| アリエスの乙女たち(笑) | ||
金木犀の香りが一段と強くなって、笠井竹巳は足を止めた。 ひとけの少ない図書館の裏の中庭。 金木犀の木の下のベンチに、見慣れた美しい人物が座っているのを認める。 凛とした横顔を見せて、薄い本を広げている。 自分を待っているのだ。 けれど、今日はその事に対しても、何ら喜びが起こらない。 一瞬、昨日見てしまった光景を目の裏に思い浮かべてしまって、竹巳はじわりと目が熱くなるのを感じた。 ぐっと、あふれそうになるのをこらえて、その人のそばへ近寄る。 「お姉様」 無理をしてにっこり笑って声を掛けた。 「あら」 三上は目を上げて竹巳を認めると、華やかな笑顔を見せて本を閉じた。 「遅かったのね。どうしたのかしら。竹巳ちゃんからのお呼び出しなんて、珍しくて。なにかお急ぎのご用?」 黒い髪をさらりと肩から流れ落ちさせて、首をかしげて問い掛けてくる。 美しい人。 黒曜石のような瞳を見ていると、何も聞きたくなくなってしまう。 自分が泣きそうな顔になっている事を自覚して、竹巳はもう一度、努力して笑顔を浮かべた。 「・・・・・まあ、お座りなさいな」 なにか、訳ありげな様子を察して、三上は自分の隣のスペースを示した。 竹巳は黙って言われるままに腰を下ろした。 2人の間に沈黙が流れる。 「・・・・竹巳ちゃんは、何か私に言いたい事があるのね?」 少し、伏し目がちに、三上は陰のある笑顔を浮かべた。 「それは、あの人の事なのかしら」 「お姉様!!」 はじかれたように、竹巳は顔を上げて、隣に身体ごと向き直った。 「私、私、いけない事だと思ったんですけど。だって、最近お姉様は、いつも何か、上の空で。何かお悩みだと思ったから。 昨日、お帰りに後をついて行ってしまったんです。そしたら・・・・」 「竹巳ちゃん」 「そしたら・・・・あんな・・・・」 こらえ切れず、竹巳の両目から涙があふれ落ちた。 「竹巳ちゃん。それはね・・・」 何か言いかけた三上を遮るように、竹巳は声を荒げた。 「不良!不良ですわ!お姉様!!あんな殿方なんて。美しいお姉様が、あんなむくつけき殿方と腕を取られて歩かれるなんて、 私、耐え切れません!!」 「聞いてちょうだい。竹巳ちゃん!」 不意に、聞いた事も無いほど強い口調で三上が竹巳の肩をつかんだ。 思わず我に返った竹巳は涙に濡れた目をみはって三上の顔を見詰めた。 「竹巳ちゃん。わたくしね、あの方を愛しているの」 不思議なほど澄んだ瞳は、とても強い光を帯びているのに、なぜかとても温かい優しさを感じる。 「あの方を、愛しているのよ」 「でも・・・・」 その表情を前に、何と言っていいのか、わからなくなってしまって竹巳はくちごもる。 「不思議でしょう。そうよね。私みたいな人間が、そんな事を言うなんてね。だけど、私、わかってしまったの」 三上は、竹巳の肩から手を放し、うっとりと夢見るように目を閉じた。 「あの人だけが、私をわかってくださるの。誰もわからない、そう、あなたでさえ分からない本当のわたくしを」 「お姉様!竹巳は、・・・竹巳こそお姉様の事を理解していると思っていました」 「いいえ。・・・・いいえ、竹巳ちゃん」 ゆっくりと目を開いて、三上は竹巳を見た。 「あなたの知っている私なんて、ほんの一部なの。私はずっと、誰も、そう、自分さえも騙して生きていたわ」 「お姉様・・・・」 「あの方は、そんな私の目を開いてくださったの」 竹巳は、すん、と涙をすすり上げた。 にっこりと苦笑して、三上が白いハンカチを取り出す。 