思いきり、渾身の力でダイレクトに蹴り返す。 「うわっ!?」 「渋沢っ!?」 たまにはそれくらい、許して欲しいと思う。 向かいゴール付近にまで転がるボールを見ながら、少しだけ気が晴れた。 3日目に至っては、もうダルダルだ。 だけど、今日には帰ってくるはずだし。 朝も、洗面所で辰巳に会った時、ついぽろりと言ってしまった。 「アイツがいないと、なにか足りない気がするんだ」 辰巳は少しだけ、なんか意外そうに目を見開いて、それからうなづいた。 「確かに。なんか、寂しい気がするな」 そういわれてから、口を滑らせた事を後悔した。 同感されて、ちょっとほっとした事に対して腹立たしくなったのだ。 鉄壁を誇っていたからって、何も感じていないわけではない。 たまにこぼしてしまったりだってするんだ。 寂しさを感じた時なんかは特に。 それを、人に知られる事に、異常なまでに、今、ナーバスになっている。 「今日だったかな?三上が帰ってくるのは」 辰巳は、何と言う事もなさそうに、口にする。 「・・・多分、夜だろう」 意識的にそっけなく、気にしていないように答えてそそくさと部屋に帰るそぶりを見せた。 「また後で」 少しだけ、意外そうに辰巳が片眉を上げる。のを見ないフリして背を向けた。 授業中とか、つい、分かってるのにもう帰ってきてたりして、とかありえないことを考えたりしてしまう。ああ、バカ。 部活中も、つい藤代のシュートを1本入れさせてしまったりしてめちゃムカツク。(それはいくらなんでもボンヤリし過ぎだ) 気力が続かないのがばれそうでいやだな。 っていうか、なんと、入学時にホームシックになって以来初めてなんだか寂しい。 三上がいないことが、もしや、ものすごく、そこまでコタエている? ああ、なんかショックなような。でもなんかやっぱりと言うような。 ぼけっといつも三上が転がっているあたりを眺めてみたりして。 なんてことだ。 自分は、どうなってるんだ。 これじゃあ、まるで。まるで。 がったん。 机に広げたノートの上に突っ伏して、頭を抱えた。 ただの。バカだ。 ココン。と、ノックの音が聞こえ、飛び上がるように頭を上げる。何事もなかったかのような顔をして。 ドアが開いて、三上が。立っていた。 帰ってきたんだ。 「よお。ただいま」 ニパ、と笑って、軽く手をあげる。 ・・・・なんか、様子が違う。 目元が赤かった。 まるで泣いた後のように。 でも出て行く時の、あのせっぱ詰まったような憂鬱な空気がキレイに消えている。 なんだか、まるで別人のように、纏う空気が変わっていた。 っていうか、それは、ないんじゃないか。 自分にだけ、あのまとわるような憂鬱感を残して。 伝染しまったかのような憂鬱さは、今まさに自分を苦しめているのに。 「・・・・・・おかえり」 かろうじて、それだけを言えた。 普通の声を出せたかは自信が無い。 ふと思い付いて、立ち上がる。 前帰った時に、確か実家ではコーヒーが飲めないと嘆いていたのを思い出したのだ。 実家からこちらに帰ってくるたびに、コーヒーコーヒーといつも騒ぐ。 だから最近では、三上が実家から戻るたびにまずコーヒーを煎れてやっている。 今日はなぜか何も言わないが、煎れるべきだろう。 三上は、しばらく何か物思うげにぼんやりと自分を見ていたが、そのうちかばんを整理し始めた。 やはり、様子がいつもと少し違う。 が、自分が不安定だから、そういう風に見えるのかもしれない。 おかしいのは、自分だ。きっと。 不安定なのは、俺だ。多分。 「三上。コーヒー入った・・・・ぞ・・・」 振り返った途端。 「渋沢。俺ちょっと今から意味フメイの行動するけど、ちゃんとわかってっから気にすんな」 「は?」 なにか返事する暇も有らばこそ。 部屋が。 