そっと濡れた頬をぬぐってくれる柔らかいシルクの感触を感じて、竹巳はもう一度泣きたくなった。 「ねえ。聞いてくれる?竹巳ちゃん。あの人の事」 「・・・・・はい」 竹巳はうつむいて、消え入りそうな声で返事をした。 その不本意そうな表情を苦笑を持って見やると、三上はポツリと語り始めた。 「・・・あの方ね・・・・渋沢さんとおっしゃるの。武蔵森学園の方なのよ」 「武蔵森学園・・・ですって?」 「あら、竹巳ちゃん。ご存知なの?」 「だって、お姉様・・・・武蔵森学園って・・・・」 この近辺では有名な文武両道の男子校だった。 そんな規律厳しい学校の男子生徒が、いったいなぜこの美しい人と知り合い、愛し合うに至るのか。 竹巳の理解を超える話だった。 「はじめは、とても失礼な男だと思ったわ。なんて無作法な、ひどいやつ、とも」 くすくすと笑いながら、でもとても大切な物のように話す、三上。 「ねえ、信じられる?私、初対面でその人に顔に、平手打してしまったのよ」 「お、お姉様が、そんな野蛮な事を!?」 「してしまったの」 くすくす笑っている三上だが、竹巳はそれどころではない。 「お姉様がそんな事をなさるなんて、そのかたはよっぽどひどい事をなさったんですわ!」 「・・・・・そうかもしれないけれど・・・・」 ふわりと視線を泳がせて、三上はあいまいな微笑みを浮かべた。 お姉様は、もう、自分を見ていない。 「そうかもしれない。でも、あの人は間違っていなかったわ。私を・・・・」 自分の隣に座って、自分のほうを今向いているけれど、お姉様の目に今見えているのはここにはいない、あの男の事なんだ。 「私の、仮面をすべて引き剥がして・・・・本当の私を目の前に突きつけたんだわ」 「本当の・・・お姉様?」 「そう。意地っ張りで、怖がりで、意気地なしで、見栄っ張りで。そして寂しがりで、どうしようもない私。 そしてそんな私をすべてひっくるめて愛しているとも。・・・・・私はもう、あの人に、心の底まで囚われてしまったの」 「お姉様が、そんな人だなんて・・・」 「ねえ。だから、あの人だけが、私をわかってくださるのよ」 嬉しそうに、そう微笑む顔を見ると、もう何も言えなかった。 「・・・・・ごめんなさいね。竹巳ちゃん。本当は、もっと時期を見てあなたにもきちんとお話するつもりだったわ」 三上はそっと竹巳の髪をなで、頭を抱き寄せた。 「・・・・・お姉様・・・・」 「でも、あなたにもきっとわかる時が来るわ。本当よ。いつか、その日がきたら、きっと私の言葉の意味もすべて分かるはずよ」 「・・・・お・・・・ねえさま・・・」 再び、じわりと熱く涙があふれるのを感じて竹巳は慌ててうつむいた。 「竹巳ちゃん。ほら、可愛い顔がだいなしね」 三上はその細い指でそっと竹巳のあごを上げさせ、もう一度ハンカチで、あふれかけた涙をぬぐってやった。 そして、そっとその頬に、柔らかい唇を押し付ける。 「いつか、あなただけを愛してくれる人が、きっと現れるわ。それまで私が守ってあげようと思っていたけれど。 ・・・・・・でも、あなたならきっと大丈夫ね」 「大丈夫なんて・・・・・・大丈夫なんかじゃないですぅ・・・・・わあぁっ!」 とうとう竹巳は、身も世も無く、三上のひざに泣き伏してしまった。 「竹巳ちゃん・・・・」 肩を震わせ、泣きじゃくる竹巳に、三上はしばらく途方に暮れたような顔をしていた。 が、やはり泣きたいだけ泣かせてやったほうが良いだろうと判断して、そっと、その小刻みに震える肩を優しくなでてやるのだった。 オチもなにも無いんですけど=Fin= |