ひっくり返るような音を立てて、三上は自分の本棚の中身をすべてぶちまけた。 「なっ・・・」 落ちてきた本を、さらにいらだたしげに、足で蹴り飛ばす。 そんな三上は。初めて見た。 あんなに大切に読んでいた本達だったのに。 「何をやってるんだ!?」 荒れている。どうなっているんだ。憂鬱感は消えているんじゃなかったのか。 「あー、大丈夫だって。わかってっからってば」 フンと鼻を鳴らしてやけっぱちみたいに言い捨てる。 「いっぺんやってみたかったんだよ。気分、気分」 泣きたくなった。 なんでそんなに不安定なんだ。 自分も、三上も。 なにかのほんの少しのきっかけで、何もかもを壊してしまいたくなるほどに。 なのに。 「よっし。まずはコーヒーくれ。それからこいつら全部整理しちまうわ」 何事も無かったかのように、いっそスッキリしたかのように、笑う、から。 それは、まるで。 自分とお前は別の人間なのだと、何を考えているのかなんて、所詮わからせてたまるものかと。 そんな風に閉じられたかのような、気がして。 それは、いつもの俺の、まわりのすべてに対する、対応か。 それは、自分か。三上か。誰の考えなんだ。 不意に、目の前の、三上のことが、見えなくなった。 こいつの中での、俺なんて、別に対した存在じゃないのかもしれない。 自分の思い込み、なのかもしれない。 三上の中で、多分一番近い位置にいるはずなんて、自己満足の見せた都合のいい思い込み。 「・・・・・・・」 大きく、深呼吸、する。 くらくらしている。 急に、不安感で足元が揺らぐ。 わからない。 人の気持ちがわからないことが、これほどまでに自分を不安にさせる。 そんな、ことが。 小さくひとつ、頭を振って、顔を上げた。 「・・・・・なにも無いんだったら、まあいいけどな・・・・・」 そう言ってカップを渡すと、にっこりと笑いかえす。 「サンキュ」 それさえも、なんだかわからない。 本当に嬉しいのか、あるいはお前に関係ないと、シャットアウトされているのか。 違う。 嬉しいんだろう? その顔は、その笑い顔は、気が緩んでる本物の笑顔なんだろう? 確信が、どうしても持てない。 ほんとうに。 本当に自分は、どうしてしまったんだ? よろよろと、椅子に座り込んで、頭を抱える。 混乱の極み。 なにも、考えられていない。 背後では三上が、なにやら本の山の中に埋もれて、たのしげに仕分けを始めていた。 3日間、その風景が見たかった。 なんということもなく、そうやってそこいらに存在している三上を、ずっと見たかった。 けれど、今。 待ってくれ。 少し、一人になりたい。 目の前にいられると、なにか、かえって何も見えなくて。 恐い。 そう思った。 なにが。 ・・・わからないことが。 ・・・・・少し、頭を冷やしに外へ出た方がいいか。 そう判断して、立ち上がった。 なんて言って、席を外そうか。 不自然に出て行くことが、少しためらわれる。 三上は、不意に立ちあがった自分に少し目をむけ、ん?という顔をして言葉を待った。 「・・・・・・・これ・・・・どうするんだ?」 とっさに出てきたのはそんな言葉だった。 しまった。 外へ出るタイミングを逸していた。 「こっちの山は捨てるほう」 こうなると、もう流れ的に手伝うしかない。 近くに寄りたくないのに。 寄りたく、ないのは。 わからない。 確かめたい。 覗き込みたい。 聞いてしまいたい。 はっきり、させてしまいたい。 そんな衝動を、押さえ切れる自信が。 もう。無い。 無いんだ。 「・・・・・・三上」 本に気を取られてうつむく、前髪が少しかかった目は真剣で、よけいになにか、そんな背中を押す最後の きっかけになったのだと思う。 「あ?」 自分でも。 もう、だめだな、と頭のどこかでつぶやいているのを自覚していた。 =Fin= |